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ありふれた職業で世界最強  作者: 厨二好き/白米良
ありふれたアフター最終章
564/564

全世界防衛戦⑩ それぞれの防衛戦 下々々之下





 時間は更に遡る。


 樹海で開戦する前。陽晴が〝北の祠〟に到着した頃合い。


 東京の沿岸にある高級ホテルの広々とした屋上にて、今、煌びやかなパーティーが開かれていた。


 藤原グループが所有するホテルだ。


 海もネオンの美しい首都も一望できる素敵な場所だが、二百余名のパーティーの参加者は様々な思惑と目的を持った各国各界の魑魅魍魎じみた有力者ばかり。絶景を楽しんでいる者は少ない。


 あちこちで談笑し交流を深めているように見えるが、その実、腹の探り合いやら言外の怪しい取引が飛び交っていることだろう。


 それもそのはず。


 このパーティーの主催者は藤原夫妻であり、今や藤原グループは単なる超巨大企業グループというだけでなく、その特殊な技能により計り知れない価値を持った一族と認識されているからだ。


 遠藤家との楽しいプライベート旅行から帰ってきた後に、休む間もなく社交の場を開いたのは、まさにそのため。


 定期的に社交の場を設け相互に情報交換をし、可能な限りお互いの妥協点を探り合い、場合によってはある程度の土産を持たせたり逆に釘を刺したり。


 過剰な秘密主義は相手方の強行や暴走を招く故の一種のガス抜きというか、敵を作らぬための関係性コントロールというか、そういう目的だ。


 もちろん、潜在的な敵ばかりではなく〝こちらにはこういう味方がいるぞ〟というアピールも兼ねて、古くから付き合いのある有力者達も招いているので、完全に楽しめないパーティーというわけでもないが。


 それでも仕事は仕事なので。


「ああ、早く英和(ひでかず)君とまた釣りをしたいものだ……」

「ふふ、すっかり仲良くなったわね、あなた」


 ほんの一時、挨拶の波が途切れる。にこやかに客人達の満足度を確かめているといった、いかにもな主催者の顔をしながらも口から零れ出るのは愚痴に近い言葉。


 遠藤家の大黒柱との旅行は、大晴(たいせい)にとって本当に気兼ねのない楽しいものだったようだ。


「最初は恐縮しきりだったから、どうなるかと思ったけれど……私も実里(みさと)と仲良くなれて良かったわ。なんというか、お二人とも裏表のない素直な方ね」

「ああ、久々に気の抜けた顔で談笑していたものな」


 あんな息子で大丈夫か? だって、リアルハーレム野郎ですよ? 陽晴ちゃんに相応しい人は他にいるのでは? みたいな。


 超セレブの二人と超セレブな旅行をするということ以上に、そこを気にして恐縮しまくっていた二人を思い出してクスリッと笑みが零れる。


 二人にとって浩介は、あくまで一人の息子に過ぎないのだろう。


 世界で活躍するヒーローで、なんなら人的価値という身も蓋もない観点から敢えて言えば陽晴の方が選んでもらえるかどうか……という話なのだが、そんな意識はまったくないらしい。


 もちろん、息子が多くの人を助けていて、多くの人に慕われているという点は、とても誇らしそうではあったのだが。


 何にせよ、世界的ヒーローの親だから自分達も相応の発言力があるはずだとか、藤原家という日本有数の大富豪との繋がりが出来たことを喜ぶだとか、そのような心持ちはまったく持ち合わせていないようで。


 良い意味で、浩介がよく己を〝庶民〟だの〝小市民〟だのと称する理由がよく分かる謙虚堅実な好感の持てる人柄だった。


「何はともあれ、これで藤原家が遠藤家との交流を優先したという事実は遅かれ早かれ伝わるでしょうね。面倒をかけないよう、一層、気を配らないと。大事な一人娘の初恋が成就するように、ね?」

「う、うむ……そう、うん、まぁ、うん……」


 歯切れの悪い大晴パパ。浩介のことは、まぁ、認めている。ただ、やっぱり思うのだ。


 早くない? うちの陽晴ちゃん、まだ小学生よ? そんな恋愛とか、結婚とか……せめて、あと十年くらい後でも良くない? と。


 未だに娘が誰かと恋仲になるということについて強い拒否感が拭えない。やだやだっ、将来はパパのお嫁さんって、まだまだ言ってて欲しい!(言われたことはない)というのが嘘偽ざるパパ心。


 小学生の愛娘の心をかっさらった男なんて、相手が誰であろうと「あな憎し!」である。


 だから、これからも浩介君にはとことん厳しく――


「ところで、英和さんに馬娘がどうとか浩介君に催促してほしいだのなんだの、こそこそと内緒話をしていていたようだけど……」

「まったく以て良縁万歳だな! 陽晴は幸せ者だ! ハハハッ」


 ごめん、陽晴。パパ、それでも夢は諦められないんだっ。


 甲板上で明後日の方向を見ながら快活に笑う大晴さん。千景(ちかげ)さんの目は針金のように細く鋭い。


 そこへ、


「大晴様、千景様、ご挨拶よろしいでしょうか?」


 如何にも少年らしい、それでいて少し緊張の感じられる声音が響いた。


 見れば、眼鏡をかけたインテリ系イケメンな少年と、ちょっと不機嫌そうな黒髪縦ロールが異様に似合う少女が、それぞれの両親を連れたって歩み寄ってきていた。


「あら、上栄城(うえしろ)家の皆様に、姫小路(ひめこうじ)家の皆様まで」

「やぁ、よく来てくれた」


 陽晴と同じ学校の六年生、上栄城栄人(えいと)君と姫小路利華(りか)が丁寧な一礼を見せる。


 両家共に親同士も長い付き合いなので、それなりに気安い関係だ。特に上栄城家の当主と大晴は長年の競馬仲間なので、挨拶もそこまで格式張ったものではない。


 なら、なぜ栄人少年は緊張していて、利華嬢は不機嫌そうなのか。


「いやぁ、悪いなぁ、大晴。息子がどうしても聞きたいことがあるといって聞かなくてなぁ」

「ほぅ? 何かな? 栄人くん。私で答えられることならいいのだが」


 何を聞きたいのかは察せないわけもない。苦笑しつつも、友人の「すまない。相手をしてやってくれないか? 今度、適当な用事を作って競馬場に連れ出してやるから」という眼差しを受けて頷く大晴。


 だが、そこに利華嬢がズズイッと割り込んだ。


「その前に、大晴様、千景様! わたくしからもお聞きしたいことがございますの!」


 ちょっと利華さん! 今は僕が話を――


 栄人さんはお黙りになって!


 あっ、急に振り向かないで! 君の縦ロールは時々凶器になるんだって何度言えば分かるんだ! 眼鏡がなければ危なかったよ!


