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2、朝市とアサリと新たなメニュー


 電車を降りると、ディルは深呼吸して、大きく伸びをした。

 夏の盛りでも、朝一番のホームには冷えた静けさが満ちている。時刻は五時を回っていて、下車したヒトの群れは、すでに改札に向かっていた。


 見上げると、紫から橙に変わり始めた空に、十字型の点がいくつも舞っている。

 荷物や手紙を運ぶ竜便、あるいは遠くの会社へ行く、務めのドラゴンたちだろう。

 一応、ディル自身も飛べないことはないが、進んで空を選択することはなかった。


 空にこだわらなくても、交通機関なら電車にトラム、路線バスや自家用車など、何でも使うことができる。そもそも、料理以外のことに体力を使う気はない。

 そのまま改札を出ると、すでにアリシアが待っていた。


「おはようディル!」

「おはよう。案内よろしく」

「了解。それじゃ、ついてきて」


 必要な打ち合わせは、昨日の時点で終わらせている。めんどうくさい遠慮や敬語の類も無用ということで合意に達していた。

 動きやすい服装でと言っておいたが、彼女はそれをジャージでいいと解釈したらしい。

 エメラルドグリーンと黒のストライプのデザイン。背中に描かれた翼と炎のステッカーは、ブレイズ関連のグッズに良くあるデザインだ。


「あ、これ? リンドブルームのオフィシャルジャージ。動きやすいって、こんな感じで良かったかな」

「その格好で市場に行って、恥ずかしくないならね」


 こちらの嫌味など気にならない様子で、アリシアは先に立って歩く。そういえば、彼女はまだ二十歳らしい。


「聞きそびれてたんだけど、ディルって前はどこに勤めてたの?」


 さすがに三か月で辞めた店の話はしたくない。それに、ここで少しばかり箔をつけておくのも悪くないだろう。


「元々は、ウニベルツァーレにいた。今は、師匠に言われて、修行中だよ」

「それって、有名人とか政府の偉い人も食べに行くっていう、あの?」

「本店でね。三年ぐらい」


 途端に、アリシアの目の色に深い感心が満ちわたった。

 それと一緒に、不安そうな顔で問いかけてくる。


「ね、ねえ、ホントに大丈夫? もしかしてお給料、全然足りない、とか」

「うまくいったら、ボーナスとして上乗せしてくれればいいよ」

「それなら何とかなる、かも」


 雑談をかわしつつ、駅前を北の方へ回り込む。そこには、南の通りとはまた違う光景が広がっている。

 朝市。

 無数の露店が、広い石畳の街路一杯に列を作っていた。

 屋根代わりの布を差し掛け、露台の上に売り物を山のように積み上げている。


「ここは東から順に、野菜、肉類、乳製品、魚介って感じで並んでるの。後は北に三ブロックづつ区切りで、その他の雑貨やお酒、果物やお菓子を売ってる。朝ご飯の軽食もそこで買えるから」

