第九十二話 とある日の風景
本日も仕事が入らなかったリドウは、ラクセスを伴ってガーラホルン自治領の外れまでやって来ていた。目的は稽古だ。それ以外の何物でもない。
正直に言ってしまえば、ラクセスの単純な剣技はベアトリクスと同等くらいなのだが、それでは闘気の有無に関わらず、リドウにとっては色々と物足りない。それでも、言っては悪いが“無いよりはマシ”くらいには相手になるため、闘気無しでの打ち合いをしていた。
リドウは涼しい顔でラクセスの剣戟を捌き続けている。
必死に剣を打ち込んでいるラクセスは内心で苛立っていた。
(なんで……この男はここまで完璧な強さを持っていられるんだ……ッ。反則だろうっ。何で私より年下なのに、私より膨大な闘気を持っているのにっ、魔道士でもあるのにっ……何で全ての面で私が赤子のような扱いをされなければならないんだッ)
ラクセスとて理解はしている。自分とリドウの間に決定的な才能の差があるのも純然たる事実だが、更には支払ってきた努力の桁が違うのだと。
自分は頑張ってきた。宮廷に売り払われてから先、必死で技量を磨いてきた。誰に対しても憚ることなくそう宣言できる自信がラクセスにはある。
だが、世間話程度のつもりで、今までリドウはどんな鍛錬をしてきたのか訊いてしまった瞬間、その自負は木端微塵に砕け散った。
起床したら先、就寝するまでの間、教養の勉強時間以外は殆どが鍛錬時間だったそうだ。
しかもその内容がまたイカレている。
幼い頃は基礎トレーニング。基礎と言っても、腹筋や腕立てのような筋力トレーニングではなく、技の練磨だけを延々と繰り返す日々。己の振るう技に最適な肉体を作り上げるためだ。
十歳の頃から十五歳になるくらいまでは、一日の半分以上は遺跡に潜っていたそうだ。
そして十五歳になったくらいの頃からは本格的な組手ばかりになり、一時間に一度は再起不能クラスにボコられてから、魔神により強制回復の後、また組手。兄からは手足を切り飛ばされるなど日常の風景で、それを一日に少なくとも三度は繰り返していたそうな。
聞いた瞬間、ラクセスは言葉も無く呻いてしまったのに……それなのに本人は「何かおかしいか?」という顔なのだ。完全に狂っている。
リドウという男の異常性の一端をラクセスが垣間見た瞬間だった。彼は本当にそれを『大した事』とは欠片も思っていないのだ。
一応、本人にも『そんな鍛錬方法は一般的ではなく、普通の人間に強要していいものではない』という自覚くらいはあるらしいが、もし同じだけの鍛錬を望む人間がいるなら、リドウはおそらく平気な顔で、眉一つ動かさずにやってしまう事だろう。魔神には及ばずとも、リドウは大抵の人間を、致死性の状態からでも完全に回復させる事が“できてしまう”のだから。
同じだけの鍛錬を自分はできたか? 今からでもできるか?
