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第四話 地獄の魔女

 その男たちにとって、“彼女”は何としても仕留めるべき女だった。

 

 始まりはいつだったろうか? 確か一ヶ月よりは最近で、十日よりは昔だったはずだ。


 彼らは盗賊団だ。それも近隣では唯一《都市》の名を冠するアクレイアの周辺を根城にした数多くの盗賊団の中でも、有数の規模を誇る盗賊団である。その構成員数は百名近く、普段は十名ずつの小隊に分かれて、各々に別の場所を拠点に活動している。一所で屯していると、軍や冒険者に物量で攻め落とされてしまうための、大規模な盗賊団ならどこでもやっていることだ。

 集まるのは精々2,3ヶ月に一度くらいで、連絡があった時だけ一家が揃い、きっちりと上納金を納めていれば煩いことも言われない、中々過ごし易いと仲間内では評判で、こりゃまだまだデカくなるなと、仲間同士で笑い合っていたのは、つい前回の集会の時だった。


 だがある時、一つの部隊が壊滅した。そういう噂を耳にしたと、他の部隊の部隊頭目から報告され、一応確認すべきだろうと、頭領に進言したのだ。

 部隊頭目自らあらかじめ行くという選択肢はなかった。万一の時のためにも、頭領の一派以外の部隊員は頭目であっても、他の部隊の拠点を互いに知らなかったのだ。


 その報告を受けた時に頭領以下皆が思ったことは「下手ぁ打ちやがって」というものであった。大方、調子に乗って《二つ名持ち》の冒険者にでも知らずに手を出して、返り討ちにあったのだろう、と。


 下っ端に現場を確認に行かせる。

 その男が帰ってきた時の彼の血相を見て、頭領はただ事じゃないのかと、その時初めて気づいた。

 更に二つの部隊が壊滅したと報告がきたのは、それとほぼ同時であった。


 偵察に行っていた下っ端は、真っ青な顔で、あれは同じ人間の仕業じゃないと、何度も声を張り上げて主張していた。自分たちでも“あそこまで”はやらないと。


 残酷極まりない殺され方をしていたと聞いて、拷問されたのか? 頭領は一瞬そう考えたが、すぐに否定した。部下たちは互いの拠点を知らないのだ。知らないことを教えられるわけがない。

 一応、酔って自慢まじりに話したりはしていないか確認もしたが、誰も首を縦には振らない。まあ当然だろう、幾つもの理由で肯定などできないのだから。

 頭領は時間の無駄だと、犯人探しはすぐに諦めた。ここら辺の見切りの良さが、短期間でこの盗賊団がここまで大きくなった要因なのだろう。


 しかし、仮に犯人が居ないとなると、事態はより深刻だ――己の側近に裏切り者が居ると考えなければならなかったから。

 が、その心配は杞憂だった……彼や彼の部下たちにとって幸いとはとても言えなかったが。


 頭領は二つの部隊が壊滅したその日に、総員に召集をかけたのだが、僅かに一歩遅く、新たに一つの部隊が壊滅していた。思わず舌打ちしてしまう展開だったが、原因がはっきりした。たった一人ではあったし、しかも満身創痍ではあったが、生き残りがいたのだ。頭領が伝令に送った部下がその男を発見し、今わの際に情報を入手していた。


 ソロの女冒険者。この時点で頭領は舌打ちした。

 この世界の冒険者には、凄腕と名を馳せる女性が多い。女性が社会で活躍するには冒険者になるしかない、と世間一般で認識されているように。


 しかしてその理由は魔法、そして闘気にある。


 直接戦闘においては魔法以上に激的な効果を発揮するこの闘気は、使用者が魔法使いよりも更に少ない。しかも、闘気は使えた時点で十歳の少女が成人男性と同等以上のパワーとスピードを得る事を可能とする。


 故に、男尊女卑の傾向が強い農村で生まれた女性で、魔法使いとしての天賦の才を持つ者や、闘気に目覚めた者たちは、ほぼ例外なく冒険者の道を志す。村民にしても、そんな力を持つ女相手に大きい顔をできるはずもなく、さりとて謙るなど男としての安いプライドが到底許さないので、さっさと出て行ってくれと暗に村八分にするのが殆ど慣習と化している。


 そして大切なことであるが、この《魔法使い》と《闘気使い》は――同じ使い手の中でも、実力が天上知らずに分かれるのだ。確かに無才でも闘気使いと互角に渡り合う人間も存在はするが、“本物”の闘気使いは、間違っても無才の人間の手に負える相手ではなくなる。最低限、同クラスの魔法使いでもないかぎりは。

 アクレイアの所属する《ユリアス王国》と隣国が過去に戦争をした際、たった一人の闘気使いによって、敵国の軍隊が全滅したというのは、厳然たる史実として、他国の王侯貴族すらもが認めている。その使い手は女性であったという事実もまた。


 闘気使いにとって、男女間の筋力差など、大した意味を持たない。単純なパワーならより闘気の量が多い方が、スピードならば闘気の量プラス扱いが巧みな方が、そして技は武才とこなした修練が物を言う――それが闘気使いにとっての戦いであるのだから。


 これらの理由により、世間で名を馳せる女性冒険者はかなり存在するが、そうした才能を持たない女性にとっては、冒険者家業というのはやはり体力筋力的に難しいものがあり、逆説的に『女性冒険者=魔法使いor闘気使い』という図式がかなりの確率で成り立つのだ。

 あくまでもそれなりにであり、絶対的ではないのは事実でもあるが。使い手以外のノーマル冒険者の男女比は大凡二十対一と言われている。


 それらを踏まえた上で今回の一件を考察すれば……十名の荒くれ者を一方的に蹂躙できる女性冒険者だ、まず間違いなく魔法使いか闘気使いだろう、しかもかなりの腕前の。

 そして更に得られた、槍を得物にしていたという情報を加味すれば、ほぼ闘気使いで確定だろう。


 闘気使いの厄介さはここにもある。

 魔法使いであれば、ローブや杖にアクセサリーなど、己の魔力を増幅してくれるアイテムで身を固めているため、見た目で大体判断できる。が、闘気使いとなると、そういったアイテムが存在しないために、実際に闘気を使い出すまでは、ただの武芸者にしか見えないのだ。


