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ありふれた職業で世界最強 作者:厨二好き/白米良

第七章

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雫の本心

 中央に巨大な円柱形の氷柱を構えた大きな空間に、激しい剣戟音が響いていた。

「はぁあああっ!!」
『あら、また剣筋が乱れたわよ?』

 気合の入った雄叫びと共に、神速の抜刀術が放たれる。一瞬で宙に幾筋もの黒線が引かれるが、その鋭い剣閃は唯の一筋も相手には届かない。

 それどころか、一瞬の乱れを指摘されると同時に、縫うように伸びて来た突きによって眉間を貫かれそうになる。咄嗟に頭を振ってどうにかかわすが、こめかみを浅く切り裂かれてしまった。

「っ、“焦波”!!」

 先に受けた突きは八重樫流の刀技の一つ。故に、その突きが三段構えであることを、雫は誰よりも理解している。こめかみを裂かれ、僅かとは言え崩された体勢では回避は困難だ。

 故に、迫る閃光の如き二段目の突きが己を穿つ前に、雫は地面に鞘を押し当て衝撃を撒き散らした。砕かれた地面の氷片を即席の散弾に変えて、どうにか間合いから逃れる。

『彼からの贈り物があって良かったわね? それがなければ、とうの昔に私は(貴女は)死んでいるものね?』
「はぁはぁ……」

 揶揄するような口調で白刀(・・)を納刀する白い雫(・・・)に、黒髪ポニーテールの雫は肩で息をしながら無言のままだ。

 雫は現在、ハジメと同じく虚像の自分と戦っていた。

 相対する虚像はハジメの場合と異なり限りなく白かった。白髪ポニーテールに白磁のような肌。刀も衣服も全てが白だ。赤黒い炯々たる瞳がやけに映える。

 その白い雫はニヤニヤと普段の雫から考えられないような嫌味ったらしい表情を見せながら口を開く。先程からずっと続けられていることだ。その内容は当然、雫の負の感情を曝け出すもの。

『痛い? 苦しい? 恐い? 泣きたい? 隠さなくてもいいわよ? 私は貴女なのだから全て分かっているわ。そう、何でも分かっている』

 既に戦闘が始まって十五分は過ぎている。その間に雫の刃が届いたことはなく、白い雫は綺麗なものだ。

 対照的に、辛うじて致命傷は避けているものの体中のあちこちを浅く切り裂かれた雫は血汗に濡れそぼっている。今も、こめかみや頬から流れた血が細い顎先からぽたりぼたりと滴り落ちている。

『本当は剣術なんてやりたくはなかった。本当は道着や和服より、フリルの付いた可愛い洋服を着たかった。手に持つのは竹刀よりもお人形やキラキラしたアクセサリーがよかった』
「……うるさい」

 雫が祖父に導かれて始めて竹刀を持ったのは四歳の時だ。八重樫流という古流剣術を受け継ぐ八重樫家の当主だった祖父は、きっと戯れに持たせてみただけだったのだろう。だが、あろうことか齢四歳にして、雫は才能の片鱗を見せてしまった。

 可愛い孫が流派の才能を受け継いでいると知った祖父は、普段の仏頂面も崩して、それはもう嬉しそうに微笑んだのを雫は今でもはっきり覚えている。

 その日から、雫にとって剣術と剣道の稽古が生活の一部となった。祖父も父も、道場の皆も、すごいすごいと褒めてくれて……

 でも、本当は……

『光輝が家に入門して来たとき、王子様がやって来たのかと思った。“雫ちゃんも、俺が守ってあげるよ”だったかしら? そんなことを言われてカッコイイ男の子との絵本のような物語を夢想したわよね。彼なら自分を女の子にしてくれる。守ってくれる。甘えさせてくれる。そう思っていた。でも、ねぇ?』
「うるさい」

 ギリッと歯ぎしりしながら、雫は“無拍子”により姿を霞ませ神速で踏み込み抜刀する。空間断裂の一閃――“閃華”が白い雫を両断せんと空間そのものに軌跡を描くが、それは全く同じ軌道で描かれた白い軌跡によって完全に相殺されてしまう。

 諦めず、更に剣戟を繰り出すが、その尽くをいなされ、かわされ、受け止められて、一瞬の隙を突かれて逆に手傷が増えていく。

『光輝がもたらしたのは、貴女に対するやっかみだけだった。そうでしょう? 小学生の時から正義感と優しさに溢れ、何でもこなせる光輝は女の子達の注目の的だった。女の癖に竹刀を振り、髪は短く、服装は地味で、女の子らしい話題にも付いていけない貴女()が、そんな彼の傍にいることが、女の子達には我慢ならなかったのね。そうそう、あの言葉は今でも覚えているわ。光輝を好いてる女の子の一人に言われた言葉。“あんた女だったの?”って。ショックだったわよね?』
「黙りなさい!」

 雫の脳裏に小学生時代の苦い記憶が蘇る。その頃は稽古の為に髪は短く切り揃えられ、服装も地味なものが多く、可愛いというより美人系の顔立ちだったこともあり確かに女の子らしさというものとは縁遠かった。

 そんな雫が、小学生の頃から人気のあった光輝と一緒にいれば女子達が黙っているわけもなく、子供故の加減や容赦というものがないやっかみを受けていた。そんな中で、今でも忘れられない言葉がそれだった。外見や剣術のことはともかく、中身は女の子そのものだった雫にとっては、何より辛くショックの大きな言葉だった。

 光輝に助けを求めたこともある。だが、そんな時、光輝が言うセリフは決まっていた。すなわち、「きっと悪気はなかった」「みんな、いい子達だよ?」「話せばわかる」などだ。その言葉通り、雫に対する言動について光輝が女の子達に話し合いにいってしまい、風当たりが強くなったのは言うまでもない。それも光輝にばれないよう巧妙さを増して。

