第五十九話 決着
リドウとアレクサンドルは空中にて再び激突する。
凄まじい速度で空を駆け、相手のスキを互いに窺っていたと思うと、リドウの姿が掻き消える。
気功士が可能とする空中疾走に風の魔法を組み合わせることで、初めて可能とされる動きだった。
迎え撃つアレクサンドルは、面白いと口角を吊り上げながら構える。
が、その思惑は外れる。
リドウはアレクサンドルへ単純に切り掛かるのではなく、アレクサンドルの足元へ潜り込んだ。
そして、風と空中疾走を駆使し、一瞬で上空へ跳び上がりながら、アレクサンドルを狙う。
人間とは普通、地面に足をつけて生きている以上、自分の足より下から攻撃されることなど基本的にはありえない。上空からの攻撃になら対処する方法を持つ人間でも、下からの攻撃に的確な対処法を持つ人間などそうそう存在しない。
(空間跳躍も間に合わんかっ!)
アレクサンドルもこれは流石に想定外だった。内心の舌打ちを押し隠し、自分も風を操り上空へ身体を逃がしながら、リドウの攻撃を迎え撃つ。
しかし、完全に力が乗り切っていたリドウの攻撃を捌ききることはできなかった。
「――らぁっ!」
「くっ」
リドウの気合一閃に力負けして、アレクサンドルは体勢を崩してしまう。
リドウがそのスキを見逃すわけがなく、怒涛の連続攻撃をアレクサンドルへ浴びせる。
きんっ、きんっ、きんっ、と火花が散る。何とかリドウの攻撃を捌いているアレクサンドルであったが、一合するたびに、確実に追い詰められていく。
そして――
振り下ろしの一撃を浴びせたリドウが、アレクサンドルの刀を支点にして、コートを翻して一回転し、アレクサンドルへ踵落としを見舞う。
リドウの攻撃へ対処するために横這いの形になっていたアレクサンドル。その背を強烈に叩き付けられ、背骨が軋み声を上げる。
「ぐぁっ」
まともに食らってしまったアレクサンドルは、悲鳴を零しながら地上へ向けて吹き飛んだ。
それだけでは飽き足らず、リドウはアレクサンドルへ手のひらを向ける。
その手から魔力の塊が連続して放たれた。
地上へ激突したアレクサンドルを更なる攻撃が襲う。
魔力砲の嵐が次々と地面を削り取っていく。
更にリドウは右手を掲げる。
生まれ出でた炎の竜が、主の命に従って地上へ襲い掛かった。
「おー……容赦ねぇな」
空中から一方的にアレクサンドルを攻撃するリドウを見て、ガルフが冷や汗まじりに言った。
「ラヴァリエーレ様……ッ」
カタリナが歯を噛み締めて、唸るように仕える主の名を呼ぶ。それでも彼女は行動を起こそうとはしなかった。それは確実に主の意に反し、更には主の誇りを汚す行いだったから。
「これは終わったか……?」
強張った顔でベアトリクスが呟く。リドウの苛烈さに、かなり引きが入っているようだった。
「その台詞、フラグよ」
「フラグ?」
千鶴が無感情に言うが、残念ながらベアトリクスにその意味は理解できなかった。
「本人以外が言っても有効なの? それって」
「さあ?」
愛らしく首を傾げる恵子に、千鶴は肩をすくめる。
「でも、リドウの表情は勝ったなんて思っているようには全く見えないわね」
その通りであった。
竜華葬送が地上を焼き払うのを冷静に眺めていたリドウであったが、
「ちっ」
不意に大きな舌打ちを鳴らして、ゆっくりと地面へ向けて降下する。
リドウは爆心地から数十メートルの距離をおいて静かに地面に足を下ろした。
それとほぼ同時に、爆心地であるアレクサンドルを中心に暴風が吹き荒れ、未だ周囲を焼き続ける炎を巻き込み、粉塵を纏めて吹き飛ばす。
風にさらされて乱れる髪を押さえていると、その視線の先には、ダメージを負った様子など全く見えないアレクサンドルがいた。
男の髪とは思えないさらっさらの銀色ロングヘアーが風に靡いて肩にかかる。それを優雅に手ですくいながら背中へ流す。気障ったらしい仕草が一々絵になる美貌に浮かぶのは冷ややかな笑みであった。
「やれやれ。空中戦は貴様の方が上らしい」
素晴らしいものだと両手を敲いてリドウを賛美するが、彼の方はつまらなそうに鼻を鳴らすだけだった。
「殲滅師相手に遠距離で魔法撃っても、やっぱあんま意味ねぇな」