そう問われてしまったら、ラクセスにはとても即答はできない。
それなのにリドウの強さを羨むのは間違っている――ラクセスの理性はそう判断するが、それでも、どうしても心の奥底ではリドウの強さを妬んでしまう部分を否定できなかった。
「……今日はこの辺にしておくか」
リドウは軽く汗をかいているものの、息の乱れは一切見当たらない様子で言う。
その視線の先には、地面に剣を突き立てて、そこに寄り掛かるようにしながら、全身から夥しい汗を流し、息を荒らげ、そして力なく項垂れるラクセスの姿があった。
「……教えてくれ。私には何が足りないのだ?」
視線が合う事はなく、地面を見つめたままで訊ねるラクセス。
「何かって具体的に問われてもな……」
リドウは刀を鞘に納めながら、困った様子で応じる。
「敢えて言うなら、全てだろ」
「全て……」
「単純に全てが不足してる。全てが一定のレベルで纏まっちゃいるが、それだけだな。技術、闘気量、制御力、どれも超級の域には遥かに遠い」
「キャパシティは大半が先天的な物だろう?」
ラクセスは顔を上げて、睨むようにして反論する。自分にはそこまでの才能は無かったのだから“仕方ない”だろう? と言いたいらしい。
「そりゃそうだが、鍛える方法自体はあるだろ。俺もキャパの増大訓練を怠った覚えはねぇしな。ま、先天的にあんたよりも保有してたのは認めよう」
また反論しようと口を開きかけたラクセスに、リドウはその余地を与えない。
「だが、俺があんたと同じだけのキャパしか持たなかったと仮定しても、今のあんたならダースに束になって掛かって来られても皆殺しにできるね」
「――――ッ」
嘘だ、と言いそうになるラクセスだったが、リドウは当然だろう? と言葉を重ねる。
流石に、その条件では不殺とまではいかないが、それ自体は不可能ではない――と真顔で、しかも平然と言い切ってしまう。
キャパシティを除いて、テクニックとコントロールの両者の総合力を気功士の実力とした時、リドウの領域を『達人』とした場合、ラクセスの居る場所は精々が『子供代表』、地球で言えばプロのワールドチャンプに対する中学生の全国大会出場選手くらいの差があるのだ。まさに大人と子供、住まう次元が根本的に違いすぎるのである。
もっとも、実際にラクセスが地球の剣術大会にでも出場した日には、一国の全国大会くらいなら年齢不問でも上位に入賞は間違いないだろうが。リドウがそれだけ異常な達人――というよりも、基礎能力で常人を圧倒的に上回る存在たちに対抗するための武芸が日常的に練磨されてきたルスティニアの基準が、地球の基準とは根本的に違いすぎるのだ。
才能の違いはもちろんある。だが、生れつきであり先日二十二歳になったリドウと、十歳で目覚めて現在二十四歳のラクセスの間には、単純に鍛えてきた時間の差があり、何と言っても環境の違いが大きすぎる。
人の“地点”では測りきれぬ神域に住まう者たちの教えを授けられながら、本来ならば何百回と死んでいなければならない死行をリドウは越えてきたのだ。比べる方が間違っている。
「そうやって俺と比較しても意味なんざねぇぞ。強くなりてぇなら、あんた自身と他人を比較するだけ時間の無駄だ。上だけを見て、ひたすら目指せばいいんだよ。ガルフの旦那もラヴァリエーレも、そういう人間だったぜ。比較するって行為は、最終的には下を作って、上に居る人間の自尊心を満たすって意味しか生まねぇんだ。あいつらは上が存在する事を喜びこそすれ、嫌ったりはしなかった」
そういう人間だからこそハイエンド足り得るのかと知りながらも、才能があるからこそ、そんな主義でいられるのだ――と思う気持ちがラクセスにはどうしても拭えない。
……それが普通なのだ。それが力無き者の嘆きなのだ。
だが、リドウにはその気持を想像する事まではできても、どうしても、本質的な意味では理解できない。
自分だってまだまだ弱い、という思いを常に抱えていても、なら強くなればいい、で完結してしまうのだ。
そして、力が必要とされる時に“足らずに負けてしまった”なら終わるだけだ、と割り切れてしまう。人間としての歪な側面がそこには表れていた。
