第五十三話 強敵、現る
朝、リドウはいつも通りにぱっと目覚める。
眠る際に寝巻きを丁寧に着たりするような男ではなく、平然とさらされていた鍛え抜かれた上半身に、ベッドの脇に放られていた古代竜製の黒シャツを着て、壁に掛けてあったコートを羽織り、刀と酒ツボを腰に吊るし、準備万端整えて部屋を出る。
と、まだ早朝にもかかわらず、屋敷の中をヤクザな強面たちがのし歩いている姿が目に入る。
リドウは彼らとすれ違い様に軽く挨拶を交わす。
「よう」
「おはようございます、リドウさん!」
昨夜の大宴会で早くも打ち解けてしまった……と言うか、男たちの目を見るに半ば崇拝の域に達しているようだが、まあ平和で何より。
男たちは去り行くリドウの背を、憧憬や畏敬の念が篭った目で眺めている。
「かーっ、やっぱ本物は存在感が違うねぇ」
「オヤッサンと並んで引けを取らないとは、あの若さで大したもんだぜ、本当に」
若い衆がそんなことを言っている。若いと言っても、この屋敷に勤めているのはガルフ一家の中でも上層部にあたる面々だけなので、一番若くてもリドウと同年代以上なのだが。
リドウもわざわざ聞き耳を立てているわけではないが、背中に感じる視線の群をこそばゆく感じながら、参ったなと苦笑していた。
屋敷の中を少し歩くと、目的地の庭に出る。肌寒い風が、まだ少し酒の残った体にはとても心地好く、煙管を銜えて魔法で火をつけると、美味しそうに煙を吐き出す。至福の一時であった。
女子三名は宛がわれた一室で一緒に寝ていた。
「ほら、起きなさいよ」
恵子が千鶴の体を揺さぶる。
「うぅ……」
呻きながら寝返りを打って、あと五分だけ寝かせてと無言で主張する千鶴を、恵子は呆れ顔で眺めていた。
「意外だな。一条がこんなに寝起きが悪いとは思わなかった。昨夜の宴会でも殆ど飲んでなかったし、二日酔いというわけでもなかろう。これがいつもなのか?」
既にきっちり服装を整え終えているベアトリクスが目を丸くしている。
「アリスさんはあんなに飲んでたのに、全然平気そうですね」
「ああ。酒には強いんだ。気のいい連中ばかりだったから、場の雰囲気に釣られて少し飲みすぎた感はあるが、翌日まで引きずるほどじゃないな」
「気のいい連中……ですか」
思い出すのは昨夜の宴会現場。次々とリドウに飲み比べを挑んでは撃沈し、自分や千鶴やベアトリクスの方へお酌“されに”来ては狂喜乱舞していた強面たちだ。
「まあ、悪い人たちじゃないですね……」
マフィアだけど、と心の中で付け足す。
「いい男たちだと思うわよ」
ようやくお目覚めの千鶴が、目を擦りながら上半身を起こして、寝起きで掠れた声でそう言った。
「マフィアと言っても、何の罪も無い人々を食い物にする悪党じゃないのよ、彼らは。私たちとは生き方が違うだけで、人としての最低限の仁義を守って生きている。極道ではあっても外道ではないわ」
「あー、ゴクドーねぇ……」
恵子はその言葉が最も相応しい生き方をしている男を脳裏に思い浮かべ、乾いた笑いを零してしまう。
「リドウね、まさしく。確かにあんたの好みだわ」
「別に極道が好きというわけではないのですけれどね」
苦笑しながら、服に袖を通して行く。
「例えば、ハインツなんかは好い感じだったわね」
「そーだったの?」
「ええ」
「ハインツとやらが誰だか知らんが、リドウ殿は諦めてその男にしたらどうだ?」
ベアトリクスが意地悪な顔になって言うが、千鶴は慌てることなく、冷たい目で見返した。
「あなたこそ、リドウは諦めてガルフさんにしたらどうですかしら?」
「ん?」
「肉体的に頑強で超人的な戦闘能力の持ち主であればよろしいのでしょう? ガルフさんは十分に条件を満たしていると思うわよ」
「悪くはない案だが、流石に年齢が離れすぎているな」
ふっと軽く笑いながら、千鶴の提案を却下する。
「それに、ガルフ殿をこの国から盗ってしまうわけにもいくまい」
「子供だけ仕込んでもらってはいさよなら――というわけにも……」
「いくか」
「でしょうね」
平然と会話をしている二人の横で、彼女たちを何か恐ろしい物でも見るかのように見ている恵子が居た。
(何でこいつら、そんなシモネタを真顔でできるわけ? 女として何か間違ってない?)
