閑話
広く塀で囲まれた中に、ただ平らな地面が存在しているだけの場所。そうとしか表現のしようがないここで、男が独り、黙々と剣を振り続けている。
上半身は裸で、鍛え抜かれた逞しい肉体から夥しい量の汗が湧き出ており、鍛錬の激しさを物語っていた。
闘気は用いられていない。この男は気功士“でも”あったはずだが、純粋に己の肉体を虐めているようだ。気功士にとっての実力というのは、キャパシティとテクニックとコントロールの総合力を指して言うが、それらを常に全力で同時に鍛えるのは『破壊力』の観点から非常に難しく、こうした地道な鍛錬は必要不可欠だった。
その点、この男は己に甘えを許さず、禁欲的に強くなろうと心掛けていると思われる。
しかも、ただ単純に剣を振っているだけではない。まるで目の前に敵が存在するかのように、時には敵の攻撃を受けるように己の剣を構えたり、敵の攻撃を避けながら反撃したりする様子も窺える。
やがて、剣を水平に一振りしたところでピタッと全身が静止し、ふぅと大きく息を吐きながら剣を鞘に納めた。
それを待って見学していた別の男が話し掛けてくる。
「いつもならが、精が出るな、カイン」
鍛錬をしていた男はカインと呼ばれた。彼は無言で現れた男を一瞥してから、汗に濡れて乱れている髪を手でかき上げる。
今この場に“あの娘たち”がいれば目を見張ったことだろう。この男は彼女たちが知る男に、あまりにも似すぎていた。
目つきだけは“あの男”よりも幾分爽やかな印象を受けるが、それ以外は本当にそっくりだった。同じ人物が類まれな演技力で目つきを変えているだけと言われたら即座に信用できてしまうほどに。
「およそ一刻も掛かる“その型”を寸分の狂いも無くやり遂げる、そのセンスには脱帽を禁じ得ん」
「師には到底及びませんがね」
カインは口元を柔らかく緩め、目を閉じながら笑って言う。
「あの男がお前の師だったのはもう五年以上も前の話だろう?」
と、もう一人の男は言いながら、カインの腰元の剣を意味深に見る。
「今ならば“それ”が無くとも、お前の方が上ではないか?」
「あの人を甘くみないことです」
カインは途端に表情を厳しくして男を見る。
「あの人が授けてくれたこの教えには実戦におけるあらゆる重要な教えが込められている」
カインは剣を抜き放ち、その型の導入部分を素早く実践してみせる。
「ですが、僕は“そこから先”へはまだ進めていない」
眼差しを狭めながら見つめる先はどこか漠然としている。あるいは、彼が見つめる先はその師の存在する領域なのかもしれない。
「僕も未だに魔王とまみえた経験はありません。それでも、あの人の技量は魔王に比肩すると自信を持って断言できる」
師を尊敬するあまり、過大評価のしすぎだなと心の中で呟きながら微かに笑っている男に、カインは薄笑いを浮かべながら向かい合う。
「あなた自身が言ったはずだ、オーガスト……あの人の力は我々の誰もが及びはしないと」
「それは単純な戦闘力の話だ。殲滅師は気功士としても魔道士としても中途半端で丁度いいくらいなのに、あの男の魔道士としての力は気功士という事実を考慮せずとも普通ではない。だが俺にはお前が気功士としてあの男に劣るとは思わん」
「やはりあなたは理解できていないのです」
嘆かわしげに首を横に振るが、聞いている男は特に怒る風もなく、静かに耳を傾けている。
「そもそも、なぜあれを『型』だと思っているのですか?」
「なぜも何も、言ってはなんだが、お前はそれを愚直に繰り返すばかりではないか。お前に憧れる騎士たちも見習って鍛錬に取り入れている。もっとも、半分も消化できた者はおらんが。実戦における効率的な技のつなげ方を練磨したものを型と言わずして何と言うのだ?」
「確かに、その意味では型とも言えるでしょう。ですが、これはそもそも『ただの実戦形式の訓練』です」
カインの言葉の意味が理解できず、男は不審げな顔をするだけだった。
「あの人は僕に最高率の鍛錬を施そうとされていました。ある程度の技術が僕の中で形になった後、あの人が僕に対して施したのは実戦形式の打ち合いだけだったのです」
笑みを深めながら、空を見上げるカイン。
「僕が何をしようと、あの人は僕をこの型に誘導してしまうのですよ」
剣を振り上げ様に相手を切るような動作をして、すかさず振り下ろしてから、更に突き入れ、その姿勢で停止する。
「――あの人の意表を突こうと、他の動作をしようとしても、あの人は“させてくれない”のです。ほんの僅かな体重や軸や視線の移動で見事に誘導されてしまうのですよ……それ以外の動作をしては確実に“詰まされる”と僕が判断せざるを得ないように」
ようやくカインが言いたい事を理解した男は、ありえないだろう、という顔で沈黙している。
