第五十四話 世界の法則
リドウたちは今、ガルフの屋敷の中で最も大きな部屋、昨夜の宴会にも使用された場所に居た。
そこにはリドウ一味以外にも、屋敷の主であるガルフにレイア、そしてこの屋敷に常駐しているガルフ一家の者たちの内、幹部の全員も集められていた。
彼らは一様にぴりぴりしている。親分の娘を誘拐されたのだから当然だろう。彼ら自身、やんちゃで屈託の無いアリアを自分の娘か孫同然に思っているらしいから尚更なのかもしれない。
リドウは彼らを前にして深々と腰を折る。
「俺が付いてながらすまねぇ」
そう言って顔を上げようとはしない。
すると、年配の男が幹部集団から一歩抜け出してリドウの方へ進み出てきた。既にリドウも昨夜の宴会の際に、ガルフ一家の幹部として紹介されているので顔見知りだ。
「お客人。あなたを責めようとは思わない」
「左様」
もう一人、こちらも幹部として紹介された男も、一歩前へ出て、前の男に同意を示す。
「カイラスたちから既に聞いているが、相手が相手だ。リドウ殿の若さを理由にして侮り、あまつさえ責任を追及しようとは思わぬ」
その言葉を聞いた瞬間、ベアトリクスがぴくりと眉を跳ね上げる。
「誰か大物が出張ってきたのか?」
それに応えるのはレイアの役目であった。
「ランスロット卿です」
「ラヴァリエーレ殿か!?」
ベアトリクスはこれでもかと言う程に目を見開き、驚愕の念を露にする。
そして、この言葉に別の反応を見せる人物も居た。
「ランスロット……しかも『卿』……?」
なぜか疑わしげな顔の千鶴であったが、その小声が気付かれることはなく、話は進んでいた。
「間違いなく本人なのか?」
「伝え聞く容姿とカイラスたちの証言は合致しますし、リドウ様があしらえなかったという時点で疑うべきではないと思われます。それに今しがた、クリスからの早馬が届きました。向こうでも一悶着あったようです。勇者の一味と交戦し、シャイリーさんが負傷、現在は向こうで療養中なため、高坂さん共々こちらまでは来られないそうです。あちらで得られた情報でもランスロット卿が動いているとあります」
少々遅きに失しましたがと、悔恨の表情で呟く。
千鶴はぴくりと反応し、常以上に表情を失くして口を開く。
「愛奈ちゃんたちは無事なのかしら……?」
「ご安心を。負傷されたのはシャイリーさんだけです。そちらも命に別状はないそうです」
「そう……」
ほっと一息つくと、気を取り直して再び質問する。
「それで、そのランスロット卿という人物ですけれど、ナイツ・オブ・ザ・ラウンドテーブルと何か関係があったりするのかしら?」
「ほう。知っていたか」
「いいえ」
感心するベアトリクスであったが、千鶴はきっぱりと否定した。
「ナイツ・オブ・ザ・ラウンドテーブルという名称を知っているかいないかで言えば――知っているわ。けどそれは地球のそれを知っているというだけであって、この世界でのそれがどう扱われているかは全く知らないわよ」
「ああ……そういえば、初代筆頭のアーサー卿は地球出身だったな。確かバリトン……いや、ブリタン……いや、それも少し違ったかな? あまり召喚例の無い国からお越しになられた方だったから、どうもうろ覚えだな」
首を捻るベアトリクスに、千鶴は眉を顰めながら自分の推測を話す。
「……もしかしてブリテンかしら?」
「そう、それだ。ブリテン」
ベアトリクスはつっかえが取れてすっきりしたと言わんばかりの顔で手を叩き、千鶴を褒め称えるが、彼女の方は顎に手を当てて思案顔であった。
「そういえば、ラウンドナイツはアーサー卿ご自身が命名者だったな。そちらの世界の組織名か何かだったのか?」
「ええ、まあ……」
「……俺は知らねぇんだが、何だその何たら騎士団ってのは」
「あなたがご存じないのか?」
これは意外だったなとベアトリクスが軽く驚きを表す。また、レイアやガルフも同じような顔をしていた。
「我々のような世界に生きていて聞いたこともないというのは意外ですわね」
