第九十三話 招かれざる客
夜にも関わらず、煌びやかな光で包まれる会場の中。
数多くの貴人たちが集い、グラス片手に彼らが談笑している姿や、中には年若い男女が頬を染めて恋の駆け引きを上品に楽しんでいる姿も見られる。
その中でも、一際異彩を放ち、会場中の意識がさり気なく注がれている人物が居た。
――リドウである。
リドウは現在、とある国の舞踏会に参加していた。
事の起こり、というほどご大層な経緯があったわけではなく、先日ベアトリクスから頼まれたからだ。
どうも、リドウがバル・ガイア王国の舞踏会に参加した話が、各国に知れ渡ってしまったらしい。
すると、何でバル・ガイア王国だけなのだ、不公平だろう、と各国は言い出した。
これに困ってしまったのは、何を隠そうベアトリクスだった。何せ『月紅卿』の窓口として諸各国に認識されている彼女であるからして、彼らの文句の矢面に立たされる羽目になってしまったのだから。
別に、『抗議』という程にまで明確な非難の声ではなかったのだが、二件、三件と続いていく内に、ベアトリクスもいい加減、面倒臭くなってきた。
戦後、彼女ばかりが連盟司令官の権力を利用して月紅卿とよろしくしやがって、と言われないためにも、あまり無下にし続けるわけにもいかない事情もあった。彼女がリドウと親しくしているのはそれ以前の話なのだが、嫉妬心にそんな事情は関係ないのが人の世の常である。
そこで彼女は一計を案じた。月紅卿とのコネクションを望む諸各国全てに彼を送っていられる余裕は無いので、我が国アレスブルグにて舞踏会を開催し、諸兄らを招くから、それで満足しろ――といった感じに。
そもそも、月紅卿の協力を速やかに取りつけたのは、全て彼女の手柄なのは各国の要人も知っているので、多少の便宜を図ってやれば、それ以上の強弁を許さずに済むだろうという、ベアトリクスの思惑だった。
ベアトリクスから頼まれた際、もう二度とそんな催し物には参加すまいと心に決めていたリドウは全力でお断りした。
がしかし、ベアトリクスは実にイイ笑顔で――『貸し』を持ち出してきた。このままでは自分の業務に支障を来たしかねず、教会全体が迷惑を被ると主張して。
それを持ち出されると否とは言えないリドウであった。ひとたび『借り』とした以上、その内容は余程の馬鹿げた話でもない限り、受けないわけにはいかない。それは無法者が背負うべき絶対の掟なのだ。
リドウの了承(本当に渋々だった)が得られると、ベアトリクスは国に伝達魔法でその旨を報せた。
彼女には教会での仕事があったため、舞踏会の準備は兄に全面的に一任した。更に、リドウの転移魔法のおかげで移動の心配は無いという寸法だ。おかげで彼の方は、アレスブルグ王国がガーラホルン自治領とは結構な距離があったため、自分と彼女で二人も転移させたせいで、現在は魔力がほぼ半減という有り様だったが。
(……これだけの魔法行使はかなり疲れるんだぜ、レディ)
内心でベアトリクスへ愚痴る。苦痛や疲労など、『敵を喜ばせる』ような感情は決して表に出さないように教育されているせいで、こんな時でも無意識に平然としてしまうからなのか、どうも彼女には過大評価されている気がしてならない。自分も一応人間なんだがなと、ため息まじりにぼやくリドウである。
ラクセスはお留守番だった。この長距離を三人も転移となると魔力を殆ど使い切ってしまうため、常に最低限は対処できる余裕は残しておきたいバトルジャンキー的思考によって、そういう選択になっていた。
もっとも、彼女本人も、そんな煌びやかな場はあまり好きではないらしく、無理して出席しても、どうせ愛人勧誘で鬱陶しいだけだと考えて、どちらかと言えば自ら辞退していた。リリス教の貴族たちだって、生活に余裕のある裕福な連中は愛人の一人や二人、さして珍しくはない。
リュリュも、メンドくさいと言って不参加だった。
ちなみに、参加しているのはこのアイルゼン大陸の貴族たちだけだ。そんな大人数に教会の転移装置を使用させるべくもないし、それなりに地位のある連中が参加すると思われるのに、彼らに大陸を渡らせていられる時間的余裕までは、この戦時下では流石に存在しなかった。