 光輝に相談しても、返ってくるのは困ったような笑みばかりで、いつしか雫は光輝に頼ることをしなくなった。

 そんな生活が小学生時代ずっと続いた。もし、入学してから出会った香織が傍に居てくれなければ、心を折られて何もかも投げ出していたかもしれない。

『本当は嫌なのに、家族の期待を裏切るのが恐くて剣術を止められず、光輝が原因で苦しいのに、悪意なんて欠片も持たない幼馴染を突き放す罪悪感から距離も置けず……本当に、貴女は優柔不断で中途半端ね』
「っ、そんなこと――っ!?」

 白い雫の剣が、“重閃”により重力を切断し雫に一瞬の浮遊と停滞をもたらした。そこへ逆手に持った鞘が横薙ぎに振るわれ、ついでとばかりに“焦波”が発動させられる。白い魔力の波紋が広がり、無防備に脇腹を晒してしまった雫は意識が吹き飛びそうな衝撃と痛みに襲われながら盛大に吹き飛んだ。

 地面に数度バウンドし、地を滑りながらどうにか停止する。

「ゴホッ、ゲホッ」

 咳き込んだ口元からビチャビチャと血が吐き出された。あばらに凄まじい激痛を感じる。明らかに二、三本は逝ってしまっている。衝撃で内臓も傷ついているようだ。彼方へと飛んでいきそうな意識をどうにか繋ぎ留める。

 直ぐには立ち上がれない雫のもとに、コツコツと足音が響いて来た。それはまるで死を知らせるカウントダウンのようで、雫は表情に焦燥を浮かべながら必死に立ち上がろうともがく。

 そんな苦しむ雫に白い雫は甘く囁いた。優しい声音で、口元を三日月のように裂きながら、まるで悪魔のように。

『もう、立ち上がらなくていいのよ? 貴女が苦しまなくても誰かがクリアしてくれるわ。そうすれば家に帰れる。大丈夫よ。ここで諦めても命は取らないから。そのまま寝ていれば、目を覚ました時には全て終わっているから』
「なに、を……」
『ただの選択よ。……もちろん、諦めないなら殺すわ。容赦なく切り刻んで上げる』

 ニッコリと怖気を震うような笑みを浮かべる白い雫。その手に持つ抜き身の白刀には、スノーホワイトが雪に垂らした血の如く、雫を刻んだ証がベットリと付着していた。見せ付けるように突き付けられた鋒からポタリポタリと自分の血が滴り落ちる光景を見て、蹲る雫の表情が青褪めていく。

 だが、次の瞬間には、キッ! と己の虚像を睨み返し、傷口から血が噴き出すのも気にせず四肢に力を込め始めた。

「ぐっ、うぁあああっ!!」
『……そう。そうよね。貴女()なら立ち上がるわよね』

 白い雫は一つ頷くとスっと目を細めて白刀を振り下ろした。それを、雄叫びを上げながら膝立ちになった雫が黒刀で受け止める。

 同時に、

「飛べ、“離天”!!」

 引き離す為の能力で白い雫を吹き飛ばしどうにか距離を稼いだ。白い雫が空中でくるりと猫のように宙返りして華麗に着地を決めたのを尻目に、雫はゆっくりと立ち上がる。

「ごちゃごちゃうるさいのよ。わけのわからないことばかり。そんな心理戦には乗らないわ」
『心理戦、ね。あくまで自分の感情を認めないのね。この年まで、そうやって意地を張って、実力で周囲を黙らせて、常に誰かを気遣って……自分が本当は誰かに寄りかかりたいって願っていることも自覚できなくなって……』
「うるさいと言っているのが聞こえないのっ!?」

 雫が、いつもの冷静さなど微塵も見えない突進を行う。戦術などない、ただ相手を黙らせたいという思いが明白な我武者羅な太刀筋が無様な剣閃を宙に描く。

 虚像は、対象の負の感情を読み取って、それを元に作り上げられたものだ。そして、曝け出されたその感情を受け入れなければ、その強さを際限なく上げていく。逆に、受け入れれば弱体化していくのだが……今の雫では前者の状態だった。

 故に、唯でさえ力を上げていく白い雫にとって、心を乱した雫の剣戟など既に児戯に等しいものだった。

 雫の渾身の技は軽くあしらわれ、逆に洗練された剣技が叩き込まれる。脇腹の負傷と内臓へのダメージ、失った血液のせいで動きが鈍くなってきている雫は、更に手傷を負わされ、それが焦燥となって募っていき、また動きが鈍くなる。完全に悪循環だった。

 そんな雫に、白い雫は更に追い討ちをかける為、嗤いながら口を開く。

『この世界に来た時もそうだったわね。本当は不安で一杯だった。イシュタルから魔人討伐を聞かされて心底恐怖した。始めて魔物を殺した夜は、誰にもばれないように涙した。肉を切った感触が消えなくて、こびり付いた血が落ちていない気がして、何度も隠れて拭っていたわよね』
「はぁっ!!」

 雫は虚像の言葉を気合の声でかき消そうとする。だが、その行為自体が、雫の拒絶を示しており、受け入れないが故に更に戦力差は開いていく。

『南雲くんが奈落へ落ちた時、錯乱する香織の慰めに全力を注いでいなければ、きっと、突き付けられた恐怖に押し潰されていたのは貴女()の方だった。明確な死を感じとったあの日からずっと、貴女は死の恐怖に、殺す恐怖に……怯え続けている』
「あぐっ!?」