「それも気になるところではあるが……」
ベアトリクスは面白そうな顔で言う。
「ラヴァリエーレ殿はオルライン帝国のご出身だったはず。あなたたちが以前に揉めた勇者というのは、ひょっとして……」
「オルライン帝国の所属だっつってたな」
「なるほど。本人にそのつもりがあるかは怪しいところだが、意趣返しが目的かな」
「しかし、いくらランスロット卿の出身国とはいえ、オルライン帝国がそう容易に彼を動かせるとは思えないのですが……」
「さて。他にも目的があるのか……まあ相当な金を積み上げたのは間違いあるまい」
ベアトリクスとレイアの二人だけで何やら納得している。
が、依然としてリドウにとっては果てしなく謎で……
「それで、それは一体何だ?」
ベアトリクスとレイアは互いに顔を見合わせると、レイアがおもむろにベアトリクスへ手を差し出した。無言の内にどちらが説明するかを目線で問い合った結果であった。
了解したと肯いたベアトリクスがリドウへ向き直る。
「ナイツ・オブ・ザ・ラウンドテーブル。長いので普通は略称でラウンドナイツと呼ばれる。ロンダイク聖教圏最強の勇者集団が所属する、教皇庁直下の神罰執行機関最上層部を指した組織名だ」
リドウは訝しげな顔で首を捻る。
「あのレベルの使い手をロンダイク聖教が放って置くのか?」
「うむ。一昔前ならとっくに暗殺されていたであろうな」
ベアトリクスは首肯しながら、まさにそれが最大の原因で組織された機関だと言う。
「魔王は放置しておけば基本的に殆ど害は無い。その事実それ自体はロンダイク聖教関係の上層部も理解している。だから平気な顔をして勇者を差し向け続けることができる――運良く滅ぼしてくれれば御の字、という程度の認識で、普通に考えれば魔王に勝てるはずもない程度のレベルの勇者をな。あなたの言う通り、本気で魔王に勝てそうなレベルにまで達してしまった勇者はことごとくが暗殺されてきた」
「特に狂嵐様の魔王覚醒以降はその傾向が顕著……といよりも、神経質な程だったと聞き及んでおりますわね」
「ああ。他に手があるなら勇者召喚を止めたかったのではないかという説もあるな。結局、我々リリス教側とやり合うには勇者の存在が不可欠だったため、勇者の召喚は続行されてきたが……」
楽しそうな笑顔を浮かべて指を立てる。
「が、百二十年ほど前、その事情が一変した。世界人口の爆発的な増加に伴い、能力者の絶対数も比例して増加し、優秀な能力者の絶対数も比例して増加してきた。その殆どがリリス教側の戦力として換算される。それは、精々がハイエンド級の勇者どもだけでは対抗するのが不可能と言って構わないほどの戦力だ」
「ふん……?」
リドウは頭の中で両者の戦力を比較してみる。基準となるのはガルフ級が十人とシャイリーやベアトリクス級が百人に対して、ロンダイク聖教関係国は五十くらいだったかと思い出し、ユーキ級が二百人と、ユーキよりワンランク上の使い手が百人だ。この等級の戦闘に非能力者が幾万集まろうが余波だけで死亡すると考え、一般戦力は換算しない。
(一方的ってレベルでもねぇが、リリス教側が圧倒する、か……)
ふむと納得顔で頷く。
「確かにその通りかもな」
「どうもあれだな。あなたの持つ情報は全体的にいささか古いきらいがあるな」
「あー……まあ気にすんな」
兄貴から聞いたことが基本だからなぁ、と心の中で呟きながら苦笑するリドウだ。この男が持つルスティニア関連の情報は、その殆どが、最後にエーテライスにやって来て、今でも外界を放浪したりするザイケンからもたらされた物が基本骨子であったため、古いのは無理もないのだ。
「ふむ……まあ深く突っ込もうとは思わんが」
ベアトリクスは疑問が尽きない様子であったが、話を続けることにしたらしい。
「そこでロンダイク聖教は一計を案じた。取り繕わず言葉にしてしまえば……」
にやりと唇を歪める。
「暗殺が必要とされるレベルにまで達した勇者を――飼い殺すことにしたのだ」
「飼い殺しだ?」
「うむ、飼い殺しだ。それ意外に表現のしようがなかろう」
