最終話「異世界で、娘に捧げる第2の人生」
雲1つない晴天に浮かぶようしている太陽の眩しい光が、地上へと降り注いでいる。その太陽の光はまるで希望の象徴のように見える程に明るい。その下で、多くの人があくせくと働いていた。
「おーい、こっち土足りないぞ。持ってこーい」
「こっちちょっと遅れてるぞ。もっと人手を寄越してくれー」
汗を掻き、土に塗れ、身体中に小さな傷をつけながら、筋骨隆々の男達が崩壊した建物を建て直し、荒れ果てた街路を修繕し、踏みにじられた木々や植物を植えなおしている。
ここはナディールの街。今では唯一残った人類国家クライストス王国――その西部にある、かつての一大地方都市。
数か月前に魔王率いる未曽有のモンスターの大群の襲撃を受け、多くの人が犠牲になった。建物も何もかもが蹂躙され、それまでは幸せで平凡な日常の生活を送っていた街の人々は絶望の底へと突き落とされた惨劇があった。
モンスターを率いていた魔王の力は甚大で、王都から派遣された騎士団をしても対抗できず、街は壊滅状態に。そしてそこに住まう人々も虐殺の限りを尽くされる事態となった。
ナディールの街を蹂躙したモンスター軍を率いる魔王は、その勢いのままクライトストス王国王都へ侵攻し、人類を完全に滅亡させるつもりだった。
しかしその魔王を食い止めた『銀髪赤眼』の英雄がいた。
その『銀髪赤眼』の英雄は、自らの命と引き換えに魔王を打倒したのだった。
魔王及びモンスター軍迎撃後、生き残った街の人々はしばらく絶望に沈んでいた。しかし、そう長い時間をかけることもなく、彼らは自分達の足で立ち上がる。王都へ移住するという救済措置もあったが、そうではなく自分達の力で再びナディールの街を復興すべく立ち上がることを決意したのだった。
「分かりました。では王都から職人さんの協力をお願いしましょう。あと最近暑くなっていますから、作業する方は水分補給を徹底するようにしてください。体調が一番ですからね」
街の中央部に、タープが立てられている。布と木で作られた、雨露さえしのければいいという間に合わせのものだった。そのタープの下で、机を囲む数人の男達が真剣に話し込んでいる。
その中心人物――机の上に置かれたナディールの街の地図を指差しながら、てきぱきと周囲に指示を出しているのはコウタだった。
「それにしても、コウタさんがいてくれて助かったよ。こんなに仕切れる奴、他にいなかったからな」
会議が終わった後、コウタと年齢が近しい若者が笑いながら話しかけてくる。
「勉強してた王宮士官試験の範囲に、たまたま都市開発計画があったってだけだよ。こんな形で役に立つとは思ってなかったけど」
コウタは机の上にあった水を喉に流し込み、苦笑しながら続ける。
「でも、実際こうしてみんなをまとめられているのは、ほとんど親父の受け売りだよ。うちの親父は、昔はアレでも大組織の中間管理職だったし、色々教えてもらいながらなんとかやれている」
そうやってタープの下でコウタが友人と話し込んでいると、赤子を抱いた女性がそこに訪れる。
「こんにちは。主人がお世話になっています」
「あっ、リディアさん。どうも」
コウタの妻リディアだった。リディアは笑顔で愛想良く挨拶をしながら、コウタへと向き直る。
「リコちゃん。ほら、パパ頑張ってますよ~」
「きゃっ、きゃっ!」
そうやってリディアが胸に抱いた赤子――リコに笑いかけると、リコは嬉しそうにはしゃぐ。
「お疲れ様、あなた。陣中見舞いに来たわよ。少ししかありませんが、皆さんもどうぞ」
リディアはそう言いながら、片手に持っていた袋を机の上に置く。中に入っているのは、焼き菓子である。まだまだ復興途中で資源も満足にないこの状況下、甘い物は大変に貴重である。
量は少なくも、久々の甘味にタープの下にいた男達は騒ぐようにしながらリディアに礼を言って、それを口に持っていく。言うまでもなく、あっという間にリディアの差し入れは影も形もなくなった。
「ありがとう、リディア」
「どういたしまして。そうそう、たまにはあなたもリコを抱っこしてあげて。そのためにわざわざここまで来たんだから」
そうしてリディアは、抱いていたリコをコウタに差し出すと
「うっ、うっ……ぎゃああああっ!」
「わ、わ。な、なんだよ」
「くすくす。あんまり構ってくれないから、パパのこと忘れちゃったのかもね。よしよし」
コウタが抱いた途端泣き出すリコをリディアに戻しながら不満げな表情をすると、リディアは面白おかしく笑うのだった。
「今はちょっと大変だけど……でも、私達がこうしていられるのは義姉さんのおかげね」
「……ああ」
胸で号泣するリコを宥めるリディアは、優しい笑みを浮かべながらそんなことを言う。そんなリディアの言葉に、コウタは複雑な表情をしてうなずく。
「出来れば、姉さんも今の輪に加わっていて欲しかった」
「きっといらっしゃったら、誰よりも率先して動いているわね」
口調が少し重くなったコウタに対して、あえておどけた口調で返すリディア。それはコウタの気持ちへの無理解というわけではない。
あの偉大な義姉は、暗くてつまらなそうにするよりも、明るく笑って話をして欲しいと願っているだろうから。だからリディアは明るく振る舞う。
そしてそう思うのはコウタも同じで。
「姉ちゃんがいたら、きっと今頃リーダーは俺じゃなくて姉ちゃんがやってたな。仕切りたがり屋だったし。多分俺、怒られてばかりだ。『これは街作りゲーじゃないんだよ!』って」
「くすくす。きっと、そうね」
「きゃっきゃっ!」
そうやって夫婦で笑い合っていると、いつの間にかリコも機嫌を取り戻したようで嬉しそうに笑っていた。
街を救ってくれた”英雄”ミツキ。
本当は彼女にこそ、今のこのかけがえのない希望を、幸せを感じて欲しかった。それはコウタとリディアだけではなく、生き残った人々全員が思っていることだ。
しかし、それは叶わないことだ。
だから生き残った人達は、彼女が思っていたであろう遺志を継ぐように、どんなに大変で苦しい時も、明るく笑って過ごすようにしていた。だから彼女のことを話題にするのも、不幸の話ではなく希望の話として話す。
「コウタさん、今大丈夫かい?」
そうしてリディアと話しているコウタの所へ、また別の人間が訪れる。現在街の復興計画をまとめているコウタが忙しいのは当然で、予定されている会議だけではなく、こうして不意に持ち込まれる相談事も少なくない。
「どうしました?」
「実は子供らの遊び場として開放している南地区の例の広場なんだけど、今日もまたモンスターを見かけたって話を聞いてね。ちょっと不安じゃないかい?」
「ああ、南地区の広場の……」
同様の情報は他からもコウタの耳に入っていた。
今はまだ街としての形も取り戻せていないせいか、野生のモンスターでも平気で敷地内に入り込んでくる。ごくたまに入り込んできたモンスターに襲われて負傷したというトラブルまで発生している程だ。
野放しにしていれば、モンスターはどんどん復興中の街に入ってきて被害を拡大させていくだろう。復興工事等も重要だが、それ以上にモンスターという外敵を排除するというのも最重要事項だ。
だからコウタは既に手を打っていた。
「大丈夫ですよ。既に親父の討伐隊が森に入ってますから」
□■□■
ナディールの街を襲ったモンスターの大群――それらを支配していた魔王は『銀髪赤眼』の英雄の手によって滅ぼされた。しかし魔王がいなくなっても、全てのモンスターが世界から消えるわけではない。そもそも魔王の支配下にあって生き延びたモンスター達も、野生に戻っただけだ。
モンスターは、人類を敵と認識し度々襲ってくるという特性を持つ。しかし知能もそれなりに持ち合わせており、本能的に無謀に襲うということは実は少ない。
自分が安全で且つ相手を狩りやすい状況を判断して行動する知能を持ち合わせているのが、人類の天敵たる所以だった。
だから外敵に対する防御機能が失われ、また弱った人間が集まっているであろう復興途中の街などは、モンスター達の格好の的となる。
懸命に立ち直ろうとしているナディールの街には、復興前よりも街を襲おうと近づいてくるモンスターの数が増えていた。
「ヴヴ~~っ!」
森の中を、狼のような四足獣のモンスターが疾駆している。そのモンスターが追うのは、若い男だ。
「はぁっ、はぁっ!」
その若者は汗を掻きながら必死の形相で逃げる。時折後ろを振り返れば、どんどんモンスターとの距離は迫ってきている。身体能力が違い過ぎる。
「グルウウウ! キシャア!」
距離が迫ったところで、モンスターが唾液を零しながら獰猛な唸り声を漏らすと、地を蹴るようにして宙に舞う。そして4本の肢で若者の身体を抑えつけようと飛びかかってくる。
「――きゃいんっ!」
モンスターの爪が若者の身体に触れそうになった瞬間、横から炎撃が叩きつけられる。その衝撃のまま、モンスターは弾き飛ばされるようにして地面を転がり、しばらくピクピクと痙攣していると、そのまま動かなくなる。
「はぁ、はぁ……」
一瞬でも遅ければ、喉を食いちぎられていたかもしれない。すんでの所で助かった若者は、腰を抜かして地面に腰を付いている。そのまま顎に滴り落ちる汗を手の甲で拭い、動かなくなったモンスターを茫然と見つめていた。
「ご苦労さん。よくおびき出してくれた」
そう言って姿を現わしたのは、カズキだった。
腰に剣を下げて、マントを身に付け、身体の要所にはプロテクターを装備している。かつてこの世界に来たばかりの頃に稼業としていた冒険者の出で立ちである。
冒険者から商人へ転職してからは、身に付けることのなかった装備を身にまとったカズキは、腰を抜かした若者へ手を伸ばして、立ち上がるのに手を貸す。
「タイミングがギリギリ過ぎて、怖がらせしまったかな。俺的には充分余裕があったんだが……すまない」
「い、いえっ! とんでもありません!」
カズキを前にした若者は、びしっと背を伸ばしながら声を張って返事をする。まるで新しく軍隊へ入隊した新人のようである。カズキはそんな若者の様子を見て苦笑する。
「フェザーウルフはすばしっこくて、正面から戦っても攻撃を当てるのが難しいからな。こういう囮作戦が確実なんだが……次は違う方法にしようか」
これで狩ったフェザーウルフは4匹目。いずれも同じように囮となってくれた若者にもさすがに疲弊が見える。
今の個体への攻撃がギリギリになったのも、この若者の体力低下に原因がある。カズキも言葉ではそう言いながら、実は胸の中では密かに肝を冷やしていた。
「このくらいでへこたれてはおられません! 街を救ってくれた『銀髪赤眼』の力になれるんです! 街の皆も頑張ってるんです。学が無い俺でも役に立てるってカズキさんが教えてくれたから、もっと頑張りたいっす」
「そうか」
気合を入れるように声を張り上げる若者だが、疲労は明らかだった。これ以上無理はさせられない。カズキはその若者の意気込みをしっかりと受け入れながら、違う手段を考え始める。
「カズキさん。こっちの方にも数匹見つけたぜ」
カズキと若者がそんな会話をしていると、別動隊のメンバー達が集まってくる。
「フェザーウルフは群れを成すとはいえ、少し多すぎるな。昨日と今日とで10匹を超えている」
その報告を受け取りながら、カズキは顎を引いて真剣な表情となる。
復興中のナディールの街を狙う群れでも出来たのだろうか。ある程度戦術的な動きが出来るフェザーウルフの群れがあるとなると、少々厄介だ。
(コウタも今は街の復興で手一杯だ。こっちの方の負担を分けるわけにはいかない、か)
この状況はこれ以上深刻にならない内に、早急に群れを根絶する必要がある。カズキはそう決断すると
「捜索範囲を広げよう。群れが出来ているなら、今日中に巣を見つけたい」
性急といえば性急なカズキの決断だったが、反対する者は誰もいなかった。
今ナディールの街では、皆が復興に向けて懸命に生きている。そんな彼らが不安になることも、危険が及ぶこともあってはならない。
そのために周辺に蔓延るモンスターを狩り、街を守るのがカズキ率いる討伐体の役割だった。
早速、各々の捜索範囲や集合場所などの打ち合わせがその場で始まる。長引けは疲労も溜まり、陽が沈めば危険も増す。効率的でいて確実な捜索を行わなければならない。
「……ん?」
そんな中討伐体の1人が、とある音に気付いた。
木々を殴り、叩き折り、己の行く道を遮るものを蹂躙するような、圧倒的な暴力の音。
その破壊音が徐々に近づいてくると、最初に気づいた1人だけではなく、全員がその音に気付き、そして戦慄する。
「お、おいおい。まさか……嘘だろ」
ゆっくりと近づいてくる暴力の音を聞きながら、討伐隊は誰もが身を竦ませて動くことが出来なかった。荒れ狂い、自分達を襲おうとする暴力の波が、ただただ近づいてくるのを待つことしか出来なかった。
「グオオオオオオオオオオ! オオオオオオオオ!
