第四十六話 愛奈とシャイリー 1
「うりゃあっ」
気合の掛け声と共に攻撃を繰り出す幼女。癖のある燃えるような赤毛が印象的なその幼女、名をアリアといい、ログサイス共和国全土のマフィアの頂点に立つビッグボス、またはゴッドなファーザーの実の娘だ。
それを受けるのは、何者にも揺るがし難い強烈な意思が瞳に篭った美貌の男、リドウである。
「上半身が流れてる。攻撃に意識を持っていかれすぎだ。軸をぶらすな。体を回転させるんじゃねぇ、首を中心に肩を回転させるように意識しろ」
「そんな一度にいっぱい言われてもわかんねーぞ、兄ちゃん!」
「なら体で理解しろ。見本を見せてやるからしっかり受けろよ。ほれ」
「わわっ」
一同はガルフの邸宅にご厄介になることと相成り、ヤクザな連中と夜は宴会という流れにもなったが、まだ夜までは大分あったので、手持ち無沙汰になってしまった。美女軍団は迂闊に外を出歩かない方がいいだろうという中で一人だけ遊びに出掛けるほどリドウも底意地が悪かったりはしなかった。
そこで、アリアの稽古を見てやってくれと姉のレイアから頼まれたのを、リドウは快く引き受けたのであった。彼女は特に武器を使うタイプではないらしく、彼も剣は抜いておらず、素手で相手をしている。
「あれで八歳、ね……」
殺伐とした稽古風景とは一転して豪奢なテーブルにつき、優雅に紅茶を啜っている千鶴が、感嘆の吐息を零した。
「地球の八歳児であんなに武芸達者な子供はそうそう居ないでしょうね」
「いや、それを言うならこのルスティニアだってそうだぞ。リドウ殿がダントツでその筆頭だが、シャイリーといい、最近の私は年齢に見合わぬ武の持ち主に縁が深くなったものだ」
「…………」
千鶴に応えたのは、こちらも優雅にティーカップを傾けるベアトリクス。
そして最後の沈黙は恵子であった。彼女はなぜか憔悴したような目で二人を交互に何度も眺め……
「流石、音に聞こえた月紅殿ですな。あのお嬢が文字通りの子供扱いとは」
すぐ横からドスの利いた声でリドウを褒める声の主に、思わず頬を引き攣らせる。
見た目の年齢は三十代の後半。いかにも武闘派のヤっちゃんでございます、と爪先から顔までの全てが主張している男だった。
この男よりも若いが、それ以外は似たり寄ったりな感じの男たちが更に二名、女性陣が座るテーブルの周りでびしっと直立している。よくよく見てみれば、屋敷にやって来てレイアに迎えられた時、アリアを追いかけて来た男たちであった。
掛かるプレッシャーが半端じゃない。これで平然としていられる一般女性はまず居ないだろう。恵子の反応が一般的だ。もとより一般人ではない正真正銘のお姫様はともかく、千鶴が普通じゃないだけである。
「最近、我々ではお嬢の相手はきつくなってきたからな」
「今、アイルゼン大陸じゃ最も旬のハイエンドっすよ。お嬢に梃子摺るようじゃ噂負けにも程がありますって」
この三人はアリアのお側付きらしく、普段は彼女の稽古相手も務めているらしい。気功士ではなくとも、見た目通りというか、戦闘技術に秀でた猛者たちだ。
「しかし……どうやらリドウ殿は無手での武技にも精通していらっしゃるご様子ですな」
「そうらしいぞ」
リーダー格の年配の男からの質問に応じたのはベアトリクスだった。
「普段はあまり使っている場面を見せてくれないが、前に私とこの一条、それに私と同レベルの使い手と三人であの男と一戦交えたのだが、その時綺麗に投げられたのは、ある意味いい思い出だ。アレはおそらく流化闘法の一種だろうな」
「それにしてはあまり見ない動きですが……」
「私もそう思う。広く流通している流派ではなかろうな。本人としても隠し札のつもりのようだ。ルール無用のタイマンであの男にアレを使わせたら大金星だろう。少なくとも、今の私では、単独であの男をそこまで追い詰めることは不可能だな」
