二十二章 物に魂が宿るとか言われても? 今お前が読んでいるものはどうだ? 一
防壁から飛び降りたつもりが、メセムスに捕まれていた。
リフィヌは困ったように笑顔をかしげてヌンチャクを首へグイグイめりこませてくる。
「この高さでは自殺同然ではなく、ただの自殺になりますかと」
「ご……ごぱっ、つい……」
「その位置の圧迫は。窒息死に至りマス」
「アレッサ選手、騎士団を猛然と追走……に見えますが、表情はしかられた悪ガキです! ユキタン選手から全力で逃げています!」
「ち、ちがっ……?! これはその……斥候! 本隊を導く斬りこみの分担! ほらその入口前にも虫人の罠を見つけたぞ!」
巨大すぎる壁の接地部分に、ぽつんと数階分の高さの入口。
開けられたままで厚く砂を飲み、その前の砂地に変わった様子は見えない。
「気がついたのに、その速度で突っこむ気でしょうか? 待ちぶせれば獣人や魔獣の群れも仕留める罠職人トリオの領域へ……」
不穏な実況にオレとリフィヌは縄ばしごをあせって降りる。
「止まれ~! なに考えているボケ担当~?!」
「いくらなんでも、アレッサ様の冷静な判断力であれば……え?」
駆ける蒼髪はほとんど方向を変えないまま、速度を上げていた。
這いよる砂オバケを踏み、細かくギザギザに……ほぼ直進。
「ここ! ……とそこ!」
踏んだ足跡の近くで大穴が開き、あるいは細い針が飛び出る。
「あとそこ? あ。やっぱり」
時おり先の地面へ小石を投げつけている。
「あうわわ……落とし穴は防衛装置の踏んだ跡を記憶して……でも針は穴の配置から考えた勘だけ? いえ、当たった音でも手がかりを……でもあの速さである必要はありませんよう?!」
「本人のむなぐらをつかんで言ってやって!」
手がすりむけて痛いよ熱いよ……あのヤロウ?!
アレッサが銛を横なぎに大きく地面を斬りつけながら進みはじめる。
「そしてこのあたりはもうわからない!」
自分でばらすな?!
「うん、たぶんこのへんだ!」
たぶんで跳ぶな?!
乱舞の銛が先の地面へ突き刺さって倒れ、その柄を踏みつけると真下に落とし穴が開き、両側の地面からはムカデの虫人とサソリの虫人が起き上がる。
不正解しかない三択へ強引に渡した一本の正解ルート。
その先にもさらに蜘蛛人が待ち伏せていた。
口から吹き出した糸を六本腕で一瞬に編み上げ、投げ広げてくる。
アレッサはボロボロになった剣を投げつける。
それはゼリー状の網に引っかかって断ち切りも通過もできない。
でも柄に結びつけられた日よけの外套が広がり、粘つく糸のほとんどを引き受け、直接には手を触れないでふり払えた。
突撃の速さも方向もほとんど変わらない。
六本中四本の腕によるひっかきが二本の刃で防がれた時、蜘蛛人の腹には鉄靴が埋まっていた。
抜いたつま先には短い刃が飛び出ていた。
「ザンナが世話になったと聞く! 急所かどうかよくわからないあたりを刺しておいた!」
それは御礼のつもり?!