やがて雄たけびを上げて現れたのは2足歩行の人型のモンスター。人型といっても、大きさは10mに届きそうな巨人。カズキ達のような普通の人間であれば空を仰ぐようにしてみなければ、その顔が見られない程だ。
そしてその頭部にある目は1つだけ。額の部分からは鋭い角が生えており、全身は筋骨隆々とした屈強なシルエットになっていて、その右手には木で出来た巨大なこん棒が握られている。
「ギ、ギガース……! なんでこんな所にいるんだよ!」
討伐隊の1人が恐怖と絶望に染まりながら、そのモンスターの名を零す。
モンスターの中でも危険度は超一級。その生息圏は遥か西の彼方、人類の手が及ばない最果ての地にしか棲息しないとされて、ほとんど伝説扱いされているモンスターである。
実際討伐隊の人間どころか、世界中でも見たことある者などいるかどうか分からない程の存在だ。
見た目通りの怪力や暴力性は勿論のこと、武器を作って扱ったり、別種族を指揮する高度な知能まで持ち合わせているという。
ここ最近、フェザーウルフなどの強力な個体の目撃情報が増えていたのは、このギガースの存在のためだったのだろう。
「お、終わった……せっかくこれからって時に、どうして……」
また別の1人が絶望に震えた声で言う。
ギガースが率いる集団が1つあれば、小国レベルであれば滅亡する程だといわれている。そんなもの尾ひれがついた誇大評価に過ぎないと思っていたが、実際に目の当たりにすればとてもそうとは思えない。
この圧倒的な一つ目の鬼巨人の迫力に、誰もが絶望する。こんな個体、あの魔王が率いていたモンスター軍にだっていなかったのに。
せっかくあのモンスター軍の襲撃を生き残り、またこれから頑張ろうという時に、どうしてこんなことになるのか。どうしてこんな理不尽が自分達ばかりに起こるのか。
誰もがもう終わったと絶望に沈む討伐隊。
――唯の一人を除いて。
「ギャオオオオオオオ……っギイイイイイイ?」
鬼巨人モンスター・ギガースが手に持っていたこん棒を振り上げ、それを討伐隊が集まっていた場所へ振り下ろそうとしたその時、ビキビキビキとギガースの右肩からこん棒の先までが凍り付く。
そのこん棒に圧殺されると絶望していた討伐隊メンバーの全員が、突然のことに目を見張って驚く。そしてこんな芸当が出来るのは、この場で一人しかないないと思い当たると、全員がバッとその心当たりへ振り向く。
討伐隊が振り向いた先には、ギガースに開いた手を向けているカズキの姿があった。カズキの目は鋭くギガースを見上げている。その周囲の空気の温度は明らかに下がっており、冷気が目で見える程だった。
「オオオッ? オウッ? オオオオオッ?」
突然凍り付いて動かなくなった右手にギガースが驚き戸惑っていると、カズキは軽やかな足さばきで地面を蹴って、ギガースへと距離を詰めていく。そして飛び、ギガースの膝をステップにして、その頭部へと迫る。
そのまま、手に握った剣でギガースの首を容易く一刀両断する。
ギガースの巨大な頭部が、胴体と切断される。その切断面からはおびただしい紫色の血が噴き出し、地上に雨のように降り注ぐ。
そして切り裂かれた頭部が地上にドスンという鈍い音を立てて落ちるのに少し遅れて、カズキが地上に着地する。
「た、倒れるぞ。気を付けろ!」
そんな刹那で一方的なカズキの攻撃に呆気に取られていた討伐隊が、その声でようやく我に返る。首を刈り取られたギガースの胴体が、フラフラとバランスを崩して傾き始めると、討伐隊は慌てて避難する。
そして最後に、ズゥゥゥンと地響きを鳴らしながらギガースの胴体が横たわったところで、カズキが剣を腰の鞘に収めた。
「う、うおおおお……おおおおっ!」
剣術と魔法を組み合わせた、一瞬にして必殺の技。あの伝説級のモンスターであるギガースすら、瞬きの瞬間に討伐してしまった。
「すげえっ! すげえや、カズキさんっ!」
先ほどフェザーウルフの囮になっていた若者が歓声を上げながらカズキに近づくと、他の面々もカズキを囲んで盛り上がっていく。
「もうダメだと思ったけど、さすがカズキさんだな。頼りになるぜ」
「いやー、もうカズキさんがいりゃあ何も怖くねえぜ」
「強すぎるっしょ。一体何食ったらそんな強くなれるんすか?」
ワイワイとカズキを持ち上げていく討伐隊の面々。そのほとんどが若く血気盛んな若者だから、余計にカズキの強さが憧れに見えるのかもしれない。
「『銀髪赤眼』の伝説って、マジだったんすねー。いや、カズキさん一家がその英雄だったなんて、めっちゃ憧れるっすよー」
ギガースを倒し若者達に持ち上げられる中、カズキは苦笑するだけだった。
――カズキの胸に、その最後の若者の言葉が胸に突き刺さる。
「『銀髪赤眼』の伝説か……」
ぼそりとつぶやいたカズキのその声は、討伐隊の誰にも聞こえていなかった。
そのつぶやきに込められた感情は、悲しみか苦しみか、或いは怒りなのか。その言葉にどんな感情を持てばいいのか、カズキ本人もよく分からない。
(その使命とやらでミツキは……)
この世で一番大切な存在だった。
当たり前だが代わりなど存在しない大切な娘だ。真面目で明るくて、いつだって自分よりも他人のことばかり気にする優しくて、自慢の娘だった。
この街を、自分達を救うために、ミツキはその命を掛けた。死んでしまった。もう会うことは決して叶わない。
カズキが思い出すミツキの顔は、いつも悲しそうで泣きそうだ。
そしてカズキの記憶の中のミツキは、いつも何回も同じセリフを繰り返す。
聞いているだけで胸を切り裂かれるような、そんな悲しみに満ちた声で
『私は、お父さんの人形じゃない』
――と。
その娘の残酷な言葉は深く、深く――カズキの心をズタボロに切り裂くのだった。
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「お帰りなさい、あなた」
ギガースを倒した後、更に群れの巣となっていた場所を発見し、そこに集まっていたモンスターを全滅させてからカズキ達討伐隊が街に戻った時には、すっかり日は暮れていた。
討伐の結果をコウタに報告、相談した後にカズキが自宅に戻ると、出迎えてくれたのは妻のアカリだった。
自宅といっても、モンスター軍襲撃前にカズキ一家が生活していた家は崩壊している。今住んでいるのは、その他の多くの住民と同じ掘っ建て小屋のような急ごしらえでつくった簡易的なものだ。
「コウタは、今夜は徹夜だそうだ。南地区の復興が少し遅れているみたいでな。まあでも、邪魔になっていたモンスターは討伐してきたから、一晩頑張れば遅れを取り戻せるだろう」
「まあ、それは大変ね。でもあの子、リーダーだから指示を出すとか、そういうのがお仕事なんじゃないのかしら?」
食卓に座るカズキへコーヒーを出しながら、アカリはカズキの向かい側に座る。
「今時、事務所で腕を組んでいるだけのリーダーなんて誰もついてこないよ。昼間は会議ばっかりだから、現場に出るなら夜しかないって言ってな」
「そう。無理をしなければいいけれども」
顔に手を当てながら心配そうな顔をするアカリだが、その言葉にはどこか嬉しさも帯びているようにも見える。
あのわんぱくでゲームばかりやっていた息子が、この世界に来てから結婚し、子供を産み、そして今は街の復興計画を指揮するリーダーまで務める立派な大人になっている。そんな子供の成長が、母として嬉しくないはずがないのだろう。
勿論それはカズキも同じこと。そんなアカリの気持ちを察しながら、妻が入れてくれたコーヒーを喉に流し込む。
「森にはやはり巣が出来ていたよ。それに厄介な種もいて少々手こずったが、巣は完全に排除出来た。しばらくはモンスターも出て来ないから、夜の作業をするなら今だって、コウタの奴は意気込んでいたな」
コーヒーカップを机に置きながら、カズキは今日あったことをアカリに喋る。
伝説級のモンスターであるギガースを”厄介”程度呼ばわりで、”少々”しか手こずらなかったというのは、それだけでカズキの実力を示していると言える。
「それに、これで子供達もしばらくは外で自由に遊び回れる。モンスターの目撃情報が増えてからは、あまり外に出られなくて溜まっていただろう。やはり子供は外で元気よく遊ばないとな」
「ねえ、あなた」
今日の仕事の成果を機嫌よく語るカズキに、アカリは心配そうな声を掛ける。そんな妻の不安げな表情に気づいて、カズキは首を傾げてアカリのことを見返す。
「どうした?」
「ん。えっと……なんて言えばいいのか……」
――あなたらしくない。
それがアカリの気持ちを率直に示した言葉だった。
世界を救う使命を持った『銀髪赤眼』は、それに相応しい実力を持つ。同じ家族の中でも、特にカズキとミツキの力は突出していた。
カズキがその力を、頑張っている街の皆のために使うのは素晴らしいことで、アカリとしても喜ばしいことだ。
でも、なんだか違うのだ。それはカズキらしくない。それまで家族を愛していた夫らしくないのだ。
無論、今のカズキが家族に冷たくなったなどということはない。むしろ以前よりも気に掛けているくらいだと思う。
でも、現場の最前線で常に自らの身を危険に晒す今のカズキは、明らかに不自然だった。
今の街の復興のリーダーだって最初はカズキが推されていたのだ。しかしコウタの素質ややる気を買って、カズキがコウタを推薦した。そして現代日本で管理職をしていた経験を活かし、コウタに様々なアドバイスをすることで、コウタがリーダーとして皆を動かす現状を作り上げたのも他ならぬカズキの尽力によるものだった。
そして当のカズキといえば、街の復興よりも、討伐隊の責任者を自ら買って出て、街の安全を脅かすモンスター討伐の仕事を積極的にこなしている。
確かにそれは『銀髪赤眼』の力を持ったカズキには適任と言えるのだが……
最愛の娘であるミツキが魔王との戦いで命を落とした直後、食事すら取ることが出来ないでいたのに、カズキは自らの力でここまで立ち直った。そして自分に合った役割を担い、積極的に街の復興に貢献している。
