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第2話「リ・ライフ」

 太陽が高く昇った昼下がり、多くの人々が行き交う商店通り。その中に店舗を構えている素材加工の店の中にカズキはいた。


「相変わらずなかなかいい仕事するじゃねえか、カズキさんよぉ」


 客であるカズキに気安い言葉で声を掛けるのは、加工屋の店主である。禿げ上がった頭にぶくぶくと太った身体が印象的で、カズキよりも年上の大柄な中年男性だ。カズキ一家がこの町に住み着いてから、幾度となく世話になっている商売相手である。


「それで、買取価格はどのくらいでしょうか?」


「ん~、そうだなぁ。これくらいでどうだ?」


 そうして店主から提示された価格を見て、カズキは苦笑する。


「勘弁して下さいよ。ドドンガは最近数も減っていて、毛皮も角も市場に出回っている数が減ってきているじゃないですか。せめて、これくらいは……」


「――っかー! 相変わらず、よくリサーチしてんなぁ。分かったよ、それで手ぇ売ってやるよ」


 額をペチッと叩きながら、意外にも素直に引きさがる店主に、カズキはにっこりと笑いながら手を差し出す。すると店主もその手を握り返して、お互いに「商談成立」と声を掛け合うのだった。


「ったく、冒険者ギルドよりも商業ギルドで働いた方がいいんじゃねえか? 商人の方が向いてるぜ、あんた」


 店主から金銭を受け取ったカズキが去り際にそう言われると、顔だけ店主の方へ向けて、にこやかに返事をした。


「私も、近いうちにそちらに鞍替えしたいと思っていますよ」


 ▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼


「お帰りなさい、あなた」


 加工屋との取引を終えて家に戻ってきたカズキを出迎えたのは、妻のアカリだった。


「思ったよりも高値で売れたよ。やっぱり、あの親父さんは気風が良いな」


 そう言いながら、先ほどの取引で得た金貨が入った袋をアカリへ渡すと、アカリは「まあ」と口を抑えていた。


「今夜は、少しだけ豪勢な夕食になりそうね」


 ニコニコと笑う妻のアカリは、日本人であるーーはずなのだが、今目の前にいるのは銀髪赤眼の美女で、ファンタジー世界の物語に出てくる登場人物のような容貌をしている。


 そしてそれはアカリだけではなく、カズキを含めた一家全員が同じように銀髪赤眼という特徴を持っていた。


 今のカズキ達の姿を見て、誰が彼らを日本人だと思えるだろうか。


「ミツキとコウタは?」


「また森に行ってるわ。ドドンガの角が高騰しているから、今のうちにたくさん狩ってくるって言ってたわよ」


 “モンスター”


 日本で普通のサラリーマン生活をしていた時には、まるで馴染みのない言葉だったが、今ではもう何の違和感もなく自然と受け入れられるようになっていた。


 カズキは椅子に座ると、「ふう」と大きくため息を吐く。


「大丈夫か? 最近はモンスターの数が増えているって話だけど、ちゃんと2人とも準備は万全にして出掛けて行ったんだろうな」


「大丈夫よ。ミツキも一緒だし、それに絶対に無理はしないって約束したじゃない。見守ってあげましょうよ」


 貧乏ゆすりまで始めて、明らかに落ち着かなくなる様子のカズキに、アカリはお茶を差し出す。日本には無かった「この世界」で採れた葉から淹れたアカリ特性の茶葉で、強い苦みとすっきりした後味をしており、カズキのお気に入りの茶だった。


「そうは言っても――」


「ただいまぁ!」


 子供達への心配の言葉を零すカズキの言葉を遮って、タイミングの良い明るい声が玄関の方から聞こえてくる。


 ドタバタと、にぎやかな足音を立ながら入ってきたのは、長女のミツキと長男のコウタだ。


「いやー、ドスドドンガって、ドドンガの群れのボスがいてさー。姉ちゃんの魔法が無かったら、ちょっと危なかったよー」


「あー、こらコウタ! ちゃんと手洗ってからリビングに入りなさい。汚いでしょ、もー!」


 身体中に土と傷をつけたコウタが、自慢げにそう言ってリビングに入ってきて、更に少し遅れて姉のミツキが入ってくる。ミツキの顔も、汗や泥で多少汚れてはいるが、傷の類は見られない。2人共、カズキ達と同じ銀髪赤眼であり、特にミツキは母のアカリとよく似た美貌である。


「ミツキ、コウタ。大丈夫だったか?」


「ぜーんぜん、余裕だって! お父さん、ドスドドンガって奴、角だけじゃなくて牙もでっかくて立派なんだぜ。これも売れるかもって姉ちゃんが取って帰ってきたんだー! 庭に置いてあるから、後で見ておいてよ」


 歯を見せてニカッと笑うコウタに、カズキは「そうか」と安心したように胸を撫でおろす。傷はあるが、深刻な程度のものではなさそうだ。子供が走り回って転んだくらいの程度だろう。


「コウタ! 先に手洗いと傷の手当て!」


「はいはーい。分かったよ、姉ちゃん」


 唇を尖らせて不満そうに言うと、コウタはリビングを出て行って手洗い場の方へ向かっていったようだ。ミツキも腰に手を当てながら「もう」と、苦笑しながら弟の後に付いていこうとする。


「――ミツキ」


 そうして甲斐甲斐しく弟の世話を焼く娘に、カズキは控え目に声を掛ける。声を掛けられたミツキは、くるりと向きを変えてカズキの方へ振り返る。


『私は……お父さんの人形じゃない……!』


 前の世界――日本で迎えた、最期の時。


 その時、意識が残っていたのは自分とミツキの2人だけ。


 その2人だけの世界で、死ぬ間際に発せられた娘の言葉。


 死を目の前に感じていた極限状態だったからこそ、それは嘘偽りない真実の気持ちだったのだろう。


 カズキの、それまで娘に捧げていた愛を全て否定するその言葉は、「この世界」に来てからもずっとカズキの胸に突き刺さり続けていたのだ。


「……なに?」


 呼びかけただけで、それ以上何も喋らないカズキの顔を、ミツキは不思議そうにのぞき込む。


 日本にいた時、ミツキが幸せになるためであれば何でもする……カズキはその覚悟で娘へ愛を注いできたつもりだった。


 しかし、そうしてきたカズキの行動の結果が、あの時のアカリの顔と言葉だ。


 それを思い返せば、自分は間違っていたと認めざるを得ない。


 ――では、どうすれば良かったのだろう。


 自分が絶対だと信じていた愛が否定されて、カズキはどうすればいいのかが分からずにいた。


 そんな父の迷いを察したかのように、ミツキはその暗い空気を吹き飛ばすような明るい声で


「せっかく私とコウタで頑張って採ってきたんだから、高く売ってきてよね。お父さん!」


 ミツキが笑顔でそう言うと、カズキはハッと顔を上げる。そしてミツキが「それじゃ、後でね」と手をひらひらと振ってリビングを出て行った。


「ミツキは優しい娘だもの。あれから1年――貴方の愛は、きっとあの娘に届いているわ。信じてあげて」


 茫然とミツキを見送っていたカズキに、アカリはニコニコしながら優しく声を掛ける。カズキはその言葉に大きくうなずいて、もう1度お茶をすする。


(そうか。もうここに来てから1年も経つんだな……)


 お茶の苦みを噛みしめながら、「この世界」に来たばかりの、右も左も分からなかった時のことを思い返していた。


 ▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼


「さて、どうしようか……」


 前の世界――いわゆる日本での壮絶な事故の後、髪や目の色だけではなく、容姿そのものが全く違ったものになっていた峰晴一家。外見は大きく変わっても、どうやら中身の方は変わっていないらしい。


 色々と不可解なことは多すぎるが、兎にも角にもこうして家族が再開出来たのは喜ばしいことだ。しかしそれも束の間、一家は直近の問題と向き合っていた。


 何もない、辺り一面野原という場所で家族4人が囲んで向き合っていた。一見すれば天気の良い日に行楽に出かけた仲良し家族に見えなくもないが、事態は深刻だった。


「状況を整理しよう。俺達は車で旅行をしていたけれども、落石事故に巻き込まれて、そのまま潰されて――」


「あなた」


 冷静に思い返しながら喋るカズキの声を遮ったのは妻アカリだ。言われて家族の顔を見渡すと、アカリの顔が青ざめていた。


 あれだけ凄絶な体験だったのだ。思い出すだけでも恐ろしいのだろう。


 ――まるで配慮が足りていない。自分のこういうところが、娘に想いが届かなった要因だったのではないだろうか。


『嫌い……嫌い、嫌いっ! 大嫌いっ! 私、たくさんやりたいことあったのに! 全然何も出来なかった! お父さんのせいだよっ!』


『私は……お父さんの人形じゃない……!』


 その言葉が否応なしに頭の中で呼び起こされると、カズキは嘔気に苛まれて口を抑える。


「だ、大丈夫?」


「ああ、すまない。大丈夫だ」


 ミツキに連れて体調が悪くなったカズキは、それでも何とか冷静を保って話を続ける。


 一家の大黒柱である自分が、ここで弱みを見せるわけにはいかない。そう思って気を引き締め、気丈に振舞う。


「話を戻そう。――それで、眼が覚めたら皆でここにいたということだが……ここは、どこだ? 日本では無さそうだが」


 地平線すら見えるくらいの、見晴らしが良い広大な野原である。その中に1本の道が整備されているのが見えるが、アスファルトでしっかりと整備されたようなものではない。土が剥き出しになっただけの、前時代的な、良い風に言えば自然の情緒溢れる街道である。


 今どきの日本に、こんな所があるのだろうか。


 行ったことはないが、北海道くらい広大な土地ならこういう所もあるのか? しかし、先ほどから車どころか人影や動物の1つも見えない。


 カズキには、ここがとても現代日本だとは思えなかった。


「どこかの外国に……? もしかするとタイムスリップをしたとか?」


 こんな唐突な事態に、現実だとか常識的な考えを当てはめる方が難しいだろう。映画のような超展開が自分達の身に起こったと考えた方が、まだ今の状況を受け入れやすかった。或いは、これは現実ではない。夢でも見ているのか。


 そうやってカズキが思考を巡らせている中、急に腹の鳴る音が聞こえてくる。


「お父さん、お腹減ったよぉ」


 家族の中で最も幼いが故に、この異常事態へ素早く順応出来ているのだろうか、コウタが能天気なことを言ってくる。


(いや、能天気なんかじゃない。食料は切実な問題だ)


 これが夢じゃないのだとしたら、水と食料確保は切迫した問題となる。現にカズキも、喉の渇きを既に感じ始めているのだ。


 最悪、水に関しては雨水で当面は凌げるかもしれない――ちゃんと雨が降る世界なのならば。


 しかし食料に関してはどうだろうか。見たところ、辺りに食べられそうなものは野草くらいしかない。その野草も本当に食べられるのか?――例えば、毒があったりする種類かどうかなど、カズキには判断しかねる。


 それに、水や食料だけではない。


 住まいは? 衣服は? そもそも他の人間は、生物はいるのだろうか? ここは本当に日本なのか? そもそも、地球なのか?