 殺された部下たちも女と見て、採取依頼の際に迷い込んだとか判断し、油断したのだろう。

 女性冒険者はかなりの確率で使い手とはいえ、様々な理由で冒険者の道を選ぶ女性もそれなりにおり、比率では能力者の方が圧倒的に少数派だ。頭領自身とて初見では美味しい獲物だと舌なめずりしたことだろう。


 だが今回の一件に関しては、敵対行動を取っている女冒険者が闘気使いでないと考える理由がない。

 ――それは最悪、伝説の女騎士【ルミナリア・ファルミ=ソルドレイド】のような超級の化け物はないにしても、ただ独りで町くらいは壊滅させられるような使い手かもしれないのだから。


 しかし更に、頭領を絶望の底に叩き込む情報が、斥侯役の部下から告げられる。


 その女はでき得る限り殺さないよう戦闘能力だけを奪い、徹底的な拷問の末に『他の部隊が出没すると噂の場所』を教えろと脅していたのだ。更に、意図的に殺しはせず、拷問で苦しんで苦しみぬいて、「あら、死んじゃったわね。じゃあ次の人」と、その行動を繰り返す。

 その後、新たな部隊に見当をつけると、必ず拠点まで尾行をし、その拠点で新たな惨劇を創造するのだ。


 生き残った男は運が良かったのか悪かったのか、最初の襲撃時に致命傷を負い、死んだ振りをしていたら、最後まで気づかれなかったということだ。もう明らかに助からないと一見して判る傷だったのが幸いだった。おかげで、仲間が拷問にかけられている苦悶の絶叫を聞き続けるという、それはそれで拷問のような時間を過ごす事になったが、拷問そのものは免れたのだから。


 しかし、どうしてそんな手間のかかることをするのかと頭領は思った。同じ事を考えた壊滅した部隊の頭目が彼女に問えば「だって、人目につくところでは、満足行くまで嬲れないでしょう」という答えが返ってきたというのだ。


 狂ってやがる。完全にイカレちまってる。瀕死の部下はそう言った。


 だが同時にこうも言った――信じられないくらいの美人だった。あんな美人がこの世に存在してるなんて信じられない、と。そんな美人が、無表情で淡々と、別に楽しげにするでもなく、激昂しながらでもなく、ただただ淡々と作業のように、もう殺してくれと懇願する男たちを、一人また一人と拷問していく。

 ――あれはきっと、地獄の魔女だ――そう言って、その男は息を引き取ったそうだ。


 敵の襲撃を告げる大声と、誰かの断末魔の絶叫が鳴り響いたのは、そこまで聞き終えた直後の出来事であった。


 地獄の魔女が…………………………………今、正に、数多くの、部下たちを、蹂躙しながら、一人一人、確実に、惨殺しながら、近づいて来る。


 恐怖のあまり腰を抜かしてもおかしくはない。あんな圧倒的暴力に、どうやって抗えば良いというのだ?

 逃げるべきだ。どの道この一家は今日でおしまいだ。ならばせめて、自分の命だけでも……。

 

 そこまで考えたところで、頭領の、彼自身の頭の中が、一瞬で真っ白になった。

 ――美しい。地獄の魔女の姿をはっきりと視界が映し出した瞬間、ただその一言だけが、彼の頭の中を占める。


 こんな時でも燦々と照りつける太陽の光を反射するかのように、まるで黒曜石の如く輝く、腰元まで伸びる癖一つない黒髪。すっと整った鼻梁と、瑞々しく濡れ光る薄桃色の唇。そして、涼しげな眼差しが映える、闇の深遠を思わせる瞳――それら全ての要素が見事な調和を成し、絶世の美貌を演出している。

 更にはスタイルも並みではなく、腰など強く抱きしめたら折れてしまいそうなほど細いのに、胸はしっかりと肉感的に己の存在を主張している。

 ……まず間違いなく、彼の今までの人生では、そしてこれから先の人生でも、これほど美しい女に巡り合えるとは思えなかった。


 そう思ってしまった時、頭領の男は少しだけ欲を出してしまった。何としても無傷で捕まえろと、部下たちに声を張り上げてしまったのだ。


 だがしかし、それは女にとって好都合であったようで、その瞬間だけ、極々僅かに、彼女の麗しい唇がニィと歪んでいた。彼女はこの連中を、一人たりとも逃がす気はなかったのだ。


 彼女は本来、もう暫くは各個に撃破しながら、一網打尽にできるだけに数を減らして、その後に最終拠点を攻略するつもりだった。が、それは意外と知恵が回る頭領の決断の早さによって、予定を早めなくてはならなくなってしまった。

 ちょうど五番目の小隊拠点に辿り着いた時に、総員召集令が届いた場面だったのには、彼女は自分の悪運の強さに大声で笑ってしまいそうだった。

 連中の親玉がころころ居所を変えるのは、その外見を把握すると共に知っていた。そこに緊急集合の号令だ。これを逃しては最悪永遠に手が届かなくなってしまうかもしれなかったと考えると、予定通りにはいかなかったにしても、まだ運が良い方だろう。


 だが、やはり、この数を自力で一人残らずというのは、彼女には難しかったのも事実。

 殺害するだけならむしろ容易く、皆がご丁寧に立ち向かってくれれば、“今の自分”ならばそう、やはり難しいとは思わなかった。

 が、ばらばらに逃げ出されてしまっては、殲滅は叶わない。最悪の場合、頭領だけは殺害し、あとは可能な限りでも構わないかな? とも思わなくはなかったが……一度決めたことをやり遂げられないのは、何となく気持ち悪い感じがする。うん、やっぱり殲滅しかない。


 彼女は瞬時にそう決断し、そのために最大限効率の良い策を頭の中で構築し始める。

 その最中も、もちろん彼女の体は、次々と男たちを死に至らしめている。

 彼らはまだ幸福であったのかもしれない……何せ今の彼女は自分の“不利”を悟って、なりふり構わない殲滅戦を繰り広げているのだから。拷問地獄よりはやはりマシだったのではないだろうか?


