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聖女も過ぎれば毒となる  作者: 日室千種


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それは食前酒に似て甘く(番外編)

ジゼラが恋の入り口に立ったところで終わったので、もう少し、の番外編です。

三人の聖女選定の儀から、数ヶ月のころ。

 


 最近、ジゼラがヴィットールを避けている。

 ジゼラの右隣の席の上席事務官サリアナは、書類を書き疲れた手を揉みながら、娘と息子のような年頃の二人を、それとなく今日も観察していた。


 仕事上の会話はしている。でも最低限のことを話すと、あっ!と叫んでジゼラがそそくさと消える。使いに頼んでもいいような書類を届けに、騎士団やら聖女府やらに出かけているようだ。行けば先々で捕まって、なかなか帰らない。ジゼラは誰にでも誠実に対応するので、質問しやすいだろうし、騎士団長は前から彼女がお気に入りだ。今の聖女様方はジゼラを頼りにしているので、それこそ戻りは遅くなる。

 二人で仕事終わりに食事をする習慣も、このところ流れてばかりのようだ。


 ヴィットールは何事もないように変わらず有能だが、表情が暗いし、雰囲気が日に日に荒んでいた。

 とはいえ、ジゼラがいないと食事を取らないのは皆が知っていたから、他の事務官たちも声をかけるきっかけを探っている。


 あ、ほら。今日も、宰相府に戻ってきたジゼラは、ヴィットールが話しかけるより先に、確認しなきゃ、などと呟いて宰相閣下の執務室に入って行った。

 誰もが横目で見守る中、ヴィットールは暗い目をして、静かな挨拶を残して退勤していく。

 どうしたものか。

 そろそろ閣下の耳に入れるべきか。

 だが、案外と娘が大事な宰相閣下は、もしかするとこれ幸いとヴィットールを離そうとするかもしれない。それは、なんだか背筋がゾッとする。


 ジゼラがヴィットールを避けるようになったのは、ジゼラの一つ先輩の事務官の結婚を、宰相府の事務官の皆で、下町の食事処で祝った夜からだ。

 あの夜、ジゼラは随分感激して、二人が臆面もなく頬を寄せ合い親愛のキスを交わすのを、顔を隠しながらも指の隙間から見て、少女のようにソワソワしていた。


 宰相閣下はジゼラを一人前の事務官として扱うが、娘としては箱の外に箱を重ねた、重箱の中に入れている。なにしろ、ジゼラが宰相府に入った頃、軽微でも身体的接触を伴うセクハラをする人間を王宮から綺麗さっぱりと消したのは、宰相閣下だ。

 気づくのが遅くなってすまない、と女性事務官たちに頭を下げて炙り出しの協力を依頼した宰相は、女性官吏たちの中で良きツンデレ父と認識されている。


 だからこそ、ヴィットールがジゼラとみるみる親しくなっていったのは、宰相の許しあってこそだと、皆暗黙のうちに了解していた。おそらく、問題のない相手なのだ、と。

 蓋を開けてみれば魔王の息子、ではないものの、近しい関係者らしい。それくらいまでは知らせてよいだろうと、宰相閣下からも頷きで確認を得ている。宰相府の事務官は頭は切れるが意外と脳筋、などと言われる私たちも、流石に驚いた。

 まあでも、異様に仕事ができるから、魔王の眷属って万能なんだなというのが感想だ。


 それはさておき。

 そんな箱入り娘にとって、もしかすると男女がイチャイチャする様を見るのは、初めてだったのかも知れない。

 お祝いムードと少しの酒と未知の刺激を受けて真っ赤になったジゼラを、ヴィットールが送っていったのを見送ったのだが。

 さて、それから何があったのか。

 いつ、どうやって聞き出そうかな、と宰相府の事務官詰所は、どことなく皆、ふわふわと浮かれていた。




-=-=-=-=-




 ジゼラに避けられている。疑いようもなく、あからさまに。


 思い当たることは、ある。


 ヴィットールが向ける好意に、素直に好意を返してくれるジゼラ。少しずつ花開いていくのが、眩しくて、愛おしい。

 いきなり全てを奪うなんて、勿体ない。ひたすら大事にして、安心しきったふわふわの飴菓子のようになって、俺から離れられなくなってほしい。

 そう思って楽しんでいたから、結婚までは手を出さないと決めていた。

 一度でも触れてしまえば、もうジゼラのペースには合わせてやれなくなるかも知れない。ヴィットールは本来、欲しいものは一気に手に入れるほうだ。


 なのに。


「いいなあ」


 とジゼラが呟いた。

 事務官仲間の結婚祝いの会からの帰り道だ。随分熱心に主役の二人を見ていたから、このいいなぁも、おそらくその名残だろう。


 ほんのり酒が入って、いつもは決してしないとろりとした目で。どこか、ヴィットールのいない方を見て。

 どうして、こっちを見ないのかと、大人気なく、少しイラッとした。


「ジジ、何がいいの? 結婚?」


 いいもなにも、俺とするでしょう?

