第四十一話 着、ログサイス共和国
ログサイス共和国。元は極普通の王制国家であったが、紆余曲折を経て貴族主権の共和制へと移行した国だ。
しかし、その『紆余曲折』の最中に貴族たちの力が大幅に減少してしまった。
その結果が何をもたらしたか……。
旧ログサイス王国はロンダイク聖教国家であった。
ロンダイク聖教国家だからといって必ずしも悪政が蔓延っているわけではない。リリス教圏に多い国々と何ら変わらない穏やかな統治を敷いている国もあるし、逆にリリス教国家でも悪政が平然と放置されている国とて全くの皆無というわけではない。
がとりあえず、旧ログサイス王国は典型的なロンダイク聖教国家であった。それもかなり『ヒドイ』方面に片寄った。
抑圧されていた民衆は誰に促されるでもなく蜂起し、今まで自分たちを虐げていた仕返しとして、多くの貴族が粛清の憂き目にあった。自業自得と言ってしまえばそれまでだが……。
民衆は貴族たちを粛清すると、貴族たちが溜め込んでいた財産を接収した。莫大な財産であった……彼らが一、二年は遊んで暮らせる程度には。
最初は、今度は自分たちの手で統治しようとしたらしいが、不幸だったのは、それだけの指導力を発揮できる能力とカリスマ性の持ち主が存在しなかったことだ。
当時の指導者格たちは、接収した貴族の財産を新たな統治のために役立てようとしたのだが、多くの大衆はそれを「自分たちだけが美味しい目を見やがって」と受け取ってしまったらしい。彼らの大衆の目には、新たな指導者たちも以前の傲慢な貴族たちと変わらず映ってしまったのだ。
結果、その指導者たちまでが殺害され、元貴族たちの財産は大衆が自分たちで分かち合い、好き勝手に使った。
中には、その莫大な財産を巡って、大衆たちが抗争を繰り広げた地域もあったらしいが……それ以外の地域でも、彼らが仕事を忘れて遊び狂った結果、田畑が荒れ、主な産業であった農耕が翌年にはかなり悲惨な状況となったらしい。
また、大衆が好き勝手に浪費する元貴族たちの財産は、世の中の無法者たちの目には魅力的に映ってしまい、そうしたならず者たちを自ら招き入れる結果となり……
ログサイス王国崩壊から十二年、現在のログサイス共和国の状況が出来上がった。
民衆の手により粛清されなかった貴族は、それなりに真面目に統治をしていたごく少数の貴族たちだけで、現在のログサイス共和国は彼らが自らの命を削るほどの努力をもって、何とかぎりぎり国としての形態を保っている。
それが可能だったのは、鉱物といった天然資源等による産業が特に何も無く、国としての力が疲弊しているが故に、征服してもまともな利益を上げられるようになるまでに多大な労力が必要とされてしまうため、周辺国家が忌避しているだけだった。
交通の便は良く、要所と言っても差し支えないのだが、東西のリリス教とロンダイク聖教のちょうど境目に位置するため、征服したらしたで対外政策がまた面倒になってしまうと、これも逆に忌避される要因となっていた。
「……なるほど。こりゃ無法地帯だ」
ログサイス共和国に入り、最初の街に到着し、様子を見たリドウが、ほとほと疲れた態で呟いた。
もう日が傾き、夜の街が始まる頃合ではあるのだが、それにしても街のそこかしこから退廃的な空気が滲み出ており、あちこちに賭場らしき建物が見られれば、冒険者にしてもガラの悪そうな部類の連中が闊歩しており、彼らへ盛んに声を掛ける娼婦たちの姿も大勢目にできる。
冒険者にしてもガラの悪そうな部類の連中……要するに、明らかに堅気ではない男どものことであり、盗賊ではなくとも、いわゆるところのヤクザとかマフィアとか呼ばれる連中だ。血気盛んなようで、そいつらが喧嘩している風景すら目にできてしまう。
まっこと、無法地帯という言葉が似合いすぎるお国柄であった。
そんな場所に、この美貌の集団がやって来ればどうなるか……
「おうおう、にぃちゃんたちよ」
