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第四十九話 愛奈とシャイリー 4

 シャイリーは、とにかく今はフランクを探すべきだと決心すると、急ぎ屋敷へと向かっていた。


 一応、聴力を強化して屋敷方面を探ってもいるが、残念ながら、街のように人の多い場所で、ピンポイントで遠方の人の会話を聞き取れてしまうほど都合のいい技術ではなかった。


 ようやく屋敷が見えてきたその時だ。屋敷手前の建物の屋根、その上からこちらへ、周囲を憚るように小さく手を振ってくる男の姿がシャイリーの視界をよぎる。ちょっと色が抜けた程度の黒髪と灰色の目をした白人系で長身の男、クリスだった。もっとも、今は何かから身を隠すように屋根の上でしゃがんでいるが。

 何から隠れているのかと言えば、言うまでもなくフランクたちからなのだろう。その一事をもって、やはりこの男は無関係だったかと一応の確信を得たシャイリーは、招かれるままに彼の隣に腰を下ろす。今をもってハメられている可能性は拭い切れなかったため、内心はまだ完全に警戒心を解いているわけではなかったが。


 そして屋敷の方に視線をやった時、それはちょうど愛奈が目を覚ました瞬間だった。


 特に乱暴をされた形跡は見当たらず、シャイリーはほっと胸を撫で下ろした。そのまま気配を押し殺して『敵』の観察を続ける傍らで、クリスと会話する。


「状況をご説明します」


 いきなりの申し出であったが、シャイリーは戸惑うことなく応じる。


「うん、お願い」

「私はユジーン……月の白兎亭の主人から異変を知らされてすぐに来ました。ちょうどフランクが屋敷に戻って来た段階で追い付いたのですが、そこであの女の一味とフランクが落ち合ったのを目にし、当初はフランクを確保する予定だったところを偵察に切り替えました」

「正しい判断だね。僕も、僕自身が気功士ってのもあるけど、根本的に魔法使い系との戦闘経験はあんまり無いし、魔道士のレベルなんて細かく見分けられないけど、あの女は明らかにあなたが正面から戦って勝てる相手じゃないよ」

「ええ、そう思われます」


 侮辱とも言うべきシャイリーの発言に、しかしクリスは気負うことなく肯いた。彼自身が一流の『戦士』であるからこそ、つまらないプライドに拘ったりはしないのだろう。


「それにどうやらあの女、勇者のようです」


 シャイリーは一瞬口を噤み、視線だけ動かしてクリスを見る。


「何で知ってるの?」

「聞こえましたので」

「この距離で細かい会話が聞き取れるの?」

「フランクの馬鹿が大声で言っていましたので。それに私は唇を読めます」

「器用だね」


 シャイリーが褒めるが、クリスの返答は無い。代わりに彼の口から出てきた言葉は謝罪であった。


「申し訳ございませんでした」

「何が?」

「フランク如き小物にできることなど大して無いと侮りました。利用する側には人物の大小など関係無いと知っていたはずが……。好きになれないからと言って放置しておくべきではありませんでした。まさかあんな協力者が付くとは思ってもおらず……」


 自分の責任だと表情を沈ませるクリスであったが、シャイリーはその言葉を遮らせるように、フランクたちから視線は外さず、クリスの前に手をかざす。


「あなたに過失は無いよ」


 冷静な見た目に反して、その瞳には焼け付く炎が燃え盛っている。それはフランクが愛奈を殴り飛ばした瞬間であった。


 シャイリーの歯が噛み締められる。その音は存外に大きく、クリスの耳にぎりっという乾いた音がはっきりと届いてきた。


「けど、あなたが何と言おうと、フランク一家は今日をもってお終いだ。幹部は問答無用で殺す。この件に関与した下っ端も殺す。フランクは惨たらしく殺す」


 淡々と言葉を紡ぐシャイリー。その瞳に灯る色は冷ややかで、特別な感情を容易には窺わせない。


 しかしクリスも無感情に首肯してみせた。


「当然でしょう。こうなった以上、オヤッサンも否とは言われますまい」


 こうして会話している間にも、シャイリーはフランクたちの会話を聞き逃さなかったし、クリスも向こうへ視線をやったまま顔を動かしてはいない。常に何をするのが最善なのかを考え、選択し、実行できる彼らは、単純な戦闘者ではなく、あくまでも兵法家であった。