「ま、悩むだけ悩みな。あんただってまだ若いんだ、好きなだけ悩めばいいさな」
煙管を銜えながら、そう言葉を残して、項垂れたまま返事が無くなってしまったラクセスの横を通り過ぎて行く。
年下のお前に若いだのなんだの言われたくはない、と小声で細やかな反論を試みたラクセスは、そのまましばらくそこに留まったまま、リドウの言葉の内容を何度も何度も脳内で反芻していた。
ラクセスと別れたリドウはその後、リュリュと合流し、ガーラホルン自治領から馬で数時間はある場所までやって来ていた。
今度は手加減抜きで魔法戦を行うためだ。そのために、廃墟にしてしまっても問題の無い、一般市民の生活とは全く関係の無い荒野が必要とされた。もっとも、リドウとリュリュでは、昔はともかく今は彼の方が圧倒的に上なので、彼の方はどうしても手加減を強いられてしまうが。
リドウのダブル魔力砲がリュリュを撃ち抜こうとするが、彼女は焦らず空間を渡って避けてしまう。
遥か上空に現れたリュリュがお返しとばかりに特大の魔力砲をお見舞いするが、リドウも空間転移で彼女の背後に現れると、炎の竜を生み出した。
リュリュは敢えて対抗しようとはせず、自分の前方の空間の大気から酸素を消滅させる。竜華葬送は概念系ではなく通常の火炎系でしかないため、酸素の無い空間でまで存在は許されなかった。
更に、その無酸素空間はリドウ自身をも襲う。
が、ハイエンドの魔道士にとって『真空』なんて使い古された手でしかなく、魔力の波動によってその発動を見極められる使い手にとっては慌てる程の事ではない。瞬時に大規模な風の嵐を起こし、真空となった空間を吹き飛ばす。
それを予想していたリュリュは、既に両手を頭上に掲げている。その先の空間が不自然に歪んでいる。
「超重力波動砲ー」
淡々とした、それでいて間延びした声で言いながら、リドウに向けて手を振り下ろす。
手の先からリドウに向かう空間が捻じれたように歪む。
超重力波動砲なんて名称はリドウも初めて聞いたが、重力魔法自体は珍しいものではない。もっとも、それもハイエンド基準での話だが。
対魔道士用魔法とも言うべき系統、それが重力系だ。重力場によって空間ごと歪んでしまうため、空間転移の発動が非常に困難になり、更に重力の影響を受ける全ての現象までもが効果を著しく損なう事になる。
高坂愛奈が以前に、この世界の魔法は『攻撃性が増す程に扱いが困難になる』と評したが、それはまだ初心者よりの中級者でしかなかった彼女にとっては“そう感じた”だけであり、正確にはちょっと違う。この世界の魔法は『概念上困難になる程に行使が困難になる』が正しい。言い換えれば、『自分が難しいと感じる現象になる程に困難になる』のだ。
火を熾すよりも雷を発生させる方が難しいから、雷系の方が扱いが難しくなる。愛奈の感じた感覚は決して間違ってはいない。
当然、重力を扱うとなれば、更に凄まじい技量と魔力が求められる。
が、空間系よりも少しだけ難易度が落ち、扱いやすくはある……ものの、相手の空間転移に干渉できるまでの大規模現象としようとすると、最低でもトリプルでの行使が求められるため、やはり大魔法だ。
重力魔法に対抗するには、重力の影響を受け難い光系(それでも多少は影響がある)で、相手の魔法が自分に届く前に相手を撃ち落とすか、さもなければ自分も重力魔法で対抗するのが定石とされている。
もしくは――
「鳳凰昇天」
ダイレクトキャストで、自分に届く前に、魔法を行使している敵自身を撃ち落とすか、だ。
それを感じ取ったリュリュは瞬時にキャストスイッチ。再び空間転移によって辛うじて難を逃れる。
しかし、今度は地上に現れた彼女だったが、炎の不死鳥から逃れるには僅かに間に合わなかったようで、微かに全身から煙を上げていた。
負けず嫌いなリュリュは、むっとしながら上空のリドウを見上げる。大きな弟が強い事は喜ばしいが、それと自分の負けを認めるのはまた別の話だ。たとえ稽古でしかなくっても、常にガチで勝ちに行く。敗北した時は素直にその事実を認めても、闘っている最中から負けを認めるなんて――
「論外だ――ッ」