口調と同様に顔も皮肉っぽく笑う。
「暗殺するのではなく、教皇庁で常時監視することにしたのだ」
「万が一、魔王に覚醒するようなら、同じく飼い殺されている勇者が即座に抹殺する……そんなとこか?」
ベアトリクスは流石に理解が早いなと肯く。
「大戦時にも一人出張ってくれば上等な程に腰の重い連中だ。発足以降、最大時でも構成員六名という少なさから、迂闊に減らしたくないという思惑もあるのだろうが、おそらくは魔王に覚醒させぬために必要以上の戦闘経験を積ませたくないのだろう。ロンダイク聖教の教皇庁としては、抑止力以外では使いたくないはずだ。その勇者の出身国には一定の便宜が図られはするが……まず間違いなく相当な金が動いたであろうな」
「向こうさんの都合なんざどうでもいい。奴はそのラウンドナイツの何番目なんだ?」
リドウの質問を受けたベアトリクスは、厳しい目付きで彼を見つめる。
「初代筆頭のアーサー卿が没して以降、アーサー卿の席は永久欠番とされ、それからは筆頭がランスロット卿を継承するのが慣例だ。当代ランスロット卿が健在でも、力関係が入れ替われば、席次と共に称号も入れ替わる」
「ほう。つまり?」
リドウは興味深そうに相槌を打ちながら眉を跳ね上げる。
「ランスロット卿アレクサンドル・ラヴァリエーレはロンダイク聖教圏において現役最強の勇者に相違ない。我々――リリス教側の分析では、歴代勇者の中でも五指に入るのは確実。下手をすれば初代筆頭アーサー卿を上回り、最悪は魔王打倒を成し遂げた初代勇者に匹敵、乃至は凌駕する可能性も考えられてい……る……?」
話の途中からリドウは身を屈めて全身を震わせ出してしまった。ベアトリクスは思わず訝しげな顔になりながら疑問調で言葉を濁してしまう。
この男に限ってまさか臆病風に吹かれたわけもあるまいと思っていたら……
案の定、そんなわけがなかった。
「くっくっく……」
額に手を当てて肩を揺らす。
「ははは……」
顔を上げると、いっそ爽やかと言ってしまえるような、千鶴ですら初めて拝むような笑顔を浮かべる。だが、好青年にすら見える、全く以ってらしくないその笑顔は、彼女に寒気すらもたらし、鳥肌が粟立つ。
「はーっははははは!」
その笑顔が邪悪な性質のものへ変貌するのに時間は掛からなかった。
「いいねぇ!」
両手を広げて天を仰ぐ。あまりの豹変っぷりに周りの人間は誰もが息をするのすら忘れてしまう。
「実に結構なことだぜ!」
ゆらーっと千鶴の方を向くと、彼女は気圧されてしまいびくっと身をすくめてしまった。
「聞いたか千鶴? 勇者にもできる奴がいらっしゃるじゃねぇか。この前のカスみてぇなのばっかりかと思ったら、まさかラウンドナイツ? そんな連中がいらっしゃって下さったとはな!」
たまんねぇなと胸の前で拳を握り締める。
「いきなり最強がお出ましたぁ、ちと興醒めな気もしねぇでもねぇが……まさか他の面子がハイエンド級で留まってるわけもねぇだろ。あのラヴァリエーレとやらをぶちのめしゃ、他のも俺を狙ってくれるのかねぇ……ッ! 是非そう願いてぇもんだなっ!」
壮絶な笑みを浮かべ、凄絶なまでに闘志を漲らせるリドウに、この場に居る全ての人間は気圧されてしまい、自然と足を一歩引いてしまう。
もっとも、たった一人だけ例外が居たが。
「リドウ」
ガルフだ。まるでリドウのように闘志を漲らせ、目を爛々と輝かせ、しかもリドウを睨みつけるようにしている。
「ラヴァリエーレの相手は俺に譲れ」
「あ?」
リドウは険しい目つきでガルフを睨み返す。
「ざけんな。あっちも俺を御指名なんだぜ」
「いいから、譲れよ」
「冗談じゃねぇ」
何か言葉にし難い異様な雰囲気を発する二人に、周囲の人間は自然と汗を滲ませてしまう。
「何ならおめぇさんでも構わねぇんだぜ、俺はよ」
ガルフは魔道士のくせにごっつい筋肉をぴくぴく言わせながら手を組んでぼきぼき鳴らす。
「別にいいぜ。クリスとはあんたと闘り合わんと約束したが、降り懸かる火の粉をはらうのは別だろ」
