001 氷の新入生
侍。
第二次世界大戦に勝利した大日本帝国を象徴する、最も名誉ある国家公務員である。
時は、西暦二〇〇〇年。
ここ、国の頂点たる特級戦力を育成する養成機関である街『学芸銀座』のエリート校――徳川学園の入学式は、厳かな喧騒に包まれていた。
「類稀なる才能と、弛まぬ努力によって裏付けされた実力のみが、悪を断罪する武力となりえる。
侍とは、つまり日本そのものだ。帝国の秩序を維持する機能として、これ以上の存在は他にない。だからこそ、侍は『誉れ』なんだ」
(……関係ねぇな)
欲しいのは、定時退社、有給消化率100%、充実した福利厚生、安定した賞与。それだけ。
入学式。
生徒会長である柳生ジュウザの重く精悍なスピーチを受けても、気怠げな新入生の無月は、そんな失礼な感想を思っていた。
「――そして、国民の規範となる職を目指す志を誇り常に頂上を目指せ。諸君らの活躍に、俺は心から期待しているぞ。以上だ」
目の前に広がっているのが青空だったら、きっと気持ちよかったろうな。
無月は、微かに香る桜を感じながら、そんなことを思った。
「おい、貴様」
皆が一様に柳生へ視線を向ける中だったから、目立ったのだろう。
しかし、無月は自分が呼ばれていることなど気付きもせず、今度は目的への最短ルートを想像する。
「貴様だ、貴様。俺は貴様を呼んでいる」
風紀委員所属、剛力タケルが一年生の列へ割って入り、無月の胸倉を掴む。
とんでもない力だ。軽く持ち上げられた無月は、しかし、特に慌てる様子もなく剛力を見据えた。
一年生とはいえエリート家系の生徒たちも、その風貌と放たれる闘気に慄いて、二歩、三歩、後退る。
「会長がお話されているだろうが」
「えぇ、見れば分かります」
「なんだその態度は、ナメてんのか?」
いつの間にか、無月と剛力を囲むようにサークルが出来上がっていた。
教師は介入しない。徳川学園では、生徒組織での秩序維持を求められている。故に、風紀委員は決して欠かせない組織なのだ。
「ナメてませんよ、先輩。
それより離してもらっていいですか? おろしたての制服が、あなたのせいでシワだらけだ」
尚も省エネな無月の態度が、剛力の怒りを決定的なものにする。
「ふーっはは! よし、いいだろう。
『決闘』だ、クソガキ。この俺が、貴様の腐った性根を叩き直してやる。徳川学園がどういう場所なのか、その魂に教えてやるぞ」
決闘。
それは、学芸銀座で最も誉れある儀式であり、何よりも明確な正義の証明。
実力ある者こそが報われるという、この学生の街における絶対のルールだ。
「さぁ、刀を抜け一年坊主。格の違いを見せてやる」
剛力は、帯刀している刀を抜いて切っ先を無月へ向けた。
徳川学園で使われる御魂斬は不殺の刀。肉体ではなく魂へダメージを与え、気絶させることを目的とした武器である。
これにより、大日本帝国は『戦い』を文明化したのだ。
「ほら、使え」
無月は、現れた立会人より渡された刀を受け取ると、鞘から抜かずにベルトへ引っ掛け、学ランのボタンを外した。
「やれというなら」
隙だらけ――いや、素人丸出しだ。握りすら危ういその姿勢に、柳生を含む達人たちは思わず困惑した。
自然体こそが最強だと言う武士は多いが、それにしても自然体過ぎる。脱力といったって限度があるだろうと、その場にいる生徒は一様に思った。
なぜ、この男はエリートが集う徳川学園の入学試験に合格することが出来たのか。
その答え合わせが、今――。
「行くぞ」
無月は、剛力の言葉の終わりよりも早く、猛然と距離を詰めた。
そして、一瞬で脱いだ学ランを敵の頭に被せ視界を塞ぐと、獲物が弱っていく様を観察するかのように、剛力が藻掻く姿を見つめた。
「……は?」
今までにない謎の展開に、立会人も戸惑っている。周囲が呆気にとられる中、ようやく学ランを取っ払うと、顔を真っ赤にしてブチギレたのは剛力だ。
「ふ、ふざけるな! 侍の誉れはないのかっ! 誉れは!」
「現代における侍とは、ただの『公務員』です。それ以上でもそれ以下でもない」
「んな……っ」
「ならば、必要なのは業務を遂行する実力のみでしょう。勝負ありでは?」
「どこまでもナメ腐りやがって……っ」
剣を手放し、極太の脚を振り抜いて蹴りを見舞う剛力だったが、無月の目が光ったのはその刹那だった。
――斬。
「かは……っ!?」
壇上の柳生ジュウザが、微かに目を細める。
刀の軌道を読めた者、十名。鞘から引き抜かれた瞬間を見た者、二名。何も分からぬ者、大勢。
「バカ……な……っ」
無月は、刀の血振りの仕草を見せてから、適当な所作で鞘へしまった。
胴を斬り落とされた感覚を味わった剛力は、力なく地に倒れ、薄れゆく意識の中で――ただ恐怖する。
(……今の、構えすら……なかったぞ……っ)
相手の油断を誘う構えとも呼べない構え。
繰り出されるは初速すら見えぬ閃光。
戦うまでもなく一撃で仕留める剣。
それこそ、無月が嘗て、地獄の釜の底で導き出した答えだった。
「それまでだ」
壇上から降り立った柳生が、手を突き出して仰々しく制する。
(それまでも何も、決着はついてるだろ)
幾らなんでも、冷め過ぎたことを心の中に浮かべる無月だったが――そんなことはお構いなしと言わんばかりに、柳生は堂々と立ち塞がった。
「お前、名前は?」
「無月……無月カゲロウ」
「そうか、無月。お前、風紀委員に入れ」
文化ホール内が、著しくざわついた。
当然だ、一年が風紀委員に抜擢されることなど徳川学園の歴史においても前代未聞。
彼らは、改めて一連の騒動の重大さを思い知る。
「えぇ、嫌ですよ。見廻りなんて面倒です」
しかし、この男はまたしても皆の思惑の斜め下を行った。
生徒会長の命令を断るなど、学芸銀座では考えられない所業だからだ。
「断るのか。ククッ、面白いな。無月」
「光栄です」
「しかし、いいのか? 風紀委員に所属すれば、今のお前には想像もつかないようなメリットが待っているんだが――」
「入ります」
あまりにも早い掌返しに、思わず柳生は笑った。
そんな彼に、無月は小さく頭を下げて刀を返す。不気味だ。この男は一体何者なのだろう。
疑問が会場内を駆け巡るが、しかし、当の本人はあっけらかんとした態度。
彼は、本当に侍を職業としてしか見ていないようだった。
「ようこそ、徳川学園へ」
こうして、無月は新学期初日から風紀委員へ加入することになった。
不安定な現代で、安定した職業と幸せな老後を手に入れるため、合理的で省エネな少年の非合理な学園生活が今、幕を開ける。




