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第18章:公園

行くあてもなく、ただ歩いた。

とにかく、あの家から遠くへ。一歩でも、一秒でも早く。

最初は父が追ってきたけれど、途中で諦めたみたいだ。当然よね。私は陸上部の現役。対して父は、一日中パソコンの前で座っているだけのサラリーマン……スペックが違いすぎる。

幸い、足の調子はもう悪くない。スマホはさっきから何度も震えていたけれど、誰からの着信かなんて、見るまでもない。うるさいから電源を切ってやった。

涙はいつの間にか止まっていた。

なんだか、物足りない。母が頑固に抵抗を続けたせいで、私の感情は出し切ることができなかった。

本当の自分を見せるのが、これほど難しいなんて。

まるで口を塞がれているみたいだ。……いいえ、それが私の「現実」というものだった。

私は、夜に外出することなんて滅多にない。用事でもない限り、夜の街がどんな顔をしているのかなんて、興味もなかった。

けれど、今夜は……。

肌を撫でる夜風が、驚くほど新鮮に感じられた。

静寂。木々の間を抜ける風の囁き。それだけが、今の私に許された音だった。

街灯に照らされた小道を歩き続ける。高くそびえる木々の影に包まれながら。

ふと見上げると、そこには圧倒的な星空が広がっていた。

まるで数千の小さな瞳が、私の足跡をじっと見守っているみたい。満月は一点の曇りもなく輝き、私が進むべき道を、柔らかな光で優しく照らしていた。

一歩、歩くたびに体が軽くなっていく。

まるで、夜が私を別の世界へと招き入れているようだった。すべての重圧が、暗闇の中に溶けて消えていく世界。

私は立ち止まり、その天体の美しさに息を呑んだ。

昔、授業で習った星座の神話。数千年前の人々も、同じ空を見上げ、あの星々の間に物語を見出したのだろうか。

(……こんなことを考えるのも、悪くないわね)

あの変な男の子に教わったんだ。

夜の静寂、星の瞬き、満月の輝き……そんな些細なものが、これほどまで一瞬にして心をかせてくれるなんて。

満足するまで空を眺めた後、私は視線を周囲に戻した。

すぐ隣に、小さな公園があった。

街灯がチカチカと明滅し、淡い光を投げかけている。私は数歩だけ歩を進め、そこにあるベンチに腰を下ろした。

街灯の下、私はすべてを反芻はんすうした。暗がりに沈む公園を見つめながら。

私は一体、何のために戦っているの?

生きる目的? そんなの、私にあるはずないのに。

私はただ、自分のわがままを突き通しているだけなの?