首の後ろに手を当てながら左右に倒してこきこきと鳴らす。
一触即発の空気だった。全員の首筋を冷やりとしたものが走る。
「お待ち下さい!」
「待ちなさい!」
しかし、あわや怪獣大決戦勃発といきそうなその空気の中で、レイアがガルフの前に、そして千鶴がリドウの前に立ちはだかった。
ちなみにベアトリクスは、二人を面白そうに眺めているだけだった。どうやら二人のガチバトルに対する興味心の方が勝ったらしい。
「父さん! あなたは己の欲望を満たすことの方がアリアよりも大切だとでもおっしゃられるおつもりですか!?」
その啖呵は流石に応えたようで、ガルフはうっと言葉に詰まりながら、闘志を霧散させる。
「で、でもよぅ……ラヴァリエーレの野郎がアリアを無事に返す保証は……」
ふて腐れたようにそっぽを向いて唇を尖らせながら反論するが、自分でも説得力の無さを自覚しているのか、弱気な声音であった。大きな身体が物理的にも縮んだように見えてしまう。
「アリアを殺して何の得がランスロット卿にあるとおっしゃるのですか。ランスロット卿のお力を以ってすれば、父さんが側におられさえしなければ、いつでも我々を全滅させることができるのですよ」
その通りだと、ガルフも最初から理解していたのだ。真の強者たる自分たちのような存在にとって、弱者の業など必要とはされないのだから。
「守勢たる我々の側に、ランスロット卿に対抗可能な戦力が父さん単騎である以上、我々の不利は明白です。リドウ様が進んでお望み下さっている以上、ここはお任せすべきです」
ますますしゅんと縮こまるマフィアの大親分であった。
その逆、リドウの方では、千鶴によるお説教が展開されていた。
「ガルフさんと闘って無事で済む自信がお有りなのかしら? あなたには回復手段がありますから、勝てさえすれば五体満足では済むでしょうけれど、消耗は避けられない――違うかしら?」
「……違わねぇな」
「そんな状態でラヴァリエーレとやらに勝てるのかしら?」
「……多分、負ける」
「なら優先順位を間違えないで」
「すまねぇ……」
こちらも気落ちした様子を見せるリドウに、千鶴は困った男ねとため息する。普段は彼女の知る限りで最も頼りになる男には違いないのだが、強い相手を見ると後先考えないというか、ある意味では無邪気とも言える子供っぽさを発揮してくれるのだから。
(そんな所がちょっと可愛いとか思ってしまう私も救いようがないけれど……)
痘痕も笑窪とは良く言ったものだと、内心で苦笑いしてしまう。
千鶴にやり込められたのがいっそ面白かったのか、リドウの方ははっきりと苦笑しながら頭をかくと、真面目な顔付きになってガルフを始めとした彼の一家を見渡す。
「ラヴァリエーレは俺が勝とうが勝つまいがアリアを返すつもりはあるらしい。そんな意味の無ぇ嘘を戯れにほざいて、相手を嬲って楽しむような男には見えなかった。ここは一つ信じて大人しく俺に任せてくれねぇか?」
その言葉に、幹部たちは真摯な眼差しで無言の内に肯き、レイアは笑顔で、そしてガルフも渋々ながら了解の意を示した。
「ただし、だ」
ガルフが一転して挑戦的な表情を浮かべる。
「見物くらいは構わんだろ?」
「私も非常に興味があるな」
ベアトリクスも獰猛な笑みを浮かべてガルフに同意する。
リドウは少し思案げな顔をしていたが、
「ま、いいんじゃねぇか?」
深く考えたのか怪しい、軽い態度で許可してしまう。
と思ったら、今度は微かに殺気すら滲ませながら、目付きも物騒に一同を見渡す。
「ただし、邪魔しやがったら――ぶっ殺すぞ」
それを受けたベアトリクスが頬を引き攣らせながら、似たような顔をしている千鶴に耳打ちする。
「間違ってもちょっかい出せんな」
「彼が外道以外に対して『殺す』とはっきり口にしたのは初めて聞いたわ……」
「そういう人間が『殺す』と口にする時は往々にして比喩ではなく、マジだ」
「でしょうね。どの道、彼が本気で闘うのなら、私では近づいた時点で完全な自殺行為でしょうけれど」
