全世界防衛戦⑪ それぞれの防衛戦 超下
「……素晴らしい」
そう呟いたのは〝影法師〟の総帥だった。
たっぷりの白い長髪と深い皺だらけの顔、鋭い目元に顔の下半分を覆う黒い布が特徴の老人だ。首から太極図のネックレスを下げ、ブラックスーツを着用している。
その表現し難い独特の〝凄み〟と相まって、道士の長というよりマフィアのボスと言われた方がしっくりくる雰囲気の御仁だ。
なお、司令部で顔を半分とはいえ晒しているのは彼のみ。
傍らに立つ黒子衣装の従者が、総帥の声に反応してピクリッと肩を揺らす。
「総帥、人目が……」
通信は常に繋がっている。他国における現場のトップ達、それに国家存亡の危機に緊急招集された国家元首達の会議室に。
それはたしなめもするだろう。
だが、無理のないことだと、従者は内心で総帥の言葉に頷かずにはいられなかった。きっと、いや絶対に、この司令部にいる者達も、それどころか会議室の方々も同じ心境に違いないと確信している。
――神話の降臨
端的に言えば、それが理由だ。
祖国の神話に語られる神々、神獣、大妖の類いが、祖国の民を喰らわんとする異邦の怪物達と激戦を繰り広げている。この危急存亡の秋に駆けつけ、民を守ってくれている。
各方面から来る情報の精査と扱い、影法師の適切な派遣、国民の避難誘導、それらのための国軍との連携。
人口の多さと国土の広さに比例して困難さが飛躍的に上がっていくそれらを必死にこなしながらも、きっと誰もが思っている。
今すぐ現場に駆けつけて己の目に焼き付けたいと。
特に道士達の思いは人一倍だろう。〝影法師〟経由での情報がなければ全てが後手に回るしかない状況だと理解しているから誰も不満など口にしないが、その視線は常にチラチラと各地を映すモニターへ飛んでいる。
感涙を禁じ得ない。道士として、これほどの光景を目の当たりにできるなど幸福の絶頂と言っても過言ではない。と涙ぐんでいる者達まで。
たまに、いや、全てのモニターに、
『フハハハハッ、吾輩も一緒に降臨!!』
『深淵より出でし闇の貴族、天空より舞い降りんっ!!』
『吾輩、アビスゲート。今、貴方の後ろにいるの』
『八仙の方々ではありませんか! 数日ぶりですな! そう、吾輩です。八千の我です!! なんてね!! ハハハハッ』
『アイエェエエエエエッ!? 孫悟空!? ナンデ孫悟空!? ナンデ――あっ、ファンです。握手してください。旅行ではお会いできず大変残念に思って――』
なんかチラチラと黒い人影が見切れてくるのがなんとも言えないが。
いや、分かってはいるのだ。神出鬼没の敵を前に未だ壊滅的な被害が出ていないのは、彼が誰よりも早く駆けつけてくれたおかげだと。今も彼がクラス0やクラス1といった都市一つをあっさり壊滅させかねない厄災を抑えてくれているからこそ、神仙達がクラス2以下の対応に集中できていることも。
そもそも〝龍の事件〟にしたって彼のおかげで最悪の事態は免れたわけで。
だがしかし。
だがしかしである。
感動的で奇跡的な光景を前にすると、やっぱりどうしても思ってしまうのだ。
『『『『『司令部のみんな~、見ってるぅ? 今、君達の大事な神様とぉ~~~~~共闘しちゃってまぁーーーっすっ!! フハハハハッ!! 伝説の存在と共に戦えて、我、超ッエキサイティン~~~ぐはぁあああっ!?』』』』』
うぜぇ~~~~~~っと。
わざわざカメラ目線になった瞬間に〝無神〟の攻撃で十数体が一気に消し飛んだ光景を見て、映像内の八仙の方々もドン引きしていらっしゃる。
きっと総帥もそう思って……と、従者がそっと窺うと。
「ああ、やはりあの子を外に出したのは正解だった」
「は? あの子……? ……あっ」
総帥は、そもそも各地を映したモニターに視線を配ってなどいなかった。
ただ真っ直ぐ、一つのモニターだけを見つめていたことに、ようやく気が付く。
そう、
『――奇一奇一たちまち雲霞を結ぶ。宇内八方ごほうちょうなん、たちまちきゅうせんを貫き、玄都に達し、太一真君に感ず。奇一奇一たちまち感通、如律令』
かつて、〝真影〟として部隊を率いた生まれながらの影法師。気が遠くなるほど遙か昔から血と技を継承してきた名門の令嬢にして、幼くして〝神降ろし〟を成功させ神童と称された天才道士。
魔を祓う一対の神獣にして瑞獣〝辟邪・天禄〟の〝神降ろし〟を息をするような自然さで既に成功させていたというのに、更に太一真君と交感することで多大な力まで上乗せした朱だ。
たとえ〝影法師〟でなくなろうとも、彼女の忠誠心と愛国心は揺るぎなく。
ならば、祖国の危機に、たとえ本国の許可が下りていなかったとしても駆けつけるのは当然で。
「時には強すぎる忠誠心が道を阻むこともある。無意識に〝かくあれかし〟と己を定め限界を決めてしまう……」
輝きすら帯びた美しい純白の髪が風になびく。
妖精界旅行で祖国の神話の神々に会うならと用意していた道士としての正装――純白のゆったりした上衣、いわゆる道士が着用する道袍を着ていて、同じく裾が風になびいている。
圧倒的な気配が映像越しでも伝わってくる。それは彼女が〝真影〟であった時を遙かに凌駕する姿だった。
その上で、だ。
朱は宙にいた。国家運営の中枢たる首都の上空に。
雲の上で戦う深淵卿と〝無神〟達による雲上の戦いから地上を守るように、その中間位置において神々しい龍に乗って。
巨大にして強大な龍であった。四本の脚と鷹のような翼が生えていて、その周囲には球体状の水の膜が出来ている。