思うことはそんな内容らしい。きっと大抵の人は同意してくれるだろうと、彼女は強く思う。
千鶴が着替え終わるのに合わせて、一同は部屋を出る。
リドウに宛がわれたはずの隣の部屋をノックしてみるが既に気配は無く、すれ違うヤクザ顔に行方を訊ねると、庭に出るのを見たと答えが返ってきたので、そちらへ足を向ける。
途中で美人揃いの三人に気を良くして挨拶してくる男たちがいたが、昨夜の大宴会で悪い人たちではないと知る恵子も、千鶴やベアトリクスと変わらず、特に怯えることなく挨拶を返す。
庭に出ると、風を受けて静かに煙管を吹かすリドウの姿があった。
人懐っこい笑顔を浮かべることもある男だが、こうして孤高を保っている姿も本当に似合うなと、女性陣は思わず見惚れてしまう。それは彼への好意を頑なに認めようとはしない恵子をして例外ではなかった。
「よう」
三人に気づいたリドウが振り向く。
おはよう、と女性陣はそれぞれに返す。
「あんなに飲んでたのに、全然平気そうね、あんた」
「まあな」
なぜか呆れ顔な恵子に、リドウは特に何を思うでもなく平然と返すだけだった。
「さて、そろそろ朝食の時間だったか?」
「一緒に行こうと思って、呼びにきたのよ」
「そりゃ手間かけたな」
千鶴の言葉を受けると、煙管を懐に仕舞って歩き出すリドウに、女性陣は大人しくついて行った。
所変わって、レイアの執務室である。仕事をし易いよう、綺麗に整頓された部屋だった。
朝も早くからお仕事なのか、彼女は羊皮紙に筆を走らせている。
しかし、淡々とした作業の中で、彼女の頬はぴくぴくと震えており、何か怒りを堪えているかのようであった。
その原因は、
「朝っぱらから人が仕事してる目の前で良くそれだけ堂々と酒をかっ食らえますね、父さん」
言葉通りのことをしている、彼女の父にしてログサイス共和国の実質的支配者にして烈震の二つ名を持つガルフであった。
「俺の座右の銘は知ってるだろうが」
「何事も正々堂々としていれば許されるとでも思ったら大間違いです。まったく、昨夜はあんなに飲んでいたというのに、まだ飲み足りないのですか、この宿六」
「お前は俺の女房か?」
「似たようなものでしょう。もっとも、父さんのような役立たず、夫にしたいとは断じて思いませんが」
「や、役立たず……」
娘からのあまりの言われように、世界有数の強者として名を馳せる男が、普段の自分の行いを省みて言い返すこともできずに撃沈した。
「それで、何か用があったんじゃないんですか?」
「あ、ああ……」
立ち直る暇を与えようともしない容赦なき愛娘に、ガルフは何とか応じる。
「お前、リドウをどう思ってる?」
「非常に好ましいと思っていますよ」
「素直じゃねぇか」
「恥ずかしがって否定するような年齢でもありませんからね。あの若さにして父さんが素直に認める実力者で、容姿に優れ、父さんとは違い極めて頭も切れます。正義漢とは言えないでしょうが、我々の世界においてはむしろ受け入れられる気質をしていますし……何よりも女に全て任せっきりで遊び惚けたりしなさそうな部分は高評価です」
「お前、そんなに俺に物言いたいのか?」
「いいえ。父さんに仕事をさせると余計に仕事が増えますからね」
盛大に顔を引き攣らせるガルフに、レイアは目の前の羊皮紙にサインし、新たな羊皮紙を手に持って読みながら応えた。
……が、おもむろにその羊皮紙を机に置くと、この時初めてレイアはガルフを真っ直ぐに見つめて言う。