「そうだな……」
難しい顔で唸るベアトリクスを、千鶴はどうしたのだろうかと怪訝に見つめる。
「最悪、山の一つや二つは消し飛びかねんぞ」
その言葉に、千鶴はリドウ対魔王ルミナリア・ファルミの決闘を思い出し……思い切り顔を引き攣らせた後に、盛大に嘆息するのであった。
子供の甲高い音声で、やけに気合の入った声が間断なく響き渡る中で、麻木恵子は目覚めた。
「うるさいわね……」
上半身を起き上がらせると、額を手で押さえながら、寝ぼけた頭を左右に振って意識の覚醒を促す。
「起きたか」
静かでいて冷たく響く声であった。
聞いた覚えの無い男の声に、多大な疑問と微かな身の危険を感じ、慌てて声の主を確認し、絶句する――その人間離れした美しさに。
「ひょっとせんでも、飛んだのは初体験だったかな?」
一度見たら決して忘れることなどできない圧倒的美貌に、恵子は自分の身に何が起こったのかをようやく思い出し、強張った顔で周囲を確認する。
小さな岩がそこかしこに転がり、草木など殆ど見当たらない荒地だった。声の主は岩を背にし、リラックスした様子で膝を片方立て、そこに腕を乗せて座っている。傍らには鞘に納まった刀が立て掛けられていた。
その少し離れた所に紫がかった黒いロングヘアーの魔法使いっぽい女が、澄ました様子で瞑目しながら立っている。
「うりゃっ!」
そして、自分と一緒に捕まったはずのアリアが放つ拳撃を、銀髪の男は恵子の方へよそ見しながら、涼しい顔のまま、人差し指だけであっさりと弾いた。
「なめんなぁ!」
「そういう台詞は、私にいいのを一発入れてからにしてほしいものだな、小童」
「うっせぇっ!」
「ふふふ。元気のいいことだ。闘争の世界を志す小童ならばそのくらいで丁度いい。実に結構」
必死に攻撃を繰り出すアリアとは対照的に余裕の笑みを浮かべるラヴァリエーレ。
「筋はいい。あと三十……いや二十年、今のまま研鑽を怠らなければ、我々に挑む資格を得ることも叶うであろう」
言いながら、寄り掛かっている岩から少しだけ背を浮かせて、アリアの方へ近づくと、親指に引っ掛けた中指をぴんっと弾く。
「あたっ」
なぜか避けることもできず、まともにくらってしまったアリアは、両手で額を押さえながら涙目で蹲った。
それを見てふっと笑ったラヴァリエーレは、全身を強張らせている恵子の方へ視線を移す。
「そう怯えるな。お前如き小娘に興味は無い」
恵子は一瞬、かっちーんっとくるものがあった。目の前の銀髪の男の台詞が、自分に女としての魅力など感じないという意味であるのが判ったからだ。が、自分と相手の立場を思い出し、何とか我慢する。
「……あんた、何者なの? ……ですか?」
相手は一応誘拐犯だし、かなり年上でもあるので、とりあえず敬語に直した。もっとも、渋々感は大分あったが。『敵』に対して敬語を使うのもあまり気が進まなかったらしい。
その質問に対する返答は酷く冷たかった。
「お前が知る必要は無い」
膝に乗せてアリアの攻撃を受けていた手を自分の頬に当て、そこに顔を乗せて首を僅かに傾げる。そうするだけで妖艶さが増し、恵子は思わず見惚れてしまうが、こいつは敵だと慌てて自分自身に言い聞かせ、キッと強気に睨み返す。
「が、別に知られて困ることでもない。戯れだ、答えてやろう。先日お前たちが関わった勇者がおったであろう? 私はその小僧の先輩だ。確かユーキ……とか言ったか」
最後の言葉はカタリナへ向けての確認だった。
「はい。ユーキ・ハセガワです」
まるで本人を知らないように振舞うラヴァリエーレの態度を、恵子は疑問に思う。
「別にあんたが勇者だって話を嘘だなんて言うつもりはありません。あのユーキって勇者があんたたちにあたしたちのことを話したんですか?」
「その小僧なら未だ逃亡中だ」
「逃亡?」
「たまに居るのだよ、殺し殺されの世界を嫌って逃亡するのがな」
懐から小さく白い紙筒を取り出して口に銜えると、その先端が独りでに燃え上がる。
「タバコ?」