しかもその先には魔法も同時に襲ってくるデンジャラスモードが待っていると知れば、このお姫様らしくないお姫様は一体全体どんな反応を見せてくれるものか――
とか、千鶴が皮肉っぽく頭の中で思い浮かべていたり。
「……アリアちゃんのあれも流化闘法なのかしら? 地球で言えばムエタイとかキックボクシングに近いけれど」
「そんな地球用語を言われても私には何とも言えんが……あれは分類上、流化闘法には数えられんな。気功士専用のオーソドックスな無手格闘術だ」
「ボクシングは気功士専用なんですか?」
「不意を突けば何とかなる魔法使い系ならばともかく、強力な魔物や気功士は純粋に防御力に優れる。必然、その防御力を突破できなければ勝ち目は無い。無手でそれらの防御力を突破できるのはそれこそ一流の流化闘法使いだけだ。しかし使い手が気功士ならば話はがらっと変わる。下手に武器を持つよりも小回りが利くし、戦闘中に武器を失って形勢が変化してしまう破目に陥ることもないから、流化闘法使い以外でも無手を好む気功士は案外多いぞ」
「理屈は納得できるわね。私も最近実感してきたけれど、気功士にとって武器の有無で稼げる利点は精々がリーチ差くらいしかないのよ。あと無理やり付け加えるならばその武器特有の攻撃方法くらいかしら?」
「命のやり取りにおいては致命的に大きな要因ではあるがな。あの手の無手術を気功士以外に身に付けるのは、他には地下闘技場の専業ファイターくらいだろうな」
「地下闘技場、ね」
「何だかすんごく如何わしい感じの響きですね」
ふっと唇を綻ばす千鶴に対して、恵子は顔をしかめている。どう考えてもあまり褒められたことではなさそうなのが受け付けないらしい。
「ギャンブルを愛する人間というのはいつの時代でもごまんと居る。そして、連中が最も熱くなれるのは人間同士の血肉の争いと相場が決まっているのだよ。行政を司る側としては破産して路頭に迷う輩も出てくるから全面的に禁止したいのだが、あまりきつく締め付け過ぎるとより闇に篭って過激になっていってしまうから、適度なガス抜きになる程度なら見逃している。故に、半ば以上はお遊戯に近い」
「遊びなんですか?」
「原則として気功士は出場不可だ。気功士が出てくると危険性が一気に増すからな。凄惨さという面もあるが、それ以上に観客の身が危険過ぎる。中級程度でくすぶっているチンピラ冒険者紛いならともかく、ハイクラス以上の気功士の闘争となったら、そんじょそこらの規模で見世物になど間違ってもできん。私の争奪試合の時も、会場は闘技場ではなく、首都から大分離れた野原をそれらしく急ごしらえしたよ」
恵子は確かにと頷いた。闘いが始まった中心から見渡せる限りが廃墟と化したリドウ対剣姫ルミナリア・ファルミ戦は言うに及ばず、そこまでいかないシャイリー対ベアトリクス戦とて、ここが異世界で魔法や闘気が戦場を支配していると理解していても尚、思わず目を疑ってしまう破壊力だった。そんな連中に『地下闘技場』などという限定空間で力を振るわせるわけには決していかないだろう。
「高位の冒険者には到底及ばんが、名が売れればそれなりに稼げるらしいぞ。どこの都市にも大抵あるもので、どこも母体はその都市のマフィアと相場が決まっているが……」
ベアトリクスは言いながら、ああと納得顔で独りでに頷いて、年配の男を見る。
「お前たちはガルフ殿のところのファイターか?」
「元、ですが。お察しの通りです」
「元は元でも、兄貴はチャンプっすよ。俺たちゃ兄貴の弟子で、現役のランカーっす」
「それはすまなかったな」
「は?」
こちらは現役にして大国のお姫様から謝罪された男たちがキョトンと目を丸くする。
「お遊戯だなどと言ってしまった。別に馬鹿にする意図は無かったのだ。許してほしい」
