全世界防衛戦⑨ それぞれの防衛戦 下々々
時間は少し戻る。
富士の樹海で戦いの火蓋が切られた頃合い。
世界中で〝無神〟が出現し、世紀の大事件がネットやテレビでどんどん拡散されて世界が騒然としていく中、しかし、街中であっても喧噪が届いていない場所もあって。
例えば、まだ〝無神〟が出現していない街で、かつ、一時的とはいえネットもテレビも使わない場所。
世間の喧噪を忘れて没入できる空間や時間。
ここも、そんな息抜きができる場所の一つだった。
「いってらっしゃいませっ、ご主人様♡ お帰りをお待ちしてますぴょん♪」
今日も元気にぴょんだぴょんっ! と手でハートを作りながら片足をクイッと上げ、この道十年の完璧なウインクを決めたのは、通称〝ウサ先輩〟こと卯佐美兎和。
ウサミミメイド喫茶の店長にして、系列店におけるエリアマネージャー(内定)の超ベテランウサミミメイドさんだ。
お見送りを受けた常連客は大変癒やされた様子で「行ってきま~す」と退店していく。
その姿にウサ先輩もまた大変満足な様子で頷き、スカートの裾まで意識したようなふんわりターンを決めた。
店内に視線を巡らせる。本日も大変賑わっている。ご主人様はみんな笑顔だし、自慢のウサミミメイド達も素晴らしいウサミミメイドをしている。
(すべて世は事も無しぴょんね。いや、表の世は、ぴょんか)
ひょんなことから知ってしまった世界の裏にある超常的な事件。三日前には、そんな事件で知り合った甘衣杏寿が襲われ、この店に匿うなんてこともあった。
あれから閉店後に毎日、念のために杏寿には連絡している。今日もそうするつもりだ。どうやら、あの最も新しい友人は何かと厄介事に巻き込まれる体質らしいから。
(表の人間には基本的に無縁の世界ぴょん。ちょっとドキドキもしたけれど、やっぱり私には、この平和な世界が一番ぴょんね)
心の中でもぴょん。常在戦ぴょんの心は、やはりご主人様達の笑顔と可愛いウサミミメイドさん達の笑顔でこそ満たされていく。
世界の裏の片鱗を知ったからこそ、より実感する卯佐美兎和が愛する日常だ。
が、今日も変わらぬと思っていた、裏は裏、表は表と信じていた世界は、今、まさに混迷を深めているところで。
そうとは知らず、テーブルを手早く片付けトレーを片手にバックヤードへ戻る――というその時。
「……む」
思わず声が漏れる。店長として看過できぬ光景が目に入ったからだ。
バックヤードから出てきたウサミミメイドが木刀を背負っていたから……ではない。
「こらっ、リン! ご奉仕中にスマホとは何事ぴょん! メッ、ぴょんよ!」
いや、その前に木刀を背負っていることを注意しろよ。と、新規のお客さんならツッコミを入れたことだろう。
生憎と本日は常連客ばかりで、誰も木刀を装備したウサミミメイド――通称〝後輩ちゃん〟こと日野凜の存在にツッコミを入れる者はいなかったが。
そう、彼女が武装していることは、既に当店では当たり前。むしろ、ちょっとした名物ウサミミメイドとして認知されているのだ。
剣道が得意で、ゲームやアニメの剣術を再現できると、なぜか客達にバレていて(たぶん、日常冒険系女子高生なので目撃者が多数いるせい)、少し前に一発芸として披露した際に大変な盛り上がりを見せ、いっそバトル系ウサミミメイドもありじゃない? と木刀を背負うことを許された(?)メイドさんだ。
週一回、創作世界の剣技再現を披露するイベントには大変多くのご主人様方がやってくる。戦うメイドさんは、やはりロマンらしい。
「あ、すみません、ウサ先輩! じゃなくて! なんかいろいろ大変な感じに――」
反射的に謝罪しつつも何やら酷く慌てた様子で、かつ、どう説明すればいいのか迷うといった感じの後輩ちゃん。
「落ち着くぴょん……もしかして、あれ関係ぴょん?」
「そ、そう! あれ関係ぴょん!」
察しの良いウサ先輩。バックヤードに戻って話す時間も惜しいのか駆け寄ってくるので、せめて会話があまり聞こえないようにと店の出入り口の方へ身を寄せる。
「さっき木刀のヒモが切れかけてるのに気が付いて替えにロッカーへ行ったんですけど、そしたらスマホに結構な量の着信履歴があって」
確かこの木刀、外側だけ木目調にカモフラージュしているだけで中身は金属製だったぴょん? とはいえ吊り紐が切れかけるって……どんな重量ぴょん。普通に重いぴょん? あくまで許可しただけで、業務命令で背負えとは言ってないぴょん……リン、何が貴女をそうまでさせるぴょん……
と、ウサ先輩は思ったが、どうやらそれどころではないようなので黙って話を聞く。
「それからメッセージも来てて、なんか避難してほしい的な? 迎えがどうとか……それから、こ、これです!」
珍しいと思う。この元気溌剌・大胆剛毅・日常冒険系の女子高生は、ちょっとやそっとのことでは動じない子だ。
それどころか、突然の襲撃者に対して創作物のとんでも剣技をぶちこんで蹴散らしてしまうような、いろんな意味でぶっ飛んだ子だ。
そんな子が、ここまで切羽詰まった様子というのは……
じわりと嫌な気配が迫って来ているような寒気を覚えながらも、後輩ちゃんが突きつけてくるスマホの画面を――動画か? いや、配信?――に視線を向ける。
その瞬間だった。
「ごめんくだせぇーーーっ!!」
「ぴょーーーーーんっ!!?」