「障壁を貫いた上で闘気の防御も貫かなくてはならんからな。トリプルくらいまで“練れば”話も別であろうが」
「次はそうする」
「そんなスキはもうくれてやらぬよ」
くつくつと笑いながら刀を鞘に納め、腰を落としながら柄の上で右手を躍らせる。
抜刀術の構えだった。
それを理解し、面白いとばかりに笑いながら、リドウも同様の構えを取る。
左右対称に両者は構える。
そのままぴくりとも動かず、静かに時だけが過ぎ去っていく。
「動かないな……」
「抜刀術は本来、迎え撃ってこそ真価を発揮する技よ。迂闊に動けるものじゃないでしょう」
ベアトリクスや千鶴は共に真剣な顔で戦場を眺めながら話す。
「とはいえ、いつまでもこのままじゃ観てるこっちが疲れるだけだな」
ガルフが悪戯げな笑みを浮かべながら手を掲げる。
その手が示す先はリドウたちが立つ場所のちょうど真上であった。
その空間が不自然に歪むのを少女たちは理解する。
「空間圧縮……」
カタリナが呟くように言うが、その声はどこか硬い。ガルフの魔法技術がいかに優れたものかを正確に理解できるからこそ、彼女は戦慄してしまっていた。
「くうかんあっしゅく? ってまたなに?」
恵子の疑問の声に応えてくれたのは魔法を使用している本人だった。
「そのまま、空間を圧縮して解き放つ魔法だ。圧縮それ自体が攻撃方法になるが、それを解放した時の威力はちょっと洒落にならねぇぜ」
笑みを深くして、ぐっと手を握り締める。
刹那――
どっがぁあああああああああああああんっ
圧縮された空間が爆ぜた。
「な、何だぁあっ!?」
お休み中だったアリアが、今までにない大きな音に飛び起きた。
きょろきょろと辺りを見渡し、今の状況を思い出すと、慌てて戦場へと視線をやる。
「なっ……」
そこで起こっている事態に、アリアは思わず息を呑んだ。
よくマンガなどで、真剣に対峙する二人が、互いに必殺の一撃を放とうとする時に、睨み合って動けなくなる場面があると思われる。
ただの演出とは思うなかれ。伯仲する実力の持ち主同士が、互いに極限に近い技量を持ち合わせている場合、こうして睨み合っている時点で、既に読み合いの勝負が始まっているのだ。
試合であれば『消極的』として両者に警告が送られてしまう話だが、それは見世物である以上、観客を楽しませる、または制限時間がある以上仕方ない。
がしかし、これは正真正銘の真剣勝負。文字通りの命懸け。そんな『気楽なこと』を言っていられるものではない。
こうした場合、何かの切っ掛けがなければ互いに仕掛けられないものだ。
その切っ掛けがガルフによって生み出された。
大爆発に驚くことはない。研ぎ澄まされた集中力の中で感じ取れるのは『動き』だけだ。
ハイエンドの気功士の力は数十メートルの距離をたった一歩でつめてしまう。
制空圏の薄皮一枚外で両者は急停止する。
そこから最後の一歩を踏みしめ、制空圏が触れ合った瞬間、刀を抜き放つ。
超高速で放たれる刃が月明かりに照らされて煌く。
「はぁ――っ!」
裂帛の気迫を吐き出したのはどちらであったか。
互いの刃が交叉する。
己が持ち得る最大の力が込められた一撃。
その結果は――
白刃がくるくると空を舞い、重力に従って地面に落ちて、ぐさりと音を立てる。
――二本の刃が、半ばから断ち折られて。
「互角か……ッ!」
「まだだ!」
リドウは即座に折れた刀を捨て、更に一歩踏み込みながら下から救い上げるようにして手のひらを振り上げる。
アレクサンドルはその攻撃を、拳を握った腕を横から叩き付けることで防ぎ、その手をそのまま真っ直ぐに伸ばしてリドウの顔面を狙う。
地味だが、防御と攻撃が一体になった無駄のない一撃だった。
リドウは半身を逸らしてアレクサンドルの拳を避けると、深く腰を落とす。
腰を落とすというよりも、殆どしゃがんでしまっている。右足を曲げ、右足を伸ばしながら、大きく右手を背後に振りかぶり、左手を前に突き出す。
その姿勢からの足払い。
「くぉっ!?」
同時に右手を払うことで、回転の威力を増した足払いは、アレクサンドルの体勢を一発で崩し、無様に地面を転がしてしまう。