それは間違いなく素晴らしいこと。賞賛されることはあっても、否定されるようなことはない。
だけど……だけど、何かが違うのだ。
「どうした?」
不安そうな表情で見つめてくるだけで何も言わないアカリにカズキは声を掛ける。しかしそれでもアカリは困惑の表情を続けるだけだった。
そんな今日までのカズキの行動が、本当に自分の意志ならば良い。娘の死を乗り越えて、そして自分で選んだ生き方なら、アカリもそれを妻として支えていきたいと思う。
しかし、おそらくそうではない。
だって、目の前のカズキはこんなにやつれている。
頬はコケて、眼の下には隈が出来ている。そして何より、目に光が宿っていない。死んだ目というのは、正にこういうことを言うのだとアカリは知った。
「変な奴だな」
そう言って笑いかけてくれるが、やはり目は笑っていない。
それは、前のカズキをよく知っていないと分からない、そしてよく見ないと分からない程の小さなものだったが、ずっとカズキと一緒にいたアカリには明らかなものだった。
でも、アカリはカズキに何と言っていいか分からない。
カズキがどれだけミツキのことを愛していたのか知っていたから。愛しているが故に、どれだけ悩んで苦しんでいたのかを見てきたから。そして娘との最後の別れが、後悔でしかなかったことが、どれだけカズキの心を蝕んでいるのか、想像すら出来なかったから。
自分だってミツキを失って辛い。仲が良かった娘ともう会えないことを思うと、胸が張り裂けそうだった。
幸いリディア一家の支えや忙しさもあり、なんとかアカリは早々に立ち上がることが出来た。しかしカズキの苦しみが、自分も動揺に味わった娘を失うという苦しみ――地獄とすら思えたあれ以上の苦しみだと思うと、アカリは迂闊に慰めることも出来ないでいた。
安易に元気付けるだけで、カズキの心が簡単に壊れてしまいそうに思える。カズキの感情が爆発して、ミツキが残してくれた今という希望が、全て無くなってしまうのではないか。
街の復興が始まってからの生活に、アカリはずっとそんな不安と無力感を抱いていた。
カズキのことが心配なのに、怖くて何も出来ない日々。
でも、いつまでもそんなことを言っていられない。何もしないまま、この良くない状況が続くのはダメだ。だから、何かをして変えなくちゃ――
しかし、それが今突然に、何も理由がなく、何かできるようになるわけでもなく
「夜、ちゃんと眠れている?」
アカリは誤魔化すように笑いながら、それだけを言うのが精一杯だった。
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――毎晩悪夢を見るようになった。
『私がこんな凄い力を持ってこの世界に来たのは、きっと今この時のためなの。この世界で生きる人を守るため。そのために、私は戦う。それが『銀髪赤眼』の使命なんだよ!』
遠くに見えるナディールの街からは煙が上がっている。まだ生き残って街に取り残された人達は、モンスター達に無残に命を切り裂かれているのだろうか。獣の唸り声が、地響きが伝わってくるようだ。
そんなこの世の終わりのような光景の中、一緒に逃げ延びた住民達に囲まれるようにしてカズキとミツキは対峙し、言い合いを続けている。
これは現実ではなく夢。
確かにあった過去の記憶を忠実に再現している夢の世界。
カズキはそのことをしっかりと認識しながら、この地獄の光景を上空から俯瞰するように見下ろしていた。
『馬鹿野郎……』
自分がここにいるはずなのに、地上に見える夢の世界の自分が娘に向かって罵詈雑言を発する。
この夢を見ているカズキは、夢の中のカズキが次に何を言うのかを知っている。そしてそれを言った結果も知っている。
しかし、その成り行きを見守ることしか出来ない。
『他人のことよりも自分のことを考えろ! 俺の言う通りにすれば間違いない! 子供は親の言う通りにしていればいいんだ! いい年をして、まだそれが分からないのか!』
そのカズキの言葉を受けたミツキの顔が悲しみに歪む。
その次に、娘の口から発せられる言葉は……
『この世界に来て、大好きになれたと思ったのに――』
止めろ……止めろ、止めろ、止めろ! 止めてくれ!
その言葉は聞きたくない! 止めてくれ! 言わないでくれ!
しかし夢の世界のカズキは無力。ミツキを止めることも、耳を塞ぐことも出来ない。
『この言葉は、二度と言いたくなかったよ』
嫌だ。聞きたくない。頼むから、止めてくれ。
『私は、お父さんの人形じゃない』
――どうして。どうして俺はあの時……
突然、世界が切り替わる。
『い、やだ……お父さん。痛い……痛いよ……』
次に見えた世界は、今いる世界とは違う世界。
この世界に来る前にカズキ達が生活していた現代日本。
落石に押しつぶされた車の中、既に妻のあかりと息子の晃太は石に潰されて死亡している。そして最後まで生き残った和輝と碧月も、今にも力尽きそうな重傷を負っている。
バックミラー越しに見えるのは、血を流し見るからに重傷の娘の姿。それはこの世界の銀髪赤眼ではなく、黒髪黒眼のごく平凡な日本人の少女の姿だった。
『あ、う……死んじゃう……死んじゃう……私たち、このまま死んじゃうの? お父さん……』
もう自分も娘も助からない。その痛みを止めてやることも出来ない。
この光景も和輝にとっては、文字通りこの世の終わりの光景。地獄のような痛みと苦しみの世界。
自分の命の終わりと、娘の命の終わりを実感しながら、この時の和輝は最後に娘に伝えたかった事を、なんとか伝える。
『碧月……愛してるぞ……』
そんな嘘偽りのない自分の気持ちを伝えれば、きっと娘も応えてくれるはず。だって自分はこんなにも娘を愛していたのだから。
『わ、私は嫌い……お父さんなんて大嫌いっ!』
しかし、帰ってきたのは和輝の願いを、これ以上なく裏切る言葉。その刃は、あまりにも残酷に研ぎ澄まされていた。
『嫌い……嫌い、嫌いっ! 大嫌いっ! 私、たくさんやりたいことあったのに! 全然何も出来なかった! お父さんのせいだよっ!』
カズキに言い訳の余地を与えることなく、ミツキは呪詛のようにその言葉を繰り返してくる。
それでもうカズキの心はズタズタだというのに――
『『私は……お父さんの人形じゃない……!』』
黒髪黒眼のミツキと銀髪赤眼のミツキが、言葉を重ねてくる。
「う、うわあああああああ!」
カズキが絶望の叫び声を上げる。
違う。こんなはずじゃなかった。こんなことになるなんて、思っていなかった。
やり直したい。やり直して、なんとかミツキを引き止めたい。引き止めて、その命を救いたい。
『私がこんな凄い力を持ってこの世界に来たのは、きっと今この時のためなの。この世界で生きる人を守るため。そのために、私は戦う。それが『銀髪赤眼』の使命なんだよ!』
するとそのカズキの思いを反映するかのように、夢の世界が巻き戻る。
再び広がるのは、崩壊したナディールの街を遠景にした絶望の世界。
カズキは自分の言葉に反抗し、自らの命をないがしろにして魔王との決戦に挑もうとするミツキと再び対峙している。
――次は、止めて見せる。
今度のカズキの視点は、さっきとは違って天から俯瞰する視点ではない。
夢の世界のカズキと同じ視線で物を見ている。つまり今度は、見ているだけではない。未来を知っている今のカズキが介入することが出来る。
今度はミツキを止めて見せる。やり直して見せる。
「戻らなくていい。戻ったらお前は死ぬんだ。例えこの世界が救われたって、自分が死んだら何の意味もないだろう?」
それはミツキの死を知る今のカズキだからこそ重みも説得力もある言葉だった。今のミツキにとっては未来の予言にすら聞こえるだろう。
しかし、それでもミツキは目に涙を溜めながら首を横に振る。
「やっぱり、お父さんは何も分かっていないよ」
その言葉と表情は、カズキの心にガラスのようにヒビを入れる。
「ここで逃げたら、その先生き永らえても、私は私を許せない。絶対にずっと苦しむ。それなら死んだ方がましだよ。私は自分が生きるとか死ぬとかじゃない……大好きな皆が幸せに生きてくれることの方が、私にとっては大事なことなの!」
それはミツキの絶対の拒絶。
こうなればミツキはもう絶対に止まらない。
また、ミツキはカズキの下を離れて死地に赴く。
『私は、お父さんの人形じゃない』
それは過去の記憶と寸分違わない言葉。
カズキの心を容赦なく打ち砕き殺す残酷な刃。
――ダメだ。そうじゃない。違うんだ。
もし、ここが夢の世界なら……何度でもやり直せるというのなら、俺は何度でもやり直す。
カズキがそう思うと、またも夢の世界が巻き戻る。
絶望の光景の中、対峙するカズキとミツキ。そしてカズキが、街に戻ろうとするミツキを再び説得する。
しかし――
『私は、お父さんの人形じゃない』
――ダメだ。もう一度。
『わ、私は嫌い……お父さんなんて大嫌いっ!』
――もう1回。
『私は、お父さんの人形じゃない』
――延々と巻き戻り続ける世界。
夢の世界の主のカズキが納得できるまで悪夢はくるくる、くるくると繰り返される。
しかしカズキが納得できる結果になるはずもなく、巻き戻る度にカズキの心はすり減っていく。
どんな言葉を掛けても、思いを語っても、ミツキは絶対に止まらない。必ず最後にはカズキを罵倒して死にに行く。それはカズキにとっては地獄のような責め苦だった。
もうカズキにはどうしていいか分からなかった。
「俺は、どんな言葉を掛ければ良かったんだ……!」
真っ暗になった夢の世界でうずくまるカズキは、他に誰もいないのに、誰かに助けを求めるように声を絞り出す。
自分の娘だ。人生を賭けて愛し続けてきた娘だぞ。
『他人のことよりも自分のことを考えろ! 俺の言う通りにすれば間違いない! 子供は親の言う通りにしていればいいんだ! いい年をして、まだそれが分からないのか!』
――そう言わない父親なんて、存在するものか!
しかし結果だけを見れば、ミツキは結局死んだ。
――だとしたら、やっぱり俺が間違っていたのか? だったら、この時俺は何て言えばよかったんだ。父親として、どんな言葉を掛ければ良かった?