 家族と生きて再会できたという喜びはとうに吹き飛んでいた。現実的な問題に向き合うと、カズキはあまりの状況の見え無さに不安が募り、次第に絶望感に包まれる。


 一体、これから何をすればいいのか見当もつかないーー


「グルアァァァァ!」


 重い空気に沈み、家族一同が何の言葉も発しないでいると、突然何物かの唸り声がその静寂を切り裂く。


 カズキ達が驚いて音源の方を見ると、いつからそこにいたのか、体長3mは優に超えている巨大な獣が、少し離れた場所から獰猛な表情でカズキ達を睨んでいた。


「あ、あれ……なに? 熊……っ?」


 ミツキが側にいたアカリと寄り添い、怯えた声でそう零した。


 四足でジリジリとカズキ達に近づいてくるその獣は、確かに熊によく似ていた。しかしその目は妖しい赤い光を放っており、口からはご馳走を前にした子供の様に、ぼたぼたと唾液を滴らせている。黒光りする全身の黒い毛皮、口から除く鋭利な牙、研ぎ澄まされた四足の爪は、疑いようもなく肉食獣のそれだった。


 これはカズキの知っている熊を、何倍も狂暴化させたような、異様な怪物に見えた。


「に、に……逃げろっ! お前らはとにかく逃げるんだ!」


 生物としての圧倒的な力の差――カズキは動物としての本能でそれを感じ取る。しかしその恐怖を必死に押し殺すと、カズキは立ち上がって、家族を背中にかばうようにする。


 カズキの全身はがくがくと震えて、眼からは涙が溢れ出そうになっていた。しかし、その異様な怪物に立ち向かう姿は、それだけでも立派過ぎる父親の姿と言って良い。


「お、お父さんは……?」


「俺は囮になる。その間に、どこか隠れることが出来る場所を探すんだっ!」


 それで「はい、そうですか」と、早々にその場を立ち去れる程、カズキ達家族の絆は脆くは無かった。子供達は母のアカリにしがみつくようにしながら、その場を動けない。恐怖もあるが、それ以上に、自分達を必死に守ろうとしてくれる父親を置いていけないのだ。


「アカリ! 速くしろっ!」


「で、でもあなた……! い、嫌よ……せっかくまた会えたのに……」


 アカリは、子供達を引っ張ってでも連れて逃げなければいけない立場だ。でも、やはりアカリもカズキを置いて、その場を離れることなど出来なかった。


(くそっ……一体、何だっていうんだ)


 事故に巻き込まれて死んだと思えば、全く見知らぬ場所で見知らぬ姿となって家族と再会できた――そう思った瞬間、謎の怪物に襲われて死ぬというのか。


 一体、これは何なのか。


 もしかすると、死の世界に旅立つまでの束の間の夢なのだろうか。それならば、神様はどうして1度持ち上げてから、また絶望と恐怖に突き落とすなどという残酷なことをするのだろうか。


「グアアアアアア!」


 ジリジリと距離を詰めていた熊のような怪物が、うなりを上げながらカズキに襲い掛かってくる。


 カズキに突っ込むようにしてくる熊が、口を開けて牙を剥き出しにする。鋭く大きなその牙で、首を刈り取られることを覚悟したカズキは、眼をつぶる。


 死ぬことは怖いが、こうやって家族をかばう行為にはなんら迷いも後悔もない。


 ただ一つ、心残りがあるとするならば、自分が死んだ後に家族も無残に殺されてしまうことだ。


(なんてことだ……俺は、2回も家族を殺してしまうのか)


「いやぁぁぁぁっ! おとうさぁぁぁぁん!」


 熊のような怪物が、その牙をいよいよカズキの首へと突き刺そうと顔を伸ばそうとしたその瞬間――ミツキの悲鳴がカズキの鼓膜に突き刺さった。


 そしてその後にくるだろう激痛を覚悟して、カズキが全身の筋肉を緊張させる。


 ――が、その激痛は来なかった。


 代わりに「ボン」という爆発音が聞こえてきた。擬音として口に出して表現すると、バカバカしいとすら感じてしまう程に呆気ない表現だが、実際はそんなものではない。


 地面を揺らす程の轟音、熱気、風圧がカズキの身体に襲い掛かる。その凄まじい熱気にカズキは思わず顔を両腕で庇いながら、吹き飛ばされないように重心を低く落とす。


「ギャオオオオオオ!」


 次にカズキの鼓膜を揺るがしたのは、怪物の苦悶の咆哮だった。その直後に、ズゥゥンという音と共に地面の振動を感じると、カズキは顔を庇っていた両腕を下げて顔を上げる。


 カズキの目の前には、頭部が黒焦げになった熊の化物が横たわっていた。その黒焦げの頭からはプスプスと黒煙が上っていて、怪物はピクリとも動かなくなっていた。


 そして自分の背後を見ると、熊の化物に向けて手を向けているミツキがいた。手のひらからは煙が昇っていた。そんなミツキの表情は恐怖に引きつって涙ぐんでおり、身体はガタガタと震えていた。


「あ……わ、わ……わた、し……?」


「だ……大丈夫か、ミツキ!」


 何が起こったのかは分からないが、ミツキが何かしらをしたのは間違いないようだ。カズキは先ほどまでの気まずさも忘れて、慌てて娘に駆け寄る。


「一体何が起こった? 大丈夫か? 身体に変なところはないか?」


「うあ……わ、分からない……私、夢中で……お父さんを助けなきゃって思って……ひ、火が? 私の手から……? え? なに?」


 恐怖と混乱が合わさって、ミツキも自分で何をしたのかがよく分からないようだ。カチカチと、歯を鳴らしながら、側にいたアカリに助けを求めるように縋りついていた。


 それでも、ミツキの言葉の断片から想像するとするならば、ミツキが超能力的なもので爆炎でも放って化物を倒したということか?


(な、何なんだ? 一体この世界はどうなっているんだ?)


 俄かには信じられないが、現実に起こってしまったことは認めざるを得ない。


 死んだはずの自分達が、全く違う外見の見知らぬ場所にいるのだ。超能力的な力があったとしても、最早不思議でもなんでもない。


 あまりにも現実離れしたことが立て続けに起こり、カズキの頭も混乱しかける。これは本当に夢ではないだろうか。死を受け入れられない自分が見ている、妄想の類なのではないか。


「すっげー! 姉ちゃん、今の魔法じゃん? かっけー!」


 熊の化物の死骸を前に茫然としている家族一同の前で、唯一人はしゃいでいるのがコウタだった。家族の中で一番のゲーム好きで、暇さえあればいつもゲームばかりしていたコウタの言葉に、カズキは敏感に反応する。


(魔法? ゲームの中にでも入ったってことか?)


「まさかサーベルベアードを倒しちまうとは、びっくりだなぁ。そんな可愛いお嬢ちゃんが魔術を使えるのも驚きだわな」


 コウタの言葉の次に聞こえてきたのは、家族の誰でもない声だった。カズキ含めて家族全員がそちらの方へ振り向くと――


 そこにはいつ頃からそこにいたのか、日本の文化には全くそぐわない馬車が街道の上に待機していた。そしてそこから降りてきたであろう小太りの男が、カズキ達の近くまでやってきており驚いたような顔をしていた。


「悪かったなぁ。途中、私らのキャラバンがアイツに襲われてなぁ。ハジケダケで脅かして追い払ったんだが、まさかこのグランドゥラ平原に人がおるなんて思わんかったんよ。もう助からんと思ってたが、いやー、良かった良かった」


「あ? あ……は、はい?」


 気安くカズキの身体をポンポンと触ってくるその小太りの男は、カズキ達が着ている布で出来た質素な服と比べると、随分と質の良さそうな服を着ていた。頭にかぶっているターバンのようなものにも装飾品が付けられており、いかにも羽振りがよさそうな格好だ。


 それはともかく、聞いたことのない単語や地名に、カズキは戸惑うばかりだ。


「それにしても、銀髪赤眼かぁ。その髪色に瞳の色は珍しいけど、どこから来なすったんで?」


「ええと……その、私たちは二ホンという国の、トウキョウという場所にいたはずなんですが」


「ニホン……? トウキョウ……? 聞いたことねぇなぁ」


 今度は、その小太りの男が探るような目線でカズキ達をジロジロと見てくる。


「あ、あのっ……ここは一体どこなんですか? 気づいたら、家族でここにいたんです。一体何が何だか……」


「ふぅむ……」


 まだ混乱しているミツキに、それを宥めるアカリ。コウタは特に動揺している様子もなく、というよりもむしろこの異様な状況を、ワクワクとしながら受け入れているようだ。


 カズキ自身も混乱しているが、家族の中で唯一まともに話せる状態なのはカズキだけのようだ。


 とにかく自分と家族を守るため、懸命に助けを求めるような視線で、事情を知っていそうな小太りの男を見る。


「何か事情があるようやね。あんたらを危険に晒した負い目もあるし、良ければ近くの街までうちの馬車に乗っていくかい? ちょうど、4人家族くらいなら乗れるスペースがあるでよ」


 小太りの男は、いかにも人の良さそうな顔で、カズキ達に提案した。その提案は、カズキ一家にとっては、正に渡りに船だった。


 □■□■


 その小太りの男の名はアドラスというらしい。


 ナディール商業ギルドの商隊に属する1商人ということだった。ナディールというのは、クライトストス王国ルミリナリア地方の中でも最も栄えている大都市であり、アドラスはそこを本拠地としながら、冒険者達が採集してきたモンスターの素材やその加工品を商材として、クライトストス王国とファステリア帝国を横断して商売をしているらしい。


 ――そこまで話を聞いたところで、カズキが知らない固有名詞ばかりが出てきて、逆に知っている固有名詞は何一つ出て来なかった。はっきり言って、彼の言っていることはほとんど理解出来なかったが、1つだけ確信できたことがある。


 やはり、ここは日本ではないようだ。


「王国と帝国も知らんたぁ、あんた本当にこの世界の人間かぁ?」


 アドラスは器用に馬を操作しながら、同じ御者台に乗っているカズキに言ってくる。ギルドに加盟はしているものの、商売は個人で細々とやっているため、御者を雇う費用も節約しているらしく、アドラス本人が自分で馬車を動かしているらしい。


 カズキ達を馬車に乗せた後、アドラスの馬車は自分が属しているキャラバングループと合流し、今は周囲に10程度の馬車が一緒に走っている。規模としては、小規模のキャラバンらしい。


「どうなんでしょうかね? 私も、いまいち状況が掴めていなくて」


「なんだい、そりゃあ」


 隊に合流した際、他の商人達と挨拶程度の会話は交わしたが、このアドラスという男は訛りがあるのか、喋る言葉に独特なイントネーションがあるのが特徴的だった。


 アドラスはカズキの言葉に、相槌を打ちながら更に聞いてくる。


「もしかして、記憶喪失ってやつかい?」


「――いや。記憶喪失とは違うと思うのですが……」


 アドラスから聞いた話などを総合して推察するならば、日本どころか地球ですらない異世界に生まれ変わった……という辺りが、現実的なところだろうか。いや、まったく現実的などではないのだが。


「だって、あんたら自分の素性すら分からないんだろう?」


「素性と言うか……気づいたら、家族全員が知っている姿とは全く違う姿になっていたんですよ。その前は、こことは別の場所で……その、事故に巻き込まれて死んだというところまで覚えているんですが」


 なんだか、どこからが現実でどこからが夢なのか分からなくなってしまう。頭痛さえ感じるカズキは、揺れる馬車の上で頭を抱える。


「はぁ~。私はよく分からんけど、魔術が使えるなんて、相当な高貴なご身分だったんじゃないかねぇ? 今どき魔術を使えるなんて、貴族様かそれこそ王族の血筋を引く人間ぐらいだかんなぁ」


