第29話
一年ぶりに見るアルノルトは、別人のようだった。
金の髪は艶を失い、頬は削げ、仕立てのよい礼服だけが、かつての栄華の残骸のように浮いていた。第五条により、彼は交渉と式典の一切から除外されている。この宴にも、招かれてはいないはずだった。
「リーゼロッテ」
広間が静まり返る中、彼はまっすぐに歩いてきた。護衛が動きかけたのを、リーゼロッテは目で制した。
「……お久しぶりです、殿下」
「話がある。二人で」
「お断りします。ご用件があれば、この場で」
アルノルトは屈辱に顔を歪め、それでも周囲を見回し、声を落とした。
「……分かった、ここでいい。リーゼロッテ、俺は考えたのだ。この国難を収める道を。お前が戻り、俺と共に立てば、すべてが丸く収まる」
「……と、仰いますと」
「やり直そう、ということだ」
彼は、本気だった。その目には一片の照れも冗談もなく、追い詰められた人間だけが持つ、歪んだ確信が宿っていた。この期に及んで、彼の頭の中では、彼女はまだ「王妃の座を差し出せば喜んで戻る女」なのだった。
「婚約破棄は、俺も若かった。教会に騙されていたのだ、お前に力がないと。だが真実が明らかになった今、話は変わる。お前が王太子妃に戻れば、廃嫡動議は消える。民はお前を慕っている。俺とお前が並び立てば、王家の権威は回復し、国はまとまる。悪い話ではないだろう。お前も、本当は王妃の座を惜しんで――」
「殿下」
リーゼロッテは、静かに遮った。広間中が、息を詰めて見守っていた。
「ひとつ、伺ってもよろしいですか」
「……なんだ」
「あなたは今、私に謝罪をなさいましたか?」
アルノルトは、虚を突かれた顔をした。
「じ、時勢の話をしている。謝罪など、その、経緯はどうあれ、今は国の一大事で」
「そう。それがあなたの答えですのね」
彼女は、ゆっくりと息を吐いた。怒りは、不思議と湧かなかった。目の前の男は一年経っても、失うものをすべて失ってなお、何ひとつ学んでいなかった。それはもう、憎むというより、憐れむべき何かだった。
「殿下。あなたと過ごした二十年で、私が学んだことが、ひとつだけあります」
声は静かで、けれど広間の隅々にまで届いた。楽団すら弓を止めていた。
「あなたの隣は、世界でいちばん寒い場所だということです」
どこかで、誰かが息を呑んだ。
「あなたは私の二十年を『損失』と呼びました。私の沈黙を従順と読み、私の忍耐を無価値と裁いた。あなたの隣で、私は一度も、人として扱われたことがない。……そこに戻れと? 王妃の冠を餌に? ご冗談を。あの椅子は、氷でできておりますのよ」
「な……お前、誰に向かって」
「そして、これが最後のご返答です」
彼女は左手を、胸の高さに上げた。手首で、黒銀の腕輪が、灯火を受けて静かに光った。
「私の夫は、私が凍えていることに、言われなくても気づける人です。私の力ではなく、私の痛みを先に見る人です。あなたが二十年かけて一度もしなかったことを、あの人は、出会って三日でした。――比べることすら、夫に失礼ですわ」
アルノルトの顔が、白から赤へ、赤から土気色へと変わった。彼は何かを叫ぼうと口を開き――そこで初めて、広間中の視線に気づいた。侮蔑、冷笑、憐憫。かつて彼が婚約破棄の夜に浴びせた側の視線を、今、彼が全身に浴びていた。
王太子は、言葉にならない呻きを残し、逃げるように広間を去った。
誰も、追わなかった。誰一人。
それが、この国が彼に返した、すべての答えだった。