 と、事この状況まで至って、頭領はやはり無理だと、強制的に冷やされた頭で思う。

 逃げ出し始める部下も、実のところ最初からちらほらと目についたが、一度でも彼女の桁違いの美貌をまともに拝んでしまった男たちは、一様に目を血走らせて彼女へと襲い掛かっている。

 が、それがまともに効果を発揮しているようには到底見えない。


(くそっ、一から出直しになっちまうが、命あってのモノダネだ)


 未だに彼女を取り囲んでいる部下たちを盾と囮として、頭領はできるだけ静かに音を立てないよう気配を潜めながら、彼女からは決して目を離さず、じりじりと後退して行く。

 

 どんな状況でも常に頭領だけは視界の端に捉えていた彼女は、頭領の行動を察知して内心顔を顰める。

 しかしこの状況、未だに勢いが衰えることなく群がってくる男たちが邪魔で、今すぐ頭領を確保しに行くのは難しく、森に入り込まれたら、取り逃がす可能性が遥かに高まってしまう。


「ちっ……あなたたち邪魔よ、退きなさい!」


 その時初めて、彼女の口から声が零れた。それがまた天上の鈴の音色かと思わせるものだから、男たちは尚更色めき立つ。何人死のうが、この女さえ手に入るなら、全てはチャラになるだけの価値がある、と。


 彼女にとって、今までの彼女の人生で、自らが悪手を取ってしまうことは滅多になかった。それがこんな、一番ミスしてはいけない場面でやらかしてしまうとは……。


「待ちなさい!」


 と言われて待つような悪党などこの世にはまず居ない。それでも、彼女は叫ばずにはいられなかった。


 ああ、逃げられてしまう。アレに逃げられてしまったら、いつになったら自分は前に進めるようになるのだろうか……?


 心の中で悲嘆に暮れる。それは彼女自身にしか理解できない悲しみであり、例え声にしていたとしても、事情を知らない他人には意味不明だったろう。それでも彼女にとってそれは、これからを『生きていく』ために、必要不可欠な儀式だったのだ。


「え……?」


 “その男”の存在に真っ先に気づけたのは、頭領をずっと視界に映していた彼女であった。

 そして次に気づいたのは、その男自身から声をかけられた、盗賊団の頭領だった。


「おっと、この先は通せんぼだぜ」

「なっ、誰だてめぇ!?」


 その男の名はリドウ。ただのリドウであり、結果的に頭領を地獄へ送り込んだのは彼だったのかもしれないと、後に彼女は思うのであった。










 その場面に至るほんの少し前、恵子は疾風となっていた……リドウにお姫様抱っこされて。

 あっという間に現場へと到着し、とりあえず様子見だと、彼女は大きな木の枝に下ろされた……その際に、ちょっと勿体無いような残念なような気がして、慌ててその感想を頭から振り払いながら。


「……派手にやってやがる」


 さっそく状況を確認したリドウが、感情を窺わせない声で言うのを耳にして、恵子も目の前の光景を瞳に映す。


 途端、うっと両手で口を押さえて、吐き気をこらえる。

 そんな彼女を横目にして、彼はしかし、仕方ないだろうと考える。何せまさしく血の海と化していたのだから、目の前の景色は。

 

(しかし、俺もさして詳しいわけじゃねぇんだが……こりゃ、何かのっぴきならねぇ事情でもありそうな殺り方だな)


 彼の視力ならば、恵子では顔がぼやけてしか見えない距離にいる女の、顔の仔細に至るまで見ることができる。

 その彼の観察するかぎり、黒髪の女の瞳はしっかりと正気を保っている。


 彼の経験上、狂気に支配された瞳の色というのは、人に限らず似たような色を宿している。エーテライスに迷い込んで、運が悪く何かが原因で狂ってしまった人間を彼は知っているし、狂気を身に宿した魔物との戦闘経験なら幾らでもある。あまりにも強力な固体がそこかしこにひしめいているエーテライスでは、種族争いが行き過ぎて狂化する魔物も出てくるのだ。


 それらの討伐を任されるようになったのは、確か十二歳の頃だったろうか?

 ふと、そんな全く関係のない事柄を頭に浮かべてしまい、リドウは苦笑する。


 しかして、狂っているわけでもない女が単身、しかもあんな尋常ではない殺気を身に纏っているなど、どう考えても怨恨かそこら辺、まあ復讐だろうなと彼は想像する。殺し合いである以上、殺気を身に纏うなど珍しくはなく、むしろ当然とも言えるが、何の禍根もない場合だと、その内容も『戦意』を昂ぶらせた故の殺気であるのに対して、絶対に殺してやるという『殺意』ではないものなのだが……リドウの見る限りにおいて、黒髪の女は明らかに後者だ。


 それが“何”の復讐なのかまでは皆目見当もつかなかったが。


「しかし、すげぇな」

「……腕前がってこと……?」


 ぽつりと独りでに零れてしまったリドウの言葉に、恵子はできるだけ殺戮現場を直視しないよう気をつけながら反応する。


「いや、それもあるが――顔が」

「は?」

「お嬢にゃ良く見えねぇだろうが、えっれぇ美人だなんだよ、あの女」

「……こんな時に良くそんなナンパな事を……」


 最低、と蔑んだ眼差しを、平然と枝に直立して、酒壷を傾けているリドウを見上げて投げかける。

 

(だいたい、すぐ隣にこんな美少女がいるのに、他の女に……ってだから何であたしはっ……これじゃあたしが嫉妬してるみたいじゃない!)