珍しく大声を上げると共に、全身から膨大な魔力を立ち上らせる。実際、ハイエンドとして数えられるリュリュをしても、リドウとの間にはかなりの実力差がある。こうして常に自分自身に言い聞かせ、自分自身を奮い立たせていないと、流石に諦めてしまいそうになる時があるのだ。
上空からそれを見るリドウは獰猛に牙を剥いて笑う――そうでなくっては、と。ラクセスに足りないのはこういう部分なんだよな、とも同時に思いながら。
「竜炎舞・滅ッ!」
リュリュの生み出した超特大の炎の竜が、まるで滝を登るかのようにリドウへ襲い掛かる。
(また懐かしい魔法を……)
迎え撃つリドウは楽しげに笑う。
これはかつてリドウが幼い頃、リュリュが“小さな弟”に自慢したくって、得意気に披露してみせた『クワッド火炎魔法』であり、リドウ自身が使う竜華葬送の原案になった魔法でもあった。ぶっちゃけ、この魔法に憧れたのだ、子供の頃の彼は。
効果は至極単純で、リドウの竜華葬送のクワッド版であり、若干の概念系の成分も有してはいるが、その内容は『どんな場所でも燃える』という、真空防御法に対するカウンター的魔法で、天破煉翔のように『存在を燃やす』という程に理不尽な効果内容ではないが……その分、単純な破壊力だけなら一撃で大都市を完膚なきまでに灰にできる威力を誇る。戦場で用いれば一発で軍隊を丸ごと殲滅してしまうだろう、まさに戦略魔法であった。
リュリュが昔から持つ唯一の『必殺技』。故に、おふざけのルビも付いていない、本気中の本気の魔法だった。
故にこそ、その極大火炎竜に込められた『意思』は凄まじく、リドウも迂闊な魔法ではとても迎撃できない。
空間転移で逃れるという手もあるが……
(ここは受けてやらにゃ、仮にも師の一人に対して失礼ってもんだろ)
にぃっと口角を吊り上げながら、
「竜華葬送ッ!」
いつもはダブルで行使するところを、今回はクワッドで放った。
「おぉおおおおおおおおおおっ‼」
「あぁああああああああああっ‼」
両者共に両手を前に差し出し、気合の雄叫びを上げる。
二匹の巨竜は、互いの主の気合に応え、激しくせめぎ合う。
拮抗しているように見えた両者であったが、しかしやはり、リドウの方が微かに上を行く。
じりじりと押し返される己の竜に、リュリュは……とても楽しそうに笑う。
(飛行と併せてクイントキャストなのに私の竜炎舞を上回るか……また腕を上げたな、若様。でも、それでこそ――私の誇りだ)
――ここが決着だな、とリュリュが悟ると同時にリドウも同じ思いを抱き、二人は全く時を同じくして、魔法を解除した。あくまでも稽古なのだから、完全決着まで持っていったりはしない。それではリュリュが死んでしまう。
途端に、リュリュは地面に膝をつく。魔法の行使にはとてつもない集中力と精神力、それに伴う体力の消費がある。彼女の小さな身体では既に限界が近かったのだ。
側まで下りてきたリドウが、何も言わずにリュリュを抱き上げて、その腕に座らせる。
疲れきっているリュリュは、くてっと大きな弟の肩に頭を預けて全身で寄り掛かった。
「……疲れた」
第一声は正直な感想だった。
「お疲れ」
「……少しはまともな鍛錬になったか?」
「ああ。やっぱリューは強ぇな」
リドウの言葉は決してお世辞でも嘘でもなかった。
フルキャストが限界値まできた魔道士が魔法の威力を上げようと思うと、必然的にキャスト数を割くしかない。そして、マルチキャストはキャスト数が一つ上がるごとに難易度が桁違いに跳ね上がる。そのせいで、一定以上のキャパシティを持つ魔道士たちは基本、瞬間的な出力はほぼ同じ程度にしか行使できない。
無論、四重魔法で限界の魔道士と、完全な五重魔法は無理でも『四重+三割』のような行使は可能とする、という使い手もおり、両者がガチンコで撃ち合えば、当然後者が押し勝つが。ちなみにこのような、フルトリプルやフルクワッドには及ばない威力を、割ける『割合』に関わらず『ダブルハーフ』とか『トリプルハーフ』と言ったりもする。
よって、魔力キャパシティが二十万の使い手と十万の使い手で、両者共にフルキャストがリミットまできていて、しかも行使できるキャスト数まで同じだったりすると、基本的な戦力差は殆ど無いのだ。差がつくのはキャパシティの差による持久力だけでしかない。短期決戦での戦力差は本当に皆無に近い。