「ああ、いえ、気にしておりません。真剣にあそこで上にのし上がろうとしている若い連中には悪いですが、我々の場合は小遣い稼ぎでやっている口ですので。本業は戦士です」
「遊び半分でチャンピオンというのでは、真剣にやっている方々に立つ瀬がありませんわね」
未だ唇が薄っすらと綻んだままの千鶴。彼女は基本的に、ある程度年上で、かつ敬うべき部分を感じる相手には口調が丁寧になるんだなと、最近の恵子は気付いてきた。それ以外に丁寧語になる場合は嫌味やら皮肉やらを口にする時だけだ。ヤクザ相手に敬うべき部分を覚えているのはどうかとも思うし、そうでない相手には、たとえ相手が王族だろうが勇者だろうがヤクザだろうがタメ口なあたり、流儀が想い人に似ているとも思う。
「命懸けの戦場の方が格が上だ、などと口にする気は全くありませんし、あれはあれで楽しくはありますが、やはり緊張感には今一欠けますな」
やはり実戦を知る人間だったか、と千鶴やベアトリクスは内心で呟く。特定の場所でしか戦わない人間とは周囲に対するさりげない警戒の仕方が違うのだ。そういった違いも、最近の千鶴は見分けることができるようになってきた。
彼らの言った台詞そのままに、彼らがアリアに勝てないわけでは決してないだろうとも同時に思う。殺し合いならまだ確実に、一対一でも彼らが勝つだろう。彼女も八歳児という点を考えれば気功士にしても見事な動きを披露しているが、逆に年齢を考慮しなければまだ常人の範囲内だ。技術と経験で十分に差を補えるレベルだろう。
しかしながら、それは『殺してしまっても構わない』レベルに手加減無用ならばの話でもあるのだろうなと更に思う。
実際にところ、地球で言えば軍隊の特殊部隊のエリート隊員クラスの戦闘能力が彼らには備わっていると考えていい。それが、僅か八歳の女児相手に手加減できる余裕がないとは、闘気という反則技を持っているだけでは流石にありえない。アリアの武才も並ではないという証明であった。
「にゃわぁっ!?」
そちらの方では、キックを繰り出したアリアの足をリドウが捕らえて、宙高く放り投げた。
大怪我をしても不思議ではない状況だったが、護衛も兼ねているだろう男たちは特に慌てたりもしていない。
ちょっとハラハラしながら見ていると、アリアは空中でくるっと身を翻し、両手両足で上手に衝撃を殺して地面に着地する。まるで猫だ。
そのままクラウチングスタートの姿勢で地面を蹴り、一気に加速してリドウへパンチをお見舞いする。
が、リドウはかろやかに避け、勢いのまますれ違うアリアの頭を平手で軽く叩く。特に妙な技巧を凝らしているわけでもない、見た目通りに軽い一撃だ。アリアも痛がっている様子は無い。
「どうもあれだな、お前さんは見た目が派手な攻撃が好きなようだが……」
「好きだぜ。だってカッコイイじゃん。こう、ドラゴンパンチ! とか無敵キック! とか。ああっ、オレも早く必殺技が欲しいなー」
「アホか」
パンチやキックの動作で何やら得意げに叫んでいるお子様を見るリドウの目は完全に呆れていた。
「出せば必ず殺せる技なんかあるわきゃねぇだろ。気功士の戦闘は基礎をどれだけ熟練しているかが戦闘力に直結する。通常の打撃よりも威力の高い技って意味での決め技なら確かに誰でも持ってるもんだが、それ故に隙が多く避け易いし、避けられたら致命的だ。それは決められる場面まで自力で持っていける力があって初めて意味を持ってくる。簡単に食らってくれる相手は必殺技を使わずとも勝てる相手だけだ」
必殺技を使わなきゃ勝てない相手には使えず、使わずとも勝てる相手にしか使えないとは、中々に本末転倒な話だ。
「隙の無ぇ攻防の組み立てを覚えろ。今のままじゃハイクラスを越えたあたりで一気に通用しなくなるぞ」
「むぅ……兄ちゃんまでカイラスたちと同じことを……」
カイラスとはお付き三人の年配リーダーの男の名前だ。どうやらいつもそんな感じのお小言を頂いているらしい。