 と、そう言う前に。


「恋人のキス」

「俺とするでしょ」

「素敵だったな」

「えっ」

「えっ!?」


 タイミングが重なって、キスを俺とすることに変わってしまった。

 驚いたジゼラと目が合って、その揺れる目の中の淡い幼い期待が、手に取るようにわかる。

 結婚をしたての男女が、職場の同僚たちの集まる祝いの席で披露した、軽い戯れの口付けを、あれを俺からされたら、と期待している。


 かわいい。


 吸い寄せられるように顔を傾けて小さな口に近づいて。


 ヴィットールはジゼラの熱い頬に掠るように触れながらも唇を逸らし、ジゼラを軽く抱きしめた。


「ジジ、危ないよ、転びそう。こうして抱えていくから」


 まるでジゼラがよろめいたから抱き留めた、という風に、膝下を掬って抱え上げる。

 ひゃあと声を上げて、ジゼラは笑っていた。

 その後だって話題はふわふわと流れて、誤魔化すのはうまくいったと思っていたのに。


 どうやら、ご機嫌を損ねたらしい。翌日から、それはもうあからさまに避けられている。


 でもそれは悪手だよ、とヴィットールは爪を研ぎ澄ますような笑みを浮かべた。

 魔王の眷属は、気は長いが、逃げられるのを非常に嫌う。俺を遠ざけようなんて、執着をいよいよ増すだけだよ、と。

 王宮内で誰にでもにこやかに対応するジゼラを見て、ヴィットールの黒い炎が不満を吐き出すように燃え上がる。

 これまで、褒められても良いくらい、とてもよく我慢していたのに。


 あの掠めるような微かな接触が、ヴィットールの唇から消えない。

 避けられて、ジゼラの気配を上書きできないまま、唇から体内へ、ジリジリも焦げ付きが広がっているようだ。

 軽い気持ちで男を煽って、耐え忍んだ男から、今度は逃げた。

 ジゼラには、それは酷いことなのだと、わかってもらわなければならない。




-=-=-=-=-




「キス、してもらえなかった」


 ヴィットールに王宮の部屋に送り届けてもらい、寝る支度を整えて寝台に横たわったところで。そのことを思い出して、ジゼラの眠気はどこかへ消えてしまった。


(私、勘違いしてたのかも。そういう意味ではトールは私のことを好きなんじゃないのかも)


 でも、好意を伝えてくれたヴィットールを疑うこともできない。


(トールは、私を好き。でも、それならどうして、してくれなかったのだろう)


 いつもは、寝る前に明日の仕事の段取りを簡単にさらって、すっと眠りに落ちる。

 だけど今夜は、体は寝具に沈むようなのに、頭だけは冴え渡って、自分が二、三人いそうなくらい喧しい脳内会議を開いてしまっていた。

 出席者は皆ジゼラなので、当然ながら答えは出てこない。


(埒があかない。尋ねてみるしかない)

(嘘でしょ。そんなこと、どんな顔で聞くのよ)

(そうよ、どうしてキスしてくれなかったの、なんて)


「まるで、して欲しいみたい」


 言葉にしたら、それが一番近い気がした。

 して欲しかったのに、してもらえなかった。だから。だから?


(して欲しい、なんて、言えるわけない)

(してくれない理由は?)

(聞けるはずないよ!)