背後からはムカデ怪人が首、サソリ怪人が尾をムチのようにしならせて襲いかかっている。
ふたりは二回ずつ外すと、虫人の脚力を活かすことなくアレッサの飛ぶように駆ける背を見送る。
「アレは効率が悪い」
「アレも効率が悪い」
防壁を降りきったメセムスが赤砂をまとって巨大化をはじめていた。
「ひくか」
「ひこう」
ふたりは腹を押さえてのたうつイジェムエ教授を暴れさせたまま、脚を一本ずつ握ってひきずり、巨壁ぞいに逃走をはじめる。
四倍サイズの砂巨人メセムスが砂オバケをはね散らして走り出す。
リフィヌと一緒に抱えられ、ようやく息を整える時間ができた。
「なに、考えてんだ、アイツは?! 一体なんの真似だ?!」
「罠だらけの中をまっすぐ走った選手でしたら、もうひとりだけ心当たりが」
「誰そのバカ?!」
「ユキタン様、あれは……」
メセムスの足元に、砂オバケの群れにたかられて埋まる武者鬼と獅子騎士がいた。
「もちろん見捨てる……え? もしやアイツら鎧を脱ぐと美少女になるとか?」
「いえ…………その先の品は三巨頭『海の聖騎士』ソトリオン様の得意武器でして」
指しているのは罠地帯の終り近くに転がる『乱舞の銛』だった。
「あれがアレッサ様の手に渡り、見事に使いこなす姿には運命すら感じましたが……」
踏みつけられて使い捨てられているけど、母親の親友の形見でしたか。
「しかたない、代わりにひろっておこうか」
メセムスが巨体を崩し、砂オバケ避けの即席バリケードを作る。
アレッサが近づいた塔の中では、巨体の象獣人が背を向けて奥へと走りだしていた。
「え?! おい待てってアモロ?!」
「お前がいれば、アレッサだけなら……おおい?!」
サイとカバの巨体戦士もしかたなしに追いかける。
「む! ザンナの知り合いだったな?! よければ鼻を……いや、話を……!」
せっかく逃げてくれたのに追うなよ!
鼻ってなんだよ?!
砂のバリケードに降りて銛を調べていたら、モニターのアレッサが入口でふり返り、両腕をまわす妙な仕草。
ふと、いやな予感がして『伝説の剣』を盾がわりに前へ出す。
ほとんど同時に銛が光って跳ね上がり、オレの喉へ向かってきた。
「ユキタン様?!」
はじいたけど突き倒される。
「これで回数更新……なんかこうなる気がして。これも運命?」
銛はジグザグに宙を駆け、塔の入口の近くへ突き刺さる。
「す、すまない! そこにいたのか?!」
罠地帯をはさんだ遠い声をモニターがつないだ。
メセムスは即席バリケードを吸収しながらふたたび巨大化をはじめたばかり。
アレッサは手元で釣り糸のような細い線を巻き上げていた。
そして銛を引き抜くと、コソコソ立ち去ろうとする。
そこでようやく、柄に結んでいた蒼い腕輪に気がつく。
震える手ではずすと、装着もしないで凝視している。
捨てた家族の罵倒に耐えるように萎縮している。
「オレを殺しかけたの何度目だよ?! 詫びる気があるなら、それだけは受け取れ!」
そんなに大事な相棒なら二度と離すな。
組み上がるメセムスを見上げる切れ長の目は鋭く、でも涙を浮かべ、なにかくちびるを動かしているけど、声にならないらしい。
「どうせ『資格がない』とか『借りておく』とかボケかましてんだろ!? オレがどれだけアレッサに借りがあると思っていやがる!? オレなんかに使われる腕輪の気持ちも少しは考えろ!」
焼きごてを押しつけるような気迫で腕輪が装着され、蒼い光を噴き上げる。
それがアレッサの心で、腕輪の返事だ。
いつまでブタヤロウの脱衣オモチャをやらせる気だ。
ボケ貧乳はおびえ顔でふたたび前方への逃走をはじめる。
「勝手にしやがれ。どこまでも逃げ続けろ。絶対に逃がさねー。どこまでも追い詰める!」
リフィヌは沈んだ顔でアレッサの背を見つめていた。
「ユキタン様の頭の中では、あくまでラブコメなのですね」
どどど、どういう意味でせうか?