 少年少女の、ある意味、微笑ましい青春を生暖かい目で見守る大人達。名家ばかりだが、特に子供達の恋愛事情、婚姻関係については口を出すつもりがないらしい。


 そういう時代ではないからというのもあるが、それ以上に、そもそも彼等がそういう人柄ではないのだ。だからこそビジネス以上の家同士の付き合いがあるのだろう。


 だが、そんな微笑ましいやり取りも――


「ッッ!!?」


 大晴の様子が一変したことで終わったが。


 突如、首都中心部に向けてバッと顔を向けた大晴。顔は険しく強張り、目つきは鋭く細められている。


 背筋を這い上がった悪寒と、陰陽師としての直感が告げてきた強烈な危機感のせいだ。


「お、おい、大晴?」

「あなた……?」


 栄人の父親は少し気圧された様子で、千景は陰陽師としての顔に変わったことに純粋に驚いて声をかける。栄人達も息を呑んで固まってしまっている。


「この感じは……なんだ? 感じたことのない……なんておぞましい……」


 その視線に釣られるようにして周囲の者達も一斉に首都の上空を見やるが、特に何も見えない。


 いや、見えないが……違和感を覚えた。


「っ、きゅ、急に気温が……少し肌寒い、ですわ?」


 ノースリーブのドレス姿の利華嬢が、剥き出しの二の腕を抱き締めるようにして両手でさすっている。その感覚はパーティー会場にいた全員が感じているようで戸惑いの表情を浮かべていた。


 だが、実のところ気温自体は下がっていない。彼等が感じている寒気は心理的なもの。根源的恐怖を寒気として感じ取っているのだ。


 大晴の指が無意識に印を作った、と同時にコール音が。


 ハッとして懐からスマホを取り出す。


「む? 浩介くん?」


 今まさに尋ねようとしていた相手の名前が出て、栄人達がハッと視線を大晴に戻した。


 大晴は首都上空から目を離さず凝視したまま、電話に出るや否や即座に尋ねた。


「この強烈な気配のことかね」

『! 流石です。簡潔に言うと、世界中に大妖怪クラスのヤバイ敵が出現しまくっているって状況です。秘匿は二の次。対応が最優先です』

「っ、それほどの事態か……」

『詳しい事情は服部さんからデータで端末に送られてくるはずなんで、以降、服部さんと連携してください』

「承知した。今すべきことは?」

『ヤバい奴は俺が相手をします。ですが今後、弱いのも含めどんどん増えると思うんで対応に人手が必要になります。藤原の術者をまとめてください。それと、迎えが行くはずなので千景さんの避難を――』

「それはできん。千景はグループを指揮する役目がある。たとえ、どれだけ危険であろうとも、だ。こちらは気にするな」


 何かのっぴきならない事態が起きている。危険な何かが。


 それだけは理解して同じく険しい表情になっている上栄城家や姫小路家、それに周囲の人達。そんな中でも妻の身の危険を顧みない様子の大晴に、栄人や利華は息を呑んで千景を見やるが、千景は既にどこかへ連絡を取っていて意に介した様子もない。


 流石は超巨大グループを率いる女傑というべきか。この分ではきっと避難を促されても決して頷かないことだろう。


『……分かりました。確か今はパーティー中ですよね? 直ぐに解散して、できるだけ郊外に逃げるよう指示してください。人の密集地帯が最も危険です』

「それも承知した」


 会話の途中で服部から現状と連携の指示内容が送られてきたのだろう。それを見ながらだったので途中からスピーカーモードだった。


 まだ若い青年の声と分かる。栄人と利華には、それが先週会ったばかりのあの青年――信じ難いことに既に朧気だが――だと分かった。


 あの大晴が、オブラートに包まず言うなら情けなさすら感じた青年の言うことを素直に聞いている。いや、それどころか指示に従っている……


 それも確かな信頼を感じさせる雰囲気で。


 その事実こそが一番信じ難く、戸惑いを覚えてしまう。


『それと陽晴ちゃんが――フッ、クラス1といったところか? 相手にとって不足なし!! 吾輩と星空の下のダンスに興じようでは――』


 プッと電話を切る大晴。聞くに堪えないから、ではない。


 電話をしている場合ではないと理解したからだ。首都の空が一気に暗くなった。星空が瞬く間に暗雲に覆われ、強風が吹き荒れ始める。


 暗雲の中に、何かいる……


 誰もが漠然と理解し、総毛立った。その直後、「あっ」と声が上がった。


 暗雲から出てくる何か。それは、それは巨大な目に見えた。まるで暗雲の中で横たわった巨人が、暗雲という天井に空いた穴から片目だけで覗き込んでいる。そんなイメージをさせる異常な光景。


 その目がゆっくり閉じる。


 ゾッとした。本能が危機感を全力で訴えている。あの目が再び開いた時、つまり、あの怪物が瞬きをした時、何か途方もなく不吉で悲惨なことが起きる、と。


「全員、その場で伏せろ!!」


 大晴は千景を抱き寄せつつ、栄人と利華もまとめて庇うようにして身を伏せた。その指示に従えたのはどれくらいいたか。


――※※※※ッ###ッッッ!!!?


 名状し難い絶叫が上がった。直後、不可視の衝撃波が屋上を駆け抜け、招待客達が悲鳴を上げながら転倒していく。


 だが、逆に言えばそれだけだ。大晴は顔を上げた。


 怪物の目が半開きになっていた。目に、何かが突き刺さって苦しんでいる様子だ。その下に、黒い無数の人影を確認する。


 遠すぎて判別などできない。だが、分かる。


「ふっ、流石だ」


 怪物の眼の直下にあった首都を象徴する電波塔がひしゃげて、半ばから倒れかけているのも見える。それも黒い渦が引き寄せるようにして支えており、ゆっくりと地面に降りていくところだ。


 おそらく、地上にも何人もの黒い人影――深淵卿がいることだろう。


 もし卿が阻止していなければ、〝眼〟の攻撃が十全に発揮されていたなら首都の中心部はどうなっていたのか。


 そのことに冷や汗が噴き出す思いだが、しかし、彼がいるなら万が一もないはずと信じて立ち上がる大晴。


「な、何が、いったいどうなって……」

「なんなんだ、あれはいったいなんなんだっ」

「演出、何かのイベントの演出だろ! こんな被害を出すなんて、う、訴えてやるっ」


 呆然状態からの現実へ回帰。それは同時に困惑と恐怖と動揺に襲われるということ。パニックが直ぐそこまで迫って来ている。


 いや、それ以上だ。今この瞬間も寒気を運ぶ空気が心の平穏を蝕んでいる。狂気の世界へ人の心を堕とそうとしている。あの〝眼〟は、存在するだけで精神を破壊せしめるのだろう。


「如意善方便 為治(いじ)狂子故(おうしこ) 顚狂(てんおう)荒乱 作大(さだい)正念(しょうねん) 妙法蓮華経――」


 懐から取り出した護符を指の間に挟み、人を狂気から守る祈禱(きとう)を唱える。大晴を中心に温かな風が吹いていると錯覚するような気配が感じられ、パニック寸前だった人々の心が落ち着きを取り戻し始める。


