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第七十七話 暫しの別れ

 魔王城に数あるサロンの一室にて、今リドウたちは一堂に会していた。魔王様方はいらっしゃらない。皆様、“この件”に関してはノータッチという方針だからだ。


 考えてみれば、こうして全員が一度に顔を合わせるのは本当に久しぶりだなと、全員揃って何となく思う。


 もっとも、今は久々の顔合わせに和んでいられる状況ではなかった。


 ラスティアラからのメッセージを受け取ったサリスに皆の視線が集中している。その表情は一様に真剣なもので、そのせいかサロン全体が重苦しい雰囲気を感じさせる。


「んじゃ、揃ったところで、サリス」


 リドウがサリスの名を呼んで話を促す。彼は既に話を聞いているが、改めて彼女の方から説明させようということらしい。


 その声に反応し、丸テーブルのリドウの横に座っていたサリスが立ち上がる。


「昨夜ラスティアラより報せが入りました。ここは皆様ご存知かと思われます」


 一同は揃って頷く。


「昨夜未明、アレスブルグ王国の第一王女、ベアトリクス=ファン・クラウンディ殿下の使者より接触を受けたようです。話の内容は――」


 サリスの話を簡潔に纏めると以下のようになる。


 リリス教関連国家の各地で同時多発的に伝説級の魔物が出現している。幸い、ただそこに居るというだけで、積極的に人間を害そうとしてくる魔物は居ないが、ブランカ帝国の一件でもそうであったように、事はそういう問題ではない。それに、積極的に人間を狙い撃ちにしないだけであって、決して被害が出ていないわけではなかった。


 たとえ魔物でも『罪』の無い相手の殺害をリドウが好まないのは知っているが、これでは戦争準備どころではない。何とか手を貸してはもらえないだろうか……?


 ――ということだ。


 ベアトリクス自身、実家の城に戻ってから始めて知った――と言うよりも、ちょうどその時期を境に発生したようで、『最上位の伝説級の魔物であっても単独で対処可能と思われる使い手』に心当たりが有りまくりだったため、近くの国を放浪しているはずと知るラスティアラに、まず接触を図ったのだそうだ。


 話を聞き終えると、一同の中から千鶴がさっそく口を開く。


「一つ確認しておきたいのですけれど――」


 と、リドウを鋭く見つめて。


「偶然という可能性は?」

「この世に本当の意味でゼロ確率なんてことはありえねえがな」


 リドウは煙管をふっと勢いよく吹き出しながら、皮肉っぽく口角を吊り上げた。


「やはり、明らかに何者かの意図が働いているわね。もしかしたらブランカ帝国の一件も、その内の一つだったのではないかしら?」

「試した……ってことだな?」

「ええ……本番前に」

「正直俺もそう思ったぜ」


 リドウと千鶴は言葉を少なめに、相手の頭の中を推測し合いながら話をする。


 そして、そこまで話が進んだ瞬間、リドウが外道を見る時の眼差しでぎりっと歯を噛み締める。


「誰が提案者で誰が実行犯かは知らねぇが……」


 千鶴ですら気圧されて息を呑んでしまう殺気が室内に充満する。平然としている者は一人もおらず、恵子や愛奈は表情を強張らせ、シャイリーやサリスといった『強者』も、頬か額に冷や汗を滴らせていた。


