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5、秘密と暴露と決裂

 その事務所は、サンセレスト南大通りの一角にあった。

 夏の暑さをよけるひさしのおかげで、道に面した窓には影が差し、エアコンによって調整された室内は、大変過ごしやすい気温に整えられている。


 事務員と社員たちはそれぞれのデスクに座り、仕事に集中していた。

 何も問題はない、いつも通りの光景だ。


「社長、そろそろお昼ですが、どうしますか?」


 そう声を掛けられ、視線を上げた。

 十一時四十五分、そしてカレンダーに目を移す。

 八月も半ば、すでに二週間が過ぎようとしていた。書類を収めたファイルを取り出し、中身をめくる。

 その中の一枚に目を通し、もう一度日付を確認する。


「そうだな。今日は外食してくることにしよう」


 書類を革のブリーフケースにしまい入れ、立ち上がった。

 それから机の隅に置かれたサングラスを手にし、視界に遮光を施す。


「今日はこのまま直帰すると思う、後は頼んだよ」

「はい」


 社員たちはそのまま仕事に戻っていく。とはいえ、あと十分ほどで休憩時間になるし、私の姿が消えれば、それなりに空気も緩むだろう。

 

『不動産仲介業 バーンズ』


 しゃれた書体のロゴを施された扉を抜けると、じわりと熱が体を取り囲む。

 そのまま駅方向へ歩き出し、狭い小路へと入った。

 心地いい影の世界を抜け、道をたどる。


 雑貨屋を抜け、なじみの総菜屋を通り過ぎ、まだ眠っている酒場の数件を通り過ぎ。

 そこで、妙な物をみた。


 店に客が入っている。

 竜便らしいドラゴンが数名、近くのオフィスに勤めているヒューの姿も見えた。

 それは、彼の記憶にある光景とは違っていた。


 ほんの二週間前まで、そこは『死んだ』店だったはずだ。

 青いストライプの制服を身に着けた女性が、客を招き入れている。その視線に引っかからないよう、店の脇を通り過ぎつつ、中を確認する。


 四卓あるテーブルは満員ではないものの、それなりに埋まっていた。

 換気扇からは、食欲を刺激するニンニクと貝の香が漂ってくる。


「……なるほど」


 いつの間にか蘇生していた店に、彼は笑った。

 それから手元のカバンに視線を落とし、思い直したよう歩み去る。

 まずはどこかで食事を。

 今後のことを考えるのは、それからだ。



「アリシア! 三卓あがったよ!」

「はい!」


 燃えるような熱さの厨房から声を掛けると、飛ぶようにアリシアが料理を受け取り、お客に提供していく。

 いつの間にか、ランチタイムに活気が生まれていた。


 終売にする予定だったハンバーグは据え置きに、ボンゴレはロッソとビアンコの二種類を選べるようにして提供している。

 冷蔵庫の整理を進めるつもりで、セットで選択できる飲み物にワインを加えた。

 案の定、ハンバーグとパスタの出る比率が、ドリンクメニューの見直し後には同じぐらいの売り上げになっていた。塩気のある料理は、酒への欲求を喚起するものだ。


 客とは店の血液だ。

 呼び込み、送り出すことで、店の活力は増していく。

 この二週間で、潤沢な栄養点滴を受けた店は、見違えるほどになった。


「四卓ビアンコとロッソ!」

「ビアンコとロッソね、了解!」


 二枚のフライパンが同時に熱され、オイルの中でニンニクが泡立っていく。

 ほぼ同時にアサリが投じられ、パセリが振られ、ワインによって火の手が上がり、落としぶたが掛けられる。


 パスタが茹で上がる直前、右手奥のふたがが上げられ、真紅のソースが投入される。

 遅れて左手前のフライパン、スープの泡立ち、香りを確かめ、塩が入る。


「四卓上がったよ!」


 その宣言と同時にニンニクの香り立つボンゴレ・ビアンコがカウンターに置かれ、


「はい!」


 彼女が近づいてくる間に仕上げのチーズが振り入れられ、瞬く間に皿へ盛られたボンゴレ・ロッソがほぼノータイムで提供された。

 洗い場に出す前、二枚のフライパンの味を、指で取って確かめる。


 仕上げにブレはない。この厨房に体がなじんできた証拠だ。

 自分の動きに、ディルは心の中で満足した。

 活況の中で料理を作るのは久しぶりだったが、勘も動きも鈍っていない。

 二人以上の団体を捌くとき、重要なのは料理をサーブするタイミングだ。調理時間が極端に違うものなら別だが、近い物なら同時に出すよう心がける。


「アリシア、一卓のお客さんにサラダとスープ。バーグはあと五分くらいで出るから」

「分かった」


 忙しい店における客への対応には、いろいろなテクニックがある。

 作り置きやインスタントで、根本的な時間短縮できない店において、サラダやスープなどのセットメニューが受け持つ役は『時間稼ぎ』だ。


 待たせている客に対する『ちゃんと対応している』という意思表示であり、メインディッシュが出てくるまでの繋ぎでもある。