「父さんが何を言いたいのかは分かりますが、私からも父さんに質問があります」
「何だ?」
「なぜ、闘いたいと言い出さなかったのですか?」
その言葉に、ガルフはふっと唇を歪めながら酒ビンを煽った。
「……父さんが寿命を迎える前に強者との闘争の中で死にたいと思っていることくらい知っています。リドウ様ならその願いを叶えて下さる可能性は高いはずです」
「無理だな」
「まだ父さんに及ぶレベルではない、ということですか?」
「いいや、逆だ」
ガルフの言葉にレイアは表情を硬くしてしまう。
まさか、それは流石にありえないだろうという思いが彼女の中に渦巻くが、しかしこの手の眼力で父を疑うことは意味が無いという経験が、彼女にとある解答を導き出させる。
それでも……論理的に考えづらい話なのだ、それは。僅か二十一歳にしてこの烈震に遥か勝るなど。
「魔道士としての腕前だけなら俺も負けやしねぇだろうが」
「ちょっと待って下さい。それではまるで、リドウ様が魔道士として父さんと互角のように聞こえるのですが……?」
ガルフの台詞を遮っての問い掛けは、どこか慎重な様子が伺える。
「そう言ってんだが?」
「彼は気功士ではないのですか……?」
「気功士だぜ。それだけでもとんでもねぇ腕前のな」
レイアは頬に冷や汗を滴らせながら絶句してしまう。
「殲滅師――ってやつなんだろう。大昔は気功士と魔道士を両立させる存在をそう言ったらしいが、今はダブル・セイバーの分類が出来たおかげで、両方を最低限ハイエンド級と名乗れる腕前になってそう呼ぶな」
「殲滅師……」
「昔戦ったことがあるんだが、殲滅師の反則具合は半端じゃねぇ」
ガルフは顔を斜め上にそらして、その時を回想しながら話す。
「俺が戦った殲滅師はリドウと比べりゃ雑魚みたいなもんだった。闘気だけ、魔法だけで単純に戦闘力を数値化した場合、俺の半分程度だったと思う。ハイエンドと言い切るにはちっとばかし物足りないレベルだったのは間違いねぇ」
ガルフは元からごっつい顔を厳めしくしてレイアを見る。
「だがな、俺は危うく殺されるところだった」
「それは……」
「俺がそいつに劣っていたとは思わん。総合的な実力は互角だったはずだ」
「つまり、どちらが勝ってもおかしくなかった……そういうことですね」
「そうだ。殲滅師の実力は魔道士としての腕前と気功士としての腕前を合わせた戦闘能力に、更にプラスしてもう一人分を見積もって考えろ、というのが俺の判断だ。俺の半分程度の戦闘能力なら、二人までは、気を抜きさえしなきゃまず勝てるからな」
レイアは表情を凍りつかせて、頬に一筋の汗をたらす。この父に比肩する魔道士の腕前を隠し持ち、気功士としての評価だけで若きハイエンドとして名を馳せる男の真の実力がどれ程のものなのか、彼女には最早想像することすらできなかった。
「野郎は明らかにどっちも究極域に達してやがる。全盛期の俺でも良くて善戦が精々だろうよ。対戦相手は問答無用で確殺するタイプなら殺してくれるだろうが、野郎は明らかにそうじゃねぇ。適当に相手されて余裕面かまされるのが落ちだな」
至極つまらなそうに言いながら酒を煽り、大きく一息ついてから、遠くを見つめるようにして再び口を開く。
「野郎と互角以上に闘えるとすれば、魔王のお歴々くらいだろうよ」
きっとリドウ本人にとっては面白くない現実だろうが――そう、ガルフはぽつりと呟いた。
「ランスロット卿や聖帝ならばどうですか?」
「さてな」
肩をすくめながら首を揺らす。