「そ、そうなんですか?」


「まあ、ごくたま~に一般人でも使える奴はいるらしいけどね。私は見たことなんてないがなぁ。あんたらが一般人て言うなら、あんたらが初めてだよ」


「……」


 ケラケラと笑いながらそう言うアドラスは、こちらに悪意を持って騙そうとしている風には見えない。


 むしろ、アドラスが自分の安全のために、爆竹のようなもので脅かして追い払ったあの化物――サーベルベアードという名前の怪物……モンスターらしいが――が、それによってカズキ達を危険に晒してしまったことに負い目を持っているようで、丁寧にこちらの質問に答えてくれているように見えるとことから、善人のように思えるが。


 彼と話していれば、この世界の知識は得られるが、肝心の自分達の状況については一向に分からない。そこら辺の質問をしても、アドラスも首を傾げるばかりである。


「でもま、そんな目立つ髪と眼の色をしてんやから、少なくとも王族ってこたぁないやろうなぁ」


「どうしてですか?」


「商人は物を売りさばくために、広く情報を掴むのが大切なんよ。あんたらみたいな珍しい銀髪赤眼が王様やお姫様をやっている国がありゃあ、私が知らんはずもないさね」


 国家間を行き来している商人が言うには、なかなかに説得力がある言葉だった。カズキはその物言いに納得するーーというか、自分達が王族じゃないことは自分達が知っているし、そもそも自分達が住んでいた時代の国には、王権制度は存在していない。


 アドラスは悪い男ではなさそうだが、これ以上話してもカズキが求める情報を得られそうになかった。それに、カズキの方も色々と疲れてしまった。


「しかし、小さい子供もおるし、そんなんだとこれから大変やろう。近くの街までは乗せてってやるけど、それからはどうするんや?」


 そんなカズキの不安を察したようにアドラスが聞いてくると、カズキはどうも答えることが出来ずに、困った表情で口をつぐむ。


「もし、あんたらさえ良かったら、当面の間はうちで雇ってやってもええが?」


「ほ、本当ですか?」


 思いもかけなかったアドラスの提案に、カズキは飛びつくような反応を見せた。


 するとアドラスは、人の良さそうな表情から一点、ニッと白い歯を見せながら笑っていた。それはきっちりと損得勘定を済ませた、狡猾な商人の顔のように見えた。


「魔術師なら、こっちも喉から手が出る程欲しいからなぁ」


 □■□■


「あなた、どうだった?」


 御者台から荷台へと移動してきたカズキに声を掛けたのはアカリだった。


 アドラスの馬車は、ちょうど積み荷を売った帰りだったようで、中に置かれている荷物の量は少なく、彼の言う通り家族4人であれば充分なスペースがあった。


 ここにいる全員が、馬車に乗ることなど初めてだ。思った以上に揺れを感じるが、ミツキとコウタは疲れてしまったのか、1枚の毛布を共有して寝息を立てていた。アカリは寝ずに子供達を見守っていたようだ。


「アドラスさんは、悪い人じゃないだろう。とりあえずは信用してもいいと思う」


 先ほどの会話の感想を吐露しながら、カズキはアカリの隣に座る。


「お前も疲れたなら、少し休んでおいた方がいいぞ」


「うん、ありがとう。でも、とても眠れる心境じゃないわ。私達、これからどうなるのかしら?」


「それだがな……」


 不安がるアカリに、先ほどアドラスから持ち掛けられた話をする。


 当面の間は、彼に雇われる形で良ければ家族4人まるごと面倒を見てくれるとのことだ。


「おまけに給料も払ってくれるし、それで将来的にお金が貯まれば、住居の世話をしても良いって話だ」


「すごぉい。アドラスさんって、とっても良い方なのね」


 いくら負い目があるからといって、見ず知らずの相手にここまでお節介を焼いてくるのは、いささか不自然と感じるのが普通だ。しかしどこか能天気なアカリのその反応が、今のカズキにとっては逆に安らぎに感じられた。


「いや、あの人は生粋の商売人だよ。さっき、ミツキが化物を退治した不思議な力があっただろう? 冗談みたいな話だけど、あれは本当に魔法――アドラスさんは魔術って言ってたけど、そういうものらしい」


 そして、この世界ではその魔術を使える人間は極めて希少であるということ。その人間を雇えるのであれば、家族4人を養う程度のペイは簡単に出来てしまうようである。


「……それって、ミツキに何かさせるってこと? 何をさせられるの?」


 そこまで聞いたらさすがに胡散臭さを感じたアカリは、警戒心をあらわにした声で聞いてくる。カズキは苦笑しながら首を振ると


「魔術の使い手――魔術師っていうらしいが――使い方は色々とあるみたいだ。ただ、具体的なことは何も」


「いくら生活のためって言っても、ミツキに危ないこととか犯罪みたいなことをやらせるのは反対よ」


「それは、俺も同じだ」


 強い口調で言ってくるアカリに、カズキが即答すると、アカリは少し安堵したようなため息を漏らした。


「具体的なところは、俺もアドラスさんも曖昧にしてある。でも俺からは、娘を危ない目に合わせることは絶対にあり得ないと、何度も念押しした。それで最悪、俺がアドラスさんの丁稚奉公でも何でもするって話して、どうにか納得してもらえた。とりあえずは、この世界のことを知るまでは、それで何とかなりそうだ」


「そう。良かった」


 そこまで説明して、ようやくアカリは柔らかい笑みを浮かべてくれた。そして側で眠る娘と息子の髪を、愛おしそうに撫でる。


「貴方こそ、少し休んだら? ずっと気を張ってばかりで疲れたでしょう?」


「――ああ」


 妻から優しい言葉を掛けられたカズキは、そのまま馬車内の壁に体重を預けて目を瞑る。


 この世界で目を覚まして、思いがけない家族との再会、怪物の襲撃、アドラスとの出会いーーこの僅か数時間で、カズキが日本で生きてきた人生よりも濃いくらいの出来事だった。身体も心も疲れ果てていた。


 当面の間とはいえ、とりあえず生活の目途が立ったことで、張り詰めていたカズキの心は徐々に弛緩していくが、すぐに眠りに入れる程までリラックスは出来なかった。


 10分余り、カズキは無言のまま目を瞑っていた。揺れる音だけが馬車内に響く中、眠れそうもないカズキは、静かに口を開く。


「俺は、良い父親では無かったのかもな」


 それはアカリに語りかけたというよりは、カズキが自問自答しているような口調だった。じっと子供達を見つめていたアカリは、そのカズキの言葉に反応するように、顔を向けてくる。


「何かあったの?」


「……」


 これまでは驚きの連続で考える暇がなかった。しかしこうして少し落ち着いて考える余裕が出てくると、どうしても思い出してしまう。


 死に瀕したあの極限の状況の中で知った、娘の本当の気持ちを。


 自分が愛しており、相手からも愛されていたと思っていたからこそ、あのミツキの告白はカズキにとっては絶望以外の何物でもない。思い出すだけで胸が抉られて、胃がキリキリと痛み、強烈な嘔気に見舞われ、全身がガタガタと震える。


 それでも、その辛すぎる想いを自分1人だけで抱え込めるほど、カズキは強い人間では無かった。


 そんな絶望と恐怖に震えるカズキの手に、そっとアカリの暖かい手が添えられる。


「大丈夫よ、大丈夫。貴方がこれまで、私たちのためにどれだけ頑張ってくれたのか、私は知っているわ」


 そんな、カズキの胸に沁み込むような言葉。アカリの暖かい優しい気持ちが、添えられた手を通してカズキの心に沁み込んでくるようだった。


「貴方が話したいと思うなら、何でも聞くわ。でも辛いなら無理して話さなくてもいいからね。どっちにしろ、私はずっと貴方の側にいるから、だから安心して」


「アカリ……」


 本当に、出来た妻だ。


 出会ってから今日まで、アカリがいたからカズキは頑張ってこれたのだ。


 勿論日本にいたころから妻へ感謝はしていたが、今ほどに妻を愛おしいと思ったことはない。それでも、それはアカリが今まで自分を支えてくれていたものに比べれば、足りないくらいだろう。


 カズキは添えられたアカリの手を力強く、それでいて優しく握り返す。


「実は――」


 そうして、カズキは思い出したくもない、あの最悪の出来事をアカリに告白する。


 自分なりにミツキを愛していたこと、しかしその愛は独りよがりで届いていなかったこと、ミツキにその現実を突きつけられたこと――


 目に涙を滲ませ、声も身体も震わせて、何度も途切れ途切れになりながら、懸命にその辛い思いを吐露するカズキの話を、アカリはうんうんと何度もうなずいて、ただ黙って聞いてくれていた。


「――まず、安心して」


 カズキが全てを話し終えた後、アカリは優し気な声でカズキに笑いかけた。


「ミツキも貴方のことを愛しているわ。間違いない」


「どうして、そんなことが言える? あいつは……ミツキは俺のことが嫌いだと、はっきり口にしたんだ」


 それは自分のその言葉を否定して欲しいがあまり、詰め寄るような口調になってしまう。アカリはそれを分かっていたのか、自信満々に笑いながら答える。


「だって、あの怪物に襲われた時、真っ先に貴方を助けたのはミツキよ? 本当に大嫌いな相手だったら、咄嗟に助けるなんて出来ないでしょう?


「――あ」


 それは説得力のある言葉だった。


 あの場で、おそらく誰よりも恐怖していたのはミツキだったに違いない。それでも、父を助けようと思ったからこそ、あの魔術とやらを発動出来たのではないか。


「でも、それは前提だとしても、その時にミツキが貴方に言った気持ちも嘘じゃないと思う。――でもね、人間って、他人のことを好きか嫌いかのどっちかだけに分けられる程単純じゃないわ。分かるでしょう?」


「ああ……」


 諭すようなアカリの言葉には、やはり説得力がある。いつもは父親らしく堂々としているカズキが、珍しく小さくなっているのを見て、アカリはクスリとほほ笑む。


「俺がミツキのことを想って……ミツキのためにと考えてやってきたことは、結局全部間違っていたってことか。でも、俺はミツキが幸せになれると、本気でそう思っていたんだ。なら俺は、これからどうすればいいんだ?」


 弱弱しい表情になり、まるで助けを求めるようなカズキの言葉だった。そんなカズキを、アカリは安易に励ましたりも、厳しく突き放したりもしない。


 柔らかい微笑を浮かべたまま、逆に問い返す。


「あなたは、どうしたいの?」


 聞かれて、カズキは一瞬言葉を失う。


 何をしたいのかと問われれば、家族を幸せにしたい。


 妻を持ち、子を授かってから、カズキの人生は全てそのためだった。


 仮に本当に日本での人生が終わってしまい、今この新しい世界に生まれ変わったのだとしても、その想いだけは変わらない。外見が変わっても自分が峰晴和輝であり、他の家族も変わっていないというのなら、そのカズキの想いは絶対不変のものだ。


 ――でも、本当は少し違う。


 家族を幸せにしたいという気持ちは本当。


 それに加えて、自分だって幸せになりたい。


 家族に、娘に愛されたい。


 それは人として、父親として当たり前過ぎる想いだ。


「俺は……」


 どうすればいいのだろうか。


 家族と自分が幸せになるために、何をすればいい? 何をしたい?