 注文された料理を出すまで、お冷で機嫌をうかがうのは控えたほうがいい。彼らは水を飲みに来たのではなく、料理を食べに来るんだから。


 アリシアにもそう言い含めておいたし、彼女の応対もだいぶ様になってきた。

 やがて時刻は二時を回り、店の中から客の姿が消えていく。

 汚れた皿を取り下げ、一渡りテーブルや床を掃除してしまうと、アリシアは笑顔のまま洗い場に入った。


「今日のピークはここまでかな?」

「そうだね。近くの職場もお昼休み終わったろうし、後は竜便関係のヒトくらいだ」


 初日に比べ、だいぶ分厚くなった伝票を、アリシアは誇らしげに掲げた。


「全部で三十六枚、開店から三時間で!」

「まずまずの入りじゃないか。僕が来る前と大違いだ」

「うん! 何もかも、ディルのおかげだよ!」


 彼女の言葉を聞き流しつつ、空いたフライパンで米を炒っていく。そこにスープ用のブロードを加えつつ、炒め煮する。


「新しいメニューの試作?」

「その前の練習みたいなものだよ。うちに残ってた米を使っちゃおうと思って」


 ある程度煮えたところでトマトソースとチーズを削り、焼いておいたハンバーグを大胆に投入した。


「はい、トマトリゾット、イン、ハンバーグだよ」

「うわっ、雑!」

「ありあわせの賄いに夢見すぎ。僕だって、このくらいの手抜きはするさ」


 それでも喜んで受け取り、カウンターに座ってふうふうと冷ましながら食べ始める。


「雑なのに、絶妙に美味しいという矛盾……」

「これでも相当、いい加減に作ってるんだけどね」


 などと言いつつ、自分もリゾットを口にする。

 米は古くなっていたが、こうして食べる分には問題ない。後は新鮮なもので試作したとき、どういう味に決めていくか。


 リゾットは人気のあるメニューだが、パスタやハンバーグに比べて手間ががかるため、忙しいランチメニューには向かない。

 むしろ夜の営業、コースの最後や酒を飲んだ人の、しめの一品として提供したほうが利益になるだろう。


 ランチのみの営業は、いわば肩慣らしだ。

 そろそろ営業時間を正規に戻し、本格的に店を運営してもいいころかもしれない。


「アリシア、少し相談が――」

「失礼、入ってもいいかな?」


 聞き慣れない声が、戸口から届いた。

 グレーのスーツに包んだ、がたいの良いヒューの男性。暗い茶の髪の毛をオールバックになでつけ、目元をサングラスで隠している。


 小脇に抱えた革のブリーフケースからすると勤め人だろうか。

 だが、まとった空気には独特のものがあった。

 おそらくは何らかの役付き、重役か社長辺りを務めているヒトだ。


「……いらっしゃい、グラントさん」


 思いもよらない苦り切った声で、アリシアが相手を迎える。

 それは敵意というより、恐怖に近い感情だった。

 彼は目の前に立つ女性の姿に目を留め、観察した後、うなづいた。


「よく似合っている。着慣れないコックコートなどより、ずっとね」

「それは、どうも」

「彼は?」


 あまりにも剣呑な空気だったが、仕方なく厨房から出て、歩み寄る。

 それから、儀礼的に片手を差し出した。


「ディリルゥイナ・パルフィータです」

「グラント・バーンズだ、初めまして」


 何かのスポーツでもやっているのか、分厚い手は力強い。挨拶を終えると、彼はサングラスを外し、手近な椅子を引いて座った。


「ここは禁煙、だったね」

「ええ。昔からずっと。分かってるはずでしょ」

「もちろん、分かっているさ」


 彼は灰色の目を細め、笑う。目じりのしわからすればそこそこの年齢だと思えた。

 そして、手にしていたカバンからファイルを取り、一枚の書類を抜き出す。


「アリシア、今日私が来た理由は、分かっているね?」

「あの、グラントさん。その話なら、後で」

「そういう訳にはいかない。彼も知るべきだろう、この店に関わる、大事な話だ」


 ディルのみぞおちに、重い緊張が沸き上がってきた。

 それは、この店に携わってきてから、ずっとあった疑問だ。

 彼女はどうやって、今日までこの店を維持してきたのか。


「悪いが、午後の営業は一度止めてもらえないか。君たちの商売上、避けて通れない問題になる」


 アリシアの足取りは重かったが、それでもどうにか店を閉店にして、戻ってきた。

 こちらに視線を合わせないまま。


「アリシア・フォルネ―ラ。そろそろこの店を明け渡してはどうかね」

「その話は、まだ待ってほしいと、お願いしたはずです」

「私は十分に待ったよ。そして期限も切ったはずだ、今年の八月末まで、と」


 全くの初耳だった。

 これまで一言も、そんな話をされていない。


「それは、わたしがこの店で、売り上げを立てることができたら」

「私の覚えている契約は少し違う。未納になったここの家賃と、私から借り入れた運転資金、それらを返す算段が付いたら、契約を続行しようと。その手付金として二十万デナリを八月末までに支払う、とね」