「ちっ、あの女……」


 愛奈の手を取り引っ張っていく女に、シャイリーは憎々しげに舌打ちした。


「何らかの魔法を発動状態で維持していますね」

「僕らに対する警告だろうね。戦士系の僕らに気配の読み消しでは勝てないと理解してる。下手を打てばその時点で愛奈ちゃんが殺られる」

「ロスト・スペリングの利点の一つですが、相当な熟練が要求される芸当でもあります。我々が思ったよりもワンランク上の使い手と見て動いた方が良さそうです」

「そう……」


 静かに応えながら立ち上がるシャイリー。


 しかしクリスは、その肩に手を置いて彼の行動を諌めようとする。


「お待ち下さい」

「何で止めるの? 行動範囲が制限される分、遠距離戦闘が困難になる街中の方が僕には有利なんだ。あの女も言ってたでしょ?」

「街に被害が出るのを見過ごすわけにはいきません」

「あなたには悪いけど、見知らぬ百人よりも愛奈ちゃんの方が僕には重いんだ。邪魔をするつもりなら、まずあなたから黙らせるよ」


 本気の殺気。


 シャイリーから静かに零れ出るそれに、クリスは額から一筋の汗を滴らせるが、しかし引く気は無いとその目は語っている。


「提案があります」

「……言ってみて」


 シャイリーは無表情に応じる。クリスを一撃で沈められる自信がシャイリーには有ったが、しかし万一にも派手な争いになり、フランクたちに気取られてしまうわけにはいかなかった。愛奈救出は迅速に、かつ静寂の内に行わなければならないのだから。


「彼女らが向かう方角は確かに魔道士にとって戦い易い草原になっていますが、その前に一度小さな森を抜ける必要があります。そこで襲撃し、まず彼女を救出しましょう。その際は、警戒されているあなたが囮を。私が裏に回って彼女を奪い返します」

「…………」


 シャイリーは無言でクリスを見つめる。その真意をクリスは理解した。


「お疑いはごもっともですが、信用して頂きたい」


 そう、シャイリーは未だクリスを完全に信用しきったわけではなかったのだ。そんな相手に、一時的にとはいえ愛奈を預けるのは不安だった。それ以前に、共闘するところからして不確定要素が多く、できるならば避けたかった。ならば最初から頼らない前提で動いた方がいい。


「私は元暗殺者です」


 唐突な告白だったが、シャイリーはあまり驚かなかった。自分どころかリドウにすら悟らせない気殺の腕前もそうだが、唇の動きで会話を読み取ったりなど、何となく暗殺者風味が漂う男だなとちょっと考えていたから。


「普段から気配を消しちゃうのは職業病?」


 ようやく口を開いたと思ったら、そこから飛び出てきたのは皮肉っぽい台詞だった。


「お恥ずかしい話ですが、『蛇』だったもので」

「聞いたことはあるよ。暗殺者って幾つか分類があるんだよね。中でも『蛇』はアサッシン・オブ・アサッシンズと言われるくらい物騒な連中を指した隠語だっけ? 流石は国を動かすほどの一大マフィアだね、そういう連中も専属で飼ってるんだ」


 どちらかと言えば感心した風な物言いであったが、今回の台詞の方がクリスは何かが気に入らなかったらしく、鉄面皮が若干崩れて憮然としている。


「元と言いました。オヤッサンの座右の銘は『何事も正々堂々と』です。我々がオヤッサンの評判を傷つけるようなマネはしません」


 平坦な声で紡がれた返答に、自分は何と返したらいいか咄嗟に分からず、シャイリーは黙りこくってしまう。今のは自分が悪かったと思っているらしい。


 それはそうと、そんな経歴の持ち主がどうして、暗殺を嫌う男が首領を務めるマフィアの幹部になど納まっているのか今度は気になったが、そこはクリスにも容易に語るわけにはいかない事情でもあるのだろう。相手の古傷を無闇に抉るような行為は『この世界』で最も嫌われるとシャイリーは良く知っていた。


 一方のクリスはやり込めてやった満足感を浮かべるでもなく、むしろ子供相手にムキになってしまった自分自身が恥ずかしいようで、憮然としていた顔つきが完全にしかめられてしまっている。が、素早い行動が求められている今この時に下らないやり取りをしている場合ではないと思い至り、話を続ける。