だから、キャスト数を上げるよりも鍛えるのが比較的簡単なキャストスイッチの腕前が、ハイエンド以上となると戦力の決定的な差を産んだりする。
そういう意味で、リュリュの魔道士としての腕前はほぼ極みの領域にある。
リドウが素直にリュリュを褒めたのは当然と言えば当然の話だ。
しかし彼女自身は、
「ん、とーぜん」
と応えるも、その声には疲労感を除いても、どこか力が入っていないように感じられた。
ほぼ極みの領域にあるリュリュだが、それでもリドウには及ばない……たとえ魔道士としての腕前だけで競っても。
永遠に生きられるように“創造された”代わりに、成長率が人間に比べて極端に劣るせいだ。言ってしまえば、リュリュはこの世に生を受けた時点の最弱状態から魔王と変わらない条件で生きているのだ。
“昔”は、リュリュはその事実を嘆いた事は無かった。自分の存在意義は『姫様』に黙って仕える事だけであり、それ以上でもそれ以下でもないと心底考えていたからだ。己の仕事はファーストグレードとして、姫様の恥にならないよう、側近としての力を示す事であり、それだけの力はしっかり身に付けていると信じて疑っていなかった。
だが……
(高坂愛奈が羨ましい……)
リドウを“得て”から、彼女はこの世に生み出されてから初めて、真の意味で生き甲斐を見つけた気がした。
小さくて可愛い赤子の手が自分の指をきゅっと握った時、その暖かさ、その柔らかさ、そしてその脆さに愕然としたのを、リュリュは今でも鮮明に思い出せる。
その小さな存在が、あっという間に自分の背丈を追い越していって、しかも自分を圧倒してみせた時――知識として、人間の中にはそういう者も存在すると知っていたはずなのに、心が躍った。
……同時に、絶望した。どう頑張っても自分では置き去りにされてしまうという、存在としての限界に。
魔神リリステラに願えば、強くなれるようにしてくれと言えば、神如き彼女ならば叶えてくれるかもしれないと思うリュリュが居るが、それは決してできなかった。魔神の眷属としての自分自身に誇りを持っているリュリュにとって、自己の存在の否定に繋がりかねないそんな願いは言語道断だった。
また、それがリリステラの願いでもあるはずだった――リュリュは在るがままに成長してくれ、という。
そう……リュリュは愛奈に嫉妬していたのだ。
才能に、ではない。存在としての“性質”は魔王と変わらないリュリュの場合、成長限界は基本的に存在しない。
が、その気になれば、あっと言う間に自分を置き去りにし、リドウと対等に並び立つ事すら決して不可能ではないその圧倒的な愛奈の成長率に、リュリュは嫉妬せざるを得なかった。
だから、どうしても愛奈に対する当たりがキツクなってしまった事もあったりした。
「ねぇ……若様」
「ん?」
「……ううん、何でもない」
何を言おうとしたのか、リュリュは自分でも理解できずに言葉を濁した。
「そうか」
リドウは何も訊かず、笑いながら、空いている方の手でリュリュの頭を撫でる。
と、リュリュは平素よりもぶすっくれながらその手を弾いた。
「私は子供じゃない」
と言って。
“弟”のくせに“姉”を子供扱いするなと主張するが、見た目的にはどう考えても無理があったし、言動的にも些か無理があった。
リドウが頭を撫でる対象は基本的に『子供』だけだ――と知っているリュリュからしてみれば無理もない反応ではあったが。
例えば、今までの旅道中で出会った正真正銘のお子様たちであったり、少し前までの麻木恵子や高坂愛奈であったりだ。ちなみに一条千鶴の場合は本人が望んだからでしかなく、リドウは最初から彼女の事はあまり子供扱いはしていない。未成年、として扱ってはいたが。
リドウは“何者”であろうと、自分の上にも下にも置かない。ベアトリクスやライド卿のような“正真正銘の貴族”、もしくはアキレウス神父のような人格者、または剣姫ルミナリア・ファルミ、アレクサンドル・ラヴァリエーレ、烈震のガルフといった実力者になら多少は敬意を払ったりする事もあるが、基本的には何者であろうとも対等に扱う。