実は今の首都は風雨に覆われている。この龍神の天候干渉の権能が原因だ。
だが、当然ながら災害をもたらしているわけではない。
雨雲は天空の戦場と地上を隔てる一種の結界であり、雨と風は地上を跋扈する無数の〝無神〟への攻撃であり、味方戦力への支援であった。
つまり、水の膜も結界であり騎乗者たる朱を守るためのもの。
その身からは神威に溢れる輝きが放たれていて、夜と雨雲による暗さを一掃する太陽のようだ。
――応龍
それが彼の者の呼び名の一つ。中国神話において天地創造に関わったとされる偉大なる四霊が一角。いと尊き神獣にして最強クラスの龍神だ。
ならば、伝承に語られし大妖達が従うのも当然で、その中には四凶とさえ称される強大な存在が含まれているのも納得であった。
「だが、誰が思う? まさか、たった半年程度でここまで殻を破るなど……」
「それは……」
神々しい龍神と、その背に乗ることを許された朱の姿。そして、朱の指揮に従う百鬼夜行の群れ。
それは紛れもなく、道士が夢見る到達点の一つに見えた。
もっとも、当の本人はというと、
(くそぉっ、藤原陽晴め! なんなのだっ、いったいなんなのだ! 何をどうしたら七体もの己を作り出せる! いったいいつの間にそんな術をっ! 頭のおかしい技は遠藤浩介だけで十分だというのに! し、しかも、日本全土に異界の性質を付与する、だとぉ!! いや、それよりもだ! なんだあの別れ際のドヤ顔は! 生意気生意気ぃ!)
心の中で地団駄を踏んでいた。傍目には天女もかくやという見た目と雰囲気なのに。
(ふんっ、別に分身なんぞできなくても問題ない! 私だって四霊様や雷電諸神様のご加護を得ているんだ。まだ勝ってる! まだ勝ってる!)
ちなみにだが、陽晴がユエに師事を請うと決めた時、実は朱のことも誘っていたりする。ちょっとモジモジしながら、でも黙って自分だけ指導を受けるのもライバルとして器が小さい気がしたために。
それを断ったのは朱の方だ。
陽晴の誘い方が、「どうしてもとお願いするならご一緒しても構いませんけれど?」みたいな感じだったので、朱の中のプライドがムクムクと首をもたげたからというのと。
実は、その前日に「どうしてもと言うのなら、とっておきのお好み焼きの店に連れていってやってもいい」と誘ったものの、普通に断られてムカムカしていたからだ。
両日共に傍にいた浩介と柳の眼差しが、物凄く生暖かかったのは言うまでもない。
閑話休題。
生意気なライバル少女への鬱憤や不満を込めて、朱は懐から符の束を引き抜きながら念じた。
妖精界の旅行で得た〝雷公・雷母〟との、加えて神話に語られる雷電を司る諸神仙神獣の縁に基づき、その強力無比なる助力を求めて。
途端に、朱の体からスパークにも似た青白い光が迸った。氣力の可視化状態というべきか。あまりの氣力の大きさに放電にも似た現象が起きているのだ。
その状態で行使する。道士の中でも扱える者は一握りしかいない、けれど朱にとっては得意とする秘術を。
『玉帝有勅 神硯四方 金木水火土 雷風雷電神勅!!』
懐から符の束を引き抜き、放つ。スパークを帯びた符は風雨に影響されないどころか、むしろ風雨が味方となって都中に飛翔し、念じた通りの空中に留まった。
その直後、ビリリッと響き渡る呪言が奇妙なほど広範囲に、否、都市中に響き渡った。
『軽磨霹靂電光転! 急々如律令ッ!!』
かつて樹海の戦いでも深淵卿相手に放った朱の切り札――雷電召喚の秘術。
だが、かつてとは何もかもが違った。
まず雷鳴が轟いた。
それはおかしな話だった。物理法則を無視していた。光は音よりも速い。雷鳴が先に届くことなどあり得ないのだ。
だが、雷鳴は先に響き、その瞬間、地上の〝無神〟は程度の差こそあれど例外なく硬直を余儀なくされた。まるで〝魂〟に直接、衝撃を与える〝衝魂〟でも食らったみたいに。
四凶の一角――窮奇と相対しながらも、常時展開型障壁と短距離ながら有する空間跳躍能力で逃げ回ることで手こずらせていたクラス3ですら、ショートジャンプをキャンセルさせられ、更には一瞬、障壁を乱してしまうほど。
そして、その一瞬は雷速を前にすれば、あまりにも長い一瞬だった。
首都の空に閃光が瞬く。それは白い雷だった。白い落雷の雨が降り注ぎ、ピンポイントで〝無神〟達を撃ち抜き、クラス4以下は一撃のもとに、クラス3ですら看過できないダメージを負わせた。
明らかにただの雷ではなく、なんらかの恐るべき効果が付与された雷電だった。
「まさに神鳴り……神の雷だな」
「……」
満足そうな総帥とは異なり、従者はもはや言葉もないといった様子。
あまりにも人智を超えていた。同じ道士として理解の外にあったのだ。
ああ、まったく以てその通り。あれはおよそ人の技ではない。人にできる範疇を超えている。まさに神の雷だった。
「あの子に〝影法師〟は小さすぎた」
「え……?」
ハッと総帥を見やる従者。総帥の目は、興奮や好奇心、それに称賛を超えて、どこか孫娘を見守る祖父のような優しさを湛えていた。
「私は道士だ。だが、道士である前に〝祖国の影〟だ。あの子も、そうあれかしと育てられ、そうあれかしと生きてきた」
「……影法師はみな、そうでございます」
総帥の手が、首から提げたペンダントに触れる。
陰陽太極図。万物の調和をあらわした道教のシンボルマーク。世界は光だけでも影だけでも成り立てない。バランスの上にあると示すもの。
「だが、それでも道士なのだ」
道士として極みに至る。仙人の位へ至る。誰もが目指す頂の一つ。