店の扉が凄まじい勢いで開けられた。それはもうバァンッと。ドアベルが抗議するようにヂリリリンッと激しく音を鳴らしている。
後輩ちゃんの雰囲気に呑まれて緊張していたのもあって、思いっきり飛び跳ねちゃうウサ先輩。
思わず万歳してしまったうえに、足を滑らせてひっくり返りそうになる。
宙を舞う片付け途中だった皿とコップとトレー。視線はスマホから天井へ。
咄嗟に後輩ちゃんが手を伸ばして支えようとするが、彼女も彼女でびっくりしてしまって反応が遅れてしまっていた。
倒れる。ついでに食器類が無残な最期を遂げる――
「おっと」
勢いのありすぎる入店をした珍客は、客達や店員達が「何事!?」と視線を向ける中、凄まじい反応を見せた。
素早い身のこなしでスライディングするようにして滑り込むと、片腕でウサ先輩を支え、更に反対の手でトレーを掴み、そのまま皿とコップを載せながら受け止めてしまったのだ。一拍遅れて、トットットッとストローやフォーク、スプーン、更には食べカスまでトレーの上に落ちてくる。
小刻みにトレーを動かし、その視線も宙を捉えていたので偶然ではない。狙ってやった、とんでも曲芸である。
思わず店内から「おぉーーっ」と歓声が上がる。
「き、君は…………あの時の〝ぴょん極詰め美少年〟!!」
「いつぞやは大変な失礼を。久しくしておりやす、ウサミミスキーの姐さん。自分はバルドフェルドでさぁ」
忘れもしない。初めて南雲ハジメと面識を持った日のことは。
だが、卯佐美兎和にとって、あの日に最も印象に残ったのは魔神様ではなく、この自称バルドフェルド君だと言っても過言ではない。
海外からの観光客ぴょん? 是非、ウサミミメイドというジャンルを知ってほしいぴょん! 楽しい思い出を作るぴょん! と普段通りに気軽に声をかけたというのに。
返ってきたのは「なぜ、語尾がぴょんなのか」という揶揄でも批判でもない純粋な疑問。
ウサギ好きはいい。だが、ぴょんとウサギになんの関係が? え? ジャンプの擬音? なぜ、ジャンプの擬音が語尾に? なぞは深まるばかり! 合理的な説明を! みたいな感じで。
勢いと雰囲気に押されてぴょんを捨てかけたのは一生の不覚である。
そのバルドフェルド君が、なぜ自分の店に来たのか……
困惑するウサ先輩を、バルドフェ――パルは恭しい仕草で抱き起こした。
そうすると分かる。あの時から随分と背が伸びていることが。ウサ先輩の身長は160cmくらいなのだが、既にほとんど視線が変わらない。
実は、ミュウが春休みの旅行のために時間遅延空間で特訓することになった際、
「実力でお嬢に置いて行かれるわけにはいかねぇ!!」
「ボス! お願いします! どうか私達にも訓練参加の許可を!!」
と、相棒共々頼んで参加した結果、ちょうど成長期と相まったらしく、訓練の痛みと関節痛にのたうった甲斐もあり急に伸びたのだが、それはともかく。
男子三日会わざればなんとやらというべきか。精悍な顔つきや上半身が黒のタンクトップ(下はカーゴパンツで全体的にミリタリー風ファッション)のせいで歳の割にたくましい体つきが良く分かるのもあって、卯佐美お姉さん、ちょっとドキマギしちゃう。
「トワの姉御、いきなりすまねぇが……どうか俺についてきてくだせぇ!!」
「エッ!?」
ドギマギしちゃう! だって、まだ支えられた時のまま腰に手が回ってるし、つまり至近距離だし! いや、待て、兎和! 落ち着くのよ! 何を狼狽えているの! こんな年下の子に何か言われて動揺するなんて頭がおかし――
「姉御を迎えに来たんです」
「んんっ!?」
どこまでも真剣な表情。真っ直ぐな瞳。ハウリア特有の端正極まりない顔立ち……そして、今は知っている。彼の頭には、それはそれは素敵なウサミミが生えていることを。本物のウサミミ美少年であることを。はっきり言ってドストライクな男の子。漫画の世界から飛び出してきたような理想の具現。
ウサ先輩はバッとパルの手を振りほどき、ピョンッと距離を取った。そして、
「年の差、倫理、良識、犯罪、変態、豆腐の角に頭をぶつけて目を覚ませわ・た・しぃ!」
豆腐の角ではなく、普通に壁に向かって頭突きを繰り返した。ゴッゴッゴッと鈍い音が店内に響く。俗に言う〝限界化〟だった。推しにファンサされたファンが良くなる発作状態だ。
店内も騒然とする。ご主人様達は「あの少年、なんてストレートな!」「これだからイケメンはっ」「まさか、鉄壁のウサ先輩があそこまで……これは、ひょっとするのか?」等とザワッザワッし、ウサミミメイド達も「ショタ姉キタァー!」「ウサ先輩マジですか! 流石に犯罪ですよw」とか、単純に「きゃーーっ」と歓声と興奮に満ちた悲鳴をあげている。
「ウ、ウサ先輩! 落ち着いてください! 絶対にそういう意味じゃないですから!」
「分かってるぴょんっ、分かってるんだぴょんっ。でも、心がぴょんぴょんするのは止められないんだぴょん! これはウサミミメイドの性なんだぴょんっ」
後輩ちゃんが必死に羽交い締めして止めるが、踊る心と邪なる心のせめぎ合いで己を制御できないウサ先輩はジタバタしちゃう。
「ど、どうしたんでさぁ? 俺、なんか気を悪くすることを?」
パル君が戸惑っている。それはそうだ。避難を促したら相手がいきなり壁に頭を打ち付け始めたのだから。ハッ、よもや何者かの精神攻撃か!?
