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第2章 悪魔と未来

キルヴァニャは、生まれつき穏やかな気質と、まるで世界そのものを包み込むかのような優しい心を持っていた。言葉を持たぬはずの幻獣とも、まるで旧知の友のように自然と心を通わせてしまうのだから、不思議なものだ。


彼曰く――その魂の奥底で脈打つ、かすかな魔力の鼓動を読み取れば、感情くらいは手に取るようにわかるのだという。


「ん? ああ、その道は歩きたくないの?」


「にゅにゅ。」


「なるほど……この草、きみの肌には毒なんだね。」


……え、会話、成立してない!?


キルヴァニャとニュニュのやり取りを見守りながら、ルルリアは素直に驚きを覚えていた。

我が子の魔力感受性は、もしかすると自分をも凌駕しているのではないか――そう、薄々感じていたからだ。


彼女自身も、獣や魔術師の内に渦巻く魔力の揺らぎを察知することで、迫り来る魔法攻撃の性質を予測することはできる。だが、それはあくまで“力”の流れを読むだけ。思考や感情まで汲み取ることなど、不可能だった。


その瞬間、ルルリアは初めて思い知らされる。

自分は、生まれ持った才を――ただ戦うためだけに、徹底的に使い潰してきたのだと。


胸に込み上げるのは、遅れてきた羞恥。

そして、世間知らずだった己を思い知らされる、鈍い痛み。


けれど同時に、過去を振り返るだけで、自分の内側に何かが芽吹き始めているのを感じていた。

それは、ゆるやかで、けれど確かな変化。


この新しい人生観をもたらしたのは――他でもない、我が子の存在だ。


キルヴァニャは、彼女に初めての“幸せ”をくれた。

戦の道具として生きていた頃には、決して触れることのなかった、あたたかな幸福を。


川辺でラッセルボックと戯れる我が子を見つめ、ルルリアの唇に柔らかな笑みが浮かぶ。

体格差は歴然としているのに、その光景はどうしようもなく愛らしい。胸がじんわりと温まる。


――ああ、本当に、尊い。


「なんて可哀想。なんて悲劇的。なんて惨めなのかしらぁ♪」


頭上の枝葉の合間から、鈴を転がすような声が降ってきた。

くすくす、くすくす――甘やかな響きの奥に、露骨な嘲りと悪意を滲ませながら。


ルルリアが顔を上げると、そこには無数の小さな花の妖精たちが、葉の間をひらひらと舞っていた。虹色に輝く翅は、陽光を受けて宝石のようにきらめいている。


妖精は“幻妖種”に分類される神秘的存在だ。

精霊や原初の霊と同じく、この星のさまざまな側面を体現するが、彼らは明確な肉体を持つ。


その魂は、世界創生の後に残滓として漂った双女神の眠れる力の欠片から生まれ、

その身体は、周囲に満ちる霊妙な力を集めて形を成す。


ゆえに――一体一体の強さは、宿す神性の欠片の量に比例する。


ルルリアの人形めいた美貌が、不機嫌そうに歪んだ。

天上の存在と悪魔が同時にこの場にいる気配に引き寄せられ、好奇心に駆られた花の妖精たちが顔を出したのだろう。


退屈しのぎに、面白半分で。

ただ、暇を潰すためだけに。


妖精たちは往々にして、人間に友好的で手助けも惜しまぬ存在だと語られる。

だがその実、ひとたび気まぐれに傾けば、残酷にも凶暴にもなり得る。悪戯への偏愛を隠そうともせず、他者の不幸を肴に笑うことすらあるのだ。


まさしく――自らの気分と欲望のままに生きる種族。


少なくとも、ルルリアの慎ましやかな評価では、彼女たちの娯楽は到底褒められたものではなかった。


「……誰が可哀想?」


「決まってるじゃない、あなたたち二人よ!」


一匹の妖精が、鈴のような声でそう言い放ちながら、ひらりとルルリアへ近づく。くるりと宙返りし、そのまま当然のように彼女の肩へ腰を下ろした。


「悲しい別れを運命づけられているの」

足をぶらぶらと揺らしながら、見下すように続ける。

「悪魔なんかと関わってはいけないわ。住む世界が違いすぎるもの。いつか、その違いが埋められない溝を生むのよ」


「……それは違う」


ルルリアは眉をひそめ、肩の上の無礼な妖精を手で払う。


「この世界では、異なる種族同士が共に生きることもある。けれど同じ血を分けた者同士が、平然と争うことだってある」


不和の原因は、血筋でも、身分でも、生まれでもない。

ただ――相手を認めようとせず、理解しようとしない頑なさ。


七百年という歳月の中で、彼女が見てきた悲劇の大半は、理屈ではなく感情の暴走から生まれていた。


「確かに、ボクはまだ悪魔について多くを知らない。でも……いつか互いの違いを受け入れて、穏やかに共存できると、ボクは信じている」


――理想論だ。


それくらい、自分でもわかっている。

ましてや、その尊さを他者に説ける立場ではないことも。


口にするだけで、肌が粟立つ。

もしもかつての自分がこれを聞いたなら、きっと鼻で笑い飛ばしただろう。愚かしい、と。


それでも――永い時を持て余す身だ。

この崇高な結末を目指して足掻くくらい、許されてもいいはずだ。


妖精は頬をぷくりと膨らませ、不満げに顔を背けた。


「まあ、選んだのはあなたよ。忠告しなかったなんて言わないでね」


そう言い残し、ぱっと宙へ舞い上がる。

きらきらと光る妖精の粉を尾のように引きながら、仲間たちのもとへ戻っていった。


「……」


――誰を騙そうとしているの?


胸の奥から、声がする。

先ほどの妖精たちと同じ調子で、くすくすと嘲るような声。


ほら。

あなた、本当は悪魔を殺したいのでしょう?


甘やかで、抗いがたい囁き。


誰を誤魔化しているの?

……なんて偽善者。


キミは彼を殺したい。

それは、揺るぎない真実。


心という鏡に映る“天人”が、唇を大きく歪めて嗤っていた。



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