だが、〝影法師〟となった時点で目的は変わる。己を殺し、影として国を守る。強さは、そのための手段となる。もはや光が当たることはない。
すなわち、自らシンボルを捨てるのだ。
そのことに後悔などあろうはずもない。むしろ、誇りだ。けれど、それでも……
「見てみたくなるだろう?」
僥倖とは口にすまい。それは祖国への背信と取られてもおかしくない言葉だ。
だが、朱が自ら仮面を剥ぎ取り、〝国の影〟でなくなった時。
総帥は思ってしまったのだ。
これで、この子を縛るものはなくなった。光を取り戻せる。
ならば……この子ならば……
特異にすぎる者達と、希代の術者たる藤原姫というライバルと成り得る者が傍にいるこの時代なら……
かつて己も夢見た〝道士の頂〟に至る姿を見られるのではないか、と。
朱を生かした理由の一つだった。
「良い方向へ変わってくれたようだ」
その圧倒的な才能を知り、かつて直弟子として自ら育てた少女だ。情が湧いていたというのも、決して口にできないが生かした理由ではあった。
だが、それ以上に見たかったのだ。この道士としての天賦の才能が花開く姿を。
総帥は、とても満足そうだった。何か気が抜けたみたいに少し老けたようにすら見えた。
そんな総帥の眼差しの先で、
『……む? これは! 大霊影様!』
「ん? 奴は何をしている?」
朱の傍に幽霊の如く半透明の人間が現れた。落ち窪んだ目元に痩けた頬、針金のような痩身に煌びやかな法衣を纏っている。
〝影法師〟には総帥をトップとして、その下に六大影長と呼ばれる六人の最高幹部がおり、それぞれが専門・得意分野に応じた役割を担っているのだが、彼もその一人だ。
大霊影と呼ばれた男は、驚きながらも一礼する朱の肩に手を置き真剣な表情で何か話しかけている。
物理的に会話を聞くことはできない。読唇術も無理だ。口も動いていない。
接触を条件にした一種の〝念話〟だろう。傍目には重要な伝達、あるいは指示を出しているように見えるが、その姿に総帥は目を細めた。
「……やれやれ。新たな時代に合わせて、やはり代替わりが必要か」
溜息交じりの呟きだった。だが、従者が思わずビクリッと震えるほど温度のない声音だった。直前まで朱へ向けていた声音との差にゾッとする。
総帥には見当が付いていたのだ。大霊影が何を伝えているのか。
そもそもの話、大霊影にも指示は出している。彼の部署も事態の対応に当たっているはずだ。
わざわざ〝式〟に意識を移して(当然その間、本体は何もできない)、朱のもとに飛ばしてくる理由がない。何かあるなら本部へ連絡すればいいだけなのだから。
その上で、彼の性格や思想を見抜いていてれば察しは付くというもの。
長い歴史を誇る裏の組織である。思想や考え方の違いから派閥が生まれるのは当然で、その中には〝影法師〟の地位向上、引いては権力増大を望む派閥も存在する。
超常現象が認知され始め世界が変わりゆく中、〝影法師〟の重要性が格段に上がったのは言うまでもないこと。
ならば、その燻っていた願望を湧き立たせる者がいるのも不思議ではなく。
大霊影は、まさにその派閥のトップであった。
本来なら、こんな戦場の中で見られていると分かっていながら表に出てくることはない。そこまで馬鹿ではない。
だからきっと、当てられたのだ。朱の姿に。
総帥ですら目を奪われたのだ。野心深き男が少々我を忘れるのも納得だ。
(大方、己の下に付くなら〝影法師〟に戻れるよう手を尽くす、地位も約束する……とでも言っているのだろう。朱を手中に収めれば、私を排除することも容易とも考えていそうだな。まったく分かりやすい男だ)
大正解であった。
モニターの向こうで、朱は黙って聞いていた。
〝影法師〟でなくても、彼女は組織と国に忠誠を誓う者。大霊影という最高幹部を前にすれば、その言葉を遮ることなどあり得ず、逆らうなどもってのほか。本来なら直ぐに傅き深々と頭を垂れるべき相手だ。今は戦闘中だから立ったままだが。
その忠誠心を知るからこそ、〝影法師〟に戻れるという提案は餌になると思ったのだろう。
大霊影の視線が応龍に向き、更に、話を聞きながらも放たれた朱の白雷が〝無神〟を撃ち抜いた光景を見て取り繕っていた表情が僅かに崩れた。口の端に笑みが浮かぶ。嫌らしい笑みに見えた。
熱に浮かされたように、更に朱との距離を詰めて何かを熱心に言い募り。
そして、これ以上は朱の邪魔になると総帥が遠隔で術を叩き込んでやろうとした、その瞬間だった。
なぜか話の途中から目元や頬をヒクヒクと痙攣させていた朱さん、突然、カッと目を見開いたかと思えば、直後、
『テガスベッタ急々如律令ォオオオオッ!!!』
『!!?』
なんかとんでもない雄叫びを上げた。
通信機を通して司令部に響き渡ったそれに、え? え、なに? なんて? と司令部の時が止まる。総帥ですら呪言を止めて目をまん丸にし、それどころか顎をカクンッと落としてしまっている。
モニターの向こうで、朱さんが右ストレートを放っていた。
それはそれは惚れ惚れするような一撃だった。なんかヂヂヂッ、ヂヂヂッと腕にスパークも纏っている。
そして、その拳は大霊影の顔面をぶち抜いて、それどころか上半身ごと綺麗さっぱり消し飛ばしていた。
「だ、だ、大影長様を……な、殴ったぁ!?」
「お、おぉ……」
従者が見るからに戦いている。震える手を口元に当てて「あわわわわっ」と見るからに動揺している。
当然だ。影法師達にとって最高幹部は雲上人。従順こそが常識であり、極論、盲従こそが正しい態度とさえ言える相手なのだ。