聞いて……いい気がしない。
モニターに映る塔内とアレッサ、そしてピパイパさんのふり上げる拳とチチに目をそらす。
「なんとかに刃物! アレッサ選手に『風鳴りの腕輪』! 少女斬殺魔の腕に最悪の共犯がついに御帰宅です! とはいえ、防衛装置の装甲とは依然として相性が……」
「八つ当たり烈風斬!」
アレッサの新技は一瞬に八方へ斬撃を飛ばし、その着弾は動きの速い塔内の防衛装置の脚関節を正確に撃ちぬいて動きを鈍らせる。
人間ばなれした速さと精密さ、そしてネーミングのひどさで斬られる側は納得しにくい容赦なき性能。
「照れ隠し烈風斬!」
そんな名前の技が、墓石をつないだような太い脚を関節部分で切断した。
製作者や人形好きオッサンが見たらなんと嘆くか。
数が半減しているとはいえ、騎士団が六人がかりでも苦戦していた玄関ホールの歓迎パーティを猛獣アレッサは単独で突っ切る。
「うさばらし烈風斬! お茶にごし烈風斬!」
ことごとく、真顔で叫ぶ技名じゃない。
巨体獣人トリオが必死に防衛装置をかき分けて奥へ突撃し、長い蒼髪の美少女が困ったような笑顔で追う不思議な光景。
「アモロ! お前が正しかった!」
「お前だけでも逃げろ!」
サイとカバの獣人が半泣きで象人の背を守っている。
「待て私は別に……烈風斬! なぜ逃げ……烈風斬! 烈風斬!」
あいさつで斬って御礼で刺すやつに逃げるなと言われても。
切りかわったカメラでは騎士団が階段を駆け上がっていた。
体育館ほどの一室へなだれこむとピンク頭がへたりこみ、小柄なニューノは壁際に手をついて細かい操作をはじめる。
全員が汗だくで息を切らせていた。
「こ、このペースでは……こればかりは総隊長の言う通り、仕掛けたほうが楽では? 私の造花があれば烈風斬は……」
「ヒギンズさんが避ける相手に二十一鬼面さんが勝てるとでも?」
二番隊の犬猿コンビ、ワッケマッシュとノコイはすかさず口ゲンカをはじめるタフさ。
「速報新聞の格づけは魔法道具の補給がない前提です!」
「補給を受け、区間報酬を食いつぶして復帰してまで、また脱がされたいのかしら?」
「おのれアレッサ!」
ワッケマッシュ女史とシャルラ嬢がハモった。
「内部試合で私を一回戦落ちさせたばかりか、第二区間でも恥をかかせ……勝ちさえすれば、勝者である私の筆がすべてを決めることになる……」
レイミッサは無言のまま、斧だけが赤熱するようにギラつく。
「ま、もう少しの辛抱だ。あんな怖えお嬢ちゃんがいつ最強神官どのや魔法人形様と組むかもわからねえんだから、この距離は無理してでも稼いでよかった……ニューノ、映っちまってるが?」
「このルートでしたら問題ありません。総隊長の化粧落ちでしたら専門外です」
ニューノが手を離すと部屋全体が動きだし、透ける内壁がずれて上昇をはじめる。
リフィヌが眉をひそめる。
「ニューノさんはただでさえ探知魔法と、それに向く知識と判断力があるのに、遺跡の操作を専門家なみに身につけているようです。しかも今回の突入区域は全体に保存状態がよく、操作技術が活きる環境です」
「移動装置を使い放題?」
「状態がよければ防衛装置や隔壁も多くなりますので、早くはならないかもしれません。しかし設備への対応力が相対的な有利を広げます」
地味だけど、地形を活かせる優位が騎士団の勝算か。
モニターに映るアレッサは巨体獣人の脚力に引き離されたらしく、ひとりで土偶の群れと遊んでいた。
急に方向を変えて狭い通路に入る。
追ってきた二体の足を奪ってバリケードに変え、息を整えていた。
「烈風斬が絶好調とはいえ、あんなに撃ちまくったら……」
「アレッサ様の戦闘センスは対生物戦では人間ばなれしていますが、頑丈なだけの土偶に数で押されては、やはり獣人ほどではない持久力や移動力の不利が目立ちます」
ヒギンズはそこに目をつけて、土偶軍団をはさんで足止めに……見ばえはしなくても現実的な狂犬対策か。