「ありがたい」
「そろそろタイマンじゃ楽に勝てなくなってきた俺たちが言っても説得力があんま無かったっすからねー」
リドウの台詞にしみじみと同意しているカイラスの部下一と、軽い笑いを浮かべている部下二であった。ちなみに名前は、冷静沈着で寡黙に見える部下一がセクタス、下っ端風味の漂う口調の軽い若者がホフマンというらしい。
「しかし、現実にこの目にして尚信じ難い使い手だ。若い若いとは聞いていたから、よほどキャパシティに恵まれた跳ねっ返りを想像していたが……まさか闘気を一切用いずにお嬢を完封してしまうとは……」
「あれ、キャパも相当デカそうっすよね」
「少なく見積もってもキャパシティだけで軽くハイエンド級ではないか? バランスがおかしい。年齢と比例しとらん」
「ありえるのか? 端から闘気に頼らない前提で日々技術を磨いている我々すら自力で上回るなど……。オヤッサン抜きじゃ、うちの総戦力をもってしても勝てるイメージが全く湧かんぞ」
カイラスが表情に感情を映さず、小さく呟いたのを、女性陣は聞こえない振りをしてやった。彼にリドウたちと敵対する気があるわけでは全くない。しかし、戦士として、この人間が敵に回ったら自分ならどう戦うかと考えてしまうのは職業病のようなものだ。しかも彼らはマフィアだ。半分くらいは敵を作るのが仕事と言っても過言ではなかろう。そういう意識が強くなってしまうのは当然だったが、客人に聞かせる台詞ではない。本人も即座にそれに気付いたらしく、顔を顰めているので、気付かない振りをしてやるのもイイ女の条件ということで一つ。
ちょうどその時、アリアがダウンしたことで、本日のお稽古は終了となった。疲れ果ててぐだっている彼女を、リドウが彼女の襟首を摘み上げて、あたかも猫を持ち上げるようにして傍まで運んでくる。
「年齢を考えりゃ十分だが、ちと勝負を焦り過ぎな傾向があるな。一撃で決めようって気に逸り過ぎだ。キャパも大切じゃあるが、一定以上のキャパの持ち主同士になると、最後に物を言うのは『如何にして力を巧く乗せた動きが連続してできるか』だ。そこら辺をもっと徹底させた方がいいぜ」
「うぅ……」
地面に下ろされたアリアが小さく唸りながら不貞腐れたように唇を尖らしている。いつもカイラスたちに言われていることそのままそっくり同じ台詞で、何度も同じことを言われて面白くないらしい。
「我々もいつも言っているのですが、なにぶん実感してもらえないようで」
「大半の気功士が抱える問題っすよ。身近に強敵が居ないから中途半端なところでくすぶっちまう奴が多過ぎる。ようやく冒険者デビューして上を知っても、今更真剣に鍛錬するには怠け癖がついちまってる。気功士相手にノーマルの俺たちがタイマンなんてありえねーっつうのに、ちょっと自分が形勢不利になった途端、卑怯だ外道だうるせーっつうの。自分は闘気なんて反則技を持ってるくせによ」
ホフマンがぐちぐちとぶーたれている。何かよほど気に入らない気功士との戦いの思い出があるらしい。
「敵に正道を求める能力者など外道だな」
「そうね。穿って考えれば、それは己が圧倒的に有利な状況での戦い以外はしないという意思表示でしょう」
「それも戦術ってやつじゃないの?」
「それはそうだが、嬲り殺しだけしかできなくなったら闘士とは言えねぇな。戦士とすら言いたくねぇ」
恵子は、そうなったリドウをちょっと想像してみる。高笑いしながら無抵抗の相手を嬲っている場面だった。
「……嫌すぎるわね。あんたがあんたで良かったと心底思うわ」
「結局は生き残らなきゃ始まらねぇからな。全く間違ってるたぁ俺も言わんが、俺の好みじゃねぇよ」
さっそく煙管を吹かしながら肩をすくめる。
「アリアも、どうせ目指すなら闘士に成れ。いつか俺に挑んで来いよ」
「ぜってーぶっ倒す!」
「良し、上等だ」
