7.写字生のそんな理由。 (3)
梓は、村の権力者一族だった。
その集落では、世襲制の権力は存在しないが、梓の一族は珍しくも代々魔力の強い者を輩出していた。
したがって、彼の一族は村でも特異的だった。
梓によれば、一族の子どもはより高度な魔法を使えるよう、学び舎ではなく家庭教師をつけられており、ゆえに、梓には友達と呼べる存在はいなかったのだという。
*** *** ***
学び舎が終わると、椿はそそくさと席を立つ。
勉強道具を帯で締め、瓶底メガネを押し上げてから、荷物を手に抱えて扉へ向かう。
学び舎の外で、梓が待っているからだ。
梓と遊ぶようになった初期は、虐めの標的がいなくてつまらないのか、同級生たちが「付き合い悪い」と唇を尖らせ妨害していたが、今やその姿はない。
椿は外に出ると、すぐにそれを見つけた。
学び舎の校庭の人だかり。
その中心人物が梓だと、椿は知っている。
砂糖を見つけた蟻のように群がる生徒たちは、女子だけでなく男子もいた。
男子は、内心僻むことはあるかもしれないが、能力主義の社会で梓は将来の有望株なのだ。媚びて損をすることはないだろう。
他方、女子は梓の魔力の高さだけに惹かれているわけではない。
これは、教室の中で耳にしたことだが、どうやら彼女たちは彼の穏やかで優しい性格と、まるで本物の王子のように整った容姿に魅力を感じているようだ。
梓の人徳と美しい容貌が皆を魅了するのだろう。
手作り菓子のようなものを女の子から渡され、困惑する梓を傍観しながら、椿はただ佇む。
あえて声はかけず、集いが散り散りになるのをただ待っていた。
梓に誰かが想いを寄せていたと知っても、特別切なさをおぼえることはなかった。独占欲など、もとより持ち合わせてはいない。自分が梓の友達であることに、優越感も抱いてはいなかった。――ただ、彼に新しい友達が出来ることで離れていってしまうのは、寂しかった。
感じるのは、喪失感。
けれど、それも自然の摂理だと思う。
魔力がすべて。
だから、仕方ない。
諦めることは、椿にとって生きていくために必要な手段だった。
ぼーっと見つめている椿に梓が気づいたのか、人垣が割れた。
灰茶の髪を揺らして、彼は椿に手を振りながら駆けてきた。ちなみに片手には、箒を持っている。先ほど渡された菓子は拒んだようだ。
梓の目には、既に集まった面々など眼中にないようだった。
彼は椿の前に立ち、青に近い紫の瞳に彼女を映して、箒を持っていない方の手を腰にあてる。
「椿、声かけてほしかったな」
「ごめん」
素直に椿が頭を下げると、梓は苦笑した。
「……謝ってほしかったんじゃないんだ。ただ――椿と一緒にいられる時間が少なくなるから……」
梓は言葉尻を濁し、頬をわずかに赤らめた。
首を傾げる椿が彼の顔を覗きこむと、梓は慌てたように箒に跨り、椿の手を引っ張る。
「椿、早く魔法の練習しに行こう。後ろ乗って」
促され、「う、うん」と椿は流され、梓の後ろに跨った。
二人を乗せた箒は梓の魔法で浮き、駆け足程度の速度で前進する。
取り残された同級生たちの視線が鋭く突き刺さるのを、椿は背中に感じた。
障害物のない、だだっ広い草原につくと、梓と椿は箒をおりた。
「じゃあ椿、はじめよう」
にっこりと笑った梓は、椿に箒を差し出した。
一人、箒に跨る椿は、目を閉じ、念じる。
(浮け、浮け、浮け)
いくら魔力を送っても、体が浮くことはなかった。
じっと見つめていた梓は、椿を手で制す。
「椿、ちょっと姿勢を低くして」
椿は梓の言葉のまま、膝を折ると、梓が椿の後ろに跨る。先ほどとは正反対の位置関係に椿は戸惑った。
「あの、梓……」
眉尻をさげて言うと、梓は箒を握る椿の手に、己のものを重ねた。
椿は咄嗟に、顔を紅潮させる。
その反応に、梓が小さく笑った。彼の吐息が耳にかかり、背中にぞわりとなにかが走る。
緊張と動揺と羞恥で顔をさらに赤く染め、潤む目を隠すようにうつむいてメガネを押し上げた。
密着する格好で、梓は「いい? 体でおぼえて」と囁いた。
返答の声が裏返ることを予想した椿は、無言で頷いた。
「いくよ」という言葉と共に、椿は魔力の流れを感じる。
梓に重ねられた手から流れ込んでくる、熱。
電流が流れるかのような、わずかな痺れ。
そうして、箒が少しずつ浮いた。
地面から離れる足に、椿が視線を落とすと、後ろで「目を閉じて、感覚をつかんで」と甘い声で紡がれた。
それがどうにもくすぐったく、椿はどもりながらも返事をする。
――静かに目を瞑れば、梓の魔力の動きがなんとなくわかる。
木の幹に耳を寄せた時に聞こえる、水が流れる音のような、そんな流れだった。
けれど同時に――箒だけに向けられたものではない魔力の流れも察した。
その違和感は、自分の体に流れ込んでいた。
梓と密着した背中に感じる熱は、彼の体温だけではないことを知る。
怪訝に思い、椿は目を開けて背後を振り向いた。
「……梓?」
問うと、梓は切なく顔を歪める。
その顔に浮かぶのは、今まで一度も見たことのない、やるせなさと僅かな焦燥が入り混じった色。
「――椿……俺は……」
彼の年齢よりも熟し艶やかなその声は、掠れていた。
懇願するように一心に椿を見つめる瞳は、やがて伏せられ、一度の瞬きの後に跡形もなくなった。
強く、脳裏に焼けつけられるほどの印象を残したそれを消すかのごとく、梓は柔和な眼差しで笑む。
「梓……?」
見極めるように見つめると、梓は灰茶の髪を揺らした。
「ううん、何でもない」
答えた彼は、いつもの彼だった。
そして、椿の未来は、その時既に半ば定められていた。