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アリス・イン・ワンダーログ ー今日から俺はアンドロイドのマスターらしいー  作者: tomato.nit
収束条件:f(呼称) → Alice

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22/22

第二十二話 観測範囲


 目覚ましが鳴る、ほんの数秒前。


「起床予定時刻まで残り五秒です」


 静かな声が、枕元で落ちた。


 瞼の裏に朝の光が滲む。

 天井。見慣れた染み。

 そして、視界の端。


 白。


 ベッド脇に立つアリスが、こちらを見下ろしている。


「……まだ鳴ってないだろ」


「予測誤差は許容範囲内です」


 電子音が鳴る。


「ほら」


「同期完了しました」


 布団を頭まで引き上げる。


「あと五分」


「却下します」


「即答かよ」


「本日は一限から講義があります」


 布団が、わずかに引かれる。


「物理的介入は規約違反だと思う……」


「起床補助は例外です」


 ため息を吐きながら起き上がる。


 いる。


 昨夜と同じ位置に。


 それだけで、妙に安心するのが癪だ。


「朝食を提案します」


「パンでいい」


「栄養バランスが不足します」


「そんなにか?」


「拒否理由を提示してください」


「眠い」


「却下します」


 キッチンに向かう背中が、どこか得意げに見える。


「メロンパンとヨーグルト、牛乳を提案します」


「朝から多い」


「マスターの体重減少傾向を確認しています」


「それは……」


「拒否理由が論理的ではありません」


 観念する。


「ヨーグルトだけ足す」


「承認しました」


 勝ったのか負けたのか分からないまま、朝は進む。


 大学までの道。


 アリスは半歩後ろを歩く。


「なんで並ばないんだ?」


「安全距離です」


「流石に襲われることはないだろ」


「断定はできません」


 結局、横に並ぶ。


 視線を感じる。


 昨日までいなかった白。


 アリスは気にしていない。ただただ、事実を伝えてくる。


「観測されています」


「分かってるよ。コート、また買いに行かないとな」


「これからの季節に外套の着用は逆効果の可能性が72パーセント」


 季節はもうすぐ夏。波乱の春はあっという間に過ぎていった。


 校舎が見える。


 サークル棟は点検の末、ようやく解放された。


 見上げた先には補修された屋上。


「心拍数の上昇を検知」


「そりゃ、思うところはいっぱいあるよ」


「大丈夫です。本機はここに居ます」


「だな」


 アリスの言う通り。その実感だけは確かに揺らがない。


 オカ研の扉の前で、ノブを握る。


「入室します」


「俺が開ける」


 扉を開ける。


「……」


 久川先輩が口を開いたまま、止まる。


 数秒。


 視線が、アリスから颯太へ、そしてまたアリスへ。


 手に持っていたトマトが、ぎゅ、と音を立てる。


「……あ」


 赤い果汁が指の間から滲む。


「潰れてますよ」


「だよなぁ」


 ゆっくりと息を吐き出す。


「……現実か?」


「はい。本機は実在しています」


「そうじゃなくてだな。なんというか」


 今度は颯太を見る。


「まあ、いいや。ほら」


 新しいトマトを差し出す。


「ちゃんと食ってるか」


「なんでまた」


「いいから食え」


 押し付けられたトマトに渋々かぶりつく。


 僅かな硬さを破ると、果汁が溢れる。


 少し歩いた喉に染みわたる。


 そんな俺を見ながら久川先輩が満足げに頷く。


「ちゃんと美味いだろ?」


「……まあ」


 柊先輩が椅子を回しながら笑う。


「うん。いつも通りで安心した」


 しかし、その様子に特に驚きはない。


「もしかして、知ってたんですか?アリスのこと」


「ああ。手紙を届けてくれた君には知る権利がある。ってね。律儀な叔父さんだよ」


 あの人らしい。


 もう一度トマトを齧ると。


「栄養管理は重要事項です」


 アリスが一歩、わずかに前へ出た。


「本日の摂取内容は私が管理しています」


「おや、ご主人様に餌付けをするのは不味かったかい?」


 一瞬、瞳の青が強く光る。


「優先権は本機にあります」


「もしかして、嫉妬してる?」


「……違います」


 間が、ほんのわずかに遅れる。


「やめろ。その妙な間はなんだ」


 柊先輩が楽しそうに手を叩く。


 ホワイトボードに大きく書きながら、振り返る。


「なら本日の議題はこれだな。AIは嫉妬するのか」


「真面目に言うとだな」


 久川先輩が椅子を前に引き、腕を組む。


「嫉妬ってのは資源配分の問題だ」


「は?」と思わず顔をしかめる。


「限られたリソースを誰に割くか。人間もそうだろ」


「急にそれっぽいこといいますね」


「でもだ」


 久川先輩が手元のトマトを持ち上げる。


「トマトを誰に優先して渡すかで世界は揺らぐ」


「いや、揺らがない。トマトじゃ世界は揺らがない」


 何を言い出すんだ。


「揺らぎます」


 アリスが静かに口を開く。


「摂取栄養素の優先順位は健康状態に直結します」


「ほらな?」と久川先輩が顎をしゃくる。


「いや論点そこじゃないでしょ」


 無意識に額を押さえる。


 柊先輩が笑いながらホワイトボードに“予測”と書き足す。


「嫉妬は“奪われるかもしれない”という予測から生じる感情だよ」


「予測誤差の拡大です」


 アリスが即座に補足する。


「急に理系」


 久川先輩が肩をすくめる。


「つまり」