「私の通り名を言ってもあなたの世代では通用しないでしょうが、これでもオヤッサンに拾われる前は、裏世界ではそれなりに知られていました。あなたよりも闇に紛れる技能だけならば、おそらく秀でているだろうと自負しています。ここは信じて頂けませんか?」

「……分かった」


 しばらくの黙考の後、シャイリーは提案を受け入れた。クリスが敵でないのならば、確かに彼の作戦の方が確実性は高いと考えたのだ。場合が場合とは言え、彼の人柄は信用に値するし、シャイリーの勘もクリスを敵とは言っていなかったから。


 そうと決断すると、二人はさっそく愛奈を追い駆ける。


 ノーマルのクリスに合わせた速度なので、シャイリーの感覚においてはじれったさがあったが、フランクたちは歩きなのですぐに追い付くだろう。


 走りながらシャイリーは考える。しかし勇者が出てくるとは……と。何がこの事態を引き起こした原因なのかと懊悩するが、最終的に達した結論は愛奈とほぼ変わりないものだった。










 愛奈救出作戦は以下の通りだ。


 襲撃地点は森の出口。先回りして待ち伏せていたシャイリーがまず囮役としてアグリアたちの前に立ち塞がる。少しでも早く愛奈を救出したいシャイリーはとっとと森の中で事を済ませてしまいたいとちょっと不満そうであったが、出口に辿り着けば有利を稼げるという安心感がアグリアの油断を招いてくれるだろうと言うクリスに反論できるだけの要素をシャイリーは見出せなかった。


 決まっているのはそのくらいだった。相手の実力も未知数であるし、細かく決めていても自分たちの思い通りに相手を動かせるとは思えなかったので、後は臨機応変、流動的に対処するしかないだろう、と。行き当たりばったりと言ってはいけない。その『臨機応変』が可能な技量と頭脳は持ち合わせているだろうと、一定の信用は二人の間に暗黙の了解で横たわっていたから。


 森の中で相手に気配を悟らせないよう慎重に走る二人は、程なくして愛奈を連れたフランクとアグリアたちの姿を目にする。


 気付かれている様子はない。森が醸し出す奇妙な静寂の中を、彼らは黙々と歩いている。たまにフランクが思い出したように悪態を垂れ、アグリアに煩いと叱責されている光景が何度か繰り返されているが。

 しかしフランクは気付いていないのだろうか? 一同の様子を観察しながらシャイリーは人知れず思う。アグリアの気配が段々と物騒な色合いを帯びていっている。苛立っているのだ。このままではいつ暴発してもおかしくはない。まさか「あまり煩いと殺す」という発言はただの脅しだと思っているのだろうか。いや、彼女の発する無機質な殺気は、間違いなくそれを平然と実行できると物語っている。

 シャイリーは、フランクという男は真性の馬鹿なのだろうなと思うと共に、ほんの少しだけ感謝する。どうやらあちらさんには無闇に愛奈を害せない事情があるらしいので、つまらない苛立ちに任せて彼女が傷つけられる心配はしていない。それならば、労せずしてアグリアの冷静な思考を奪ってくれるフランクの行為はありがたかった。全ての起因である敵相手に心から感謝するつもりにはなれなかったが。


 取り敢えず、しばらく愛奈の身の安全が確かなことは分かった。それを確認したかったシャイリーは、納得すると、横に立つクリスに小声で話しかける。


「じゃあ僕は先に行くね」

「確認します。私が優先すべきは高坂嬢の救出であり、シャイリー殿の身は考慮しない。よろしいですね?」

「うん」


 無情にして非道とすら言える発言であった。


 しかしシャイリーは何の躊躇いも無く首肯する。元々、とにかく愛奈の身の安全を優先しろと言い出したのは彼の方からであった。


 もっとも、クリスもその提案の受け入れを躊躇ったりはしなかったが。元暗殺者の彼からしてみれば、目的達成のために必要な犠牲を忌避する感覚は無いのだろう。シャイリーが愛奈に対して見せる執着心はどう考えても友人以上の存在に対するもので、クリスも多少気になったが、それがシャイリーの戦略目標だと言うならば、そのために万難を排するのは至極当然であった。

