第34話 仲間はずれ
調理場に重い静寂が下りていた。氷に足を取られて動けなくなった二人の襲撃者と、最初にシスターが昏倒させた一人、それから頭を撃ち抜かれて絶命したリーダー格の男。私とダガーさん、シスターの三人は、まだ混乱の余韻が抜けきらぬまま、互いの無事を確認し合っていた。シスターは私の腕の傷を見て眉をひそめ、ダガーさんは私の手を握ったまま離そうとしない。
やがて廊下から複数の足音が響き、神父様がレオン様と数名の騎士たちを連れて飛び込んできた。
「クラリスさん、シスター、ダガーちゃん。無事か……うお!?」
先頭に立ったレオン様が、調理場の惨状を見渡して言葉を詰まらせる。無理もない。床には割れた花瓶の破片が散乱し、倒された机が横倒しになり、氷の膜が床を覆っている。
「……これは、いったい」
「夜中にすまないね、レオン君。詳しい話はあとでする。まずはこの者たちの拘束と、皆の安全確認を頼めるかね」
後ろからおくれて現れた神父様が、いつになく真剣な声で指示を出す。レオン様はすぐに頷き、騎士たちに命じて倒れている襲撃者たちを縛り上げさせた。
「クラリスさん、怪我をしたのか」
「ええ、少々手に……でももう大丈夫ですわ。ダガーさんが治してくれました。まだ痺れは残っていますが……」
私はそう言って、手のひらを見せる。ついさっきまで包丁が突き刺さっていた場所は、今ではかすかな赤みが残るだけだった。
「……治した? ダガーちゃんがか?」
レオン様は私の発言に目を丸くしている。そこでようやく私も事の異常さに気がつく。
私は包丁が刺さったときの激痛で、床に倒れて立ち上がれなかった。それなのにダガーさんが手を握ってくれた瞬間、痛みがすっと和らいで、包丁もするりと抜くことが出来た。あのときは気が動転していて何も考えられなかったけれど、あれはどう考えても普通ではなかった。
「ダガーさん、あなた……治癒魔法を?」
「……うん。ソフィアさんに教えてもらってた。まだ、練習中だけど成功して良かった」
ダガーさんは少し照れたように視線を逸らす。私は思わず彼女の手を握り返していた。
「ありがとう、ダガーさん。あなたに助けられましたわ」
「……うん。クラリスさんが無事で、よかった」
彼女は相変わらず素っ気ない言い方だったけれど、その手はかすかに震えていた。きっとダガーさんも怖かったはず。それでも諦めずに私を守ろうとしてくれたのだ。
レオン様は騎士たちに命じて、生き残った三人の襲撃者を縛り上げさせた。氷に足を取られていた二人はようやく氷が溶け始めたものの、すでに観念したのか抵抗する様子もない。最初にシスターが昏倒させた一人も、まだぼんやりとした意識のまま拘束されている。
「それで? お前ら、誰の命令で動いてるんだ」
レオン様が短く尋問するが、誰も答えない。
「……そうか。ならば騎士団の詰め所でじっくり話を聞く。覚悟はできてるな」
レオン様は騎士たちに目配せをし、三人を引き立てさせようとした。そのとき、私の目に再び——床に倒れたリーダー格の男の姿が映る。
「あの……レオン様、そちらの方は」
「ああ、死体はすぐに別の者が来て処理する。だから悪いが、この調理場は今日は使わないでほしい」
「……はい、わかりまし——」
そこまで言いかけて、私ははっとした。
「つ、使えない!? ちょっとお待ちください! 明日の炊き出しの仕込みがまだ―――このままじゃ明日の朝に間に合いませんわ!!」
「……クラリスさん、そんなこと言ってる場合じゃないと思う」
ダガーさんがじとっとした目で私を見る。シスターは口元を押さえて吹き出し、神父様に至っては腹を抱えて笑い始めた。
「あっはっは! さすがはクラリスさんだ。命の危険に晒された直後だというのに、炊き出しの心配とは!」
「うーん、ですがヒトが死んだばかりの場所で料理をするというのも——」
「別の場所……教会の庭でも薪さえあればで作れますわ! 今から作れば、明日の朝までには間に合いますわ!」
「……クラリスさん、手、怪我してるの忘れてない?」
ダガーさんの冷静な指摘に、私は言葉を詰まらせる。そうだった。治癒魔法で傷は塞がったが、まだ完全に動かせるわけではない。シスターがそっと私の肩に手を置く。
「炊き出しのことは私と神父様でなんとかします」
「いや、ワシは―――」
「な ん と か します。ですからクラリスさんは今日は休んでください」
「ですが——」
「ですが、ではありません。今回ばかりは私の指示に従ってもらいますよ」
有無を言わせぬ口調に、私(と意気消沈している神父様)は観念してうなだれた。レオン様はその様子を見て苦笑いを浮かべている。
「クラリスさん、あんたほんとブレねえな。まあ、命がけの目に遭ったんだ。今日くらいはゆっくり休め」
「……ええ、そうさせて頂きますわ」
騎士たちが三人の捕虜を引きずって調理場を出て行く。
調理場に残ったのは、神父様、シスター、ダガーさん、そして私の四人だけだった。神父様は静かに、倒れていたリーダー格の男のそばに歩み寄る。そして膝をつき、男の装備を探る。そして胸元を漁ったところで何かを発見した。
「……これは」
神父様が取り出したのは、金色のメダリオンだった。表面には複雑な紋様が刻まれている。シスターがその紋様を見て、はっと息を呑んだ。
「神父様、それは——」
「ああ、聖光派の聖騎士だけが持つことを許される印だよ」
「聖光派それって……」
「ええ、クラリッサ様も気が付かれましたか——コイツらはテオドール様の手の者です」
「そう、ですか」
私の声は自分でも驚くほど平坦だった。テオドール——王国の第三王子であり、殿下の弟君。
「……クラリスさん」
ダガーさんが私の顔を覗き込む。
「テオドールって、王子様の? なんで、クラリスさんを―――」
それは真っ当な質問だった。でも、私は答えられなかった。聖光派が私を狙う理由。第三王子テオドールの関与。あの路地裏の男——ジャン。
疑問が渦巻き頭の中が真っ白になる。それでいて心臓だけがやけに早く脈打っている。思考が追いつかず、私はただ立ち尽くすことしかできなかった。
「クラリッサさん。今はまだ、答えを急ぐ必要はないよ」
神父様はメダリオンを胸の内にしまい、静かに私の頭を優しく撫でる。
「今日はもう休みなさい。君の安全は、このワシとエトワールが守る」
「……神父様」
「さあ、立って。部屋まで送っていこう」
神父様は私の手を取り、ゆっくりと立ち上がらせてくれた。そして私はただ、されるがままに歩き出す。シスターも私の反対側に並び、三人で廊下へと向かう。
調理場の入り口で、私はふと振り返った。ダガーさんが一人、割れた花瓶の破片に囲まれて立っている。月明かりが彼女の横顔を照らし、その表情は見たこともないほど困惑に満ちていた。
——そうだ。ダガーさんには、まだ何も説明していない。
私が誰で、なぜ追われているのか。テオドールとは誰なのか。そして——なぜ、私がここに来たのか。
でも、今は何も言えなかった。言えることが、何も。
「ダガーさん……いつか、必ず話しますから」
「……うん。わかった。待ってる」
私はそれだけを伝えて、神父様とシスターに付き添われ、闇の廊下を歩き出した。背後で、調理場の扉が静かに閉まる音がした。
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