 そんなことは明確な答えがある問いではない。アカリにだって、誰にだって分からないだろう。分からないからこそ、人はそれぞれ悩み苦しみながら、それでも頑張って生きているのだ。


 カズキだってそうだった。


 だけど失敗をした。取り返しのつかない失敗を。カズキの想いは娘に届いていなかったのだ。


 だから、何をしたいのかと問われれば


「俺はこの世界で、もう1度ミツキと……家族とやり直したい」


「――うん」


 気づけば涙がボロボロとあふれ出ていた。震える声で、絞り出すように言ったその言葉を聞いてうなずくアカリは、やはり笑顔のままだった。


「よく分からないが、こうやってチャンスをもらえたなら……俺はもう1回やり直したい。この世界での第2の人生を、家族に――ミツキに人生を捧げたい」


 これは絶対に譲れないカズキの大切な想い。


 その想いを受け止めたアカリは、優しくカズキの手に自分の手を添える。


「私も協力するわ。一緒に頑張りましょう」


「――でも、どうすればいい? 俺は……ミツキとどう接していけばいいかが分からない」


「それも一緒に考えていきましょう。だから、約束して欲しいこと2つがあるの」


「?」


 涙を流しながらカズキが首を傾げながら言うと、ミツキは指を立てて言う。


「1つ。子供達の話はよく聞いてあげて」


 揺れる馬車の中、ミツキが僅かに声を漏らす。起きたわけではないようで、そのまま再び寝息を立て始める。


「貴方の子供達を想う気持ちは大切にして欲しいの。でも、幸せを決めつけないで。人の幸せは、人それぞれだと思うの。それは家族であっても違うものだと思うから。だから、まずは子供達が、ミツキ達が何をしたいのか話をよく聞いてあげて欲しいの。あなたが想う幸せがあっても良い。でも、それを子供達に押し付けないで」


 表情も口調も柔らかかったが、その言葉はカズキを静かに弾劾する鋭さもあった。その言葉は、はカズキの胸に突き刺さる。しかし他人から言われれば、ごく当然のことだ。どうして自分で気づくことが出来なかったのだろうか。


「2つ。子供達を信じてあげて」


 それは、1つ目の約束を言うよりも少しばかり強い口調のような気がした。


「ミツキと衝突することを怖がらないで。あの娘のやりたいことや考えていることをしっかり聞いてあげて、その上で貴方が考える幸せとぶつかるようだったら、ちゃんと喧嘩して。嫌われるのが怖いからって、娘から逃げないで。怖がらなくて大丈夫よ。どんなに大喧嘩したって、ミツキはきっと貴方の愛を分かっている。あなたを嫌うようなこと、するはずがないわ」


 それは、ついさっきミツキ自身が行動で証明したことだった。


 この世界に来る直前に、あれだけ決定的に決別したはずだったのに。あの怪物に襲われて誰よりも怖がっていたミツキが不思議な力でカズキを助けたのだ。


 そのことが、アカリの言葉の正しさを証明している。


「――分かった。肝に命じる。頑張ってみる」


「うん」


 そうして、アカリはまた微笑みながらうなずいて、夫の髪を優しく撫でる。


「まだ分からないことだらけだけど、皆で頑張りましょう。貴方ならきっとやり直せるから大丈夫。どれだけ私達を想ってくれていたのか、私は分かっているよ」


「ああ……ああ。ありがとう、アカリ」


 優しいアカリの言葉に、涙が止まらなくなるカズキ。うなずきながら、何度も何度も感謝を伝える。


 今までは見たことがない、だけれども優しい夫の本質でもあるそんな一面を見て、アカリは、ふとつぶやく。


「ひょっとしたら、貴方がやり直したいという気持ちを、神様が叶えて下さったのかもしれないわね」


 荷台の中にある小さな窓から伺える外の世界は、いつの間にか暗闇に包まれていた。


 電灯などの人工的な光など全くない、月明かりだけが頼りの夜の道を馬車は行く。


 暗くて先が見えにくい、だけれども一筋の淡い月明かりが僅かにその行く先を照らしている。


 それは、この世界でこれから始まるカズキ一家の先を象徴しているような風景だった。


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 そうして1年、カズキ一家は街の中に住居を立てて、独力で生計を立てるまでに至っていた。


 僥倖だったのは、魔術の才能があったのがミツキだけでは無かったことだ。家族の全員が魔術を行使することが出来たことだった。


 この世界において、魔術はモンスター退治における有用な手段であり、アドラスから聞いた通り使える者は希少であるのは間違いないようだった。少なくとも、今カズキ達が住んでいる街に、他に使える人間は知らない。


 モンスターを退治できる力があれば、いくらでも働き口はあった。アドラスが所属していたキャラバンのような団体の護衛だったり、モンスターを狩って手に入れた素材を売ったりといった具合に。それらの仕事は危険が高い分だけ、稼ぎも良かった。


 最初はアドラスに仕事を紹介してもらうなど、全面的な世話をしてもらう中で、貯蓄を溜めて人脈を築いていき、遂に街中の中古住宅の一軒家を購入すること出来たのだった。


 今カズキ達が住んでいる街の名はナディールと言い、アドラスが商業活動の本拠地としている場所だった。


「お代わりは?」


 お茶を飲みほしたカズキに、アカリが聞いてくる。カズキは「いや」と短く答えてから


「今日は、またこれから商業ギルド本部に行かないといけない。やっとギルドへの加入を認めてもらえそうなんだ」


 カズキが今考えていることは、生計を立てる手段を、護衛やモンスター退治といった物騒なものから、物を売買する安全な商人へとシフトすることだった。


 その両者では、とにかく安全面について比較にならない。


 そもそも危険な仕事である前者を選んでいたのは、今までは他に選択肢が無かったからだ。しかし今は違う。築いてきた人脈や信用など商売を始める財政的な基盤が整い、商売を行う下地が出来上がったのだ。


 そうなれば、大切な子供達を巻き込みながらモンスターを仕留める仕事など、早々に離れたい。もっと安全で確実な仕事で、家族を養っていきたいと思っていた。


「そうなんだ。無事にギルドに入れるといいわね」


 そのために、モンスター退治と両立しながら必死に努力を重ねてきたカズキの姿を見てきてアカリも嬉しそうに微笑む。


「いやー! 今日のモンスターも強かったよ。お父さんも一緒に来ればよかったのに」


 ――と、手洗いと傷の手当てを終えてリビングに戻ってきたのはコウタだった。その後にはミツキも続いて入ってくる。


「また怪我をして……あんまり無理はしないでくれよ。頼むから」


「大丈夫だって! でもさ、姉ちゃんはやっぱりすっごい強くてさ! 氷の魔法も使えるようになったんだよ! 俺は相変わらず炎の魔法しか使えないのに、姉ちゃんばっかりずるいなー」


 興奮した様子で、唇を尖らせながらもどこか嬉しそうに言うコウタ。


 コウタは、自分にも魔術が使えると分かってからは、常にこんな調子だった。


 今まではどちらかというと内向的な性格だったが、この世界で魔術の才能に目覚めると、積極的にモンスターを退治しに行ったり、色々な場所へ冒険と称して出向いていたりと、非常に活発的になった。家でゲームばかりしていた日本での生活の時とは打って変わって、充実した顔を見せている。


「コウタは無防備に突っ込み過ぎなんだよ。結果的に仕留められたからよかったけど、最後のドスドドンガは無理して追いかける必要なかったよ。こんな調子じゃ、もうしばらく1人で森には行かせられないから」


「えー、なんでだよー」


 姉らしく弟の行為を諫めるミツキの言葉から、どんな様子だったのかが何となく察せられる。カズキはその兄妹の様子を見ながら、苦笑するのだった。


「さて。それじゃ、俺はそろそろ出かけるよ」


「あら。もっとゆっくりしてから行けばいいのに」


 カズキは椅子から立ち上がると、玄関の方へ歩いていく。


「あ、待って。お父さん」


 そのまま出かけようとしたカズキに声を掛けたのはミツキだった。リビングを出ようとしていたカズキは呼び止められて振り向くと、ミツキが足早に近づいてきて。


「商業ギルドに行くんでしょ。私も一緒についていくよ」


 □■□■


 都会であるナディールの街は、昼下がりのその時間帯、通りは多くの人々が行き交っていた。そんな人波の中、カズキとミツキは並んで歩いていた。


「――どうだ、この世界は」


 振り返れば、こうして親娘2人きりという時間は、この世界に来てからは初めてかもしれない。なんとなく会話に窮したカズキが、おもむろに聞いてみる。


「日本の生活とは全然違うけど……うん、楽しいよ。向こうの友達と会えないのは、ちょっと寂しいけど」


 その言葉通り、ミツキは少し寂寥感を滲ませた笑みを浮かべると、カズキは「そうか」とだけ返す。


 カズキとミツキの間で、日本でのあの最期の場面は、暗黙の内に無かったことになっていた。カズキとしても無理にそれを掘り起こすことは、お互いの傷を抉るだけなので不要だと思っており、それをどうこうしようとは思わない。


 ただ、どうしても2人の間に、ぎこちなさは残る。


 自分がミツキにどう接していいか分からないのと同様、ああして秘めていた想いを死ぬ間際に吐いてしまったミツキも迷っているように感じる。


 その気まずさは、耐え難い程に苦しく辛いものではない。しかし、真綿で首を絞められるように、ジワジワとカズキの胸を締め付けてくる。


 この世界で、もう1度人生をやり直す。第2の人生を娘のために捧げると誓ったカズキは、常々このままではいけないと思いつつも、ずっと一歩を踏み出せないでいた。


『1つ。子供達の話はよく聞いてあげて』


 子供達のために生きると決めた時に、アカリと交わした約束の1つ。


 この世界に来てから1年が経つが、果たして自分はそれを果たせているのだろうか。


「モンスター退治は……楽しいか?」


 その踏み出せなかった一歩を、カズキは踏み出す。


 ミツキもコウタも、それに充実感を見出しているのは明らかだ。


 コウタなどは、夢見ていたゲームの世界の主人公になったような、そんな気分なのだろう。まだ幼いが故に、その気持ちは単純で分かり易い。


 しかし、ミツキの場合はどうだろうか。


 ゲームに没頭していたわけでもないし、今年で16歳という、もう幼いとは言えないくらいの年齢だった。コウタのように、単純に憧れていた世界に来て舞い上がっているというわけではないだろう。


 カズキからすれば、子供達がモンスター退治などの危ない仕事に手を出すのは絶対に反対だ。日本であれば絶対にやらせるはずもなく、無理やりにでも抑えつけていただろう。


 しかし、モンスター退治で生計を立てていくにはミツキの力がどうしても必要だという切迫した事情があった。


 魔術はカズキやコウタもアカリも使えるのだが、何故だかミツキだけその才能がずば抜けていたのだ。危険なモンスターを安全に退治するには、そんなミツキの才能が無くてはならなかったのだ。


 とはいえ、いくらミツキが魔術に関して才能があるといっても、人間を襲うモンスターと戦うこと自体が危険であることは変わりない。娘をそんな危険に晒すことは、カズキは父親として絶対反対だったが、これまではなし崩し的に認めざるを得なかった。


 しかし、経済的な事情は解消しつつある。今は無理にミツキが危険なモンスター退治に関わらなくても、充分に家族一家で暮らしていけるのだ。だから、カズキがその気になれば、無理やり止めさせることも可能だ。


『あなたの考える幸せを、子供達に押し付けないで』


 もう1度娘とやり直すため、どうすれば娘のために自分の人生をやり直せるのか、それを相談したアカリとの約束。


『子供達の話をよく聞いてあげて』


 それを履行するため、1年が経ってようやくカズキは1歩を踏みだした。


 モンスター退治が楽しいのか――そんなカズキに問いに、ミツキは


「そう、だね……別にモンスター退治はそんなに楽しいってわけじゃないよ。でも、コウタを放っとくわけにはいかないし」


 口元に手を当てて答えるミツキは、そのまま横に並んで歩く父親に顔を向けると、少し照れたような笑みを浮かべて


「モンスターを退治するよりは、それが街のみんなのためになることが嬉しいかな。正直、モンスターと戦っていて怖いって思う時もあるよ。でも、私の力が少しでも他の人の役に立ってるって思うと頑張れるの」


「……」


 笑顔でそう言う娘の顔は、日本でカズキが見たことのないような、とても明るく眩しい笑顔だった。


 それは、テストで良い点を取った時や希望校に合格した時の笑顔とは全く違う。


 それがミツキの心の底からの本当の笑顔だと、カズキは何の根拠もなく、そんなことを感じた。


 そんな娘の笑顔を見ていると


(やっぱり……俺が間違っていたのか……?)