「当主! 侵入者です!!」


 いつの間にか周囲に集まっていた藤原家の護衛の者が、インカムを押さえながら階下の部下から送られてきた緊急連絡を口にする。


 どうやら、怪物とは別に人間の襲撃者が来ているらしい。


「奇妙な術を使うようです!!」

「無理はしなくていい。減らせるだけ減らせ。来場の皆様!! 藤原大晴より申し上げます!! 非常事態故、本日のパーティーはお開きとさせて頂きます!! 順次ご案内致しますので、今しばらく――そう、三十秒ほどお待ちください」


 何か言い募ろうとした者達も、具体的に三十秒と告げられて出鼻をくじかれたように口を噤んだ。有無を言わせぬ迫力があったというのもあるだろう。氣力を乗せた言霊の一種でもあったから当然だ。


 周囲を安心させるように微笑すら浮かべて泰然としている姿は、なるほど、流石は藤原グループの総帥にして、あの藤原家の当主だ。


「あんたりをん そくめつそく びらりやびらり――」


 大晴の口元から不可思議な響きを持った言葉が漏れ聞こえる。直ぐ近くにいる栄人達の耳には届いていたが、陰陽師としての雰囲気に気圧されて問うこともできない。


 そうして、


「当主! 来ます!!」


 この屋上は三分の一が屋内で残りが屋外となっていて、内外はガラス張りの壁で区切られており、ロビーの奥にはエレベーターやエスカレーターが見えている。


 そのエスカレーターの方から駆け上がってくる襲撃者の姿が見えた。数は十数人。その手には分かりやすい襲撃者の証としてピストルや短機関銃の類いが握られている。


「藤原大晴! 大人しく我等に従え!! さもなくば、この場の者達を――」

「――そくぜつ うん ざんざんだり ざんだりはん」


 パァンッと澄んだ柏手の音が一つ。大晴が祈るように胸の前で手を合わせていた。


 途端に襲撃者達の目が一斉にぐるんっと裏返り、そのまま糸の切れた人形のように崩れ落ちた。


 神仙道系の人を気絶させる術法だ。


 大の男を十数人、手も触れずに昏倒させた。何をしたのかは分からないが、大晴が何かをしたからそうなった。


 裏を知る者は藤原家の力の一端を目の当たりにして、知らない者はただただ理解できない超常的な現状を前に呆然として、しかして両者共に確かな畏怖の眼差しを大晴に向けた。


「ふむ。大方、陽晴への人質といったところか。舐められたものだ」

「あなた、〝藤原〟に招集をかけたわ。セーフハウスの手配も」

「分散させたか?」

「もちろん。後事は任せて――存分に恩に着て頂きましょう?」


 最後は小声で、傍目には旦那を頼るように寄りかかっているように見せつつ耳元に囁く千景。


 周囲の状況に一切動揺することなく関係各所に指示を出していたのだ。それどころか、この場の有力者達を藤原の庇護下に入れて貸しまで作る気らしい。


 それに頷き、大晴が避難の指示を出そうと口を開きかける。だが、その言葉は急遽、変えられることになった。


 ゴゥッと風が吹いたかと思えば、急に屋上周辺が黒々とした煙に包まれ出したのだ。否、煙と言うよりは……局所的な暗雲のようにも見えた。その狭間に稲光が見える。


「! オン アビラウンケン!!」


 刀印を作り裂帛の気合いを込めて真言を叫ぶ大晴。咄嗟に大日如来の加護を請う真言を叫べば、暗雲から放たれた稲妻が空中で四散した。


 飛び散る放電現象により掠めたり間接的に感電した者達が悲鳴を上げて倒れたり、あるいは気絶してしまう。


高天原(たかまのはら)(あま)祝詞(のりと)の太祝詞を持ち加加(かか)む呑んでむ。祓い給い清め給う!!」


 神道の最上祓いの祝詞を以て、全力で一種の結界を張る大晴。


 屋上を呑み込もうとした暗雲は、まるで境界線でもあるかのように止まったが、しかし、完全に祓うことはできず屋上全体を包囲するように包み込んだままだ。最悪なのは、退路である屋内に暗雲が入り込んでいること。


 外の様子が分からず、ライトだけが頼りの暗い空間。


 人々が怯えた様子で蹲ったり、物陰に隠れたり、目聡い者は少しでも大晴の傍に行こうと這々の体で駆けてくる。


 だが、大晴にも客人達の精神を慮っている余裕はなかった。


 あの〝眼〟には及ばないが、暗雲を呼び込んだ存在からも大きな力を感じる。自分では敵わないかもしれない。少なくともここにいる全員を守りながらは厳しいと言わざるを得ない、と。


 それでも、浩介が駆けつけてくれるまでの時間稼ぎくらいはしてみせようと、冷や汗を噴き出しながらも懐から呪符を四枚、引き抜いた。


「東方 阿迦陀(あかだ) 西方 須多光(しゅたこう) 南方 殺帝魯(さつていろ) 北方 蘇陀摩抳(そだまに)


 氣力を込めて四方に放つ。飛翔した呪符はそれぞれ輝きを帯び、四方の空中で留まった。


 ほぼ同時に雷撃が迸った。ギリギリだ。ギリギリで暗雲から放たれた雷撃を雷除けの秘呪法で防ぐことに成功した。


 だが、ギリギリなのはタイミングだけでなく耐久力も同じだったようで。


「ぐぅっ、代用の呪符では長くは持たんかっ。いや、相手がそれだけ脅威ということか……」


 本来、今の雷除けの術は大晴が口にした呪言を呪符に書いて行うものだ。それを汎用性のある呪符と言霊で代用した、ある意味、即席で作った雷除けの結界なので強度は本来のそれではないのである。


 だが、たとえ本来の力を有していても、きっと長くは持たない。


 そう思わせられるだけの力を、この暗雲と雷の主からは感じられた。


(式神を喚ぶか……いや、守りから気を逸らせば抜かれるッ。今は耐えるしかっ)


 周囲の護衛達が銃を取り出し、暗雲に向けて幾度か発砲している。暗雲の中を移動する光の塊がうっすらと見えたのだ。


 周囲の人々は彼等が藤原家の護衛とはいえ民間人にすぎず、かつ、ここが日本であることから驚いているが、彼等の持つ銃は特別製だ。MCBに支給されたのと同じ魔法銃の類いである。


 世界情勢に鑑み、浩介が頼んで藤原家の護衛達に支給されたものだ。


 だが、やはりというべきか、微妙に牽制にはなっているようだがダメージが入っている様子はない。それどころか逆に刺激したようで、より激しい雷撃が襲い来る。


 大晴に詰め寄る者達、上栄城家や姫小路家の者達も「何がどうなっているんだ! 大晴は何をしているんだ!?」的なことを叫んでいるようだが、そして千景がそれに何かしら応えているようだが、それを意識する余裕も次第になくなり。


(浩介くんっ、まだかっ!!)


