第八話
笑顔で手を振る高橋に送り出された楓は駅に向かって歩いていた。彼女の右手は家から持ってきたトランクを引いているが、その中指を青緑色の指輪が彩っている。偶然とは思えない偶然であったが、楓は自ら指に飛び込んだ指輪を選ぶことでようやく自分の指輪を決めたのだった。
それに加え、楓の左手には紙袋を下げられている。その中には革製のベルトと同じく革製の両手に乗るほどの大きさの直方体の箱が入っていた。それらを何に使うのかは知らされなかったが、高橋に送り出されたということは楓は久代から受け取った封筒の中身が言っていた通り必要な物を揃えることができたということになる。
『やっと学校に向かえるのー?』
「ええそうよ。たくさん待たせちゃったわね、ごめんなさい」
待ちくたびれたというような『声』に楓は謝ったが、『声』はすぐに話題を変えた。
『それはそうと、この指輪綺麗なだけじゃなくてすごいねぇ』
「すごい?それは……どうすごいの?」
楓は学校へと向かう電車のホームを探しながら返事をする。駅構内を行き交う人々の中には一人で話す楓を不審そうに見る者もいたが、誰もが歩みを止めずにどこかへ行ってしまうので楓はあまり気にしていなかった。
『……さあ?』
自分から始めた話題を曖昧に終わらせた『声』に首を傾げて歩いているうちに、楓は乗るべき電車を見つけた。空いている座席に腰掛け、ふうと息をつく。車内はそこまで混雑はしておらず、むしろ快適なくらいの混み具合である。
「ここから4時間近くかかるから、学校に着くのはお昼過ぎね。途中2回乗り換えをするから間違えないようにしないと」
『んんー、着くまで暇だねぇ』
ゆっくりと動き出した電車の外をしばらく見つめていた楓はふと思い出したようにトランクから入学案内を取り出した。昨晩じっくり目を通そうと思っていたが、部屋に戻った途端ぱたりと寝てしまったのだ。
表紙をめくると、校舎と言われれば誰もが想像できるような普通の校舎を背景に男女がすまし顔でこちらを見つめていた。大きな文字で『第二国立稀代学園高等学校』と書かれている。
『だいにくにりつ……?』
「こくりつ、ね。……『我々は学生を世間のいじめ、差別から守ります』……か。歴史の先生や久保さんが言っていた通りみたいね」
表紙裏の見開きのページ以降からは学習カリキュラム、寮生活や部活動の様子、制服などの情報が記載されていた。入学案内によれば、統一されたシルエットの制服は生徒一人一人がチェック柄の色を選ぶ形式のようで、それが稀代高校の売りでもあるようだ。再び自分で物を選ばなければならないと気づき、楓は頭を抱えそうになった。
案内を閉じ、再び窓の外をぼんやり眺めていると乗り換える駅に着いた。2つ目の電車で移動をし、次の駅で降りたときに楓は駅の周囲に背の高い建造物がほとんど無いことに気づいた。ぽつぽつとある民家は畑や田の海に建っている。緑の多い景色にどこか空気が澄んでいるような気がした楓は深呼吸をした。
3つめの電車に乗った楓は乗客の少なさに驚いた。2両編成の車両に乗客は5人。どんどん乗客は降りてゆき、最後に残ったのは楓だった。乗ったことの無い路線の電車で一人になり、いつまで経っても学校の近くの駅に到着しないことに不安を覚え始めた楓だったが、長時間の乗車で疲れてしまったのか、うつらうつらと眠ってしまった。
*
「ーーさん、お客さん。終点ですよ」
はっ、として楓は目を覚ました。声をかけてきたのは車掌だったのだろう、終点に着いた車内に残るたった一人の客を起こしに来たのだ。降りるべき駅を過ぎていないだろうかと焦ったが、よく思い出してみると終点が目的地だったことを思い出した。席から立ち上がって電車を降りた楓に『声』は口をとがらせているような声で文句を言った。
『もーう、何回呼んでも起きないんだからー』
「ごめんなさい、熟睡してたみたいで……」
駅のホームに降り立った楓はどこからか視線を感じて辺りを見回した。思った通り、制服を来た3人の男女の生徒が楓のことを見ていた。楓と同じようにトランクを持ってホームに立っているが、彼らは今から帰省するのだろう。楓は挨拶をしようと口を開きかけたが、3人は楓と目が合うなり視線を外し、ひそひそと話だした。