「舐めたマネしてくれるぜ。てめぇの思惑で命を弄びやがって……挙句、俺に手をかけさせやがった……ッ」


 憤怒を以って煙管を灰皿にがんっと叩き付ける。


 思わずびくっと身をすくめてしまう一同に構う様子は一切見せずに、リドウは煙管を持っていた手を己の目の前に掲げる。


 その手を、まるでその中の何者かを握り潰すように、ぐっと拳にする。


「この落とし前は俺が直々につけてやる――必ずだ」


 静かな物言いだった。しかしそれを見る皆が、その背後に紅蓮の業火が燃え盛るような錯覚を感じてしまう程に荒々しいオーラが漂っていた。


 犯人たちも、まさか自分がこんな理由でリドウの怒りを買ったなどとは予想もしていないだろう。


 だが、もう遅い。この世で最も怒らせてはならない男の一人の逆鱗に、彼らは図らずも触れてしまった。


 しかし、千鶴だけでなく、恵子や愛奈も、その犯人に同情する心は一切無かった。

 もしかしたら『無理やりやらされた』という可能性も無いわけではないが、その場合はリドウもある程度は考慮するだろうと、訊くまでもなく理解できる。

 が、何が理由であろうと、他者の命を道具にしてしまうなんて許されない。


 魔物だから何をやっても、たとえ贅沢の嗜好品として狩るのも許される。それは別にいいだろう。『人間の世界』とはそうやって回っているのだから。

 だがリドウの影響で、魔物であっても『命』なのだと考えるようになっている彼女たちは……やっぱり許せなかった。


 それに……あのリントブルム殺害でリドウがどれだけ心を痛めていたのかなど、一々訊ねるまでもなく彼女たちは何となく察していた。だから尚更許せなかった。


 向こう側の事情など知ったことではない。少なくとも相手は何の罪も無い命を弄んだのだ。千鶴や、それに恵子までもが、できることなら自分の手で『落とし前をつけて』やりたいと憤っているくらいだ。愛奈は流石にそこまで苛烈にはなれないようだったが。


「それで、どうするのかしら?」

「取り合えず、レディに会ってみてからだと思ってる」

「そう……」


 千鶴は応えながら俯いてしまう。


「ラスティアラ自身もベアトリクス殿下から勧誘されているようです」


 サリスが口を挟んできた。


「そうか。どうするって?」

「その指示を仰ぎたいと。若様のご意向に沿って動くとのことです」

「小杉ってのはどうする?」


 途端に、千鶴が一瞬殺気立ったが、リドウも未だに殺気立っていたおかげで埋もれてしまった。もっとも、シャイリーだけは目敏く気付いていたようだが、特にこの場で何かを追求するつもりは無いようだった。


「おそらく、使者の方に、ラスティアラのことは知らない振りをして、小杉様に対して依頼してもらう……という形を取ることになるかと」

「その方が“手間も省ける”か……」


 リドウは一つ頷いてから、


「よし。そうしてくれ」

「かしこまりました」


 立ったままだったサリスは綺麗な礼を披露してみせた。


 リドウはそれを受けてもう一度頷くと、ぐるっと一同を見渡す。


「それで、だが……」


 具体的なことを口にされずとも、この言葉の意味が理解できない程にボケた人間はこの場には居なかった。


 しかし、誰もが容易には口を開けなかった。


 今の自分では“到底足りない”――皆がその思いを抱えていた。


 既に究極の領域に在るせいで、ただ鍛錬するだけでは爆発的な成長が見込めないリドウの場合、数少ない同格以上の敵との本気の実戦こそが一番の経験値になるが、まだまだ発展途上で伸びしろが大きい彼女たちの場合は、師匠を得ての集中的な鍛錬の方が遥かに有効だ。


 皆がそれを理解している。


 それは当然、リドウもだ。


「ハッキリ言っておこうと思う」


 リドウは再びぐるっと見渡しながら口を開く。


「俺は一人で行くつもりだ。お前さんらはいったん置いてく」


 少女たちは一様に悔しそうな顔で、眉間に皺が寄っている。シャイリーだけは平然としていて、内心で何を思うか窺い知れないが。


「お嬢。あの館は確か、攻略するたびにレベルが上がっていって、最高難易度はレベル十。そこまでくると、気功士並の動きをする――だったな?」

「うん……」

「で、今は?」

「……レベル三よ」

「それだと、ゾンビはどの程度の動きをするんだ?」

「……あたしが走るよりは遅いわね」

「話にならねぇな」

「そうね」


 恵子は、自分のレベルを答えるのにはどこか躊躇いを見せていたくせに、自分が役立たずという部分はあっさりと認めてしまった。実際、その程度では相手が能力者でなくても、全力で動いていれば当たらないわけだから。最初に言葉を濁し気味だったのは、自分のレベルの低さを自ら口にするのが嫌だったというのが理由だ。