そんな状況で勢力争いの舞踏会なんて良くぞやっていられるものだという意見もあるだろうが、政治の世界なんてそんなものだ。どんな状況でも自国の利益を考える事ができない政治家などゴミクズである。世界情勢を優先する無欲さがある貴族でも、次に考える事は自国の繁栄でなくてはならない。そして、現在はまだ、“ある程度は”自国の利益を考えていられる余裕の介在できる状況下なのだ。あまりワガママを言いすぎると周辺諸国から白い目で見られてしまうだろうが、そのボーダーラインの見極めこそが、為政者にとって最も必要とされる技能の一つでもある。
リドウがベアトリクスを飛び越えて直接「世界全体とてめぇの国一つ、どっちが重要なんだ?」とでも綺麗事で恫喝してしまえば済む話ではあったが、少しは相手の事情だって考えてあげなくてはならない。でなければ余計な反発を産むだけだ。
お陰様で、リドウはいずれ、主要五大陸の他の四大陸の舞踏会にも行かなくてはならない義務が発生してしまったが、そこは彼も既に諦めている。全ては自分の行動が招いた不徳なのだと割り切って……。気分的には『行く』と述べるよりも『逝く』に近い感じだったが。
黙っていても寄ってくるお嬢様方を失礼にならない程度に笑顔であしらいつつ、リドウはとにかく一服して休憩しようと、テラスへ足を向ける。
ちょうどその時、会場内が一斉にざわつく。
何だと思い、貴族たちの意識が向く先をリドウが見てみれば、最奥の扉から現れたのは二名の男性と三名の女性。本日の舞踏会のホストであるアレスブルグ王家御一行であった。王は体調を崩しており、本日の舞踏会には不参加とあらかじめ通達が出ている。
長男にして第一王位継承者と思しき男も、ベアトリクス曰く病弱という話だったが、一見して覇気と自信に満ち溢れた風情は、とてもそんな風には見えない。まだ二十代だろうが、既に『王』と呼ぶべき貫禄を全身から発している美丈夫だ。
その横に立つ次男も、これまた凄い。白皙の貴公子という形容がピッタリで、物静かで優しげな雰囲気が自然と醸し出されているだけでなく、妖しく光る緑と青のオッドアイが非常に印象深い。なるほど、家系的に遺伝子に疾患が出易いらしいが……愛奈辺りが見ていれば、銀髪オッドアイとかちょっと厨二心が溢れる容姿だなー、とか苦笑いしていたかもしれない。長男王子やベアトリクスを見る限り、元々髪色は灰系統の家系で、オッドアイにしても本人がそう望んだわけでは断じてなかろうが。
二人とも、実妹のような先天性色素欠乏症というわけではなさそうだった。でなければ、ベアトリクスのような闘気持ちでもない限り、表舞台に立つ仕事など、とてもできたものではなかった事であろうが。
女性陣の内二名は、彼らの奥さんたちだ。これまた美人なのは言うまでもない。
そして残り一名の女性は、当然ながらベアトリクスである。
しかし、その格好がまたド外れている。男性の騎士がこのような舞踏会で着用する正装なのだ。ベリーショートな髪型と相まって、完全に男装の麗人である。
リドウは、近くのご令嬢方がクラウンディ家御一行の登場に沸いて、うっとりと「お素敵ねぇ」といった賛辞を零している中に、ベアトリクスの名前が確実に含まれている事に気づいて微かに笑う。
「まあ! ベアトリクス様よ!」
「お婿様をお探しに旅に出られてしまってから、こうした場でお見かけできなくなってしまって嘆いていましたけれど、こうしてまたベアトリクス様を拝見できるなんて、私たちったらとっても幸運ね!」
「ああっ、何度拝見しても、女性にしておくのが勿体ない方ですわね!」
――と言った具合だ。普通、並外れて美しい容姿をした同年代の女性貴族など、彼女たちにとっては嫉妬と怨念の対象だろうに、ベアトリクスの場合はちょっと事情が違うらしい。
王家御一行がご登場となれば、リドウも流石に無視して一服しに行くわけにもいかず、自ら彼らの方へ近づいていく。
彼は本日の主役の一人なので、並み居る貴族たちも勝手に道を開けてくれる。
リドウの接近に気づいたベアトリクスが、手振りで兄たちに彼の存在を示す。
彼らはリドウを前にしても堂々たる風格を崩さない。もちろん、リドウ自身も位負けなんて全くしておらず、それぞれにタイプの違うハンサムさんたちの向かい合いに、ご婦人方がぽーっとしているのは予定調和というものか。