そんな相手を殴る? あり得ない。まして、それをしたのが忠誠心の深きことマリアナ海溝の如くと誰もが認めている、あの朱である。
ある意味、〝無神〟襲来や神話顕現よりも現実味がない。
司令部の時を止めた朱は、目ん玉が飛び出さんばかりの総帥達が注目する中、右ストレートの残心をゆらりと解き、スゥッと息を吸った。
そして、
『なぁーーーにぃがっ〝今のお前なら南雲ハジメさえも堕とせるやもしれん〟だっ。それではまるで遠藤浩介が劣っているようではないか!! 確かにあいつは変態だ! わけが分からんし、いつも私を辱める!! だが、尊敬すべき戦士だ! 優しい戦士だ! 信頼に値する男だ! 貴様如きに下に見られるほど安い男ではないわ! 応龍様の雨でテガスベリスギル急々如律令ぉおおおおっ!!』
ズガンッと首都の一角に白雷が落ちた。一見なんの変哲もない、なんなら少し古びたビルが消し飛んだ。そこに誰がいるのかは推して知るべし。
あと、応龍様がギョッとして振り返った。「え、我の雨のせい!?」みたいな感じだ。
もちろん、結界の中なので朱さんは雨に一滴足りとて降られていない。
『しかも貴様ぁっ、言うに事欠いて陽晴を暗殺しろだと!? 今なら誰が命を落としても不思議じゃない? 所詮は子供だから上手く騙せば私ならやれる? あの子を舐めるなぁあああっ!! 腹の立つことこの上ない生意気娘だが、私の大事な――あ、いや、うぐぅううううっ、何を言わせるこの老害がぁっ!!』
振り返っている応龍の目と朱さんの目が合った。あまりの迫力に応龍様ビクッとしちゃう。何かを訴える強い目。言わなくても応龍様なら分かりますよね? という無言の圧。
『テヲスベラセ給え、急々如律令!!』
『!!!?』
『急、々、如、律、令ぉ!!!』
なお、急々如律令とは「律令の如く速やかに実行せよ」という意味だ。誰が、誰に、何をするのか。そこが抜けていては意味をなさない。
だが、この時の応龍様にはこう聞こえていた。というか伝わっていた。
――いいからやって。早くやって!! なんでもいいから殺っちゃって!!
と。血走った目に、氣力が乗りに乗った言葉、そして怒髪天を衝くといった様子の朱が放つあまりの迫力と勢いに応龍様は思わずコクコクッと頷いてしまう。
直後、消し飛んだビルの跡地にダウンバースト染みた風圧&激流が天より落ちた。
既に建物は吹き飛んでいたのだが、今ので更に地面が吹っ飛んだ。なんか水が滝のように流れ込んでいるところを見るに地下空間があったらしい。
『そもそも貴様、私の可愛い柳に普段から密かにちょっかいをかけているようだな? あの子が組織を抜けたいと言った時も、己を切り刻むほど追い込んだのは貴様らしいじゃないか。ああ、納得だ。貴様はずっとあの子に執着していた。あの子を影法師に引き込み、まだ幼いあの子に拷問じみた教育とやらをしたのも貴様なのだから……』
ゆら~っと朱の手が掲げられていく。
と、そこで彼女の正面に半透明の神々しい獣が出現した。羽の生えた獅子の如き、一本角と二本角の瑞獣。朱の〝神降ろし〟の根幹たる〝辟邪・天禄〟だ。
その視線が諫めるように、あるいは厳しくたしなめるように細められる。人を殺すために与えた力ではないと。
朱と目が合う。
『『……』』
ガン決まっていた。瞳孔が開き切っていらっしゃる。そこには今、言われたことへの憤怒だけではない。きっと塵が積もって山になるような積年の恨み辛みが見えた。
影法師でありながら個人的野心に溢れ、自国民にすら選民思想を抱き、幼女であろうと己の駒にするため拷問する男。
そんな性質の最高幹部が、総帥が目を光らせていたので大事こそなかったものの、反対派閥の現場のトップを公平に扱うかと言われれば……
加えて言えば、朱が影法師でなくなったことで実家や親しくしていた道士達にも何かと手を回していたようで。
あ、察し……である。
『……』
『『……』』
ハイライトの消えた瞳で見つめられ、更にはコテンッと折れ曲がったみたいに首を傾げる朱さん。
テガスベッタだけだから。これからもテガスベルだけだから。何も問題はない。そうですね? と言ってそう。
瑞獣の二柱の目が泳いだ。かと思えば、スゥーーーッと息を吸う素振りを見せて、そのままスゥ~~~ッと消えていった。
総帥達は思った。神獣様!? なんで人の子の圧に負けてるの!? と。
そんな周囲には頓着せず、朱は改めて息を吸った。そして、叫んだ。
『テガスベリチラカシチャウ急々如律令ぉおおおおおおおおっっ!!』
特大の白雷が落ちる。流れ込む水を伝って地下へ。大霊影一派がいる地下拠点の一つへ。ついでに雨を伝って蜘蛛の巣のように広がったスパークが周囲の〝無神〟もまとめて消し飛ばした。
朱さん、天を仰ぐ。表情が物語っていた。
超ぉ~~~~気持ちぃ~~~~~!! と。
『総帥』
「!」
総帥、思わずビクンッとしちゃう。
『神々の力の強大さ故に制御を誤りました。つまりテガスベッタのです』
「え、あ、うん……」
『拠点の一つに誤爆してしまいました。人員が欠けます。本当に申し訳ない。その分、私が全力を尽くしますので』
「……いや」
最近の奴の増長や裏工作は目に余っていた。組織運営にも支障が出ていたので、どちらにしろ処分するつもりだった。それなりに大きな派閥故にタイミングを図っていただけだから特に問題ない。
と説明しても良かったが、なんとなく口を噤む総帥。だって、朱さんの笑顔が、カメラ越しに向けてくる満面の笑みが……なんか怖いのだもの!