巨体戦士トリオは無事に切り裂き魔をまいたばかりで、大部屋をあわてて探索していた。
「騎士団のにおい、ここで途絶えて……天井の向こう、部屋が上がってる」
「じゃあここを昇れば近道か? とりあえずこの階層は早く離れよう」
サイ獣人がこわごわ腕をのばして壁の操作をはじめると、部屋はグニャグニャと変形して上昇をはじめ、急に速度を上げ、急に止まる。
転びかけた三人の前で壁が斜めに崩れるように開きはじめ、その向うでは機械声の歓迎文句がひしめいていた。
リフィヌがますます眉をしかめる。
「まさかニューノさんが仕組んで? もし移動装置や防衛装置の工作まで多少なり可能なら、無理にでも先行した意義はさらに大きくなります」
オレはすりむいた手の平に消毒液をぶっかけて包帯を巻きつける。
メセムスは罠地帯を越え、体をゆっくり崩す。
「ガガ……塔内では。『土砂装甲』の効果が制限されると推測」
「え」「な」
「建物内だと床が抜けたり部分倒壊しかねない?」
「それ以前に、巨人都市の闘技場のような対魔法建築でした。モニターで見る限り、分離したがれきなら多少は調達できそうですが……」
間近に見る塔の壁面は水色ではなくガラスのような透明で、柱がメッシュ地のように複雑に編まれている。
メセムスは玄関前に転がる透明ながれきへ『大地の小手』をかざして吸い寄せる。
そのまま手を壁に近づけると、ひびわれた部分が鈍くゆれるだけだった。
「発動できる場所が限られますね。仮に十分ながれきがあっても、補助道具としての適性が低く、消耗が大きいはず。発動可能な時間も短くなりそうです」
玄関ホールは台風娘の通過直後で、覚悟したより出迎えがまばら。
「いらっしゃいマセ。予約のないご来訪は。廃棄装置へご案内いたしマス」
偶然に意味が通って怖いあいさつに。
勇者はさっそく、頼もしすぎる娘さんたちの背に隠れる。
モニターで見ていた印象よりも広い……ってよく見たら、壁がジリジリと広がるように動いている。
白く見えた壁や床は透明なブロックパズルが複雑に絡んだモザイク状。
内部の光は明滅ペースや動き、面か線か点かの形状までバラバラだけど、色だけは白で統一されている。
「まずは奥へ向かいましょう。拙者も遺跡については学んでおりますが、ニューノさんやミラーノさんほどではありません」
「部分的な情報は記憶していマス」
「メセムスさんも事前に塔の学習を?」
「ワタクシは。この塔で巨人将軍に発見されマシタ」
「たしか製造は八年前と……第二回競技祭?」
「決勝の魔法道具。持ち帰られた魔法人形。その修復品デス」
「すると、このかたたちのお仲間?」
集まる『招きの土偶』は歓迎の言葉で攻撃してくるけど、メセムスのことは観察するように手を出さない。
「清掃機器の異常動作を発見。痛んだ食材の部品交換を検討……」
ついには動きが止まった。
「もしかして意志が通じる?! こんなところに隠し反則要素が?!」
「規格外品デス。廃棄作業を開始しマス」
「付近のかたは危険デス。身の安全を解除シテください」
検討が終わると一斉に攻撃してきた。
メセムスが前に出て一礼する。
「直接持ち出しによる。修復作業日程の確認を要求しマス」
ふたたび一斉に土偶が止まった。
「今の呪文はなに?」
「彼らの行動判断の故障を分析し。検討が必要と判断される要求を推測しマシタ。これにヨリ……」
メセムスは動きを止めて首をかしげる元同僚を殴り散らす。
「強行突破の時間を。効率的に得られマス」
ひでえ。
「安全確認のため。両腕をとりはずしてお待ちクダサイ」
「とりはずしの実演が必要と推測シマス」
「ご注文の管理人は。調味料をきらしておりマス」
「お客様は串焼きの安全性の説明をご要望デス」
束縛の呪文のおかげで、動きが速いわりに外の砂オバケほど陽光脚を出さないで進めた。