 白い雫の“雷華”が炸裂し、雫の体が硬直する。その隙を突いて白の閃光が雫の首筋を撫でた。プシュッ! と音を立てて鮮血が飛び散る。

 咄嗟に己をも巻き込む“焦波”によって吹き飛ぶことで距離を取ったおかげで辛うじて致命傷は回避できたようだが、首筋に手を当てる雫の指の隙間からはダラダラと盛大に血が流れていく。頚動脈を裂かれたわけではないが、それでも首の傷だ。出血はそれなりに多い。

 明確な死のビジョンが浮かび上がり、圧倒的な恐怖と絶望が雫の心を襲い始めた。必死に抑えていた感情が漏れ出し黒刀を握る手がカタカタと震えだす。

 白い雫は、やたら赤く見える唇をスーと裂きながら、流れ出すヘドロのように粘つき澱んだ言葉を紡ぐ。

『ねぇ、貴女。あの時は嬉しかったわよね?』
「え?」

 いきなりの質問に、首筋を抑えたまま雫が呆けた表情で声を漏らした。

『南雲くんが助けに来てくれた時よ。分かっているでしょう? 貴女()の人生で一番劇的だったあの瞬間を忘れるわけがないわ』
「何を言って……」
『絶体絶命のピンチ……いえ。あの時、貴女()は確かに諦めた。全て諦めて理不尽な死を受け入れようとした。この世に、自分を颯爽と救ってくれる誰かがいる何て信じていなかった。……だからこそ、あの紅い輝きと、大きな背中、敵を敵とも思わない圧倒的な力に、貴女は心奪われた』
「ち、ちがっ……」

 決して認めたくない、認めるわけにはいかない何かを言われるような気がして、咄嗟に雫は否定の言葉を叫ぼうとする。だが、そんな抵抗は無駄だとでも言うように、白い雫は容赦なく言葉を解き放った。

『香織が殺された時もそう。自覚がないなら言ってあげるわ。あの時、この世界に来て始めて、貴女は“縋った”。南雲くんに縋り付いた。そんな貴女()に、彼は“信じて待て”と言ってくれたわ。そして、本当に応えてくれた。貴女が信じたままに、親友や幼馴染ごと貴女()の心を救ってくれた。あの時から、貴女は必死に目を逸らしていたけれど……もう、誤魔化せないわよ』
「止めて、違うわ。私は……」

 まるで幼子のようにイヤイヤと首を振る雫に、虚像は逃れようのない事実を突きつける。

貴女()は――――南雲くんが好き』
「っ……」

 雫は声を詰まらせる。首は相変わらず否定するように振られたままだ。切り裂かれた首筋から血が流れ出すも気にする余裕もない。

 なぜなら、それは絶対に認めてはならない感情だから。許されない気持ちだから。あってはならない裏切りの証だから。

 否定の言葉を放つ余力もないほど精神的に追い詰められた雫に、虚像は止めの言葉をそっと贈った。まるで手向けの花のように。

『貴女ったら、親友の最愛の人を好きになってしまったのね。――この裏切り者』
「……」

 雫の膝が折れた。辛うじて黒刀を支えに膝立ちで堪えているが、瞳からは意志の光が消えつつある。

 それだけ、己の心に突き付けられた言葉は……強烈だった。

 心というものは制御がとても難しい。完全に自分の心を操れる者など異常と称しても過言ではないだろう。それは人を好きになる気持ちも同じで、理屈で説明できないものだ。だから、雫がたとえ香織と同じくハジメを好きになったのだとしても、ただその気持ちを持っただけで裏切りというのは言い過ぎと言える。

 だが、白い雫――雫の負の感情は、心の深奥は、己の気持ちを“裏切り”と断じた。

 それは、雫生来の生真面目さと、一番辛い時に寄り添ってくれた何より大切な親友への絶えることのない感謝と好意が原因かもしれない。

 香織を大切に想う気持ちが強すぎて、ただハジメに好意を抱くだけでも許せないのだろう。まして、自分は時々、抑えきれずに様々な顔をハジメに見せてしまった。本心からの笑顔も、縋り付く情けない顔も、ボーと見蕩れる顔も、拗ねた顔も、安心しきった寝顔まで……香織の知らないところで、というのも罪悪感に拍車を掛けている理由だろう。

『しかも、貴女はシアを攻撃したわよね? それは何故かしら? どうして、ユエでも香織でもなく、シアだったのかしら?』
「わ、たしは……」
『答えは簡単。シアが羨ましかったのよね。ユエには端から勝てないと分かっているから嫉妬も起きない。いくら嫉妬しても香織に攻撃するわけにはいかない。だから、彼に恋人だと認められた、一番妬みやすい(・・・・・)彼女を攻撃対象にした。……本当に卑怯者よね?』
「っ……」

 もはや目を背けることは叶わない。眼前の敵は、それを許してはくれない。言葉の矢が突き刺さる度に、反論の言葉も射抜かれ砕け散り、手足から漏れ出すように力が失われていく。反対に、白い雫の方は溢れんばかりに力が充溢していた。

 それを証明するように、白い雫は“無拍子”で踏み込み雫の反応を許さぬまま下方からすくい上げるように蹴りを放った。

「がはっ!?」

 呼気を漏らし、かち上げられ宙に浮く雫に、篠突く雨の如き無数の剣戟が襲いかかった。無意識レベルで黒刀を盾代わりにかざすが、そんなもので全てを防げるわけもなく……

「あぁああああっ!?」

 全身を存分に切り刻まれた。絶叫を上げる雫に、更にダメ押しとばかりに鞘が叩き付けられる。まるでダンプカーに轢かれたかのように凄まじい勢いで吹き飛び、氷壁に背中から叩きつけられる雫。背後の氷壁が放射状に粉砕される。