『一応、あれも大影長の一人。守護の術に長けた側近も多かったはず。堅固な拠点でもあるので生きてはいるでしょう』
いやぁ、流石に死んでるんじゃないかなぁという心の声は、きっと司令部にいる全員一致している。ほら、応龍様だって「やっちまった……我、やっちまったよ……」みたいな雰囲気出してるし。
『この件が終息しましたら遠藤浩介に頼んで村人化しましょう。きっと、心を入れ替えて影法師の勤めを果たしてくれるはずです』
「う、うむ。そうだな?」
『では、引き続き祖国防衛に努めます!!』
「が、がんばって」
『はいっ』
朱が応龍を促し飛翔していく姿をモニター越しに見送る。
一拍おいて、総帥は呟いた。
「いや、ちょっと変わりすぎじゃない?」
司令部一同、激しく頷いたのは言うまでもない。
バチカン市国、サン・ピエトロ広場に、
「オォオオオオオオオッッ!!」
獣の如き雄叫びが上がった。一人の老年の神父だった。もちろん、パトリック・ダイム長官だ。このカトリックの総本山という聖地で、そんな叫び声を上げるのは彼だけである。
鎖で雁字搦めにされた金属製の書物〝聖滅の書〟が、鎖鎌の分銅の如く超高速で回転させられている。当然、分銅の如く投げられる。
老人とは思えない膂力で回転させられた金属の塊は、これでもかと乗せられた遠心力を破壊力に変えて目標へ飛んだ。
コウモリの翼に捻れた角、逆トゲのついた長い尾に、油に濡れたような質感の黒い人型の怪物。まさに伝承に出てくる悪魔の如き姿。
夜鬼というらしい。サスラ経由の情報によれば。
戦闘能力はあまり高くないらしいが、それでも一般人には対抗しえない脅威だ。重力を感じさせない飛行能力は当然、飛ぶ手段を持たぬ者には厄介極まりなく、一度掴まれて上空に連れ去られれば後は落とされるだけで絶命確定である。
そんな夜鬼が広場の上空に十二体。
そして、今、十体になった。
飛来した金属の書に一体目は頭部を粉砕され、その後ろにいたもう一体も土手っ腹をぶち抜かれて落下してくる。グシャッと、美しいサン・ピエトロ広場にヘドロのような染みがまた増えた。
そう、既にこの広場には百体近い夜鬼の無残な死体が転がっていた。
だいたいこの人のせいである。
『ダァーーーイム!! いい加減に戻ってこんかぁ! 司令官がいつまで現場に出ている気だぁ!!』
オムニブスの責任者の一人、対外的対応を担当する枢機卿が通信機越しに怒声を響かせた。ごもっともである。
影法師の総帥も対応課の服部も、なんならMCBのZだって戦える側の人間だ。貴重な戦力である。でも現場には出ない。全体を見て指揮する方が遙かに多くの人を助けられると分かっているからだ。
それでも現場に出てきたのは、
「俺はパトリック・ダイム……戦士だァッ!!」
『聖職者だ馬鹿もぉーーーんッッ!!』
自認ただの戦士だかららしい。
「必要な情報は共有した。初動指揮も完了している。今後の状況分析と戦力配置なら優秀な部下達と、そして枢機卿、貴方でもできる。当然、私も常に通信機越しに聞いているので適時、助言は可能です」
なら、俺という戦力を遊ばせておく道理はない。と、もっともらしいことを言っているが、たぶん戦いたかっただけだ。
もちろん、ローマの都にて〝無神〟と卿が戦い始め、しかし、その〝無神〟が数百体に及ぶ夜鬼の手勢を連れていて、援軍を含む大部分の戦力が出払っているという事実はある。
加えて、ここが世界最大級の聖地であるが故に、理解し難い厄災を前に多くの人が雪崩を打って逃げ込まんと現在進行形でしているため、夜鬼もまた大量に押し寄せているという現状もある。
おそらく時間経過と共に避難者は飛躍的に増えていくだろう。ローマ市民だけではない。イタリア全土を越えて周辺諸国からも続々と神の加護を求めた避難者が殺到するだろうことは想像に難くない。
今は広場を避けてサン・ピエトロ寺院や後ろ側にある庭園や他の建物内、あるいは地下に避難者を誘導しているが、それも遠からず限界が来るに違いない。
その場合、バチカン市国周辺を中心にローマ市街自体が避難者で溢れ、結果、多くの〝無神〟が出現する危険性がある。
ならば、だ。
「可能な限り間引ける敵は間引いておくべきです」
という意見にも一理はある。あるのだが……
『いや、結界も迎撃も機能しているんだが……』