――誰か、教えてくれ。
――俺がその時ミツキに掛けるべきだった言葉を。
――俺がすべきだったことを、どうか誰か教えてくれ。
□■□■
「うわあああああああっ!」
ベッドから叫び声を上げながらカズキが起き上がる。
胸が激しく動悸しており、全身は汗だくで、肩で息をするほどに荒い呼吸。
夢か現か、意識があるのかないのか分からないような感覚。
休むために床についたはずなのに、ベッドに入る前よりもカズキは心も身体も明らかに疲弊していた。
「はぁ……はぁ……!」
涙を流しながら、カズキは自分の顔を手で押さえる。
「俺は、あの時どうすれば良かったんだ……」
夢の世界で延々と繰り返される、娘との決別の時。
カズキの考え得る限りのあらゆる言葉を尽くしても、ミツキは決して止められない。
父親としてミツキを救えなかった。
日中モンスター討伐に没頭している時は忘れられるこの辛さ。しかしどうあっても1人でいる時、特に寝る時だけは誤魔化せない。
娘を救えずに傷付けてしまうのを延々ループしてしまう夢は、カズキの心を蝕み、傷つけ続ける。
しかし、どれだけ苦しみ後悔しても、やり直すことは決して出来ない。
――もうミツキのためにしてやれることは何もない。
そう絶望に暮れて過ごす日々だった。
しかしそんな中でも街の皆が、コウタが、そして何よりも今までずっと側で支えてくれたアカリが励まし支えてくれた中で、カズキはある一つの決心をしたのだ。
『私がこんな凄い力を持ってこの世界に来たのは、きっと今この時のためなの。この世界で生きる人を守るため。そのために、私は戦う。それが『銀髪赤眼』の使命なんだよ!』
もう死んでしまっていなくなったミツキのために出来ることがあるとするならば、その生きた証をこの世界に残すことだ。
それだけがカズキが唯一出来る、ミツキのためのこと。
だからカズキは夢中になってモンスター狩りを続ける。優しいミツキが皆を守るためにしていたことを、カズキが引き継ぐのだ。
安全で安泰な商人のツテも経験も技術も全て捨てて、ひたすらモンスター狩りを続けるのだ。
そうしてモンスターを狩ることが、ミツキのやりたかったことだ。だからミツキが死んだ後は、父親である自分がそれを引き継ぐのだ。
その時だけは、苦しみを忘れられる。周りの人達から感謝されることで、ミツキの遺志が今もここにあると、自分がミツキの生きた証をこの世界に刻み付けている実感が得られるのだ。
だからカズキはミツキが大事にしていた『銀髪赤眼』の使命――周りの人達を守るためにモンスターを狩ることを続けていかなくてはいけないのだ。
その命尽きるまで、カズキは己とモンスターの血で汚れ続けなければならない。
「狩って、狩って、狩って……狩り尽くす。明日も、明後日も、その次の日も……モンスターを狩るんだ」
ぶつぶつと呪文のように繰り返すカズキ。
もう、何日もまともに眠れていない。
悪夢にうなされて、泣き叫び、使命をつぶやきながら朝を迎える日々がずっと続いている。
カズキの心は磨り潰されるように日々摩耗していく。
誰も彼のことを呪う人などいないのに……カズキは娘を失った後からずっと自らの呪縛に囚われ続けて抜け出せないままでいた。
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夜が白んで朝を迎えようとしていた時間帯に、コウタはようやく帰宅してきた。
今やナディールの街復興のリーダーを務めているコウタは極めて多忙な生活を送っていた。日中は様々な打ち合わせに追われて陽が沈んでからは現場作業に出たり、場合によっては父の討伐隊に協力したりと、常に動きっぱなしの生活である。
そんなコウタが、僅かな時間でも心の底から休める場所――それが、妻のリディアと娘のリコが待つ自宅であった。
「あら、おはよう」
泥だらけになって帰ってきたコウタを出迎えるのは妻のリディアだった。寝間着姿で、眠りそうに眼を擦りながらリビングへと入ってくる。
「悪い、起こしたか?」
「ううん。ちょうどリコがグズってて、今寝かしたつけたところ。コーヒー、飲むでしょう?」
ふああ……と大きなあくびをこぼしてから、リディアはキッチンで手を動かて、手慣れた手つきで自分とコウタの2人分のコーヒーを淹れる。
「たまにはリコの起きている時に帰って来ないと、本当に忘れられちまうな」
「あらあら、まあまあ。たまにはお父さんっぽいこと言ってくれるのね」
「――やめてくれよ、その言い方。母さんそっくりだ」
そんな冗談を言い合いながら、2人は寝付いた娘を起こさないように静かに笑い合う。
「ねえ、あなた。お義母さんのことなんだけど……」
「ん?」
今、カズキ夫婦とコウタ一家は別の家に住んでいる。とはいっても何かがあればお互いすぐに駆けつられるくらいの近所であり、実際昼間にはリディアとアカリは毎日会っている程の付き合いがある。
「ちょっと辛そうなの」
「……」
神妙なリディアの言葉を聞くと、コウタは無言のままズズズと音を立ててコーヒーをすする。
「親父がしんどいのを見てるのが辛いんだろうな。母さんは優しいから……」
それはリディアに言っているというよりは、独り言のようだった。自分の子供時代の家族のことを思い返しているようだった。
「あなたは、辛くないの? その……義姉さんのこと」
リディアが聞きづらそうに、しかしそれでも確認せずにはいられないと問いかけてくる。
リディアからすれば、むしろ義父母夫婦の悲しみの方が正常のように思えるのだ。
悲しみ方は人それぞれだと思う。勿論コウタが悲しんでいないなどとは思わないが、それでもコウタの目はあのミツキがいなくなった次の日にはもう、未来を向いていたように思う。
リディアはそんな夫が頼もしいと思うと同時に、少し怖いと思ったこともある。
「そうだな……姉ちゃんのことは、大好きだったよ。今にして思えばだけど」
コウタは静かにコーヒーカップを置くと、少し笑ってリディアの質問に答える。
「何かと姉貴ぶって小言ばっかりでうざったいって思っていたけど、大好きだった。出来れば、今も一緒にいて欲しかったし、リコの成長を見て欲しかった」
しみじみというコウタだったが、不思議とその声に哀しみの色は含まれていない。昔を懐かしんでいるような、そんな口調だ。
「姉ちゃんは、希望そのものみたいな人だったよ。いつだって前向きで、誰にでも優しくて、強くて……リコにも姉ちゃんみたいになって欲しいって思ってた。……でも、姉ちゃんはもういないんだ。いくら悲しんでも、絶対に戻って来ない」
そういえば、改めてコウタがミツキのことを話すことなど初めてかもしれない。一緒にいて当然の家族だったから、今みたいに改めて言葉にする機会など、生前には無かった。
「姉ちゃんがやろうとしていたことは俺が継ごうと思った。姉ちゃんならリーダーに立候補するだろうなーって思って、だから俺もリーダーをやりたいって言いだしたんだ。最初はそのくらいにしか思ってなかった。
でもその後も姉ちゃんが今も生きていたらこうしてただろうなってことを必死になってやってきた。そうやって頑張ったら、そしたら街の皆が喜んでくれて、リディアが俺を支えてくれて、リコも応援してくれて……そうしたら、姉ちゃんが強かった理由も、優しかった理由も、なんとなく分かった気がするんだ」
姉の後を引き継がないといけない――そこから始まったコウタの気持ちは、しかし今はもう違っていた。
「姉ちゃんがやろうとしていたこと――みんなと一緒に希望に溢れた未来を作ってるんだ。それが辛いわけがない。だから、今俺がこうして頑張ってるのは、もう姉ちゃんのためだけじゃない。俺自身の意志なんだよ」
そう言って歯を見せて無邪気に笑うコウタを見て、リディアもようやく表情を緩める。
「義姉さんは、とても素晴らしい人だったのね」
そうやって自慢の姉を褒められれば、弟のコウタも悪い気もしない。
しかし、コウタの顔は次に真剣な表情へと変わる。
「でも俺は、親父の気持ちも分かる。リコがいるからな」
コウタにとってのリコが、カズキにとってのミツキだ。
愛情を注いで大事に育てた娘をもし失うことなどがあれば、コウタは自分がどうなってしまうかなど想像も出来ない。そう思うだけで、胸が締め付けられて動悸が止まらなくなるほどだ。
日中の仕事で、コウタはカズキとの関りは深い。街の安全確保は復興計画の中でも最優先事項であり、その責任者である討伐隊隊長のカズキとは連携を密にしなくてはならないし、そもそも経験の浅いコウタに、リーダーとして必要なことを色々アドバイスしてくれているのはカズキなのだ。
それだけ毎日関わっていれば、コウタもカズキがミツキのことをどれだけ気に病んでいるのかは推し測れていた。
「特に、最後の喧嘩別れが後を引いてるんだろうな」
魔王との決戦に望もうとするミツキとそれを止めようとするカズキ。
あの時弟の自分は何も言えなかった。妻と娘がいる自分が犠牲になるわけはいかなかったが、姉に犠牲を強いることもしたくなかった。
だからコウタはあの父と姉の喧嘩を茫然と見守っていることしか出来なかった。
「でも、俺もリコが姉ちゃんみたいな立場だったら、親父と同じことをしていたと思う。親父は間違っていないよ。姉ちゃんだって、そんなこときっと分かっている」
「だったら、お義父さんにそう言ってあげてよ」
「いくら俺が言っても納得できないと思う。自分でしたことが自分で許せないんだ。多分、今後生きている内は一生許せないままだと思う」
「そんな……お義父さんはお義姉さんのことを想っていただけなのに、ずっと苦しまないといけないの?」
リディアの悲しそうな声に、コウタは腕を組みながら考えこむ。
勿論コウタだって父親に、未来永劫苦しんで欲しいわけがない。何とかして楽にしてやりたいのだが。
「――どうすれば、いいんだろうな」
同じ父親として気持ちは分かるが、何をすべきか想像だにつかない。
「変えられない過去を後悔するんじゃなくて、変えられる今と未来のことを考えられるようになるといいんだけどな」
もう変えることの出来ない過去に縛り付けられるのではなく、これから変えることの出来る未来のことを考えられるようになれれば、カズキも少しは救われるのではないか。
しかしカズキにとって、ミツキは全てだったと言っても過言ではないのだろう。コウタと違って結婚することもなく、ずっと一緒にいたから猶更だ。
そんなカズキに、過去を忘れて未来に生きろなどと軽々に言えることでもない。
良い案が思い浮かばないまま、コウタもリディアも疲れたように深いため息を吐く。
すると――
「うえええ……えぐっ……ぐすっ……」
寝室からリコがグズる声が聞こえてくる。
「あらあら。さっき寝付いたばっかりなのに、どうしたのかしら?」