 シャイリーは『街に被害を出すのは我慢する』という約束を守ってくれた。ならば次は自分が約束を果たす番だ。クリスは何の気負いも無く、ごく自然にその決意を抱いていた。


 シャイリーは再度「頼むよ」とクリスに念を押してから先を急ぐ。


 森の出口に辿り着くと、そのちょっと先の開けた草原に陣取る。


 静かに立ちながら、しかしその全身にはとてつもない闘志が漲っており、瞳は爛々と燃えている。


 いけない。これでは必要以上に警戒心を買うだけだ。落ち着かなければならない。そう心を静めようと何度も深呼吸する。


 時の流れがやけに遅く感じられる。心が逸りすぎているのだろうか。自分らしくないと自嘲する。こんなの自分のキャラではないだろう。自分はいつでも飄々と他人で遊ぶ側ではなかったのか。まさか誰かのためにここまで必死になれる時がくるなんて思ってもいなかったな。


 ……しかし、悪くない。


 シャイリーは愛奈のちょっと戸惑ったような困惑ぎみの笑顔を思い出して微笑する。一つ年上なのに、全然年上とは思えない愛らしくも優しい少女。誰かを思い浮かべるだけで心がこんなにも温かくなる。それを素直に心地良いと思える。


 あの笑顔を守るためならば、自分は何すらも犠牲にできる。たとえ……今後の愛奈との関係がぎくしゃくする羽目になろうとも。


 きっと愛奈は、これから自分が行う所業を否定するだろう。あるいは悲しんでくれるかもしれない。けれどもきっと――恐れられる羽目になるだろう。

 しかし必要なことだ。今回のような事態を未然に防ぐためにも、『卑劣な手段には徹底的な報復』が必要だ。「あいつらに何をしようが殺されることはない」などと舐められるわけには断じていかなかった。


 目の前に掲げた手のひらを、小指から順々に折り曲げて、ぐっと握り締める。その手の中にフランクの醜悪な顔とアグリアの“普通に綺麗な”顔を幻視し、あたかも二人を握り潰すように。

 格上かもしれないアグリア。しかし今回は闘いを楽しむ気はこれっぽっちも湧いてこない。格下だろうが知ったことか。確実に――殺す。


 そのまま殺意を己の内に押し込めてしばらくの時を待つ。


「やあ」


 ほがらかな笑顔で挨拶をするシャイリー。


 森の中から現れた一行はそれぞれの反応を見せる。


「げっ、糞ガキ!?」


 シャイリーの脅威に直接さらされたフランクがまず大きく身を引いた。


 アグリアは興味深そうにシャイリーを眺めている。その右手は未だ愛奈の左手を掴んだままだ。


 更にお付の騎士たちがアグリアを守るように前に出てくる。


 そして愛奈は……。


 シャイリーの姿を目に留めた瞬間こそは、「あ……」と嬉しそうな顔をしたが、直後に愕然とした面持ちになる。


(あれは……誰ですか……っ!?)


 この世界に来て、リドウたちと付き合って、魔物や盗賊とも対峙せざるを得なかった環境に置かれ、今や愛奈は敵意や殺意といった感情に敏感になっていた。そして彼らが時に殺してきた相手に対して発する気配にも。

 だから判る。今シャイリーが心の内に静めている感情、それは「この相手は生かしておけない」という一種義務的な殺意ではなく、「こいつらは必ず殺してやる」という憎悪すら伴った冷たい殺意だ、と。


 愛奈は恐怖心と悲哀の狭間で虚ろに思う。そんな顔はシャイリーには似合わない。いつでも男の子にはちっとも見えない愛くるしい笑顔が彼の持ち味だろうと。


 愛奈自身、なぜだか分からないが、しかし不思議と確信を持って思える――今ここでシャイリーを止めなければ、何かまずい事態が必ず起きてしまう、と。


「しゃ」


 とにかく今は名前を呼んで、自分は無事だとアピールしようとしたが、その声はシャイリー自身によってかき消されてしまう。


「血、痕が付いてるよ」


 シャイリーは穏やかな声で、自分自身の口元を指し示しながら言う。


「え? あ……」


 そう言えば殴られたっきりほったらかしだったと思い出し、慌てて空いている方の手で口元を拭うが、既に乾き切ってしまっているのか、赤黒い粕が袖にこびり付いて、その内の幾つかがぱさぱさと地面に落ちて行くだけであった。