長い歴史の中、悪魔という超常的存在と戦ってきた者達の本拠地だ。当然、市国全体を覆う結界神器や迎撃用神器もある。ハジメの協力により悪魔以外への有効性も含め、防衛能力は飛躍的に上がっている。
実際、夜鬼の侵入は阻めているし迎撃も出来ているのだ。
やっぱり長官が出る必要なくない? という枢機卿のツッコミはもっともに思えた。
「攻勢に次ぐ攻勢。敵の思考さえも奪う圧倒的攻撃こそが最大の防御」
『この五十年の間に何度言ったか分からないが、私はやっぱり言うぞ。――お前、聖職者の自覚ある?』
枢機卿さん、なかなかの辛辣ぶり。言葉通り、もう半世紀近い付き合いなので気兼ねがないのだろう。
一応、たとえ同一個体に見えても〝無神〟の能力は未知数と仮定して動けという通達は来ている。
なので今、対応できているからといって防衛設備だけに任せておくわけにはいかない。相手が何かする前に潰す。という戦術的思考は、確かに合理的ではある。
でもやっぱり思うのだ。
言い訳だろ。絶対にただ戦いたかっただけだろ、と。長い付き合いなので、枢機卿さんはダイム長官の言い訳ロジックをよくご存じなのだ。
「それに、私ももう歳です。若い連中のように世界中は飛び回れん……」
『その有様で?』
せめて、今もローマ市街や世界中の最前線で戦っている若い連中のために、彼等の帰る場所を守ってやるくらいのことはしてやらんとなと、まるでこれが老いた己の精一杯だと言わんばかりに自嘲の笑みを浮かべているが……
ほら見てよ、この自称お爺ちゃん。
なんか凄く自然な動きで脱いだんだけど、もう芸術品かよっていうくらいバッキバキのムッキムキですよ。どこが老いたんだ? むしろ、なんかこの数ヶ月で更に筋肉増えてない?っていうか、ほんとなんで脱いだの?
「ぬぅううううんっ」
筋肉がパンプアップする。更に一回り大きくなったように見える。
飛び掛かってきた夜鬼を聖書でぶん殴って叩き落とし、その頭蓋を踏み割りながら更に別の個体へ鎖を飛ばして巻き付け、一気に引き寄せる。
体を逆くの字に折る勢いで引き寄せられた夜鬼は、その腹へなんかオーラを纏う貫手を突き込まれて「ぐぇえええ!?」と苦悶の声を上げた。
こんな怪物でも一応は内臓があったらしい。それがズシャッと引き抜かれる。
腸のようなものをダランッと零しながら力を失う夜鬼を、長官はゴミのように投げ捨てた。その手と肉体と頬には黒々とした返り血がべったりと……
「増援が来るまで、ここは私が引き受けましょう。……フッ、貴方との付き合いも今日が最期かもしれませんな」
『その有様なのに?』
いや、お前さん、あと百年くらい生きそうじゃない? 殺しても死ななそうだし……もう、ダイムじゃなくてダイハードマンとでも名乗ったら? と枢機卿は思った。
ちなみに避難者に関して、サン・ピエトロ広場を迂回する形で、更には市国の両サイドと逆側からも入れるように職員達が誘導しているのだが、それでも広場が見える位置にいる者は多い。
老若男女、みんな「あ、悪魔だっ」「見ちゃダメよ!」と恐れ戦いている。誰を見て言っているのかはあえて言及すまい。
「ムッ、この気配……大物か」
『! クラス3というやつだ。真っ直ぐこちらに来るぞ!! 援軍が……なに? あ、そうか。あ~、ダイム、お前がやれとのことだ』
クラス3以上には基本的にライラやレミア経由で援軍が送られてくる。仮に倒せる者の派遣が遅れる場合でも時間稼ぎ要員が送られてくる。
なのに、来ないらしい。
という連絡を受けて、ダイム長官の口角は吊り上がった。
悪魔よ! 戦いと血に飢えた悪魔がいるわ! 誰かエクソシストを呼んでぇ!!
どこからかそんな声が聞こえた気がした。
「右手に魔力、左手に氣力……ぬぅうううううううんっ!!」
拳が胸の前で打ち合わされる。それだけで衝撃波が発生し返り血が一瞬で吹き飛んだ。
黒い血でドロドロだった体は、代わりに真っ赤に染まっていく。体からは汗が蒸発しているような湯気まで立ち昇り始めた。
「老骨に鞭打つか。ククッ、老人使いの荒いことだ」
『そういうことは悪鬼みたいな形相を隠してから言ってくれるか?』
荒ぶる老人神父は、咆えた。
「ぶるぁあああああああっ!!」
『!!?』
夜鬼に似た、しかし、二回りは大きい〝無神〟が広場に到達すると同時に、一瞬、止まった。迫力に怯んだみたいに。
そして気が付けば眼前に悪魔(神父)がいた。爛々と輝く眼光が何より雄弁に語っている。
――貴様を殺すッッ!!