「会ったことねぇし、何とも言えねぇな。周りが吹いてんじゃなきゃまあまあ闘り合うだろうが……そんな対戦カードがそうそう実現するわけもねぇし、深く考える必要もねぇだろ」
そう言って、部屋の外へ足を向ける。
その途中で、顔だけ振り向かせながら己の娘を見る。
「一応はっきり言っておくぞ。野郎はやめておけ。アレは好敵手の居ねぇ場所に長々と留まってられるタチじゃねぇ。女を理由にして物事を決められる男でもねぇ」
「父さんの若かりし頃のように、ですか」
レイアが微かに笑いながら言うと、ガルフは酒ビンを持つ手を掲げて笑う。
「まあな」
「安心して下さい。確かに好ましくは思っていますよ……私もいい年ですから、結婚を申し込まれたら受けてしまうくらいには。でも、それだけです」
「俺が言いたいのは、のめり込む前に――」
体ごと振り返り、自分の心臓の部分を指で突きながら、
「予防線を張っておけってことだ」
「…………」
「あの手の自分に正直で明け透けなタイプは、ハナから本人の悪い部分が目に見えてるから、それだけに一度のめり込んだが最後、そうそう抜け出せなくなる。俺はお前を今の仕事命のまま、いつまでも未婚でいさせるつもりはねぇからな」
そこまでを言い切ると、レイアの答えを待つことなく部屋を出て行ってしまった。
パタンと閉まったドアを軽く睨み付けるようにしながら、彼女は鼻を鳴らす。
「気をつけていれば落ちなくてすむ……そういうものではないでしょうに、恋とは」
机に肘をついて、手に顎を乗せて見つめる先はどこでもない明後日の方で、
「そもそも、私もそれなりに自信はありますけどね……クラウンディ家の至宝、プリンセス・ベアトリクスや一条さんと張り合おうとは流石に思えませんよ」
ため息まじりにぼやくのであった。
ガルフやレイアは朝食をとらない派らしく、不参加であったが、アリアは食べる派のようで、リドウたちは一緒に用意してもらった朝食をさっと食べ終える。
すると、アリアが待ってましたとばかりに目を輝かせている。食事の最中も、うずうずして仕方ない様子であったが……
「兄ちゃん! 稽古しよーぜ!」
まあ、そういうことらしい。
特に断る理由があるわけでもない以上、リドウがその申し出を受けないはずがなく、一同は連れ立って庭へと向かう。
ダイニングルームを出る際に、ドアの外で待ち構えていたアリアのお付衆も一緒だ。
その時、ベアトリクスが不意に言い出した。
「我々もやるか?」
その視線は千鶴を捉えている。
「闘気無しでかしら?」
「無論だ。我々のレベルで闘気を行使したら、いくら広いとはいえ、庭が壊滅するぞ」
「そうね……」
同意しながら、面白そうに口角を吊り上げる。
「純粋な技勝負なら、私が勝つわよ」
「言ってろ」
ベアトリクスも挑戦的な笑みを浮かべて対抗する。
火花を散らす見つめ合いから、千鶴は更に笑みを深くし、凄味とも言うべき異様な雰囲気を醸し出しながら、リドウの方を向く。
「私は武器を取ってくるから、あなたたちは先に行っていてちょうだい」
「お互いに大怪我さすんじゃねぇぞ」
言葉の割には特に心配する様子もなく、楽しそうに笑いながら言った。
ベアトリクスは既に帯剣していたが、千鶴について行くということで、リドウ、恵子、アリア、それにお付の男たちで先に庭へ向かう。
その途中、アリアがこんなことを言い出した。
「なあ兄ちゃん。気功士も強くなると空を飛べるってホントなのか?」
「ん……まあ、一応は」
完全に肯定する気はないのか、どこか曖昧な様子で肯いた。