そんな中、リドウが率先して手を差し出しながら挨拶する。
「お初にお目にかかる。俺はリドウだ」
「俺はラファエル。好きなように呼んでくれ、リドウ。いや、リクシーから散々聞かされてたが、本当にちょいと目を見張るくらいの色男だな」
長兄のラファエルは陽気に応えながらリドウの手を取ると、いきなり笑みを深め、彼の肩に手を回し、こっそり耳打ちの体勢を取る。
リドウはなすがままにされている。この男は“気を入れて”いれば自動迎撃装置は働かないため、周囲に見知らぬ人間が大勢いたおかげで、適度に気を張っていたのが良かった。気を抜いていたら、本能に染み付くまで叩き込まれた自動迎撃装置が勝手に作動していたところだ。気を抜いている時とそうでない時の反応が常人とは正反対を行っている辺り、色々な意味で危険すぎる男である。
「今度一緒に歓楽街に行こうぜ。お前と俺が一緒なら、お水のおねーちゃんたちが入れ食い」
「レイ……?」
「な、何だい我が愛しの君? そ、そんな怖い顔して……」
さっきまで仲が良さそうに腕を組んでいた細君が、決して笑っていない笑顔を作っているのに気づいて、ラファエルは引き攣った笑みでリドウから離れ、細君を優しく抱き寄せる。
さり気なくリドウの隣まで来たベアトリクスが、表情を緩めながら話し掛ける。
「レイは昔からヤンチャでな。十五になる頃には学友たちと一緒になって、二日と開けずに城を抜け出しては歓楽街にお忍びで遊びに行っていたらしい。今でも歓楽街じゃそこそこの顔らしいぞ」
「それでいいのか? ご落胤騒動でも起こされちゃたまんねぇだろ」
「そこら辺は上手くやっているようです。結婚してもう七年になりますが、あれであの二人は本当に仲がいいのですよ。レイは身分を気にせずに馬鹿騒ぎがしたいだけで、ご婦人との逢瀬が目当てなわけではありませんしね。まあ、若い頃はかなり派手にやっていたらしいですけど、今ではああやって、エルに焼き餅を妬いてほしくてやっているようですし」
丁寧な口調でそう言ったのは、次兄の銀髪オッドアイだった。ちなみに『エル』とはラファエルの奥さんの愛称だそうな。
彼も細君から腕を外し、リドウの前に立つと、握手を交わす。
「メリクリウスです」
が、その手にギリギリと力が込められているのにリドウは気づく。正直、華奢な見た目通りの力しか持ち合わせていないらしいメリクリウスにそうされても、リドウにとっては蚊ほどにも感じないが、なぜいきなり挑戦されているのかと訝しげに目を細める。
と、メリクリウスが笑顔のまま、少しだけ顔を近づけてきて、底冷えのする声で言う。
「リクシーを袖にし続けるとは、貴様は本当に男の内か? リクシーに何の不満があると言うのだ?」
……メリクリウスはシスコンだったらしい。口調もいきなり変わっている。どうもこの兄弟、二人揃って、相手や場面によって口調を切り替える癖があるようだ。
「レックス、止めてくれ」
「しかしな、リクシー。僕はまだ言い足り」
「レックス、いつまであたくしを放っておくのかしら?」
困り切ってしまっているベアトリクスを助けてくれたのは、メリクリウスの細君だった。
メリクリウスは一瞬押し黙り、周囲には気づかれない程度の、しかしリドウにはキッチリと聞こえる大きさで舌打ちを鳴らしてから、奥さんの元に戻って行った。
「お見苦しいところをお見せ致しました、月紅卿。うちの人はたまに目を開けながら寝言を仰る時があるの、お気になさらないで下さいな。私はエルネシアよ」
「あたくしも、夫に代わり謝罪致しますわ。夫は先祖返りでもしているのかと疑いたくなるくらい、リクシーを溺愛しているものですから……精々無視してやって下さいまし。あたくしはキュリアンです」
旦那二人は奥さんの暴言に対して小声で何か言っているが、堂々と言い返せないあたり、少しは自覚があるらしい。
男二人の奥様方によるぞんざいな扱いに、リドウは若干面食らってしまったが、表面上は自然に応じられた。
「あー、お二人さんの事は何と呼べばいいのかな?」
二人とも『クラウンディ夫人』であるだろうし、かと言ってファーストネームはまずかろうと気を遣ったらしい。
「正式にはエルネシア・ドナシー・クランですので、失礼ながら、このような場ではエルネシアを避けて頂ければと存じます」