『何してるの楓ー、行かないの?』
「……そうね、行くわ」
同じ学校に通うことになる生徒との交流のチャンスだったが、あのような反応をされてはどうしようもない、と楓は諦めた。ホームから目と鼻の先に見える学校に足を進めた。校舎はすぐそこだが、寮は学園の奥にあるという。先ほどまで寝ていたので体力は十分にある。楓は改札を抜けて道路を渡り、学園名の刻まれた校門をくぐった。
「あの人たちにあなたの声は聞こえていなかったのかしら。久代さんも音は聞こえると言っていたし、ここの学生で魔法が使える人たちのなのだから聞こえているかもしれないと思ったのだけれど……」
『聞こえてなかったでしょー。楓のこと一人でしゃべってると思ってるみたいな顔してたじゃない』
その通りだけど、と『声』に返事をしながらも楓は納得できずにいた。同じ境遇の人間と出会うのはそう簡単にいかないようだ。
校門をくぐってからは親切にも寮までの道のりに矢印型の看板が立っており迷わずに済んだ。寮までの道は舗装され、またその道中には緑が多く茂り影を作っていたので楓は疲労感をそこまで感じることなく寮の入口に到着したのだった。
寮の入り口は横に長い建物の真ん中に位置していた。ガラス製の戸を押して入ったすぐそばに受付があり、若いとは言い難いがはつらつとした、人の良さそうな女性がにっこり笑って楓を迎えた。
「ようこそ、今日からここに入る永井楓さんだね!お疲れさま、長旅だったでしょう。どんな子が来るのかと思ったら綺麗な子でびっくりしちゃった、真っ黒で長い髪の毛もとっても綺麗だねお手入れ大変なんじゃない?」
楓が口を開く間もなくベラベラと話し出した女性に楓は呆気にとられた。しかし女性の声は優しく楽しそうで、決して不快になるようなものではなかった。彼女が寮母なのであろうと思った楓は女性に微笑んで頭を下げた。顔を上げた楓が見たのは先ほどの楓のように呆気にとられた寮母だった。そんな彼女に楓は名乗った。
「はい、私が永井楓です。本日よりお世話になります」
楓の声にようやく我に返った女性は自分の頬を片手でぺしぺしと叩いてから楓に向かって頭を下げ返した。
「こちらこそよろしくね、楓ちゃん。私は寮母の大内、大内亜貴です。大内さんでも亜貴さんでも好きなように呼んでね。……さっきので分かったと思うけど、私すごくおしゃべりなんだ。何か私に用事があるときは遠慮せずに止めてね!」
大内は歯を見せて笑ってから再び口を開いた。
「さあ、稀代の寮に入ったらまずすることがあるんだ。学生証の代わりとか、学生の位置情報とか、魔法の不正使用を防ぐとかのために指輪の登録をするんだけど……、指輪はもうつけてる?」
大内の質問に楓は頷き、右手の指輪を見せる。
「おー、綺麗な青緑色!いいねぇ」
そう言ってカウンターの奥にしゃがんで何かを探す大内に楓は疑問を口にした。
「その『指輪の登録』も魔法で行うのでしょうか?」
質問してすぐに楓は口を覆った。何かにつけて質問をするのはよくないとさんざん母に言われてきたことをすっかり忘れていた。楓は慌てて頭を下げる。
「すみません……!ずけずけと質問をしてしまって……」
顔を上げた楓をカウンターの下からひょっこりと顔だけを見せた大内は笑った。それは楓を馬鹿にするような笑いではなく、心の底からの笑いだった。
「楓ちゃんはなーんにもずけずけと質問なんかしてないよ!むしろ魔法に関心があっていいことだ、授業でも分からないことがあればそうやって聞くんだよ?聞くことを恐れないのはいいこと!……まあ、初対面でおばさん何歳って聞く学生もいるんだけど、そういうのは「ずけずけ」っていうね!」
そう笑い飛ばし再びカウンターの下に潜った大内に楓はきょとんとした。指輪売りの高橋も、今目の前にいる大内も、彼女の母とは異なる反応や接し方を楓にしてくる。楓は自分の中での常識が他人の中では違うことになれるのは時間がかかりそうだと感じた。
未だに何かを探している大内から楓の質問に対する答えが飛んでくる。