「えっと、確か南雲先輩のところのパル君――」
「バルドフェルドですぜ、ひのりんの姉御」
「イントネーション! 日野、凜だから! ひのりんで一つの名前みたいに言うのやめてくれる?」
「ボスがそう呼べと命じたので無理な相談でさぁ」
パルとは何度か顔を合わせたことはあるが、直接、話したことはない。彼がハウリア族で、ハウリア族が南雲家とどういう関係かはある程度は知っているが、偶然居合わせる以外では基本的には接点がない。
にもかかわらず、いつか関わる時を想定して呼び名を命じておくとか。
先見の明を無駄に発揮してくるあたり、やはり南雲先輩は天敵であり宿敵だ。と、ぐぬぬっしちゃう後輩ちゃん。
だが、今はそれどころではないので青筋を浮かべつつも叫ぶ。
「ウサ先輩に言ったげて! 年の差いくつだと思ってんの? 勘違いしてないで、さっさと店仕舞いしろや、この限界色ボケウサミミオタクがって!」
「リン? さりげなく致命傷を負わせてくるのやめてほしいぴょん。鋭いのは剣術だけで十分だぴょん」
「貴女が好みの女なわけないでしょう? お巡りさんを呼ばれる前に落ち着いてくださいって言ったげて!」
「オブラートに包んだつもりぴょん? 今度から言葉を包む時は鞘を意識するぴょん。リンの言葉の刃は切れ味が業物級ぴょん……」
なんかすっかり落ち込んで大人しくなったウサ先輩。
困惑しつつも、なんとなく状況を察したらしいパル君。元来が素直な性格なので、困惑状態も手伝って素直に答えちゃう。つまり、追撃しちゃう。
「いや、普通にトワの姉御は魅力的なお人だと思いますぜ? 普通に好みの女性っていうか」
「「えっ……?」」
ウサ先輩と後輩ちゃんの声が重なる。店内も人達も「お、おう?」と戸惑い気味の様子見に入る。
「少なくとも、俺がちきゅう――じゃねぇや。日本に来てから出会った女性の中では最高に素敵な女性でさぁ。ウサミミをこよなく愛し、己の城も持ち、胆力もあれば友愛の心も持ち合わせていらっしゃる。おまけに、そこそこ〝できる〟人だ」
「い、いやぁ、でもパルく――」
「バルドフェルドでさぁ、ひのりんの姉御」
「バルドフェルド君! 年の差とか分かってる? ウサ店長は可愛いし童顔気味だけど、もうにじゅうは――」
「リーーーーンッ。それ以上口にしたら店長の職権を乱用することも厭わな――」
「年の差なんて気にしている人、俺の周りにやぁいやせんよ! 些細なことです」
「お、おう……そ、そうなんだ」
「あいさ。俺は日本にずっと住むつもりなもんで、将来、伴侶に選ぶならこっちのお方がいいなぁと夢想することもありまさぁ。その時は、トワの姉御のようなお人が理想的です」
いつの間にかシンッとしている店内。誰もが「いきなり何が始まったんです?」「今、何が起きてる?」とソワソワしながら注目する中、パル君は精悍だった顔つきや雰囲気を少し崩して、ちょっと照れたような、あるいは恥ずかしそうな様子を見せた。
そして、
「まぁ、俺のような地に足もついてないようなガキを、トワの姉御のような立派なお人が選ぶはずもねぇですが……選ばれたら、男冥利に尽きるってやつっすね」
なんてことを言った。
一拍、店内が黄色い悲鳴で埋め尽くされた。ウサミミメイドさん達が大騒ぎしている。ご主人様達は複雑な表情ながら、ウサミミメイドさん達の歓喜・興奮に流され、取り敢えずといった様子で盛り上がっている。
そして、当のウサ先輩は必死に取り繕っていた。澄まし顔で「お姉さん、そこまで言ってもらえてうれしいぴょん♪」と余裕の態度を見せているが、悲しいかな、内心の動揺は全て真っ赤なお顔で示されていた。
という状況を横目に、後輩ちゃんは溜息を一つ。「ダメだ、私がしっかりしないと」と気合いを入れ直す。パルの傍に寄り、喧噪に紛れるようにして確かめる。
「あの、今、ネット上で話題になってるあれ、事実なんだよね? で、パル――」
「バルドフェルド」
「バルド! フェルド! くんがお迎えってことでいいの?」
「あいさ。お二人はボスが作った避難者リストには載ってなかったんですが……」
「載ってなかったんかいっ!! あのクソ先輩め!」
割とショックそうな後輩ちゃん。
一応、南雲先輩なりの気遣いではあるのだ。
あくまで学校の後輩という立ち位置であり、裏の世界にがっつり関わっているわけでもない。去年のクリスマスに〝知る者〟にはなったが、逆に言えばその程度で済んでいるのだ。
ならば、何かある度に〝優先的に避難させる相手〟、すなわち南雲家にとって重要な関係者として対外的に知られる可能性は少ない方がいい、というわけだ。
それでも〝有事の際に留意すべき関係者リスト〟というのもあって、そちらには記載があるので、そして三日前の甘衣さん襲撃事件も踏まえて、こうして迎えが来たわけだが。
では、どうして迎え役がパルなのか。
「相方が〝ウサ先輩〟には世話になっているもんで」
そうパルが口にした直後、ガシャーンッと窓を突き破って黒い人影が!
キャァーーッとウサミミメイド達とご主人様達の、一瞬前までとは違う意味合いの悲鳴が重なる。
浮かれた様子だった店内が冷や水をぶっかけられたように静かになった。
同じく浮ついた様子だったウサ先輩も「今度は何事ぴょん!?っていうか、私のお店が!?」とムンクの『叫び』みたいなポーズと表情になっている。
その隣で後輩ちゃんが咄嗟に木刀を抜いていた。腰を落とし脇構えに……いや? 木刀の柄と刀身部分の間に僅かな隙間が? どうやら仕込み刀のように中身が抜けるらしい。つまり、抜刀術の構え……
だが、何かの創作物の再現に違いない抜刀術がお披露目されることはなかった。
「先生! ご無事ですか!!」
「ネアちゃ――」
「ネアシュタットルム!!」
「愛称で呼ぶくらい良くない!?」
そう、飛び込んできたのはパルと良くバディを組むウサミミ少女、ネアだった。
「というか、その人がご無事じゃなくない!?」
常在戦ぴょんはどこにいったのか。店内の視線はネアの足もとへ集中する。
顔中に不可思議な紋様を刻んだ不気味な男が倒れていた。服装も夏なのにボロいコートのようなものを着ている。
鼻が折れ曲がっていて血がダクダク流れている。ついでに白目も剥いていた。完全に気絶しているようだ。
「これのことは気にしないでください」
ネアちゃんもパル君と同じで私服だ。ミニスカのパンク系の服装で、下はニーソとショートブーツ。
そのブーツが男の頭部をグリグリと踏んでいた。
普通に美少女なのもあってか、こんな状況なのに「う、うらやまけしからんっ」と、けしからん発言をするご主人様も。
「いや、気にするなと言われても……」
ウサ先輩の視線はネアちゃんの手に向いた。パンク系ファッションに似合う素敵な指輪をしているぴょんね! と一瞬現実逃避気味に思うも、やはりどう見てもメリケンサックである。それも赤い何かがこびりついて滴り落ちている。
「先生が襲撃事件に関わったというのを聞いて、実は三日前から独自かつ密かに身辺警護していたんですが、それが功を奏しました」
先生――この状況からして言わずもがな、ウサ先輩のことだ。
では、なぜネアがウサ先輩を先生と呼ぶのか。それはもちろん、全てはボスのためである。
ボスのお側に侍りたい。あわよくば、お嫁さんになりたい。だがしかし、ハードルは高し! それはもう大樹の天頂の如し!