「歯は大丈夫? 抜けたりしてない?」

「は、はい……大丈夫です……」

「そう。良かった」


 ニッコリ笑う。その瞬間だけは、シャイリーは真実心の底から笑んでいた。


 しかしそれはほんの一瞬の出来事であった。


「てめー! 無視してんじゃねーぞ!」


 自分の手に負える相手ではないと理解しているはずが、プライドの高さからその事実をあっさり忘却し、食って掛かるフランクであった。もっとも、アグリアたちの存在が無ければ、とっくに尻尾を捲くっているのだろうが。


 シャイリーはすぅっと表情を失うと、フランクを真っ直ぐに見据える。


「死人の戯言に貸す耳は持ち合わせてないんだ」

「はあ?」


 何を意味の分からないことをと馬鹿にした顔になるフランクであったが、


「お前、もう死んだよ」


 戦慄が場を駆け巡る。


「これは確定された近い未来の話だ。僕にとっては少し早いか遅いかの違いでしかない」

「糞ガキがっ、ふざけやがって!」


 怒声を張り上げたフランクは、しかしその後すぐに得意気な顔つきになる。


「ふんっ。聞いて驚け、この女は勇者なんだぜ! 死んだのはてめーの方だ!」


 他人の力をよくぞそこまで誇らしげに頼れたものだなと、最早感心すら抱く発言だった。


「アグリア、やっちまえ!」

「偉そーにあたしに命令すんじゃないわよっ」

「ぐぼっ」


 苛立ち紛れの足がフランクの体を打ち抜く。特別に体を鍛えているわけではないアグリアのただのキックは、一応それなりに筋肉の鎧を纏っている彼にとっては大したダメージは無かったようであったが。


「何しやがる!」

「脇役は大人しくしてなさいってことよ」

「ぐっ……」


 無駄に高いプライドはアグリアの暴言を許容できないようであったが、この相手に逆らうには少し学習が行き届いているようで、フランクは押し黙った。


 アグリアのふんっと鼻を鳴らすと、シャイリーの方へ向き直る。


「悪いけど、こっちこそお嬢ちゃんは死んでもらうわよ。お嬢ちゃんの言葉を借りるなら、死人の戯言を聞いてもしょーがないし、長々とやり取りする気はないわ。一応言っておくけど、逆らったら……」


 サドな笑みでもったいぶるアグリアであったが、シャイリーは無感情にそれを聞き届けている。


「分かってるわね?」


 何の反応も示さないシャイリーに、アグリアはつまらなそうな顔をする。


 まあいいわと小声で呟いた彼女は、従者たちへと命ずる。


「やっちゃいなさい!」

「はっ」


 異口同音に応えた騎士たちがシャイリーへ殺到する。


 シャイリーは冷めた目でそれを見ながら、どいつもこいつも大したレベルじゃないなと考える。これならユーキの従者であるラクセスと比較しても、三人合わせてすら届かないだろう。勇者の従者はそれなりに最低限のレベルなのだろうと思っていたが、どうやら違うらしい。あるいはこいつらだけが例外なのか。あまり勇者事情に詳しいとは言えないシャイリーには分からなかった。


「悪く思うな。遺恨は無いが、これも命令だ」


 シャイリーの前に立った騎士の一人が沈痛な面持ちで言う。見た目だけなら美麗少女なシャイリー相手では流石に気が咎められるらしい。


 が、シャイリーはそれを鼻で笑った。


「勝手な言い分だね。身勝手な理由でこれから自分を殺そうとする人間を怨むな? 笑えないよ。他者の人生を奪う覚悟も無い素人が、そう言っておけば己の罪が無くなるとでも思ってるのか? 笑わせる。カッコつけるならカッコつけるで、もう少し理のある台詞を言うんだね。滑稽だよ、お前」