「そうは言うがな、外見でリリィとまともに勝負できそうな女なんざ、俺ゃ生まれて初めて拝んだぞ」

「えむぐ」


 恵子自身が素直に敗北を認めざるを得ないあのスペシャルハイパー超絶美麗女と勝負になる女など、そりゃそこら辺に存在したら驚きもする。


 思わず驚愕の声を上げそうになった恵子の口に、リドウは手のひらを素早く押し付けていた。

 彼女はそのまま、目でごめんなさいと謝りながら、凄惨な光景を必死で我慢し、良く目を凝らして、死のロンドを舞い続ける女を観察してみる。


 すると、途端に彼女は目を見開いた。

 彼女はどこか焦燥に駆られた様子で、くぃくぃとリドウの袖を引っ張って、口から手を放してとアピールする。


「どうした?」

「あの人、あたしの同級生」

「どーきゅー? ……要するに、お嬢と一緒に召喚された友人ってことでいいのか? これでリリィの推測がますます現実味を帯びてきたな」

「うん。一条さんってゆーの。学校のミスコンで圧倒的に優勝しちゃった人。あの人が居なきゃ絶対あたしが一位だったはずよ……三位と同数だったけどさ」

「つまり、負けたんだな、お嬢」


 別に蔑みが篭っていたわけでもなく、淡々と事実を述べただけにしか聞こえない声音であったが、恵子はうっと詰まって焦ったような声で返してしまう。


「う、うるさいわね。あんな本当に同じ人間か疑わしいような反則が相手じゃ、いくらあたしでも――ってそんなことはどーでもいいのよ。何でこんな……一条さんってとんでもなく頭が良くって、しかもスポーツは男子顔負けって、神様が間違って作ったんじゃないかって言われるくらいに凄い人でね……特に仲が良かったわけじゃないけど、あんな凄いのに偉ぶったりしないし、あたしもちょっとは尊敬しちゃうよーな人だったの」

「まあ、確かに凄ぇな。時空を越えてんだ、飛ばされた時間も違ってもおかしかねぇが……もしこの数十日であそこまでの力を身につけたってなら、驚異的だな」

「あんたでも止められないの……?」

「いんや? 十年後なら分からねぇが、今なら瞬殺できるぜ。無論、無傷で捕らえるのも可能だ」

「じゃあ」


 期待の篭った視線を受けたリドウはしかし、首を横に振った。


「何で!?」

「止める理由が無ぇ」

「なっ」


 何を言っているんだこの男は、と目を見開いた恵子だったが、リドウの目が真剣な色合いを帯びていることに気づき、思わず押し黙ってしまう。


「言ったはずだぜ? 俺から見りゃ虐殺だろうと、まともな理由がありゃ止める気は無ぇって。それが人間に適用されねぇとでも思ってんのか?」

「でもっ」

「しかもこの場合、正当性は全面的にあの女にある。何が理由かは知らねぇが、恐らくこれは復讐の類だ。その上相手は盗賊で、これだけの規模となりゃ間違いなく相当にやらかしてる、生かしたところで結局は処刑されるのが落ちだぜ。俺個人としちゃ“正常に機能してねぇと証明されたわけでもねぇ”んなら原則、裁きはお上に任せる方針だが……それにしても、盗賊の討伐はお上によって認められてんだからな、俺が獲物として先に手ぇ出してんならともかく、今更俺が首を突っ込む問題じゃねぇよ」

「――――ッ」


 これは、ダメだ……。恵子は思わず歯を噛み締める。


 リドウは無闇な殺生を好まないが、平和主義者では決してない。殺すと決断すれば一切の躊躇なく、彼自身手を下している。

 これがただの快楽殺人者による行いであれば少しは話も違ったかもしれないが、彼はこれは復讐だと言う。何をもってそう判断したのか恵子には見当もつかなかったが、もしそれが正しいというならば、いったい彼女には何があったというのか……?

 

 だが、今そんなことを考えても仕方がない。

 何とか止めなくては……。

 しかし、彼はもう“決めてしまった”。となると、そう滅多なことでは動いてくれないだろう。


 恵子とて、例えこれが一般の冒険者たちによる盗賊退治だったとしても、この世界では正しい行いとされているということは理解している。正味の話、中途半端に躊躇して、ここで盗賊たちを五体満足で逃がせば、新たに罪もない民間人に犠牲者が出る、そのくらいは理解している。


 そして、敵の人数など関係なく殺さずに捕らえるのは、彼女では理解不能な超絶の技量の持ち主でなければ不可能だということも――例えば、今も自分の横に立つこの男のような。


 ならば、この虐殺を止める道理などない……例えそれが、自身の同級生である一条千鶴によって行われているのだとしても。


(でもっ、でもっ……………やっぱりヤダよっ)


 恵子は知らずに零れる涙を拭おうとはせず、俯いて、己のすぐ横に立っているリドウのコートの裾を握り締める。


「お願いよ……」

「…………」

「ヤなの。どうしてもヤなの。今あたしにできることなんて何もないのは分かってる。あんたに頼らなきゃ何にもできないのは分かってる。でもあんたなら、せめてあんな風に殺さなくったって、盗賊たちを倒せるでしょ……? 何でもするわ。あたしにできることなら、お礼に何でもする。だから……お願いっ」


 リドウは恵子を見ることはなく煙管を吹かす。それはまるで煙を吐き出すという行為ではなく、ただため息を吐いたようにも見えるものであった。


「好いた男の居る女が、他の野郎に何でもするだなんて口にするもんじゃねぇ」

「は、はぁ!? べ、別に体で払うなんてゆってないもんっ」


 他にどういう受け取り方があるってんだ? 顔を赤くして反論する恵子を見て、手間のかかる娘だと、今度は本物のため息を吐くリドウ。


「……連中はできるだけ逃がすべきじゃねぇ。あの女を止めるより、盗賊どもの確保が優先だ。それでいいなら」

「え? あ、うん! お願い!」


 恵子の表情が明るく変化したのを確認することはなく、既にリドウは地面へと飛び降りていた。










 場面は元に戻る。


「誰だてめぇ!?」

「てめぇが知っても仕方ねぇだろうが、んなこと。とりあえず寝とけ」

「うぶぉっ」


 頭領の米神を回し蹴りで、足の爪先だけで正確に抉ったリドウは、気絶した頭領の着ている服の襟を左手で掴み、右手は刀を抜き放った。

 そのまま戦場をぐるりと睥睨する。


(お荷物がいねぇってのは久々だな。万一を考えなくて良いってのは最高に気楽だ。さて―――――――――――――――往くか)