「あの人に見捨てられてからもう五年……あの人との最後の修練から先に、僕はまだ進めていない……」
遠く空の彼方を見つめるカイン。
男は難しい顔で彼に話し掛ける。
「……ところで、報告がある」
「何でしょう?」
「ラーカイム王国に送ったケルベロスが落とされた」
カインは眉間に皺を寄せ、微かに眼差しを鋭くした。
「殺ったのはお前の師を打倒したという例の男だ」
「月紅……」
と、その名を呟く表情からは感情が消え失せている。
「嫉妬か?」
「あれは今回の作戦で送った魔物の中でも最強と思しき個体だったはずですね。どうやら我が師を打倒したというのは偶発的なものではなかったようだ」
「お前に熱を上げてる世の娘さんたちが今のお前を見たら、男に負けたのかと世の不条理を大いに嘆くだろうな」
「……真面目にして下さい、オーガスト。笑い事ではありません」
目一杯に不機嫌そうに言ってくるカインに、オーガストは何とか笑い声を噛み殺している様子だ。
「一応、ラーカイム王国が独自に討伐したと表向きはされているが、“向こう側”でも誰も信じちゃおらんな」
カインは、そうですか、と小さな相槌を打ちながら、訓練場の隅に設えられているベンチに歩み、そこに掛けられていたタオルを手にとって汗を拭う。
オーガストも共に歩みながら話を続けている。
「それともう一つ。パーシヴァルが月紅を拝んでくると言って勝手に飛び出して行った」
「なっ」
インナーを着て、コートを羽織ろうとしている途中、袖に通そうと左腕を伸ばした形で固まって、カインはオーガストを愕然とした顔で見つめる。
「馬鹿ですかあの人は!?」
あんな目立ちに目立つ容姿をした女が密偵の真似事とか無茶無理無謀の三拍子でもまだ飽き足らないと、カインは殆ど絶叫するように言った。
「なぜ止めなかったのですか!?」
「止めたさ、口ではな。あの女が本気で逃げれば、お前以外に捕まえられる人間なんぞうちには存在せん」
「くっ……」
「あの女も、自分が目立つ事くらいは自覚しているはずだ。幻影で誤魔化すくらいはしてくれるだろう」
「見抜かれない保証は無いのですよ。彼女の魔法技術は確かに我が師すら上回りますが、聖帝や雪華が見抜けないはずがない。特殊詠唱を見破るのに相手のレベルを上回る必要などないのですからね」
一刻も早く対策を練らなければと足早に訓練場から去ろうとするカインを一歩遅れて追うオーガストは、しかしカインの焦燥露わな様子とは正反対に落ち着き払っている。
「なぜそんなに焦る?」
「なぜ? オーガスト、彼女の戦力を理解していて言っているのですか?」
「どの道、あの女を狂嵐絡み以外で使うのはそれだけで一苦労なのだ。現状に大差はあるまい」
「だからこそ僕は案じているのです。狂嵐に関する有用な話があれば、彼女が我々を裏切ってリリス教につく事は十分に考えられるのですから」
「無いだろ。あの高慢耳長女だぞ? お前やあの男の言う事なら多少は聞く耳を持っていても、他の人間と“まともに”話をする姿勢など持っちゃおらん」
「ですが、師に続いて、今、彼女を失うわけには」
「いずれ殺さなければならないのに――か?」
カインは早歩きだった足を途端に止めて、怒気を押し殺した顔でオーガストを睨みつける。
「……それとこれとは話が別です」
「お前は優しすぎるな」
オーガストは憐れむような目でカインを見ながら言った。
しかしカインは鼻で笑って相手にしない。
「僕が優しい? 冗談はよして下さい。僕はこれから歴史に名を残す殺戮者となる男ですよ」
「まあ、お前がそう自認しているなら余計な事は言わん。が、いずれにせよ、あの女はいずれ始末せねばならんのだ。向こう側につかれては流石に敵わんが、死のうがどうしようが好きにさせてやればいい。あの女もただでは死ぬまい。プラスマイナスで言えば多少はマイナスに傾くだろうが、精々が許容範囲内ではないか?」
「…………」
カインからの応える声はなく、彼は無表情で前を振り向いて歩き出してしまった。
「非情になれ」
オーガストは再びカインの一歩後ろを追いながら言う。
「全ては『正常な世界』のためだ。お前はそのために、あの男の失望を買う事を理解していながらも、“それ”を手にしたのだろう?」
「…………」
「変革に犠牲はつきものだ。少なくする努力をするのはいい。しかし、ゼロにはできん――神ならぬ人の身ではな。ましてや、既に犠牲は作られている」
「……そんな事は理解しています」
「最早、サイは振られた。お前の行く先は血塗られた道だ。神仏を装いながらも心には悪鬼羅刹を飼え。魔性の神を打倒せしめるのは人でありながら人の道を外れた修羅だけだ」
「分かっていると言っていますっ!」
とうとうカインは怒鳴り声を上げてしまう。図星を突かれ、厳しい現実を突きつけられたせいだった。