即座に反応するのは、さすが母親か。すぐに椅子を立って寝室に向かうリディアに倣って、コウタもそのまま寝室へと入る。
「あう……あう、あー……」
「よしよし。寂しかったのね」
甘えるように手を伸ばすリコを、リディアは優しく抱っこする。しかしリコは落ち着くことはなく、そのままグズグズと泣き続ける。
「あなた。そこの人形取ってくれる?」
「ん? ああ」
リディアが指し示した場所を探ると、リディアが言った通り人形があった。綿を布で包んだもので、人の形に縫い上げたもの。手作り感たっぷりで、とても丁寧に作られている。髪が長いからおそらく女性の人形なのだろう。
コウタから受け取ったその人形を、リディアはリコに握らせる。
「きゃっきゃっ! ばーば♪ ばーば♪」
途端に機嫌を直す娘を見て、コウタは口を開けて感心する。
「その人形は?」
「お義母さんに作っていただいたのよ。最近お義母さんにリコの面倒を見てもらう時間も多くて、すっかり懐いちゃってね。だから「ばーばがいなくても寂しくないように」って、リコに作ってもらったら、もう大喜びで」
自分が随分と早く娘を授かったせいで、まだまだ若くて美人な母親が「ばーば」呼ばわりされるのはコウタとしては少し複雑だったりする。
——と、それはおいといて……
「母さんが、自分がいなくても寂しくないように……か」
人形を本当の「ばーば」のように思ってはしゃぐ娘を見ながら、コウタは何かを感じていた。
とても言葉には出来ない、漠然とした感覚のようなもの。
それがコウタの頭の中で徐々に形になっていく。形となったそれは、考えるよりも先に口をついて言葉となる。
「リディア、一つだけ提案がある。思い付きなんだけど――」
過去ではなく未来に向き合うための必要なものが、そこにあるような気がする。
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ナディールの街のモンスター軍襲撃から、2年が経過しようとしていた。
一時は崩壊し尽くされた街だったが、今では元通りと言わないまでも、街と言っていいほどにはその形を取り戻していた。
王都に一時避難していた人や、モンスター軍によって滅亡した隣国のファステリア帝国の生き残った人々も移住してくるようになり、人が集まり賑わいを取り戻していた。
街としての体を取り戻せば、野生のモンスターも迂闊には寄って来られない。その上王都から治安維持のために騎士団の一隊を派遣してくれるなど、ナディールの街はすっかり平和な日常を取り戻すことが出来ていた。
そんな最中――
「危ない、カズキさん!」
「っぐ!」
大型モンスター・サイクロトプス。サイのような猛獣で、顔の倍以上もある巨大で鋭利な角が特徴的な危険なモンスターだった。
その得意とする戦法は、見た目通りその角を構えながらの正面突進。シンプルな力押しによる戦い方故に、カズキ達討伐隊は苦戦を強いられていた。
「大丈夫ですか」
「ああ、心配ない」
なんとかギリギリでサイクロトプスの突進を躱したカズキだったが、角が左腕をかすったようだった。かすっただけなのに、傷口がぱっくりと割れて血が大量に溢れ出ている。
「すまない。少しボーっとしていた」
確かに手強い相手だが、カズキであればそう手こずるはずもない。今の突進だって、かすり傷すら負うはずがない程度の攻撃だった。
――体調が万全であれば。
「下がって手当てを。後は俺らがやるっす!」
若者は弓を引き、こちらに向き直るサイクロトプスと対峙する。
周囲には他の討伐隊のメンバーが、剣や槍など、各々の武器を構えて、サイクロトプスににじり寄るようにしていた。
(ダメだ……)
2年の間ずっと一緒に戦ってきたカズキだから分かる。
彼らの練度では、サイクロトプスには到底敵わない。そもそもサイクロトプス程のモンスターは、王国騎士団が対応するべきレベルの任務なのだ。
ずきずきと痛む左腕を右手で抑えながら、戦況を見守るカズキ。
カズキが予想した通り、討伐隊はサイクロトプスに苦戦を強いられている。
正面に出たものが囮になり、サイクロトプスの死角から別のメンバーが攻撃を仕掛ける。しかしサイクロトプスは自慢の角を振り回すようにすれば、攻撃を仕掛けるメンバーも迂闊に踏み込めない。結果、サイクロトプスの硬い皮膚を貫けるような攻撃は敵わず、討伐隊は体力を奪われ、傷が増え、ジワジワと追い詰められていく。
――ダン!と、巨人が地面を踏み鳴らすような音が唐突に響き渡る。
それは実際には巨人ではなく、カズキが地面を足で叩いた音。しかしその音は、本当に巨人が地面を踏んだもののように、地を揺らす程の大きさだった。
「お、おお……」
討伐隊のメンバーが唸るような声を漏らす。
次の瞬間、サイクロトプスは地面から伸びるようにして出来た、先の鋭い円錐状の土柱に巨体を貫かれていたのだった。
「す、すげぇっ! これが『銀髪赤眼』のっ!」
一撃必殺の土魔法。言わずもがな、カズキが発動したものだった。
「サイクロトプスは動き回るからな。皆が足止めしてくれたおかげで、当てられたよ」
息を弾ませながら、メンバーの奮闘に感謝を伝えるカズキ。そう言っている間も、抑えている左腕からは血が流れ続けている。
「はぁ……はぁ……」
しかし今のカズキにあるのは、痛みよりもただただ疲労感。血と一緒に体力も体の外に流れ出てしまっているような感覚になり、今も膝を折ってしまいそうだ。
しかし、それでもカズキは足を止めることは出来ない。
「いやー、さすが『銀髪赤眼』の英雄っすね。もうカズキさんが倒せないモンスターなんて、この世にいないんじゃないっすか?」
(そうだ……俺は『銀髪赤眼』の英雄なんだ。その使命を果たさないといけない)
軽い調子で持て囃す若者の言葉も、どこか遠くからの音のように聞こえる。カズキは意識をボーっとさせながらも、それでも意識を閉ざすことをしない。意識を手放し、休むことなど許されないのだ。
(それが、ミツキが残したものだ。それを俺がやらないと、あいつの死が無駄になってしまうから……休んでなどいられない)
『銀髪赤眼』の英雄カズキは、2年もの時がたった今も、未だ娘の死の呪縛に囚われたままだった。
□■□■
かつて魔王を打倒して世界を救った姉ミツキ。
今も現役で討伐隊を率いて街の治安を守っているカズキ。
そしてコウタは街復興の一番の立役者として、今やナディールの街の首長という立場にまでなっていた。
中央区に建設された立派な事務所――その中で、街の重鎮や王都から派遣されてきた騎士達と忙しそうに打ち合わせを行うコウタの姿がある。
「わざわざ王都から来ていただいてすみません、クリストファー騎士団長。大変感謝しています」
「いやいや、気にすることはない。君や君の父君、姉上の偉業に比べればこの程度のことなど、些少に過ぎないよ」
まだカズキ達がこの街で生活を始めたばかりの頃、ミツキの友人スイレンが盗賊団に誘拐される事件が発生した。その時に王都から来ていた騎士団を率いていた若き騎士クリストファーは、今や騎士団長にまで出世しており、立派な中年となっていた。
王都騎士団の騎士団長と対等に話が出来る立場というのも、今のコウタの立場を如実に証明している。
「それに、この度の君の企画はこの街で散ったダイアン大隊長の弔いにもなるだろう。喜んで協力させていただく」
そう言って頭を下げてくるクリストファーとコウタは硬く手を握り合っていると、ノックの音が聞こえる。コウタが許可を出すと、入ってきたのはアカリだった。
「あらあら、まあまあ。クリストファーさん、いらしていたのね」
「これはこれはアカリ夫人。相変わらずその美貌は衰えるどころか、ますます磨きがかかる一方ですね」
「あらあら、困りますわ。クリストファーさんみたいな素敵な方に、そんなことを言われたら照れてしまいます。あまり年上の女性をからかわないでね」
騎士としての礼儀はそういうものなのだろうか、歯の浮くような気障ったらしい台詞を恥ずかしげもなく言うクリストファーに対していつもの調子でマイペースに受け流すアカリに、コウタは苦笑する。
「母さん、親父は相変わらずかい?」
クリストファーと笑い合う母にコウタが声を掛けると、アカリはニコニコとしていた顔に少し翳りを帯びながら答える。
「ええ。まるで自分を虐めているみたい。相変わらず夜も眠れていないみたいなの」
ふう……と、心配そうな息を吐くアカリは、自分の頬に手を当てるようにして心配そうな表情になっている。それを聞いてコウタもクリストファーも、唇をかみしめるようにして表情を堅くする。
「さっき討伐隊の報告書が上がってきたんだけど、親父の腕なら苦戦するはずもないモンスター相手に負傷したみたいなんだ。最近全然休みも取っていないし、明らかに疲れが出ている」
神妙な口調で言うコウタに続いて、クリストファーが付け加える。
「そもそもサイクロトプス程のモンスターであれば、王国騎士団で対応すべき案件だ。普通、地方都市の一討伐隊が出張る話じゃない。今はコウタ殿の尽力で、王都とナディールの街の交易も復活していて、王国騎士団の配備も問題ない。いくら『銀髪赤眼』とはいえ、もうカズキ殿が第一線でモンスターを狩る必要もないのだが……」
そう。そうなのだ。
少し前までは、戦える者が少なかったのでカズキに討伐任務を任せざるを得なかった。しかし今はもう状況が違う。こうやって騎士団長であるクリストファーまでもが、定期的に街に訪れてくれているのだ。
もう無理にカズキが魔術師としてモンスターと戦う必要はないのだ。
この世界に来た当初に考えていたように、安全な商売業に転換しても、誰も文句を言わない。むしろその方がカズキの才を発揮出来る気すらする。
(――でも、親父が商人をやりたいと思っていたのは、多分姉ちゃんのためなんだよな)
姉を危険な冒険者稼業から遠ざけたかったため、カズキは商人という道を目指していたのだろう。同じ娘を持ったコウタは、今にしてそれを理解する。だから、今さら商売を始めるよう本人に言ったって、何の意味も無い。何せ、そのミツキはもういないのだ。
「一応、親父には上司として休むように言っといたけど。もう業務命令としてね」
でも、おそらくあのカズキの態度から察するに聞く耳を持たないだろう。コウタは自分の言っていることが空しく感じて、ため息を吐く。
「でも、やっと明日ね」
そんな重い空気を打ち破るように、アカリが手を合わせて言う。その顔は、ニコニコと嬉しそうな表情で、演技のような空々しさはない。
「ああ。2年間……少しずつ準備してきて、ようやく。今更言うのもなんだけど、本当に意味があるのかどうかなんて、俺も分からないけど」
母に笑顔で言われて、コウタが困ったような表情で後頭部を掻く。
