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純白の狂気①

「お前ら、風町はどうした!? 連れ戻してくるんじゃなかったのか!?」



 北組が休憩をしていたガソリンスタンドへと肩を落として戻ってきた朱音と桜に、薬師寺が血相を変えて声をかける。


 あのあと、皆の元に戻ろうという桜の提案に対して、美砂は近くに父親が入院している病院があるのでどうしても早くそこへ行きたいと言ってきかなかった。


 また、「プチデーモンは早く戻らないと、今生徒たちが襲われたらひとたまりもない」と美砂に脅され、朱音はしぶしぶ彼女と別れたのだった。



「病院か……わかった」



 朱音たちの話を聞いた薬師寺は、北組の生徒および同行している保護者たちへと向かって頭を深々と下げ、そのままの姿勢で喋った。



「皆、すまん! 保護者の皆様、申し訳ありません! 生徒が一人で近くの病院に向かってしまったようです。今から私が連れ戻しに行ってきますので、先に進んでいてください! すぐに追いつきますので……」



 薬師寺は、そう言い残すと、返答を聞くより早く駆けだしてしまった。


 去り際に朱音をちらりと見たのは、皆を頼むという意味だったのだろう。


 生徒たちは意外にも、いや、当然のようにというべきか、薬師寺が抜けたことについてはあまり関心が無いようだった。


 彼を疎む生徒は多い。


 一方で、保護者からは不満の声が漏れ始める。



「先生がいなくて、誰が引率するんだ。無責任だな」


「子供たちが怪我をしたらどうするつもりなのかしらね」


「なんか、あの先生、ダメな先生らしいわよ」

 


 彼らもまた、このおかしくなってしまった世界の中で行き場を失い、行き場のない憤りをぶつける対象に事欠いているのだ。


 この場合、薬師寺が優秀であろうが、そうでなかろうが、非難を受けることには変わりがないのだろう。


 傍らで黙ってそれを聞いていた朱音と桜だったが、やがて二人とも顔を見合わせた後で静かに頷いた。



「ねえ皆―――」



――――――――――――――――



『風町外科医院』



 美砂はだだっ広い駐車場からその看板を独りで見上げていた。


 肌色の煉瓦で覆われた病院の外壁には、窮屈そうにガラス窓が並んでいるが、外からは人影らしきものを確認できなかった。



 この病院は美砂の父、風町修治かざまちしゅうじが先代からの悲願を受け継いで20年ほど前に建造したものだった。


 外科専門の個人病院でありながら、総合病院並みの広さを持つ6階建ての大病院。


 以前は駐車スペースを探して徘徊する車があるほどの盛況であったはずだが、今は魔物のせいか、院長不在による不信のせいか、駐車している車はまばらで閑散としている。



 美砂はやがて息を深く吐き出すと、自動ドアの前に立った。


 しかし、一向にドアが開く気配はない。


 ドアのガラス越しに中の様子をしばらく覗うと、薄暗くも照明は確かについている。


 自動ドアは動かないが、電気の供給が止まってしまっているわけではないようだ。


 もしも停電になれば、父親の生命維持装置も止まってしまう。


 とりあえずはその点は心配が無いようで、美砂は少しだけ胸をなで下ろす。


 それから辺りをしばらくうろついて、鍵のかかっていない診察室の窓をみつけると、そこからそろりと侵入する。


 室内は電灯がついておらず、薄暗くて人の気配も感じられない。


 診察室から廊下に出たところで、美砂は咄嗟にスカートのポケットに手を突っ込んで、包丁の柄を掴んだ。


 血だ。


 モンスターのものとは違う、真っ赤な血液が地面に点々と落ちていた。



 (まさか、ここも学校みたいに……。5階のICUへ急がないと)



 周囲を慎重に警戒する一方で、その胸の内は穏やかではなかった。


 やっと父親を治療する方法が見つかったというのに、魔物に殺されていては意味がない。



 廊下を抜けて外来受付ロビーが見えてくると、身を潜めてその様子を覗う美砂。


 整然と並ぶ待合用の長椅子に腰を掛けているものは誰一人としておらず、受付カウンターにも医療事務者たちの姿は見られない。


 ただ一つ、いつもと違ったのは、そこかしこにおびただしい量の血がぶちまけられていることだけだった。



 (何があったっていうのよ……)



 身を隠すのをやめてロビーへと歩み出た美砂の額に汗が滲む。


 魔物の姿は見当たらない。


 あちこちに血痕が残されているのに、遺体の一つも残されていないというのはどういうことなのかとしばらく考え込んでいた。



 しかし、今は兎にも角にも、5階の集中治療室を目指さなくてはならない。


 美砂はなんとか気を取り直すと、ロビー横にあるエレベーターへと向かった。


 登りのボタンを押してしばらく待ってはみたものの、ドア枠の上に並んだ数字は3だけがずっと点灯したままで、いつまでたっても減りはしなかった。


 美砂がやむなく非常階段へと進むべく、薄暗い廊下を再び歩き始めたその時だった。


 長い通路の向こうから、誰かの足音がコツンコツンと聞こえ始める。


 美砂が目を凝らす先では、女性看護師がこちらへ向かってきているようだった。


 だが彼女の様子は明らかにおかしい。


 そのナース服にはまだ汁気の残る血液がべったりと付着しており、足元はおぼつかず、右へ左へと体を揺らしている。


 びくりと天を仰いだかと思えば、今度は窓の外を見ながらブツブツと独り言を漏らして嗤っている。


 項垂れた肢体をガクリガクリと軋ませながら、一歩、また一歩と、美砂の方へと近づいてくる。

 

 その姿がはっきりと見えた頃、美砂は包丁を鞘から抜き取り、おもむろに構えた。


 美砂が彼女を敵と見なした最大の要因はその異常な様相にあらず、その手元にぶら下がっていた中年男性の物と思われる頭部だった。


 そしてもう片方の手には血にまみれた、※剪刀せんとうが握られている。※手術用のハサミ



『あ……ら、美砂ちゃん……久しぶ……ぶりじゃない?』



 傾きの定まらない首を小刻みに震わせ、焦点の合わない瞳で美砂を見るともなく見ながら、その看護師は呟いた。



「ええ、お久しぶりね、坂上婦長。しばらく会わないうちに随分とパンキッシュになったものね」



 この病院全体の異常な事態は、この婦長が独りで招いたものなのかと、美砂は考えを巡らせていた。


 いつも、誰に対しても優しく、面倒見のよかった坂上。


 それが今目の前で、未だ血の滴る人間の生首を握りしめながら、狂気にまみれた微笑みを浮かべている。

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