 肺の中の空気を全て強制的に吐き出さされ、全身がバラバラになりそうな衝撃と、もうどこかが痛いのかもわからないほど刻まれた傷により、体が限界を告げた。雫は、そのまま氷壁をずるりと滑り落ちて手足を投げ出しながら氷壁に背中を預ける形で座り込む。

 氷壁にはべったりと血が付着し、地面にも血溜まりができ始めた。雫は、霞む瞳で悠然と歩み寄って来るもう一人の自分を見る。体は動かない。度重なる精神への負荷が、動こうとする意志をも萎えさせる。

『貧乏くじばかり引いてしまう馬鹿らしい人生もここで終幕。こんな結末の原因は、自分を殺しすぎたことよ、本当に馬鹿な貴女()

 雫は答えない。ただ、黙って白い雫を見上げている。微動だにせず満身創痍の見た目からは既に事切れているようにも見えた。

『最後に何か言い残すことはあるかしら? 氷壁にでも刻んでおいてあげる。ここはそれぞれの空間と繋がっているから、運がよければ自分の試練を突破した誰かがやって来て遺言を見つけるかもしれないわよ?』
「……」

 雫は答えない。代わりに、その頬に涙の雫が流れ落ちた。ただ静かに、光りの粒がはらはらと頬を伝い、ポタリポタリと膝の上に染みを作っていく。

 雫自身にも何故涙が溢れ出るのか判然としなかった。己の死を悟ったが故の恐怖からか、未来を失ったことへの絶望か、言われっぱなしで降された悔しさからか、大切な人達ともう会えない悲しさか……あるいは、その全てか。

 それを無言で見つめながら、白い雫は抜き身の刀をグッと後方へ引き絞った。半身になり、鞘を持つ手をまるで照準するように突き出す。その先は、雫の頭部だ。

 白刀の鋭さは黒刀と同じ。ならば、額を貫き痛みすら感じることなく絶命させることは可能だろう。

 にわかに高まる殺気。止めの一撃は目の前に。

 自分を照準する鋒を前にして、雫の内に何かが湧き上がる。口がパクパクと開き、恥も外聞もなくその感情を吐露しようとする。

「……ま、だ……しに、たく…ない」
『……』

 その言葉は、誰を気遣ったわけでもない。ただひたすら生を願う言葉。まだ、死にたくない。会いたいのだ。親友に、仲間に、家族に、そして、異世界の地で好きになってしまった人に。もう一度。

 でも、もう一人では立てないから。身も心も疲れきってしまったから。

 だから……

「た、すけ、て……だれ、か……たす、け、て…よぉ……」

 幼子のように泣きながら助けを求める。いつも誰かに頼られて、縋られて、そして雫は、そんな彼、彼女を常に助ける側だった。泣きながら、もうダメだ、もう立てない、誰か助けて欲しい等と泣き言を言ったことなんてない。

 本当は、“お姫様のように守られる女の子”を夢見ていたけれど、求められるままに、必要に迫られて己を磨いていく内に、その役割はむしろ騎士(ナイト)のようになった。いつしか不満もなく、そんな自分を許容していたけれど……やっぱり……

『残念。遅すぎよ。その言葉を使うにはね』

 最後の最後に溢れ出た本心は、無慈悲なもう一人の自分にかき消される。

 そして、白い雫から壮絶な殺気が放たれた。思わず、眼をギュッと閉じる雫。その額目掛けて、命を貫く白き凶刃が真っ直ぐに突き出された。

……

……

……

「?」
『……ありえないでしょう』

 いつまで経っても訪れない己の死。目を瞑った瞬間、何やら背中がふっと軽くなった気がしたが、そんな事より、今は白い雫の唖然としたような声音の方が気にかかる。

 雫は恐る恐る目を開いた。

 そこには……

「え、え?」
「ったく、どんなタイミングだよ。大迷宮側の狙いじゃないだろうな」

 皮膚に触れるか否かというギリギリで止まった白い鋒と、それを為している金属の腕があった。ギチギチと音を立てながら、見覚えのある金属の義手が背後から伸びて白刀をガッチリと握り締めており、雫への凶刃を間一髪で止めていたのである。

 同時に聞こえてきた悪態に、雫は目を見開いて肩越しに背後を振り返った。そこには、いつの間にか氷壁が消えて通路が出来ており、そこから出てきたらしいハジメが座り込んでいる雫を屈んで抱きしめるように支えている姿があった。

「な、なぐも、くん?」
「……チッ、ボロボロじゃねぇか」

 ハジメは不機嫌そうに雫を見下ろすと、ついで、白い雫を獣の如き鋭い眼光で睨みつけた。そして、その白刀を掴んでいる義手に紅いスパークを奔らせる。直後、義手が霞んだように超高速振動を始めた。

キィイイイイイイ!!

『っ、このっ』

 独特の作動音が響き渡る。同時に、白刀にビキリッとヒビが入った。唖然としていた白い雫が、ハッと我に返って刀を取り戻そうと引っ張るが……次の瞬間に、まるで握り潰されたかのように白刀は半ばから粉砕されてしまった。

 ハジメはそのまま義手を真っ直ぐ白い雫に向けると、その掌から炸裂スラッグ弾を発射した。凄まじい衝撃が紅い波紋と共に白い雫を襲い大きく吹き飛ばす。

 更にハジメは、クロスビットを取り出すとそれを白い雫へと飛ばして強襲させた。殺すつもりはない。これはハジメの戦いではないからだ。あくまで時間稼ぎである。

 距離を引き離すように、七機のクロスビットが巧み連携を取りながら散弾を撃ちまくる。その轟音を、どこか遠くの音のように感じながら、雫は自分を背後から支えるハジメの顔をジッと見つめていた。