リドウはしゃがんだ姿勢のまま、一気に回転して、握り締めた左の拳を真っ直ぐに伸ばしてアレクサンドルへ叩き付ける。
裏拳と呼ばれる技かと一瞬思ったアレクサンドルは、予想外にもいきなり真っ直ぐに自分へ伸びてきた拳に防御が間に合わず、不自由な姿勢でまともに食らってしまった。
リドウの連撃は更に続き、何とか姿勢を取り戻そうと防御に専念するアレクサンドルの顎へ、伸び上がりながら手のひらを叩き付ける。
と思えば、次の瞬間には、リドウはしゃがみ込む。
しゃがみ込む勢いを利用しながら左足を突き出す。狙いはアレクサンドルの足元。
上下に落差の激しい攻撃は対処を著しく困難にする。
アレクサンドルは足首を狙い打たれて再び体勢を崩してしまった。
リドウはすかさず右足を振り上げてアレクサンドルの鳩尾を蹴り抜き、ごふっと息を吐きながら前傾姿勢になってしまったアレクサンドルを、蹴り抜いた勢いのままに跳び上がり、更に顎を左足で蹴り上げる。
いわゆる二段蹴りだが、こうまで綺麗にキマってしまったのはリドウの技量の賜物だろう。
上空へ吹き飛んだアレクサンドルへ、リドウは手のひらを向ける。
巨躯を誇る炎の竜が無防備なアレクサンドルを襲った。
それだけでは飽き足らず、炎に焼かれるアレクサンドルを中心に新たな炎が取り囲む。
「鳳凰昇天!」
生まれ出でた不死鳥が優雅に飛び立つ。
そして――
不死鳥と巨竜が交わる時――
「人間相手にこれを使う日が来るとは思わなかったぜ。誇れよ、ラヴァリエーレ」
新たな命が炎に宿る。
女性を象ったその炎。
炎という不定形の現象でありながら、背に六対十二枚の羽を持つ姿は言葉にできないほどに美しかった。
「天使……?」
千鶴が魅入られたように小さく呟く。
その横で、はっと息を呑む気配。
「リリステラさん!?」
その口から発せられた驚愕の声に、一同が一瞬だけ訝しげな目を向けるが、今はそれを疑問に思うよりも、炎の天使が意識の総てを塗りつぶしていた。
いや、その『リリステラ』という単語に覚えのある千鶴は、
(なるほど、あれがリドウの育ての母の姿なのね……)
と人知れず“臍を噛んで”いた。
そしてガルフも……
(エンシェント・ドラゴンにフェニックス。魔法ってのはイメージが重要だからな、やっこさんにとって『強い者』のイメージを根幹として構成した魔法は極めて効率がいい)
にぃっと歯を剥き出しにして笑う。
(つまり、やっこさんにとって『最強』のイメージはあの女の姿ってことだ。リリステラ……リリステラ……ふん、なるほど――『リリス』か)
それぞれの思惑が渦巻く中、リドウは冷厳にその名を呼ぶ。
「絶技――天破煉翔ッ!!」
リドウにとっての紛うことなき最強の存在。
その姿を模した炎に込められた『意思』は、この世の総てを焼き尽くす。
今、最強の炎の天使が中空で無防備をさらすアレクサンドルへ襲い掛かる。
既に半ばから意識を断たれているアレクサンドルに、それを避ける術は無かった。
「貴様の――勝ちだ」
いっそ優しいとすら思えるほどに柔らかく、アレクサンドルはそっと微笑した。
華麗にして荘厳な天使が空を舞い、アレクサンドルを優しく抱擁する。
その女性が純粋な火のエレメントでさえなければ心温まる光景であったが、眼前のそれは荒々しく、また鳥肌さえ立つほどに寒気すらもたらす。
そこに込められた、一人の人間が作り出したとは到底思えない膨大なエネルギー。それがもたらす無慈悲極まりない光景に女性陣は絶句してしまう。
「お、おー……やっこさん、マジで容赦ねぇな……」
ガルフの声もどこか力が感じられない。
「な、何だあれ……?」
アリアが声を震わせている。
てっきり恐怖で慄いているのかと思えば、
「か、かっけー……」
他の面々が一様に顔を引き攣らせている中、カタリナの腕の中で目を輝かせるお子様がいた。
この場面でこの反応とは、やはりどこかがズレているお子様であった。バトルジャンキーとはつくづく困ったものだ。
「しかし……これは死んだのではないか……?」
ベアトリクスが慎重に言葉を紡ぐ。何となく憚れるような声になってしまったのは、明らかにアレクサンドルへ主従を越えた感情を抱いているカタリナへの配慮だった。