 大事な子供が危険な事をして欲しくないというのは、当然だろう。


 でも、それはカズキが願う子供の幸せであり、当の本人であるミツキはどう思っているのか。


 危険なことであっても、それが人のためならば、ミツキはこんな笑顔が出来るのだ。この笑顔を見ていたら、カズキはミツキが幸せでないなどと思えない。


 カズキがして欲しくないと願っていることをしているのに、それでもミツキはこんなに幸せそうな顔をしているのだ。


「ミツキは……商売にはあまり興味無いのか?」


 ふと、カズキはそんなことを聞いてみる。


 出来れば、カズキは子供達にはモンスター退治など、魔術師としての力を必要とする危険な仕事に関わることからは身を引いて欲しい。別に自分と同じ商人でなくてもいい――例えば、この街にもある学習塾へ通って王宮官僚を目指す選択肢だってある――が、安全な仕事に鞍替えして欲しいとは思う。


「そうだね。興味はあるかな」


 ミツキの返事は、カズキとしては少し意外なものだった。驚いたように娘を見返して、その続きを聞く。


「お父さんが頑張ってるの分かってるから、どんな仕事なのか知りたいなって思っていたの。だから、今日も付いてきたんだよ。アドラスさんとか見ていても、商人だって必要としている人に必要としているものを届けるための大事な仕事だもんね。興味あるよ」


 笑いながらそう言うミツキを見て、カズキは何となく察した。


 その言葉は決しては嘘ではないだろう。商人と言う仕事に興味があることは間違いないが、今のところはモンスター退治を止めるつもりは無いに違いない。


 それでもこうして言ってくれているのは、カズキがミツキの心の内を察しているように、ミツキもカズキの心の内を察しているのだ。


 ミツキにも自分と同じように、モンスター退治から手を引いて、安全な商人という仕事に就いて欲しい。そんな父親の想いを理解しているからこそ、ミツキからも歩み寄ってくれているのではないだろうか。


 それは多分、日本でのあの最期の場面を後悔しているのは、カズキだけではないのだ。ミツキも同様に、あの最期の言葉を後悔して今も胸を痛めているのではないか。


(もし、ミツキもそう思ってくれているなら)


 やり直せるのではないか。


 アカリとの約束通り、今度は必ず子供達の話を聞く。自分の幸せを押し付けない。


 ミツキのこの幸せそうな顔を見たら、それは出来そうな気がする。だから今度こそ、ミツキと分かり合うことが出来て、この想いが届くのではないだろうか。


 こうして、娘からも歩み寄ってくれている。それなら、この世界では絶対にやり直して見せる。


「あのな、ミツ――」


「カ、カ……カズキさん! 大変だぁぁぁ!」


 その決心を固めてミツキに話しかけようとしたカズキの言葉を遮ったのは、よく聞き覚えのある男――アドラスだった。


 アドラスは迷惑そうにしている人波を必死にかき分けながら、カズキ親娘の前に慌てて駆け込んでくる。


「はぁ……はぁ……」


「ど、どうしたんですかアドラスさん?」


 膝に手をついて苦しそうに喘ぐアドラスに、ミツキが心配そうに声を掛けると、バッと顔を上げてアドラスは縋り付いてきた。


「む、娘が人攫いに攫われたんだ! 助けてくれっ!」


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 アドラスには、彼が妻と死別して以来手塩にかけて大切に育ててきた娘がいることを、カズキは知っていた。その娘はミツキと同年代であり、アドラスと家族ぐるみで仲を深めることが出来たのは、その娘の存在もあったからだろう。


 彼の娘の名はスイレンという。


 スイレンはこの世界に来て不安だらけだったミツキと仲良くしてくれて、この世界でお互い親友となった間柄だ。


「待て、ミツキ! 衛兵に任せるんだ!」


「そんなの待ってられないよ!」


 大通りの人波の中、大声で言葉をぶつけ合うカズキとミツキ。


「カズキさん、私からも頼むよ。どうかミツキちゃんを……」


「ダメに決まっているだろう!」


 思わずカズキが唾を飛ばしながら言うと、アドラスは珍しく小さくなって顔をうつむかせる。


 スイレンが誘拐されたというのは、最近巷を騒がしている凶悪な盗賊団らしい。王都からわざわざ指名手配されている程の極悪集団で、密輸・違法薬物・人身売買など、この国で禁止されているあらゆる犯罪に手を出して、クライトストス王国全土の治安を脅かしている悪党である。


「どうしてミツキが行かないといけない? 友達が大切なのは分かるが、そんなことは国の責任だ。そのために俺達平民は税を納めているんだぞ!」


「衛兵さんが来てくれるまで何日かかると思っているの? ここは日本じゃないんだよ! そんなことしている内に、スイレンがどこかに売られちゃう!」


「だからといって、お前みたいな小娘1人が行ったところで、犯罪者集団に何が出来るっていうんだ!」


 一歩も退かないで大喧嘩を始める親娘に、周りの注目をざわざわと集めてしまう。しかし今のカズキにはそれを気にしている暇はない。


「い、いやカズキさん。ミツキちゃんの魔術があれば、1人でも……」


「あんたは黙っててくれないか!」


 よりにもよって娘を危険な場所へ行かせようとするとは、とんでもない奴だ。アドラスには返そうと思っても返せないくらいの大恩があるのだが、どうしても口調が荒々しくなってしまう。


 せっかく、たった今家族と……娘と幸せな人生をやり直せるのではないかと思ったところなのに、またこんな所で大切な娘を失うかもしれないなど、有り得ない!


 今のカズキは完全に頭に血が昇っていた。


「――お父さんは、やっぱり何も分かってない……」


「なんだと?」


 いくら言葉を掛けても通じ合えない2人――やがて、ミツキが目に涙を溜めて、小さな声で言葉を紡ぎ始めた。


「私はお父さんの人形じゃない……!」


「っ!」


 その言葉を残して、ミツキはそのまま走り去っていった。


 目の前から遠ざかっているミツキの背を、カズキは追えなかった。


「カ、カズキさん……すまん……でも、スイレンはワシの大切な娘なんだ。な、な~に、ミツキちゃん程強ければ大丈夫。きっと無事に帰ってくるさ」


 下手をすれば殴られかねない発言をするアドラスだったが、カズキは茫然とするだけで、アドラスへは何の反応も返せなかった。


「カズキさん……?」


 ボーっと突っ立ったままのカズキを不思議そうに見るアドラスだったが、やはりカズキは何の反応も見せない。ただ焦点の合わない瞳で、娘が去って行った方向を見つめているだけだ。


 そんなカズキの胸には、ぽっかりと空洞が開いたような、取り返しのつかないミスを犯してしまったという後悔にも似た念が渦巻いていた。


(俺は……またやっちまったのか)


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「うっ……ううっ……」


 人ごみを器用にかき分けながら、ミツキは大通りを掛けていた。


(私、馬鹿だ……お父さんの気持ち、分かってるのに。やっぱり私は、どうしようもない子供だ)


 溢れる涙を手の甲で拭いながら、それでもミツキは足を止めることなく走り続ける。


 日本でのあの最期の言葉――誰よりも後悔していたのはミツキ自身だった。


 あの時に父に言い放った言葉が嘘だということではない。でも、いくらあんな死が目前の状況だからといって……いや、違う。あんな状況だからこそ、決して言ってはいけない言葉だったのだ。


 父は自分を想ってくれているのだ。決して憎くて厳しくしていたわけじゃないことは、ミツキにも分かっていた。


 それを分かっていたくせに。だから言ってはいけない言葉だった。でも堪え切れずに、あの時は言ってしまった。


 ――凄く後悔した。言葉を取り消したかった。もう1度父とやり直したいと願った。


 そうしたら、何の因果か分からないけど、この不思議な世界で父や他の家族と再会できた。


 これは、ひょっとしたら私の願いを神様が叶えてくれたのかもしれない。やり直す機会を神様がくれたのかもしれない。


 ミツキは、そう考えることにした。


 だから、この世界では上辺だけでない絆をーー自分も父も、お互いの本当の気持ちをぶつけ合って、今度こそ本当の絆を紡げるよう頑張ってきたつもりだ。


 さすがにあれだけ最悪の言葉を発してしまった気まずさは根強く残った。父も自分も、あの時のことを言葉にすることが出来ず、お互いなんとなく気まずいまま時が過ぎて行った。


 でも、父は少し変わっていた。


 この世界での生活が大変だということもあったが、日本の時とは違い、自分のことを見守るようになってくれていた。娘と関わりたくないという不干渉ではなく、自分のことを知ろうとするように、ただ黙って見守ってくれていた。それは以前の父には無かった姿だ。


 自意識過剰かもしれないが、父も自分のために変わろうとしているのかもしれないと思った。


 ――それならば、私も変わらないと。


 自分のやりたいことを主張するだけの子供のままでいるのではなく、父とちゃんと話し合おう。自分のやりたいことを我慢するのではなく、きちんと言葉にして伝えよう。私も、父の想いを言葉にしてもらって、それをしっかり受け取ろう。


 そう思ったからこそ、ミツキは商業ギルドへ行くカズキへ付いて行ったのだ。


 そういえば、父は何で私に商人の道を進めるんだろう? モンスター退治が危険だからして欲しくないのは分かるけど、商人は何か面白いことあるのかな? 確かに、必要な人のために物を売るっていう仕事も人のためだもんね。そういえば、今日商業ギルドへ登録に行くって言ってたし、付いて行ってみようかな。


 ――気まずい中でも、お互いに歩み寄り、分かり合おうとしていた。それが2人共分かっていたから、だからこの世界ではお互いやり直せると思った。


 その矢先から、これだ。


(お父さんの想いを台無しにして……私は、馬鹿だ)


 ミツキはふと足を止める。そして後から後から流れてくる涙を、腕でごしごしとふき取ってから、顔を上げる。


 その目は腫れて赤くなっていたが、不安や悲しさといった弱さは消えていた。


 変わりに、その赤い眼に現れていたのは強い決意の光。


 ミツキは両手で自分の顔をパンとはたく。


「でも、それとこれとは別だ。スイレンは私の大切な友達なんだから。絶対に助けてみせるよ」


 目を細めて鋭くするミツキは、静かな闘志を込めた声でつぶやくと、真っ直ぐ下ろした右手に意識を集中させる。


(……大丈夫。モンスター狩りから帰ってきたばかりだけど、魔力は充分残っている)