ならばひとまず、南雲家の使用人としてお側でお仕えしたいと考えるのは当然の帰結。ボスはメイドスキーらしいし。
だが、だがしかしである。
ネアは見てしまった。知ってしまった。メイドの頂というものを!
そう、あの王国の王女専属侍女頭様である! 無理だ……この先、何十年と修行を積もうとも、メイドとしてあの人に勝てる気がしない!
そして、リリアーナ王女が南雲家に嫁げば、必然、あの人はボスのメイドにもなるということで! ボスも、なんだかあの人のことは一目置いてるし! というか、既にリリアーナ王女が度々愚痴るくらい主従関係が完成しちゃってる感あるし!
頭を抱えたネアは、しかし、諦めなかった。
諦めるという概念は、あの日、ボスと初めて出会い鍛えたられた過去に捨ててきたから!!
で、考えた結果、ふと思い出したわけだ。
そういえば、地球には私をさらった凄腕のウサミミメイドがいたな、と。ハウリアの中でも有数の戦闘能力を持っている自分からしても驚愕するほど凄まじい速度かつキレッキレの動きを見せた、あのメイドさん。
同じメイドでも、ヘリーナと彼女は明確に違った。こう、別ベクトルというかなんというか……
しかも、いろいろ調査した結果、ボスはああいうタイプのメイドさんも大変お好きなご様子。
やるしかねぇでしょう。
ヘリーナが伝統的なメイドさんの完成形だというのなら。
私は、このネアシュタットルムは、アキバ系メイドの完成形になってみせる!!
ボス! 私、頑張りますから! ボス好みのアキバ系ウサミミ(本物)メイドになりますから! いっぱい愛でてくださいっ!!
という願望と意気込みをウサ先輩に直談判し、見事に了承を勝ち取って、地球に移住してから訓練や隠れ里の準備に精を出しつつも、空いている時間に教えを請うてきたわけだ。
いろいろとこじらせたとも言う。
何はともあれ、実はネアとウサ先輩にはそういう繋がりがあったということである。なお、ウサ先輩はネアシュタットルムが本名でネアが愛称だと思っている。先程のツッコミはそのせいだ。
「初耳ぴょん。なんで隠れて護衛するぴょん」
「護衛というのは表と裏の両方で行うのが効果的なので。尊敬する先生に万が一の事があってはいけませんから」
「そ、そうかぴょん。あり……がとうぴょん?」
甘衣の頼みもあって、レミアはウサ先輩と後輩ちゃんにも連絡したのだが、仕事中だったため繋がらず。メッセージなどを残した後で、ちょうどラナ経由でネア達がどこにいるのか教えられ、ちょうどいいと迎えに寄越したというわけらしい。
なお、パル君は付き合わされていただけである。
「そんなことより、先生。直ぐについてきてください」
「い、いや、いきなり言われても、まだ閉店時間でもないぴょんよ……」
今起きている事態を把握していないウサ先輩は当然の反応を見せる。
だが、その反応は直ぐに覆ることになった。今、世界で起きている混乱を目の当たりにすることによって。
それは唐突に来た。
「「「「「ッッ!!?」」」」」
魂を鷲掴みされたような恐怖が店内を一瞬のうちに蹂躙した。
空気が変わった。寒くもないのに悪寒が止まらない。呼吸するのもはばかられ、体が硬直する。蛇に睨まれた蛙の気持ちとは、こうだろうか。否、捕食動物に狙われた獲物よりも、もっと根源的でおぞましい。
誰か気が付いただろうか。ネアが窓を突き破ったことで、外からの喧噪が店内に響いたのに、それがパタリッと止まっていることに。
いる。
特別な訓練も能力もいらない。
だが分かった。何か、途方もない恐ろしき存在が外にいると。
「シャオラッ!!」
「なめんじゃねぇっ!!」
パァンッと柏手を打つような音が静寂を破った。ハッと視線が向かう。ネアとパルが己の頬を全力で叩いた音だった。
「ネアシュタットルム!」
「分かってる!」
もう閉店時間だとか、事情説明だとか、周囲の視線とか、ある意味、店内の人達を見捨てるような判断だとか、そんなことを気にしている余裕はなかった。
ネアとパルには専用の〝ゲートキー〟が支給されている。ミュウと親しいというのもあって南雲家への緊急避難用だ。
ネアがそれを取り出し、パルは専用〝宝物庫〟からアーティファクトのアーチェリーを取り出し、壊れた窓際へと駆けた。
とにもかくにもウサ先輩と後輩ちゃんを逃がす。だが、〝ゲート〟の起動により〝何か〟の注意を引くかもしれない。だから、パルが時間を稼ぐ。
外の〝何か〟相手に、どこまで戦えるか甚だ疑問だ。今も死という概念そのものに纏わり付かれているような気がしてならない。外に出た瞬間、何もできずに死ぬ。そんな予感が胸の奥に湧き上がっている。
だが、それでもと己を奮い立たせ、決死の覚悟で外へ――という寸前で。
「え、あ、な、なに……?」
戸惑いの声を上げたのは後輩ちゃんだった。ともすれば叫び声を上げて、やみくもに逃げ出したい衝動にまで駆られていた心がスッと軽くなっていくのを感じたのだ。
同時に、窓から光が差し込んだ。まるで朝日でも昇ったみたいに。
「は、ははっ、マジか……」
窓から外を覗いたパルが思わず気の抜けた声を出す。それでネアも出入り口に駆けより、そっと扉を開いた。
後に後輩ちゃんが続き、更にウサ先輩も続く。店内の者達の中にも外の様子を見ようと窓枠に近寄ったりした。
そうして、目撃した。
「な、何あれ…………ぴょん」
まず目に付いたのは宙を駆ける巨大な白虎だった。夜の闇と恐怖を払った陽光の正体は、その白虎が放つ神々しい光だったのだ。
その後ろには同じく神々しい光を放つ美丈夫や種々の異形の群れが追随している。
対するのは、奇妙に歪んだ頭部と歯茎が剥き出しの人間の口を持った黒い蛇のような生き物が数十体だ。コウモリの翼にも、魚のひれにも似た翼を持ち、胴体は脈動しているように膨張と収縮を繰り返している。
あれが正体不明の恐怖を撒き散らしていたのは間違いない。
だが、その恐怖の象徴共は、迫る白虎達に対して逆に恐れを成しているように引いていく。
「現代最強の陰陽師ってやつでさぁ」
パルの言葉に「え?」となるウサ先輩と後輩ちゃん。
パルの視線を辿る。すると少しだけ見えた。白虎の背に小さな人の姿があるのを。狩衣姿の美しい黒髪の少女の姿を。