なんて純粋な殺意。いや、戦意か。
両手が怪物の角を鷲掴みにし、そのままヘッドバットを叩き込む。大型夜鬼の額が割れ黒い血がプシャッと噴き出し、反撃のために長官へ向けていた手がビックンッと跳ねる。
その隙に間髪を入れず、長官は裂帛の気合いと共に大型夜鬼を地面に投げ落とした。
余程の力だったのだろう。大型夜鬼は飛翔能力で減速することもできず地面に叩き付けられる。衝撃音が轟き、地面が蜘蛛の巣状にひび割れ僅かに陥没した。
そこへ隕石の如く落下してきた長官の膝が大型夜鬼の腹をも陥没させた。
ジャラジャラと蛇のようにうねった鎖が大型夜鬼の手足を拘束する。と同時に馬乗りになった長官は左手で大型夜鬼の首を絞め、右手に持った〝聖滅の書〟の角で、角で! 顔面をタコ殴りにし始めた。
ゴッゴッゴッと鈍く、そして生々しい音が響く。
大型夜鬼の尾がUの字を描いて背後から長官の頭部を狙った。
おそらく本能的に一撃で仕留めたいと感じたのだろう。あるいは見下ろしてくる悪鬼羅刹の如き形相が恐かったのか。
いずれにしろ悪手だった。心臓を狙えば、まだ体勢を崩すくらいはできただろう。
「甘いわ!! ぬぅんっ」
後ろに目でも付いているみたいに頭を傾けるだけで回避しちゃう長官。そして、尾が引き戻される前に噛みついた。
ビチビチ跳ねる尾。食らいついて離さない長官の驚異的な咬合力。そして止まらぬ殴打。聖書の角はとても痛そう。聖書なのに敵の返り血でどんどん黒く染まっていく……
聖滅の書ちゃんは泣いていいと思う。
ゴッゴッゴッグチャッゴッゴキュメキッビックンビックンッ。
た、大将を助けろぉ~~~~っとでも言っているのだろうか。他の夜鬼が慌てた様子で一斉にダイム長官へ襲いかかる。
「ぬぅ~あ! たぁぉおうひろぉ!!」
『何言ってるか分からないわよ』
刹那、バチカン市国の外から飛来した無数の青白い光で出来た矢が夜鬼達を次々と射貫いた。
通信機越しに聞こえた声はマーヤ女史。長官の元相棒で、同じく引退済みの弓使いのエクソシストだ。ローマ市内で避難者を守っていた者の一人である。
引退済みのはずなのに、長官と同じく老女と言っていい年齢なのに、やはり最前線で戦っていらっしゃる。
それどころか、
「強敵かと思って駆けつけたけれど大丈夫そうね」
なんて言いながら通常サイズの夜鬼を殲滅する勢いで射貫いていく。
なんか金属の鎧を着け魔力を纏った立派な馬に騎乗して空中に留まりながら。
マーヤ女史自身も軽鎧を纏っており、その手には大型の弓が握られている。
その弓を構えるや、青白いオーラが溢れ出て巨大な弓の形を取った。そして、マーヤ女史が矢も番えず弦を引くと、そこに青白い輝きで形作られた三本の巨大な矢が生まれ、それが別の軌道を描いて夜鬼を撃ち抜く。
本来の彼女の弓型神器は、番えた矢に魔力を付与することで射程・威力増大かつ悪魔への有効性を増すというものだ。こんな魔法弓みたいな大弓や矢が出現するものではない。
もちろん、犯人は某魔神だ。
アジズ君の神器しかり。エクソシスト強化のために神器を改良したのは言うまでもなく。
そして、引退して悪魔の脅威もなくなったというのに長官や深淵卿に感化されたのか。なぜかマーヤ女史まで鍛え直し始め、なんか二十の軍団を率いる地獄の偉大なる君主たる大悪魔を従えたものだから。
その大悪魔がこの馬で、そして弓使いで、長官が某フ○ムゲームの〝最初の王〟と称されるボスみたいな有様になっているものだから。
――聖樹の騎士ロ○レッタみたいな巨大な魔法弓の使い手とか……ロマンだよね
と、某魔神がノリノリになってしまうのも無理はない。のかもしれない。
アジズ君こそ似合うと思って別作品モチーフになったが、実は他のエクソシスト達の神器と戦闘スタイルも某魔神の監修により基本的にはフ○ムゲーキャラ化しつつあったりする。
ちなみに、長官に「臓物抜きって良いよね。……良くない?」と囁いたのも某魔神である。
つまり、だいたいハジメのせいである。
大悪魔の馬に騎乗したマーヤ女史が、再びローマ市街の方へ宙を駆けていく。クラス3に近い別の夜鬼を、一本に絞ったが故に威力を増した光の大矢でぶち抜きながら。
老人を見たら生き残りと思え。
そんな言葉があるが、まさにそれだった。
と、そこで司令部へ通信が。西欧諸国において有数の人口を誇る大都市パリに派遣されていたクラウディアからだ。
『! 聞こえているな、ダイム』
「ええ、やはり向こうの方が激戦区らしい。羨ましい」
『黙れ不信心者。戦域から脱せない市民の集団がいるようだ。ある程度の犠牲は許容すべきらしいが……まだ見捨てる段階ではない。ゲートで避難してくるぞ。広場を空けろ』
戦場とするため広場だけは結界が張られていない。そこにパリからの避難者を受け入れ結界を展開するので、お前はさっさと戻ってこいと言外に告げる枢機卿。
魔力と氣力の融合技は、修練と〝聖滅の書〟ちゃんに付加された能力により以前のようにダイム長官を瀕死に追いやるようなことはない。
ただシアほどバグり散らかしているわけでもなく、時間的制限があり、その後は酷い倦怠感に襲われ戦闘能力が著しく低下する。つまり〝限界突破〟と同じだ。
あの日、初めて融合技を見せた現場にいた枢機卿であるからダイム長官の異常な技に関してはしっかりと根掘り葉掘り聞き出しており、故に動けなくなる前に戻ってこいというわけだ。
大型夜鬼をミンチにして非常に満足そうな表情なので、もう満足したろ? と。
彼はあくまで政治畑の人間。長年オムニブスと関わってきたので指揮官としても申し分はないのだが、やはり戦闘者ではなく、一歩間違えれば大惨事になりかねない戦場の指揮は精神が削れるようだ。