ニヒルに笑いながら、意気込む幼女の頭を乱暴に撫で回すと、彼女もリドウを見上げながらにっと笑む。
その光景に頬を緩めつつ、ちょっと気になったことがある恵子がベアトリクスに耳打ちしている。
「あの、アリスさん。戦士と闘士って何か違うんですか?」
「大雑把な分類だが、違う。不意打ち上等で何が何でも勝ちに持っていくのが戦士で、最終的な決着のつけ方は状況次第にしても、一度は正面から始めの合図で闘いを始めるのを好むのが闘士だ。実はもう一つ、闘士足りえるには条件があるのだが……」
想像はつくかと目で訴えてくるベアトリクスに、恵子はちょっと考えはしたが、やがて首を横に振った。
「戦士としての見識も内包すること……じゃないかしら。具体的に言うなら、正道を好みながらも、相手に正道を求めたりはしないことかしら?」
代わりに、千鶴が思いついた答えを言ってみると、ベアトリクスは面白そうに唇を歪める。
「ほう。分かるか」
「リドウを見ていればね。リドウ自身は、強者との闘争ならば決闘形式を最も好んでいるけれど、敵にそれを求める部分は欠片もないわ。その点が、限定的なルールと空間で技を競い合うのを信条とする競技者とは決定的に異なる部分でしょう。実際、今までリドウの口から『卑怯』に類する発言を耳にした経験は無いもの」
「あ、それあたしも分かる。多分あいつ、そこら辺を全部一括りにして戦術って割り切ってんじゃない? あいつが怒るのって、本当に人として許されないことくらいだもん」
千鶴は目を丸くして恵子を見つめる。
え、何でそんな顔されてんの、とこちらもキョトンとしてしまう恵子であった。
次第に、千鶴の表情が柔らかい笑みに変化していく。
「それが分かるあなたも、大分この世界……闘争の世界に染まってきたわね」
「それって喜んでいい部分?」
「さあ?」
ふふっと笑いを零しながら嘯く千鶴に、恵子は盛大に顔を顰めてしまった。
一方。
リドウたち一同がイーサンに到着し、烈震と対面している頃。前の町に残った愛奈とシャイリーは部屋でのんびりくつろいでいた。迂闊に外に出ると余計な揉め事を起こすだけになりそうなので、この三日ほどはずっと部屋に閉じ篭り切りだった。情報が纏まり次第クリスから連絡が来ることになっているので、今はそれ待ちだ。
ベッドでごろんと横になっている愛奈が、ごろごろと寝返りを打っている。暇過ぎて仕方ないらしいが、うつ伏せになるたびに巨大なチチがむにゅんと歪んでいる。
シャイリーはなるたけそれを見ないように努力している。愛奈が女性であると意識し過ぎると変な気分になってきそうで怖いらしい。彼は今まで女性をそういう目で見たことが無かったせいで、自分の理性にあまり自信がなかった。
「はぁ……」
深々とため息するのは愛奈だ。
「暇ですねー。今までは時間があれば情報収集とか、何だかんだすることがありましたからあんまり気になりませんでしたけど、こーなるとネット環境の無い世界は辛いものがあります。スペルキャストの練習をしようにも、もう部屋でできる程度で成長できる段階過ぎちゃいましたし」
「ホント、魔法使いとしての才能に溢れすぎだよ、愛奈ちゃん。愛奈ちゃんが魔法使い暦一年だなんて言っても、きっと誰も信じないよ」
「それをリドウさんやシャイリーさんに言われたくはありませんけどね。それに私の場合は本当に『魔法が使えるだけ』ですから。どーにも戦闘は向きませんよ」
「愛奈ちゃんクラスの潜在能力だと、もっとレベルが上がれば、それだけで脅威の戦闘力を発揮するけどね。けど今はそれでいいんじゃない? リドウさんたちと一緒に居る限りは、自分の身が守れれば十分でしょ。誰も愛奈ちゃんに戦えなんて言わないよ」
「それはそれで、物悲しいものがあるお言葉ですが……」
困ったような顔をする愛奈であったが、やがてほんのりと笑みをともす。