 未納になった家賃と運転資金という言葉に、ディルはマズルの根本にしわを寄せた。

 彼女は言っていたはずだ『自分がここに入って十か月になる』と。

 その全てではないにしろ、運転資金の大半が未納なのは想像に難くない。


「それで、資金繰りの方はどうなっているのかな?」

「グラントさん、ぶしつけを重ねてしまうことは承知で、お願いします」


 男性は黙ったまま、先を促すように片手をあげた。

 そして、アリシアは深々と頭を下げ、言った。


「今、ようやくお客さんが、来てくれるようになってるんです。せめて、一月でいいんです……期限を、延ばしていただけませんか」

「なるほど」


 彼はちらりと、こちらを見た。

 その灰色の目は鋭く、何もかも見透かすようだった。


「この店が人を集めていたのは、彼のおかげか」

「ディルは……とても腕のいい料理人で……彼が手伝ってくれるなら、必ず」

「だ、そうだが。ディリルゥイナ君、君の意見は?」


 僕の意見だって?

 余りにも状況がひどすぎる。しかも彼女は、僕にこのことをすっと黙っていたのだ。


「アリシア、答えてもらえるかな」

「……うん」

「僕は君に、三十万デナリで雇われたはずだ。一月働けば満額って契約で」

「うん」

「こんな状態で、払う当てはあったのかい」


 答えはない。

 その姿に、ディルは自分の気持ちが冷めていくのを感じていた。


「どうやら、ここまでみたいだね」

「ち……ちょっと待って!」

「駄目だ」


 怒りはなかった。

 どちらかと言えば、失望の方が勝っていた。


「お金は、本当に払うつもりだったの。どんなことをしても」

「もういいよ。君は僕に隠し事をしていたし、一言の相談もなかった。信用できない」


 彼女は口を開きかけた。

 そして、ゆっくりと閉じて、苦い笑いを浮かべた。


「そう、だね。本当にごめんなさい」


 緩慢な動作で立ち上がり、彼女はレジに向かった。

 それから中身をまとめ、こちらに戻ってくると、手にしたそれを差し出した。

 しわの寄った紙幣の束を、こちらに押し付ける。


「これじゃ、足りないよ」

「うん。だから、今日までの交通費とか、とりあえずの分」

「そういう立派な台詞は、ちゃんと経営者をやってからにしてくれ」


 いつか言った言葉を、形を変えて繰り返す。

 彼女は力なくうなだれ、立ち尽くした。


「お金は、用意できたらでいいよ。もともと君が払えるとは思ってなかったし」

「え……?」

「あれはただ、君の頼みを断る口実だったんだ。もうすぐ潰れるだろう店に、払えるとは思ってなかったから」


 いい機会だ、未練を残さないためにも、言うべきを言っておこう。


「僕に支払う給料と、売り上げの出ない店。どこかで君が諦めて閉店を決めるまで、次の仕事場を探すまでの腰掛にするつもりだったんだ」

「ディル……」

「まさか、本当に一月で潰れる予定とは、思ってもみなかったけどね」


 打ちひしがれて、アリシアはテーブルのはしに、力なくへたり込んだ。

 それでも、絞り出すように告げた。


「今まで、ありがと。ごめんね、あとはわたしが、全部やるから」

「全部って、何を?」

「まだ……二週間も、残ってるもの」


 彼女は泣いてさえいなかった。

 目は充血で赤かったが、強烈な意志だけがあった。


「お金はきっと払う。その代わり、あなたのレシピを、使わせてくれるとうれしい」


 無茶だ。

 ハンバーグさえまともにできない彼女に、あのボンゴレは作りこなせない。

 もし僕が彼女に任せるなら、最低でも専用に調整したソースを用意するだろう。そうでなくとも、貝類は扱いを間違えれば食中毒の元になる。

 だが、そんなことは、どうでもいいことだ。


「……いいよ。そんなに大したものでもないし」


 深呼吸して彼女は立ち上がり、片手を差し出した。


「お疲れ様、ディルさん。本当に、ありがとうございました」


「……うん」


 握り返し、素早く手を放す。

 そのまま着替えを済ませると、振り返りもせずに店を出た。

活況の店を回すのって、結構楽しいんですよね。二度と飲食はやりたくないですけど。

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