「自由自在とはいかねぇがな。お前さんも気功士なら理解してるだろうが、空気にだって抵抗はあるだろ?」
「うん。闘気全開にしてパンチすると、けっこー重い感触がするよな」
「俺らレベルになると、その空気抵抗が最早壁と言っても過言じゃねぇ。もっとも、戦闘中はその壁をぶっちぎって動くわけだが、あえてその壁を捉えることで、空中でもある程度は動ける」
「水を走るだけじゃないのか、あんたらは」
もう何でもありね、と恵子は呆れ顔だった。
「一応ってレベルの話だ。この『大気の壁を捉える』って技術自体が既にかなり高度でな、ハイエンド級でもできねぇ奴はできねぇらしい。それに、『二段跳び』の条件以外じゃ大した速度も出んし、地上での動きに比べりゃ酷く制限されるのは間違いねぇ」
「にだんとび? ってなに?」
小首を傾げる恵子に、そりゃこいつが知るわけねぇかと、内心で思いながらリドウは説明する。
「物を真上に放り投げると、その頂点で落下前に一瞬だけ完全に停止するのは分かるか?」
「そのくらいの物理は分かるわよ」
恵子は馬鹿にしてんのとばかりに険悪な目つきになりそうになったが、この男の物言いにそういった意図は基本的に無いという事実を思い出し、辛うじて思い留まる。
「一度空中に跳んで、その頂点で全身の筋肉を巧みに使いこなすことで更に跳び上がる技術がある。流化闘法なら大抵の流派に伝わっているはずだが、つまりこれは気功士じゃなくても使える奴は使える。これと組み合わせることで気功士は空中でもそれなりには動ける。ま、使おうと考える時点でそれなりのキャパと筋力が求められるがね。技術はその後だから、それが使い手が少ない原因だな」
「あんたは当然できるんでしょ?」
一応は物理法則的にも可能なようだが、明らかに超人系な発想の技術であるのは考えるまでもなく、呆れ顔がますます加速しながらの恵子の質問であった。
それに応えるリドウは、ふっと唇を歪める。
「できねぇと思うのか?」
「言ってみただけよ」
とことん人間辞めてる奴ね、と顔を逸らして小声で零す恵子であった。
その横では、アリアが感嘆の吐息をついている。
「そっか。やっぱできるのかぁ……」
人知れず呟いていたと思うと、急にやる気満々といった顔になって、ぐっと拳を握り締める。
「よしっ。オレもいつか絶対空を飛んでやる!」
「その意気だ」
リドウが気持ちのいい笑みを浮かべながらアリアの頭を撫でると、へへっとはにかむ幼女であった。
空を飛ぶためにも、今日もしっかり鍛錬するぞと意気込むアリア。鍛錬を嫌ったりせず、好きでやるというその姿勢が、リドウにとってはとても好ましい。自分が相手をできる間にできるだけ教えてやろうと、彼は彼でやる気が増していた。
お付の男たちは二人の様子を微笑ましそうに見ているし、恵子も、こうして子供を相手にしている時のリドウを見ていると、暖かい気持ちになれる自分を素直に認められ、自分も優しい気持ちになれて、何だか……嬉しかった。
が……
庭への出口を潜ったその瞬間、恵子はリドウの気配が何の脈絡も無く激しく変化したのを感じ取る。
「え……?」
と彼女が思った時には、
キンッ
険しい顔で横合いを睨みながら、既に抜刀を終えたリドウが居た。
――そして、リドウと鍔迫り合いに、薄笑いを浮かべる男も。
突然の出来事で呆気にとられる一同であったが、次の瞬間、狼藉者の容姿に全員が呼吸を忘れてしまう。
美しい男だった。アッシュブロンドの長髪は麗しく、切れ長な眼差しは涼やかで、しかし見る者に酷薄な印象を抱かせるのは、本人の資質なのか。