 リドウは頭領を地面に引きずったまま、戦場に躍り出た。


 まさに無双と言うべきだろう。

 一条という美女が一人を叩き潰している間に、彼は少なくとも三人は斬っている。

 彼女が一人を突き殺している間に、彼の足が幾数にも分裂したように舞い、それが己の体の一部にめり込んだ盗賊の何人もが、その場で崩れ落ちる。


 両端から徐々に数を減らしていく盗賊たち。

 元々千鶴によって、既に半数近くは殺されていたのだ、無事に動ける者がいなくなるのに、そう時間はかからなかった。


 そしてついに最後の一人を、彼女が万感を持って上段から打ち下ろした槍で頭を叩き潰そうとしたその時。


「……邪魔をするの?」

「悪ぃな、それがうちのお姫様の要望でね」


 飄々と言うリドウを憎々しげに睨み付ける千鶴。


「ひ、ひぃっ」


 己の頭を今にも叩き潰そうとしていた槍が、刀によって留められているのを理解した盗賊が、悲鳴を零して逃げようとする。

 が、リドウは背後を確認すらせず、千鶴の槍を防いでいた刀の柄を盗賊の首に叩き込んだ。


「体術ばかりで刀は峰打ちだけ。不殺ころさずだなんて今時流行らないわよ。それとも、戦場を舐めているだけかしら?」

「勘違いすんじゃねぇ、楽な生き方が嫌いなだけだ」


 言葉の意味を理解できたのか定かではないが、千鶴はふっと鼻で笑う。


「罪を背負いたくないだけでしょう? 私より年上のようだけど、とんだ甘ちゃんだわ」

「その件に関してあんたと延々議論するつもりはねぇ。それとも、あんたが戦場の苦さを俺に教えてくれるってのかい?」

「…………」


 千鶴はぎりっと歯を噛み締める。


 彼女自身はかなりの使い手だが、見ただけで相手の力量が読めるような経験はなかった。

 だがそれでも、眼前に立つ男の技量が、自分とは桁違いだということは、先ほどの戦いの中でちらりと目にしただけでも十分に理解できていた。


 どうしてこうも思い通りに行ってくれないのだと、彼女は強く強く歯を噛み締める。


 世の中の大抵の男は、彼女がお願いすれば喜んで叶えてくれた。容姿だけが己の存在価値だと思われているようで不快だから、彼女自身は滅多にそれを利用したりはしなかったが、自分の美貌がどれだけ優れているのかは自覚している。この場面でなら利用するのに躊躇いは無い。


 ――だがそれも難しいだろう。


 彼女の顔を真正面から見て、平然とできる男の方が圧倒的少数派なのだが、この男はいささかの揺るぎも見せていない。

 他に彼女の知っている男性で、同年代と限定すれば、彼女をまともに見つめることのできる男などたった一人しかいなかったが……


(あの男とは決定的に……違う)


 思い出すだけでも鳥肌が立つ気持ち悪い男だった。

 いや、容姿は中々の美形だったのは認めよう。将来はホストかヒモにでもなれば食いっぱぐれることはなかっただろう。

 成績も良かったし、スポーツもかなりのものだった、それらの事実も認めよう……いずれの得点も彼女に比べれば劣っていたが。

 しかし、それ故に自惚れているのか、それとも他に理由でもあるのかは知らないが……まるで女なら自分に惚れて当然だと言わんばかりの、あの馴れ馴れしい態度や、とても人間を見ているようには思えない薄っぺらい目など、彼女にとっては嫌悪感しか抱けない男だった。

 その男であれば彼女のご機嫌を取ろうと、むしろ喜んで従ってくれたことだろう。

 

 それに比べて目の前に立つ男は決定的に違った。

 何がどうと明確な言葉にできるわけではない。何と言っても、今初めて見知ったのだから。

 だが彼女にとっては確実に明らかなことが一つ。


 ――この男を敵に回すのは決して得策ではない。


「……取引をしましょう」

「ほう?」


 リドウは興味深そうに笑う。


「あなたが持ってるその男だけで構わないわ。処遇を私に一任してちょうだい。代わりにあなたには――私の体を好きにさせてあげるわ」

「……今日はそういう日和なのか?」

「何のことか知らないけれど、返答は?」

「お断りだ」


 躊躇なく拒絶したリドウに対して、千鶴は色々な意味で憤慨したのか、更に目を細めて目の前の男を睨み付ける。


「……私の体にはそれだけの価値が無いと言うのかしら?」

「そうじゃねぇよ。ただ、愛が必要とまでは言わんが、俺に好意の欠片も持ってねぇ女を抱く趣味はねぇ、それだけだ」


 真顔で言ってのけるリドウであったが、そんな彼を不思議なものを見るような目で一瞬眺めた千鶴は、しかし次の瞬間にはちっと舌打ちした。


「……面倒な男ね。なら何でもいいわ、とにかくその男を寄越しなさい」

「それもお断りだ。何せうちのお姫様はこれ以上あんたに殺しを重ねさせたくねぇらしいんでな」

「今更一人増えたところで、大して変わりはしないわよ」

「人数の多寡じゃねぇだろ、こういうのは」


 お互い無言になって、暫し睨み合いが続いた。


 結局、先に折れたのは千鶴の方からで、彼女はふぅと息を吐きながら全身の力を抜いた。それに合わせてリドウも刀を鞘に納める。


「分かったわ。それで、さっきから何度かあなたが口にしている、その『お姫様』っていうのは、どこのどなた?」

「同級生、で合ってたか? あんたのそれだとよ」

「何ですって……?」


 千鶴が目を見開いていたのは、しかし一瞬の出来事であった。


「そう。やっぱり他にも来ていたのね。それで、誰かしら?」

「恵子だ。家名は確か麻木、だったかね」

「麻木恵子……そう、彼女が。どこに居るの?」

「あっちの木の上に置いてきた。荒事には向かねぇからな」

「……ああ、本当ね。他人を疑うだなんて知りもしなそうな可愛らしいままだわ……」


 憎悪を剥き出しにしていた先ほどまでとは違い、千鶴はあまり感情を表に出さない性質らしく、表情も声色もあまり動いてはいなかったが、どこか苦々しそうにリドウには聞こえた。