 減りゆく氣力に焦燥が湧き上がって精神を蝕み始め、多少の犠牲は呑んで一か八か〝式神召喚〟に踏み込むべきかと決断しかけた、その時。


 待望の救援が来た。


 ただし、それはいつもの高笑いや厨二チックな言動ではなく、


「――臨兵闘者皆陣列在前!!」


 凜とした少女の声音が魔障を打ち据える衝撃となって飛び込んできた。


 その威力は、まさに絶大。まるで汚れの一切を洗い流す波濤(はとう)の如く暗雲を押し流してしまう。


 守ることで精一杯だった大晴の口元に苦笑が浮かぶ。


 我が娘ながら、なんという力か。……いや、ちょっと待って? 強すぎん? いやいや、パパ知らんよ? いくらなんでも今のはないでしょ!? 普段の数倍、下手したら十倍近い出力じゃなかった!? と。


 暗雲が霧散していく。


 屋上を挟んで両サイドに、それぞれ信じ難い光景が広がっていた。


 一つは、この凶災をもたらした異形。


 それは暗雲を纏う赤い稲妻で出来た蜘蛛に見えた。蜘蛛の如き頭部と脚に、赤い閃光を内包した煙の胴体を持った奇怪な異形だった。全身から絶えずスパークを放つ姿は、まるでプラズマという自然現象が無理やり蜘蛛の姿を取ったかのよう。


 だが、その異様な姿と無差別に放たれる強烈な嫌悪感、忌避感よりも。


 この場の誰もが、もう一つの存在にこそ目を奪われていた。それは、その異形の怪物さえも例外ではなかった。


「かみ、さま…………?」


 と呟いたのは利華嬢だ。隣の栄人少年も同じく、呆然と、見惚れるように、目を見開いて見つめている。


 まず、巨大な龍がいた。


 青とも緑とも見える鱗に覆われ、鹿の角の如き立派な角や鷲の如き爪を持ち、神々しい輝きを纏った、まさに伝承に見る龍神。四神が一角――青龍。


 けれど、人々が見ているのはその頭部の上の少女だ。


 狩衣を纏い、青龍の頭の上で座禅を組むようにして座し、両手で印を結んでいる少女――藤原陽晴。


 黒髪をなびかせ、瞑想しているように僅かに目を伏せ、陽の光の如き輝きを纏っている。


 本当に同じ人間か? と、その時、その場の誰もが同じことを思った。


 それほどに今の陽晴は浮世離れした空気感を纏っていた、龍神に乗っているからというだけでなく、まさに〝神の御使い〟という印象を抱くというか、否、もはや陽晴自身が神々しいというか。


 この場の誰もが陽晴の顔を知っているから、彼女は藤原陽晴だと頭では理解できている。


 だが、そうと知らない者ならきっと、女神の一柱が降臨したと疑いなく信じたことだろう。


 陽晴の瞳が輝きを帯びる。纏う陽の光が更に燦然と輝き、物理的な圧力を感じるほどの圧倒的な存在感を放ち始める。


 その手が九字を切り、いわゆる転法輪印を結んだ。


「緩くともよもやゆるさず縛り縄、不動の心あるに限らん」


 刹那、プラズマの化身みたいな怪物なのに、まるで電撃でも浴びたみたいに痙攣しながら動きを止める怪物。


 その様子に目を細めながら、陽晴は印を組み替え、更に言葉を紡ぐ。


「南無東方降三世夜叉明王 南無南方軍茶利明王 南無西方大威徳明王 南無北方金剛夜叉金剛 南無中央大日大聖不動明王――」


 静かな声音なのに、天から降ってくるかのような響きで誰の耳にもスッと届いていく。


 プラズマの怪物が一層激しくスパークした。その放電が円環状に集束していく。動きは止まっても、攻撃を放つことはできるらしい。


 だが、陽晴に動揺はなく、その印結びと呪の言葉もまた淀みなく。


「一身微塵大盤石 日光月光 愛宕 摩利支天 守護せしめたまえ。オン キリキリ ウンハッタ」


 その身を包む陽光の輝きが拡大し結界の如く球体を形作って、青龍ごと陽晴を包み込む。


 同時に怪物から目もくらむ閃光が放たれた。常人が食らえば蒸発してしまいかねないプラズマの放射。


 だが、その一撃は……


「……はは、どうやら妖精界への旅行は想像以上に有意義だったようだ」


 大晴が驚愕を通り越して、もはや呆れたといった表情になる。


 それものはず。プラズマの一撃は止まっていた。陽晴の少し手前で陽光の輝きに阻まれていた。


 今までの比ではない大聖不動明王金縛り秘法における護身法と結界護身法が、クラス3の〝無神〟の攻撃を完璧に阻んでいた。


 本来は最初の〝縛り〟の術を行う前にすべき術法で、印明(印と呪文)もかなり省略している。それでも、これほどの効果があるのは……


 大晴には感じられていた。陽晴の傍に神仏の気配を。請われて貸した力ではなく、神仏達が己の意志で、それも強い意志を以て陽晴に助力していることを。


 それはもはや、本来なら〝神の寵愛〟を受けし者が初めて得られるレベルの、否、それ以上の加護だった。


「ああ、もぉ。ひなたぁ? あまり心配をさせないで?」


 堰き止められていたプラズマが金色の光に覆われたかと思うと、瞬く間に霧散した。と同時に、甘ったるい声音が響いた。


 陽晴の左隣にスゥッと空気から滲み出るようにして傾国の美女が姿を見せる。その背後には九本の尾がゆらゆらと揺れていて……


「運用試験はもう十分でありんしょう? ほぅれ、他にもわらわらと湧き始めていんす。さっさと片付けんしょう?」


 今度はやたらと色っぽく、それでいて危険な雰囲気を感じさせる声音が響いた。と、同時にプラズマの化身の如き怪物が弾け飛んだ。


 赤黒いオーラで作られた巨大な拳が目にも止まらぬ速度で殴りつけたのだ。それも、両サイドから、拳を打ち付け合うようにして。


 逃げ場もなく、というか陽晴の術で動けなかったプラズマの怪物は、それであっけなく殴殺されてしまった。


 傾国の美女と同じく、スゥッと滲み出るようにして陽晴の右隣に姿を見せたのは、白髪に三本角の、やはり国を傾け兼ねないレベルの妖艶な美女。


――九尾の狐 玉藻前


――酒呑童子 夜々之緋月


 日本の妖怪伝承における最強格の大妖怪二柱。


 その身から溢れ出る凶悪な存在感を前にすれば、誰だって正気ではいられない。〝無神〟がもたらす忌避感とは別種の、けれど人を狂わせずにはいられない妖怪特有の畏怖。


 だが、その場の者達は畏れ、震え上がるということはなかった。


 大妖怪の絶大な妖気以上に、そんな大妖怪を左右に従える――そう、自然と〝従えている〟と理解できた――存在、陽晴の清浄にして柔らかな神威が、それらを上回る安心感を与えてくれているから。


「――青龍、周囲一帯に安寧と活気を」


 繁栄と恵みを司る青龍が、両隣の妖魔に鬱陶しそうな眼を向けつつも咆哮を上げた。


 見た目に反して人を怯ませるような咆哮ではなく、どこか優しい響きにすら感じられる咆哮だった。


 途端に、周囲一帯にうっすらと霧雨のような雨が降り始めた。温かな雨で、なんとも心地よい。冷えた体がポカポカと温められるような感覚。


 見れば、温かな雨は首都全体に降っているようだ。ここからでは見えないが、きっと自分達だけではない。この雨に触れた者達もまた、同じように何者かの加護を感じていることだろうと、その場の誰もが感じられた。