 笑えなかったり笑えたり、色々と複雑なお年頃なのだろうか。


 嘲笑われている騎士たちであったが、怒り出したりはしなかった。これから死ぬうら若くも美しい少女を哀れに思い、このくらいは言わせてやろうと思っているようだ。


「せめて苦しまずに済むよう、躊躇はしない」


 剣を振りかぶる。


 ここに至ってもシャイリーは身動きしない。


 それを見て、覚悟はできているのだろうと解釈した騎士は、一気に剣を振り下ろした。


「さらばだっ」


 刹那、大量の血が辺り一面を鮮やかに染め上げた。










 アリアへの指導が終わったリドウは、疲れ果てて動けないと駄々をこねる彼女を、いつぞやのように背中にぶらさげて、女性陣も伴って屋敷の中へ戻ろうとしていた。


 それ自体に問題は無いのだが、屋敷の中に入ろうとした瞬間、


「ん……?」


 怪訝な顔付き、しかも若干目を細めて振り返る。見つめる先は郊外の森であった。まるで敵襲の際に見せる反応に、少女たちは若干の警戒心を抱く。


「どーかしたの?」

「見られてた気がしたんだが……」


 郊外の森とはかなり距離があり、常人ならば木の一本一本など到底見極められないだろうし、そこに居る小さな人影など見分けることができるとは思えないが、まあこの男ならそこに不審な影があれば気付けるだろう。がしかし、特に人影に類するものは見当たらない。リドウも気のせいかと片付けて屋敷に入って行った。


 しかし、リドウが見た先、森の方には、確かに彼を監視していた人影があった。


「あなた様らしくございませんね、そんな慌てらしたご様子は」


 木から飛び降りてきた男に、女が話し掛ける。男の方は平然とした無表情で、とても焦燥感など見受けられなかったが、女に言わせれば慌てていたらしい。


 もはやお約束とばかりに両者共に美貌の主であった。


 女は淡く紫がかった黒に近い髪色に碧眼。遺伝子の構造が根本的に違うと言ってしまえばそれまでだが、本当に『カラフル』な世界である。

 年齢は二十代後半くらいで、全体的に落ち着いた雰囲気が漂っている。温和で人当たりのいい雰囲気が滲み出る顔立ちで、雰囲気も外見に違わず優しいお姉さんといった感じだ。服装は明らかに魔法使い系である。


 そして男の方であるが……こちらは凄まじいとしか言いようがないくらいに美しい男だった。

 腰ほどまで伸びたアッシュブロンドの髪は微かな風にも優雅に靡く。部分部分をピックアップすると女性っぽさのある面差しではあるが、この冷たくも妖しい容貌を女性と見間違える人間は居ないだろう。鋭い刃のように研ぎ澄まされた眼差しは、しかし大抵の女性はその前に自ら身を投げ出そうとするだろう。その時切り裂かれてしまうのは体ではなくきっと心だ。

 こちらも年齢は二十代後半に見える。リドウと同じか少し高い百九十に迫る長身に引き締まった体つきをしている。『好みじゃない』という以外にはケチのつけようが思い浮かばない、まさに男版一条千鶴とも言うべき、圧倒的美貌の持ち主であった。

 全身を黒一色で固めており、髪と一緒に漆黒のコートが風に煽られている。腰には一振りの刀が携えられていて、こうして見ると全体的にリドウと被る背格好の男でもあった。容貌も、頭に『危険な男』と形容できる部分は似通っている。もっとも、野生と知性が同居する精悍な面差しのリドウに対して、こちらは知的な部分は共通するにしても、顔の造形それ自体は繊細かつ怜悧な印象であったが。