「まったく、お嬢の友人もまた規格外というかなんというか……ともあれ、トワの姉御、ひのりんの姉御。今のうちにお客さんと従業員を帰して避難しましょう」
ネアに促され、街中で唐突に起きた世界の裏であるはずの出来事に呆然としていたウサ先輩と後輩ちゃんは反射的に頷いた。
あまりの出来事に心は限界ギリギリ。
もちろん、二人は知らない。これから行く避難先のとんでもなさに更に度肝を抜かれることになるとは。ある意味、ハジメにこそ精神的に止めを刺されることになるとは、思いもしていなかった。
同時刻。別の場所にて。
地下鉄の出入り口から人が溢れるようにして出てきている光景があった。
地下鉄が運行停止し、直ぐに退去するよう求められたのである。中には駅に到着せず、緊急停止した車両から地下線路に降りて、徒歩での退去を誘導された者達もいる。
何やら先の方で事故があったとか、地下線路の一角が崩れたとか、はたまた走行中の電車が化け物に襲われたなんて、とんでもない噂が飛び交っているようだが真相は分からない。
駅員に情報を求めても相手してくれず、とにかく地上に出るよう逆に怒声を浴びせられるくらいだ。
そんな人混みの中に、
「いったいなんだと言うんだ! まったくけしからんっ」
「まぁまぁ、教頭先生。そう怒らずに。何があったのかは分かりませんが、巻き込まれなかっただけ良かったではありませんか! ハッハッハッ」
「わ、私も、そう思いますっ」
憤懣やるかたないと言った様子の、スーツに眼鏡、そして微妙にずれた頭部の男と、筋骨隆々の男、それに幸の薄そうな女性の三人組がいた。
ハジメ達が通っていた高校の先生方だ。教頭先生の和浦に、ハジメ達に身も心も変えられたマッチョ系教師の浅井、そして教頭先生のズレがちなヅラを暗殺者の如く忍び寄って直す技量が神懸かっている幸子先生だ。
お盆直前。ようやく学校でも夏季講習や部活が完全にお休みになり、先生方もお休み期間に入る。その前のお疲れ様会として教師陣でちょっとした飲み会をしていたのだ。
で、自分がいては先生方も気を抜けないだろう。特に若い先生方は。と思い、教頭先生は一足先に帰宅しようとしたところ、浅井先生と幸子先生が一緒に抜けてきたというわけだ。
なんだかんだ最も苦労を背負ってくれている、いや本当に校長先生、あんた仕事しろよ! と言いたくなるくらい代わりに頑張っている教頭先生を労うため、二次会に誘ったのである。
「だいたい畑山君はどうしたというんだ。最近は特に様子がおかしかったから、いろいろ話を聞こうと思っていたというのに……」
そう、一緒に抜けたのは愛子(分身体)もだった。ある意味、最も教頭先生に心労をかけている者として本体のためにもフォローが必要と判断してのことだ。
その細やかな気遣いが後に本体の首を絞めることになる、ということまでは頭が回らないようだったが……
ともあれ、地下鉄に入ってホームに向かう途中で愛子に異変が起きた。突然、道のど真ん中で立ち止まったかと思えば、顔色が変わり、見たことがないほど真剣な表情になり、そして、
――すみません、急用ができました! ここで失礼します!
と、これまた突然走り出したのである。
いやいや、スマホも何も使ってなかったよね。どうやって急用を知ったのよ、とツッコミを入れる間もなかった。
更には、何事かと尋ねる教頭先生達に、
――今日は真っ直ぐ帰ってください! 人の多い場所は避けて! 絶対ですよ!
と、やはり普段の様子とはかけ離れた怒声染みた声音を響かせる始末。
当然、慌てて愛子の後を追った三人だったが、地下道の角を曲がったところで見失った。数十メートルもの直線だったのに。まるで消えてしまったかのような現象に呆然としてしまったのは言うまでもない。
「ま、まるでヒーロー物の主人公が人知れず事件に駆けつけるシーン……みたいでした、ね? 友人達から離れて裏路地に入ってから飛んでいく……みたいな?」
幸子先生、大正解である。正確には飛んだのではなく本当に消えたのだが。
「む? 教頭先生、あれを見てほしいのであります」
「その軍人みたいな口調はやめなさいとあれほど……まぁ、最近はだいぶ抜けてきたようだが……」
人の流れに任せて大通りを歩きつつ、浅井先生が指さす方を見る。
家電量販店があった。いくつかの家電とテレビが外から分かるように展示されている。そのテレビにニュースが映っていた。
「ふむ? 何かの映画の宣伝かね?」
「あの、さっきから周囲の方が……」
小首を傾げる教頭先生。テレビ画面にはパニック映画さながらの映像が流れている。
幸子先生が不安そうに周囲を見やった。人々が騒然とした様子でしきりにスマホの画面を見たり、隣の人と興奮や戸惑いを浮かべながら話していた。
何か雰囲気がおかしい。
それを教頭先生も感じ取って、何か事件でもあったのかと自分のスマホを取り出す。
その直後、
「うわっ!?」
「お二人とも掴まって!」
地震だ。地面の下から突き上げるような激しい振動が伝わってきた。
周囲から悲鳴が上がり、転倒する者が続出する。
浅井先生が教頭先生と幸子先生の腕を掴み、片膝を突きながらも支える。
断続的にドンッドンッと突き上げる衝撃に、遂に周囲のビルの窓ガラスが割れて降り注ぎ始める。周囲の人達と同じように這々の体で建物から離れ、道路側に寄った。
自動車が跳ねるほどの衝撃だ。車も異常を感じて急停車し、反応の遅れた後続車が追突したり、咄嗟にハンドルを切って歩道に突っ込んだりしている。
それでまた悲鳴が重なっていく。クラクションと怒号も混じる。
とんでもない事故現場だ。騒然としていく。
「こ、これは……本当に地震か!?」
何かおかしい。教頭先生が抱いた違和感を、同じく抱いた人が多数いるようだ。
揺れ方が地震のそれにしては……あまりにも……
と、その時だった。雷鳴の如き耳をつんざくような音が響いた。
信じ難い光景だ。道路のアスファルトに亀裂が入ったのだ。そして、それが凄まじい勢いで広がっていく。大地が裂けているような光景だ。
直後、しばしの静寂。
突き上げるような振動もなくなり、人々が困惑しながらも立ち上がり、割れた道路を呆然と見やる……
――※※####***※ッッ!!