 まるで、自分が夢でも見ているかのようで、本当はとっくに自分は殺されており、目の前のハジメは死ぬ直前に脳が見せた幻か何かであって次の瞬間には消えてしまうのではないかと恐れながら。

 そんな雫に、ハジメは“宝物庫”から試験管型の容器を取り出した。その蓋を口で開けると、ポカンと口を開けている雫の口内に遠慮なくズボッと突き込んだ。

「んむっ!?」
「吐くなよ。死ぬ気で飲み干せ」

 いきなり口の中に入ってきた異物に、目を白黒させながら反射的に吐き出そうとする雫。そうはさせじと、ハジメは、よりキツく雫を抱きしめて抵抗できないようにしながら強制的に神水を飲み込ませる。

 一瞬パニックになった雫だが、ハジメにギュッと抱きしめられ、その温もりが伝わったことで今度はビシリッと硬直した。試験管を咥えながら、至近距離にあるハジメの顔を凝視する。ようやく、これが現実で、自分が間一髪救われたのだと理解できてきたようで、まるでハジメの瞳に囚われたように視線を逸らせなくなった。

 やがて、コクコクと喉を鳴らし神水を全て飲み干した雫の体は、今までの満身創痍が嘘のように完全に傷が治っていった。ただ、既に失った血液までは再生魔法でもなければどうしようもないので、弱っていることに変わりはないが。

「本当に、南雲くんなの?」
「それ以外の何に見えるんだ?」
「で、でも、どうして、何で、ここに、私……」
「落ち着け。俺は自分の試練を終わらせて、現れた通路を進んでいたらここに出ただけだ。おそらく、それぞれの空間は繋がっているんだろうな。まぁ、八重樫の背後に出たのは出来すぎだと思うがな」
「じゃ、じゃあ、本当に南雲くんが、私を……」

 体の痛みも消えて、死を免れたと実感したのか、今度は安堵の涙をホロホロと流す。そして、抱き寄せられたまま、その存在を確かめるように、もうハジメしか見えないとでも言うように、雫はハジメの頬へそっと手を伸ばした。しかし、触れる寸前でビクッと震えると、苦しそうに表情を歪めて手を引っ込めてしまう。

 更に、ハジメに抱き寄せられていることがいけないことだとでもいうように弱々しく、ハジメの胸を押して距離を取ろうとする。溢れ出る涙をゴシゴシと袖口で擦り、顔も背けてしまった。

 明らかに様子のおかしい雫に、ハジメは虚像の自分に相当凹まされたなと察しつつ、いつの間にか折れたはずの白刀を元通りにした白い雫がクロスビットと切り結んでいるのを尻目に口を開いた。

「ほれ、体の傷は全快しただろう。リベンジマッチだ。さくっと倒して来い」
「ぁ。で、でも、私……あれには勝てなくて、だから……」

 言い訳じみたことを言いながら、縋るような眼差しをハジメに向ける雫。そんな見たことのない雫の姿に、ハジメは「凹まされるどころ心折られてるじゃねぇか!」と天を仰ぐ。光輝達四人の中で一番精神的に強いと思っていたので、正直意外だった。

 白い雫がクロスビットの隙をついて、徐々に距離を詰めてきている。ハジメが倒してしまっては意味がないので、半分くらいはパターン化した動きとなっており、それを読み取ったようだ。

 近づいてくる白い自分に雫は見るからに怯えた様子を見せた。

 らしくない。全くらしくない姿。だが、あるいは、これが本当の……ハジメは怯えて立ち上がらない雫に目を細めると、屈んで目線を合わせた。そして、至極真面目な顔で見つめ始める。

「な、南雲くん? あの、あいつが……」
「八重樫。安心しろ」
「え?」

 迫る敵に焦燥を浮かべる雫だったが、真面目な顔で真っ直ぐ見つめられながらそんなことを言われて思わず顔に血が集まってしまう。

 そんな雫の前で、ハジメはおもむろに“宝物庫”をからとあるものを取り出した。

 それは……

「さぁ、受け取れ。お前の為の“仮面ピンク・マークⅡ”だ」
「……南雲くん?」

 なぜ、ここでそれが出てくる、と思わず弱った精神も忘れて怒気を発しながらジト目になる雫に、ピンク色のやたら意匠の凝ったフルフェイス型の仮面がグイッと押し付けられた。突然出てきて本体に押し付けられている派手な仮面に、思わず白い雫も警戒して足を止める。

 それを尻目に、ハジメは仮面ピンク・マークⅡをグイグイと差し出す。

「南雲くん! ふざけてる場合じゃないでしょう! あいつが来るのよ!」
「失礼な。ふざけてなんかいないぞ。いいか、このパワーアップした仮面ピンクを被れば知覚能力が三倍に引き上げられるんだ。これなら奴にも勝てるだろう」
「ま、また、無駄に高性能な……」
「欲しくなってきただろう? これが無ければ勝てないというなら、遠慮せず受け取れ」
「いらないわよ! そんなもの付けなくても勝てるわ! というか、付けるくらいなら死に物狂いで戦うわよ! 二度も変質者扱いされて堪るものですかっ!」

 真面目顔で自慢の逸品だと力説するハジメに表情を引き攣らせながら激しく反論する雫。頭痛を堪えるように、こめかみぐりぐりする。

 その仕草も口調も普段通りのものだ。ハジメは、なおジト目を向けてくる雫にニヤっと笑うと、あっさり仮面ピンク・マークⅡを“宝物庫”にしまい込んだ。そして、キョトンとする雫に言葉を放つ。