 その唇が微かに歪む。女性相手に向けられた日には、そうするだけで見た女たちの腰を砕け散ってしまうのではと思わせる妖艶な微笑であった。


「気付かれた」

「……まあそうなのだろうとは思いましたけれども、あなた様の監視に気付くとは、流石のものでございますね」

「街中ならば他の有象無象どもが紛らわしてくれるが、人目の無いところでは、私でも気を抜くと察知されるな。監視だけでも、何ともやり甲斐のある小僧だ」


 くっくっくと含み笑いを零す。


「さて、私と、“私の半分程度しか生きていない”あの小僧……果たしてどちらが上かな……」

「あなた様にも読みきれないのでございますか?」

「我々のレベルになると、究極というカテゴリーの枠内で、最早誰であっても同じにしか見えんのだ。実際に殺り合ってみぬことにはな。肝心なのは――」


 浮かべていた笑み。微かに歪められていた唇が、ニィっと禍々しく吊り上る。


「――私が必勝の心算で闘えるつまらぬ相手ではないという事実だけで十分だ」


 心の底から愉快愉快と笑いながらの男の台詞に、女は数瞬沈黙していたが、


「そこまで御期待されるほどのお相手を、アグリア風情の小物にお譲りになって本当によろしかったのでございますか?」

「あんな雑魚でも露払い程度の役には立つ。アグリア如きの企てに潰される程度の相手であれば私が闘う価値など無い。が……」


 含みを持たせて黙ってしまう男に、女は首を傾げる。


「何か?」

「……いくら私とて、あの小僧と烈震に組まれては苦戦どころではすまん。それはそれで愉しくはあるが、故にアグリアの策も許した。しかし、それが成るかがそもそも微妙な線だ。あの金髪の小僧、アグリアとほぼ同レベル帯の使い手と見てよかろう」

「金髪の小僧、でございますか? 月紅の一味で金髪と言えば、可愛らしいお嬢さんが一名、確かにおられましたが……」

「アレは男だ」

「……真でございますか?」

「動きを見れば判るであろう?」

「そんな離れ業で判断できるのはあなた様くらいのものです」


 自分にできることが他人にもできて当然だと思うな、と女は抗議するが、言われた男の方はふんと鼻を鳴らしただけであった。


「勇者候補の小娘と連携された日には勝ち目は薄かろう。奴の策が順当に成れば問題にはならんだろうが……さて、どうかな」


 言っている内容は成功してほしそうにも聞こえるが、嘲るような口調は完全にそれを裏切っている。


「では、アグリアの策が成らなかった場合、この国を出るまで月紅には手出しをなさらないということで?」

「馬鹿を言うな。そんな勿体無いマネができるものか。この国ほど被害を出しても文句が出てこん都合の好い場所など他には無いのだぞ」

「…………」


 女は何と応えて良いものか分からず、思わず無言になってしまった。


 彼女の内心を知ってか知らずか、男は妖しく笑い続けている。


「理想を言えば、烈震を殺し、リリス教圏であの小僧を殺し、聖帝の小娘も引きずり出したいところではあるが……まあ例の計画もあるしな、そこまで贅沢は言うまい」

「……烈震よりも月紅の方が上でございますか?」

「上だな」

「俄かには信じ難い話でございますね」

「上手く隠してはいるが私には判る。あの小僧は――殲滅師だ」

「殲滅師!?」


 驚愕の声が上がる。


 女は知っていた、真の殲滅師がどれだけ非常識な戦力を発揮するか。ルスティニア基準での非常識ですらない、ハイエンドという最高位の実力者基準ですら非常識と言うべき圧倒的戦力を発揮するのだと。その実物を確かに彼女は知っているのだから。


「ルスティニア人の殲滅師など実在したのでございますか……」

「別に実在して悪いこともあるまい。無数に存在する異世界に才を持つ者が僅かずつ存在するように、ルスティニアにとてそれ相応の才を持つ者は当然生まれるのだ。その者が驕ることなく自らを高め続けた結果があの小僧なのであろうよ」


 男は言いながら、内心では「もう一つの可能性もあるが……」と呟いていたが、それを口に出しはしなかった。今はまだ女に聞かせるのは早いと思ったのもあるが、言ったところでどうなることでもなかったから。


(似すぎておるだろう、“あの小僧”に。他人の空似などという次元ではないぞ。目付きと髪型だけ変えれば全く見分けがつかなくなろうに……年齢も変わらんが、しかも殲滅師だと? 偶然で片付けるのは無理がありすぎる……)


 男が内心で思う『あの小僧』とは、先ほどまでそう指して呼んでいたリドウのことではなかった。その人物と直接面識の無いこの女に言っても説明が面倒だったというのが、実はこの男が黙っていた最大の理由であったようだが。


「いずれにせよ、私はあの小僧にいくら感謝してもし足りんのだ。礼は尽くさねばなるまい。アグリアがしくじったならば私自ら舞台は整えてくれよう」


 妖しく、禍々しく、そのくせ無邪気にも見える表情で笑むと、


「それまでは余暇を楽しむとする。行くぞ、カタリナ」

「はい、ラヴァリエーレ様」


 寄り掛かっていた木から姿勢を起こし、街の方角へ歩み始めるラヴァリエーレに、カタリナと呼ばれた勇者の従者は、しずしずと付き従った。

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