 龍神に乗り、両脇に大妖怪を従え、陽光の輝きと神威を纏う少女……


 あまりに非現実的で、しかし、一生忘れられないだろう光景だ。中には既に、陽晴を見る目に崇敬が宿り始めている者もいる。


 そんな中、


「……氣力は充溢、(えにし)の滞りなし。感応、術法、良好。形代式人柱法、領域反転、拡大……問題なし。成功です」


 人間離れを助長していた厳かな表情が、可愛らしい微笑によって一気に崩れた。何かに喜んでいるようで頬に赤みが差し、更には小さくガッツポーズまでしちゃうので余計に。


 そのギャップが、ある意味、止めだった。ハートを撃ち抜かれた者が多数。


 なんとしても藤原家の力を手に入れる。陽晴という今の世の至宝というべき少女を手中に収め、より格別の地位を築く……


 そんな野望を秘めていた各国各界の重鎮達が老若男女に関わらず、〝野望〟を〝心酔〟あるいは〝崇敬〟の念に変えられた瞬間だった。


「お父様! ここはお任せを! それと式神の召喚もなさいませ! 今なら本来の力を十全に発揮できるはずです!」

「……詳しい事情は分からないが、分かった。武運を、陽晴」

「はい、お父様も」


 陽晴の視線が母親である千景にも向く。千景は何も言わなかった。ただ誇らしげな笑みを浮かべ強く頷くのみ。陽晴もまた笑みと頷きを返した。それだけで十分だった。


 千景が避難誘導を始め、大晴はちょうどかかってきた服部からの電話に出ながら式神召喚の準備も始める。


 陽晴もまた青龍を促して背を向け、首都の方へ向かおうとする。


 人々が促されるままに避難していく中、


「ひ、陽晴さん!!」


 思わずといった様子で、陽晴の背に声をかけたのは栄人少年だった。


 振り向く陽晴に言葉が詰まる。何か言いたくて止めたのではないのだ。でも、何かが言いたくて止めたのだ。


 なんだか堪らない衝動のまま声をかけ、しかし、口をパクパクさせるだけで言葉が出ない栄人少年を見て、そして、その隣で同じような様子を見せている利華嬢を見て、陽晴は優しい笑みを返した。


「大丈夫。この国は、わたくし達が守ります」


 安心させるようにそう言って、そして、告げた。


 ある意味、引導を渡すように。あるいは、そっと背を押すように。最強の陰陽師の占術が〝運命の二人〟と確信するほどの強い縁が結ばれている二人へ。


 それこそ、神の託宣の如く。


「見失わないよう、固く手を繋ぎ守り合いなさい。上栄城栄人には姫小路利華が、姫小路利華には上栄城栄人が必要なのですから」

「「へ?」」


 困惑する二人へ、クスリッと笑みを零して背を向ける。


「犬も食わぬ争いに、新学期でもわたくしを巻き込むようでしたら――いい加減、天誅しちゃいますからね? ふふっ」


 完全に呆ける二人を置いて、陽晴はさっさと戦場へと向かっていった。


 両家の両親が息子と娘を呼んでいる。陽晴と言葉を交わしているようだから待っていたが、続々と避難しているのだ。一刻も早く自分達もと焦っている。


 そんな中、一足早く我を取り戻した栄人少年は、スゥッと息を吸った。


 そして、誠心誠意、胸の奥から湧き上がる衝動に任せて叫んだ。


「御意ッッ!!」

「ぎょい!!?」


 利華お嬢さん、ぎょ!? として隣を見やる。


 眼鏡をクイッとしながら背筋を伸ばしている栄人少年がいた。実に堂々とした様子。何か一皮むけたというかなんというか……


「利華さん!」

「は、はいっ」

「どうやら僕は目先の輝きに目がくらんでいたようです。そのせいで、直ぐ傍に在る最も大切な宝石が見えていなかった」

「え、えいとさん……」

「さぁ、行こう。貴女は僕が守る。この手は離さない!!」

「栄人さんっ!! はいっ、わたくしも貴方の手を離しませんわっ」

「そして、共に祈りを捧げていこう!!」

「ええ! 共にいのり――いの、え?」

「現人神、陽晴様に!!」

「はい?」


 避難しつつも、利華嬢の一瞬前まで感動と恋心に赤く染まっていた頬が、今は盛大に引き攣っていた。ついでに、両家のご両親も、様子のおかしい栄人少年に頬を引き攣らせている。


「僕は自分が恥ずかしいっ。神に恋するなど、いや、もはやおこがましい!! いや、違う、そうか。あれは恋ではなかった! 無意識に感じていたんだ! 己が信仰すべき現人神を! 崇敬の念を! 信仰心と恋心を勘違いするなんて、なんて未熟!!」

「お、おぅ……」


 未だかつて、利華お嬢様から出たことのない声が漏れ出した。利華パパとママが栄人少年の手を切り離したそうにしてる。


 どうやら栄人少年、あまりに常識外れな怒濤の事態と、あまりに劇的な登場をした陽晴の姿と力を前に、なんか変な方向へこじらせたらしい。


「そうかっ。利華さんがあれほど間に割って入ったのは……不敬だと警告してくれていたんだね!!」

「エッ!?」

「だが、陽晴様は正体を隠していた。だから不敬だとは言えず、遠回しに一生懸命……僕を見捨てずに……くっ、利華さん、貴女はなんて聡明で優しい人なんだ!!」

「あ~~、う~~ん、そのぉ~~」


 もちろん違う。まったくもって違う。掠りもしていない。


 でも、栄人少年の瞳には、利華への溢れんばかりの尊敬と感謝と熱が確かにあって。


 そして、運命の二人と陽晴が断じるくらいであるから。


 しかも、利華ちゃんは、こんな有様を見てもカエル化することもなく、むしろ好都合と判断しちゃうくらいには(したた)かなお嬢様だったので。


「そ、その通りですわ! ようやく気が付いてくれたのですわね!!」

「やっぱり!!」


 ちな、姫小路家のご両親の頭上には〝!?〟が飛び出した。そして、上栄城家のご両親の表情はひたすら居たたまれないというか、息子をどう正気に戻すべきかと思案している顔になっていた。


 取り敢えず、利華嬢は思った。


(一応、感謝はしますけど!! 藤原陽晴!! わたくしは特別視なんてしてあげませんわよ! 逃げられるとは思わないことです!! 何がどうなっているのか、貴女が何者なのか! きっちりかっちり説明していただきますわ!!)


 新学期早々に絡んでやると心に誓う。この先ずっと栄人が陽晴信仰を引きずるなんてもってのほかだ。どこかで矯正しなければならないというのもあるし。


(だから、ぜ~~~ったいに無事に帰ってくるのですよ!!)