「外界でバンバン撃ちまくって訓練することは流石にできねぇからな。お前さんはできるだけレベルを上げろ」


 と言ってから、リドウは恵子の答えを待たずに千鶴へ視線を移す。


「兄貴との鍛錬以外にも何かやってるらしいが、どうしても教える気は無ぇんだな?」

「無いわ」

「分かった。兄貴は力の封印なんて方法は取っちゃいねぇから判断基準が難しいな。取り合えず、サキの姐御に尻尾を出させろ。一本でいい」

「了解したわ」


 千鶴は「自分も行く」とは口にせず、真剣な顔で深く頷いた。


 本心としては行きたい。でも今のまま付いて行っても足手纏い以外の何物でもないと、彼女が理解できないわけがなかった。


「お嬢は千鶴と一緒に出てこい。もしくは俺が迎えにくるか。いずれにしても単独行動は止めとけ。殺される覚悟を持つのと『死にに行く』のとは全く別の話だぜ」

「うん……分かったわ」


 次は愛奈の番だった。それを予想していた彼女自身は、リドウと視線が合った瞬間、ごくりと息を呑み込んだ。


「愛奈、お前さんは……」

「リュリュちゃんに勝てばいいんですか?」

「いや。リューは連れてく」

「は?」


 愛奈は予想外の台詞が返ってきたことで、口を半開きにして呆けてしまう。


「え? リュリュちゃんを連れてっちゃうんですか!?」

「リリィの眷属には……こういう言い方はあまりしたかねぇが、製作された時点で眷属同士間で思念波が繋がる術式が埋め込まれてる。サリスがサティーたちとノータイムでやり取りできてんのもこれが理由だ。生憎と、目に見える範囲内ならともかく、離れた相手に思念波を送るのは俺にも無理だ。魔導の方陣でその『感覚』を補うことはできるが、事ある毎にそれだと、ちと手間が掛かりすぎるからな。俺に何か用があればサリスに言え」


 リドウは説明しながらサリスを見る。


「ファーストグレードで残ってるのは、お前以外はリューだけだったな。他に残ってるので一番っつーと……」


 リドウは思い出そうと視線だけ動かして天井を見上げているが、そこら辺は完璧に把握しているサリスの言葉の方が早かった。


「ハイエンド級、といったところですね。トリプルキャストまでは完全に扱えるセカンドグレードが三名残っています」

「なら、指導もそいつらにやらせろ。ある程度まで達したら、その後はお前自身が看てやれ」

「かしこまりました」


 サリスに指示を出し終えたリドウが、未だに戸惑いが消えない様子の愛奈の方を向く。


「愛奈は、最終的にはその三人を纏めてぶちのめせ」

「んな!?」

「リューならそれでも互角以上に戦ってみせる。それがハイエンドとハイエンド級の差だ」


 愛奈は、シャイリーを三人纏めて倒せと言われたに等しいと一瞬で判断できてしまったがために目を剥いたが、それができなければこの先は話にならないと知り、きゅっと唇を結んでこくりと頷いた。


「で、最後にシャイリーだが……」

「うん?」

「……まあ、適当にやれ」

「本当に適当だね」

「お前さんなら冷静に自己分析できるだろ。その点に関しては妙な使命感を持ってねぇ分、千鶴よりも信用してる」


 この台詞に、千鶴は目を瞑った以外に何も反応は見せなかった。内心で怒ったのか、それとも素直に認めてしまっただけなのかは、恵子や愛奈には判断がつかなかった。


「取り合えず、僕もサキさんの尻尾を一本、かな」

「そうだな。ま、頑張れ」

「うん」


 この二人ならこんなものだろう。


 リドウは最後に、またぐるっと全員を見渡す。


「敵の全てを俺だけで片付けようとまでは、流石に俺も自惚れちゃいねぇ。まことに身勝手ながら、お前さんらには期待させてもらうぜ」


 千鶴、愛奈、シャイリーがそれぞれに肯定の返事を返した。


 が、恵子の声だけはその中には無かったが、無理もないだろう。彼女の力はどう頑張っても、ここから先の戦いに身を置けるものではない。拳銃はあくまでも護身用でしかないのだから、この世界では。