「ありがとう。それじゃ、順にみてこうか」


 屋台の間にできた通路代わりの空間は、人々でごった返していた。うっかり誰かの尻尾を踏まないよう、なるべくゆっくりと歩いていく。

 入り口近くに陣取る屋台は、遠くから見ても分かるほどの、真紅を盛り上げていた。

 皮のつやつやとした、みずみずしいトマト。大きさも形も様々な、その中の一個を拾い上げ、香りを確かめると商談に入る。


「おじさん、このサンマルツァーノ、五キロください」

「はいよ。千三百デナリね」

「少しまからないかな、そこのドライトマトも貰うから」

「なら、まとめて千百でいいよ」


 取引を終えると、大きな紙袋を自分が、小さな方はアリシアに手渡す。


「いいよ! そっちもわたしが持つから!」

「買い物はこれからだよ。そのうち重い物も持ってもらうから」

「台車でも借りてこようか?」

「邪魔になるからいらない。さ、次行くよ」


 おともを引き連れ、ディルは朝市をゆったりと見回っていく。

 昨日の内に、店の在庫は把握してあるから、基本は足りないものを買い集めるだけの予定だ。

 それでも食材を前にすると、欲望は抑えきれなかった。


「そこのパンチェッタ、美味しそうですね」

「この塊で三千、どうだい?」

「うっ。さすがに、今の持ち合わせじゃ、ちょっと……」

「言うと思った。こいつをちょっとやってみな。気が変わるかもだぜ?」


 商売上手は、塩漬けの豚バラ肉を薄く切って差し出した。

 口に入れ、噛みしめると、ディルは目を閉じて味わっていく。

 しっとりとした脂、水分を極力排し、うまみだけになった赤身。噛むほどに口の中でほどけ、唾液と混ざり合って、濃厚なエキスに変わっていく。

 半年近い熟成がなせる、極上の味だ。


 これなら生ハムの代わりとして、ベリーのソースを掛けて前菜にしてもいいし、じっくりと弱火で焙り、染み出た脂で卵を揚げ焼きにしてもいいだろう。

 さっきのトマトとパンチェッタを合わせ、極上のパスタソースにするのも手だ。

 考えれば考えるだけ、メニューが溢れ出してくる。


「アマトリチャーナ……カルボナーラって手もあるな。粗挽きの胡椒を効かせて……」

「ちょっと、ディル?」

「いっそのこと、これを丸ごと使ったシュークルートなんて……」

「お金のこと、忘れないでよ」


 アリシアの一言で、ようやく妄想から覚める。

 この買い出しは新しいメニューを試作するためであり、予算も決まっている。五百グラム三千デナリのパンチェッタはお呼びではない。

 後ろ髪どころか、翼や尻尾さえもぎ取られそうな思いを振り払い、歩き出す。


「ディルって、料理が好きなのね」


 そんなこちらの姿に、アリシアは笑いながら言った。


「好きっていうか、考えると止まらなくなるんだ。この食材をどうしてやろう、どんな料理にしてやろうかって」

「やっぱりプロって、みんなそうなの?」

「どうかな。料理人だって色々さ。日銭を稼げれば、ぜんぶ出来合いでもいいと思ってる奴もいるよ」


 そういう稼ぎ方もやり方の一つだし、全力を出すだけが能じゃないことも分かる。

 だからって毎日毎日、気の抜けた味を機械のように作るなんて、真っ平だ。


「トマトに玉ねぎ、セロリに人参。チーズは確保できた。あとは……あれかな」

「あれって?」

「旬の食材を使った方が安上がりでしょ?」


 いくつもの台車の列を抜け、朝日を浴びて輝く魚介のコーナーへとたどり着く。

 みっしり氷のつめられた木箱や、いけすを用意して鮮魚を扱う店もあった。


「そこのアサリ、見せてもらっていいですか?」

「はいよ」


 むっつりと言い放つおばさんに会釈し、潮臭いバケツの底に沈む貝を見つめる。

 粒もそろっていて肉厚そうだ。ちょうど旬に入ったころだから、一月くらいはこの質のものが手に入るだろう。


「この貝はどこから?」

「セドナだよ」

「これ一キロ。氷もお願いします」

「八百」


 一瞬、値切ろうかと思ったが、止めておく。値付けは妥当だと思えたし、この手のタイプはわずらわしいやり取りを嫌うものだ。


「じゃあアリシア、こっちをお願い」