 ホテルから出た手配された車に乗る寸前、首都の方へ視線を向ける。


 稲光が迸り、赤黒いオーラが弾け、咆哮が轟く。


 多くの者が畏怖あるいは畏敬の念を瞳に宿す中、しかし、利華お嬢様の眼差しに宿っている色は普段と同じ。


 生意気な後輩に、あるいはただの友人に向けるそれだった。













 時と場面は戻り、樹海に出現したクラス3の新手のもとへ陽晴が迎撃に向かった時点のこと。


 従来の〝北の(ほこら)〟は岩や木の根で作られた二メートルほどの窪地の奥にある洞窟を下り、その先の地下空間にあった。


 苔むした岩壁が剥き出しで、地下空間を手前と奥で分断するように地下水の小川が流れ、小さな泉もあり、最奥には岩壁を削り出して作った無骨な鳥居がある……そんな場所だ。


 人が入ることを想定しておらず、換気口がないので空気も澱みきっていた。


 それが今や、地上と同じく様相を一変させていた。


 まず明るい。天井にパネルタイプの光源があるからだ。部屋全体が鈍色かつ四方一メートルの正方形パネルのような素材で加工されており、綺麗な長方形型の空間に仕立て直されている。


 あれほど雰囲気のあった如何にも〝隠れされた洞窟の奥の祠〟が、今や完全にSF世界の研究室のような空間になっていた。


 小川と泉は健在ではあるが情緒も何もあったものではない。水路も泉もレンガ造りの如く鈍色のパネルを敷き詰められている。


 全て異世界技術混合式の最高強度防壁であり、侵入者撃退用の兵器がこれでもかと仕込まれていることは言わずもがな。


 空間魔法による換気、地下水路にまで仕込まれたトラップと自動迎撃システム……


 天子山地の〝東の祠〟、不老山の〝西の祠〟、蓬莱山の〝南の祠〟、出雲の〝左天之祠〟も同様の防衛措置が取られているのだが、どこか一つでも異常を感知した場合、全ての祠が感知・連動して緊急防衛システムを作動し、かつ、ハジメ達に一斉通知される仕組みにもなっている。


 また、仮に破壊されても再生魔法により瞬く間に復元するのは当然、連動機能により祠一つが完全破壊されようとも他の祠が一つでも存在する限り遠隔で再生する機能もある。


 つまり、全ての祠を同時破壊しない限り、実質的に破壊不可能ということだ。


 そんな病的なまでの要塞的リフォームがされた〝北の祠〟は、一点だけ、まだ風情というものを残している場所があった。


 石造りの祭壇だ。六畳くらいの広さの円形で、五芒星が彫り込まれている。四方に柱が立っており注連縄で繋がっていた。


 そして、正面には鳥居だ。以前は岩壁を彫っただけの簡素なものだったが、今は岩壁からは独立し、壁は白パネルに、その手前に朱色の立派な鳥居が新たに作られていて、左右には霊狐を象った石像もあった。


 天星結界を壊さぬよう、それでいて破壊困難性を爆上げするために、全て藤原家と土御門家監修のもと(デザインについては大いに議論がかわされたが)ハジメが施した強化だ。


 その鳥居に向かうようにして、


「謹んで大国主命を請す。幽世の大神、哀れみ給え恵み給え。幸魂奇魂、守り給い幸い給え――」


 祭壇上の五芒星の中心に座禅を組む少女がいた。


 そう、他でもない。今現在、樹海の新手討伐に向かっているはずで、同時に日本各地にて同じように戦っているはずの藤原陽晴、その人である。


 白と黒の狩衣姿に、黒髪から変じた白髪と同じ色のキツネミミとキツネシッポ。


 既に白き聖神たる神狐〝葛の葉〟をその身に宿す〝神憑り〟状態だが、しかし、その身から溢れ出る信じ難いほど膨大な氣力は、否、もはや神氣というべき清浄なる力の奔流は従来の比ではなかった。


「我が身、我が心を捧げもって禍災一切、祓うことを請う――」


 陽光を纏い、立ち上る氣力の柱の中で一心不乱という言葉がこれ以上ないほど当てはまるほどの集中状態。


 汗が滴り落ちる。印を組む手が震える。それどころか、遂にはツ~ッと鼻から血まで流れ落ちてきた。


「う、ぐっ……」


 新たに神の加護を得た負荷が陽晴の幼き身を襲う。〝神憑り〟状態でなければ吐血でもして昏倒しているところだろう。


『……陽晴、無理はいけない』


 囁くような声音が響いた。陽晴の肩に座っている小さな人影、チビユエだ。


『……人の身にできる範囲を既に超えている。神憑り自体、相当な負荷』

「ですがっ」


 チビユエの手が陽晴の血を拭う。


 だが、その優しい手つきに反して声音は厳しかった。陽晴を気遣い、制止する声音ではなかった。


 それものはずだ。


『……落ち着いて。貴女の才気は私に匹敵する。なら必ずできる』

「は、はいっ、ユエ様!」


 これは指導であり教授でありサポートだった。最強の魔法使いが、少女の天賦の才を信じてマンツーマンで行う術法の深奥、奥義の伝授であった。


『……全て受け止めようとしなくていい。流れは流れのままに、逆らわず、必要な分を必要なだけ利用する。そのための術であり技』

「……流れのままに……力そのものではなく……むしろ、術にこそ集中……」

『……そう。川の激流に飛び込んで水を汲む者はいない。施設を、あるいは道具を使って安全に得る。同じこと』

「……はい、ユエ様。……ふぅ~~~~~」


 陽晴の肩から力が抜けていく。


 ただ言葉にして伝えるだけで理解を超えて感覚を掴む。天才の天才たる由縁。


 破裂しそうだった莫大なエネルギーが綺麗に循環を始める。合わせて陽晴の存在感が更に増大する。


 それに、思わずチビユエは笑みを浮かべた。十を知れと一を教えれば、本当に十を学ぶどころか十一も十二も学ぶ目の前の少女に、掛け値なしの称賛と教授の楽しさを覚えてしまう。


 より効率的に、より高出力に、より素早く、より繊細に。


 ラナと同じく師事を請われて、ここ半年くらいの間に教えてきた魔法技術の基礎。


 魔法と陰陽道は別種の技術であっても、術者として〝力の扱い方〟の基本は同じはずだからと教えてみれば、まさに水を吸うスポンジの如く。


 ユエ自身、鍛錬と試行錯誤を繰り返しながら疑似無限魔力とチビユエ魔法のために新たな補助魔法を幾つも創り出していたのだが、まさか、その理論と感覚を理解し、たとえ一端ではあっても呪術で再現し始めた時は流石に唖然としたものだ。