一同が覗き見るようにちらっとカタリナを窺うと、表情を失った彼女が、アリアを優しく地面に下ろしながら立ち上がった。
そのまま何も言わずに戦場へと飛び立ってしまう。
「……案外早く決着したな」
ガルフはどっこらしょと腰を上げると、所在なさそうに立っているアリアを抱き上げて、自分の肩に座らせる。
「嬢ちゃんも連れてってやるから、もうちっと寄りな」
「あ、はい」
恵子は慌てた様子でガルフへ近寄っていった。
リドウが生み出した風が、アレクサンドルを燃やす炎を薙ぎ払う。
力なく地面に横たわるアレクサンドルを、狭まった目で眺めたリドウは、ふぅと深く息を吐き出してから、先ほど放り捨ててしまった刀の方へ歩む。
半ばから折れてしまった刀をじっと眺めながら、肩を若干落としてはぁっと重いため息を吐く。身体が成長するのに合わせて変えてきた刀であったが、これは十五歳の頃から、もう六年以上も付き合ってきた愛刀だったのにと、ちょっと哀しげなため息だった。
「お前さんもこれまで良く頑張ってくれたな。おかげで十分楽しめた」
修復は最早不可能だ。それよりも新たに一振りこさえた方が早い。
それでも、打ち捨てる気にはならず、折れた愛刀を鞘へ納めた。
「ラヴァリエーレ様!」
血相を変えてアレクサンドルの傍まで飛んできたカタリナが、主へ治療の魔法を施すのを、リドウはちらっと横目で眺めながら、何も言わずに懐から煙管を取り出した。
(ま、あんだけ頑丈なら死にゃしねぇだろ)
ふぅっと美味しそうに十数時間ぶりの喫煙を楽しみながら、空でひっそりと輝く月を見上げる。
(ん。満足した)
瞳を閉じて気持ち良さそうに唇を綻ばせる。
手強い相手であった。
……いや、正直に言おう――自分の方が強かった。
刀術は互角だったが、体術では完全に上をいけた。それに、魔法戦も。多分、目を覚ましたアレクサンドルにそれを訊ねれば、特にムキになったりもせずに認めるだろう。
それでも百戦百勝とは到底いかない使い手ではあったが。
『自分に匹敵する“人間”』がこの世にまだまだ存在するのだと教えてもらえた。それだけでも、リドウにとっては何よりも価値のある戦いだった。
(……ただな……負けられなかったんだよな、また……)
勝利を望んではいた。しかし同じくらいに敗北を望んでもいた。
そんなことを思ってしまう自分が、死力を尽くしてくれたアレクサンドル・ラヴァリエーレに対して酷く失礼な気がして、かなり不快な気分になってしまう。誰に対してでもなく、自分自身が許せずに、舌打ちを鳴らしてしまう。
ちょうどその時。
「よっ」
カタリナから少し送れてやって来たガルフが、陽気に声をかけてくる。
「一先ず、おめでとさんと言っておこうか」
「ああ……ありがとよ」
複雑に笑みながら礼の言葉を言っていると、ガルフから飛び降りたアリアが、とことことリドウへ寄ってきて、きらっきらんに輝く瞳で見上げる。
「リドウの兄ちゃん!」
「ん?」
「オレ、いつか絶対、兄ちゃんに勝てるよーになってやるぜ」
「そりゃ楽しみだ」
にししと笑うアリアの頭を、リドウも素直に笑いながらぐしゃぐしゃと撫で回す。
そして、一緒にやって来た恵子が、傍まで寄ってくると、
「あんたらさ……」
周囲を見渡す。その視界に映るのは、大穴が開いた地面や、半ばから消失した山々に、ここから真っ直ぐに地平線が見渡せてしまう森の向こう側。
「マジで自重しなさいよね」
「魔王級殲滅師同士の闘争と思や、まだマシな方だと思うがねぇ」
「…………はぁ」
まるで他人事のようにうそぶくリドウに、恵子は最早何も言う気力が湧かないらしく、肺の中身を全て吐き出すようなため息をついた。リドウとて理解していてすっ呆けていることくらい、恵子もいい加減、見分けがつくようになっている。
と思うと、くすりと口元を緩めた。
「でも、勝ったから許してあげる」
何で許してもらう必要があるのかは誰にも……言った本人にすら分からなかったが、リドウはこんな場面で余計なことを言ったりするポケポケなニブチンではなかった。
「約束……したからな」