「あたくしも、キュリアン・グエン・メリッシア・ジェンですので、右に同じくお願い致しますわ」
「なら、レディ・クランとレディ・ジェンで」
「冒険者出身のハイエンドは往々にして、そこら辺の事情をご理解されずに我々の世界にお入りになってくるとお聞きしますけれど、“噂通り”とても礼儀正しい方で、安心致しました」
リドウはベアトリクスのように、『リリス教国家における特殊階級に照らし合わせた常識的な呼び名』で彼女たちの呼称を決定すると、彼女たち自身も笑顔と共に、感謝を示した。
二組の兄夫婦は、それきり左右に散って、招いた各国の要人たちに挨拶しに行ってしまった。
それを機に、リドウはベアトリクスに小声で話し掛ける。
「……変わった兄弟だな」
「あなたにだけは絶対に言われたくない台詞、三本指だと思うが……」
ベアトリクスが少し嫌そうな顔で抗議するが、リドウは「そうかな?」と首を捻っているだけなものだから、彼女はちょっと可笑しくなって、珍しくふふっと自然に笑顔を作っている。
「まあ確かに、あまり王族っぽくないと、よく言われる……私も含めてだが。我が家は皆、いつまで生きられるか判らない事情を抱えた人間が多いから、最低限の義務さえ果たしているなら、あとは人生を目一杯に楽しめと、できるだけ奔放に育てられるのでね、そのせいでどうにも自由人になってしまうらしい」
「ふ、ん」
リドウはあまり興味無さそうだった。他所の家の教育方針など、自分が口を挟む問題ではないと思っているのだろう。
「それより何なんだ、その格好は?」
「何か可笑しいかな?」
呆れ顔のリドウの言葉を受け、ベアトリクスは疑問の表情で自分の格好を見下ろす。
「舞踏会なんだから、もっと目に楽しい格好してこいよ。せっかくの美人が勿体ないぜ」
こういう台詞をさらっと言えるのが月紅クオリティ。
まさか、こうも単刀直入に“自分を”褒めてくるとは思っていなかったベアトリクスは目をぱちくりさせていたが、やや困った感じの顔になる。
「それは……失敗したな。社交界に出るようになってから、私はいつも騎士礼装だったものだから……と言うか、ほぼ二年ぶりの社交界で、あの通り――」
と視線で、自分とリドウのツーショットを、熱に浮かされた様子で眺めているご婦人方をベアトリクスは流し見た。
「――ご婦人方のご期待を裏切るわけにも、な」
「女にモテてどうすんだよ、あんた」
リドウは、自分だけでなく、ベアトリクスまでもが、明らかに男たちよりも女たちの注目を集めている事実に気づいて、面白そうに笑う。
「私みたいな貴族令嬢はたまに居るんだが、どういうわけか、一般的な貴族のご婦人方には、私みたいなタイプは受けがいいんだ。きっと、彼女たちとは“競い合うべきテリトリー”が違いすぎて、競争相手としての比較対象にならないからなんだと思うが……剣姫ルミナリア殿も女性ファンが多かったと聞くぞ」
今なら『剣姫公』と呼ばなければならないかなと頭の片隅で思いながら、
「私も彼女たちに挨拶してくるから、終わったら踊ってくれ。もちろん、あなたが男役でね」
と悪戯っぽく笑いながら言って、ベアトリクスはご令嬢方の中へと優雅に歩んで行く。
それからのベアトリクスは、まさに『お見事』の一言に尽きた。
元から彼女に見惚れて熱に浮かされていたご令嬢方に、彼女は挨拶代りに相手の頬を撫でながら、もう片方の頬へ唇を触れさせる。
彼女たちは夢見心地といった様子で、くらくらと崩れ落ちそうになるのを何とかプライドで持ち堪えているといった感じに、リドウからは見えた。そんなご令嬢方が次から次へと量産されていくのだ。
「……すげぇたぶらかしっぷりだな、おい」
散々、女タラシ云々と言われてきた覚えがあるが、自分よりも余程、ベアトリクスの方が遥かに上等な女殺しではないかと、リドウは思わざるを得ない。別に女タラシっぷりを勝負しようだなんて微塵も思わないので、感心するだけだったが。
そんなリドウも、王家御一行が離れて行った途端に、再びご令嬢方に囲まれてしまった。
彼女たちは、ベアトリクスのやり口をちらちらと窺がいながら、期待に濡れた眼差しでリドウを見上げている。
(……俺にもあれをしろと?)