「さすがにこの量、手で持つのはキツイかも」

「帰りにタクシー呼ぼう。それじゃ、朝ご飯にしようか」


 イートインスペースにたどり着くと、ディルはほっと息をついた。

 成果は十分、とりあえずの『言い訳』に必要な品物はそろえた。後は、適当につじつまを合わせていけばいい。

 そんなことを考えている間に、買い出しに行っていたアリシアが戻ってきた。


「おまたせ。適当に買ってきちゃったけど、これで大丈夫?」

「うん」


 紙皿に載ったパニーニとカプチーノのカップ。確かに適当だが、これはこれで好きなチープさだ。

 付け合わせの、きゅうりのピクルスをかじり、味を確かめる。


「このパニーニ買ったお店は?」

「ほらあそこ、赤いドラゴンのおじさんがやってるやつ」

「そっか。これ、瓶ごと売ってくれないかな……」


 自家製のピクルスは、かなり好みの味だった。

 加減の効いた酸味と甘さ、味の輪郭を際立たせるわずかな塩、クローブの香りもさわやかで、肉料理のアクセントに使いやすい。

 パニーニ自体は可も不可もない。この市場にあるものを適当に買って作れば、このぐらいの味に落ち着くだろう。


 目の前の少女は、ひたすら無心にパンをほおばっている。

 これが料理学校の仲間や、ウニベルツァーレ時代の同僚なら、味付けや食材の話で食事をする暇もなかったろう。

 彼女の態度は普通の人・・・・のそれに過ぎなかった。


「アリシアは――」

「ん?」


 湧いてきた疑問を尋ねようとして、思い直す。


「ブレイズが、好きなの?」

「うん! 子供の頃からずっとね!」


 水を向けられて、彼女はとくとくと、自分のひいきチームの話を始めた。

 結局、自分にはどうでもいいことだ。

 彼女の好きなものも、才能も心構えもない癖に、あの店を潰しかけてまで運営している理由も。

 熱心に今シーズンの試合について語る姿を見ながら、ディルはカプチーノをすすった。



 久しぶりで、店で一番大きなガス台に火が入った。

 アリシアの目の前で、白いドラゴンの料理人が、火にかけた寸胴鍋を見下ろしている。

 中には半割になった赤いトマトが五キロ分、ぎっしりと詰まっていた。


「仕上がるまで時間がかかるから、座って待ってていいよ」

「そういうわけにはいかないわ。これでもわたし、店長なんですからね」

「お好きに」


 火に掛けられた鍋から、ちっちっ、と鳥がさえずるような音が響く。ディルの両腕が木べらをつかみ、せわしなく中身をかき混ぜ始めた。


「水とかは、入れないの?」

「……ああ」

「それってトマトソース、だよね?」

「うん、そうだね」


 ディルの顔は真剣そのもので、それ以上の質問を拒むようだった。

 邪魔者は出ていけ、と言わんばかりの雰囲気。そうは言っても、自分の店に関わることは、なるべく知っておきたい、


 こういう時どうすればいいか、アリシアは過去の記憶を手繰り寄せた。

 カウンターから小さなメモを取って戻ると、それまで見た詳細を書き記していく。

 トマト五キロ、火力は強火から、すぐさま中火に。


「なに、してるんだい?」

「あ……ごめん。それって一流店秘密のレシピ、とか?」

「そんなことはないよ。水を使わないでトマトを煮詰める、割と当たり前の手法だね」

「なるほど……当たり前の手法、と」


 そこで彼は、鍋の面倒を見つつ、笑顔を上げた。


「それで、僕は何を説明したらいいですか? 店長」

「えっと……その、トマトソースなのに、ニンニクとか入れたりしないのかなーって」

「そういうことか。一応君でも、レシピ本くらいは読んだんだ」

「え、ええ。一応は……はは」


 痛い所を突かれて苦笑いすると、用意しておいた水差しからグラスに注ぎ、汗まみれのディルに差し出す。


「はい、一息入れて」

「あ……ありがとう」

「鍋の前、熱いもんね。倒れないように気を付けて」


 汗を拭き、水を飲み干した白いドラゴンは、次第に煮崩れていくトマトをかき混ぜながら、説明を始めた。


「僕の今作ってるのは、ソースというよりベースなんだ」

「ソースとベースの違いは?」