「かなり……ショックだね」
「ほう、何がだ?」
目を離さずに男――ラヴァリエーレを見ながらリドウが言うと、対するラヴァリエーレの方は面白そうに眉を跳ね上げる。
「気付けねぇ内にここまで接近を許した人間はつい最近がバージンブレイクだってのに、もう二人目が現れやがった。ちっとばかしプライドが傷つくぜ」
「その内癖になるかもしれんぞ、女の肉体と一緒でな」
「俺は被虐趣味は持ち合わせてねぇよ」
どこかで聞いたような返しをするラヴァリエーレに、リドウも減らず口を返す。
刹那、二人の全身から圧倒的な闘気の本流が噴出し、両者の足元の石畳がばりんと割れてへこむ。
「ぼさっとしてんじゃねぇ、カイラス! お嬢もだ! アリアを連れて逃げろ!」
相手から視線を逸らさず、険しさを増した表情で怒声を張り上げる。
この場に居る人間は皆がリドウの実力を知っている。それはカイラスたちも例外ではない。いきなり現れた男のあまりの美しさ、そしてリドウが“焦っている”状況が現実感に乏しく、今の今まで誰も身動きできていなかった。
それが一斉にはっと意識を取り戻す。
「お嬢!」
一番側に居たセスタスがアリアを抱きかかえて邸内へ引き返そうとするが、
「――ッ!? 駄目だっ、外に逃げろ!」
リドウが忠告するが、哀しいかな、既に遅かった。
その女は突然現れた。
カタリナ――ラヴァリエーレの従者。
それまで何者も存在しなかったはずの場所に、急に現れた彼女が、目を見開くセスタスへ無言のまま電撃をお見舞いし、
「ぐっ」
「うわぁっ」
彼は一撃で意識を刈り取られて地面に倒れようとする。そして一緒に意識を失ってしまったアリアを、カタリナが倒れる彼から奪い取る。
「よそ見していいのか?」
「がはっ」
警告のために思わず顔を逸らしてしまったリドウ、その腹部にラヴァリエーレの足が減り込む。
その威力で一直線に横っ飛びに吹き飛ばされたリドウの体が屋敷の壁にぶち当たり、壁を半ば崩壊させ、瓦礫に沈む。
「リドウ――!?」
恵子が悲痛な叫び声を上げる。信じられないという思いもあった。あのリドウが一方的にやられてしまうなんて、彼女にはとても信じられなかった。
「何者だ……?」
カイラスが強張った顔で、突然現れた男女を交互に見る。
「お嬢を返しやがれ――っつって返すわけもねぇか」
こちらも軽い口調とは裏腹にホフマンの表情は慎重な様子だった。
「そうですわね。わたくしも気殺にはそれなりに自信があったのですけれど、このお屋敷には結構な使い手がかなりいらっしゃるので、ここまで隠形で来るのは骨が折れましたから」
その成果を易々と台無しにする気はないと、この場には不釣合いなくらいの笑顔で言う。
「動くなよ、小娘」
一方では、逃げ出すことさえできずに固まっている恵子に、ラヴァリエーレが忠告すると、彼女は冷や汗しながらごくりと喉を鳴らした。
「――それと、貴様もだ、月紅」
瓦礫の中から姿を現したリドウにも忠告する。彼の方は特に酷いダメージを負った様子はないが、あるいはやせ我慢なのか……油断せずにラヴァリエーレを睨みつけるリドウの外見には全く窺い知れない。
しかし、リドウは迂闊に動けなかった。彼の感覚は相手を魔王とは言っていなかったが、何者かは知らないが少なくとも『自分が必勝の心算で闘えるつまらない相手ではない』のは一目瞭然だった。