「そうだ。お前は勝てる。こんなもん無くてもな」
「っ、わ、私は……」

 簡単な誘導に乗ってしまったことに苦虫を噛み潰したような表情をしつつ、雫は声を詰まらせた。それを無視してハジメは言葉を重ねる。

「八重樫。忘れるな。あれは確かにお前のもう一つの面だが、全てじゃない。負の感情から構成されただけの一部に過ぎない。大事な想いは、今、俺の目の前にいる八重樫雫が持っているはずだ。そうだろう?」
「私が、持っているもの……」

 雫の脳裏に溢れ出す記憶。それは、一つ成長する度に心底嬉しそうに微笑んでくれる家族のこと、光輝達と共に誰かを助けられたこと、助けた相手に心から感謝を伝えられたこと、苦しい時があったからこそ香織という親友に出会えたこと、その他にも沢山の捨てがたく、忘れがたい、優しさと温かさに満ちたもの。

 どうして、今まで僅かにも思い出さなかったのか……答えは明白だ。大迷路に足を踏み入れた時から聞こえていた囁き声によって少しずつ、意識を誘導されていたからだ。

 雫の瞳に意志の光が戻って来た。ポッと灯った光は、そのまま雫の四肢に力を流し込む。

「そうやって奴の言葉に凹めるってことは、ちゃんと向き合えている証拠でもある。碌でなしは開き直るだけだからな。後は、どうしたいか。それだけだ。お前は真面目過ぎるんだよ。もっと適当に行け、適当に。取り敢えず、生きてさえいれば後でいくらでも何でも出来るんだから」
「南雲くん……」

 ちなみに、俺は碌でなしの方だ、などと言いながら肩を竦めるハジメは、同時にクロスビットを回収し始めた。時間稼ぎは十分ということだ。

 自分を見つめる雫の視線を感じながら、ハジメは氷壁に背を預け腕を組んだ。そして、真っ直ぐに雫を見返しながら言葉を贈る。ハジメ自身、意図したわけではないが、きっとそれは雫が一番欲しかった言葉だ。

「見ていてやるよ」
「っ……」
「勝てるまで挑戦するといい。俺がいる限り死ぬことだけはない。死なせはしない。大丈夫だ」
「……それは、殺し文句よ」

 最後の言葉は、本人の耳にすら届かない口の中だけでの言葉。ハジメには当然届いていないはずだが、果たして、聞こえていたらどんな表情になったのか。雫は想像して、きっと面倒そうな表情にでもなるんじゃないかと思いクスリと笑みをこぼした。

 そして、きっと愛子先生もリリアーナも自分と同じようなものだったに違いないと思うと、こんな質の悪い男に惚れるなんて本当にどうかしていると妙におかしい気分になる。

 雫は、先程のまでの自分が嘘のように、羽の如く軽い体を跳ねさせて起き上がった。そして、ハジメからの贈り物である黒刀を一度ギュッと掻き抱くと、決然とした表情で静かに佇む己の虚像に向き合った。

 ハジメに背中を見せたまま、雫は静かに、されど、どこか甘えるような声音で尋ねる。

「……見ていてくれるのね? 私を」
「ああ」
「いざという時は守ってくれるのね?」
「ああ」
「そう。なら……行ってきます」
「おう。行ってこい」

 流れた血は補えていない。本当は、今にも貧血で倒れてしまいそうだ。だが、その足取りは、この広間に入って来た時よりも遥かに確かである。

 己の虚像と相対する。白い雫は白刀を納刀したまま静かに待っていた。

『よくまぁ、敵を前にしてイチャつけるわね? 随分といい面構えだわ』
「そう? 南雲くんのおかげね。あと、イチャついていないわ。出来ればいいとは思うけれど」
『あらあら、やっぱり親友を裏切るのね。そして、恋敵を……』
「不毛な会話は止めましょう。こんな自問自答に意味はないわ。生きて、もう一度、私は香織達に会う。全てはそれからよ」
『……』

 揺るがない雫に、白い雫は押し黙る。そして、少しずつ自身の力が弱まっていくことに気がついた。それはつまり、雫が自分の感情を自覚し、それを受け入れ始めているということで……

「ケンカするかもしれないし、酷いショックを覚えさせてしまうかもしれない。軽蔑だってされるかもね。でも、諦めないわ。私にとっての最良を手繰り寄せてみせる。何度でも挑戦するわ。絶対に諦めない」
『結局、戦う女になってしまうのね?』
「そうね。でも、十七年、そうやって生きて来たのだから今更よ。確かに、私は、色んなものを押し殺して生きて来たけれど、その結果得たものも、もう捨てられないくらい大切だわ。そして、きっとこれからも素敵なものを得られると信じることにする。……どうやら、戦う女でも、私より遥かに強い人が守ってくれるみたいだし」
『あくまで、“香織にとって大切な人だから”、なんて間接的な理由よ。間違いなくね』
「それでも構わないわよ。今はね」

 雫は、スっと腰を落とすと軽く足を引き半身となって抜刀術の構えをとった。

「私に余力はない。一撃よ。この一撃に全てを込める。凌げるものなら凌いでみなさい」
『ふふ、なるほど。素晴らしい気迫ね。本当になんてタイミングで現れてくれるのかしら。必要な時に、必要な場所にいてくれる人……そんなの物語の中だけだと思っていたわ』

 雫から発せられる何処までも研ぎ澄まされた気配。出血と精神的負荷により、既に疲労の極地にある体では、確かに一撃に全てをかけるしかないだろう。まさに、乾坤一擲となる一撃だ。