それが理解できるだけ察しが良く賢い人間たちは、決してリドウの態度を不快に思ったりしない。リドウは決して相手を見下しているわけではないと理解できる人間たちは。
そもそも、身分云々を言ってしまえば、この世界にリドウよりも高い地位を持つ“人間”など存在しないと言っても過言ではない。何せ、人間としてはおそらく世界最強と目され、しかもその身は『魔性の姫君の息子』なのだから。
リドウはだからと言って、自分が偉いとは欠片も思わない。偉いのはあくまでも、そこまで崇拝を集めるだけの行いをしてきたリリステラだ、自分ではない。だからと言って、相手に謙ったりするなど決してありえず、故の『誰でも対等』だ。
そんな彼が“人間として”格下と見做して扱うのは子供だけである。だから子供相手だとやけに甘くなる。子供は『弱者』なのだから。
そして、子供の頃に褒められるたびに、母や兄や祖父からは頭を撫でられて育ち……今の彼からは想像もつかないが、泣いてしまった時には侍女長や、それこそリュリュからそうされて育ってきたせいで、『頭を撫でるのは子供を褒める時や慰める時』という思い込みがリドウという男の中に存在した。
当然ながら、それを知るリュリュにしてみれば、お姉ちゃんを自任する以上、子供扱いされて面白いはずがない。
「……昔は私の方が撫でてあげてた立場だったのに」
「頼むから、他の人間の前でそれは止めてくれよ。こっ恥ずかしいにも程がある」
リュリュの細やかな反抗に、盛大に顔を顰めて抗議を返すリドウ。
仕返しが成功して、にゅふっ、と唇を歪めるリュリュの額を、リドウはぴんっと指で撥ねた。
相変わらず、仲の良い姉弟であった。
大聖堂に戻って来たリドウはベアトリクスから、戻ってきたら相談があるという言付けを受けて、彼女の元を訪れていた。
が、今は各国の貴族たち相手に議論中で、大学の講堂のような場所の檀上に立って、浪々と弁舌を振るっていた。
リドウは講堂の端っこに座り、静かに会議の様子を眺めているが、ベアトリクスの堂々たる姿には彼も感嘆を禁じ得ない。
普段も彼女は、様々な貴族たちと個別に会って根回しをしていたりするのも知っていたが、あの若さで老練な貴族たちに引けを取る事なく、堂々と議長役を務めている姿は流石の一言だった。
半刻も見学していると、本日の会議は終了したようで、貴族たちが講堂の外へ向かおうという中を、リドウは逆にベアトリクスの方へと階段を下りていく。
途中、貴族たちに呼び止められそうになったが、リドウは失礼にならないよう軽く挨拶を交わしながら、ベアトリクスに話があると言って謝絶する。
リドウの登場に気づいたベアトリクスが、いつものクールな表情を幾分柔らかくしながら迎えた。
ここではなんだから自室で話をと言うベアトリクスに、リドウも素直に賛成して、揃って講堂を出て行く。
部屋に入ると、この二人であるからには、当然のようにワインとグラスが用意されるのは言うまでもないだろうか。
「それで、話ってのは?」
「うむ……」
ベアトリクスは手の中のグラスを見つめながら、あまり気が進まなそうな風情で口を開く。
「あなたは指揮官をおやりになる気はないか?」
「はん? 足りてねぇのか?」
「将軍級には能力的に勤まる人間も少なからず居るんだが、この役目を務める人間にはそれ以上に相応の地位が求められるのでな、選択肢が非常に限られるのだ」
と、その詳細を語るベアトリクス。正直ダメ元だったが、シルヴィアから一応リドウの意思を確認しておいてくれと言われていたので、仕方なくこうしている次第だった。
が、リドウの返答はやはり、考える様子も無く、
「悪いが、断る」
と素っ気ない。
「ラウンドナイツが出張ってきたら、俺は何よりもそっちを優先させる」
――幾つか問い質さなければならない事があるし、宮廷戦略旅団レベルをラウンドナイツに充てるわけにもいかない、という本音は一々口に出さずに。
「その時に、自由に動けねぇ立場は邪魔になるからな。それから一応確認しておくが、俺はあんたらと手を組んだだけであって、あんたらの下に就いたわけじゃねぇからな。組織に縛られるのは御免だぜ。倒すべき相手も、殺すべき相手も、守るべき相手も、俺は俺自身の意思で決める」