 こんな相手は未だかつて出会ったことがない。己と同じ感覚を十全に共有し共感できる目の前の絶大な才能に、本格的に己の魔法技術の全てを叩き込んでみたくなる。


「……五体目、参ります」


 フッと陽晴の目の前に浮き上がったのは人を象った紙――人形(ひとがた)だ。


 それが、今授かった神仏達の力を受けて輝きを帯び、姿を変えていく。狩衣を着た黒髪の少女の姿へ、本来の陽晴の姿へ。


 スッと目を開いた人形の陽晴は、己の手を見つめ動かし、刀印を作って唇に添え、小さく「オン」と呟き、本体を見やって頷いた。


騰蛇(とうだ)、天空、お願いしますね」


 陽晴は敬意を込めて、目の前の鳥居の向こう側へ言葉を送った。それと一緒に五体目の陽晴も鳥居へと飛び込んでいく。


 そう、五体目。


 今まで日本各地で戦っていた陽晴は、全てが人形(ひとがた)。すなわち、分身体だったのだ。


 当然ながら陽晴は魂魄魔法など使えない。深淵卿の如き自律性を持った分身など創れない。


 あれは〝式〟だ。あくまで陽晴本人が操らねばならない人形(にんぎょう)である。


 物事を同時に処理する能力には長けていても、陽晴の意識は一つである。二人分の意識を持って同時に別の己を操作するとなると並列思考といっても次元が異なる。


 それが戦場なら尚更だ。本体と同等の能力を有し、かつ十全に動けるという条件を付け加えた途端、およそ普通の人間には無理難題となる。


 故に、単なるハリボテ、あるいは簡単な命令を聞く半自動タイプならまだしも、此度の分身体は本来あり得ないのだ。


 では、どうして五体も同時に、それこそ深淵卿の如き分身体を作り出せたのか。


「これで出雲の地を中心に領域が更に拡大……本州全域をカバーできました。あと、せめて二体……」

『……ん。北海道と九州に一体ずつ。いける?』

「いけないはずなどございません。ユエ様という最高の先達に師事してきたのですから」

『……それに、愛しの深淵卿のお嫁さんだから?』


 フフッと笑いながら聞けば、負荷により血の気を失い白くなっていた陽晴の頬に赤みが差した。


 あらゆる戦場に同時に赴くことが可能な浩介に、本当の意味でついていく、隣に並び立つにはどうすればいいか。単純な答えは〝自分も増える〟だ。


 普通なら不可能と断じるそれを、しかし、藤原陽晴は天賦の才を持っているが故に普通に思いついた。己を〝式神〟とすればいけるのでは? と。


 だが、ユエから習った並列思考(マルチタスク)強化魔法ともいうべき術を陰陽道に落とし込んでも、やはり浩介の分身のようにはいかない。当然だ。ユエでも無理だと判断し、その結果が機能を限定した分身〝チビユエ〟なのだから。


 なのに、陽晴はその障害すら乗り越える技法を思いついた。


 神ならぬ人の身故に、能力が足りないというのであれば。


 神の視点を持てばいいのではないか?


 だって、私はその感覚の一端を知っている。神憑りを行った時の知覚能力や情報処理能力はおよそ人のそれを軽く凌駕するのだから。


 ならば、この身に宿す神を増やせばいいのでは?


 それすなわち、神の知覚能力を神憑りの数だけ借り受け自己意識の数を増やす多重神憑り術式。


 名付けて、藤原陽晴オリジナルの新術――〝八方諸神降臨の儀〟。


 これを前提に創られる己を式神とするオリジナルの新術――〝式神己(しきじんき)〟。


 ある意味、とても脳筋な発想ではあった。


 だが、結果はこの通り。


「行きます……謹んで瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を請す。天日高日子(あまつひたかひこ)、哀れみ給え恵み給え。幸魂奇魂、守り給い幸い給え――」


 待ってましたと言わんばかりに新たな神の気配が降り立つ。ちょっと食い気味なくらいの降臨だ。


 それもそのはず。陽晴が助力を請うている日本神話の神々は、結局のところ妖精界における神々に他ならず、旅行において既に加護を賜った、すなわち陽晴を気に入った神々だからだ。


 六柱目の神憑り。葛の葉を入れれば総計七柱。更なる負荷に陽晴の苦しみは更に上がる……と思われたが、むしろ先程までよりスムーズだった。


(……ほんと、この子は)


 内心、少しだけ呆れるチビユエ。慣れてきたと察したからだ。ユエが教えた魔力制御の補助術式も、もう氣力補助術式として完全に使いこなしている。


 ユエから見ても十分に超一流の術者による秘奥技というべきレベルの術を、あらかじめ構想は練っていて、ユエのサポートを受けながら前提となる術や技術の訓練を積んできたとはいえ、ぶっつけ本番で成功させるとは……


(……もしかして、叔父様も同じ心境だった?)


 陽晴のサポートのため本体の意識がしっかりと入っているチビユエは、陽晴の瞳に映る己の表情を見て、ふと思い出した。そう言えばまだ小さい時、ディン叔父様に魔法を教わる度に叔父様もこんな表情をしていたような……と。


 なんてことを思い出しながら見守っている間に、陽晴は七体目も送り出したようだ。


『……これで起点は十分。理論的にはいけるはず。どう?』

「はい……できると思います。いえ、やって見せます!!」


 袖をバッと払い、改めて姿勢を正す。深呼吸を数回。


 その身に合計八柱もの神々の力を宿し、今この瞬間も七体の己を操作しているにもかかわらず何をする気なのか。


 まさか誰が思うだろう。


 七体もの本人と変わらぬ能力を持った分身体を創り出しておいて、それどころか神の加護を宿す故に〝限界突破〟と昇華魔法を受けたような破格の能力増大状態にあるのに。


 ここまで全て、真の秘奥義の下準備にすぎないなどと。


『……氣力は心配しなくていい。ある程度、エネルギー量の調整もしてあげる』


 チビユエが再び陽晴の肩に腰を下ろす。ユエの無限魔力をチビユエを通して送り込み、かつ石畳の祭壇に通す。


 この祭壇自体がアーティファクトなのだ。いかな力も〝陽晴が即座に使える氣力〟に変換する機能がある。魔力も、本来なら〝龍穴〟であるこの場に溢れる〝自然の氣力〟も。


 この祠は、ハジメの許可なくば如何なる存在も侵入できない。だが、ただ一人、天星大結界の創設者の血を引き、管理者たる神狐と繋がり、その術式の秘奥を神髄まで理解する藤原陽晴だけは例外だ。


 何かあった時、ハジメ達以外で天星大結界を管理できるのは彼女だけだから。もちろん、陽晴以外が万一にも侵入した場合は病的迎撃装置がお出迎えだ。


 ともあれ、何が言いたいかといえば、この祠は藤原陽晴のための空間でもあるということだ。


「天を我が父と為し、地を我が母と為す。六合中に聖神在り、八方諸神の加護を得し我が身あり」


 陽晴は厳かに言葉を紡いだ。


 両手で印を組み、瞑目し、輝く白髪をふわふわとなびかせながら、その意識を深く深く沈めていく。祠を通して異界へ、そして異界を構成する術式へと。


 遙か先祖が、伝説の陰陽師が創り上げた近畿地方全域を覆う大結界へと。


「東には青龍、西には白虎、南には朱雀、北には玄武。右天には天津神、左天には国津神在りて、左右扶翼す」


 その術式へ干渉し、広げる。結界の構成はそのままに、起点を置き換え拡張していく。


 その起点こそ、日本全土に送り込んだ式神己だ。


 実は管理者たる葛の葉とは別に、天星大結界の裏(異界)の五芒星の頂点五つ、そして右天、左天において結界を支える起点が存在しており、それは()の安倍晴明が使役したという式神〝十二天将〟の一部が担っていた。


 つまり、だ。


 天星大結界を構成する起点があり、管理者と十二天将がいて、封じられし妖魔が存在するのなら、それはすなわち天星大結界であり、かつ異界の中である――と拡大解釈することもできるのでは?