 それを確かめるため、右手に魔力を込めると、小さな火が生み出される。ミツキはそれが分かると、すぐに開いていた手を閉じてその火を消す。


「待っててね、スイレン!」


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 ナディールの街から少し離れた森林の中に洞穴があった。


 ドゥルー盗賊団はその洞穴をアジトとしながら、クライトストス王国全域で非法行為を行う犯罪者集団だった。


 そのアジトの最奥、広間になっている空間で10人余りの男たちが酒盛りをしていた。


「がはははは! 今回は楽勝だったなぁ!」


 その中のリーダー格であろう、髭を生やした男が酒を煽りながら笑っていた。


「商人ってのは本当にケチだねー! こんな治安が悪いご時世に、護衛も雇わずに移動するなんてよー。おかげで、がっぽり儲からせてもらったぜ」


「奴らも俺らのおかげで教訓になったんじゃねえですかぁ? そういう所の経費をケチったら、碌なことにならねぇって」


「それじゃ、今回いただいたのは正当な授業料ってわけだな」


「ちげぇねえ。ま、少々高くついたがな」


 そんなことを言いながら、男達は全員が再び下品な笑い声を上げている。


 彼らが酒盛りをしている広間の角の方には、商隊から強奪していきた多くの交易品などが所狭しと置かれていた。


 そしてその側には、更に奥まった空間があり鉄格子で区切られていた。その狭い空間には、まるで押し込まれるように20人余りの少女たちが押し込まれるようにして入っており、鉄格子越しに男達の酒盛りを怯えながら見ていた。


 彼女らは泣いている者もいれば、隅で蹲って震えている者、号泣している者、死んだ目でグッタリしている者などがいて、絶望そのものの光景だった。


「お父さん……助けて……助けて。いやだよぉ」


 そんな中、アドラスの娘スイレンは、膝を抱えていて泣き崩れていた。


 彼女らの中には鉄格子に手を掛けて、酒盛りをしている盗賊達に必死に命乞いをしている少女らもいたが、盗賊達が聞き入れるはずもない。あまりしつこいと、酒瓶を投げつけられるだけだ。


 ここに攫われた少女たちの行く末は決まっている。


 変態性癖を持つ貴族、臓器販売、人体実験、見世物小屋、或いはこれら以外のところへの人身売買。どこに売られるにしろ、もう二度と人間扱いをされることはないだろう。未来に待つのは辛くて悲惨な人生だということは、疑いようもなかった。


 この盗賊団は国も手を焼いている程の凶悪集団らしいので、スイレン達はもうおそらく助からないだろう。スイレンは、もう2度と会えない父親や友達のことを想いながら、絶望に涙を濡らすのだった。


 そんな中、突然盗賊達が酒盛りをしている場所に動きがあった。


「お、お頭ぁ……」


 出口の方で見張りをしていたのであろう男が、傷だらけになりながら酒盛りをしている場所へフラフラと入ってくると、そのまま倒れてしまうのだった。


 □■□■


 酒を飲んですっかり気分が上がっていた広場の盗賊達は、思わず言葉を失ってしまい、辺りはシンと静まってしまう。


「お、おい。どうした?」


 少ししてから、ようやく動き出す盗賊達。倒れたまま動かない男へ駆け寄って事情を聞き出そうとするが、その男はまともに喋ることも出来ない程疲弊しているようだった。


 その震える声で、何とか絞り出すように発せられた言葉は


「ま、魔術師が……」


「あぁん……? うおおおっ!」


 怪訝な声が驚愕に変わったと思うと、その男の身体がフワリと持ち上がるように浮かび上がると、そのまま吹き飛ばされると岩壁へめり込むように激突する。


「か、は……ぁ……」


 強烈な衝撃に、背中の骨が軋んで折れる感触を感じ、男はそのまま地面に倒れて、ぴくぴくと震える。


 何が起こったのか分からない一同は、その一連の出来事を、ただ息を飲んで無言で見つめていた。


「魔術……? 今のは風の魔法……? 人一人を吹き飛ばす風なんて、どんだけの野郎だよ?」


 誰もが動けない中で、リーダー格の男だけが何とか状況を分析する。


 魔術師という極めて強力な戦闘力を有する敵の存在を把握し、途端に盗賊達は酔いが冷めると、今度は動揺して混乱し始める。


「なに? 何が起こっているの?」


 どよめいているのは少女達が入れられている空間でも同じだった。


 そこからでは何が起こっているのか分からないが、盗賊達のただならぬ様子に、少女たちも怯えながら成り行きを見守っている。


「……ぁ。お。お頭ぁ……」


 そんな中、1人の盗賊が入口の方を指さすと、腰を抜かして地面に尻を就く。


「ああ? なんだよ?」


 不機嫌そうに答えるリーダー格の男が、その盗賊が指で指し示す先へ目を凝らす。


 そこは、広間から出入り口へと向かう通路である。松明がある広間とは違い、通路は真っ暗であり、そこに何があるのかは非常に見にくい。リーダー格の男は、眼を細めてよく観察すると――


 暗闇の中に、赤く輝く2つの瞳が浮かび上がる。


「っひ!」


 反射的にリーダー格の男が短い悲鳴を上げた直後、2本の炎の矢が飛んでくる。するとそのリーダー格の側にいた盗賊2人が、肩を射抜かれる。


「ぎゃあああっ! いてえっ! いてえよおっ!」


「あちちちちっ! 消してくれ! 誰か、この火を消してくれえっ!」


 射抜かれた箇所からは炎が燃え上がり、その2人は地面を転げまわりながら悶絶する。そのあまりに唐突な展開に、残された盗賊達はまともに対応することが出来ないでいた。


「スイレンっ! どこ? スイレンっ!」


 響いてくるのは、まだ幼さすら感じる少女の声だった。


 そして通路から広間に入ってきたのは、銀髪赤眼の少女――ミツキだった。


「な、なんだてめえはっ!」


 ようやく正体が確認できた――それは年端のいかない少女あった――ことで、盗賊達はいくばくか冷静さを取り戻したようである。


 各々が武器を構えてミツキを取り囲むようにする。


 盗賊達は、まだ10人以上は残っている。


 ミツキ1人に対して10倍以上の人数差――しかしミツキはそんなことなど気にする様子もなく、キョロキョロと慌てた様子で辺りを確認していると、鉄格子の向こう、少女たちが押し込められている場所に気づく。


「スイレンっ? そこにいるの? 私だよ! ミツキだよ! いたら返事して!」


「ミツキっ?」


 聞きなれた友人の声が聞こえると、その中にいたスイレンは、周りの少女たちをかき分けて鉄格子まで駆け寄る。そしてその鉄格子に手をかけると、その先に銀髪に赤い眼をした友人の姿を確認することが出来た。


「スイレンっ……良かった。怪我とかない? 大丈夫?」


「ミ、ミツキぃ……」


 友人が助けてくれたことで安心したのか、先ほどまでとは違う意味の涙がポロポロと零れるスイレン。そんな無事なスイレンの姿を見て、ミツキもホッと安心の吐息を漏らす。


「へっ、魔術師ったってガキじゃねえか。てめえら、こいつもとっ捕まえろ。魔術師の上、見た目も悪くねえ。銀髪に赤眼なんて珍しい外見――こいつぁ、高く売れそうだな」


 正体が知れた所で、リーダー格の男には余裕が出てきたようである。油断さえしなければ仕留められる自信もあるのだろ。濁った眼でミツキを見てくると、ミツキもスイレンからその男へ視線を滑らせて睨みつける。


「スイレンは私の大切な友達なの! 返して! 他の人達も、盗んだ物も全部!」


「うるせえな。良い子ちゃんかよ」


 ミツキの怒りを込めた正論を、耳を穿りながら笑い飛ばすリーダー格の男。その態度にミツキは唇を引き締めて、更に怒りをあらわにする。


 突如、そんなミツキの背後から、盗賊団の1人が短剣で斬りかかってくる。完全にミツキと視界と意識の外からの不意を突いた攻撃だった。


「へっ、クソガキが」


 それで勝利を確信するリーダー格の男。


「ぎゃっ!」


 しかし、次に聞こえてきたのは盗賊の呻き声だった。


 ミツキは見ることすらせずに、斬りつけてこようとした盗賊の短剣を身を躱して避ける。そしてそのまま振り向くこともなく、流れるような動作で盗賊の顔面に肘を入れた後に強烈な回し蹴りを叩きこむ。


 ミツキの体術をくらった盗賊は、持っていた短剣を落とすと、そのまま地面に崩れ落ち、動けなくなる。


 その一瞬の流麗なるミツキの格闘術に、盗賊一同はあんぐりと口を開けた。


「スイレン達を出してっ! 速く! さもないと……っつ!?」


 ジリジリとリーダー格ににじり寄るミツキ。その彼女が、突然顔を苦痛にしかめる。


 左腕に鈍い痛みを感じると、そこには矢が刺さっていた。その矢が飛んできた方向を見ると、その先の盗賊が手にしている得物は弓であった。


(しまった……油断した……)


 痛みを抑えるように右手で左手を抑えるミツキ。


 傷自体はそんなに大したことは無い。これまでのモンスター退治で、もっと大怪我を負ったこともある。しかし痛みとは別に、脳が揺らされているような気持ち悪さと眩暈が襲ってくる。平衡感覚を失い、ミツキは思わず膝をついてしまう。


「これは……」


「はっ、粋がるなよクソガキが。その矢じりには、遅効性だが強力な麻痺毒を塗ってあるんだ」


 弓を放った盗賊がそう言うと、自分達の優勢を見て取った男達が、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべてミツキの包囲を狭めてくる。


「惜しかったなぁ、ヒーロー。いや、ヒロインかぁ? 残念だけど、ここで終いだ。ちょうどお前みたいな珍しい外見のガキが好みの変態親父がいるんだよ。お友達なんかよりも、高値で売りさばいてやるからよ」


「っく……!」


 眩暈がどんどんひどくなり、意識を手放しそうになってしまう。


 それでもミツキは、血が出る程に唇を噛み、その痛みで必死に意識を繋ぎ止める。そしてフラフラとしながら何とか立ち上がり、腰にぶら下げていたモンスター退治用の剣を抜く。


「絶対、助けるから! 待ってて、スイレン!」


 痛みにも恐怖にも震えることなく、ミツキは盗賊達へ猛然と斬りかかっていった。


 ▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼


 数時間後、ナディールの街の治安維持部隊が盗賊団のアジトを訪れていた。アジトとなっていた洞穴周辺では、衛兵たちが忙しそうに動き回っている。


「お父さんっ!」


「スイレンっ!」


 そんな中、衛兵達に連れられて洞穴の中から出てきたスイレンが、入り口でアドラスと抱き合って再会を喜び合っていた。その他の攫われた少女たちも、それぞれ生きて家族と再会できた喜びに涙していた。


「ミツキちゃん、ありがとう……本当にありがとうっ!」


 愛娘を抱きしめながら、アドラスはスイレンと一緒に洞穴から出てきたミツキに、何度も何度もお礼を重ねた。


 左腕に包帯を巻いたミツキの顔色は青白く、明らかに体調が悪そうだった。しかしミツキは努めて笑顔を作りながら、一緒になってアドラス親娘の再会を喜んでいると


「ミツキ……」


「お父さん……」


 衛兵達と一緒にカズキがやってきた。


 結果的には、盗賊団を一蹴したミツキだったが、決して無傷では済まなかった。一番の深手は左腕の矢傷だが、それ以外にも顔には殴られた後があるし、全身の至る箇所にも痛々しい生傷が見られる。


 本来なら10人だろうが20人だろうが、あの程度の相手なら魔術で圧倒出来るはずだった。しかし最初の不意打ちで毒を受けたが故に不利となり、ミツキが返り討ちにあってもおかしくはなかった。


「その……あの、ごめん……」


 幸いにも友人を助けることが出来たとはいえ、こうして傷だらけの自分の姿を見たら、父はどう思うだろうか。


(私、やっぱりダメな娘だ……)