微笑するリドウに、なぜか顔が熱を持ってしまい、思わず背けてしまう恵子。
すると、ようやく追いついて来た千鶴が冷ややかな目で自分を見ているのに気づいて、あたふたしてしまう。
千鶴は取り合えず追及する気はないようで、恵子の様子は無視してリドウに話しかける。
「ようやく理解できたわ」
「はん?」
「ハイエンドという領域がどれだけ馬鹿げたモノなのか」
ぎりっと歯が噛み締められる音に、リドウは眉をひそめる。
「教えて。私はあなたたちの領域まで行けるの……?」
俯いて、搾り出すような声。今にも泣き出しそうにすら思える声だったが、リドウは鼻で笑い飛ばした。
「何を言うかと思えば……才能ならお前さんは俺に劣るもんじゃねぇよ」
「そう……」
千鶴は静かに応えながら顔を上げる。そこには普段の自尊心は感じられない、儚げな笑みが灯っていた。
「馬鹿なことを訊いたわ。忘れてちょうだい」
「ん」
煙管を吹かしながら、短く応えた。千鶴が何を思っているのか、リドウが察したかどうかも定かではない。しかし少なくとも、様子がおかしいというくらいは理解しているだろう。それでも何も言わないのだから、この件に関して自分からこれ以上に首を突っ込もうとは考えていないようだ。彼女が自分自身で乗り越えるべき事柄だとでも考えているのだろう。ここら辺、厳しい男であった。
それから数分が経過する。
リドウたちは暗黙の内に一ヶ所に集まって、アレクサンドルとカタリナの様子を見届けていた。
アレクサンドルの頭を己の膝に乗せて治療を施すカタリナ。彼女の気配が、彼らに対して「決して近づけさせません」と無言で語っていた。
正味の話、リドウにガルフまでが揃っている以上、カタリナが命を懸けようが抗い得るものではない。しかし、彼女の抱く決意がもたらす尋常ではない様子は、リドウに「手伝おうか?」と提案しようとする余地すら与えないものであった。
やがて、
「う……」
アレクサンドルは小さな呻き声と共に、薄っすらと目を開く。
「ラヴァリエーレ様……」
カタリナは涙を堪えながら、無理やり笑みを作って主の名を呼ぶ。
アレクサンドルは何度か瞬きをすると、ふっと微笑を零しながら、カタリナの頬を優しく撫でる。
「お前ももういい年だというのに、泣き虫はいつまで経っても変わらんな」
「年齢の話はしないで下さいまし。これでも若いつもりなのですから」
――いや、実際若いでしょ。
二人の様子にあてられて、あっついあっついと顔の前で手をぱたぱたと扇いでいる恵子が、心の中で思いっきりツッコミを入れていた。
その隣では、仲睦まじい二人の様子を羨ましそうに見つめている千鶴がいらっしゃったり。
「やれやれ。完敗だな」
アレクサンドルは立ち上がりながら乱れた髪を掬い上げる。冷たくも美しい容貌が月明かりに照らされて幻想的なまでに映える。
遅れてカタリナも立ち上がり、ひっそりとアレクサンドルの横に控える。先ほどまでの迫力は既になりを潜め、深窓の令嬢といったいつもの雰囲気に戻っていた。
「ラヴァリエーレ殿」
「何かな、マドモワゼル・クラウンディ」
集団の中から一歩出るのはベアトリクス。
「あなたは敗者だ。我々に従う義務がある――と考えるのだが、いかがか?」
アレクサンドルは目を瞑りながら唇を歪める。
「別に、マドモワゼルに負けた覚えはないが……まあ、よかろう。何が望みだ?」
「あなたの誇りを汚すことになるような過大な要求をするつもりはない。ただ、幾つか質問に答えてほしいのだ」
アレクサンドルは「どうぞ」とばかりに手を差し出した。
ベアトリクスはこほんと一つ咳払いした。
「此度の大規模勇者召喚が行われた真意を教えてほしい」
「大戦を起こすためだ」
戦慄が走り抜ける。
予想していたとはいえ、質問したベアトリクス自身は難しげに唸り、他の面々も険しく目を細めたり、息を呑んだりしている。
「やはりそう」
「――というのは建前でな」
「何だと!?」
驚愕するベアトリクスに、アレクサンドルは悪戯が成功しましたという風情で笑っていた。
それを見て、冗談だったのか? ならば『どこ』が冗談だったのかと険悪な顔で黙ってしまうベアトリクス。
しかし……