「く、串焼きの材料は。管理人デショウカ。お客……様デショ……ウカ?」
「もしやセイノスケ様は、このような技能も見越してメセムス様を?」
「さすが、あのクソ天才が真っ先にくどくだけはある……だいじょうぶ? 少し休む?」
土偶のまばらな通路まで逃げこんだあと、メセムスがうつむいて止まっていた。
「彼らの。より効率的な。運用を検討していマス」
「どういうことでしょう?」
「仲間にするとか? たしかに、あれだけ話が通じるなら、あと一歩な気も……」
でもメセムスはゆっくりと歩き出す。
「彼らを修復可能な作業時間は不足していマス。ユキタンの護衛に必要な。作業効率を得るため。彼らの将来的な改善計画を。確定する時間のみ必要デス」
リフィヌは大きく首をひねるけど、オレは印象だけで答える。
「やっぱり元いた職場だと思うところがある感じ?」
「適確な表現デス。ユキタンの形式による表現で。現在の作業の遅延を説明シマスと……」
ふたたびメセムスが止まる。
「胸が痛み。腕が重いデス」
「はうわ?! もうしわけありませんメセムスさん?!」
「君は人間相手の殺戮に徹して?! 土偶はオレたちでなんとかするから!」
さいわいというか、ほかの選手が作った残骸の転がる通路が続く。
四角で構成された通路と部屋は一見、元世界のオフィスビルのようだけど、歩いてみると長さと大きさに無駄が多く、配置やつながりも無意味なものが多い。
設計デザインを学んでいない子供がパーツをぞんざいに詰めこんだような間取り。
配置も広さも不規則な連続した広間をいくつか抜け、内装の模様が細かい大部屋の手前でリフィヌは土偶のちぎれた脚をひろって投げこむ。
「各装置は光の動きが多いほど損傷が少ないのですが、それが安全かどうかは実際に試さないと確認は難しいです。もしユキタン様が単独で移動装置を使う状況になった場合、必ず先になにかを投げこんでください」
続いて壁をなぞって操作すると、床がせりあがって箱状になり、天井に接してからはグングン速度を上げてさらに上昇し続ける。
そして遠くで爆発音がした。
「やはり荷物用でしたか。ほかの動作は正常に見えましたが、肝心の速度制御が壊れている大ハズレですね。人間用と感じられない部屋は絶対に入らないでください。危険性が格段に高いです」
塔内は全体が宇宙船じみていたけど、言われてみると殺害部屋はどこか倉庫のような、整然としすぎた印象がある。
リフィヌが慎重に選んだ部屋はバスケットコートほどの大きさで、壁の模様に曲線が多くて装飾的。
それでも慎重に物を投げ入れ、勝手に起動しないことを確かめる。
そしてリフィヌがひとりで起動させて様子を見てから、メセムスとオレも乗りこむ。
「えらい手間だね。アレッサはだいじょうぶかな?」
「まともな選手であれば知っている攻略の基本です……しかし……」
今の切り裂き娘がまともとは言えませんね。
エレベーター上下程度の簡単な操作を教えてもらう。
「外側からの操作や部屋の変形なども可能ですが、ささいな操作ミスが故障とあいまって致命的になりかねません」
習ったとおりに壁に手をつけ、方向と部屋を意識して腕も同時に動かす。
「特に速度調整や位置指定は衝突や閉じこめの原因になりやすいため、意識から排除してください」
透けた壁が動き出す。音や振動はまったく無い。
「時間をかければ、以上の基本だけで安全性を判断できますが、難しいのは短時間で絞ることです。悲劇の多くは、防衛装置に追われて安全を確認できないままの起動が原因です」
上昇はしているけど長い縦穴もワイヤーもなく、天井や移動中の部屋が次々と変形して組み変わっている。
「慎重に確かめましたが、さすがにこれは……遅すぎますね。拙者の選択が少々、はずれたかもしれません。減速が進んで閉じこめられる可能性はありますでしょうか?」
「移動を優先させる伝達機能が下がっていマス。ほかの欠落はありマセン。このままの搭乗を推奨しマス」