音ではない、しかし、それは絶叫だった。脳内に直接響く怖気が走る叫び。
同時に、アスファルトの地面が爆発した。亀裂部分が盛り上がり、噴火でもしたみたいに弾け飛ぶ。
そこから出てきたものを、どう表現すべきか。
一言で言えば巨大なミミズ。ただし、直径が六メートルはありそうな太さで、今、地面の下から見せている体長だけで十数メートルはある。
だがミミズの巨大化というにはあまりに凶悪な特徴があった。白っぽい体表はヌラヌラと粘液に塗れ、頭部がドリルの先端を三分割したような形で、それがガバァッと開いたり閉じたりしているのだ。
街のど真ん中に、地面を破って現れた巨大生物。
誰もが硬直して動けない。現実感がまるでなく、ただポカンッと眺めるしかない。
たとえ、巨大ミミズの怪物の出現と同時に弾き飛ばされた車両のうち、一台が運悪くも直上にあって空高く打ち上げられたとしても。
そして、その車両が歩道付近に密集している人々目掛けて落ちてきたとしても。
その直撃コースの人々でさえ視線は怪物に釘付けで。
「おぉおおおおおおおっ!!」
裂帛の気合いが込められた雄叫びが上がった。
次いでドンッと衝撃音。
ハッと我を取り戻した周囲の人々は見た。四十代の大柄な男が……いや、青年か? ちょっと老け顔なだけで? ともかく! 老け顔の青年が車両と激突している光景を。
ただし、車両は斜め四十五度の角度で、たった今、ドスンッと地面に落ちたが。
車両のフロントが凹んでいるのと合わせて、まるで青年が車両を受け止めて、そっと地面に下ろしたような光景に見えたが、そんなまさかである。
決定的瞬間を目撃したのは、死を覚悟した当該車両のサラリーマン風の男性だけ。エアバッグに埋もれて今は見えないが。
「冗談じゃないぞ。せっかくのお盆休暇だというのに……」
顔も声も引き攣っている青年は、それでも怪物を前に誰もが硬直している中、目の前の車のサイドガラスを素手で粉砕し中の男性を引き摺り出した。
その姿を見て、少し離れた場所にいた教頭先生は思わず叫んだ。
「な、永山君か!?」
「! 教頭先生……」
そう、落ちてきた車両を生身で受け止めのは〝帰還者〟の一人、永山重吾だった。
警察学校の寮に入っていたのだが、ちょうどお盆休暇で帰省していたのだ。実家の飯もいいが、警察学校の寮はいろいろ厳しいので、たまには豪勢な外食をしたいと街に出てきていたのだが……
仲間内の緊急連絡が来て、事態をよく分かっていないまま、ともかくと求められたまま仲間と合流するところだったのだ。
まさか、こんな怪物に対応しろと? いや、無理だが? と現在、冷や汗が噴き出しているところである。
教頭先生達の声に応えたいところだが、今はそれどころではない。これでも警察官なのだ。
視線を戻し、スゥーッと息を吸い込む――途中で。
「ッ!!?」
怪物のドリルのような形状の頭部が開いた。三方向に花弁が開くが如く。
その頭部がぐにゃりと動き道路の道沿いに向いた。停車する多くの車両と、そこにいる人々へ、照準を定めたみたいに。
本能がまずいと叫ぶ。総毛立つ。
だが、重吾は動いた。まだひよっこでも警察官たる者が、この場で逃げたら失格だろうと。幸いにも怪物の頭部が向いているのは重吾がいる方の道沿いだったから、
「ぉおおおおっ!!」
再び裂帛の気合いを迸らせる。拳を振りかぶり、目の前の無人の車両のフロント部分を思い切り殴りつけた。
凄まじい衝撃と反動で後部が跳ね上がる。そのまま倒立した車両は一回転して重吾の方へ倒れ込んだ。
その勢いを殺さず半ば担ぐ姿勢から、そのまま投げる。
変則的な背負い投げというべきか。凄まじい速度で飛んだ車両は見事に怪物の頭部にヒット。
痛痒はなし。あるだろうなんて甘いことは考えていない。注意が引ければ御の字だ。
その間に今度こそ息を吸い、叫ぶ。
「逃げろぉおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
現場に轟く圧倒的な声量。ビリビリッと空気が震えるほどのそれに、呆然としていた人達の意識は頬をはたかれるようにして現実に戻ってきた。
一拍、無数の悲鳴が上がり、人々が一目散に逃げ出していく。車両の中の人達も車を捨てて必死に、少しでもこの悪夢の現場から離れんと必死に駆け出していく。
重吾も駆けた。怪物の正面に向かって。
後ろから「な、永山君! 何をする気だね! 君も逃げなさい!!」という教頭先生の声が聞こえてくるが、やはり応える余裕はない。
怪物の頭部が重吾を捉える。重吾は再び車両を担いだ。今度はフロント部分を直接持ち上げて、そのエンジンルームを盾にするようにして。
直後、怪物が先程の続きを今度こそ実行した。
動作から予見していが、案の定、開いた口から何かが吐き出された。極太レーザーの如き水流だろうか。
「うぉおおおおおっ!!?」
あまりの衝撃に吹き飛ばされそうになるが、身体強化と防御スキル〝金剛〟を発動し踏ん張る。それでも止めきれず、アスファルトを粉砕しながら後退を余儀なくされる。
後続の車両に激突し、挟まれて圧迫され、普通なら挽肉になっているであろう状況でも、帰還者中随一の頑丈な肉体と魔力防壁で耐える。
「ぐぅうううううっ」
後続の車が数十台も密集すれば立派な壁というべきか。百メートルは地面を削りながら後退するも、どうにか止まることに成功する重吾。
だが、盾にしている車両は別だった。というか、ただの水流砲撃ではなかったのだ。
「ほ、本当に冗談じゃないぞ!!」
見なくても分かる。ジュワーーッという不吉な音で。腐食か酸の類いか、何にせよ、怪物の水流砲撃は対象を溶解させる効果があるらしい。
このままではまずい……と、本気で死を覚悟しかけた、その時。
「――〝止まれ〟!!」
一瞬、怪物がビクンッと跳ね、更に水流が弱まった。更に、
「おらぁあああああっ!!」
近くのビルのから飛び降りてきた青年が巨大な戦斧を振りかぶり、頭部の根元を目掛けて渾身の力で振り抜いた。
――※※※※※※ッッ!!!?