リドウが吸う煙管ではなく、日本でも良く見られる紙のタバコであった。
ラヴァリエーレはそれを実に美味しそうに吸っている。
「ロンダイク聖教は勇者の裏切りを断じて許さん」
どこでもない彼方を見つめながら無感情に言う。
「メンツに懸けてユーキとやらを追い詰めるだろうな。私の知ったことではないが」
「それじゃあ、どうやってあたしたちのことを知ったんですか?」
「お前は、自分たちがどれだけ目立つか理解しとらんのか?」
「は?」
「お前たちの存在を見つけ出すことなど、国家という規模からすれば、これほど容易いこともあるまい。見つけてさえしまえば、お前たちが異世界人と端から疑っていれば、それを看破するのは至極容易い」
そこまで言うと、軽く目を閉じてふっと唇を歪める。
「お前、自分が未だに日本語で喋っていることを理解しておらんのか?」
「え?」
「まさかこの世界の言語が日本語だとでも思っておるのか?」
「違うんですか?」
その答えに、ラヴァリエーレは完全な呆れ顔になってしまう。
「能天気な小娘だ」
「わ、悪かったわね……です……わね?」
反射的にため口で言い返そうとしかけて敬語に直すが、どう締め括ればいいのか良く判らなかったのか、今一怪しい言葉遣いであった。しかも、ファンタジーな世界だからと、言葉が通じる事実を深く考えていなかったのを、能天気と言わずして何と言うべきなのか自分でも分からず、返す声には力が全く入っていない。
「お前如き小娘にどう思われようと私はどうでもいい」
「は?」
「無理に敬語にする必要は無いと言っておる。かえって聞き苦しい」
「あ、そうですか」
ラヴァリエーレはタバコを指で弾いて捨てる。そのタバコは空中で勝手に燃え上がり、一瞬で完全な塵と化すと、灰は微風に流れて散っていった。
「勇者召喚の術式には、自動で言語変換の効果が備わっておる……」
「へえ……凄いもんですねー」
便利だなーと感心する恵子であったが、
「わけではない」
「からかったの!?」
怒気やら羞恥やらに赤面する恵子であったが、その態度が余計にラヴァリエーレを楽しませてしまったのか、彼はくくっと笑い声を零している。
「私を相手に怖気づかぬとは、なかなか稀有な小娘だ。月紅との付き合いの賜物かな?」
「あんたに関係ないでしょ!」
「そう猛るな。そっちも――」
痛みから回復したアリアが今にもパンチを放とうとしているのを鋭い眼差しで見つめると、彼女はびくっと身をすくめてしまう。
「今はこっちの小娘を相手にしておる。また後で遊んでやるから、今は大人しくしておけ」
さもなければ物理的に黙らせるぞと、言葉にされずとも感じ取ったアリアは、泣きそうになりながら、
「もういい……」
地面に座り込んでしまった。しょんぼりと膝を抱えてしまうその姿は、普段の快活さはすっかりなりを潜めてしまい、哀れみさえ催してくる。
「子供を虐めるんじゃないわよ!」
「その小童が泣いておるのは、私が怖いからではない。私に太刀打ちできぬ己の未熟を嘆いておるのだ」
ひっくひっくと嗚咽を零すアリアを庇うように抱き締める恵子へ、ラヴァリエーレはあくまでも愉快な様子で言う。
「いい闘士になる。将来が楽しみだな」
「あんたたちって……」
後半に何を付け足そうとしたのか、あるいは沢山ありすぎて選べなかったのか、呆れ顔の恵子であった。もちろん、この『あんたたち』の中には、目の前のラヴァリエーレに加えてリドウをも含めた言葉である。
とりあえずアリアを虐める気は無いようだと知れて、「大丈夫?」「うん」というやり取りの後、彼女から離れると、恵子は何となく痛む頭を抑えながらラヴァリエーレを観察する。
(何だかこいつ……さっき初めて見た時も思ったけど、あいつに似すぎじゃない? いや、外見は全然似てないし、性格も似てるってことはあんまなさそーだけどさ、根本的な部分ってゆーか……)
ラヴァリエーレの方は恵子が何を思ったのかなど知ったことではないようで、勝手に話を続けている。
「お前、出身は地球の日本で良かったな?」