 しかしリドウは、彼女に視線を置いて真っ直ぐに言う。


「無論、お嬢にもな」

「あ、あたしもっ?」


 大きな戸惑いと、そして小さな喜びが含まれた表情と声であった。


 リドウは具体的なことは何も言わなかった。ただ、いかにも彼らしい自信満々のニヒルな笑みを送るばかりで。


「えっと……うん。頑張る」


 頬を紅色に染めながら応える恵子。


 それを見たリドウが、今度は滅多に見せない優しい微笑を浮かべるものだから……


「リドウ?」


 千鶴が黙っているわけがなく。


「ん?」

「…………」


 しかし、些かの痛痒も感じていない顔ですっ呆けられてしまうと、千鶴としても何と文句をつけたものか迷ってしまう。


「いえ……例の件、くれぐれも頼んだわよ」


 咄嗟の誤魔化しだったのだが、それを口にしている最中に段々と千鶴の全身が冷気に包まれていく。


「ああ」


 そして応える側も、淡々とした中に冷たい雰囲気を纏う。


 『例の件』とやらが何を指すのか恵子や愛奈は気になって仕方なかったが、それを口に出して訊ねることは終ぞしなかった。二人の醸し出す空気がそれを許してくれなかった。


 話は終わりだという合図の代わりに立ち上がったリドウは、魔物関連の犯人や小杉少年に対する怒気は一時忘れ去った様子で……


 しかし、右に勢いよく首を倒してごきっと鳴らし、左にも同じことをして、まるでこれから闘いに行くと言わんばかりに、ニィっと笑っている。


「さて、ラストだ――勝ちに往くぜ」


 ぎらっと物騒極まりない色に瞳を煌かせた。


 どうやらサキとの稽古に行くらしいと知った一同だったが、どうもいつもの稽古とは何か様子が違うようだと揃って察した。










 その後、この後に何が起こるのか気になってしまい、何となく全員揃ってリドウに付いて行く。


 辿り着いた先は、魔王様方が常用しているサロンだった。


 それ自体は予想通りで、扉を開けて中に入る。


「姐御」

「何じゃ? やけにガチな雰囲気よのう」


 サキが表情で軽く驚きを表意している。


「どうやら決まったようですね」


 そしてリリステラが既に確信めいた様子でそう言った。


「ああ。今回は俺とリューで行く。兄貴と爺さんも、こいつらを頼んだぜ」

「ああ」

「うむ」


 端的に頷く二人に、リドウは自分も頷き返し、そして改めてサキを見る。


「最後の一戦だ。悪ぃが――」


 迫力満点に目を見開く。


「殺す気で往かせてくれ」

「ほ?」


 今度の驚愕は相当なものだったようで、大きく目を見開いている。


 が、その唇がにまぁっと緩むのに時間は掛からなかった。


「よかろう。一度だけじゃぞ」

「一度だけだ」


 真剣な顔で頷く。


 リドウの台詞に絶句している少女たちを他所に、二人はさっそくテラスから外へ飛び出した。










 その激闘は都合十五時間近くに及んだ。


 千鶴やシャイリーは決して目を離そうとはせず、感知結界を最近覚えた愛奈は、まだ不慣れなのもあって休み休みであったが、最後の最後まで気合で耐え抜いて、少なくとも決着の瞬間は“観て”いた。どう頑張っても見えない恵子は、たまに二人が使用する魔法を「綺麗な花火ねー」と暢気に眺めているくらいだったが、一人だけ観戦しないで他に行ってしまうのも気まずくて、結局最後まで付き合っていた。


 二人の激闘に気付いたリュリュやシュリの眷属たち、更には桂木明人、山中果歩、皆川先生といった滞在中の日本人たちも自然と集まってきて、人同士の闘いなどとは到底思えない人外の闘争に呆然と目が釘付けになっていた。


 そして十五時間に及んだ激闘の結果は……


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 両膝に両手を付いて、肩を大きく揺らしながら、ついでに豊満な胸もゆさゆさと揺らして、荒く息を吐く“九尾”のお狐様の前に、完全にノックアウトされたリドウが地面に倒れ伏している。