その視線の意味を確実に理解したリドウ。正直、ほっぺにちゅー、なんて挨拶くらいにしか思っていない男だったが、侍女長からは――国や地域によってはかなり重い意味を持ちますし、立場のあるご婦人方にもあまり気安くし過ぎてはいけませんよ――と教えられていたし、“自分を狙いにきている”女どもに迂闊な口実を与えるわけにもいかなかったので、取り敢えずダンスでもしておくか、という選択肢を取った結果……
結局、女心を見事に殺しまくるのであった。
貴族にとって、言い方は悪いが、『下賎の民』との付き合いは非常に抵抗感が強い。それはルスティニアのリリス教国家でも同様だ。
それを、お高く留まりやがって、とか、何様のつもりだ、とか思う人は多いだろう。人によっては、そうした貴族が零落れる姿を見て「ざまあみろ」と溜飲を下げる者も居るだろう。
だが、ちょっと考えてみて頂きたい。
いきなり自分の目の前に、いかにもヤクザですという見た目のイカッツイ男が現れたとする。実際に職業もヤクザな男で、言動も非常に粗暴な雰囲気だ。
その男を見て、即座に仲良くなろうと思えるだろうか? それどころか、ヤクザなんて不道徳な人間め、と見下す気持ちを持ったりはしないだろうか?
だがもし、その男は確かにヤクザだが、彼は殺人も薬物も少女売春にも一切手を染めず、それどころか弱い者虐めを大いに嫌い、法律はしっかりと守って生きているとしたら? どこに見下すべき理由が存在するのだろうか……。ただ、職業は分類上、確かにヤクザなのだ。
貴族には貴族の暗黙の了解があり、互いに接する上での距離感というものがあるのだが、それを知らない人間というのは、何の躊躇も無く、完全に無意識で、貴族が重要視する暗黙の礼儀を侵そうとする。そういう人間とはどうしても付き合いづらいのだ。もちろん、血統至上主義でそんな理由以前に、頭から見下してかかる貴族だって少なからず居るのも否定はできないが。
これも一つの『価値観の違い』だ。
平民として育ってきた人間は、その境界線を知らずに侵しておきながら、「何でそんな事で文句を言うんだ? 傲慢だな」と思う。逆に貴族も、「どうしてこの程度の礼儀が理解できないのだ?」と不満に思い、時には見下す。
どちらも、『自分にとっての常識の中で育ってきた』せいで、相手の『自分にとっては異質な常識』がとても理解し難いのだ。
その点リドウという男は、義兄の(悪)影響で普段はざっくばらんな立ち居振る舞いをするが、そうなってしまう以前はむしろ、完璧な貴公子たれ、と侍女長から躾けられていたせいで、貴族然とした立ち居振る舞いが何の無理も無くできてしまうし、自分が知らなかった事柄であってもすぐに合わせてしまえるだけの、優れた観察眼と柔軟な姿勢を持っている。そのおかげで、エルネシアが言ったように、貴族たちにとってはとても付き合い易いのだ。
もちろん、ハイエンドの至天だから、多少は大目に見るべきだという補正が入っているのは否定できないが、その補正分でぞんざいな口調が相殺されているようだ。
貴族のご婦人方の間で『月紅ファン』が急増している理由の大部分は、魔物討伐に出た折、最低限の礼儀として、リドウも訪れた国の宮廷には必ず一言挨拶をしに出向いていたのだが、その際に、ごく短い時間ながらも接したご婦人方が、一見粗野に見えても驚くくらいに礼儀作法のしっかりした方だった、と容姿と共に喧伝してくれている、という原因があったのである。
それがエルネシアの言った“噂”の内容だった。
リドウとベアトリクスの二人により、腰砕けなご婦人方が量産されたその後、二人は約束通り、ダンスと洒落込んだ。精悍な美男子と男装の麗人の華麗なダンスは数多くの貴族令嬢たちに熱の籠った吐息をつかせたそうな。