「そう……ですけど……」
ため口になったり敬語になったり、今一自分の立ち位置が掴めないらしい。『善い人』には間違っても見えないが、あんまり『悪い人』にも見えないから困るようだ。少なくとも『外道』ではなさそうなのは確かであったが。そんな部分が本当にリドウと似ていると思わされてしまう。
「この世界には幾つか特殊な法則が存在する。その一つ、その人間の基礎言語は自動的に意訳されて相手に伝わる」
「基礎言語?」
「例えばお前なら日本語だ。私の場合はフランス語だな」
「フランス人だったんですか!?」
「生まれ育ちに国籍はフランスだったな。もっとも、私自身の血筋は色々と混ざった多国籍だが」
そんなことはどうでもいいから、自分の唇を良く見てみろと恵子に告げる。
恐ろしく美しい……と言うよりも、むしろ『美しくて怖い』と言うべきその容貌をまじまじと見つめるのは、こんな嫌な奴相手に見惚れたくなんてないけど、まともに見てしまったら自分の意思とは無関係に見惚れちゃいそうな気がして、恵子は一瞬躊躇したが……結局、逆らって機嫌を損ねるのは明らかな悪手だという判断から、渋々とラヴァリエーレの口元を見つめる。
「今、私はフランス語で話しておる」
「ホントだ! 日本語じゃない……」
見惚れてしまいそうというのは杞憂だったようで、恵子は純粋に驚いていた。
「目立つお前たちを発見した人間が、端からお前たちを異世界人と疑ってかかっておれば、最低限異世界人であると看破するのは容易いのだよ」
恵子は思わず唸る。確かにそれなら納得できないでもなかった。
「代わりに、第二言語……いわゆる外国語だな。それを話す場合、不思議なことに翻訳されることはない」
「えっと……つまり?」
「I've never seen a maid happy-go-lucky as you」
「え、英語……?」
いきなり流暢な発音でかまされた英語に、あんまり勉強が得意じゃなかった上に、更に苦手科目だったのもあり、恵子は大いに戸惑ってしまう。
「え、えっと……」
何と言われたのか訳そうとするが、既に何を言われたのかすら定かではなかったようだ。
おろおろしている恵子に、ラヴァリエーレは心底愉快そうに笑っている。
「くっくっく。日本は英語の授業が盛んな方だったと記憶しておるが、お前、苦手だったか?」
「も、もう一回お願いします!」
誘拐犯相手に解らないと口にするのは癪に障るらしい。もっとも、再挑戦を挑んでいる時点で負けているような気がするが。
「I've never seen a maid happy-go-lucky as you」
今度は注意深く聞いていた恵子であったが、それでも頭を捻らせながら唸ってしまう。
「私は……場面でメイドさん? が楽しくって、ラッキー? であなた? あ、この場合はあたしなのか」
ああっ、意味判んない! と頭を抱えてしまう恵子に、ラヴァリエーレはますます愉快至極といった風情で笑っている。
「『I've never』は『I have never』の略で、過去から現在までの経験には無いという意味になり、『seen』は文法上の都合で過去分詞にした『see』で意味は『見る』や『会う』。『maid』は基本『女中』という意味ではあるが、常用ではないが『小娘』という意味もある。『as』はこの場合『ような、みたいな』という意味で用いる基本中の基本。『happy-go-lucky』はこの一節で『お気楽な』という熟語であり、この場合は『能天気』と意訳してもらいたいところだな」
「なるほど――ってぇっ!」
かあっと赤面してしまう。
「あたしみたいな能天気な小娘は見たことがないって言いたいの!?」
「良くできました」
素晴らしいと手を叩くその様子が、一層馬鹿にされている感に溢れている。
「あ、あいはぶねばーふぃーる……こんな侮辱!」
「発音はともかく、英語で解らんのなら普通に日本語で言え。余計に滑稽だぞ、小娘」
「うぅ……」
哀しいかな、何も言い返せなかった。