「……特に親しい間柄じゃなかったとは聞いてるが、仲悪かったのか?」

「いいえ、そんな事実はないわ。そもそも私たちは、お互いに有名だから顔と名前くらいは知っていたけれど、まともに話したことすらないもの。でも、何でそんなことを?」

「いや……気にすんな。ついてきな」


 とリドウが千鶴に背を向けた刹那、


「おいたはいけねぇな」

「……ちっ」


 盗賊の頭領を持っていた左手には、彼女の槍の柄の部分が握られていた。頭領自身はリドウの足元に転がっている。


 何があったかといえば、隙ありと見た千鶴が頭領に槍を突き刺そうとしたのだが、それを見もせずに察したリドウが、頭領を捨てて彼女の槍を掴んで止めたのだ。


「……分かってはいたけれど、凄まじい実力者ね、あなた。もうしないから、放してくれないかしら」

「まったく、やれやれだぜ」


 リドウは千鶴の槍から手を離し、頭領を拾いなおそうとしたところで、千鶴が手を出さないと約束した以上、別にそんな必要がないことに気づき、代わりに煙管を取り出して火をつけた。

 彼女の言葉を疑いはしない。彼我の実力差を考慮して、納得いかなくても矛を収められるだけの頭と精神力はあるようだと、彼は見て取ったから。……彼女が頭領の首をきっぱり諦めているとも思ってはいなかったが。


 元々頭領を持って行っていたのも、万一起きていて恵子の存在に気づかれたら厄介だと考えたからなので、もうその必要もない。

 やはり自分一人の方が気楽だなと改めて思うも、そう考えてしまうという事実は、彼にとっては、彼自身の技量がまだまだ不足している表れだったので、自分自身それに気づいて、少し不快そうに眉を顰める。


「魔法も使えるのね」


 大人しく恵子の居る方へと歩き出した千鶴は、美味しそうに煙管を吸うリドウを見てそう言う。


「こいつの火種用にこれだけはな」

「ウソね」

「あん?」


 断定的な口調で言う千鶴を、リドウは訝しげに見る。


「強くなるために力になりそうなことは一通り調べたわ。今のは《ロスト・スペリング》という技術でしょう? 現在広く普及している、術式起動に必要な魔力さえ満たせば誰でも一定以上の効果を発揮する《キャスティング》とは違う、ほんの小さな現象を起こすだけでも高度な熟練を要する代わりに、詠唱や動作を必要とせず、『起こしたい現象を実現させる』高等技術。高位の魔法使いになればなるほど、ロスト・スペリングを好むようになる……と聞いているわ」

「少し違うな。起こしたい現象を実現させるんじゃなく、『魔力を術者の意思で現象へと変換』させる技術だ。だから顕現させる現象があらかじめ限定されるキャスティングよりも自由度が違ってくる」


 《キャスティング》とは呪文詠唱や《虚空陣》構築などの『儀式』を通して魔法を起動させる。故に威力の差も、その儀式で設定されている範囲内でしか左右されない。例を挙げると、火種用の魔法として冒険者なら大抵は使えるというのが《ピンキー・フレイム》、人間を焼き殺せる威力の魔法として代表的なものが《ファイア・ボール》、辺り一面を高火力で焼き尽くす《ブレイズ・ストーム》などがある。RPGゲーム等で使用される魔法とほぼ同じだと思っていただければ大体合っている。


 対して《ロスト・スペリング》は『火の魔法は火の魔法』、ただそれだけなのだ。魔力を炎へと変換し、それをどう扱うかは術者の力量次第でどうとでもなり得る。ただし、非常に高度な集中力が要求されるため、熟練者なら呼吸をするように事象を顕現させ得るが、未熟者が戦闘で使用するのはフレンドリー・ファイア上等の自殺行為とされている。


 高位の術者ほどロスト・スペリングを好むという理由は、実際に事象を発現させるまで何が起こるか敵に把握されないため、対処することが非常に困難になってくる……という部分と、膨大な魔力の持ち主であれば天上知らずに威力を跳ね上げることが可能となるからだ。


 魔法使いの中では、一般の魔法使いを《キャスター》と表し、ロスト・スペリング使いを《魔道士》と区別する傾向にあるが、“どこから先”を魔道士と呼称するかは、一般的には戦闘中に難なくロスト・スペリングを起動させることが可能な術者を指していうものの、はっきり言ってしまえば言った本人勝ちというか、箔をつけたい魔法使いが自称するのが殆どで、実際に戦闘で役立つレベルで使用可能な術者は非常に希少である。