「素直に甘えさせてもらおうと思ってます」
シャイリーもにっこりと笑んだ。
「皆さん、力があるんだから戦うのが当然だと言わないでくれるので、本当に助かります」
「力を振るう者にはそれに相応しい覚悟が要るんだ。僕らが已む無く殺した盗賊たちの中にだって、愛する人間が、家族が居るかもしれない。捕まえて引き渡した連中だって、殆どは死刑になっただろうし、半ば僕らが殺したと言ってしまえるでしょ。彼らの行いは決して許されてはならないけど、彼らを愛する人間にそんな理屈は関係無い。その人たちが僕らに復讐を挑んできても、僕らは決して文句を言ってはならない。それが相手の人生を奪う覚悟ってものだ。それが持てない間は迂闊に戦わない方がいい。じゃないと余計な人間を殺す破目になる。繰り返していけば――」
シャイリーの眼差しがすっと細くなる。唇だけは笑っていても、冷たい色を湛えた瞳に、愛奈はごくりと息を飲んだ。
「堕ちるよ」
「そ、そんな怖い顔しないでほしーんですけど……」
ドン引きな愛奈に、ごめんごめんといつもの笑顔に戻るシャイリー。
「例え話をしようか」
「は?」
「ま、聞いてよ」
「はぁ……」
突然の提案に呆ける愛奈であったが、大人しく聞き手に回る。
「ある一人の男が居る。彼には戦うための才能があった。けどそれ以上に、商売人としての才能があった。彼は贅沢に暮らしたい。そのためには戦いに生きるよりも、商人として生きた方が遥かに効率もいいし安全だ。残念ながら、どちらも両立できるほどに人間離れした才能じゃなかった」
シャイリーが愛奈に向けて平手を差し出す。
「この男はそれでも戦う道を選ぶべきだと思う?」
「それは……思いませんね」
「贅沢をしたいから、なんて理由で戦う道を選ばないのは最低だ、とか思ったりはしない?」
「……誰にもそれを言っていい資格は無いと思います」
困り気味に、躊躇いがちに、それでも最後はハッキリとした声で言い切る愛奈に、シャイリーはいつも以上に愛らしい笑顔で応じる。
「そーでしょ? それに、リドウさんも言ってたじゃん、稼いだお金で沢山の強者を雇うという手段もある。咄嗟の事態に対処できる能力は流石に見込めないけど、それだって立派な力だ」
シャイリーは別れたばかりのファーゼのように両手を広げて肩をすくめる。
「戦いたい人間が戦えばいいんだよ。愛奈ちゃんの言ってたようなことを口にする人間は、この前の勇者さんみたいに、力って言葉に幻想を持ってる連中じゃない? 愛奈ちゃんたちの暮らしてた環境は僕らのような力なんて不要どころか邪魔にすらなるくらいに平和な場所らしいし、それは仕方ないと思うけどさ」
「この世界の人たちはそんなこと言わないですか?」
「少なくともリリス教国家じゃ殆ど居ないね」
全否定こそしなかったが、口調は断言に近かった。
「そーゆーのは国のお仕事なんだよ。ハイクラス以上、能力者じゃなくてもハイクラスに相当するような実力者で在野でふらふらしてるのは、どこかしら自分勝手な人間だってみんな知ってるからね。最低限、相応の報酬も無しに無条件で動かそうと考える馬鹿は居ないよ。まあ、道中で魔物とか盗賊とかに襲われてるような咄嗟の遭遇事態で見捨てるのは流石に非難されるけど」
と一瞬苦笑してから、今まで以上に真面目な顔つきになる。
「この前のリドウさんの選択も、基本的には非難されることじゃないね。力を振るう人間には、力を振るうに相応しい覚悟が要るならば、どこでどう力を振るうのかを決めるのはその人間自身でなくてはならない――ということだよ。それに付随する責任を取るのは全てその人間自身だ。力有る者に頼るなら、最低限、その強者が負うべき責任を依頼者が負わなければならない。形有る物として分かり易いのが金品での報酬で、支払い能力が無いなら、せめて責任だけでも肩代わりしないと。頼んでおいて、殺したのは強者自身だから自分たちは知らないよ、なんて言い訳は通用しないね、リリス教国家じゃ」