 ――リドウの敗北であった。


 しかし、サキの方もかなり限界が近い様子で、傷ついた己の肉体の回復も忘れて息を整えている。


「ま、さか……こやつめっ、ここまでとは……ッ」


 立っている気力が尽きてしまったのか、地面にがっくりと片膝をつく。


「戦闘能力と……殺傷能力でここまで……差が開きよるかっ」

「俺らがそう育てたからな。油断しなくても殺されかねねぇ相手なら――思考を切り替えろ――ってよ」


 いつの間にか傍まで来ていたザイケンが「すげぇだろ?」とばかりのドヤ顔で言う。サキはちらっと彼を見るが何も言わず、リリステラの回復を受けているリドウに視線を戻す。


 ふぅっと一つ深呼吸をするとようやく息が整ったのか、落ち着いた様子で口を開く。


「見誤った。全力でいっても負けかねぬどころではない。殺し合いとなったら全力でいっても普通に負けかねん」

「そうでもなかろう。お主は結局最後まで『殺意』は無かったじゃろ」

「全力を出すかどうかを考えるというレベルではなかったぞ。全力でいかなければ問答無用で殺られとった。こやつとタメ張った勇者というのまでおるとは、今の世は本当にどうなっとるんじゃ?」

「言っちゃなんだが、ラヴァリエーレ相手に殺傷前提で闘いにはいかなかったぜ」


 いつの間にか回復を終えて意識を取り戻していたリドウが、フォローなのか自慢なのか判断に困る発言をした。


 地面にあぐらをかいて座り込んでいるリドウは、頭をがしがしとかき回してから、深々と嘆息する。


「結局、勝てなかったか」

「齢二十一にして古の魔王の一角に膝をつかせたのです。誇りましょう、坊ちゃま」

「惜しかった」

「今でこれなら、いつか絶対勝てるって!」


 魔王様方と一緒に来ていたリュリュとシュリが、胸の前で両手を握って軽く身を屈めながら「次、ガンバろ!」と言う感じ。もっとも、相変わらずリュリュは無表情の棒読みなのでチグハグ感が半端じゃないが。


「こっからが遠いって分かってるくせに、気楽に言ってくれるなよ」


 応えるリドウは顔を俯け気味にして息を吐く。


「殺傷能力には自信有ったんだがなぁ……」

「十分自信にしてよいわっ!」


 たまらずツッコミを入れるサキであった。










 決着と共に動き出した魔王様方やリュリュたちとは違い、今もまだ『お客様組』は身動きも忘れて硬直したまま、呆然と立ち尽くしていた。


 その中で逸早く意識を取り戻したのはシャイリーだった。


「そうか……」


 何かを呑み込むように喉を動かし、そして何かに気付いた様子で、独り言を呟くように言う。


「あの人……僕たちの前で殺傷前提で闘ったことが今までに一度も無いのは知ってる“つもりだった”けど……」

「……そんなに違うものなのかしら?」


 “そこら辺”についてはまだよく理解していない千鶴が慎重に問う。


「違う。リドウさんはこれまで……僕は直接観戦できなかったけど、剣姫やアレクサンドル・ラヴァリエーレ相手にはもちろん本気で闘ってきたと思うよ」


 シャイリーは千鶴の方を向いて、普段のニコニコ笑顔がなりを潜めた真剣にして冷徹な表情で話す。


「でもそれはあくまで『殺してしまっても構わない』という心構えでしかなく、『殺してしまおう』という殺傷レベルの『意識段階』じゃなかったと思う」


 唸るように言う。


「殺傷前提ならアレクサンドル・ラヴァリエーレはもっと早く終わっていたと思うよ。聞いた限りじゃ、普段から殺傷前提で闘う人だと思うから。剣姫はどうかな? こっちも聞いた限りじゃ、リドウさんが何をしてくるのかわくわくで楽しんでたっぽいし。殺傷レベルの意識段階じゃなかったと思うから、まだ上があるだろうね」


 にたぁっと唇が歪むのに、話に耳を傾けていた一同は、千鶴をのぞいて全員が一斉に身を引いた。


「あの人の腕前は殺傷レベルの一歩手前の意識段階でも、それを他者に感じさせない凄腕だし、一見する限りじゃ苛烈な人に思えるから、その印象が尚更、他者に気付かせないんだよ」