 カズキの視線を受けて、ミツキは顔を歪ませる。友人を助けることが出来た嬉しさなど、とうに消え去っていた。


 友人を助けることに集中するためシャットダウンしていた感情――父親との確執による気まずさを思い出す。


 せっかくこの世界でやり直せると思っていたのに、また自分の子供じみた思いばかりを押し付けて、やってしまった。


 自分の身を挺しても友人を助けたという自分の行為が間違っているとは思わない。しかし、父の想いを無視してやって良いことではないだろう。更に、ミツキは絶対に言ってはいけなかった言葉をまた言ってしまったのだ。


 発してしまった言葉はもう無かったことには出来ない。


 ミツキは再び父を傷付けたことに後悔して、言葉を紡ぐことが出来なかった。


「本当にありがとうございます」


 そんな何も言えない親娘の間に、割り込むようにしてきたのは、アドラス親娘とは違う被害者の家族達だった。


「ありがとう、ありがとう。本当にありがとう」


 助けられた少女たちとその家族が、次々にミツキにお礼を言ってくる。ミツキが置かれている状況などお構いなしに、何度も何度も頭を下げてくるのだった。


「わ。わ。えっと……あの、えっと……その……あわわ」


 ミツキはどうしていいか分からず、しどろもどろになって、顔を赤くしながら慌てるばかりだった。


 □■□■


「……」


 カズキは、多くの人から感謝されているミツキを遠巻きにするように無言で見つめていた。


「この度は本当に助かりました。素晴らしいお嬢様をお持ちで」


 そんなカズキに話しかけてきたのは、この治安部隊を預かる若き隊長だ。年齢はカズキよりも年下で、20代前半の爽やかな甘いマスクをした茶髪の若者である。


 クリストファーという名の彼は王都の騎士団に所属しているらしく、ちょうど件の盗賊団の討伐任務のためにナディールの街に駐留していたとのこと。カズキらの通報に応じて、すぐに動き出してくれたのだった。


「いえ、とんでもない。むしろうちの愚女が勝手な真似をしてしまい、申し訳ございませんでした」


「こちらこそ、とんでもありませんよ。連中の動きは驚くくらい速いですからね。お嬢さんが先に動いてくれていなければ、確実に手遅れになっていました」


 どうやら、既にこの盗賊団と繋がりがある奴隷商団がこのアジトに向かって動き始めていたらしい。クリストファーはカズキらの通報を受け取ると、盗賊団と同時にその奴隷商団にも部隊を差し向けて、そちらの取締りにも成功したらしく、どうやらこのクリストファーという人物は相当に有能な人物のようだ。


「素晴らしいお嬢さんですね。いや、魔術師としても相当にレベルが高いですが、その力を他人のために使おうなんて、今時珍しい娘ですよ」


 カズキと一緒に、多くの人から感謝されているミツキの姿を見つめるクリストファーは、その爽やかな笑顔を浮かべながら言ってくる。


「私の立場で言うのもなんですが、貴族連中などは魔術が使えたとしても、その才能を自分のためにしか使わない、いけ好かない人間ばかりですからね。彼らが特権階級にあるのは、本来はお嬢さんのように力無き者を守るためだというのに……っと、いやはや失礼。愚痴っぽくなってしまいましたね」


「いえ……」


「本当に、お世辞などではなく素晴らしいお嬢さんだと思います。我々騎士も見習わなければいけませんね。今回の件は、きちんと私の口から陛下にも報告しておきます。このお嬢さんの行動で、王都の貴族連中も少しは変わればいいのですが」


 クリストファーはそこまで言うと「では」と言って仕事に戻っていった。


 そうして1人その場に立ったままのカズキは、まだお礼を言われ続けて困ったように慌てている娘の姿をずっと見ていた。


 照れながらも、そのミツキの顔は本当に嬉しそうだった。


 それは、やはり日本での生活では決して見ることが出来なかった娘の、心の底からの笑顔。父である自分の前では、絶対見せることの無かったものだ。


(ミツキの幸せ、か)


 話をよく聞くこと。信じること。


 アカリとした2つの約束。


 この世界での第2の人生を娘に捧げるための約束を、カズキは思い出す。


 □■□■


 それから数分して、ようやくミツキは解放された。


 父と対面すると、ミツキは相変わらず気まずそうな表情を浮かべて、何も言葉を発しない。


 そんな娘を、カズキが力強く抱きしめた。


「お、お父さんっ……?」


「馬鹿野郎っ……心配したぞ、本当にっ! そんな傷だらけになって……女なのに、傷が残ったらどうするんだ! お前は本当に大馬鹿娘だ! 親不孝ものだ!」


「ご、ごめんね……お父さん」


 どうやらミツキを抱きしめたカズキは泣いているようだった。


 しかしミツキはどことなく違和感があった。


 そうやってミツキを責めるような言葉を言うカズキだったが、日本の時のように叱責されているような感じはしなかったのだ。


 なんというか、ただ単純にカズキの想いをそのままぶつけられているような、そんな感じだ。


 申し訳ない気持ちにはなるものの、不思議と嫌な気分も反発も無かった。ただただ、申し訳ないだけだった。


「――でも、よくやったな」


 そして、一転して賞賛の言葉を発した父に、ミツキは驚いたように目を剥く。


 そんなミツキの両肩を掴み、カズキは涙で濡れた眼でミツキの眼を見つめる。


「皆から感謝されているお前を見ていたら、俺は思ったよ。ミツキは俺の自慢の娘なんだって」


 泣きながら、笑いながらそう言ってくる父の姿を見ていたら、何故かミツキもジワリと涙が溢れてきた。


「お前には危険な真似をして欲しくない。安全で平和な場所にいて欲しい。だけど、お前がそんな不思議な力を持ってこの世界に来たのは……たくさんの人を助けるためなのかもしれないな。お前がたくさんの人を助けたいって想いを、神様が多分叶えてくれたんだ」


「お、お父さん……」


 怒られると思っていた。責められて、もう二度と仲直りが出来ないと思っていた。父とはもう一生分かり合えることが無いと思っていた。


 だから、ミツキはそんなカズキの言葉に、涙とポロポロとこぼすのだった。


「俺はこれからもずっとお前には、危ないことをさせたくない。それは変わらない。でも、そんなつまらない俺の想いよりも大切なのは、お前が幸せになることだ。俺は、お前の幸せをこれからもずっと願っている。だから、これからもたくさんの人を助ければいい」


 カズキもミツキと変わらない勢いでポロポロと、年甲斐もなく涙を流し続ける。


「お前は俺の自慢の娘だ」


「お父さん……お父さん……おとうさぁぁぁん!」


 ミツキも耐えられなくなり、カズキに抱き着くようにして背中に手を回すと、こちらは年相応にわんわんと号泣する。


「ごめんなさい、ごめんなさい。ありがとう。お父さん……お父さん……!」


 周りの人間は、2人して号泣している親娘を、何事かと見つめるのだったが、そんなことは関係なかった。


 カズキとミツキは、文字通り死を乗り越えて、ようやく分かり合えたのだから。


 異世界の、第2の人生のおいてやり直すことが出来たのだ。


 ▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼


 盗賊団の事件から、更に5年の時が経過していた。


 年齢について、この世界に来てからは肉体が全くの別物になってしまったため肉体年齢は不詳だが、中身の方――精神年齢で言えばカズキやアカリは40も半ばを超えていて、ミツキは日本で言えば成人しており、コウタは高校生程度の年齢になっていた。


 カズキは相変わらずナディールの街に居住していたが、この5年の間に1つ大きな変化があった。


 それは――


「こんにちは、お義父さん」


「おおっ、リディアさん」


 カズキの家を訪ねてきたのは、ウェーブがかった茶髪に優しそうな顔立ちをした女性だった。年齢は20歳程度だろうか、そんなリディアのお腹は大きく膨らんでいた。


「まあまあ、いらっしゃいリディアさん。身重な身体で、わざわざいらして下さってありがとうございます」


「少しくらいは運動した方がいいんですよ。それに、この子もお爺ちゃんお婆ちゃんに会いたいっていうから……ね、リコちゃん?」


「あらあら。そういえば、予定日はもう来月だったかしら? あっという間ねぇ~」


 嬉しそうに自分のお腹を撫でながらリディアが言うと、アカリは「お婆ちゃんでちゅよ~」と笑いながら、彼女のお腹に話しかけている。


「うちのバカ息子は何しているんですか? 全く、妊娠中の妻を1人で歩かせるなんてとんでもないやつだ」


 カズキが不機嫌にそう言うと、アカリもリディアもふふふと笑っていた。


 そうして後からやってくるのは、リディアの夫――コウタだった。


「ただいま、父さん」


 □■□■


 1年前、コウタは同じ街に住むリディアと結婚した。妊娠が発覚してからの、いわゆる「出来ちゃった婚」である。


 リディアはごく平凡な一般市民の街娘。そんな彼女の家族からすれば、どこの馬の骨とも知らない男に愛娘を孕まされたわけである。


 もしもリディアがミツキだったら――そう思うと、カズキは激昂して、思わずコウタに手を挙げた。そしてリディア一家に平謝りをしたのだった。


 しかし、それは若干カズキの先走りでもあった。


 確かに順番は宜しくなかったものの、出身は不明ながらも、普段から誠実で真面目なカズキ一家は近隣どころか街中でも評判が良く、しかも魔術師ということもあって、むしろリディア一家の方に恐縮されてしまったくらいだ。


 そして何よりも、本人達が好き合っていた。間違っていたのは順序だけであり、その他は全て本人達も周囲も望み通りの、幸せな結婚だった。


「いやー、あの時は父さんに殺されるかと思ったよ。本当に凄い剣幕だった」


「当然だ。若さに任せて、計画も何もなく妊娠させるなんて……この年で爺さんになると思わなかったぞ。反省しろ」


 カズキ、アカリ、コウタ、リディアの4人は机を囲んでお茶を飲み交わしていた。


 コウタがわざとらしく過去の話を持ち出すと、カズキは始末の悪そうな反応を返す。


「それよりも、お前試験の方は大丈夫なんだろうな。もう来週なんだろう? お前だけの人生じゃないんだからな」


「大丈夫だって。試験に合格すれば、王都仕えになるからさ。父さん達にだって仕送り出来るくらいになるよ。期待しててくれていいよ」


「馬鹿。俺達に使う金があれば、リディアさんと子供に使ってやれ」


 夢にまで見た魔法を使える異世界で、モンスター退治にあれだけ夢中になっていたコウタは、なんと今はその稼業を引退していた。


 家庭を持った途端、コウタは現実と向き合うようになった。この危険な仕事は、ずっとこの先続けていられるようなものではない上に、いつ死んでもおかしくない危険な仕事だ。


 万が一自分が死んだ後に残されたリディアや子供のことを想うと、コウタは急に怖くなった。そこで、ようやく父や母、姉など、自分が死んでしまったら家族を悲しませてしまうことにも気づいた。


 そうしてコウタは、家族以外の周囲からはその才能を惜しまれたものの、魔術師としての活動を引退した。


 その後最初は、商業ギルドへの加盟を終えて商人として成功した父の後を継ごうとして父の下で修行していた時期もあるが、結局自分には商才が無いと悟って断念。


 今は王宮士官のための総合試験――日本で言う国家試験のために学習塾に通っている。もし合格すれば、王都で政務に携わる仕事に就くこととなるのだ。


「リディアさん、何か困っていることはない? 何でも言ってくださいね」


「大丈夫ですよ、お義母さん。コウタさんがとても優しくして下さいますし、うちの親も協力してくれていますから」


 今現在、コウタはリディアの実家の世話になっていた。


 アカリも出産経験があるが、どうもこの世界の医療技術は日本のそれと微妙に違うようで、ここは大人しくこの世界での出産経験があるリディアの母に頼った方がいいという結論になったのだ。コウタが通う学習塾も、リディアの家からの方が近いというのも、その理由の1つだ。


