【木彫りのハニーベア・終章:8】
ウルフェン族の村があった。
いやむしろ、村だったもの、といった方が正しいか。
もうもうと土煙が立ち込めている。建物は倒壊し、あたりには壊れたカゴや踏みつぶされた果物、ソレに戦いを仕掛けたのであろう、叩きつけられたモンスターの死骸などであふれている。
ウルフェン族たちの姿は死骸すらなかった。
村人たちは族長の遠吠えによっていち早く危険を察知し、人間族との戦いに備えてひそかに作られていたもう一つの隠し村に逃げていたためだ。
それをもたらした存在は、そこにいる。
一陣の風が吹き、土煙が晴れると、その破壊の中心にいる巨大な獣の姿を月の光が映し出した。
巨狼。
その体躯は村の建物ほどもある。
毛は長く、月の光を受けて白銀に輝き夜風にそよいでいる。
その隆起した筋肉に縁どられた肉体は迫力がありながらもどこか優美だ。
周りが瓦礫だらけになり、視界を遮るものがなくなったのを確認するかのようにぎょろりとした目で周囲を一瞥すると、満足げに遠吠えをあげる。
かつて神とされたヒヒイロカネのそれと同じく、それだけで瓦礫は細かく破砕されて砂になってしまった。
それはロウガと呼ばれた者だった。
そんな、美しくも残酷な死へ近づくものが一人。
コゲツだ。
「美しい……やはりあなたこそ特別な存在なんだ。」
コゲツは耳から血を流し、それでもその表情は晴れやかだ。
今。ようやく自分はこの人のヒーローになれるのだから。
高々と腕を掲げる。その手には薬瓶が握られている。
「さあ!!」
巨狼は目の前の存在を一瞥すると、目を細め、その腕を食いちぎろうと口を開いた。
「手前はこれであなたのヒーローになれる」
「待った!!!」
反応する間もなかった。
どこからともなく飛んできた矢が、巨狼の鼻先をかすめた。
唸り声をあげて巨狼は飛びすさり、村の奥、禁足地へと逃げていってしまった。
振り向く。
そこに、自分が殺した少女がいた。
余程急いできたのか、肩で息をしている。
「間に、あった……?」
なぜ生きているのか。
配置しておいた影はなにをしているのか。
そんなことはどうでもいい。
重要なことはただ一つ。
短刀を構え、睨み付ける。
「手前の邪魔をしたな」
「おちついて、私の話を聞――」
さっさと殺して追いかければ、まだあの人に間に合うはずだ。
真っ向から安全にやっていても勝てるだろう。
だがそれでは時間を稼がれる。ならば――
距離を詰めるために走り出す。
「っ――止まって!」
矢が頬をかすめる。
関係ない。
腕に刺さった。
関係ない。
距離は十分詰まった。
矢を受けながら、空中にとび上がる。
両手で短刀を握り、落下の力を合わせて上から襲い掛かった。
十中八九避けられるだろう。
だが、どう避けたとて体勢が崩れる。
この攻撃は次につなぐための初手にすぎない。
2撃目で確実に殺す。
そうして振り下ろされた刃は、獲物を捉えた。
血が流れ落ちる。
「なに――」
短刀は深々とスズメの肩に食い込んでいた。
驚いてスズメを見るコゲツ。
スズメは痛みに耐えながらも口角をあげた。わざと攻撃を受けたのだ。
引き抜こうとしたが、腕を掴まれてしまいどうにもならない。
フォクサス族は生来力の強いほうではない。
技術で戦闘を行っているだけで、純粋な力比べでは少女とすら拮抗するのだ。
「ね、お願い……だから……話を聞いて……!」
「っ」
ひるむ。
少女の表情は、自分を殺そうとした相手と戦闘をする人間のそれではない。
コゲツは今まで沢山の表情を見てきた。
自分を蔑む表情。自分を憎む表情。
でも、この少女の見せたその表情は、かつて一度だけ見たあの人の――
「私もロウガを助けたいの!!!」
その声は、真実の響きを持っていた。
腕の力が抜けそうになる。
グッとこらえ、絞り出すように声を出す。
「手前だけがあの人を助けられる」
そうでなければ嘘ではないか。
ここに来るまで沢山のものを犠牲にしてきた。
こんな人間如きに何ができる。
「じゃあ!!!その薬瓶の中身は何!!!」
「知れたこと。すべての病を治す万能の――」
「違う!!!毒なんだよそれは!!!!!」
再び動揺する。
嘘じゃないとわかる。
だが、それは嘘だ。嘘でなければおかしい。
そう必死に否定しながら、コゲツの冷静な部分はわかっていく。
拙い論理のマジック。
マウスはこれを万能薬だといったことは、一度もなかった。
ただ、こう言った。
“これが彼女を救う薬よ。”
コゲツとマウスで救いの概念が違っていたら?
そこに嘘がなかったとしてもそれは……
「そんなわけがあるか!!!手前は!!!!手前はあの人を救うためだけにここまでやってきたんだぞ!!!!!!!!」
激昂する。
嫌だ。
認めたくない。
だって、認めてしまったら、もう。
「あなたならもうわかってるんでしょう!!!」
「違う……違う……!!」
この手であの人を『先祖返り』させて。
あの人の村を壊させて。
あの人の両親を傷つけて。
最後にはあの人自身を手前が殺そうとしたっていうのか。
そんなことがあってたまるか。認めてたまるか。
既にお互い短刀からは手をはなしている。
薬瓶を取り出し、祈るように両手でそれを包む。
違う、違うんだ……
「違わない!!!!」
「違うッ!!!!」
「あなたはロウガを殺しちゃうところだったんだよ!!!」
「て、手前はただ――」
“あ、あ……えっと、その……ロウガさんは手前のようなものにもお優しいのですね”
“あなたがそう思うのならそうなのかもしれないな。……おや、顔に葉がついているぞ”
膝から崩れ落ちる。
カランと薬瓶が転がった。
蓋が開き、中身が少しこぼれる。
その香りは紛れもなく、毒薬のそれだった。
「――あの人のヒーローになりたかっただけなのに」
そう呟いて俯く。
いつぶりかの涙が流れた。
あたりにはもう何もない。
今のコゲツの心中をそのまま具現化したような、荒れ果てた砂地だった。