「うん、分かってる。まあ、私としても、あなたには遊撃手としていてもらうのと、どちらが有益かを考えたら、引き受けてもらったとしても、我々の手間が一つ省けるという以上の益は見当たらないのでな、無理を言うつもりはない」
「あんたんとこの次男坊ってのはどうなんだい?」
かなり優秀だと聞いているベアトリクスの兄ならば務まるのではないかと提案するが、
「他の大陸の問題にまでしゃしゃり出るわけにもいかないしな」
「面倒だね、政治の世界は」
「仕方ないよ、それが人間の世界だ」
と、少し疲れた様子で笑う。
「それに、レックスでは純粋に能力面が不安視されるだろうしな。この立場は一芸に秀でた人間ではなく、全ての面で一定以上の水準を満たす必要があるんだ。それに値しなければ、必要性が薄いとされる部分から徐々に妥協を重ねていくのだが、ギルメキア大陸とカッスル大陸は、中途半端に甲乙付け難い人物がひしめき合っているらしい」
だから、まだまだ決まりそうにはない。せめて魔物が片づくまでには決まっていてほしいものだが、と愚痴っぽく言うベアトリクスだった。
「話ってのはそれだけか?」
「いや、本題はこれからだ。が、その前に幾つか報告がある。こちらが放っている密偵の報告によると、ロンダイク聖教側が本格的に戦争状態に突入した」
「へえ?」
戦争状態と言っても、その準備段階の話だ。
どうやらロンダイク聖教は今まで、諸各国へ大戦の通達は出していなかったらしい。故に、リリス教各国が常時独自に放っているスパイたちも、戦争の動きは全く感じていなかったらしい。
ちなみに、この手の諜報戦はお互い様であり、ベアトリクスも向こう側の手の者がこちらに居る可能性は常に考えて行動している。
「どうやら、ロンダイク聖教の最上層部には、戦争を万全の態勢で迎えるよりも、何か他に目的があるらしいな」
「功名心に逸った国に妙なマネをされるよりはいい、というところかな。抑えきれないなら、最初からギリギリまで秘しておくのも悪くはない。が、こちらが戦争状態に入ったことで、これ以上隠しておく意義が無くなったのだろう」
相変わらず、この二人の会話には淀みが無い。
「それと、例の『封印』なんだが……」
ベアトリクスの言葉を受けて、リドウの眼差しが鋭く狭まる。
「どうしても見つからん」
そんな代物が存在するとすら知らなかったベアトリクスは、帰国した際に父王たちにも確認していたが、彼らもそれらしい物に心当たりは無いそうだった。
そこで、自国の手の者たちを国中に放って探させたが、それから百日が過ぎ去った現在にも、まだ発見には至っていなかった。
ベアトリクスはワイングラスをテーブルの上に置くと、幾分真面目な顔つきになり、両手を組んでリドウを見つめる。
「……魔神にお伺いを立てるわけにはいかないか?」
「無理だな。そこまで含めての不干渉って意味らしい」
「…………」
ベアトリクスは、最終的にその封印を守りきれば自分たちの勝利だと思っている。
ただ、破壊神の事までは公にしていない。流石に不審を買う羽目になるだけだからだ。
そこで、封印自体を調査できれば、破壊神の存在を証明できるかと考え、重点的に力を入れて探索させていたのだが、未だに芳しい成果は無く、もう神にでも縋りたい気分だった。
「あんたにも一度ハッキリと言っておくが、あの女を『リリス教の女神』とでも思ってるなら考えを改めな。リリィにとっちゃ、リリス教徒だろうがロンダイク聖教徒だろうが、一括りで『人類』だ。リリィはてめぇが敬われる事になんぞ何の価値も見出しちゃいねぇ。それどころか害悪とすら考えてるだろうな。他人に祈ってる暇があるなら、てめぇ自身を成長させろと言うのがオチだ。案外、リリィに反発してるロンダイク聖教の方を、リリス教よりも内心好んでるかもしれねぇぜ」
大変に無礼ながら、なんて面倒臭い御人なんだ……と閉口してしまうベアトリクスだった。
ならもうその線は諦めようと、キッパリと割り切ると、グラスに残っていたワインを一気に煽り、
「話に戻るが……頼みがある」
「ん?」
その麗しい唇から語られた内容に、リドウは満面の笑みを浮かべながら――
「断じて断る」
――かなり強烈な響きを込めた口調でそう言った。