「このように、母国語、基礎言語以外で思考された言語は意訳されて伝わることがない。何とも不可思議なことだがな。まあ、だから何だという話でもあるのだが……暗号や符丁までそのまま伝わってしまわないためなのであろう」
都合好く出来た世界だと皮肉げに唇を歪める。
「でも、あたしたまに英単語を使うことありますけど、ちゃんとリドウには伝わりますよ?」
「リドウ……月紅か?」
「え? そうですけど……知らなかったんですか?」
「ああ。まあそれはいい。お前が使う英単語というのはあれであろう? いわゆる和製英語。お前の中で日本語の一部として認識されておる単語ならば当然意訳されて伝わる」
「詳しいですね、日本語」
「母国語以外にも七ヶ国語はある程度いけるのでな。その中には日本語も含まれる。話すだけなら文法と発音が無茶苦茶でも割と伝わってしまう、世界有数の簡単な言語であるしな。もっとも、読み書きや完璧な日本語を話そうという場合は世界有数の難解な言語でもあるが」
すげー、と小声で零しながら目を丸くする恵子であった。英語すら中学レベルでも苦戦できる“自信”がある彼女からしてみれば、母国語以外に七つも話せるなんて凄いとしか言いようがなかった。敵なんだけど、ちょっと尊敬してしまう。
同時に、今の会話を通じて少しだけ打ち解けられたような気がして、これも少しだけ、気が楽になるのを感じる。
「これは世界の法則なのだ。この世界の人間からしてみればそれは常識であり、物理法則にすら近い現実なのだが、地球人からしてみれば酷い違和感が拭い切れぬ。一年少々……この世界に来て日の浅いお前では、まだ実感が湧かんでも当然だろう。だがこの世界はそのように“出来て”おるのだ。地球人からしてみれば夢のような闘気と魔力という特殊な力が厳然と存在するように、闘士は己に課した誓約から決して逃れられぬように、強靭な意志力がそのまま己の力足りえるように……ッ」
ぐっと握り締めた拳を、歯を剥き出しにして見つめる。
邪悪とも言うべきその表情のまま、ラヴァリエーレは恵子に視線を戻す。彼女は思わず身を引いてしまうが、完全に恐怖のみに囚われてしまうには、この男と同等にアレな男との付き合いがいい加減長かったのか、強気に睨み返す。
「もしこの世界の魔王やハイエンドの全てが地球に逆召喚され、その力を危険視された挙句、全面戦争になった場合、地球は一月を待たずに敗北するであろう。地球の各国政府が一枚岩になることができぬとか、そうしたケチの付け所を探すまでもなく、純粋に戦力的な問題だ。戯言でも笑い話でもなく、ハイエンドとなると、気功士だろうが魔道士だろうが、戦略核を用いてすら殺しきれるかは怪しいところだ」
くっくっくと含み笑うラヴァリエーレを、恵子は胡散臭そうに見ている。
「あんた正気?」
「至って。お前は月紅が実力の一部でも発揮した場面を見た経験はあるか?」
「あるわよ……」
「あの小僧レベルともなれば、その身が持つ破壊力は核兵器に勝るとも劣らんだろう。そうではなかったか?」
「…………」
否定しきれなかった。だが――
「納得できぬか?」
ラヴァリエーレは恵子の内心を代弁すると、ふっと鼻で笑う。
「お前はまだ、この世界の真の『出鱈目さ』を理解できとらんのだ」
そう言いながら、おもむろに己の懐に手をやり、抜き去った時――
「――ッ!?」
その手に握られている物体を目にした瞬間、恵子は驚愕に目を見開きながら、今までにない恐怖を感じ、顔を強張らせてしまう。
――初めて彼女が目にするそれは拳銃と言う名の武器。映画やドラマの中でしか目にした経験など無かったそれが、今彼女に対して凶口を向けていた。
その拳銃の引き金に掛かった指が、酷薄に唇が歪むと共に、ゆっくりと引かれていくその光景に、恵子は全身から汗を滲ませながら、せめてアリアだけは守ってみせると、彼女に覆いかぶさるようにしながら、決してラヴァリエーレから視線を逸らそうとはしなかった。
直後、鼓膜を突き破る轟音が鳴り響いた。