更にその後、二人はご婦人方から次々とダンスを申し込まれては、そつなく消化していった。
リドウがお相手仕ったご婦人方の中には、ラファエルやメリクリウスの奥様であるエルネシアとキュリアンの姿もあった。……念のため明記しておくが、この程度で浮気とか思われる方は居ないと信じている。というか、本日の主賓の一人であるリドウと、主催者側の人間にして、同時にこの場でも最高位に近い地位にあるご婦人方が一度も踊らないなんて“常識的に考えて”有り得ない。
そして今、リドウはちょうど、キュリアンと踊っていた。
「とてもお上手ですわ。どなたにお習いになられたので?」
「母と姉が厳しくてね」
「とても優れた教養をお持ちのお母さまとお姉さまですのね」
「ああ。自慢の母と姉だ」
リドウの正体についてはキュリアンも非常に気になっていたが、彼女はふんわりと笑うだけで、それ以上に突っ込んで訊ねる事はしなかった。迂闊に踏み込んではいけない一線、その見極めができるのも、優秀な貴族に必要とされる資質だ、少なくともルスティニアでは。
しかし、そういった感覚を身に付けていない平民、あるいは素人とも言い換えられるが、彼らの多くは、それを理解せずにずけずけと踏み込んで行くくせに、相手の機嫌を損ねれば「何だよ、このくらいで、心が狭いやつ」と平然とぬかす。だからなかなか相容れないのだ。
ダンスが終わった後の、男性が女性の手の指先にキスをするのは、ルスティニア社交界における慣例である。
そつなく跪いて優雅にこなすリドウを見下ろしながら、キュリアンは言う。
「もう少し若ければ、あたくしも、あの可愛らしいお嬢様たちと一緒になって、はしゃいでいたかもしれませんわね。とても素晴らしかったですわ」
「光栄だ、レディ」
キュリアンもまだ二十代半ばと全然若いが、彼女の台詞を意訳すれば「旦那と出会う前にあなたと出会っていたら、自分もその気になっていたかもしれないわね」である。
女性が自分の年齢を卑下するような台詞を言った場合に返すべき「あんただってまだ若くて美人だろ」という台詞がリドウの口から出てこなかったのも、キュリアンの言葉の意味がそのままの意味では全くないと察せたからこそ、最も的確な台詞を返せたのだ。この場合に上記の「あんただって~~」なんて、むしろ教養の浅さを露呈する最悪な返しだった。
そうした、言葉の裏に隠された真意を読む能力の高さも、キュリアンはまた気に入ってしまった。
「貴兄に姉と呼んで頂ける日が訪れる時を心待ちにしておりますわね」
「それはちょっと難しいな。俺には貴族として生きる事はできねぇよ」
「それはリクシーの頑張りに任せますわ。ただ、あたくしたちは誰も、貴兄が我らの一員に加わるのを厭うていないという事実だけはご存知でいて頂きたいと思いますの。もちろん、我が夫メリクリウスもです。リクシーを溺愛しているだけで、彼も決して貴兄を嫌っているわけではございませんのよ」
「分かってる」
リドウはキュリアンの手を上品に引いて、そのメリクリウスの元まで彼女を連れて行く。女性と踊ったら、その女性の本来のパートナーに、借りた女性自身を返しに行くまでが、ダンスの心得である。
それをしなかったらどうなるかと言えば……「お前のパートナーはいずれ自分が貰うぞ」と、暗に喧嘩を売っていると判断される事になる。
「奥方をお返し――する」
メリクリウスへ向けて言った時だ、リドウは一瞬、不自然に固まった。
が、それは本当に一瞬の出来事で、リドウはすぐに自然な態度でキュリアンをメリクリウスへ促した。
