2 手持ち無沙汰の 転生者
この世界での目標を見つける。それが今の目標です。
洞穴にできたベッドを見て喜ぶブゥを見ながら、そんなことを考える。
前世からどうにかしてこの世界に転生してきたみたいだけど、僕には特にやることがない。
どっかの王宮で召喚された勇者でもなければ、魔王のいる世界でチート能力を使って無双するわけでもない。
僕のことを無条件で好きになってくれるかわいい女の子は影も見えないし、レベルアップだのスキルだの頭の中に響く機械的な音声も聞こえない。
物語のように異世界転生を果たしたが、どうやらこの世界は物語のようにやるべきことを親切に教えてくれるわけではなさそうだ。
「んー…ブゥ、とりあえず水浴びをしてこよう」
ここで考え込んでいても何か思いつきそうにもないし、とりあえず普通に生活を続けるかなー。
ベッド作りで少し汗をかいたし、水浴びしよう!
ブゥも嬉しそうに んぶぅ と鳴いた。洞穴に置いてあった木をくり抜いて作った木のバケツを2つ持って、ブゥと一緒に水浴び場まで移動する。
洞穴暮らし初日、飲み水が欲しくてブゥに水のある場所を聞くと、洞穴から歩いて1時間とちょっとかかる場所に大きな泉があった。泉は直径300メートルほどの円形で、腰まで浸かるほどの深さだ。僕はこの大きな泉を水浴び場と呼んでいる。少し贅沢な気もするが。
泉の水はひやりと冷たく、底が見えるほど澄み渡っていた。
水浴びをするときはそこからバケツで水をすくって少し泉から離れて頭から水をかぶる。ブゥは今まで直接水に浸かっていたようだが、飲み水にすることを考えてやめさせた。基本的にブゥの体は僕が洗っている。
飲み水が欲しいときはバケツいっぱいに水を入れて洞穴まで運ぶ。
ちなみに、さっきから登場しているバケツは、倒れていた木をブゥと力を合わせて中を削って作ったものだ。形は歪だか使えないこともない。水を汲むのに使っているためすぐ腐ってしまいそうではあるが、今のところ問題はなさそうだ。
水浴び場に到着する。
泉の水は変わらず透明で、太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。
とりあえず手で水をすくって一口飲む。うん、冷たくてうまい。
ブゥが隣でバケツの縁を口で咥えながら、体を洗ってもらえるのが待ち遠しいのか、ソワソワしている。
ブゥは、水を飲まない。他の動物の血を吸うことで水分は十分にとれているらしい。
けど、僕の血もほんの少ししか飲んでないし、血だけで渇きが潤うものなのか?
そんな疑問もあるが、最近は深く考えないようにしている。
ここは異世界。前世までの常識は通用しないようだ。
ローブを脱いで木の枝にかけておく。素っ裸だ。
前世までなら大人になってから外で全裸になんてなれば警察の方に声をかけられるはずだが、ここでは誰の目も気にすることはない。他に人間なんて一度も見てないしね。
バケツで水を汲み、ブゥに水をかける。体の垢を落とすように素手でゴシゴシと洗ってやる。ブゥは気持ちよさそうに んぶぅ と鳴いた。洗い終われば、もう一度水をバシャっとかける。
次は僕の番だ。バケツで水を汲み、頭から思いっきり被る。心臓の辺りがキュッとなり、息が詰まる。
ぅー、まだ冷水で入るのにはなれないなー。
体がブルブルっと震える。
綺麗な水で身が清められるのはとてもいいことなのだが、もう少し温まってくれないか。いや、なんなら温泉があってくれてもいいじゃないか。冷水で風呂は現代っ子には辛いです。
そんな文句を言っても現状は変わらない。むしろ異世界に来て他の人間とも出会えていないのに、体を洗える環境にいるだけでもありがたい、と思うようにしよう。うん。
2、3度水をかぶり、体の汚れを落としていく。
ゴシゴシと体を擦りながら考える。
目標を温泉をつくることにしたらどうだ?そうしたらこんな冷水浴びなくてよくなるし…。
いや、異世界で温泉目指すって、そういう漫画があった気がするな。
あれはこんな世界で実現するのは難しそうだ。
あんな技術僕にはない。ただ湧き出てる温泉を探すのはいいかもしれないけど、こんな森の中でどうやって探せばいいのかもわからない。
探索していく中で、見つければラッキー程度に考えておこう。
異世界でしか味わえない美味しい料理を作る、とか?