声にならぬ絶叫が轟く。
頭部の根元が深々と斬り裂かれ青黒い液体が噴出しているが、致命傷に至っていないらしい。そのまま身をくねらせ、巨大ミミズの怪物は地下へと姿を隠してしまった。
「チッ、浅かったかっ」
「相川!!」
地面を割りながら着地したのは相川昇だった。その隣に駆けてくるスーツ姿の少女は、言霊使いの柳だ。
合流する予定の仲間とは、この二人だったのだ。
対応課でも強力な即応戦力タッグだが、相手が相手だ。もう一人、欲しい。優花達は優花達でそれぞれ動いている。他のクラスメイトでもいいが……
重吾は警察官である。警察学校は未だ出ていないが、この非常時だ。避難誘導などやることは山ほどあり、警察学校の生徒であれ出動命令は下るだろう。
貴重な戦力にそんなことはさせていられない。また、帰還者として動かして召集命令を無視させるのも忍びない。なら、正式に上からの命令として対応課、つまり公安に出向させるという形にした方が都合が良い。
という昇の進言と配慮が反映された結果だった。
後日、まだ警察学校の生徒のくせに公安に名指しで「寄越せ」と言われた重吾が、教官や同期達からどういう目で見られることになるか……
それどころか、無事に警察学校を卒業したとしても「こいつ、いったい何者なんだ……」と物凄く気を遣われるだろうことは想像に難くなく。
今後の警官人生に多大な影響は免れないだろう……という点は配慮されていない。
という話はさておき。
「ってか、対応しているはずの上級悪魔はどうした? 俺達は別件対応だぞ!」
「知らん! いきなりあれが出てきて――」
「本部から通達! 悪魔は現在も地下で対応中! つまり……さっきのは別個体です!」
柳がイヤホンを押さえながら叫ぶ。あんな怪物と同じ存在が地下鉄で暴れているらしい。しかも、上級悪魔が手こずる相手。昇と重吾は引き攣り顔を見合わせた。なんとなく、自分達に要請されるだろう内容を察して。
もちろん、要請されなくてもやるべきことは変わらないのだが。
と、そこで、
「永山君! 相川君! 君達、何をしているんだね!!」
「「教頭先生!?」」
周囲の人達と一緒に逃げたと思われていた教頭先生が必死の形相で駆け寄ってきた。その後ろから、やはり切羽詰まった形相の浅井先生と幸子先生も駆けてくる。
「なんで逃げてないんです!?」
「元とはいえ我が校の生徒がいるのに逃げるわけないだろう!!」
思わず、「お、おぉ」と感嘆混じりの声を漏らす二人。というか、確かに〝帰還者〟という特殊な立ち位置だったとはいえ、南雲のような目立った生徒でもなかったはずの二人を普通に覚えているとか……
「だいたい永山君! さっきのはなんだね! 車を投げるなんて……それに相川君! そ、それは、まさか本物かね!? なぜ、そんな大きな斧なんかをっ。いや、そもそもあれはいったい……私は夢でも見ているのか……」
「お、落ち着いてください、教頭先生。俺達は、あぁ~、あれです。警察の仕事としてここに来てまして!」
「そうです。なので、民間人である先生は早く避難を」
別に嘘ではない。公安と言っても聞き馴染みがないだろうから警官と言ったが、仕事で来ているのも本当だ。保護対象なのは自分達ではなく貴方達の方だと、きっぱり告げる。
「け、警察として……なるほど。確かに永山君は……ん? だが、相川君。君は――」
こ、この人、卒業生一人一人の進路まで把握してんのかよ! と別の意味で引き攣る昇。
「昇さん、ここは私が」
だが、問答もそこまでだった。柳が〝言霊〟により暗示をかけたから、ではなく事態が悪化したからだ。
再び、地を突き上げるような衝撃。
もう地震でないことは分かっている。地下に、おそらく地下鉄に出現したのであろう巨大ミミズの怪物がアスファルトを突き破って飛び出す前兆の音だ。
同時に、
「チッ、やっぱりまだいたかっ」
「あっちが本来の担当か!」
「本部より通達! 増援が来るまで足止めせよとのことです!」
マンホールが跳ね飛び、下水道から見るからに不浄で吐き気を催す異形が湧き出した。
腐った人肌の卵形の胴体から歪な関節の脚が九本も生えている。足の先はカエルのそれで血色のまだら模様だ。乱杭歯の口からは粘液が垂れ、耳は尖っており、目は見当たらない。
それらが必死に逃げている途中の人々に襲いかかる。
重吾は咄嗟に足下の砕けたアスファルトの破片を拾い、オリンピックの砲丸投げ選手も真っ青の威力を持って投げつけた。
運良く一体に当たる。どうやら肉体自体は大した強度ではないらしい。普通に体の一部がひしゃげ吹き飛び、そのまま動かなくなる。
だが、園部優花ではないのだ。二発目、三発目は普通に外れ、そもそも数が多い。十数体が一気に襲いかかれば対応できない。
「気をつけろ、永山。戦闘力は大したことないが、奴等に噛まれるとあっという間に重病人だ。死んでから喰うのが好みらしいぜ」
「デバフ系の能力か」
既に一戦交えているらしい昇の警告が響く。
出来損ないのカエルみたいな怪物の攻撃は直ぐに死に至るものではないらしい。
実際、一噛みしては次の獲物へと直ぐに襲いかかっており、噛まれた人達も膝から力が抜けたみたいに転倒し立ち上がれなくなっているものの死んではいないようだ。体中にまだら模様が出来て青白い顔色になり、意識も朦朧としている様子なので長くは持ちそうにないが。