「いや、建前と言うのは少し違うな」
アレクサンドル自身、何をどう定義するのか、今一理解していないが故の台詞だったらしい。
「建前ならば、『許されざる魔王と魔物を殲滅する』という、各国の貴族勇者連中に発表されているのがあったはずだ」
「ならばやはり、大戦を……?」
「大戦は起こる。それは確定事項だ」
「――――ッ」
「……が、それも手段にすぎん」
ベアトリクスはぎょっと目を見開く。
下手をすればリリス教とロンダイク聖教の生き残りを賭した最終決戦にすらなりえる話だというのに、それすら過程の一つでしかないなどとは、到底信じられるものではなかった。
「ちょっと待て」
リドウがベアトリクスを庇うように手を差し出しながら前へ出る。
「あんた、そんなことまで俺らに話しちまって本当にいいってのか?」
「ふっ。まさか私が他人から心配される日がくるとはな」
はっはっはと大声で笑う。
「もう帰るつもりは無い。貴様への雪辱を果たすためには、教皇庁でぬるま湯に漬かっていては到底届き得まい」
「お仲間と殺し合うつもりか?」
「それも一興」
牙を剥くように邪悪な笑みを浮かべながら、壮絶な鬼気を発する。
「それこそ望むところよ」
「そうかい」
なら自分から言うことは何も無いと、あっさりと引き下がるリドウであった。人の生き死にが懸かった話だというのに、止める気は全く無いらしい。
「では、続きを話して頂こう」
と、ベアトリクスが強い眼差しでアレクサンドルを見つめる。
しかし彼の方は、何かを考えるように、顎を指先でつまみながら首を傾げてしまう。
「……今更話す気が失せたというのは勘弁して頂けないかな、ラヴァリエーレ殿」
「いや、そうではない。ただ、話しても戯言と一笑されては、私もちと不愉快な気分になるかもしれんと思うと、少々口が重くならざるを得ん」
訝しげに眉をひそめる一同の前で、アレクサンドルは「ふーむ」と考え込んでいる。
「あなたを笑ったりはしないと約束する」
というか、流石にそんな度胸は私にもないぞと、ベアトリクスは心の中で呟いていたり。
「ふむ。まあ約束は約束だ」
顎から手を離し、まっすぐに立つと、普段から冗談など欠片も窺えない冷たい美貌を、更に幾分真面目にした顔つきになる。
その唇からどんな真実が語られるのか、一同は例外なく若干の緊張を孕んで、心の中で身構える。
「――神の復活だ」
「はあ?」
ベアトリクスは気の抜けた声で問い質していた。何とか失笑だけは避けられたが、相手がアレクサンドル・ラヴァリエーレでなかったら、きっと大笑いしていただろうと自分でも思ってしまう。
他の面々も似たり寄ったりな反応で、アレクサンドルは「ふんっ」とつまらなそうに鼻を鳴らした。
図らずも彼の機嫌を損ねてしまったと気付いたベアトリクスは、冷や汗を垂らしながら慌てて口を開く。
「す、すまない。あなたを馬鹿にする心算はないのだ。しかし……」
「生憎と事実だ」
「…………」
ベアトリクスは何と応えたものか分からない。
すると、アレクサンドルは自分の方こそ失笑しながら、両手を広げて肩をすくめる。
「神と言っても、いわゆる創造神といった類ではない」
「なるほどね」
静かな声で納得を示しながら前に出てきたのは千鶴であった。
アレクサンドルは興味深そうに眉を跳ね上げる。
「大した情報源もないから確信は抱けなかったけれども、ロンダイク聖教の成り立ちに関してはちょっと疑問だったのよ」
「ほう?」
「けれども、それなら理解できるわ」
千鶴は眼差し鋭くアレクサンドルを見つめる。
「ランスロット卿」
「もうその位は捨てた。私を呼ぶならばラヴァリエーレの姓を使え。名を許すほどに馴れ合う心算はないぞ」
「ではムッシュ・ラヴァリエーレ」
「よろしい」
頷くアレクサンドルは妙に楽しそうだった。フランス人の彼に合わせて敬称を固定した千鶴の知性が気に入ったらしい。
「端的にお訊ねします。ロンダイク聖教の成り立ちには魔王が関わっているのでは? いえ、聖ロンダイクそのモノが魔王なのではありませんか?」
まさかと息を呑む一同をよそに、アレクサンドルは一人楽しげに笑っていた。