「君の言ってるのは、それ単体で使えるソース。ポモドーロやピッツァに使うものだよ。最初から味の方向性を決め、玉ねぎやニンニク、バジル、鷹の爪なんかで調味する」


 ぐるぐるかき混ぜられる鍋の中は、砕けたトマトの混沌だった。

 皮や粒が木べらの動きで盛り上がり、真紅ともオレンジともつかない溶けたエキスが、銀色の鍋の中で踊っている。


「僕のこれはベース。トマトの味を濃縮して、この後の調理で個性を足していく。僕としては、こっちのほうが好きだ。利用できる幅が広いし、味のブレが少ない」

「味の……ブレ、っと。ブレって、おいしくないってこと?」

「そうだなあ……おいしくないっていうより、狙った味が出ない、って感じかな。入れる材料が増えれば増えるほど、ブレは起きやすくなる」


 箇条書きにした内容を確かめると、軽く鍋の中身をスケッチし、思ったことを書きいれていく。後は、写真を撮れれば完璧なんだけど。


「もしかして君、前に別の仕事やってた?」

「どうして、そう思うの?」

「……たぶん、本作ってたとか」


 まさか、そんなことまで見抜かれるとは思っていなかった。とはいえ、別に隠すようなことでもないし、言っても構わないだろう。


「一年ちょっとだけど、出版社に勤めてたの。担当はスポーツ誌」

「だからそのジャージなのか。もしかして"ブレイズ・ファン"とか?」

「さすがにそんなメジャーじゃないよ……。でも、よく分かったね」

「うちの店にもよく来てたから、取材」


 なるほど、その時に自分と似たようなことをしたヒトがいたのだろう。それほど過去でもない記憶を、少し思い出す。


「先輩に言われたの。取材は相手に聞くことじゃなくて、相手を見ることから始めるようにって」

「僕の場合は料理の作り方ってことか」


 頷きながら、もう一つ教わったことはあえて黙っておく。


『気難しい相手にはチームメイトみたいに接すると、結構うまくいくぞ』


 いつの間にか、トマトの混沌は均一な赤色に染まり、皮や種の部分さえどろどろの流れになって対流を始めていた。

 そこからスプーンでひと掬いして味を確かめ、別のスプーンにとったものを、こっちに差し出してきた。


「味もちゃんと見ておくといいよ。これが全てのベースになるから」

「う、うん」


 暖かいトマト液は、なんとも言えない風味があった。まだ何も入れていないはずだが、わずかに塩気のようなものを感じる。

 煮崩れた果肉が、さらさらとした食感を残して喉を滑り落ちていく。


「トマトジュース……みたいな味」

「ここから漉して、種や皮を取り除いて、塩で調整すれば完成だ」


 重そうな鍋を火から降ろし、漉し器を取り付けた別の鍋へと注ぎ入れていく。残った種や皮が取り除かれ、見た目にもきれいな液体に変わっていく。

 トマトベースの入った鍋を再び火にかけると、白いドラゴンは味見をし、時々わずかに塩をつまみ入れながら、ゆっくりとかき混ぜた。


「魔女のおばあさんみたい」

「僕は男だから、魔法使いじゃないかな」

「どっちにしても、わたしにとっては魔法みたいなものだけどね」


 真っ赤なトマトがいつの間にか影も形もなくなり、美味しいソースに変わっていく。

 こんな光景を、ずっと昔に、わたしは見ていた。

 白いコックコート、大きな背中、真剣に鍋をかき混ぜる姿。

 わたしの、もう一人の魔法使い。


「とりあえず、こんな感じかな。後はあら熱を取って、できれば半日熟成させたい」

「なるほど、これがプロの味かぁ」

「お店をやるなら、最低このぐらいできてないとね」


 ちくりちくりと嫌味が刺さるが、何も反論はできない。自分のバカさ加減は自分が一番知っている。今は彼に任せられることを幸運に思おう。

 鍋から離れると、彼はすでに準備してあった食材たちを並べて、調理を始めた。


「さて、そろそろいい時間だし、試食も兼ねてお昼にしようか」

おおよそ自分の書きたいシーンがここに詰まってたりします。地球と同じようでどっか違う世界って、好きですわ。

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