松山への相談
<松山への相談>
スタッフルーム。そこには同時に起こったその2つの事態に、気持ちが押しつぶされそうになる晴人がいた。
自分の転勤・・・・・時間はかかったが、今では選手達から確かな信頼を勝ち取っている。少しずつだが選手達の水泳レベルもアップしてきている。ここに来て、ここまで精進してきたその選手コースを諦めなければならないのか。
翼の引退・・・・・厳格な父、そんな父の水泳をやめさせるという本意。その意思の堅い意見を本当にくつがえす事が出来るのだろうか。
整理しきれないその問題、それに対してもう自分では答えを出しきれなくなった晴人は、その場で頭を抱えこんでしまった。
彩香「今日・・・・松山コーチと呑みに行きましょうか?」
そんな明らかにふさいだ表情で押し黙り、悩み続ける晴人を見抜いた彩香が、優しい笑顔で微笑みかけた。
◇
夜の繁華街・・・・・そこは松山と最初に出会った古い居酒屋。あの時と同じ3人がまたその出会いの場所でお酒をかわす。
松山「・・・・で?どんな相談だ?晴人。」
その初対面の時とは違い、今では晴人にとって松山は、心を通わせる目上の上司、良き相談相手になっていた。
晴人「はい。実は、会社から転勤を言い渡されました。」
松山「転勤??いったいどこにだ?」
晴人「大きくて会員数も多い最新クラブ・・・・・子供の会員はいなく競泳もないスポーツクラブです。」
それを聞いた松山は、嬉しそうな満面の笑みで答えた。
松山「ほ~そんな立派なクラブへ転勤って事は、そりゃ出世ってやつじゃないのか?そりゃ素晴らしい!!おめでとう!晴人!」
グラスが揺れ動くほど強くテーブルを叩き、晴人が勢いよく立ち上がる。
晴人「出世なんかしたくないです!!自分は、競泳をやりたい!!選手指導を続けていたいんです!!」
そんな晴人の態度を見ると一瞬の間を置き、笑顔だった顔をまたキリッとした表情に直す。そして、得意の強面で晴人を睨みつけた。
松山「俺は競泳を選んだ!!」
きょとんとした驚きを見せる晴人。
松山「もう30年近く続けているこの仕事だ。何度となく出世の話は持ち上がったさ・・・・・それでもその全てを断り、蹴って、俺は競泳を選んだ!」
そんなかっこよくも見える、わが道を行く松山の熱い言葉を聞いて、晴人が素直に尊敬の言葉を漏らす。
晴人「立派だと思います!尊敬します!」
そんな晴人の顔を見ると、一気に肩の力を抜き脱力の表情を作る松山。
松山「・・・・尊敬なんかするな。本当に俺の生き方が正しいと思うのか・・・・?給料はどんどん減っていき・・・・・地位だって肩書きだけのヘッドコーチ。自分の時間もなくなり、それでも続ける競泳コーチ。これが職人を選んだ者の成れの果てだ・・・・・人として成功するなら・・・・・俺は出世の道を選んだほうが正しいと思う。」
もう一度強い眼力に戻すと、晴人を睨みつける。
松山「晴人・・・・・そえでも競泳コーチを選ぶのか?」
晴人は、松山の眼力にも負けない強い意志のある目を見せた。
晴人「自分には・・・・それ以外の生き方が見つかりません・・・・・」
数秒の時間を使った睨み合いの睨めっこを終えると、松山が大きなため息をついた。
松山「ふ~・・・・・どうしようもないバカだなお前は。いつの間にか、お前も職人の目をしてやがる・・・・・・ただ・・・・」
力のない諦めの表情を作ると、今度は晴人を弱弱しい表情で見つめる。
松山「会社の規模が違いすぎる、俺とお前とではな。お前の会社で転勤を断れば、恐らく会社を辞める形をとらされるだろうな。勝ち目はない・・・・・諦めるしかないんだよ・・・・・・競泳を!」
松山への相談という最後の望みも絶たれてしまった。転勤を断れば仕事を辞めさせられる。競泳を続けて今の職場に残る、そんな手段はもうないのかもしれない。その事実を受け止められない晴人は、辛い表情で目の前のグラスを飲み干した。そんな晴人を見ながらまた、思い悩んだ深い表情を作る松山がいた。