 土壇場で、まるで不死鳥の如く雫を蘇らせた壁際の男に、白い雫は一瞬、苦笑いを向けた。きっと、その呟きも雫が確かに抱いたものなのだろう。

 白い雫も同じように腰を落とし抜刀術の構えをとった。

 急速に膨れ上がっていくプレッシャー。互いに発する打倒の意志そのもので相手を斬り裂かんとしているかのようだ。冷気とは異なった、鋭く冷たい気が周囲の空間に満ちていく。

 雫の心は深い森の中の泉のように静かだった。背中に、大きな存在を感じるから。真っ直ぐに自分を見てくれていると分かるから。万一の時は、守ってくれると信じているから。

「――ふっ」
『はぁっ!!』

 踏み込んだのは同時。

 ポニーテールを流星のようになびかせた雫と白い雫が交差した。

 そして、互いに背を向けたまま数メートル先で残心する。

 と、その時、パサリと音を立てて、雫のポニーテールが解かれた。束ねていた髪紐が切れたのだ。それは剣戟によるものか、あるいは度重なる戦闘による劣化が原因か……

 緊張が静寂となって空間を満たす中、納刀したのは……雫だった。

 チンッと小気味いい音を立てて鍔鳴りを響かせた瞬間、ズルリと白い雫がずれた。体を両断されたのだ。そのまま、ゆらりと姿をぶれさせると宙に溶け込むようにして消えていった。その横顔はどことなく満足そうに綻んでいるようだった。

 直後、グラリと体を傾け崩れ落ちる雫。極度の疲労と緊張からの解放により気が抜けて立っていられなくなったのだ。

 だが、雫が硬い地面に叩きつけられることはなかった。

「お見事。相変わらず、惚れ惚れするような太刀筋だ」
「南雲くん……ふふ、そのまま惚れてくれてもいいのよ?」
「なに言ってんだ」
「あら、残念」

 ハジメは抱き止めた雫をそっと地面に下ろした。

 軽口を叩き合っていると、雫が通って来た道とハジメが出てきた道とは異なる第三の道が氷壁を溶かして出現した。

「八重樫、歩くのは難しいか?」
「そう、ね。少し休憩が必要だわ。と言っても、貧血はどうしようもないから再生魔法を使ってもらわないと、どちらにしろまともに動けないだろうけど……というわけで南雲くん、よろしくね?」
「あぁ?」
「抱っこしていってね?」
「……八重樫、何かちょっと変わったか? 遠慮がなくなったというか、図太くなったというか……」

 抱っこを要求して両手を広げる雫に、ハジメは少し困惑したような眼差しを返した。雫はクスクスと笑みを零しながら、降ろされたストレートの黒髪を楽しげに揺らす。

「もう少し素直になろうと思っただけよ。それより、早く他の皆とも合流しましょう? そうだわ。南雲くん、再生魔法の付与されたアーティファクトを作ってくれないかしら? 黒刀にも機能は組み込まれているけど微々たるものだし」

 ハジメは雫の変化に首を傾げつつ、確かにユエ達と合流するまでの間に何もないとも限らないので、回復は早い方がいいだろうと要望に応えることにした。“宝物庫”から材料を取り出している間に雫が更にリクエストする。

「どうせなら、髪飾りにしてくれないかしら? ほら、私の髪紐、切れちゃったし。可愛いのがいいわ。ユエ達に贈った、あの雪の結晶みたいに」
「……注文の多いやつだな。ほんとに、何か色々吹っ切れたみたいだな」

 文句を言いつつも「まぁ、攻略祝いでもしてやるか」と考えて、真珠のような淡い輝きを持った、魔力と親和性の高い水晶を使ったヘアクリップを作り上げた。無数の果実が連なったような、あるいは葉に並ぶ朝霧の雫のような、そんな綺麗な宝珠の連なったものだ。

「綺麗……」
「ほら。これでいいだろ? 装備したらさっさと行くぞ」

 ものの数十秒で作り上げた再生機能付きヘアクリップをしばらくうっとりと眺めていた雫だが、ハジメに声をかけられて慌ててポニーテールにする。

「……どうかしら?」

 頬を染め、上目遣いでそんなことを聞く雫に、やはり何かがおかしいとハジメは困惑を深めた。

「……ものほんの再生魔法には遠く及ばないが、問題なく肉体への再生機能も働いているようだぞ」
「……そういうことじゃないのだけど」

 もちろん、ハジメとて雫がどういう意味で聞いたのかは分かっている。ただ、何となく、このやり取りがハジメに既視感を与えたのだ。まるで、そう、愛子が【神山】で見せたあの雰囲気とそっくりのような……と。

 とぼけたハジメに溜息を吐きながらも「まぁ、仕方ないか」と肩を竦め、雫はスっと両手を差し出した。無言の、そして再度の、抱っこ要求だ。

 取り敢えず、雫がまともに動けないことは確かなので、ハジメは仕方なく“宝物庫”から重力石を取り出そうとして、雫に機先を制された。

「前みたいに磔にするつもりなら断固抗議するわ。大迷宮を出たら南雲くんを重症患者として流布してやる」
「……」

 もちろん、何の病を患っているかは雫のハジメに向ける視線の先を見れば一目瞭然だ。髪、眼帯、義手と順に視線が向けられている。

 ハジメは無言で重力石を戻した。この場合、明らかに乗せて運ぶのも却下なのだと察したからだ。あくまで抱っこがいいらしい。

 いつにない雫の我が儘に、いよいよ嫌な予感が胸中を巡る。しかし、いつまでもこうしているわけにもいかず、雫から致命傷をもらうのも勘弁なので、仕方なくハジメは雫の眼前で背を向けながら屈んだ。

「むぅ、お姫様抱っこが良かったのだけれど……仕方ないか」

 何が仕方ないだ、というツッコミは心の奥底に封じ込めて、背中にかかる重みと伝わる柔らかな感触を極力無視しながらハジメは腰を上げた。途端、回した腕をギュッと絡めてくる雫。体もこれ以上ないくらい密着している。