「死した者達も生き残った者達も思いは同じ。それを形にすることが、無意味であろうはずがない。明日が、カズキ殿一家にとって素晴らしき日になるよう、私も全力で協力させていただく」
そんなコウタの不安を和らげるように、クリストファーが終始一貫変わらず丁寧で礼儀正しい口調で言ってくる。そして優しい母も、いつものニコニコ顔で
「明日は大仕事だから頑張ってね、首長さん」
そして翌日、ナディールの街復興後初めての”感謝祭”が開催される。
□■□■
今日は、そのモンスター軍襲撃の日からちょうど2年が経過した日。別の言い方をするならば、『銀髪赤眼』の英雄ミツキが魔王を倒して街を救った日から2年。
ここまで街の住民を引っ張り、この復興を実現させた一番の貢献者であるコウタの発案によって、この日の”感謝祭”は開催された。
「ほらほら、あなた。コウタの挨拶の時間よ」
「……ああ」
いつも討伐任務で街の外にいるカズキも、この日ばかりは街の中に留まっていた。いや、実は最初は”感謝祭”よりも討伐任務を優先させようとしていた。しかし昨日腕を負傷した上にアカリの猛反対にもあって、カズキは夫婦で”感謝祭”に参加していた。
復興した中央区画に設けられたイベント会場。おそらく今ナディールの街に住んでいる者は全て、王都など街の外からもこの”感謝祭”の話を聞きつけて駆けつけた者も相当いるようだ。広場は人で埋め尽くされている。
その集まった人々が注目するのは、前方に設置された簡易ステージである。ステージの袖ではコウタがお偉いさん達と忙しそうに会話をしているのが見える。そしてまだ誰も立っていないステージ中央には白い布がかけられた”何か”が置かれていた。
「それにしてもあのコウタが首長になるなんて……つい最近まで我儘子供だとばっかり思っていたのに。子供が成長するのは本当早いわね~」
「ああ、そうだな」
カズキは、”感謝祭”には乗り気ではなかった。
討伐隊隊長というナディールの街の組織の一部門の責任者であるカズキは、当然コウタからこのイベントの打診をされた。しかしその時カズキは詳細も聞かずに、「好きにすると良い」と放り投げただけだった。
”感謝祭”という名前から、コウタが何をしたいのかは明らかだった。この街を救った張本人であるミツキへの感謝を、ということだろう。
それは何もコウタの独りよがりや、身内びいきではない。
復興に大いに貢献したコウタやカズキの活躍もあったからだろう。彼らと同じ家族で、魔王が率いるモンスター軍からこの街を救ったミツキに対しても感謝を伝えたいというのは、前々から少なくはない声も上がっており、住民の総意と言っていい。
そうやって、周りの人達の意見をまとめ上げ、各所との調整を進めて、その想いを実現させたコウタは――
「私達の自慢の息子ね」
カズキもアカリのその言葉に心の底から同意だ。
現代日本で大企業の中間管理職だったカズキだったが、1つの都市の首長となったコウタへ最早教えることは何もない。本当に立派に育ってくれた。息子が自分を越えていくのを見るのは、父として悔しくもあり誇らしくもある。
コウタの成長も、ミツキへの感謝を伝えるこの”感謝祭”も、どちらも素晴らしいことだ。
しかしそれとカズキ自身がこの”感謝祭”を喜べるかは別の話だった。
「今は、じーじって懐いてくれるリコちゃんも、きっとすぐ大きくなっちゃうわよぉ。今から媚び売っておかないと、お爺ちゃん嫌われちゃうかもよ」
「ああ、そうだな……」
おそらくアカリはカズキの胸中を察している。だからこうしておどけて、少しでもカズキの心の負担を和らげようとしてくれるのだろう。
そんな妻の気遣いが有難くもあり、心苦しくもある。
(俺には、ミツキに感謝する資格なんてない)
街を……いや、世界を救ったミツキは皆から感謝されるべきだ。そして感謝すべき人達も、自ら感謝したいと言ってくれている。なんという素晴らしいことだろうか。そのことは、カズキにとっては泣きたいくらいに嬉しいことだ。
しかしカズキがミツキへ感謝することなど、許されるはずもない。
『他人のことよりも自分のことを考えろ! 俺の言う通りにすれば間違いない! 子供は親の言う通りにしていればいいんだ! いい年をして、まだそれが分からないのか!』
それは他の誰でもない、カズキがミツキへ言った言葉。
今あるのは、カズキが見捨てようとした未来だ。
もしもあの時、ミツキがカズキの言葉を素直に受け入れていれば、こんな光景は有り得なかっただろう。
コウタが立派に成長して、孫を引き合いに妻に笑われて、多くの人が集まっているこの希望に溢れた世界は、ミツキの優しい意思が実現させたものだ。
これはカズキが選ばなかった世界。
ミツキが選んだ世界だ。
カズキは今のこの世界は間違っているとは思わない。多くの人が笑いと幸せに満ちた希望の世界は、とても素晴らしいものだ。だから自分が選ぼうとしていた世界ではなく、娘の選んだ選択肢の方が正しいと心の底から思える。
だけど――それでも……
「俺は……お前に生きていて欲しかった……」
ポロポロと涙がこぼれてしまう。
今のこの幸せと希望に満ちた世界が無かったとしても、それでもカズキはミツキに生きていて欲しかった。
人として、ましてや世界を救うという使命を負った『銀髪赤眼』としては最低最悪の考えかもしれない。
でも父親としては、何も間違っていない。
父親として、世界よりも娘の幸せを願って何が悪いというのか。
娘が命を賭して守ったこの世界は間違っているはずがない。
だからといって娘の命を優先した自分だって間違っているとは思えない。
ミツキが死んでからずっと、カズキはこの相反する矛盾の感情に胸を苛まれ続けている。その永遠とも思える責め苦は、ほんの僅かな間も緩むことなく、ジワジワとカズキの心を締め上げているのだ。
どうすれば良かったかなど分からない。
『私がこんな凄い力を持ってこの世界に来たのは、きっと今この時のためなの。この世界で生きる人を守るため。そのために、私は戦う。それが『銀髪赤眼』の使命なんだよ!』
でもあの時、もう何を言ってもミツキは止まらなかった。そんなこと分かっていたのに、どうして自分はあんなことを。
いくら後悔しても、娘を傷付けた過去は変えられない。
だからせめてもとカズキは、ミツキの遺志を継ぐと決めた。
人を害するモンスターをひたすら狩り続け、皆を守るのだ。ミツキが生きていたらそうするだろう。いくら自分が疲れて傷付こうとも、自分が死ぬまでモンスターを狩り続けて人々を守る。
そうして自分が傷つき苦しむことがミツキの遺志を継ぎ、ミツキへの贖罪となる。そうすることでしかカズキは救われる気がしなかった。
「――あなた。コウタの挨拶が始まるわよ。子供達の話、よく聞いてあげて」
アカリに言われて、ハッとして顔を上げるカズキ。
おもむろに泣き出したことを指摘するのではなく、隣に立つアカリはいつもみたいに優しくニコニコと笑っていた。
しかしカズキはそれだけのことで意表を突かれたわけではない。
今アカリが言ったことは、この世界に来た時にミツキとやり直すためにアカリと約束したこと。
”子供達の話をよく聞くこと”
「ほら、カズキさん! 自慢の息子さんの晴れ姿じゃないか。シャキッとせんと」
「あのコウタ君――ううん、もうコウタさんって言わないとですね。なんか、ドキドキしちゃいますね」
「……え?」
泣いているカズキの近くに、いつの間にかずっと懇意にしているアドラス、スレイン父娘も近づいて、笑いかけてくる。アカリと同じく、カズキが泣いていることには一切触れずに。
「ほれほれ、しっかり顔上げなよカズキさん」
「いやー、さすがカズキさんの息子だぜ! 立派なもんだ! うちのクソ息子に爪の垢でも煎じて飲ませてぇくれえだ」
「もう、未婚だったら絶対アプローチしちゃうのになぁ! うーん、残念」
――と、どんどんとカズキの側に人が集まり、笑いながら声を掛けてくる。
そのいずれも、カズキの涙に言及しない。
「? ……?」
違和感しかないその状況の中、ようやく打ち合わせが終わったのか、コウタが袖からステージ中央へと移動してくると
「少し遅れてしまいましたが、これより”感謝祭”を開催します」
わぁぁぁ!と、人々の歓声が上がった。
□■□■
「モンスター軍の襲撃によって、あの日多くの人が亡くなり、街のほんどもも壊されて無くなりました。それから2年、私達はようやく今日という日を迎えることが出来ました」
今更こう言ってはなんだが、すっかり大人びた口調になったコウタは、一都市の首長らしい演説の導入から入っていた。
カズキを含む大勢の人達が、ステージ中央で流暢に言葉を述べていくコウタに注目している。
コウタは、モンスター軍によって全てを失ってから今日までの軌跡、そしてそれに熱心に協力してきてくれた王都の権力者などなどへ、名指しで感謝の念を伝えていく。
堂々と、少し大げさなくらいに協力者達を紹介し賛美するコウタの姿は、大人どころか立派な政治家の姿である。今後もナディールの街が発展していくのに必要なことだと理解して、権力者を持ち上げているのだろう。最早幼い子供などではない息子の成長は、寂しくもあり頼もしくもある。
「……というわけで、ここまで街が復興してこれたのは多くの方の協力があってこそですが、その中でも絶対に忘れてはいけない人がいます。皆さん、ご存知でしょうか」
それが誰のことだか、カズキには分かっている。”感謝祭”と銘打っているからには、コウタの真意もおそらく、そのことなのだろう。
しかし今も自らの呪縛に囚われているカズキは、とてもそんな気にはなれない。
今は感謝よりも、償わなくてならない。いや、今ではなく死ぬまで。
自分の残された人生は、全て娘のために捧げなくてはならないのだ。
「私の姉でもある、『銀髪赤眼』の英雄ミツキです。彼女は、『銀髪赤眼』の世界を救うという使命を全うし、命を賭けて街を救ってくれました。英雄ミツキの存在無くして、今こうして私達がここにいる未来は有り得ませんでした。私の立場上、身内びいきだと思われるかもしれません。それでも私は、この街の首長としても、弟としても『銀髪赤眼』の英雄ミツキへ最大の感謝を捧げます」
パチパチパチ……と、まばらに送られる拍手が徐々に広まっていき、やがてその言葉を聞いている人達は全員惜しみない拍手を送る。カズキの隣でもアカリが、すぐ側でもアドラスとスイレンが、その他の皆も拍手を送っている。
「……」
カズキだけは拍手が出来ない。それはまだカズキがミツキへ感謝を送れるような精神状態にないことが理由だった。
しかしカズキはその光景を、目を剥いて見ていた。
街を救ったミツキが感謝されるのは当然のことだ。皆が死んだ娘へ拍手をしてくれることは不思議でもなんでもない。ありがたいことだ。
しかし、今自分の中にあるのはありがたいという気持ちだけではない。
――これは、何だ?
