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7.写字生のそんな理由。 (5)


 軟禁状態に置かれてから、椿が逢えるのは家族と梓だけだ。

 それから椿がようやっと状況に対して違和感を確信に変えたのは、十四歳を迎える年だった。




 梓は毎日のように椿のもとを訪れる。暇つぶしの娯楽に童話を好む彼女に、他地方の民話から童話まで、様々な物語の綴られた本を土産に。

 そうして、成長した梓は曇りのない笑みを浮かべて、椿をそっと抱きしめるのだ。

 今日も、寝台に腰をおろした彼は、椿を太腿の間に座らせ、彼女の漆黒の髪を指で梳く。

「椿、俺は椿の味方だよ」

 それは、呪文のように。

「必ず守るから」

 それは、誓いのように。

「愛してる、君だけを」

 それは、呪縛のように。

 いつだって耳元で囁かれる甘い睦言。

 いつしか、椿はそこに見え隠れする独占欲と執着に気づくようになった。


 彼が浮かべる、無害そうな、無邪気な笑み。

 それが、椿の心を怯えさせた。


 初潮を迎えてから今まで、自室に運び込まれ続けた多種多様な本。

 梓からは童話が、両親からは雑学、専門書まで幅広い種類が贈られた。

 最初はただ暇つぶしにと、黙々と読んでいた椿であったが、読書をすることで養われた知識は、新たな価値観を与え、椿に考えることを学ばせた。

 結果、椿は自分の現状に対し、ひいては集落に対し不信感を抱いたのだ。


 そして、考えることをはじめた椿は、悟る。


 ――自分は、梓の妾になることが決まっているのだと。


 気づいてしまえば、梓の心に秘められたものを見つけるのは難しくなかった。


 ――彼は、いつでも無邪気だった。

 ――それが、いつだって怖かった。

 梓に抱きかかえられ、彼の鼓動を聞きながら、思う。

(梓は、きっと手段を選ばない。そしてそれに、罪悪感を持っていない)

 それが、無邪気でいられる所以。

 子どもが一番残酷だと、椿は耳にしたことがある。まさに、梓はそれだった。

 ただし、彼の独占欲も、執着も、子どものように好奇心からきているものではない。

 梓が抱いているのは――愛執。

 一歩間違えれば、愛憎にも変わるような、狂愛。


 椿の村で、婚姻が可能になるのは十五である。

 あと、一年しかない。


 能力主義社会で生きること。

 他人に決められた未来を生きること。

 隔絶された世界で生きること。


 外の世界を、本から知ってしまった椿には、到底受け入れがたかった。

 本の世界は、”人権”というものを教えてくれた。

 本の世界は、”自由”というものを教えてくれた。


 そして椿は、梓の腕の中で、逃げることを心に決めた。




***   ***   ***




 ――椿が十五歳を迎える前日。


 椿の部屋の向こうでは、喧騒が聞こえた。

 梓も、この日は訪れなかった。

 椿の中に、焦りが生まれる。

 逃げることを決めてから、ずっと部屋の中で抜け道を探し続けた。

 崩れかけた壁ではあるものの、蹴っても殴っても、人が通れるような穴はできなかった。

 監視役として両親が部屋の外にいるため、なにか道具で部屋を破壊することはできない。かといって、魔力の弱い椿は魔法で抜け出すことも叶わない。


 気がつけば無音になっている扉の向こうに不安を覚える。

 毎日逢いに来ていた梓が来ない現実が、椿に”妾になる”という可能性をよぎらせる。

(逃げなくちゃ逃げなくちゃ逃げなくちゃ)

 たった一つの外界と繋がる扉。

(もしかしたら、今、見張りはいないかも……)