これ以上は何を言っても無駄骨だなと判断したオーガストはそれ以降何も言わず、二人は静かに廊下を進む。
しばらくは淡々と歩む男二人という光景が続いたが、やがて反対側から小走りに近づいてくる足音が聞こえる。
「あ、カインさん!」
黒髪に黒目、肌の色もそうだが、見た目はカインと同じ系統の人種だった。他人種が見ればその特徴だけで安易に兄弟と決めつけていたかもしれない。
オーガストは数多の娘さんたちがカインに熱を上げていると言っていたが、新たに現れた男もまた、女性に不自由しそうには全く見えない美形である。一見する限りでは爽やかで、優しそうで、人が好さそうで、非の打ち所がない好青年だ。
「探しましたよ」
「ここではガウェイン卿と呼びなさい、神崎」
「あ、すいません」
ははっと笑いながら軽く頭を下げる。
「……それで、何かありましたか?」
「報告です。俺のパーティーは七十五階に到達しました」
「そうですか。よくやりましたね」
「ありが」
「では、一番下は?」
神崎と呼ばれた少年――いや、もう青年だろう。彼が褒められた礼を言おうとする前に、カインは質問を重ねていた。
しかし神崎は一瞬答えに躊躇する様子を見せ、視線を彷徨わせてしまう。
「えっと、下って……俺が一番下まで行ってるんですけど」
「言い方が悪かったですね。最下層記録という意味ではなく、一番成績が悪いパーティーという意味です」
「それは……まだ五十階くらいだったかと……」
「なぜ統率者たるあなたが把握していないのですか?」
笑顔で訊いてくるカインに、神崎は口を開こうとするが、その口からは何も語られない。
カインは小さなため息を零したが、落ち着いた声で神崎に話し掛ける。
「いいですか? あなたが一番である必要は無いのです」
「ですが……」
少し困惑した様子で反論しようとする神崎であったが、
「彼ら彼女らはあながた最も優れた成績を誇っているから、あなたを慕い、頼り、従っているのですか? 違うでしょう。彼ら彼女らはあなたの人格を好んでくれている。違いますか?」
その言葉を受けた神崎は、笑いながら頬を指でかいて、
「俺自身はそんな大した人間じゃないと思うんですけどね、みんなはどうも慕ってくれているみたいです」
「ならば、あなたがすべき事は、あなたが優れた能力の持ち主であるという“どうでもいい”事柄を皆に示す事ではなく、あなたが皆に対して平等に接する事です」
「――はい」
神崎は爽やかな笑顔を浮かべて、小気味よい返事で了解の意を示した。
その返事の声と共に、カインは笑みを消して瞳を閉じてしまう。彼が何を思ったか、神崎が窺い知れたかは分からない。
「……では、そのように。期待していますよ、神崎芳樹」
「任せて下さい、ガウェイン卿」
笑顔のまま頭を下げる神崎芳樹を置いて、カインと、黙って事の成り行きを眺めていたオーガストは共に歩みを再開する。
オーガストは、立ち尽くしてこちらを眺めている神崎を背中越しに一瞥し、皮肉げに鼻を鳴らした。
「お前に『どうでもいい』と言われたのが余程気にくわんかったらしいな。子供の世界では通用したのかもしれんが、程度の浅い事だ。どうしてあんなのを統率者に選んだのだ?」
「嫌々やるより、進んでやってもらった方が成長は早いでしょう。そのためにも、我々は彼ら彼女らの意思は尊重していると、ハッキリと目に見える形で示した方がいいのです」
カインは微笑ましそうに笑いながら。
「神崎一人がどれだけ成長しようと知れたものです――彼のメンタルではね。そこら辺が彼には理解できていない」
「それが理解できる謙虚さがあるならば、そもそも己が主役だと思い込みはせん。ましてやその手の人間が、本質的な意味で他者を慮れるものではあるまい。せめて、必要だから、と割り切れてしまうタイプであれば良かったのだがな」
「ですが、あの役目を務められる適任者が彼の他に居なかったのも事実」
「男共がたまに思い出したように言う一条千鶴という娘が居れば、少しはお前の負担も軽く済んだのかな」
「所詮は子供のメンタリティです、過度な期待はできなかったでしょう。どの道そのお嬢さんは我々の手には入らなかったのですから、考えても仕方ありませんよ」
カインは伏せ目がちに表情を沈ませてしまう。
「あのような覚悟無き子供たちまで利用せねばならないとは、僕は罪深い人間ですね……」
オーガストが言葉を掛けようとするが、
「ですが――」
カインは、決して大きな声ではなかったが、しかし強い声で、
「――この世界は間違っている。これを正すためならば……僕はいかなる残酷な手段でも厭いはしない」
「その言葉、日に一度は胸に刻み直しておけ」
カインはただ静かに、首を縦に振った。