 ハジメは、立ち上がると無言のまま新たに出現した通路に入り黙々と歩き始めた。きっと、また誰かの空間に繋がっているのだろうと推測しながら。

 そこに、囁くような声がかかる。迷宮の囁き声ではない。もっと甘さを含んだ雫の声だ。ハジメの肩に頭を乗せるような姿勢で、耳元に語りかけているのである。

「ねぇ、南雲くん」
「ん? なんだ?」
「私ともう一人の私との話、聞いていた?」
「いや、距離があったし、お前らの声も小さかったからな」

 雫の質問にハジメは首を振る。雫は、「そう……」と呟くと、少し何かを考えるような素振りを見せた。そして、ハジメの眼前に掌を向けながら再び口を開いた。

「この手、剣ダコだらけでしょう? やっぱり、女の手じゃないって思うかしら」

 ハジメは質問の意図が分からず訝しむような表情になったが、取り敢えず目の前にかざされている雫の掌に視線を向けた。確かに、掌の皮は厚く硬そうに見える。何年も何年も己を磨き続けた証だった。

「柔らかく、傷一つない手を“女の手”と言うなら、確かにそうは見えないな」
「……」
「だが、いい手だと思うぞ」
「……本当?」
「ああ。箸より重いものは持てません、何て奴の手より遥かに綺麗な手だ」
「……」

 その言葉に、雫は掌を晒しているのが急に照れくさくなったのかキュッと握り拳を作って隠してしまった。同時に抱きつく腕の力が強くなる。

「南雲くん、助けに来てくれてありがとう」
「別に、助けに来たわけじゃないんだけどな。たまたまだ」
「ふふ、もう一人の私が言っていたわ。まるで物語のようだって。オルクスの時も、王宮の時もそうだった。タイミングでも計っていたんじゃないの?」
「馬鹿言うな。毎度、ギリギリ……いや、香織の時はある意味手遅れか。とにかく、心臓に悪いことこの上ない。もっと余裕が欲しいっての」

 うんざりした表情で返すハジメに、雫はクスクスと笑みを零した。

「私ね。中身は結構乙女チックなのよ。本当は剣術より、おままごとをしていたかったし、格好良い男の子に守られるお姫様なんかに憧れていたのよ。【ハルツィナ大迷宮】で夢の世界に引き込まれた時なんて、自分をお姫様にして騎士との恋物語を体験していたくらい。流石に、我ながら痛々しくて、とても皆には話せなかったけれど」
「確かに、痛いな」

 雫は苦笑いしながら素直で容赦ない感想を漏らすハジメの頭を「オブラートに包みなさい」と小突いた。

「まぁ、何が言いたいかというとね。そんな私だから、危ない時に何度も駆けつけて助けてくれた南雲くんには凄く感謝しているってこと。見守ってくれるっていう言葉も、死なせないって言葉も、本当に凄く嬉しかったわ」
「……大げさだな。八重樫を死なせたら……」
「香織が悲しむ、でしょ? 分かっているわ。私の為じゃなくて、香織の為ってことくらい」

 雫はハジメの言葉を先取りする。そこに卑下するような色はなかった。本当に、ただ事実を語っているような、あっけらかんとした雰囲気である。

 ハジメは、確かにその通りではあるのだが「香織の為なら何でもするんでしょ?」とまるで見透かしたように話す雫に不服そうにしながら若干の訂正を入れた。

「……八割はな」

 雫はキョトンとする。八割くらいが香織の為だと言うなら……

「残りの二割は?」
「まぁ、八重樫はいい奴だからな。積極的に見捨てようとは思わないさ」
「……」

 意外にも、ピンチであれば積極的に手を差し伸べようと思えるくらいにはハジメの内にいるらしいと分かり、雫の頬が少し熱を帯びた。

 そして、ハジメの首筋に顔を埋めながら、自身の親友の如くさらりと爆弾発言を落とした。

「南雲くん、私、早く香織に会いたいわ。香織だけじゃなくてユエやシア、ティオにも会いたい。それでね、南雲くんを好きになったって言うわ。どうなるかわからないけど、もう少し素直になってぶつかってみる」
「そうか。それなら、はや…………………………おい、八重樫、今、お前」
「南雲くん、少し…疲れた、わ。ちゃんと…守って……ね」

 ハジメの耳元に、すぅすぅと寝息が聞こえ始めた。どうやら、ハジメに身を預けて眠ってしまったようである。爆弾を落とすだけ落として、その後放置する手腕は彼女の親友そっくりの所業だ。

 ハジメは眉間に皺を寄せると、雫を抱え直しながら黙々と歩き続けた。内心「どうしてこうなった?」と頭を抱えながら。

 雫の頬がりんごのように真っ赤になっていることには気がつかずに……

いつも読んで下さり有難うございます。
感想・意見・誤字脱字報告も有難うございます。

今回の話、ハジメの登場シーンについては改稿するかもしれませんので、この展開がお気に召した方には、あらかじめお知らせしておきます。
いくらなんでも、真後ろに出るのはご都合主義すぎかなぁ、と。
でも、刃を掴んで止めるという展開は捨てがたいので、まだどうするかは決めていません。

さて、書籍化報告の後、沢山のおめでとうコメントを頂きました。
本当にありがとうございます。本当に有難うございます。
書籍化作業はありますが、更新ペースは落とさないようにします。
また、ダイジェスト化もないと思います。
それでは、これからも本作品をよろしくお願いします。
皆様の良き厨二ライフがあらんことを。

次回の更新も土曜日の18時予定です。
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