秘密会議
2人は思っていたよりも幾分冷静だった。けれど、マーレット先輩が腕を組んで指先でとんとんと二の腕を叩く様は、見た目よりも心が穏やかではないことを表していた。
かく言う自分も冷静ではいられなくて、落ち着きなく2人を見上げる。
「何者だと思う?」
「とりあえず幼女だということはわかる」
「あと、どう見ても深海の女神ですね」
見ればわかることを馬鹿馬鹿しくも言い上げると、副船長は苦笑して、大きく深呼吸した。
1番冷静に見える彼も、やはり驚きは隠せないのだろう。何より副船長は何よりも青が好きだ。神殿は嫌いだが、女神は信仰している。そんな彼の目の前に女神が海を漂い流れてきた。
そんな奇跡のような出来事を前にして平静を装えるだけ、副船長の精神力には舌を巻く。
「目の色を見ましたか?」
「ああ」
「海の色だった」
「…本物だろうな?」
「目の色は髪以上に変えようもない。義眼なら知れないが」
「ええっ! ぎがん!?」
驚いて思わず出た声が思いのほか響いて、マーレット先輩に頭を叩かれた。
叩かれてじんじん痛む頭を庇っていると、少女1人残された部屋の中からノックが聞こえて、それと同時に蚊の鳴くような細い声で何事か言っているのが聞こえた。しかし、その声が弱過ぎてドアを通らない。
ドアに耳を近付けて聞き取ろうと努力するけど、やはり分かり難かった。副船長がよく通る声で向こう側に声をかける。
「着替え終わったか?」
「~~…」
副船長が言外に、聞こえたか? と首を傾げたが横に首を振って答えた。漏れ聞こえてくる音では何も判断できないが、ドアノブをがちゃがちゃ回す音がして、開けるのを望んでいることには察せられた。
「開けるよ」
このドアの開閉には力とコツがいるため、彼女では開けられないだろう。副船長が反対側からドアを開くと、ドアノブに手をかけたままだった彼女が引っ張られる形で倒れ込んできた。
どすーんと尻餅でもつくかと思ったが、そこは副船長がしっかり抱き留めていたため難を逃れる。
「大丈夫か?」
「は、はいっ、すみません」
喉がかわいて掠れ気味な声に副船長は眉根を寄せ、彼女を部屋の中へ導く。彼女はベットに座らされ、戸惑いがちに差し出されたコップを受け取って水を口に含んだ。
その一連の動きのたどたどしさに、やはり体が本調子でないことを察する。それはそうだ。あんな生きているのか死んでいるのかもわからない状態でいたんだから、立って動けているだけ無理をしているんだろう。
落ち着かない彼女の様子に逆に冷静になって、目覚めたらしようと思っていた質問がひとつも口を出なかった。
きょどきょどと動く瞳はとても偽物には見えず、人にはありえない色であるのに、何故か自然と馴染んでいるように見える。細い髪は海水を含んでぼさぼさで、海藻も絡まって少々みすぼらしい。
彼女の対面に椅子を引いて腰掛けた副船長は、持ち前の人当たりの良さを持って、警戒心丸出しの少女ににこやかに話しかけ始めた。
「はじめまして、俺はこの船の副船長のベラクローフだ。きみの名前はなんて言うんだ?」
「……」
「……どこから来たか、わかるか?」
「リ、シュエト…」
マーレット先輩の横顔が険を帯びた。同時に微かな殺気も放たれて、副船長は振り返ってその持ち主を睨んだ。
リシュエトはこの帝国の隣の国だ。確かに今いる海は隣国にほど近いが、海を漂って流れ着くには潮の流れやもろもろが重なった幸運だ。彼女はとても運が良かったのだろう。
けれど、海水浴をしていて流れ着いただとか、事故で海に落ちてしまっただとか理由をあれこれ考えてみても彼女の不自然な状況は説明できなかった。それは、世界中で探しても現れたことの無いその容姿も相まって。
鋭くなった空気に戸惑う少女が震えながらカップを持つのを見て、副船長がにこやかにその手からカップを抜き取った。
「ああ、すまない。喉がからからだろう。…ん、水がもうないな。レストリック、頼む」
「あ、はい」
まさかここで外に追いやられてしまうとは。水差しを手渡され、陶器で中身が見えないが、重さで水のたっぷり入っているとわかるそれを受け取る。
なぜ、ここに来て追い出されてしまうのだろう。面倒事には関わりたくないと思ってきたけれど、今回ばかりは不満だった。
彼女をじっと観察するように見つめるマーレット先輩の顔は険しい。すれ違いざま、その口から小さく舌打ちが聞こえたのは珍しいことではない。
部屋から出て、真っ先に出会したのは野次馬集団の男達だった。今ですら着古した服を着て身も心も普通の船乗りになり切っているが、もともと自分たちを含め彼らは厳しい訓練を乗り越えた列記とした海兵である。
それが、今や盗み聞きがバレて固まっている情けない姿を晒す男達だとは。
「みなさん…」
「だって気になるじゃねぇか! 深海の女神だぞ!?」
「せめて瞳の色だけでも教えてくれよ! なあ、レストリック」
もしや副船長がおれを外に出したのはこの野次馬をどうにかして欲しかったからではないだろうか。
「おれの口からは何も言えません。副船長から説明があるはずですから、今は仕事に戻ってください」
ちぇっと不満顔をしながら、ぞろぞろとその場を離れていく。聞き分けがいいのが彼らの良いところだ。
このドアの向こう側で交わされている会話が穏やかなまま終わればいいと思いながら、食堂へ向かった。
満杯にした水差しを持ってノックをして中に入ると、少女は横になって浅い寝息を立てていた。顔色の悪い横顔が燭台のほの明かりに照らされて濡れたような艶を持つ。