(かえ)れや反れ、天星よ。表は裏に、裏は表に。現世(うつしよ)隠世(かくりよ)に。隠世は現世に」


 展延する。


 近畿地方全体規模だった天星大結界が、新たな起点により日本全土を覆う規模へと。


 裏返る。


 異界を構成する要素を余すことなく顕現させた現世が、異界と同じ性質を帯びる。


 念素なき異世界では、妖魔は百パーセントの力を発揮できない。だが、天星大結界の異界は、中に封じた妖魔に〝氣力〟を消費させることで〝龍〟への供給を制限する機能を有している。


 それはつまり、異界の中なら妖魔は〝氣力〟を糧にできるということ。妖精界に限りなく近しい十全の能力を発揮できるということ。日本全土が妖魔のための世界になったということ。


「千妖万邪の護国を許さば、掛け巻くも畏き、神魂(かみむすび)高御魂(たかみむすび)(いく)魂、(たる)魂、玉留(たまつめ)魂、大宮能売(おおみやのめ)御膳津神(みけつつのかみ)辞代主(ことしろぬし)大直日(おおなおびの)神等(かみたち)の御前に畏み畏みも白さく」


 だが、陽晴の祝詞はまだ止まらない。


 世界が繋がり、妖精界の存在が地球へ救援に来る。少しでも実力を発揮するために本体で、だ。


 それは同時に、死ねばしばらく復活できず、いつか復活するとしても直ぐの戦線復帰は難しく、仮に直ぐ復活したとしても前の己とは違う存在なら、やはり直ぐには救援に来ない可能性があるということだ。


 だから、死なせない。死んだとしても黄泉の国からさえ呼び戻す。


 裏返り展延した天星大結界に、新たな性質を付与する。


「十種の瑞の宝、ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここの、たり、布留部(ふるべ)由良由良(ゆらゆら)布留部(ふるべ)と祈りて、失われし魂をも蘇らせ給えと誠を以て奏上す」


 パァンッと柏手が響いた。光の波紋が広がり、鳥居を通じて日本全土へと広がっていく。


 月面の避難所からも確認できただろうか。日本列島が、まるで雨に打たれる水面の如く、陽光の輝きを持った数多に重なる波紋で覆われたことを。


「諸神の加護在りて我が身は我に在らず。我が息は神の御息、我が声は神の御声なり。星天の地よ、千妖万邪よ、我が許へ降れ! この言霊を以て今一時顕現せよ!!」


 カッと目を見開く陽晴。


 その瞳に宿るのは、既に人のそれではなく。


 紛れもなく神の威容であり、その言葉はまさに世界に命じ法則を塗り替える御言葉――〝神言〟であった。


「――〝逢魔神領天晴大剋界〟」


 それは、この〝北の祠〟に藤原陽晴がいなければ発動しない。


 それは、発動の間、藤原陽晴を〝北の祠〟に釘付けにし、他の一切の行いを許さない。


 それは、無限に等しい〝氣力〟の供給を前提とする。


 それは、最高位の諸神仏と心を交わし、極めて積極的な協力がなければ成し得ない。


 それは、術式の制御を誤り、あるいは神々の見限りと同時に陽晴の命を奪う。


 しかして全てのリスクを呑み条件を満たしたならば、その秘奥の術は藤原陽晴に無類の力を与える。


 日本全土を藤原陽晴の領域に変えるが故に、神の視点を以て領域内を感知、延いては空白地帯たる〝無神〟の所在を知ることができる。


 異界に等しい領域であるが故に、時と空間に干渉することで在るべき場所で瞬く間に向かうことができ、かつ、敵性存在による自然エネルギーの吸収を制限することができる。


 八柱の日本神話の神、十二天将、そして強大なる妖魔のみで構成された百鬼夜行の群れに故郷と変わらぬ十全の力を与え、一時の死さえも否定することを可能とする。


 師のように世界一つとはいかずとも祖国に限るならば、藤原陽晴は全土を守護することができる。


 願いの通り。


 愛する男が戦うべき強敵(クラス1)以上を除けば、他の全ての障害を祓うことができる。共に戦うことができる。


 現代最強の陰陽師が、世界最強の魔法使いに師事し至った極致の一つ。


 今この瞬間より、深淵卿と陽晴、それに彼女が率いる存在以外の戦力は、日本の防衛において不要になった。他の場所へ派遣することが可能になったのだ。


 それどころか、ライラの強制転移をレジストできない〝無神〟なら日本に放り込んでしまってもいい。陽晴達が処理してしまえる。


『……おぉ! 陽晴ちゃんか!? クラス2もなんとかなる? さっすが! 戦いやすくなった! 感謝の極みである!!』


 不意に響いた〝念話〟は恋するあの人の声。深淵卿モードのはずなのに、素の口調で賛辞と感謝が送られてくる。最後、ちょっと混じったが。


 チビユエが『よかったね?』と言わんばかりの優しい眼差しを送っている。


 集中し続ける陽晴はどちらにも答えなかったが……


 その口元には少しだけ笑みが浮かんだ。神懸かった雰囲気に誇らしげな少女らしい雰囲気が混じったようだった。



いつもお読みいただきありがとうございます。

感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。


やっと陽晴回書けました。次回、残りの深淵メンバーを書いて「それぞれの防衛戦」は終わり。メインキャラ回に戻ります。よろしくお願いします。


※ネタ紹介

・怪物のイメージモデル

 プラズマの怪物:クトゥルフ神話のカラカルの手先。

・十二天将

 感想欄に『少年陰陽師』の同好の士らしき方がいたので歓喜。本作では伝承に沿った姿にしていますが、少年陰陽師の十二神将は大変良き。特に主人公と〝もっくん〟の掛け合いが好き。実は、エンティは少年陰陽師の十二神将〝太陰〟を少し意識してます。十代半ばの太陰というか。ネタ紹介に書いてなかったかもしれないので一応。

・逢魔神領天晴大剋界

 元ネタはもちろん『呪術廻戦』の領域展開です。なお、呪文や祝詞は例の如く、ある程度は各種資料やネットを参考にしていますがアレンジも入っているので正確なものではない点、ご了承いただければと!


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陽晴……コワレチャッタ
深淵卿の若妻殿はいつのまに人間をお辞めになられたんだ 結婚生活、大変だぞ
>プッと電話を切る大晴。聞くに堪えないから、ではない。 ?「それ、わざわざ言わなくて良くない?」
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