答えの出ない問いが、次から次へと溢れ出す。脳が考えることを拒否し、ただ意識をシャットダウンしろと叫んでいる。

考えれば考えるほど、空っぽな自分に気づかされる。

私の仮面が割れた時、手を差し伸べてくれる人なんて、この広い世界のどこにもいない。

気づけば、また涙が零れていた。

視界がにじみ、世界が歪んでいく。体の芯が熱くなって、呼吸の仕方が分からなくなる。

頬は涙でびしょ濡れだった。けれど、拭う気にはなれなかった。

止めどなく流れるままにさせておく。

弱い。私は、なんて弱くて、情けないんだろう。

しゃくり上げながら、私は自分の脆さに打ちのめされていた。

「完璧な美少女」が、一人きりの公園で泣きじゃくり、自分の涙を拭うことさえできないなんて。

誰も、私のことなんて見ていない。

そう思って目を閉じた瞬間。私の目の前に、一つの「手」が差し出された。

その手は、小さかった。

何かを、私に渡そうとしている。

「……ほら、使いなさいよ」

聞き覚えのある声。

私は濡れた顔を上げ、声の主を見た。

視界が潤んでいて、最初はよく分からなかった。けれど、そこにいたのは……。

「……恵美えみさん?」

久保田恵美。

彼女は少し気まずそうに、けれど真っ直ぐに私を見つめ、ハンカチを差し出していた。

「……あんたも、いろいろ大変そうね」

彼女がポツリと言った。

「ど、どうして……どうしてあなたがここに?」

私は混乱して尋ねた。

涙が引いていくと、彼女の顔がはっきりと見えた。

どこか気だるげに、少しだけ俯き加減で。でも、その手はしっかりとハンカチを差し出したままだ。

「……夜風に当たりに来たのよ。家、この近くだし」

彼女は答えた。

「ベンチで誰か泣いてるなと思ったら、見覚えのある姿だったから。……レナさん、あんただったのね」

「……そう」

私は短く返した。彼女の、どこか申し訳なさそうな、けれど共感に満ちた視線に射抜かれる。

先日あんなことがあったのに。私の仮面が剥がれ落ちた今、最初に手を差し伸べてくれたのが彼女だなんて。

……いえ、正確には二人目だ。

でも、今はあの変な男の子のことは置いておこう。

あいつの行動を理解するのは難しい。あいつの「手」には、私を想う気持ちなんてこれっぽっぽちも込められていなかったから。あいつはただ、自分の道徳や好奇心に従って動いているだけだ。

「……いつまで黙ってるのよ。ほら、涙拭きなさい。まだ一度も使ってない新品なんだから」

恵美さんが催促する。

「……あ、ええ。ありがとう」

私は彼女からハンカチを受け取った。

そっと顔に当てると、柔らかな布の感触が腫れた頬に優しく触れた。

「……悪くないでしょ?」

彼女が静かに隣に座った。断りもなく。でも、私はそれを拒む気にはなれなかった。

「……あんたの事情なんて知らないし、無理に話せとも言わないわ。ただ……そのハンカチ、月曜日には返してね」

「……分かったわ」

私は掠れた声で答えた。

私たちはそれきり、黙り込んだ。

ただ並んで座り、冷たい夜風を肌で感じていると……不思議なことに、私の心は少しずつ落ち着きを取り戻していった。

プレッシャーのない、静かな時間。

「……喧嘩したの」

沈黙を破り、私は独り言のように言った。

「誰と?」

ハンカチを指先で弄りながら、私は答えた。

「……両親と」

私たちは目を合わせることなく、ただ夜の闇を見つめて会話を続けた。隣り合っている、その温度だけで十分だった。

「……今のあんたの選択肢は、二つね」

「……何?」

「家に帰るか。……それとも、家出するか」

「……さあ、どうかしら」

「……どっちを選ぶの?」

「……分からないわ」

また、沈黙。彼女の言う通りだった。

私は、何かを決めなければならない。

正直に言えば、今あの家に帰る勇気はない。でも、行く当てもない。

幸い、今日は金曜日。明日は学校も休みだ。

戻れば、またあの地獄のような「完璧」の要求が始まる。私はまた、言葉を奪われ、笑顔の仮面を被らされる。

逃げ出せば、警察に捜索され、また街で男たちに追い回されるかもしれない。

私はもう、誰にも迷惑をかけたくなかった。

「……あんたが迷ってるなら。……うちに来る?」

恵美さんが、ぶっきらぼうに言った。

「え……? でも、そんなの悪いわよ」

私は慌てて断ろうとした。彼女に甘えるなんて、そんなこと。

「いいから、来なさいよ。……私もちょっと寂しかったし、話し相手が欲しかったところなの」

「でも……」

「ほら、行くわよ!」

「えっ、ちょ、ちょっと待って……!」

気づけば、恵美さんは立ち上がり、私の手を強引に引いていた。

私は弾かれたように立ち上がり、そのまま彼女の後に続く。

彼女の引きは意外なほど強くて、私は抗うことをやめ、彼女に引かれるままに歩き出した。

この先に何が待っているのか、私には分からない。

けれど、今、繋がれたこの手の熱だけが、私の冷え切った心を少しだけ温めてくれていた。

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