しかし、この部屋には彼女を含め三人がいたはずだが、ほか二人の男がいなくなっている。ゆっくり行動したことと、事あるごとに質問攻めの囲い込みに遭ったのでだいぶ時間は経ってしまったが、いないのは考えていなかった。
とりあず重たい水差しをサイドテーブルに置いて、彼女の腰元にあった毛布を首元まで引き上げてあげる。まだ水分の抜けきらない髪は大判のタオルでぐるりとくるんでベットサイドに垂らしてある。額にかかる乾いた前髪がぱさぱさで、なぜだかひどくもったいないと思った。
「レストリック、ここだ」
彼女が起きた時にすぐに飲めるように、空のコップを水で満たしていると、副船長の声がして顔を上げる。しかし、顔を向けた先に彼はいない。
「隠し部屋?」
2人がいたのは壁沿いに置かれたベットの足元に子どもの身長くらいの穴の中だった。棚で隠していたようだが、今は解放されており、中へ手招きされる。
どうやら部屋ではなく通路になっているらしく、奥へと進んで行く2人について行くと、着いたのは娯楽室だった。今は誰もいなくて、珍しくがらんとしている。
マーレット先輩は椅子ではなく賭け台に乗り上がって座った。行儀が悪いが、ティッシュをふかしてそうする様は絵になっている。
「あの子から話は聞けたんですか?」
切り出すと、副船長は微妙な顔で首を傾げながら頷いた。その表情と動作が何を意味するか何となくわかってしまって、ため息をつく。
しかし、答えは想像していたことのどれよりも衝撃を持って身に響いた。
「あの子は隣国で海への生贄として崖から突き落とされたらしい」
「え?」
隣国の海の宗教の異常性については、海軍にいると自然と耳に入っていた。帝国では女神の乙女として傷ひとつ付かないように大切に守り崇める存在を、彼らは生贄として殺すのだ。
まさかそんな、と半信半疑で恐れていた現実が今目の前にある。よくできた嘘なのではないかと疑ってみて、しかし真実味に足ると思ってしまった。ああも神格的な存在を目の前にして、疑うなんて無理な話だった。
「お二人は信じたんですか」
「嘘にしては出来が悪すぎるだろう。普通信じないぞ、あんな話。だが、隣国ならやりかねないと思う」
「密偵の可能性は?」
「それも捨てきれないが、もしそうなら海軍で保護して可愛がろう」
大真面目にそんなことを言う責任者にあきれて「馬鹿か…」とマーレット先輩がぼやく。反論の余地もなくお馬鹿な提案だったが、確かにそれは名案に思えた。たとえ密偵だったとしてもあの髪色が本物であることは変わりないし、彼女は軍人にとって守らなければならない弱者だから。
「他には何かわかったんですか?」
「いや、何も。名前すら教えてくれなかった」
「犯罪者でもあるまいに…」
「別に悪い感じはしなかったぞ。ただ、照れているだけみたいな」
名前を教えるのに照れが混じる理由がよくわからないが、副船長の様子も危機感がなく、特に警戒する必要もなさそうだ。
「けど、それなら俺たちは彼女をなんて呼べばいいんですか」
「俺はどうにかして本名を聞き出すつもりだが、あだ名でもつけてやればいいんじゃないか?」
「…いえ、俺も頑張ってみます」
なんとなく張り合ってしまった。副船長は余裕気に微笑みを浮かべて「勝負だな」と対決を挑んでくる。勝てる気はしないから、どうしても無理だったら教えてもらおう。
突如、海に現れた深海の女神の乙女と思しき少女の処遇は、とりあえず船の上で自由にさせてみる、という結論になった。密偵なら密偵らしく船を探ってくるだろうし、何も知らない被害者なら船上生活を勝手に楽しむだろうから、今は保留、と副船長は結論を下した。
反対意見はなく、彼の命令を諾々と受け入れた。
船での方針が決まったところで、少女の発見を喜び勇んで海軍本部に報告しなければ、と副船長に電報の使用を許可してもらおうとしたところ「駄目だ」とにべもなく却下されてしまう。
「本部には知らせないんですか?」
「いや、報告はする。ただ、あの子が蒼髪だということは伏せて、ただ海で漂流していた女児を助けて船に乗せたとだけ伝えるんだ。わかったか?」
「なぜ伏せるのですか? 海軍は大喜びであの子を保護すると思いますが」
「面倒だろう。いろいろと」
「…本気ですか」
「6割はそれで、残りは必要ないからだ」
「必要ない?」
「お前、本当に本部に全てを知らせるべきだと思うか?」
「え?」
「俺はそうは思わない。それではあの子はまた飼い殺しになるに決まっているし、帝国に隣国を攻めるいい餌を与えるだけだ」
宗教観の違いで戦争が起こるのはよくある話だ。よもやそれも都合のいい理由でしかなく、本来の目的は領地を広げるためだとか、邪魔者を排除するという神とは程遠い人間のエゴだからだ。
先の戦争で勝利を得た帝国が次に狙うのがどこかと聞かれれば、無論隣国リシュエトであるときっぱり答えることが出来る。
つまりあの子が戦争のきっかけになるということ。
「それはそうですけど、本部に報告しなければ反逆と取られても仕方ないですよ。そうなったらこの船はどうなるんですか?」
「そうなってもお前達には影響のないように処理するさ。全責任は俺が持つ」
あっけからんと、心配いらないと簡単に言ってのけてしまう。
それは問題の先延ばしに過ぎないと誰もがわかっていたが、彼の決定に間違いがあったことなどないからか、マーレット先輩ですら何も言わなかった。
「だから、安心してお前らはあの子を守ればいい」




