水泳よりも勉強
<水泳よりも勉強>
彩香「私も、一緒に行きましょうか?」
前回の道春との一件の事もあったので、心配になった彩香が晴人に声をかける。それに対して晴人は、「大丈夫!!」と笑顔でいつも通りを振舞った。
フロントに行くと、もう準備万端で椅子に座っている3人がいた。翼とその両親2人だ。晴人はその前に立つと、簡単な会釈で挨拶をする。
晴人「いつもお世話になっています。翼君を担当させて頂いています、水元晴人と言います。」
両親は言われて軽く会釈を返すと、その本題へと話を移した。
翼の父「最近翼の担当コーチが変わったと聞いている。君がその担当コーチか・・・・・」
厳格で堅そうなイメージの父。スーツもスタイリッシュに着こなしていて、仕事も出来るといった風貌だ。その横に座る母は、それとは逆に優しそうな、温厚な顔立ちをしている。
翼の母「なんだか、すごくいいコーチだと翼から聞いています。ほんとに、いつもお世話になっています。」
深々と頭を下げる母。そんな母を横目に、父が『さてと・・・』といった雰囲気で、本題を話し始めた。
翼の父「一生懸命に指導してくれているのに・・・ほんとに申し訳ないが、翼の水泳を今月いっぱいで辞めさせることにしました。」
晴人「えっ!!なっ・・・何をおっしゃるんですか??」
言葉がかぶさる早さの晴人の反応。それを見て本望ではないという、思い殺した表情をする母。晴人はその母を見ると、すぐにまた父に目線を移した。
晴人「彼らは、4人のリレーでインターハイ出場を目指しているんです!!彼1人抜けたら、それだけで4人の今までの苦労が水の泡になるんですよ!!」
訴える晴人を見て、わざとらしい謝罪に似た表情を作る翼の父親。
翼の父「それは本当に申し訳ないと思っている。だが仕方がないのですよ。翼ももう受験生、翼には優秀な大学に行ってほしい。学力が落ちないように学年順位を落とさないという事を条件で、翼には水泳を続けさせていたのですが・・・最近・・・そう、コーチが変わったあたりからですかね?順位を落とし始めてしまってね。」
優しい言い方で、本意の敵意を示す翼の父。メガネがそれを物語るように、一瞬だけ照明の光を反射させて晴人を照らした。
「刻一刻と勉強がライバルに遅れを取っている・・・・・今すぐにでも勉強に専念してもらわないと、受験戦争には勝ち残れないですからね。やめさせることにしました。」
冷静さをしっかりと持った、翼の父の態度と意見。今まで受けてきたクレームや数々の問題とは違い、勢いではないその意志の強さと固さが見た目からも感じられた。
翼の父「私はね・・・・もともと水泳には反対だったのだよ。それを仕事にしている人を目の前に言うのもなんだがね。どんなに水泳を頑張ったって、将来有望な会社に勤め、出世できるわけではない。それならね、私はすぐにでも勉強に専念してもらいたい。そのような話を私がしている事は、翼からも聞いているだろ?君も。」
うなずく晴人。
翼の父「学費や会費を自分で働いて払うって言うから、その本人の気持ちを尊重して学年順位を条件に今日まではやらせてきた。それでも、ここまで順位を落としてしまうと・・・正直ね。」
しゃべりながらゆっくりと、その2枚の成績表を晴人の前のテーブルに見えるように差し出す翼の父。明らかに変わってしまっているその学年順位が、晴人の目にも入った。
晴人が、目線を翼に変え問いかける。
晴人「翼・・・・翼はそれでいいのか?」
翼「・・・・・・」
何も言えない翼を見て、答えたのはその父だった。
翼の父「いいわけないだろ?曲がりなりにも、幼少の頃から一途に続けてきたスポーツだ。もちろん、家族会議でしっかり納得はしてもらったがな。」
説得力ある正当な父の意見を聞き、一瞬諦めかける晴人。それでももう一度翼を見てその思いを確認しようとした。すると、翼の赤らんだ頬の腫れが目に入る。それをみるなり晴人はもう一度、強気な表情を翼の父に見せる。
晴人「力ずくですか。そんな方法で翼が納得できているとは思えませんが?」
全てを見抜くような晴人の態度。しかしそれにも動じず、冷静な返答を返してきた。
翼の父「力ずくでは納得できない?君にそんな意見を言う権利があるのですかね?」
強気な態度を見せると、続けて追い込むように晴人に言った。
翼の父「知っているのですよ、練習中に選手の一人を殴ってしまったらしいではないですか。殴られた本人や、その保護者が何も文句言わなかったから大事にはならなかったようですが、それを知った他の保護者からの文句でも、十分問題には出来ると思いますがね?」
一瞬顔色を青ざめさせる晴人。それを見て、翼の母が必死で止めにかかった。
翼の母「あなた!何言ってるんですか!やめさせる変わりに、問題は起こさないって約束したじゃないですか・・・・」
明らかに、コーチの晴人や他の選手達をかばっている母の言葉。その言葉を聞いて、また冷静さを取り戻す父親。
翼の父「ああ・・・・・・・・わかっているさ。とにかく、そういう事なので納得していただきたい。後日改めて手続きには伺うのでそのつもりで。」
立ち上がると、軽く事務的な会釈をする。そしてそのまま、3人は足早にスポーツクラブを後にした。