ミツキへ感謝の拍手を送る聴衆――その誰もが希望に満ちた明るい表情であるのを見て、カズキは胸がざわつく。
これは、一体なんだろうか。
カズキのそんな胸中の戸惑いは置き去りに、コウタの演説は続く。
「今日のこの”感謝祭”は、その名前の通り、感謝を伝えることを目的として開催しました。この街を救った、『銀髪赤眼』の英雄ミツキに皆で感謝を――という、目的ではありません」
その言葉で、更にカズキは意表を突かれて、思わずステージ上のコウタを見上げる。遠目に見えるコウタは相変わらず堂々と自信満々な笑みを浮かべている。
ステージの上にいるコウタから、大衆の中に紛れているカズキが分かるとは思えないのだが、カズキがコウタと視線が合ったような気がすると、コウタは悪戯を成功させた悪ガキの様に、誇らしげな顔を見せてくる。
「我が家の姉に感謝しろ!――なんて、それこそ首長の職権濫用です。姉への感謝は、私が個人的に勝手にします。私が今日の”感謝祭”で感謝を伝えたいのは、姉でも、そして実は先ほど紹介させていただいた方々ではなく、ここまで私と一緒に頑張って来てくれた、街の皆さんです」
コウタのその言葉に、聴衆はジッと聞き入っていた。カズキも同様に、コウタの一挙手一投足を注視する。
「少しだけ職権濫用を承知で、この場で姉のことを語らせていただきます。姉は弟の私には厳しかったですが、でも自分よりも他人のことを考えるような優しい人でした。だから、この場で、皆で厳粛に黙祷を捧げて感謝を伝えるではなく、馬鹿みたいに笑って、歌って、酒を飲み合うような……そんな光景を守るために、姉は命を賭けてこの街を守ったんだと思います。
皆さんの中には、そうやって厳粛な態度で姉に感謝を伝えたいと思っている方もいるかもしれません。それも家族としては大変嬉しいことです。ただ、姉のことを本当に思ってくれているのならば、馬鹿みたいに騒いで、飲んで、食べて、踊って、歌って、楽しいお祭り騒ぎにしましょう。今日は堅苦しい催しではなくて、ただただ楽しいお祭り企画です。お酒も屋台も演奏隊も、たくさん準備しています。
繰り返しますが、姉はそういう皆さんが楽しそうに笑っている姿を見るために、命を賭けて戦いました。だから皆さん、『銀髪赤眼』の英雄ミツキへ感謝を伝えたいなら、今日という日を、そして明日も明後日も続いていく未来を、楽しく幸せに生きて下さい。
皆さんに感謝を伝える事、これがナディールの街首長としての私の仕事。
そして皆さんに楽しく幸せに過ごしていただくこと、これが『銀髪赤眼』の英雄ミツキの弟である私なりの、皆さんへの感謝の伝え方です。
公私混同も甚だしいと思われるかもしれませんが、残念ながら皆さんが選んだ首長はそういう人間です。諦めて下さい」
堅苦しい言葉だけではなく、最後に冗談めかしておどけたような口調。政治家として満点とはいえないまでも、充分に及第点な演説ではないだろうか。カズキに同じレベルの演説をしろと言われても、出来る気はしない。
実際、そこまでの言葉を聞いていた聴衆はワッと歓声を上げると、盛大な拍手を捧げる。カズキの隣のアカリも、すぐ側にアドラスやスイレンも、その他の人も笑いながら惜しみのない拍手を捧げている。ステージ上の、ある意味ないがしろにされたと言えなくもない権力者達までもが、コウタを賛辞しているのが分かる。
「皆さん、ありがとうございます。一応ここまでが首長としての演説内容なんですが、最後に公私混同ついでに、1つだけ思い切り私的なことをさせていただくのを許してください」
拍手が静まり止まぬ中、コウタは口調も表情も緩くしてそう言うと、少しずつ拍手が静まっていく。再び会場が静かになってからコウタは続ける。
「実はこの場で私が個人的に感謝を伝えたい人がもう1人――父のカズキです」
まさか自分の名前が出るとは思わなかったカズキは、またも完全に意表を突かれる。そしてコウタの演説を聞いていた聴衆の視線が、一気に自分に集まってくるのを感じる。その視線を頼りに、コウタが聴衆の中のカズキを見つけると、こちらに視線を向けてくる。
「この2年間、討伐隊隊長としてずっと身を削ってモンスター狩りをしてくれて、ありがとう。一番危険でハードな仕事だけど、父さんにしか出来ないことを引き受けてくれて、本当にありがとう。今日まで本当に頑張ってくれた。首長としても、息子としても、本当に感謝しているし尊敬している。ありがとう。
でも、もう苦しまなくていいんじゃないか。俺も、母さんも、姉ちゃんも、誰も後悔なんてしないない。未だ後悔しているのは父さんだけなんだ。父さんも、もう楽になっていい。父さんだって、もう姉さんに感謝してもいいんだよ」
そんな息子の言葉に、カズキはただ茫然として聞くことしか出来なかった。
何を言っているのかは分かるが、どう反応していいのか分からない。
そしてコウタはステージの袖に待機しているスタッフに合図を送る。するとステージの中央で演説をしているコウタの側にずっとあった白い布に包まれた”何か”の、布が取り払われる。
「……ミツ、キ?」
それは『銀髪赤眼』の英雄ミツキの石像だった。
権力者がよく作りそうな、巨大で装飾品などが豪華絢爛に施された顕示欲に塗れた下品なものではない。
大きさは等身大。素材も天然の石などを素材にして、しかし丁寧に作り込まれている素朴なもの。
そして何よりも印象的なのは、その石像は幸せそうに笑っている表情であること。力や権力を示すように腕を組むとか、真面目な表情をしているのではなく、ただただ幸せそうに笑っている。
どうしてこんな普通の女性が石像になっているのか違和感を抱くくらいに、自然で幸せで楽しそうな表情である。
それがナディールの街の有志を中心に作成した『銀髪赤眼』の英雄ミツキを称える石像だった。
「頑固な父さんだから、いくら言葉で言っても分からないと思ったから、何か目で見えるもので父さんに伝えたかったんだ。姉さんはいなくなっても、遺したものはここにあるっていうことを知ってほしくて作った。でも、安心して欲しい。これに街の財源は一切使っていない。100パーセント、ボランティアで作ったものだ。
きっかけは母さんがリコに作ってくれた人形。そこから俺がアイデアを出して、リディアや母さんが街のみんなに声を掛けてくれた。クリストファー騎士団長にも打診したら、王都から本職の職人さんを派遣してくれた。勿論、騎士団長命令なんかじゃなくて、本人の意志で。
大人から子供まで、直接的にも間接的にも、この石像造りに協力してくれてるんだよ、父さん。姉さんが守ってくれた人達が、こんなにも素晴らしいものを作ってくれたんだ。だから、姉さんが遺してくれたものは確かにここにある。父さんだけが苦しみながら姉さんがやろうとしたことを引き継ごうとしなくても、ちゃんとここに残っているんだ。だからもう父さんが苦しむ必要なんてないんだよ。それに気づいて欲しくて、皆の力を借りてこれを作った」
誇らしげに、そのミツキの石像を披露してくるコウタ。
何を言っていいのか分からなくて、どんな顔をしていいのか分からなくて、ただただ凍り付くだけのカズキ。
そうだ。先ほど感じた感情は――最初からあったはずなのに、気付けなかったものは、それなのだ。
ミツキが守った人達が、今ここにいる。
それこそがミツキが遺したもの。
たったそれだけのことに、カズキは気づけなかった。
それはずっと確かにあったのに、カズキはそれに気づけなかった。。
ミツキとの別れ際に自分が放った言葉を後悔し、自分を責めることしか出来ていなかったカズキは、そんな目の前の当たり前のことに気づくことが出来なかった。ただ自分で自分を苦しめることしか出来なかった。
「コウタの言う通りだな……」
カズキがぼそりと零すのを、隣のアカリだけが気づいた。
「俺はとんでもない頑固親父だったな」
こうやって見せつけられないと分からない。
街の皆がミツキへ感謝しているところを。街の皆が作ってくれた愛娘の石像を。
目に見える形にしてもらわないと気づけないなんて、どこまで頑固で分からず屋の親父なんだろうか。
これじゃあ、娘に愛想をつかれても仕方ない。
「今日は楽しみましょう、あなた」
アカリがカズキの手を優しく握ってくれる。
こんなどうしようもない頑固親父にずっと寄り添ってくれた妻。そんなの、こんなに優しいアカリ以外には務まらなかっただろう。
「ああ……」
ポロポロと、涙が溢れて止まらない。涙で視界が霞んでアカリの顔がぼやける。もう号泣と言っていいレベルだった。
しかし、その涙はもう悲しみと後悔の涙ではない。
「それでは堅苦しいのも公私混同もここまで! さっきも言った通り、今日は屋台も酒もゲームも何でもありますから、朝まで皆で騒ぎまくりましょう!
首長のその宣言によって、街をあげてのお祭り騒ぎ――“感謝祭”の本番が始まるのだった。
□■□■
陽が落ちて夜の闇が世界を覆っても、今夜のナディールの街は眠らない。
中央区から各区に伸びる街道に、所狭しと設置された屋台。街道を行き交う人々や、中央区画に設けられた広場で騒ぐ人々、そこに入りきらず溢れるようにしている人々。
今宵の街は、人々の笑顔と幸せと希望で満ち溢れていた。
街の至るところで騒ぎ声が、歌と音楽が、踊りが、笑い声が、叫び声が響き渡っている。
崩壊されたあの日から今日という日を迎える2年間――初めは辛く、苦しく、立ち上がるのも困難だった。立ち上がった後も、何度も膝も心も折れそうになった。それでも折れることなく、必死に歩き続けてきた。
まるでそれまでの苦難が報われたような顔をして笑い騒ぎ立てる人々。あの絶望の日から、誰が今日という日が訪れることを予想出来ただろうか。
それもこれも『銀髪赤眼』の英雄ミツキがいなければ、訪れなかった未来。
彼女が命を賭けて守り、遺したものがここにある。
「わははははは! ほら、飲んで飲んでカズキさん!」
「ううーっ! 俺、どうやったらカズキみたいさんに強くなれるっすかー! そうだ、魔法教えて下さい、魔法! どかーん!ってすげーやつ! 俺、『銀髪赤眼』の英雄様よりも強くなって、街を守るっすよ!」
「カズキ殿、今日までのご苦労……さぞかし辛い思いをされたでしょう。しかし、本当に大変素晴らしい子供達を育てられた。あなたとあなたのご家族に、心からの敬服を」
「あのっ……私、昔ミツキさんにモンスターに襲われていたところを助けていただいたことがあって……その、ありがとうございました。ずっと言えなくて後悔してて……せめて、お父様のカズキさんにだけでも伝えられて、良かったです」
「うーっ、ちっくしょー! 俺、ミツキちゃん狙ってたんだよなー! 『お父さんが反対するから』って、にこやかに断られたんすよ! だーっ、くそ! お義父さん、ミツキさんを俺に下さい!」
「おお、そなたが『銀髪赤眼』の父君か。かの美しい『銀髪赤眼』は前々から王都でも美人で有名でのぅ。どうじゃ、その気があるなら父君も王宮に来て働かんか? ん?」
街の一般市民や討伐隊メンバー、若者、王都から来た騎士や有力貴族など、多くの人がカズキに話しかけて、絡んでくる。
誰もが楽しそうな笑顔で、ミツキの話をしてくるのだ。
それはカズキを気遣うのでもない。そして死んだミツキの話を悲壮ぶることもない。
誰もが今ある幸せを楽しく語るように、ミツキのことを楽しそうに語るのだ。
「あなた」
さんざん絡まれた後、人込みから少し離れて休憩をとっていたカズキに声が掛けられる。
その声は、他に間違えようもない。
ずっとずっと、カズキが苦しい時も悩む時も常に側にいて支えてくれた最愛の妻アカリだった。
アカリは微笑んでいる。
それはカズキが落ち込んでいた時に、カズキを励まそうとして無理して浮かべるような、見ているこちらが申し訳なくなるような笑みではない。
心の底からの笑顔――アカリ本来の優しさで溢れている表情を、カズキが目にしたのはいつぶりだろうか。
自然、疲れていたカズキの表情も緩む。
「さすがに少し疲れたよ。最近人と話すといえば、コウタと仕事のことを必要最低限って感じだったからな」
「私とも、満足に話してくれなかったものね」
地面に座るカズキの横にアカリがちょこんと座る。
「勘弁してくれよ」
カズキが苦笑しながら言うと、アカリはいたずらっぽく歯を見せて笑う。
「あなたは言葉で分かるような人じゃない。だからこうした方がきっと伝わるって思ってた。どう?」