柳がカエルモドキの注意を引くため大きく息を吸う。言霊でヘイトを買うのだ。散らばる連中を一体一体追いかけるより、その方が処理しやすく、この戦法が有用なのは既に実証済みだから。
が、その前に再び地面が噴火した。
こちらの足止めの方が余程、骨が折れる。明らかに自分達の戦力を超えている相手だから。
だが、手傷を負わせているのだ。どうにかなる。いや、する……という意気込みは、
「「あっ」」
少し離れた道路向こうのビル、十階建てくらいの雑居ビルが半ば粉砕され、そのまま道路側にゆっくりと倒れてくる光景で折られてしまった。
そう、道路を突き破った巨大ミミズの怪物の他に、もう一体。ビルの下から同個体が飛び出したのである。
「あ……本部からです。もう一体、出現で、す」
気持ちは三人とも一緒だった。いや、遅いよ……と。ついでに、これを足止めって無理なんですが……とも。だって、最初の一体も傷が再生してるし。
ドサッと音が聞こえた。たぶん、教頭先生達が腰を抜かした音だろう。
ビルの倒壊がスローモーションに見える。時間が時間だし、時期も時期だ。ビルの中に昼間ほど人がいたわけではないだろう。だが、皆無だったということもないのではないか。
けれど、昇達に出来ることはなくて……
しかも、今度は溶解液の砲撃ではなく、最初から頭上に噴水の如く溶解液を放っての登場だ。周囲一体、根こそぎ溶かす気なのだろう。
上空に放たれた激流が重力に掴まり、四散しながら地上に戻ってくる。
「リーウ! 先生方を連れて建物内に逃げろぉっ」
「〝金剛〟でどこまで耐えられるかっ」
死の雨が降り注ぐ。覚悟を決めて、簡易の魔法障壁を頭上に張る昇と、魔力を纏う重吾。
だが、その覚悟は。
そして、逃げ遅れている人達に甚大な被害が出るだろうことへの忸怩たる思いは。
「――玄武。水気の支配を」
可愛らしい鈴の鳴るような、けれど、凄まじい覇気を感じさせる声音により無用のものとなった。
「なっ」
「雨が、停止した……?」
まるで映画などで雨の降っているシーンを一時停止しているような光景だった。地上に降り注ぐ前に、頭上数メートルの位置で水滴が全て停止しているのだ。
否、それだけではない。巨大ミミズの放水自体が止まっている。しかも、何やら苦しんでいる様子。
同時に、
「――勾陳。封殺なさい」
道路が隆起し、周囲のアスファルトも土石流のように集まって、そのまま凄まじい勢いで巨大ミミズの体を這い上り締め上げていく。
地下に戻ることもできない。それどころか口からアスファルトやコンクリートが流れ込んで行く。
「――天后。遍く病苦に浄化の雨を」
昇達の視線が吸い寄せられる。一気に状況をひっくり返した救援に。
「本部へ。藤原陽晴、ただいま到着いたしました」
ビルの屋上に、輝きを帯びた巨大な亀がいた。
その背に、狩衣姿の少女の姿が。胸の前に両手で印を結び、まるで天女の羽衣のように黒い蛇と黄金の蛇を纏っている。
その傍らには、やはり天女の如き衣装と美貌の女性が控えていて、その手が天に向けられるや再び雨が降り出した。
大亀が口を開き、停止していた溶解液が渦巻くようにして吸い込まれていく代わりに、人々に降り注ぐ温かな雨。
それは不浄のカエルモドキに襲われ苦しんでいた人々から、まだら模様と青い顔色を拭い去り、更には傷さえも癒やし、直ぐに立てるようになるほどの活力まで与えたようだ。
「二体目、参ります――」
片手で刀印を作り、それを天に掲げる陽晴。彼女自身が神々しいまでの輝きを帯びていく。
「――晴天主命 百鬼夜行 諸余怨敵 皆悉摧滅 急々如律令」
それは莫大な氣力を込めた万魔を調伏する言霊であり、同時に配下への命令であった。
清冽な陽光の如き輝きを放つ〝氣の大瀑布〟とでもいうべき力がカエルモドキのみを打ち据える。
同時に、陽晴の背後から凄まじい数の異形の集団――妖魔達が雄叫びを上げながら突進していく。
中にはマンホールへ飛び込んでいく者も。おそらく下水道にはまだまだカエルモドキが潜んでいたのだろう。
「あ、本部からです。えっと、次の現場へとのことです」
柳がなんとも言えない表情で報告してくれる。それはつまり、ここは陽晴一人で十分ということらしい。
昇と重吾は反射的に、
「「あ、はい」」
と返答するしかなかった。一瞬前までの覚悟はなんだったのだろう……と。
改めて、あの小さな現代最強陰陽師の規格外ぶりに頬が引き攣ってしまう。が、
「い、いったい何がどうなって……」
後ろから聞こえてきた震える声に、呆けている場合じゃないと気合いを入れ直す。
そして、取り敢えず教頭先生達を避難させるべく、顔を見合わせ頷き合ったのだった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。
お待たせしました。どうにか復調と思いきや眼精疲労と腰痛が……四月はなんかボロボロだ……いや、歳か……。それはそれとして、サブタイは「超下々」の予定でしたが感想欄にて妖怪だけに次回はゲゲゲというのがあったので使わせていただきました。ナイスコメありがとうございます! 当然、次回は下々々之下です。地球の防衛戦、もう少し続きますがよろしくお願いします。
※ネタ紹介
・怪物のイメージ元
黒い蛇:クトゥルフの狩り立てる恐怖。巨大ネズミ:クトゥルフのドール。映画『MIB:2』の巨大ワームのジェフもイメージ元。カエルモドキ:クトゥルフのワムプです。