 そう思い、扉へ視線を走らせた時だった。


 ゆっくりと扉が開く。

 がちゃり、という音と共に、椿は絶望感を抱いた。

 けれど、現れた人物に、瞠目する。


「椿、久しぶり」


 現れたのは、栗色の髪の娘だった。

 目を瞬く椿に、彼女は皮肉げに嗤う。

「覚えてないのも無理ないわ。私はあなたの同級生。あなたを虐めてた一人」

 眉を顰めた椿は目を眇めた。

「……なんの用?」

 はっきりいって、椿を虐めていたのは同世代の者全員ともいえたため、主犯格以外の一人ひとりの顔や名前など覚えていなかった。

 訝るように問うと、娘は語る。

「私、あなたの見張りを今日だけ引き受けてるの。あなたのご両親は忙しいそうだから」

 そして、彼女は顔を悲しそうに歪ませながらも口角を上げる。矛盾した表情だった。

「梓は、明日、あなたを正式に迎え入れる準備をしているわ」

 予想していた事態に、椿の鼓動は一度激しく跳ねるにとどまった。

「……気づいてた」

 ぽつりと呟くと、娘は歯を食いしばった。ギリリ、という音がまるで椿に対する憎悪のように響く。

「私は、あなたよりもずっとずっと魔力がある!」

 そんなことは、椿も承知だ。だから虐められてきた。

「私は、あなたよりもずっとずっと梓を愛してる!」

 その言葉に驚き、椿は顔をあげる。

 娘は、顔を歪ませながら涙を流していた。

「……梓の正妻は、私がなるはずだったのにっ。そうなるために、梓に出逢ってから……椿がいなくなってからも、学び舎でたくさん魔法を学んで、一人で練習重ねて、必死にがんばってきたのにっっ」

 彼女は椿を暗い瞳で睨みつけた。

「梓は椿しか――っ」

「……だったら、私をここから出してよ」

 静かな、椿の声が部屋にこだました。

「え?」と目を丸くした娘が滑稽だった。

 椿は続ける。

「明日、私は梓に迎えいれられるんなら、今日しかない。私をここから出して」

 娘は困惑した顔で椿を眺める。そんな彼女に詰め寄るように、椿は距離を縮めた。

「私はこの村から出て行く。誰かに決められた未来なんてまっぴらごめんなの。あなたが梓を好きなのなら、私がこの村にいるのは邪魔でしょ? だったら力を貸して」

 脅すように、娘の真正面に立ち、まっすぐ見据えた。

 たじろいだ娘はやがて、椿の黒曜石のような瞳を見据え返した。

 そこに宿った強い意志。

「二度と、戻ってこないで」

 それが、娘の答えだった。




***   ***   ***




 椿を監視する魔法は、娘の魔法で惑わせ掻い潜る。

 かつて幾度も練習した魔法を実践しようと、椿は箒に跨る。

 梓の手を借りて何度も練習した結果、唯一できるようになった魔法。

 集中し、箒へと魔力を送る。

 電流のように、ビリビリとした感覚を感じると、椿の体はふわりと浮いた。

 そして、念じる。

(――全速力)

 箒は椿の命令を受け、瞬く間に上空へ舞い上がり、風のような速さで夜空を駆け抜けた。




***   ***   ***




 それから、椿は村からの追跡を逃げるように様々な街を転々としながら働いた。

 初めての給金でやったことは、追跡を容易にさせるだろう特徴的な黒髪を、購入した刃物で肩口までばっさり切った。

 ついで、医療魔術師に依頼し、瓶底メガネをかけなくてもいいように視力を平均並みにした。

 初めての仕事は骨が折れたが、魔法がなくても生きていける世界はとても光に満ちていた。

 しかし、追跡を逃れるために、出会い、別れ、の繰り返し。

 最初の頃は寂しさを覚えたが、いまや深く接することを避けることで悲しさはなくなった。依存することがなければ、街を去ることも辛くは感じない。

 だが、すぐに放浪生活に限界を感じた。

 それは、日雇い賃金の仕事をしながら旅をするには金銭的に限界があり、また生涯、村から逃げ続けるには無理があると悟ったからだ。

 そうは考えても、椿にはどうしたらいいかわからなかった。

 閉鎖的な村で暮らしていた弊害である。




 ある街で、代筆屋の賃仕事をしている時、ついに椿は目標を見つける。

『色々な字を知ってるね、お嬢ちゃん。一度国家公務員試験でも受けてみたらどうだい。魔法が使えなくても博識なら、写字生あたりでいけるんじゃないかい?』

 客の一人が言った、きっと戯れの一言。

 けれど、椿の心には一筋の光が差し込んだ。

 中央から距離を置く村が、手出しし辛い唯一の場所。

 きっと、居場所がバレても無理に連れ戻すことは難しい。


 試験を受けよう、と決めたものの、不安があった。

 写字生になるための国家公務員試験だ。

 梓という、将来の村の権力者の妾教育のために施された教養。

 それだけでは補えない部分は、一年かけて勉強した。


 そうして、働きながら、受験費用を貯め、猛勉強を重ねた。


 ――結果。

 椿は、王宮図書館所属 写字生という身分を手に入れたのである。




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