「ああ……」
カズキはアカリに言われて、改めてそこから見える景色を見渡す。
酒に酔い、歌って踊り、騒ぎ立てる人々の姿。そのどれもが幸せそうだ。当然に明日が来て、明後日もその次の日も、今日と同じ幸せが――いや、今日以上の幸せがやってくると信じて疑っていない。
この先ずっと幸せの未来が訪れる。それを信じて生きることが出来る日々は、希望そのものだ。そんな希望の日々が、今ここにあるのは――
「ミツキが遺したものは、目の前にあったんだな。俺はミツキが死んでも、まだ自分のことしか考えられていなかった。ミツキへの贖罪なんて言っておきながら、自分が辛かっただけだ。俺は自分の後悔しか見えてなくて、ミツキが遺してくれたこんなに素晴らしいものに、全く気付けていなかった」
「でも、今は気付けたでしょう?」
カズキの悔恨の言葉に、アカリはやはり笑いながら言ってくる。そのアカリの言葉に、カズキは自信満々にうなずく。
「私は、そんなあなたを愛しているわ」
そうしてアカリが顔をカズキの方に寄せて体重をかけてくる。
こうして妻と触れ合うのも、本当にいつぶりだろうか。暖かくて柔らかい妻の感触に、カズキは自嘲するように笑う。
――本当に支えられてばかりで、父としても夫としてもダメダメだな。
「ありがとう、アカリ」
俺も、愛している。
そんな歯の浮く台詞が、カズキの喉を通って空気を振るわせようとしたその寸前――
「父さん」「お義父さん」「じーじ、ばーば!」
息子夫婦の声が聞こえて、こちらに近寄ってくる。思わずカズキは顔を赤くして動揺しているが、寄り掛かってくるアカリはニコニコしたままで動こうとしない。
「お、おいアカリ!」
「あらあら、まあまあ。別にいいじゃない。私達だって夫婦なんだから、見せつけちゃいましょうよ」
などとカズキをからかうように言うが、コウタ達が目の前までやってくると、カズキとアカリの2人はようやく立ち上がる。
「こんな所にいたんだ、父さん。皆探してたよ」
「勘弁してくれ。俺は隊長といっても現場の責任者に過ぎないんだ。お偉いさんは、もうコウタに全部任せるよ」
尻についた土をポンポンと払うようにしていると、父母と両手を繋いでいたリコがとことことカズキに近寄ってくる。
「じーじ、じーじ♪」
「あらあら。リコちゃんってば、素敵なお面つけているのね」
「うんっ。パパに買ってもらったのー!」
どこかの屋台で買ったものか、可愛らしくデフォルメされたうさぎの仮面を顔の横につけて、リコは自慢げに見せつける。
リコももう2歳を過ぎた。よく喋るし、ちょこまかと動くようになった。
「ねえ、じーじ♪ あっちにねぇ、てっぽう当てるやつあったのー! クマさんのぬいぐるみ欲しいの! 取って取ってー!」
そう言いながらリコがカズキのシャツの裾を引っ張ってくると、リディアは困ったように笑いながら
「この娘、今日はじーじと遊べるってずっと楽しみにしていたんです。コウタさんも少しだけお暇がもらえたので、これから皆で屋台を回りませんか?」
そんなリディアの提案に、カズキはコウタへ視線を滑らせる。
「リコの奴、子供なりにずっと父さんのこと心配してたんだよ。でも、ずっと怖がってて、なかなか……」
カズキが罪に苦しんでいたこの2年間、リコにとっては怖い祖父でしかなかったというのは当然の話だ。
しかしそんな自分のことを心配していて、そして今こうして懐いてくれるとは、なんという優しい娘なのだろう。リディアやアカリの子育てが良かったのだろうか。それもあるだろう。でもそれ以外にも――
やはりこの娘にもミツキと同じ血が流れているのだ。
「……よし! じーじの良い所見せてやるか!」
「わ」
カズキがリコの脇の下に手を入れると、その小さな体を高く持ち上げる。
「おっ、しばらくぶりに持ち上げたけど、随分重くなったな!」
「も~。リコはもう大人の”れでぃ”なんだよ? 重いなんて、じーじってば失礼しちゃう」
ぷく~と頬を膨らませて立派にそんなことを言うリコに、一同は声を上げて大きく笑う。
「きゃはははは! 今日のじーじ、優しいね。きゃははは」
そんな親達の笑いにつられるように、リコもカズキの手の中ではしゃぐようにして笑うのだった。
□■□■ □■□■ □■□■
「じーじ、あのクマさん! あれがいいの!」
「よーし、見てろよ」
「あなた、集中よ。集中してね」
「父さん、頼むよ。俺じゃ全然当てられなくて」
「お義父さん、無理なさらないで下さいね。リコもあまり我儘言わないのよ」
そんな集中を乱す周りの雑音が、今のカズキには心地よい。
元々最前線でモンスター狩りを生業としているカズキである。魔法の照準を合わせるのに比べれば、玩具の鉄砲の照準くらい楽々合わせられる。
「わ~、すごいすごい! 大切にするね! じーじ、ありがとう!」
お目当てのクマのぬいぐるみ――手の平サイズの、大したことのないものだ。リコはそれを両手で握りしめて、人生で最高の宝物をもらったような満面の笑みを浮かべていた。
愛する娘が遺したものが、今目の前にある。
ミツキの死は無駄ではない。彼女の心は今もこうして残された人達の中に生き続けている。
娘の死から2年の時を経て、カズキはそのことに気付けた。
周りの大切な人達に助けられ、ようやく気付けたのだ。
カズキはこの可愛くて仕方ない孫の顔を、愛する娘が遺してくれたその最たるものを見ながら決心する。
この世界で与えられた残りの人生は、死んだ娘に捧げようと。
この世界に生まれ変わって得た新たな人生は、娘のために。
異世界で、娘に捧げる第2の人生をカズキは生きるのだ。
▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼
崩壊し煙が上がっているナディールの街が遠目に見える。
自分達を取り囲むのは、命からがら街から逃げ延びた人たちだ。どの人達も固唾を飲んで自分を見守っている。
そして自分の目の前に立つのは、悲しそうな顔をしているミツキだった。
(いつもの夢、か)
もうすっかり見慣れてしまった悪夢の光景。それを今までと変わらず、今も見ているのだと、夢の中のカズキじゃないカズキが漠然とそれを自覚する。
『私がこんな凄い力を持ってこの世界に来たのは、きっと今この時のためなの。この世界で生きる人を守るため。そのために、私は戦う。それが『銀髪赤眼』の使命なんだよ!』
この悪夢の光景は、カズキの記憶で形作られたものだ。
だからいつもいつもビデオを再生するように全く同じセリフが繰り返される。それを変えることも止めることも出来ない。
いつもと全く同じやり取りが、いつもと全く同じように繰り返される。毎夜繰り返されるカズキにとっては地獄のような悪夢が、いつもと変わらず始まろうとしていた。
だからその次に言うカズキの言葉も予定調和の言葉のはずで――
「だったら、お前はどうしたいんだ?」
それは、予定調和には無いはずのカズキの言葉。
何度も何度もミツキを止められなかったカズキが、無限に繰り返される後悔の苦しみの果てに出した結論が、その言葉だった。
これまで、この夢の世界で何度も何度も失敗してきたカズキだった。
しかし今回、ミツキはカズキの言葉に初めて顔をほころばせた。
「私、大好きな皆に幸せに生きて欲しい。だから、街に戻って魔王と戦うよ」
「そうか、分かった」
夢の中のカズキは、死地に赴かんとする娘に向かって笑いながらそう言う。そして自分でも驚く程に、何の迷いもなくスムーズに次の言葉を続ける。
「必ず生きて戻ってこい」
ミツキが戻って魔王と雌雄を決した結果……未来が分かっているカズキにとっては、なんと空々しく聞こえる言葉だろう。
しかしこの時、カズキがやるべきことはこれだったのだ。
きちんとミツキの話を聞いてやること。
――そうだ。それはこの世界に来た時にアカリと約束したことだった。今さら思い出した。
「街の皆は俺に任せろ。必ず誰一人犠牲にせずに避難してみせる。だからお前は後から追いついてこい」
未来なんて、誰にも分からない。
だからミツキがどんな選択肢を選び取ったとしても、ミツキを信じてそう言ってやれば良かった。
ただ、それだけだったのだ。
――その次の瞬間、夢の世界に音が響いてひび割れて、そして砕け散る。
いつもの悪夢の光景はそこで終わり、広がるのは真っ白な世界。カズキとミツキの2人しかいない世界だった。
「たくさん……たくさん辛い思いをしたね」
目の前のミツキは、もう泣きそうな顔はしていなかった。母のアカリ譲りの、とても優しくて可愛らしい笑みだった。
「お父さん、優しいから。ずっと私の心配してくれていたんでしょう?」
これは、夢だ。
死んだミツキの魂が地上に降りてきて、こうしてカズキに話しかけてくれるなどという都合の良い超常現象など有り得ない。ここが異世界であっても。
これはミツキであってミツキではない。カズキの中にあるミツキだ。かつてミツキが自分は人形じゃないと言ったが、これはカズキが自分の思い通りにしようとしていた人形のミツキだ。
だから、このミツキは自分の都合の良いことしか、気持ちいいことしか言わない。
自分の人形の、思い通りになる娘。
「嫌だな。お父さんの娘だよ。そんなはずないでしょ」
そんなカズキの胸の内を見透かしたように、ケラケラと笑うミツキ。
「お父さんの中の娘は、そんな娘じゃないでしょ。自信持ってよ、もう」
カズキは何も言えないまま、まるで今も生きているように感情溢れるミツキの顔を見ているだけだった。
「お父さんが辛かったの、知ってた。本当は分かっていたのに……ごめんね。私、最後の最後でお父さんを傷付けるようなことを言って」
馬鹿な。どうしてミツキが謝ることあるのだ。悪いのは一方的にこちらだけだ。だからお前が謝る必要なんてない。
しかしミツキは首を横に振る。
「お父さんは取り返しがつかないって思っていたみたいだけど、さっきお父さん言ってくれたじゃない。『頑張って行って来い』って。だから私、嬉しかったよ」
そう言って笑うミツキの目には涙が滲んでいるのが分かる。
「私も同じだよ。お父さんに言った言葉、ずっと後悔していた。私ももう取り返しがつかないって思っていた。でも、ここなら私もお父さんと同じように、やり直すことが出来るの。だから一方的になんてことないの。お互い様なんだよ」
――ああ、そうか。
やっぱりここは夢の世界なんだな。
だからミツキは、こんな都合の良い事をいって俺を気持ちよくさせるのだ。俺が罪を赦された気持ちになって、楽になるようなことを言うのだ。
だったら……どうせ夢の世界だというのなら、とことん都合の良いことを言わせてもいいのではないか。
だってこれまでの悪夢の世界では、その都合の良い事すら娘に言わせることが出来なかったのだ。
だからせめて夢の世界だけでは、娘に一番言ってもらいたかった言葉を――
「お父さん、行ってきます。大好きだよ――」
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「ん~……ばーばぁ……」
感謝祭の翌朝、眠そうに目を擦りながらリコが台所で朝食の準備をしているアカリの元へやってくる。
祭りの夜、さんざんカズキに甘えて一緒に寝たいとせがみ、リコはカズキと一緒にベッドで眠っていたはずだが、起きてきたのはリコだけだった。
「あらあら、まあまあ。リコちゃんは早起きさんね。それに比べてじーじはネボスケさんなんだから」
濡れた手をタオルで拭いて、アカリはリコに笑いかけると
「じーじ、寝ながら泣いてたの。おばけの夢、見てるのかな?」
え?と、アカリが声を零すと、そのまま寝室へ向かう。
リコの言う通り、カズキの身体はベッドの中にあった。昨夜はだいぶ酒も飲んでいたから、深く寝入っているのも無理もないだろう。
アカリはそっとカズキの寝顔をのぞき込むと、確かにカズキは眠りながら涙を流していた。
しかしその顔は、この2年間後悔の念に苦しんでいた顔とは全く違う。
涙にぬれた、そのカズキの顔は――
「ねえ、ばーば。じーじ大丈夫? おばけが怖い怖いしてるの?」
「……ふふふ、そうねぇ。さすが異世界だわ」
アカリはニコニコ顔に戻って、剥がれかけていた掛け布団を掛けなおしながら
「リコちゃんの叔母ちゃんのおばけが、じーじに会いに来てくれているのかもね」
リ・ライフ ~異世界で、娘に捧げる第2の人生~ 完