「ありがとうございます。助かります」
一緒に深々と拝んでおく。
「少しばかり、休憩できると考えましょう」
リフィヌが床に座ったので、隣にへたりこむ。
互いに疲労具合を探る目。
塔の中は涼しかったけど、服のままで寝ても風邪をひかない程度。
動き続けていた汗はなかなかひかない。
壁や床の光はばらばらのようでいて、ほとんどの空間をほぼ同じ明るさで照らしていた。
モニターではアレッサもどこかの移動床で上昇していた。
こちらよりは速いけど、大型バスくらいに狭く長細い。
なぜか壁に向かって体育座り。
「塔内は騎士団、神官団に続いてアモロファトン選手たち三名とアレッサ選手、それにユキタン選手たち三名……おっと? 魔術団のおふたり、早くも……?」
ピパイパさんの手ぶりでカメラがきりかわり、どこか暗いところから上昇している小部屋。
「でかしたマキャ坊! 地上には出られたようだ!」
「ちぇえ~、苦労して壁の機嫌とったのに、モニターで見たところかよ~?」
ふたりを包む小部屋がとび出たのはみんなが通った玄関ホール。
上昇が止まるなりマキャラはスタスタと出てきて、奥へと突き進む。
大量の防衛装置の残骸が広がっていた。
「あーあー、ひでえなあ。特に『貧乳のクソ勇者』ときたら、かけらも情が……グスッ……ねえよ……このボウヤたちが、なにをやったって言うんだチクショ~オ! ヂグジョ~オ!」
「お、おやめ?! 下手にトップ連中を刺激すんじゃないよ! 決戦で気が立って、元からおかしいのがさらに……いや、ほら、もうすぐお望みの人形ちゃんたちに会えるかもだろ? 涙をおふき……」
アハマハは老婆の姿にもどっていたのに、なぜかうらやましいカップルに見える。
続いて映った邪鬼王子はまだ砂漠で、鳥男に肩をつかまれて大きなジャンプをくり返していた。
「おじい様の偉業を賞賛していたらウッカリ休みすぎたようだ! だが、ここから一気に取り返す!」
最後の罠地帯の跡を飛び越え、入口に着地。
「でもアイツ、移動装置を暴走させて壁の染みになったり迷子になったりしそうな芸風だよな」
「どうでしょう? 祖父の邪鬼魔王は『闇の勇者』の意志を継ぎ、塔を封じて被害を減らす方針ではありましたが、探索は大規模に支援していました。魔王配下の中では遺跡知識があるほうかもしれません」
六手巨人と洞窟鬼のコンビはまだどこかの休憩所で、不安そうにモニターを見ていた。
独りになった妖獣妃もまた、どこか小さいオアシスの木陰で休んでいる。
日がだいぶ傾きつつあった。
夕方になれば砂漠の気温は急激に下がり、大型の選手もラストスパートをかけてくるだろう。
「ここでもう一組、優勝争い候補の登場です! グライム選手と同じく、地下へもぐってカメラが見失っていた長虫巨人エペジェシカ選手と苔獣人ルガルバ選手、なんとマキャラ選手の発見した遺跡内部に現れました!」
画面の中央がほとんどモザイクとなり、あちこち触手がうごめく巨体らしきものを映している。
「グァババ! およぞの位置ざえわがれば、ごれほど大きな空間、アダグシの地下探索能力でたどりつげるぅ!」
その背には青黒いかたまりがしがみついている……らしい。
「ウシュウシュシュ。しゃあ、ここから一気に塔へ突入しゅよう、閉鎖空間におけりゅ我々の脅威に人間勢力などまとめて……『魔法の道標』ってしょれ? ひゅぐびゅ?!」
巨体が光の通路に踏みこむと突然に背景が吹っ飛び、カメラも乱れる。
「この加速は……すでに時速二百キロは出ているようですねえ? 生命力の強いおふたりですが、少し大胆すぎる選択だったかもしれません。カメラは巻きぞえを避け……あ。壁」
画面のゆれがひどくなって不意に回転し、落ち着いてくると周囲の壁が映る。
そしてなにか一瞬、粘液の広がった壁が見えたあと、画面全体がモザイクになる。