いやいや、もともと僕料理苦手だし。だからコンビニの唐揚げ弁当をよく食べていたんだ。
それに今は不思議なことにあの赤い実だけで満足している。頭の中で肉を想像するだけで気分が悪くなるし、野菜もなんだか食べたいと思わない。
今の僕の食欲を刺激するのは、果物だけのようだ。そんな男が絶品料理を目指すなんて馬鹿げている。
他の人間を探す?
今のところ、これが一番目指すべき目標かもしれない。もしもこの世界にも人間がいるとすれば、日本語が通じないとしても身ぶり手ぶりでコミュニケーションはとれるだろうし、保護してくれるかもしれない。町なんかで住まわせてくれれば、今よりもっといい暮らしもできるだろう。
けどなー、人間のとこいくと、働かなきゃだよなー
そう、問題は「人間の社会で生きるならば働かなければまならない」ということである。
せっかく異世界に転生してきてさー、また前世と同じように働くってのは、ちょっとなー。
安全かもしれないけど、楽しくはなさそう。
もしかしたら、魔法学校なんかがあったり、錬金術があったり、冒険者なんていう職業があったりする可能性だってある。それはそれでワクワクするものがある。
しかし、そんな夢を見て人間の社会に飛び込んでみると、奴隷にされてしまいましたーだの、買うものが無くて物乞い生活ですーだの、朝早くから遅くまで貴族に顎で指図されてやっと生活できますーだの、そんな結果になる可能性だってあるのだ。なんなら、森から出てみると普通にここは地球のどこかの森の中で、無事に日本に帰れるっていう可能性だってある。
日本に帰りたいとは思う。家族や友人、同僚たちに会えなくなるというのは寂しい気持ちになる。
けど、もう少し楽しんでいきたいよね。
せっかく不思議な動物や植物に囲まれて未知の世界を探検できるのに、そのチャンスを捨ててすぐ日本に帰ろうなんて勿体無い。せっかくもらったチャンスなんだから、楽しまなきゃ損だ。
僕はブゥと暮らすこの3日間でそう考えるようになっていた。
不思議な世界を探検したい!冒険したい!
頭の中では、少しゲーム感覚になっているのかもしれない。最初は何が起きているのか分からず怖かった。そしてひとりになってしまって寂しかった。すぐにでも帰りたいと思っていた。
けど、帰り方も分からないし、周りには面白そうなものがたくさんある。
それなら、少し遊んでから帰る方法を探したって誰も怒らないだろう。
そうすると、この世界を旅してまわるのがいいのか?
んー、それもそれでちょっと怖いな。
確かにワクワクするような話だけど、現状物事を知らなすぎる。もし旅先で怪物になんかであったら、為すすべもなく殺されてしまうだろう。
今の僕をゲームで例えると、『装備:汚れのつかないローブ』『スキル:なし』『レベル:1』っていう駆け出しも駆け出しだ。冒険を始めるには、旅の準備が必要不可欠。旅先で傷ついたらどうするか、襲われた時はどうするか、食料が尽きたらどうするか。今のままでは対処できない。
冒険を始めるには、まずそこからだ。
けど、そこで問題がひとつある。
僕は、とてつもなく弱い。
今僕の体は子どものそれだ。足だって遅いしすぐ疲れる。力も弱くて重たいものは動かさない。異世界らしく剣を持って戦うとしても、今のままではきっとおもちゃの剣しか持てないだろう。
そんなやつがひとりで異世界を冒険。うん、死ねる。
どうしたものかなー、そもそも強くなるってどうしたらいいんだ?筋トレ?
そんなことを永遠と考えていると、さすがに体が冷えてきた。冷水を浴びた後長い時間裸のままでいると体調を崩しかねない。そろそろローブを着よう。
体の水気を払ってローブを着る。心地のいい感触が身を包む。このローブ、結構質の良いものなのではないだろうか。不思議な異世界パワーが働いてるし。
そんなことを考えながらガシガシと髪の毛の水を払う。そのとき、視界の隅で何かが動いているような気がして、バッと顔を上げる。特に何かがいるようには見えなかったが、よく目を凝らすと何か小さい虫のようなものが円を描くように飛び回っているように見えた。
「なんだ、あれ?」
目を細めて見て見ても、それが一体何なのかがわからない。隣のブゥに分かるか?と聞いて見ても、尻尾をブンブンと振るだけだった。
ただ虫が飛んでいるようにも見えるが、微かに光を放っているようにも見える。
「ブゥ、近づいてみよう」
んぶぅ と鳴いて、ブゥが後からついてくる。
泉の縁を沿って歩き、その虫に近づいていく。
すると、そこに見えたのは…
「…っ!ここに!近づかないでください!!」
羽の生えた、手のひらサイズの少女だった。