「承知」
素直に頷くダイム長官に、枢機卿からホッとしたような雰囲気が伝わってくる。
同時に広場の地面が光を放った。まるで広場の広さを正しく知っているみたいに幅二百四十メートル一杯に輝く円が浮かび上がる。
次の瞬間、数千人規模の人々が一斉に現れた。戦場のど真ん中で立ち往生していたパリの人々だ。
あり得べからざる現象に巻き込まれたのだ。それはそれは困惑し、あるいは恐怖し、今にも集団パニックに陥るだろうと思われたが……
意外にも人々は落ち着いていた。それどころか感動すらしているようだった。
その理由は直ぐに分かった。
広場の中央、その上空に光の円環が出現した。
「む、あれは……」
『ああ、ご降臨だ』
光の輪が大きくなる。そして天使の梯子の如き光の柱が降りた。その円環からスッと降りてくる存在。
白い翼と衣、その上に美麗な鎧。中性的な美しい顔立ち。
ゲートだった円環が小さくなり、彼の頭上に留まる。まさに天使の輪だ。
そう、天使である。
聖書などで語られる高位の天使の一角。恐れ多く、枢機卿は名を口にしない。だが司令部のモニターには映っていた。
聖職者にとってあまりに感動的で、かつ奇跡的な光景。
〝天の軍勢〟の降臨が。
それは避難者達もパニックに陥らないわけだ。厄災に対して、神の助けを祈った者も多いだろう。そうしたら本当に天使の軍団が降臨し、自分達を守ってくれたのだから。
天使の権能により続々と避難者が転移してくる。広場だけで三十万から四十万人を収容できるのだ。必要に迫られた数百から数千人単位ならまだ避難できる。
そして、避難者が転移してくる度に、その付き添いのように新たな天使が出現する。
『避難民の数に応じてここも戦力が必要になる。クラウディア経由で少し戦力の派遣を頼んだ』
「うむ、良い判断ですな」
枢機卿の判断に満足そうに頷くダイム長官。枢機卿も少しホッとした様子を見せ、
「では、私はタイムリミットが来るまでクラウディアの手伝いでもしましょう」
『ああ、だから戻ってこ――なんだって?』
ホッとした表情のまま固まった。
「そこな天使様! 私をクラウディアの戦場へ!」
『ちょっと待ちなさいよ、お前さん』
「あちらの敵は数の暴力タイプ。避難にリソースを割いた分、その隙を狙ってこないとも限らない。念のための穴埋めが必要です」
『いや、理屈は分かるがお前である必要は――』
「もったいないでしょう? どうせ動けなくなるならタイムリミットまで私の力を使っておくべきです」
『む、うむ、いや、別に余力を残しておいても――』
「神は言っている! 倒れる時は前のめりに。相手に頬を殴らせるなら、クロスカウンターをきっちり決めなさい。一体でも多くの人敵を屠りなさい、と。エイメンッ!!」
『神の言葉を騙る聖職者がどこにおるかっ、この不良神父が――あ、こらっ、待たんか馬鹿もぉーーーーんっ!!』
枢機卿の制止も虚しく、ダイム長官は近くの天使様に頼んで転移していった。
司令部の皆さんも、そしてモニター越しに見ていた服部達も、なんなら教皇猊下までもが、この時、枢機卿への同情心で一致したのは言うまでもない。
もちろん、同じく通信で繋がっていたクラウディアも、
「ちょぉーーーかぁーーん!! どうして来ちゃうのですかぁ!!」
普段から無茶ぶりされ続けてきた枢機卿が、この状況でやっぱり無茶ぶりされていることに心から同情しつつ、
「ふむ、こういう時は確か……〝来ちゃった♪ テヘペロ〟と言うのだったか」
「やかましいのですっ!!」
誰だよ、長官に変なこと教えてるの。とジト目不可避でツッコミを入れずにはいられなかった。
なお、犯人は弟君である。
孫がお祖父ちゃんに体験談を嬉々として話すみたいに、日頃から日本で(正確には真実から)学んだことをウキウキで語っているせいだ。
全身から覇気と戦意を漲らせながら「目に入った存在は全て……殺し尽くすッッ!!」と言ってそうな目つきの男が「来ちゃった♪」することの恐ろしさと言ったら……
テヘペロが獲物を前にした肉食獣の舌舐めずりにしか見えない。
完全にホラーである。
これを知れば、きっとアジズ君もお話の内容は取捨選択するようになるに違いない。
いつもお読みいただきありがとうございます。
感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。
ありのまま起こったことを話すと、クラウディアの話を書こうと思っていたのに気が付いたら長官の話を書いていた。楽しかったです。
それはそれとして、今後の投稿に関して少々。実は目の疲れが慢性化していて長時間ディスプレイを見ているのが難しく、もう少し目を労る時間を増やそうと考えています。投稿頻度や字数に影響が出るかもしれませんが、ご容赦いただければ幸いです。よろしくお願い致します!
※ネタ紹介
・吾輩、アビスゲート。今、貴方の後ろにいるの
都市伝説の『メリーさんの電話』より。
・アイエェエエエエエッ
『ニンジャスレイヤー』より。
・超気持ちいぃ~
アテネ五輪競泳金メダリスト『北島康介』氏より。あれくらい気持ちが籠もった気持ち良さ。
・ヂヂヂッとスパークする右ストレート
『NARUTO』の忍術〝千鳥〟より。
・長官の戦闘スタイル
フロムゲー『エルデンリング』のホーラ・ルーより。「ぶるぁあああああっ」は言わずもがな声優の若本さんより。臓物抜きは同フロムゲー『Bloodborne』の内臓攻撃より。
・マーヤの戦技と馬
フロムゲー『エルデンリング』の聖樹の騎士ローレッタより。馬の姿の大悪魔は〝オロバス〟です。
※深淵卿のセリフ一部修正しました。ご指摘ありがとうございます!