 その希少な本物の魔道士こそが、闘気使いに対抗可能な魔法使いであるという面でも、魔道士という呼称が特別視される所以だ。


 ちなみに、闘気使いは総じて《気功士》と呼ばれ、魔道士と気功士のような存在を総じて『能力者』と呼ばれているという事実も、一応ここで述べておく。


「というわけで、俺は魔道士なんて言えるレベルじゃねぇよ。こいつ用に一々詠唱してたんじゃ面倒だから身につけただけだ」

「……まあ、納得しておいてあげるわ」

「一々引っ掛かる物言いをしやがる女だなぁ、あんた」


 顔を顰めるリドウに対して、千鶴は堂々と胸を張る。


「そうよ、悪いかしら?」

「開き直るな、ど阿呆」

「生まれて初めてだわ、私に暴言を吐いてくれた異性は」

「初体験たぁ目出度ぇこったねぇ」


 かっかっかと笑うリドウを見る千鶴の目がすっと細まる。


「ねえ、あなた日本人なの?」

「あん? 何だ唐突に」

「答えてちょうだい」

「いんや、違うぜ。そいや、俺は日本人ってのと見た目大して変わらんらしいな」

「そう……」


 それは静かな声であったが、千鶴がぎりっと一瞬歯をかみ締めたのに、前を向いていたリドウは気付かなかった。


「そうなの。実力や知識からして、私たちが巻き込まれた現象で来たとは思えなかったけれど……」

「それで、何か問題でもあるのか?」

「いいえ、別に」

「……そうかい」


 千鶴の何かを含んだ声色に、今度こそ疑問に思って確認しようとしたリドウだったが、視線を彼女に置いた時には、少なくともその時には特に何の感情も映さない無表情であった。


 ついでに、やはり恐ろしいほど美しい女だな、という感想を新たにしていたりしたが。


 そうして恵子が待っている木の下まで辿り着く。

 リドウは上を向いて無事だなと確認すると、大丈夫という声が元気よく返ってきた。


「んじゃ来いよ」

「は?」

「飛び降りろ。受け止めてやるから」

「無理無理無理無理!」


 地面まで軽く八メートルはある。恵子は高所恐怖症ではないものの、あまり下を見たいとも思えない距離だ、無理もない。


 なおも渋る恵子に痺れを切らしたリドウは、やはり手がかかると思いながらも、自ら彼女の所まで、全く力を入れた様子もなく、ふわりと跳び上がり、彼女を抱えて再び飛び降りてきた。

 その際に物音一つ立てないところを見た千鶴は、リドウの実力が、今の自分では恐らく想像すら困難なレベルの、才能に恵まれ、果てしない修練を己に課してきた者たちのみが持ち得る、ほぼ究極に近いところに在るのではないかと……確信を持つまでは至らなかったが、何となくその想像が間違っているとは思えなかった。


「……甘やかされているわね」

「そ、そかな……?」


 あまり話したこともないとはいえ、知人との再会の第一声が冷え切った言葉だったことに、恵子は思わず動揺を浮かべる。感動の再会とまでは言わないが、互いの無事を喜ぶくらいはあるかなと思っていたのだが。


「頼りになる恋人が居て羨ましいわ」


 その言葉に、恵子は顔を真っ赤に染め上げ、がーっと捲くし立てる。


「こ、恋人じゃないわよ! だいたい、あたしには芳樹が居るの、一条さんだって知ってるでしょ!?」

「だから、乗り換えたのでしょう?」

「違うわよ!」

「別に悪いことじゃないでしょう? 神崎くんと婚約していたわけですらないのですから。こんな物騒な世界に放り出されたのよ、強い男の庇護を受けるのを責められる人間なんて居ないわ」

「あたしには芳樹が居るの! 浮気なんてしないわ!」

「ふーん……」


 千鶴の視線はどこまでも冷めたものであった。


「そう。でも、彼の腕の中に居る時のあなたの顔は、とてもそうは見えなかったわよ」

「ち、ちがっ」

「それに、再会できるかすら定かではない恋人よりも、現実に守ってくれる男に気持ちが傾いてしまっても、仕方が」

「来てるもん! あたしを一生守ってくれるって約束してくれたもの! 絶対来てるし、あたしを探してくれてるはずよ!」


 突然始まった修羅場に、何だこれはとリドウは天を仰いで嘆息する。


「二人ともその辺にしておけ。一条、だったな?」

「あなたには親しみを込めて千鶴と呼んでほしいわね。あなたは? まだ聞いていないわ」

「俺はリドウ。呼び捨てで構わん」

「よろしく、リドウ。年上だと思うけれど、今更敬語に直すのもなんですし、このままで良いかしら?」

「構わねぇぜ」


 恵子は千鶴の態度を見て、学校では凛とした姿しか見せなかった千鶴の、リドウに対してだけ愛想を振りまく姿に、この女は本当に一条千鶴かと疑ってしまう。


 それは態度にも表れていたようで、そんな恵子をちらりと流し見た千鶴が、嘲るようにふっと唇を歪めたのを見て、恵子はまるで「恋人じゃないなら、私がもらっても構わないわね?」と言われたような気がして……いや、真実そういう意味だったのかもしれないが、とにかく恵子はかっと顔を赤くして、だが何を反論していいかも分からず、口をぱくぱくさせながら、悶々としたものを抱え込むことになってしまう。


「とりあえずあんたも、いつまでもそんな血塗れでいたくねぇだろ。親玉だけ連れて、とっととお上に知らせに行きゃ、あとはあっちでやってくれんだろ」

「生き残りはどうするのかしら?」

「縄なんて気の利いたもんは用意してねぇからな、移動だけできねぇよう、いつもは足の腱を切って放置だ。今回もそれでいいだろ……くれぐれも、止めを刺すようなマネはすんなよ、うちのお姫様が煩ぇぞ」

