最終話、海辺の店
からり、とドアを開けた。
南のテラス席につながるガラス戸から、日差しが入り込み、店内を照らし出している。
行儀よくオリーブと白のクロスにおおわれた、八卓の席。
ガラスの向こう側には快晴の空と、青い海があった。砂浜は護岸された堤防の向こう側だが、眺めを楽しみたい客で、三卓の席はすぐに一杯になる。
「おはよう、ディル」
レジ前を通り抜け、正面のカウンターに声を掛けると、コックコート姿の白いドラゴンが顔をのぞかせた。
「おはよう。ランダートさんのケーキ、少し遅れるそうだから」
「了解。今日のメニューは?」
「コーヒーメーカーの上にメモがあるから、書き出しておいて」
フロアの隅に置かれたコーヒーメーカーは、前の店から引き続いて働いてもらっている。
そろそろ買い替え時と言われているが、自分のわがままで継続雇用をしていた。
「ボンゴレのランチが二種類、ハンバーグセット、ピザはトンノとマリナーラ……って、パンのサラダがある!」
「試験的にね。値段を抑える算段が付いたから」
大急ぎで黒板に書き込み、『新メニュー』と強調して、パンのサラダを加える。
レギュラーメニューに加わったら、賄いで食べられるのも魅力だ。
「後で試食しても?」
「フロアの準備が終わったらね」
「やったー!」
そのまま着替えを済ませてフロアに戻ると、テーブルを拭き、床をモップで磨き、デッキのパラソルを開いて、そちらもきれいにしていく。
レジを開き、つり銭の準備を終えると、仕込みの終わったらしいディルが、小皿に盛ったパンのサラダに、黄色く色づいた液体を添えて出してくれた。
「これってレモネード?」
「夏向けにリモンチェッロを仕込んだでしょ? その余りで、レモンシロップを作ったんだ。シャーベットに掛けてもおいしいよ」
炭酸で割ったシロップが、はじける泡と一緒にいい香りを漂わせている。
一口すると、酸っぱさと甘さが、動いて熱くなった体を心地よく通り抜けた。
それから、小皿に盛られたパンのサラダを味わう。
パンとオリーブ、それから卵にツナと、緑色のむっちりとした塊。
「アボカド入れたんだ、なんかコブサラダみたい」
「それのおかげで、材料費の問題がクリアできそうだったからね」
「なるほど、いつもご苦労様です」
開店前の軽い軽食を終えると、アリシアは改めて、店内を見渡した。
かすかに漂う海の香りと、日差しに洗われる大気は、あの狭い路地の奥で息づいていた店とはまるで違っている。
それでもここは、ディルと私の店だ。
「そういえば、言い忘れてた」
「なに?」
「お店を畳むって決めた日の事」
あの日、自分が店をやめる決心をした、もう一つの理由。
「今日は営業できませんって張り紙をしてる時にね、親子連れが来たの。ここのボンゴレがおいしいから、もう一度食べに来たって」
「……それで?」
「ごめんなさいねって謝ったら、今度またこようね、って帰っていって。その姿を見て気が付いたんだ。おとうさんが、あの店をやってた理由」
それは他愛もない事だ。
自分がしていることで、誰かが喜ぶのを見たいというだけの。
「あの店は自分の夢だから、っていうお父さんの言葉で、はっきりした。そして、誰かの手でそれを体験しても、わたしのものにはならないんだって」
「今は、どうだい?」
空になった皿を手に、彼が笑う。
答えは分かっているが、あえて確認したい、そういう顔だった。
「さ、そろそろ開店だよ」
「了解、店長」
厨房に入っていく彼を見送ると、メニューを記した看板を手に、外に出ていく。
そして、戸口に立っていた客に向けて、アリシアは声を掛けた。
「いらっしゃいませ!」
港町セドナの海岸通りのレストラン、ヴォーノ。
白いドラゴンのシェフと、元気のいい女性オーナーの店は、今日も繁盛していた。
<了>
最後はあっさり目。読んでいただきありがとうございました。