「まあ、ここまで細かくなればかえってグロくないですが……エペジェシカさ~ん? ルガルバさ~ん? 競技続行の見込みはどうでしょう?」
壁一面に散り広がったなにかはグチャグチャと音を立てて垂れ落ちている。
「ぢょっど……むずがじ、みだいで……ぐぶぉっ……」
床の粘液だまりから、かすかなうめき。
「棄権をご希望でしょうか? しかしその場所で、その体を回収するにはかなりの準備が必要になりますが…………返事がありませんね……ではカメラも足りませんし、十番カメラは塔の決戦へ向かってください!」
カメラは開始台のある観戦会場に切り替わり、なぜか泣き崩れる中年サラリーマンが大きく映される。
遅れて流れたテロップには『ヒロスミさん・四十六歳・異世界出身・通信会社勤務・エペジェシカ選手の父親』……あのオッサンにも複雑な事情があるらしい。
「でもまあ一応、懲罰兵の三分隊で探索へ向かわせてください。触手マニアさんの愛娘を発見できれば二年の減刑で……ウマ? なんですそれ?」
ふたたび地下の薄暗い通路が映る。
半馬人のオッサンがひとり、粘液まみれの槍を手に立っていた。
「この『穿孔騎』シサバ! たとえ砂中に巨虫と対峙しようと、ただでは逝かぬ! その信念が死中に活をもたらしたり!」
ピパイパさんが笑顔で眉をひそめる。
「アリジゴクの流砂に沈んだはずのシサバ選手でしたか……競技の盛り上がりには関係ない幸運……」
ひどいこと言うなよ! オレよりは立派な戦闘力だよ!
でも彫りの深い渋い顔は青ざめて震えていた。
「されば、地上はいかなる方向に……?」
「もうしわけありませんが、そのカメラも位置がよくわかりませんので、お急ぎでしたら自力でお願いします。う~ん。継続中の選手が見つかってしまったので、十番カメラは同伴させるしかありませんね……」
嫌そうに言うなよ!
「オレもリフィヌやメセムスとはぐれたら、あんなものかな……」
どうでもいいオッサンに胸が痛むのはそのせいかもしれない。
「少なくともユキタン様以外のかたはルールくらい聞いておりますかと。今回の目標となる魔法道具と脱出の方法は知っておりますか?」
「……ごめんなさい」
「目標と同じ高度へ『平和の不沈艦』が横づけされます。入手したらすぐに『平和のあぶく』の発動に同意してください。それで勝利が確定します」
めずらしく手厚い保護だけど、選手じゃなくて魔法道具が目当てだよな。
「今回の目標は書物と聞いております。登録名は『あとの祭の絵日記』で、超希少の評価でありながら、効果の一切が伏せられています」
「シュタルガ様は。ユイーツの残した記録媒体と推測していマス」
いきなりの暴露にリフィヌも理解に時間がかかった。
「はうわ?! 聖神ユイーツ様の?! 教祖カミゴッド様やそのお弟子さんの筆跡ならいくつか存在しますが……もももし、それが本当でしたら、良くも悪くもユイーツ様の実在を示すものとなり、とんでもないことに……」
リフィヌと一緒に、メセムスの顔をまじまじと見る。
「あの、そこまでの情報を拙者が聞いてしまってよいのでしょうか?」
「というかメセムスはなんで清之助に……オレたちに協力を?」
今さら中の今さら。
謀略の魔王の娘で人形なのに、なぜか疑う気が起きない。
清之助が連れていたこともあるだろうけど、それだけでもないような?
「セイノスケの表現形式デハ。『欲情』しマシタ」
リフィヌがメセムスの両腕をがっしりつかんで首をゆっくり横にふる。
「たとえ大事なかたの言葉であっても、そのまま学んでいいわけではありません。……拙者の表現形式でお願いできませんか?」
「…………機械であるワタクシは。使用者の役に立つことが使命でアリ。生命の可能性を信仰していマス」
リフィヌは目から鱗が落ちたようにメセムスの朴訥な顔を見上げる。
少しの間のあと、つかんだ両腕をガクガクとゆすりだす。
「それをどう言い換えれば『欲情』になるのですかあ!?」