「だからあなたは殺さないのかしら?」

「まさか」


 肩を竦めてみせるその姿は、馬鹿なことを言うなと口に出しているようでもあった。


「そりゃあ俺の流儀だ。それに生かして捕らえた方が懸賞金が高いだろ?」

「そういえば、アライブだとデッドの倍と聞いたわね。生かして捕らえる腕も、そんなつもりも元々なかったから、詳しくは知らないけれど」

「一月ちょいにしちゃ、大したもんだと思うがな」

「才能があったのは幸いだと思っているけれど、所詮才能任せの荒削りよ。リドウには遠く及ばないわ」

「謙遜するつもりはねぇが、あんたも謙遜する必要はねぇよ。それだけ戦れりゃ上等だ」

「ありがとう。リドウに認めてもらえて嬉しいわ」


 リドウは以前に聞いていた話を、さも知っていたかのように確認することができて満足だった。

 千鶴も、出会いの険悪さを忘れて、彼と良好な関係を築けていると満足である。

 一方の恵子といえば、何だかとっても面白くなくて、強引に二人の会話に割って入った。


「ね、ねえ。何で生きてると懸賞金が違うのっ?」

「見せしめのためよ」


 慌てていたせいか、どこか口調が強くなってしまった恵子の問いに、しかし千鶴は、リドウ相手の時の極めて親しげな口調とは全く逆の、恵子が知る学校での千鶴そのままな、平坦で抑揚の少ない口調で返すのだった。


 しかし、恵子はそれよりもずっとインパクトのある千鶴の発言内容のせいで、気にしていられるような余裕はなかったが。


「み、見せしめ……?」

「どんな国家でも、いつの時代でも、よほどの能無しでもない限り、治安の維持は為政者にとって最重要課題よ。治安が良ければそれだけ民間人が住み着き易いから、税金を納める人口が勝手に増えてくれるし、行商人も安心して商品を運べるから、経済も活性化する。それを邪魔する盗賊なんて存在しない方が、彼らにとっては絶対的に望ましいの」


 まあ当然よねと肩を竦める。 


「でも、国家政府が組織している直轄の戦力はいざ戦争となった時のためと、それ以前に戦争を避けるための抑止力として、貴族が保有している諸侯軍もそれプラス国境線の確保で忙しく、下手に戦力を磨り減らすわけにもいかないから、そうそう討伐に出征することも難しいのよ」


 千鶴の冷静な分析に、聞いているリドウは「ほう」と感嘆の声を小さく零している。


「その上、盗賊討伐に意欲的な冒険者は少ないわ。完全な解決に至らなくても冒険者が満足するような報酬を用意するくらいなら、無理にでも軍を動かした方がよほど費用対効果が見込めるもの。悪循環だけれど仕方がない面はあるわね。なら最初から盗賊が生まれないのが最も好ましい。そのためには、盗賊の末路がどういうものなのか、実際に民衆の前で披露して、盗賊になろうだなんて思う気にさせない……実に理に適った行いと言えるわね」


 あくまでも冷静極まる声で冷酷な現実を吐き出す千鶴に、恵子は戦慄するものを感じる。


「そんな……じゃ、じゃあ、やっぱり死刑にされちゃうの……?」

「そのために賞金に差を設けているのよ。あなたにだって、生かして捕らえるのと殺害してしまうのと、どちらの方がより容易かくらい、もう理解できているでしょう? まともな冒険者なら、効率こそ最も尊ぶものよ」

「で、でも、例えば強制労働とか、もっと他に」

「不可能だな」


 割って入ってきたリドウの、こちらも冷たく感じる声に、恵子は動揺を大きくして彼へと視線を移す。


「ど、どうして……」

「強力な戦闘能力を持つ能力者は、国に所属しているか、束縛を嫌って冒険者をしているのが普通だが、中には罪人にも居る」

「強制労働させようにも、その監視のために割かなくてはならない人員……というよりも、気功士や魔道士級の使い手を確実に鎮圧可能な戦力を、そんな“些事”に割り振るだなんて、費用対効果から言って論外よ。かと言ってじゃあ、能力者だけは死刑にして、他は助命する、これは駄目ね、絶対にありえないわ。『使えるか使えないか』だけで刑罰が変わるようでは、公平性を著しく欠くことになる。そんな裁定を司法が許してはいいはずがないもの」


 淡々と冷酷な現実を説き続ける千鶴に向かって、恵子がなおも反発しようと口を開くが、それを見て取った千鶴は、先回りしてこちらから口を開いた。


「今、なら二度と悪事ができないよう“処置”して牢獄に繋いでおけばいいと考えたわね? 例えば……リドウが今までしてきたように、手足を切ってしまうとか」

「連行できねぇ以上、そうするしかなかっただけだがな。処刑沙汰になるだけの罪を犯してるとは限らねぇし、できるだけ穏便に済ませてぇのは本音だ」


 リドウの言葉を聞いた千鶴は己の口元に右手をやり、人差し指と中指が唇にかかるようにして少しの間考える素振りをしていたかと思うと、やおら一つ頷いた。


「……なるほどね。リドウの主義主張が何となく理解できたわ。常に公平で居たい、そういうことね?」

「……なるほど。ただの頭でっかちってんじゃなく、とんでもなく頭が切れるってのもガチらしいな」

「お褒めに預かり光栄ね」


 恵子には今まで想像もつかなかったようなにっこりとした笑顔を千鶴は浮かべる。


「ね、ねえ。それで、どーしてダメなの?」

「至って単純な話よ。そんな無駄飯食らいを飼っておけるような余裕なんて、この世界の文明レベルで期待できるわけがないでしょう?」

「か、飼うって……」


 途端に表情を消した千鶴から告げられた内容に、やはり恵子は拒否反応を示した。


「言葉を取り繕っても、結局意味するところは変わらないわ。人権とか人道とか、そんな悠長なことを言っていられるほど、ルスティニアの文明は成熟していないのよ」

「極めて正しい見解だな」

「…………」

「麻木さんも早く慣れなさい。いつまでも甘えたままでいて許してくれる優しい保護者が居てくれるだなんて、努々思わないことね」

「言われなくても分かってるわよ……いつまでも今のままじゃいられないってことくらい……」

「本当かしら? あと肝心なことを一つ言っておくわ――この規模の盗賊団の親分ともなれば、まず間違いなく、日本でも死刑になって当然なだけの罪を重ねているのよ?」


 消え入りそうな声で応える恵子を見る千鶴の視線はどこまでも冷ややかであり、彼女の言葉に返す言葉を、恵子はとうとう見つけられなかった。

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