旧友、店長と松山
<旧友、店長と松山>
せわしい時間帯のスタッフルーム。事務仕事に没頭するスタッフが所狭しと動き回る。そんな中、忙しい店長が自分の席に提出された色々な資料をまとめる作業をしている。そんな店長にフロントスタッフが遠くから声をかける。
フロントスタッフ「店長!お電話です。」
店長「ん?誰からだ?」
まったくこんな忙しい時に・・・・・口にせずとも分かるそんな態度の店長。
フロントスタッフ「はい。松山さんという方です。」
一瞬では理解できないのか眉間にしわを寄せると、不思議そうに首をかしげた。
店長「松山??」
◇
とある喫茶店で、コーヒーを飲む2人。
松山「はっはっはっ!ほんと久しぶりだよな、神田!何年ぶりだ?」
そこにいるのはあの松山。晴人の競泳の師であるあの松山だ。
松山は、正面に座るその男性に『神田』という苗字で話しかけた。それを聞いた男性が、懐かしそうな笑みを見せる・・・・・・・そう、その男性は晴人の勤めるスポーツクラブの上司、あの店長だ。
店長「それほど経っていないだろ?2年位か?」
松山「そうそう、そーだな。ちょうど、俺が森下彩香を紹介してからくらいだからな。」
店長「ああ・・・さすがにお前が見込んだだけはある。森下は良くがんばってくれているぞ!!」
顔見知りの2人、というよりは旧友といえるくらいの親しみある会話だ。
『松山コーチに紹介されて、今の職場にいる』そう答えた彩香の言葉の意味が始めてここでつながった。
松山「お前が競泳やめてから、もう10年くらいになるのか?懐かしいな・・・・あの頃。」
昔を振り返るような松山の表情。それを見た店長が、恥ずかしそうに言った。
店長「やめろよ松山!私にとって、競泳なんて・・・・・・・もう古すぎる話だよ。」
今は国の統率者のようにそのフィットネスクラブの頂点で店長を勤めている神田。そんな彼も、実は10年前までは晴人と同じ、競泳に熱くなる水泳コーチだったのだ。
松山「しかし・・・・・あの競泳界の鬼とまで言われたお前が、こうも変わるとはな・・・・ライバルのように2人で切磋琢磨していたあの頃が懐かしいよ。」
店長はその話を聞きながら、懐かしい表情を作りコーヒーを一口のんだ。
店長「松山は・・・・相変わらず競泳コーチをやっているのか?」
松山「もちろんだよ、俺から競泳をとったら何もなくなる。こだわり、むきになって続けているせいで、まったく給料も上がらず下火の生活だがな・・・・仕事を取るか、競泳を取るか、その選択を間違えたようだ。お前は立派になったな。出世を選んだお前が正解だったようだよ。」
いつになく、強気さのない素直な表情の松山。
店長「そう言うな松山。俺はお前を尊敬している。出世にもこだわらず、世間の流れにもごまかされず、ただただ職人の競泳コーチをまっとうするその姿勢は、本当にまねできない生き方だよ。」
お互いを誉めあうそんな会話。本心のようで本心ではない、そんな深みある2人の会話だった。そんな会話を終えると、松山はコーヒーグラス一点だけを見つめ深刻な表情に変えた。そして、数秒無言を続けると、思い立ったように口を開いた。
松山「今・・・・お前の所で水元晴人という男が働いているだろ?彩香の紹介で最近休みの日は、俺のところに競泳指導を習いに来ている。」
店長「・・・・・・・やはりな。それぐらい気づいていたさ、俺だって。」
わかっていたよ・・・・といった店長の表情。それを聞くと松山は身を乗り出すようにテーブルに肘をつく。
松山「神田、お前はやつをどう思う?」
店長は松山と真剣に見つめあうと、意を決したように答えた。
店長「正直・・・・・今の私の立場から言わせてもらうと、競泳に熱くなる彼を必要としていない。時代が変わったのだよ。今の私は、大人の為のスポーツクラブを作っている。競泳に熱かったあの頃のように、今は大人が気軽に通えるフィットネスクラブを作る事に熱くなっているのだよ。」
そりの合わない生き方。本来なら声を張り上げて衝突してもおかしくない者同士にも感じる。それでも、昔なじみの2人だからこそ、ぶつかり合う事無く、お互いを理解しあいながら話が出来た。
松山「・・・・・懐かしくないか、あの目。晴人はあの頃の俺達と同じ目をしているんだよ。やつは、本気だよ。あの頃の俺達と同じように、本気で競泳の世界で生きようとしている。競泳を選んだ俺、仕事を選んだお前。転勤で悩む彼の為に、正しい答えを俺達が出してあげるべきなんじゃないのか?」
あれだけ、晴人の前に立ちはだかり文句を言っていた店長。その店長が驚くほど穏やかな表情でその話を聞いていた。
店長「だからこそ・・・・私は彼の転勤がチャンスだと思っている。彼の将来の為にも。」
松山「俺もそう思っていたさ!俺みたいな人生は、歩んでほしくないとな。でも、あいつの行動や、あいつの目を見ているうちにわからなくなるんだよ・・・・・その答えが。」
松山は一際懐かしい素直な表情を作ると、その続きを語りだした。
松山「思い出さないか?素直にただただ競泳コーチのトップを・・・・・・・オリンピックコーチを目指していたあの頃の俺達を・・・・・」
店長はそれを聞き、競泳時代の自分を振り返るように黙ると、答えの出せない深い表情を作った。それを思い深げに見た松山は、すぐに腰掛けていた椅子を降り、なんと地べたに土下座の姿勢を作り叫んだ。
松山「神田!!すまない!!昔のよしみでのお願いだ!!やつに・・・・やつに競泳の道を歩まさせてやってくれ!!もう一度見てみたいんだ・・・・・・競泳で生き抜く男の姿を!!俺達が届かなかった夢を、晴人なら実現させてくれるかもしれない!!頼む!」
そんな松山を見ながら、何も言い返せない店長。その表情は、悲しみや切なさなど色々な感情が織り交ざった複雑な表情だった。