「そうだね、さっきの楓ちゃんの質問に答えるならノーかな。進歩しまくってる現代科学も魔法と呼ぶならイエスかもしれないけど……っと、あった!」
そう叫んで立ち上がった大内が手に持っていたのは、レジでバーコードを読むために使うスキャナーのような形をした物だった。大内に指示され差し出した楓の指にはめられている指輪に赤い光が当たる。ピピッと電子音がしてから大内は楓の指から光を離した。
「よし完了。これで楓ちゃんの情報は学園内のコンピュータに記録されたよ!むやみやたらに魔法使ったらバレるから気をつけてね」
悪戯っ子のような笑顔を作る大内に楓はふるふると顔を横に振った。再び声を上げて笑った大内は楓の立っている玄関口まで出てきた。
「指輪買ったときに箱、もらわなかった?うんそれそれ!それに入れるのはこれだよ」
楓の両手にパラパラと落とされたのは一つ一つが小袋に入った飴が3つと鍵だった。それらに首を傾ける楓だったが、大内は楓を見つめるだけで説明をしない。数秒悩んだ楓ははっとして口を開いた。
「あの、これらはなんですか……?」
楓の質問を聞くなり、大内は笑顔で大きく頷いた。
「よくできました!わからないことはちゃんと聞く!これ大事ね!……で、この鍵はあなたの部屋の鍵。失くさないようにしてください!それでこっちの3つの袋は魔力補給用の飴。支給は1日3つで、玄関外にある自動販売機に指輪かざせば出てくるよ。まー、魔力やらなんやらの話は授業でするだろうから今はしません!わからないうちはまあ……、適当に毎食後にでも食べたらオーケー」
まるで処方箋のようだなと思った楓だが、ふと昨日久保が口に放り込んだ飴のようなものを思い出した。楓はこの飴を魔法使いのための栄養補給の類の物なのだろうと推測し、ひとまず納得した。
大内は楓を先導して彼女の部屋へと案内した。女子部屋は玄関を入り、寮母の駐在するカウンターを過ぎて右側で、左側は男子部屋。楓の部屋は二階の一番奥の部屋だった。特に学年は関係なく振り分けられているらしい。
鍵を回し、部屋の扉を開くと右側にはベッド、左側には勉強机と椅子、クローゼット、そして一人掛けのソファが既に配置されいた。ベランダに続く窓からは大きな湖と、森と表現しても過言ではないたくさんの木々が見える。
「広くはないけど景色は良いでしょ?エアコンのスイッチはここ、電気はこっちでここを開けたらユニットバス。消灯時間は特にないけど常識の範囲内での行動をお願いしてます!異性部屋に行くことと寮内での魔法は基本禁止。でも申請出してくれたら大丈夫だよ。あとはええと……、あ、食堂!11時から14時までなんだけど、ご飯はもう食べた?」
頭を横に振る楓の肩を掴んで大内は言った。
「だめじゃん!食堂はこの建物の一階、玄関の反対のとこ、扉開けたらあるから!ほら荷物置いて行っといで……あ、でも鍵はちゃんと持っていくんだよ!」
楓の持っていた紙袋に入っている箱とベルトを大内は手に取った。箱の蓋を開けて楓に鍵と飴を入れさせ、箱の側面にあるベルトループにベルトを通し、それを楓の腰に巻いた。
「制服着てなくてもそれ腰に巻いてるだけでもう稀代生だねー。よーし……そうそう部屋の鍵はちゃんと二つかけて、うん、ご飯行ってらっしゃい!」
「あ、い……、行ってきます……」
何度も大内にぺこぺこと頭を下げながら階段を下りてゆく楓を見送り、独り言をつぶやいた。
「あの子、きっと行ってらっしゃいって言われ慣れてないな……」
*
『ひゃー、よくしゃべる人だったね!』
「そうね、でも居心地は悪くなかったわ。それに……」
階段を下りながら何かを思案する楓に『声』が続きを急かす。
『それに、なに?』
落ち着きのない『声』に楓は肩をすくめた。大内の思った通り、楓は「行ってらっしゃい」という言葉を言われ慣れていなかった。家族にもかけられたことの無い言葉によくわからない感情を抱きながら楓は返事をした。
「……お腹が空いたわ、早く行きましょう」
『ねーえ!絶対違う!ごまかしたでしょなにかー!』
自分にもわからない感情なのだ、『声』には理解できないだろうと踏んで気持ちを隠し、『声』の反応を笑いながら食堂への扉を開いた。