愛奈はほうっと吐息を零す。なるほど、言われてみれば正論だ。色々と強者に対して厳しい暗黙の了解が存在するらしいこの世界だが、弱者にだって厳然と責任は付いて回るのだ。
とか考えていると、シャイリーが悪戯っぽく笑う。
「実はここら辺ってね、全部リドウさんのお母さん教えなんだ」
「え゛……」
知らず顔が引き攣っている愛奈であった。
「それって……この世界で最強の大魔王ですよね?」
「伝承に語られてるのを信じるなら魔王基準でも桁違いだけど、どうやらそれでも控え目っぽいけどね、魔神絡みの話題を振った時のリドウさんの反応を見てると」
義母に関する話になると、なぜか口が堅くなってしまう……というか、困った様子を見せるリドウであった。
――リリス教の教義を見る限り、人間離れして人間の出来た方でしょうね――と言ったのは千鶴だ。
そして――本物の女神様よりも女神様みたいな、超綺麗で善い人――と、実物を知る恵子は力一杯に答えてくれたのは記憶に新しい。
「……本当にどんな人なんでしょーか……」
想像がつかな過ぎる。大魔王が女神様ってどんな冗談だ、としか思えない愛奈であった。
「その内連れてってくれる約束だし……どうやってかは知らない――多分何かの儀式魔法だとは思うけど、リドウさんには方法が有るらしいし、楽しみだね」
「会ってみたいような、一生お目に掛かりたくないような……」
複雑な気分です、と表情を沈ませる愛奈であった。
「魔神が再び現世に降臨して、人間を導いてくれるのを命懸けで願ってるリリス教の聖職者たちが聞いたら、罰当たりなって怒り」
あははと笑いながら言うシャイリーであったが、その台詞が不自然に途中で切れる。
どうかしたのかなと不思議に思う愛奈であったが、すぐにその理由は分かった。
シャイリーが黙ってからすぐに、ドアをノックする音が聞こえる。
「クリスの使いの者っす」
「入って」
「すんません」
男が一人、ドアを開け、一礼しながら入ってくる。これまたヤクザ……というか、チンピラ臭の漂う男だった。貫禄が無いのだ。頭を下げるその姿も、適当というか、取り敢えず頭を下げているだけという感じで、礼儀はあまり感じられない。
クリスの部下にしては程度が低そうだな、とシャイリーはふと思ったが、ここはクリスのホームではないし、もしかしたらフランク一家の舎弟を代わりに使っているのかなと考える。
「ご依頼の情報が集まったんで、月の白兎亭までお越し下さいってことらしいっす」
「そ。ありがとう」
座っていたベッドからトンッと軽快に降り立つ。
「じゃ、行こうか」
と愛奈を促すのであったが、
「あ、すんません。こちらのお嬢さんは遠慮してほしいっす」
「何で?」
「お二人が揃ってたら、この町の連中には刺激が強すぎますって」
へらっとした顔で、いやいやと平手を振りながら言う男であったが、シャイリーもまあ確かにと思わないでもない。
「愛奈ちゃんはどーする?」
問われて、うーんとちょっと考えた愛奈は、やがておもむろに頷く。
「暇なのは困りものですけど、揉め事の種になるのは良くありませんから、私はお留守番してます。本当は私が行かなきゃですけど、クリスさんと面識があるのはシャイリーさんだけですし、お願いしますね」
「気にしなくていいよ」
すぐに帰ってくるから、と軽い調子で出掛けてしまうシャイリーであったが――
――深く考えずに一人で出掛けてしまったことを、彼は後に酷く悔やむことになる。
シャイリーが一人で出掛けると決まった瞬間、使いの男の唇がニヤっといやらしく歪んだことに、シャイリーは全く気付けていなかった。
……しかし彼も、自分たちの与り知らぬ場所で、想像もしなかった敵を作っているとまでは思いもよらなかったようだった。