恵子は今、その相手の傍らに居る。特に拘束されているわけではないが、人質としての状況は完全に出来上がっていた。それは彼女自身も理解しており、彼女も感情に任せて動くことすらできないでいた。
「何もんかは知らねぇが、何が目的だ?」
「私が貴様に要求することは唯一つ――」
抜き身の刀をリドウに突きつける。
「私と殺し合いをしよう」
リドウは眉を険悪にひそめる。
「それならわざわざこんなマネせずとも、いつでも闘ってやる」
「貴様自身はそうだろうが、ガルフと共闘されては流石に敵わんのでな、奴の娘は奴に対する牽制だ。折角の美味そうな相手なのだ、どうせならタイマンで平らげたいのでね」
「無事で返すつもりはあるんだな?」
「ガルフの娘に関しては」
含んだ物言いをするラヴァリエーレに、リドウの眼差しがすぅっと狭まる。
「お嬢をどうする気だ?」
「私自身は特に」
「きゃっ」
ラヴァリエーレがしれっと言いながら恵子を抱き寄せる。
「いわゆる行き掛けの駄賃というやつだな。私に勝てれば返してやろう。私が勝ったら……」
にぃっと邪悪に笑う。
「ご想像に任せるとしようか」
「あ、あたしを人質にして……」
「ん?」
自分の腕の中で震える声を発する恵子を、ラヴァリエーレは訝しげに見下ろす。
すると、彼女は毅然とした目つきでラヴァリエーレを仰ぎ見る。
「あ、あたしを人質にしてあいつをこ……殺そうって考えてるなら、お門違いなんだからね! そんな風にあいつの足手纏いになるくらいなら、あ、あ……あたし……」
「何を思いつめておるのか知らんが、小娘、お前は私の話を聞いていたか?」
「え?」
「私は奴が勝てば返すと言ったのだ。大人しく死ねなどと一言も口にしとらん」
この言葉を聞いて、恵子は思うことがあった。
(あっ……もしかしてこいつもバトルジャンキー?)
そういった連中の行動原理を何となく理解できるようになってしまっている彼女は――なぜか自分でも不思議なことに、それだけで少し気が楽になったようで、青ざめていた顔に生気が戻っていく。
「……勝つ?」
一言だけ、リドウへ訊ねる。
「勝つ」
迷い無く肯いたリドウに、恵子は本心の笑顔を浮かべることができた。
「ん。信じてるから」
「良し、上等だ」
リドウも合わせて微笑した。
ラヴァリエーレはおもむろに懐から一枚の紙切れを取り出すと、紙切れを持ったその手でカイラスへ手招きする。
カイラスは慎重にラヴァリエーレへ近づくと、紙切れを受け取る。
「決闘の場所はそれに書いてある通りだ。一応、破壊しても影響の少なそうな場所を選んでおいた。刻限は任せる」
後半はリドウへ向けての言葉だった。
「――がまあ、日が暮れる前には始めたいところだが」
「安心しろ。関係者一通りに説明が終わったらすぐ向かう」
「ああ――楽しみだ」
にぃっと唇を歪める様は、しかし今度のそれは無邪気にも見える表情であった。
「行くぞ、カタリナ」
「はい。ラヴァリエーレ様」
カタリナがアリアを抱きかかえたままラヴァリエーレの隣に並ぶ。
「ラヴァリエーレ……ッ!?」
その言葉自体を呑み込むように、殆ど呻きに近い声で言ったのはカイラスとホフマンが揃ってのことであった。
もっとも、本人やカタリナは気にしたそぶりも無く、ふわりと浮かび上がる。
「うわっ!?」
生まれて初めての空中遊泳に恵子が動揺の声を上げたのは余談であろう。
「待っているぞ」
去り際にリドウへ確認の声を掛けてから、彼らは行ってしまった。
千鶴やベアトリクス、そして屋敷の者たちが騒ぎに気付いて、慌てた様子でようやくやって来た。