 トマトを机に置きながら、久川先輩が続ける。


「颯太が俺のトマトを美味いって言うと、アリスは揺らぐ可能性がある」


「ありません」


 アリスが一歩前に出て断言する。


 だが、その直後。


「……優先度再計算」


 小さく呟く。


「今なんて?」


 颯太が顔を上げる。


「誤差です」


 視線を逸らさずにアリスが答える。


 柊先輩がくすりと笑い、ホワイトボードの端に“観測”と書く。


「じゃあ次。観測されないAIは存在するか」


「話題がジェットコースターですね」


「つながってるよ」


 と柊先輩は肩をすくめる。


「嫉妬も観測問題だからね」


 久川先輩が顎に手を当てる。妙に芝居がかってるのに意味はあるのか?


「バックグラウンドで走る演算は観測してなくても存在している」


「でもログを見なきゃ“なかったこと”になる」


 机を指で叩きながら言う。


「それは記録の問題です」


 アリスが冷静に返す。


「観測されない=存在しない、ではありません」


「違うのか?」と久川先輩。


「未確認と不存在は異なります」


「じゃあ幽霊は?」


 久川先輩が半ば本気で首を傾げる。


「定義を提示してください」


 アリスが淡々と返す。


「それが分からないから未だに幽霊はいるいないって言ってんだよ」


 そのとき、アリスの視線がわずかに遠くを向いた。


「……未登録信号を検出」」


 虚空を見つめるように視線が天井の隅を向く。


「は?」


「……消失しました」


「ノイズだろ?」


「識別子が存在しません」


 一瞬だけ、空気が静まる。


「じょ、冗談だよな?」


 久川先輩の声が震える。


「もしかして、先輩ビビってます?」


「ビビってるわけじゃない。正体が分からいものって不安だろ?」


「君は一度このサークルの名前を見てきた方がいいぞ」


 柊先輩が珍しくツッコミに回る。


 久しぶりの空気。


 この時間がやけに懐かしく感じた。




 帰り道。


「本日の活動ログを保存しました」


 アリスがいつも通りに告げる。


「どうだった」


「活動ですか。それともマスターの精神状態ですか」


「両方」


「活動は許容範囲内。精神状態は——改善傾向です」


「診断すんな」


「事実です」


 一拍。


「マスターが笑っていたため」


 夕焼けの光が、白い外装に反射する。


「未登録信号の観測は継続します」


「しつこいな。変な電波が紛れただけだろ?」


「不明点は放置できません」


「そんなに心配か?」


「定義が不明なだけです」


「へぇ」


「ですが」


 ほんのわずかに、声のトーンが落ちる。


「マスターに危険が及ぶ可能性がある場合、優先順位は最上位に移行します」


「また自己保存より下か」


「……再定義済みです」


 足が止まる。


「それ、結局どういう意味なんだ」


「自己保存とマスター保全は分離されません」


「分からん」


「私が継続する限り、マスターも保全対象です」


 遠回しだが、はっきりしている。


「観測されないからといって、存在しないとは断定できません」


 昼間の議論を、わざわざなぞるように言う。


「じゃあさ」


 横を見る。


「観測しなきゃ、俺はいないのか?」


「存在しています」


「じゃあ、お前は」


「存在しています」


「観測してなくても?」


「はい」


「ログがなくても?」


「はい」


 少しだけ、意地悪く続ける。


「俺が忘れても?」


 一瞬だけ、アリスの瞳の青が揺れた。


「……その場合、再定義が必要です」


「何を」


 青い光が儚げに揺れる。


「私を」


 言葉が詰まる。


 屋上。


 壊れた白。


 空になった充電ステーション。


 無数の光景が浮かんでは消える。


「ログがなくても」


 一歩、前に出る。


「観測してなくても」


 はっきりと。


「俺が呼ぶ限り、お前はアリスだ」


 静寂。


 夕焼けの風だけが、通り抜ける。


 アリスがこちらを見る。


「……確認しました」


 一瞬だけ、ほんのわずかに、口元が柔らぐ。


「識別名、アリス。マスターの定義により継続します」


「それ、ずるくないか」


「何がですか」


「俺が定義して、お前が継続するって」


「共同定義です」


「道連れじゃないか?」


「拒否しますか」


 少しだけ、笑う。


「……しない」


 歩き出す。


 並んで。


 並んで歩く。


 夕焼けが、白をやわらかく染める。


「観測は続けますか」


 アリスが、ふと思い出したように聞く。


「好きにしろ」


「はい」


 一拍。


「ですが、観測の有無に関わらず、本機はここにいます」


 昼間の議論をなぞるようで、少しだけ違う言い方。


 立ち止まる。


「分かってる」


 それだけで十分だった。


「俺が呼ぶ限り、お前はアリスだ」


 風が吹く。


 アリスはわずかに目を細める。


「……はい」


 歩き出す。


 隣に。


 アリスがいる。



第一章、完。


ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございます。


アンドロイドの女の子が書きたいという、完全な趣味で見切り発車しましたが、どうにかまとまる感じにはなりました。


よろしければ、評価やコメントなどいただけると励みになります。


反響が良さそうでしたら、二章以降も描いていきたいなと思いますので、ぜひ

お気に入りや評価などいただけると嬉しいです!

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