「けれども――実際はかなり甘い男だし、穏やかな男でもあるわね」

「うん。そういう意味ではおそらく魔王を含めた超級実力者の中でも屈指の人だと思う。だから殺傷レベルとその一歩手前でここまでの開きが出るんだ」


 くつくつと喉が小刻みに動いている。


「実力が究極域に近づけば近づくほど、この『意識段階の差』は戦闘力の変化に如実に反映されるようになる。今のが正真正銘、リドウという男が僕らの前で初めて見せた全力全開だ」

「生徒たちは……」


 唐突に口を挟んできたのは皆川先生だった。


「ん?」

「あんな……」


 言いよどむ皆川に、シャイリーは屈託なく笑い掛ける。


「『化け物』って素直に言っちゃっていいよ」


 内心で呟いていた言葉を見抜かれてしまい、皆川はぐっと息を詰まらせる。


「本人たちだって理解してるから――『常人の力じゃ止めきることが不可能な力』だって」

「そう……ですか……」

「私が何を案じていたか、ご理解頂けましたか? 皆川先生」

「はい……」


 千鶴の言葉を受けて、唸るように肯定の言葉を返しながら頷く。


「生徒たちが、あんな人物たちの跳梁跋扈する人外魔境で戦わされるかもしれないのですね……」

「それだけではありません」

「分かってます」


 重苦しい声で、難しそうに眉をひそめながら応じる。


「勇者候補だった子たちの才能はきっと誰もが否定しないでしょう。それを素直に受け入れることはできても……」


 両手で顔を覆って、彼の曇りきった心とは裏腹に美しい満天の輝きを湛える星空を仰ぐ。


「天才たる自分が抗うことすらできない強者など、他者から聞かされても、本当の意味で想像することは非常に困難を極めるでしょう……」


 顔を正面に戻して力なく首を振る。


「言われずとも流石に理解できます。あれは才能が有るとかでどうにかなる次元ではありません。もっと根本的に、肉体や脳があの戦いを行うに相応しいと適合できなければ、少なくとも地球人類の能力値で追いつくことができるはずがありません」

「力には恵まれなかった先生に、彼らを探し出して説得しろとは申しません。けれども、新たに保護された子たちが過ごし易いよう、ここの方々と上手に連携を取って、環境を整えてほしいと思います。残念ながら、私はいずれ出て行きますし、滞在中も鍛錬以外に心を砕いていられる余裕はありませんので」


 皆川先生は千鶴の言葉を聞きながら真剣な顔つきになっていく。


「それくらいは――教師としでてはなく、大人としての最低限の義務であるとお考え下さい」

「心しておきます」


 揺ぎ無く頷く皆川先生に、千鶴は微かに目元を緩ませた。本当は笑い掛けそうになったのだが、桂木明人の言葉を思い出し、山中果歩に遠慮したらしい。










「それじゃ、行くぜ」

「…………」


 改めて旅立とうと遺跡の前で振り返るリドウと、その片腕に座っているリュリュ。


 見送りに来ているのはリリステラを初めとする魔王様方と、もちろん少女たちやシャイリーも居る。更にシュリ以外にも外見年齢が十八歳以下のメイドさんたちが地味に十五名ほど。


「リドウ」


 その集団の中から満を持してリリステラがリドウに近づいて行く。


 そして目の前まで歩むと、すっと両手を仰向けて差し出す。


 そこに突如、真紅のコートが現れたことで、リドウが意表を突かれた様子で何度か瞬きしている。


「三日前に修復したばかりとは言え、サキとの闘いでかなり消耗したでしょうし、サキとの鍛錬で何度も修復したせいでそろそろ耐久限界でしょうから、新たに一つ作りました。これをお持ちなさい」