 かくして、仕事であれば「報連相!」とどんな場面も割り切れるジゼラが、今回ばかりは敵前逃亡を選ぶことになったのだった。




 あの手この手で二人で話すことは避けても、仕事では接触はある。

 ジゼラの不審な行動はわかっているだろうに、ヴィットールは平然として見えた。仕事もいつも通り、早く的確で気が利いている。なんの変化も見られない。

 ヴィットールは、ジゼラに避けられても、別に何も困っていない。

 困って欲しいわけではないのに、困ってくれなくて勝手に寂しがる。

 そんな理不尽な自分が嫌で、ジゼラは一層ヴィットールを避けた。


「どうしました。悩み事でも?」

「いえ、そんなことないですよ! 元気です」


 様子がおかしいと気遣ってくれるロイドに、ジゼラは感謝の微笑みを返した。


「本当に? いつでも、聞きますからね」

「ありがとうございます」


 なぜかジゼラの背後を気にしつつも、労わってくれる。聖女府でも、聖女たちがあれこれ心配をしてくれた。

 気遣ってもらって嬉しい。

 嬉しいのに、それがヴィットールでないことを、ジゼラは残念に思ってしまった。

 自分本位で、傲慢で、最低だと思う。

 ヴィットールにも、周りのみんなにも、迷惑をかけている。


 ジゼラは建物の脇で少し立ち止まって、なぜか溢れてきた涙をぱちぱちと瞬きをして散らした。

 一人で、建物に沿って視線を上げると、間もなく花祭りという時期にふさわしい、少し霞んだ青い空がこちらを覗き返してくれたようだった。

 なんだか、底まで沈んでしまった気がした。

 とても騒がしかった胸の中が、今はしんとしている。


「ほんと、私めちゃくちゃだ。でも、会いたい」


 ヴィットールに、会いたい。

 そう思った時に、中庭を挟んだ向こうの建物から、ヴィットールが足早に歩いてくるのを見つけた。

 向こうの建物は遠い。黒髪で、背の高い、黒の事務官服を身につけている人は、ヴィットールだけではない。けれど。

 見間違いは、しない。


 青い空がジゼラの中を通り抜けて胸から流れ出たように。ジゼラのなかの温かいものがすべて、ヴィットールに向かって流れ出した。

 ジゼラ自身も引きずられるように、少しずつ早足になって、近づいて。

 いつもの距離で足が止まったジゼラを、ヴィットールが長い腕を伸ばして抱き込んだ。


「あっ」

「もう限界」


 低い声がつむじに響いた。

 初めて、真正面から抱きしめられている。熱いくらいの温もりと、隙間のない拘束と、慣れない香りに茹だりそうになりながら、ジゼラは精一杯手を伸ばして、広い背中に縋りついた。

 まるで昔からの居場所に帰ったように。

 ほっと、ジゼラの体から力が抜けた。

 それをヴィットールがますます自分の体に引き寄せるので、ジゼラはヴィットールの影にすっぽりとはまり込んで、ふたりは、一つになったようにしばらくそうしていた。


「ねぇトール」

「なあ、ジジ」


 声が被ったのがふしぎと面白くて、ジゼラは笑った。少し遅れて、ヴィットールも笑い出して、その振動が身体中に伝わって。


「嬉しい。温かい。幸せ」


 思ったことをそのまま呟いたら、今度はヴィットールの体からも、少し力が抜けたようだった。


「——ああ、もう降参だよ。まいった。俺の負け」

「私も降参。すごく悩んでたのに、今トールに会えたら、どうでもよくなっちゃった。私の負けよ」

「ジジが、避けてたんじゃないか」


 初めて、そんな拗ねた声を聞いた。つい可愛いと思って笑うと、抱きしめる力が強くなった。


「ごめんなさい。急に、不安になっちゃって。勝手に避けて、ごめんね」

「……」

「でもわかった。私、トールのことが好き。不安になるくらい、とても好きだし、不安になるくらいで変わらない気持ちなの」


 わかってよかった。良い機会だったわ、とはしゃいでいたのだが、ふとヴィットールから返事がないことに気がついた。

 身じろいで、隙間から見上げると、見事に口が尖っている。


「どうしたの?」

「……」

「ねえトール、さっき、限界って言ってた。限界だったの?」

「……」

「全然平気そうだったのに?」


 はあ、とヴィットールがため息をついた。


「平気じゃなかったよ。不安になった」

「ご、ごめんね」

「どうして避けたの?」


 ヴィットールがジゼラを抱え直して、そっと額を合わせてきた。

 近い。吐息が掛かるような距離。あの夜みたいに。結局、ジゼラが口にしたのは、純粋な希望の方だった。


「キス、して欲しかった」


 茶化されるかもしれない。ふと一瞬怯んだが、ヴィットールはなぜか苦しそうな表情で、ジゼラの背中を撫でた。


「……ジジ、そんな顔、反則だよ」

「どうして? どうして、してくれなかったの? 今も……」

「言えない」

「教えて」

「言えない」


 む、とジゼラも口を尖らせた。


「でも私知りたい。あなたのこと。もっと」


 それは、今までヴィットールのいくつもの秘密をそのままに受け入れてきたジゼラが、確かにヴィットールに向けて一歩踏み出した証だ。

 まだ、赤子のように他愛のない、けれど確かな独占欲。


 ヴィットールは、目眩を抑えるように一度目を閉じると、全てを明け渡すように、ジゼラに囁いた。


「一回したら、とまらなくなるから。その先も、欲しくなるから、だよ」


 一気に顔が熱くなったジゼラを、ヴィットールが見つめている。一瞬たりとも、見逃すまいと言うように。


 ああ、好き。

 どうしてこの人は、そんなことを悩むのか。


 そっと顎をあげて、ジゼラは愛しい人の唇に、自分の唇を優しく押し当てた。


「あの、その先もいいよ。ゆっくりだと、嬉しいけど」


 反応が返るまで、数呼吸。いや、もっと長くかかったはずだ。

 ジゼラが気になってその目を覗くと、深紅の瞳の奥でチラチラと黒い炎が翻っていたのが、じりじりと、一進一退しながらも、いつもの紫に落ち着いていった。


「よくそんな簡単に言うよ。ねえジジ、ゆっくりで頑張るから、今日は一緒に夕食食べよう」


 ぼやきながら、もう一度ヴィットールがしてくれたキスは、とびきり優しいキスだった。







ここ中庭ですね!

ヴィットールは気にしません。



ありがとうございました!

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