「そういえば、姉さんは? 今日ならいるって話だから、わざわざ予定を合わせてきたんだけど」


「ああ、もうすぐ――」


「ただいまぁ! ねえねえ、コウタ来てるのー?」


 噂をすればなんとやら。まるで図ったようなタイミングでミツキの声が聞こえてくると、バタバタと騒がしくミツキがリビングに入ってきた。


「こんにちは、お義姉さん。お邪魔しております」


「わー、リディアさんお久しぶりー! お腹大きくなったねー!」


 一目会うなり、ミツキはリディアの両手を取って満面の笑顔を向ける。そして膨らんでいる彼女のお腹に顔を近づけると


「こんにちは~、叔母ちゃんでちゅよ~。この間も会ったの、覚えているかな?」


 そんな母アカリと似たような真似をするミツキの姿に、一同がクスクスと笑う。


「そういえば、男の子か女の子かは分かっているんだっけ?」


「ええ。教会で宣告を受けました。女の子だそうで、名前も決めたんですよ」


「リコ」という名前を聞いて、ミツキはまた「可愛いっ」と大袈裟に感動している。


「あれ? お父さん達は知っていたの?」


「お前が遠征に出てる間も、こまめに顔を見せてくれているんだよリディアさんは」


 コウタが魔術師を引退した反面、ミツキは相変わらずその稼業に精を出していた。特に弱い人達を守るための護衛任務や、人の安全を脅かすモンスターや犯罪集団の討伐を中心に、魔術師としての才覚と実績をメキメキと伸ばしていた。


 きっかけは、あの5年前の盗賊団討伐だったが、あれ以来次々と依頼が舞い込むようになった。つい最近も遠方地からの依頼のために遠征をしており、家に帰ってくるのは一週間振りという多忙さであった。


 更にあのクリストファーという若者は、今では騎士団長になった程に逸材だったらしく、その口利きもあって、何と国王直々の勅命という形の仕事すら時折来るようになったのだ。


 いつの間にかそんな大仕事を任されるようになったミツキは、ナディールの街の英雄として称えられるようになっていた。


 一方でカズキは、多くの人を助ける仕事をするミツキのことを誇りに思いつつも、危険度が増していくばかりの仕事ぶりを見ていて、内心気が気ではなかった。


 しかし、それでもこんなに明るく活発に、とても充実している顔を見せるミツキを見ていたら、それ以上は何も言えなかった。


「へぇ~、そうなんだ。それにしても、あのコウタがまさか父親になるとはね~。厨二病が過ぎてたから、どんな名前にするのか冷や冷やしてたけど、リディアさんがいて良かったぁ」


「何だよ、それ。ひでえなぁ、姉さんは」


 そんな昔と変わらない兄妹同士の言い合いを聞きながら、それ以外の3人は笑っていた。


 その光景は、異世界と言う場所の違いはあったが、カズキが思い描いていた家族の幸せそのものだった。


 ▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼


 一か月後。


 この世界では出産施設でもある教会のとある部屋で、産声が聞こえていた。


「お……おおおぉ……」


 カズキは、胸の中で泣きじゃくる初孫を危なっかしく抱いていた。


 いつも冷静に堂々としているの父親像が台無しなくらいに、慌てているお爺ちゃんそのものだ。


「わー、可愛い可愛い可愛い! ねえ、リディアさん。私も抱っこしていい?」


「ええ。ぜひ抱いてあげて下さい、お義姉さん」


 ベッドに横たわり微笑むリディアの声を聞いて、カズキは恐る恐るコウタの娘――リコをミツキに渡す。


「わぁ……わぁぁぁ……どうしよ、どうしよ。動いてる……っあ、笑った!」


 ミツキに抱かれた途端に泣き止んで笑い始めるリコの姿に、カズキは内心で嫉妬したりしながらも――


 確かな幸せを感じていたのだ。


 □■□■


「本当にコウタってばお父さんになっちゃったねぇ。それに、あの勉強嫌いだった弟が、本当に国家試験に合格しちゃうし。コウタがまさかの政治家だよ? 信じられる、お父さん?」


「政治家じゃなくて、官僚だけどな」


 コウタ夫婦の出産を見舞った後、家に戻ったカズキ達3人はリビングで珍しく酒を酌み交わしていた。


 まさかこうして娘と酒を飲み、長男の結婚のことで談笑出来る日が来るなどと、あの事故を起こした絶望の日からは考えられないことだった。


「奥さんが出来て、子供が出来て、公務員になって……正に順風満帆だね。お父さんも立派な息子を持って鼻が高いんじゃない?」


 少し酔っているのか、からかうように言ってくるミツキに、カズキはかぶりをかぶる。


「――やっぱり、私にも結婚して欲しいって思う?」


 急にトーンが下がった口調になってミツキがそう言ってくると、カズキは驚いたように顔を上げた。ミツキの顔は赤く、やはり多少なりとも酒は入っているようだ。


「お前は結婚したいのか?」


 質問を質問で返されて、ミツキは虚を付かれたように、少しの間押し黙る。


「そうだね。コウタ達を見てたら、そういう気持ちにならなくもないけど――」


 酒が入ったカップを置いて、ミツキは続ける。


「私は、やっぱり今みたいに人を助ける仕事を続けていきたいなって思うな。好きな人と家庭を築いたら、私もやっぱりカズキと同じ道を選ばざるを得ないと思う。だから、今は今の仕事を頑張りたいな」


「――俺は、お前に今の仕事を止めさせたい」


 カズキは手に持っていたカップを口へ運び、残っていた酒を一気に煽る。そんなカズキの様子を、ミツキもアカリも少しだけ不安そうに見つめる。


「だけど、好きにしたらいい。お前も立派な大人だ。それがお前の幸せだと言うなら、俺は応援するよ」


 コトンとカップを置いてカズキがそう言うと、ミツキとアカリは不安そうだった顔を、微笑みへと変えていく。


「変わったわね、あなた」


 そうやって嬉しそうに言いながら、アカリは空になったカズキのカップへ追加の酒を注いでいく。カズキは照れ隠しのように、再びそれを煽る。


「ありがとう。大好きだよ、お父さん」


 それはやり直しの人生を経て、ようやくカズキへと向けられた、ミツキの幸せそうな笑顔だった。


 こうして、カズキは壊れてしまった娘との絆を、この異世界の人生でやり直すことが出来た。


 例えそこが生まれ育った日本とは違う世界であっても、とても幸せなことだった。


 何故、日本で命を失った後にこの世界に来てしまったのか、その理由は分からない。


 だけど、やり直すことが出来た今だからこそ確信していた。


 娘とやり直したいという想いを、神様が叶えてくれたのだったと。


 峰晴和輝は、異世界で幸せな家庭を築き、幸せな人生を送ることが出来たのだった。




 ――しかし、カズキの人生がそこで終わったというわけではない。


 当然だが、彼の人生――娘と共に生きていく道は、まだ続きがある。むしろ、これからである。


「時が来た」


 部屋で寝ていたカズキは、突然その声が頭の中に響いてくると、バッと身を起こした。


 隣のベッドではアカリが静かな寝息を立てている。アカリが寝言を言ったわけではないようだ。


 というか、そもそもその声は明らかにアカリの声では無かった。それどころか、人間の声ですらなかったような気がする。機械的で、無機質な感じがする声。機械文明など存在しないこの世界で、ロボットなどは考えられない。


 では、今の声はなんなのだろうか?


 根拠はないのに、何故かとてつもなく嫌な予感がして、カズキは全身から汗を噴き出す。


 なんだ、あの声は? 時が来た? 何のことだ?


 そういえば、あの声には何か聞き覚えがある。前に1度だけ聞いたことがあるような――


 そのことに思い当たると、カズキは思い出した。


 そうだ、確かに聞いたことがある。あの声は、この世界に来る時にも聞いたのと同じ。


 あの時は


『第2の人生を与える』


 そうだ、あの時の声と全く同じだ。


(神様……?)


 この異世界で第2の人生を与えてくれたその声は、カズキにとっては、ありがたい希望の声のはずである。


 なのに、どうしてこんなに不安になるのだろうか。どうしてこんなに激しく心臓が脈動するのだろうか。猛烈に嫌な予感がすると、汗が後から後から止まらなくなるのだろうか。


 結局、その晩に何があるということは無かったが、カズキは結局一睡もすることが出来なかった。


 ▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼


 翌日、王国の騎士団一個師団がナディールの街へやってきた。


 今回やってきたのはクリストファーとは違う、髭を生やした壮年の男性だった。彼はナディールの街の住民全員へ集合の号令を出した。


 強制的なその号令を発せられると、まるで犯罪者でも探すような勢いで、騎士達が街全域に分散し、ほぼ無理やりに全員を中央広場に集合させた。そこに広大なナディールの街に住む全住民が収まるはずもなく、溢れかえる程の人が詰め寄せており、ただならぬ空気を醸していた。


「父さん!」


「コウタ……リディアさんとリコちゃんは?」


「さすがに出産直後だったから教会に残してもらったけど……」


 こんな異常事態はカズキ達がこの世界に来てから初めてのものだった。周囲の人間の反応を見る限り、ここの住民達にとっても初めてなのではないだろうか。皆が不安の色を隠せないで、広場は住民達のどよめきに包まれていた。


 こんな事態ならコウタは妻と娘の近くにいたかったろう。しかし、カズキ同様にコウタもまた強制的に連れてこられたに違いない。


「あなた、何が始まるの?」


「……分からん」


 アカリが不安そうにカズキに縋り付いてくるが、何も応えてやることが出来ない。


 近くにはミツキもいる。勿論彼女も何が始まるのかを把握しているはずもなく、緊張した表情になっていた。


 そしてやがて頃合いを見図るように、広場中央のステージに立つ、髭の騎士が動き始める。


 彼は腰に差していた剣を鞘ごと取り外して両手で持つと、そのまま剣先を地面にめり込ませるように突き立てる。


「決戦である!」


 彼の剣が地面を砕く音と共に、彼のよく通る野太い声が住民達の鼓膜を揺さぶった。


「先般ファステリア帝国が、西の果ての彼方より襲来したモンスターの大軍の攻撃を受けた! そして3日も保たず、帝国はそのままモンスター軍によって滅ぼされた」


 その言葉と共にざわざわとどよめく広場。それはカズキ達も同じだ。動揺と恐怖と不安に目を剥きながら、そのままその騎士の言葉に注意を向け続ける。


「依然モンスター共は軍を成して侵攻を続けており、我がクライトストス王国へと東進しておる! この街まで迫るのも、あと僅かだ! よって、このナディールの街を前線基地として何としてもモンスター共の進行を食い止める! 男は武器を取り戦え! 女はそれを支えるのだ!」


 当然、それは冗談などではない。


 騎士の男の声と共に、空気が張り詰めていくのが分かり、異様な熱気が、恐怖が、興奮が、不安が、混乱が、動揺が――その場にいる人間の、ありとあらゆる感情が混ざり合っていた。


 そんな中、カズキは思考が現実に追いつかず、心臓が爆発しそうなくらいに激しく鼓動していた。


 演説をするかのように、騎士は続ける。


「良いか、これは決戦である! モンスター共の突破を許せば、クライトストス王国……いや、人類は滅ぶと知れ!」


 あまりにも唐突に、あまりにも理不尽に。


「繰り返す! これは人類の存亡をかけた決戦である!」


 カズキ達は世界を巻き込んだ大戦に巻き込まれて、やがてこの世界に来た本当の理由を知ることとなる。



 続く

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