「そっか。ありがとよ」


 リュリュを下ろして、今まで纏っていたコートを脱いで、リリステラの持つそれと交換し、改めて袖を通す。


 自己修復機能を持つという摩訶不思議コートは、元々の方も綺麗なものだったが、新たに贈られた物の方がどことなく輝いている気がした。


 更にリリステラは、コートを着終わったリドウを優しく抱擁する。


 別れの挨拶かと思いきや、どうも様子が少しおかしいことに息子は気付いた。


「リリィ?」


 リドウは訝しげに、自分の肩に顔を埋めるリリステラを、首を動かして見下ろす。


「多くは申しません。ですが……」

「ああ」

「必ず生きて、わたくしに再び元気な顔を……」

「ああ。約束する」


 闘士が一度交わした約定を違えることは“死んでも”在り得ないのだ。


「あんたこそ、言う必要もあるとは思えねぇが、元気でな」

「魔王に対しては最も相応しくない言葉ですね。ですが、わたくしも約束しましょう」


 いつもの聖母の笑みを浮かべるリリステラの頬に、リドウは軽く口付けた。そして彼女も、お返しに軽く息子の頬に口付ける。


 その後、笑みを優しく深めて互いに見つめ合うと、それ以上の言葉は無く、二人は互いの身を離した。


 自由の身になったリドウは見送りの一同を睥睨する。その視線が日本人少女たちの場所で止まる。


「まあ、俺も多くは言わねぇが……頑張れよ」

「あんたこそ、死んだりするんじゃないわよ」

「私の居ない場所で勝手に死んだりしたら、地獄の底まで追って行って、一発かましますからね」

「怖ぇな。肝に銘じておこう」


 恵子と千鶴の物言いに、おかしそうに唇を緩めながらのリドウ。


 その一方で、地面に下ろされたリュリュの方も、シュリや明人が集って別れを惜しんでいた。


「リュリュちゃんは強いけど、無理はしちゃダメだよ」

「あんまり若様にワガママゆーんじゃないからね」

「ん」


 こくりと頷くだけで、相変わらず表情に変化は無いが、これがこの子の精一杯の誠意が篭った表現力だと二人は知っているので、それ以上は何も言わなかった。


 特に親しい二人との別れを済ませたリュリュは、リドウの元へ可愛らしくとことこと駆け寄る。彼は当たり前のような顔で彼女を抱き上げ、


「じゃあな」


 最後は彼らしいあっさりとした言葉だけを残して、遺跡の方へ踵を返した。


「行ってらっしゃいませ、坊ちゃま」


 サリスが頭を下げるのに連動して、メイドさんたちが「行ってらっしゃいませ、若様」と声を揃えて、一糸乱れぬ礼を披露した。


「元気でやんな」

「怠けるでないぞい」

「わらわはその内、気が変わったら出向くからの。その時はまたお前様が相手せいよ」


 メイドさんや魔王様方の声に、リドウは振り返ることなく片手を振って応じただけで、リュリュを抱えたまま颯爽と遺跡の中へ消えて行ってしまう。


 途端にわらわらと仕事に戻るメイドさんたちや山中と皆川の家事担当たち。


 続いて魔王様方も、特に未練は感じさせずに城の中へと戻って行く。


 が、恵子、千鶴、愛奈、シャイリーの四名はしばらくその場に留まったまま、じっとリドウの消え去った遺跡の入り口を見つめていた。


 やがて唐突に、示し合わせたわけでもないのに、全員が一斉に視線を合わせる。


 言葉は無く、しかし強烈な意思の篭った眼差しで一つ頷き合うと、力強い足取りで城の中へ戻って行くのであった。










「……良かったのか?」


 遺跡に入った途端にリュリュが言った。


「何がだ?」

「一条千鶴……と麻木恵子も。楔くらい打っておくかと思った……キスの一発くらいかまして」

「どれだけの時間離れてっかも判らねぇんだぜ。そこまで縛れるかよ」

「……若様は女心が分かってない」


 何やら確信的な口調だった。


「精神年齢殆どガキなお前がほざくか?」

「女は幾つになっても好きな男からは縛られたいもの。物理的には鬱陶しいけど、精神的には鎖で雁字搦めにされるくらいでちょうどいい」

「本当かよ」


 胡散臭そうな顔で、自分の腕に座るリュリュを見る。


「いちおー、これでも女の内だ」


 えっへんと胸を張る……無表情で。


「お前の持論を信じるのはかなり危険な気がするな」

「……ちょっと傷ついた」


 ショボン……とワザとらしく口に出して言うリュリュの額を、ちょんっと突っつくリドウ。

 姉と弟ではなく妹と兄として見るのなら、割とまともにそれらしく見えなくもない二人だった。

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