が、ベアトリクスをして優秀と断言するのがメリクリウス=ファン・クラウンディという二十五歳の男であるからには、訝しげに眉をひそめてリドウを見ている。
「“適当に”聞いてくれ」
突然、リドウは表面上、柔らかい笑みを浮かべて、まるで世間話で盛り上がっているかのように装って、そう言った。
リドウの言葉の意味を正確に理解したメリクリウスは、自分も瞬時に笑顔になった。
「ええ。どうかしましたか?」
「監視されてる」
と言われて、メリクリウスはさり気ない仕草でほんの一瞬だけ視線を這わせるが、数多の人間が居るこの会場内で玄人の監視を見極めるなど、彼にはできなかった。
「会場の中にはいねぇ。俺の背後、十時方向の窓の外から、直線でおよそ五百メートル地点。性別は不明だが魔道士、腕前の方は少なからず超級と思った方がよさそうだ」
メリクリウスは内心の冷や汗を類希な演技力で誤魔化し、平然を貫く。
「現在の状況下でこのクラスの使い手となると、相手は自ずと知れるだろ。俺は対処につく。会場の人間には適当に誤魔化しておいてくれ」
「待て」
会場の外へ向かおうとするリドウを、メリクリウスが表情はさり気なく、しかし厳しい声で制止した。
「会場の人間は皆、自国の宮廷戦略旅団員を一名は護衛に連れて来ている。それと我が国の宮廷戦略旅団も加えて迎撃すべきだ」
「俺が瞬殺できねぇ相手だったら、無駄な死人が増えるだけだぜ」
「貴殿を失うリスクを少しでも減らせるなら致し方ない」
アレスブルグ王国の宮廷戦略旅団と、各国の護衛たちを合わせれば、総勢で三十名にはなる。その全ての命と引き換えにしても、ランスロット卿に勝利した事で、ハイエンドの中でも桁違いに強いと証明されているリドウの方が価値は重い。メリクリウスは冷徹な為政者としての顔を見せ、そう主張するが……
「いいか?」
リドウは振り向くと、不自然にならない程度の勢いでメリクリウスの顔に自身の顔を近づかせ、ドスの利いた小声を発する。
「たとえ効率的だろうが、無駄な死人を出すのは俺の性に合わねぇ」
重苦しい声で言うが、その表情が途端に不敵な笑みへと変化する。
「俺は必ず勝つ。だから信じて任せとけよ、メリクリウス」
「さっすが、リクシーの選んだ闘士。プライドの次元が違うわ」
いつの間にやら側に来ていたラファエルが、にやっとした笑みを浮かべながら、会話に加わってくる。
「行けよ。何があったかは知らねぇが、後の事は俺たちに任せろ」
「レイ、冗談はよせ。今この男を失うわけには」
「黙れ、“メリクリウス”。俺の決定に口を挟むつもりか?」
「……かしこまりました、皇太子殿下」
唐突に、今までの陽気が嘘のように冷たい眼差しで見つめてきたラファエルに、メリクリウスは一瞬黙った後、目を瞑って了解の意を示すと、その後は何も言わなかった。
「ありがとよ、ラファエル」
リドウはふっと笑みながらラファエルと視線を交わし、外の方を振り返った。
「リドウ殿、どうされたのだ?」
「敵だ」
歩みを止めずに端的な言葉で状況を教えるリドウに、ベアトリクスは息を呑む。
「ラウンドナイツの可能性が高い。市街地に被害は出ねぇよう気をつけるが、多少の被害は覚悟してくれ」
「私も」
「足手纏いだ」
「くっ……」
拳を握り締めながら、屈辱に身を震わせる。
「あんたは力無き民を守るのが仕事だ、俺とは進むべき道が根本的に違う。俺にはできねぇ事があんたにはできる代わりに、あんたにはできねぇ事が俺にはできる、それだけだろ」
ベアトリクスの肩を軽く叩いて慰めの言葉を掛けながら、リドウは彼女の横を通り過ぎて行った。