「えれぇ別嬪を連れてんじゃねーか」
まあ、こうなる。
男たちの人数は五人であった。皆筋肉質で、腰に剣を携えているが、リドウ曰くところの『見た目だけのヘナチョコ』っぽい。
千鶴やベアトリクス、それに男連中は平然としたものだった。こんなヘナチョコが一万集まろうと自分たちの敵ではないと理解しているからだろう。
それは恵子や愛奈も理解しているのだが、ごく普通の乙女な彼女たちがこうした手合いに恐怖心を感じてしまうのは理屈じゃないのだ。
怯えてしまっている彼女たちを庇うようにしながら立ったリドウは、煙管に火を点して銜えると、煙と共にドスの利いた声を吐き出す。
「失せろ」
男たちはキョトンと瞬きし、互いの顔を見合わせた。
そして大笑いする。
「おいおい。こいつ今なんつった?」
「俺たちがフランク一家のモンだって理解してねーだけだろ」
ギャハギャハと笑う様は非常に見苦しい。
「よそモンには、ここのルールってもんを教育してやらねーといけねー……なっ」
男たちの一人が、台詞の最後を掛け声とし、リドウへ殴り掛かる。
が、涼しい顔で鮮やかにそれを避けたリドウは、
「ぐあっ」
男の顔面を半ば握り潰す勢いで掴み、重さを全く感じさせない無造作な仕草で空中に持ち上げる。
「いたっ、いたっ、てめっ、やめろっ! ぎゃあっ」
持ち上げられたままで暴れる男であったが、リドウが更に力を入れたことで、とうとう痛みのあまり悪態すら口にできなくなってしまう。
「てめぇっ」
「この野郎っ」
仲間がやられていきり立つ男たちであったが、その刹那――
「一つ、忠告しておいてやるぜ」
リドウの全身から闘気の本流が溢れ出したことで、その足を止める破目になる。
「なっ、こいつ気功士!?」
しかも、所詮は『素人』でしかない彼らの目にさえはっきりと理解できるほどの闘気を身に纏えるとなると、最低でもハイクラスの更に上位と考えていい。間違っても彼らの敵う相手ではない。
「こんな面子で冒険者やろうって連中が、何の対策も持たねぇわけがねぇだろうが。相手の実力を見てから喧嘩を吹っかけろ……とまで贅沢は言わねぇよ、てめぇらみてぇな低脳にはな」
「て、てめぇ……」
男たちは馬鹿にされたままでいられるかと意気込むが、引け腰なのは否めなかった。未だ仲間は宙吊りのままであったが、もし許されるのであれば、一目散に逃げ出しているだろう。
「しかし、せめてサルはサルなりに、ちったぁ考えてから行動するんだな」
リドウは軽い調子で腕を振って、男たちの前に、宙吊りにしていた男を放り投げる。
「てめぇ……気功士だろうが、この街を牛耳るフランク一家の俺たちに手を出して、無事でこの街を出られると思うんじゃねーぞ……ッ」
リドウにやられていた男が、起き上がった途端に威勢良く啖呵をきる。
が……
「この街を潰したくなければやめておけ」
これまで黙って事の成り行きを眺めていたベアトリクスが冷めた眼差しで言い放った。
「その男は本物の月紅だぞ」
男たちは一斉に息を呑んだ。
冷や汗を滴らせ、口をぱくぱくさせながら、顔を引きつらせてリドウを見つめる。
「そ、そんなハッタリが」
「嘘だと思うなら試してみればいい」
強がりを言う男に、ベアトリクスは意地悪げに唇を歪めて告げる。
「リントブルム殺しが、高がマフィア風情にどうこうできるものか……なかなか見ごたえのあるコメディになりそうではないか」
リドウ対マフィアの構図がもし現実になったとしたら、ベアトリクスからしてみれば本当に笑い話でしかなかった。仮にリドウに対抗可能なレベルの戦力が有るのならば、そもそもこんな小さな街一つでくすぶっているわけがない。
疲弊しているとはいえ比較的大きな国であるブランカ帝国ですら手を焼く怪物を単身で退治してしまえる正真正銘のハイエンドとは、それほどまでに畏怖されるべき存在なのだから。
もし身の程知らずにも、潰された面子を回復しようとしてくるのならば、考えなしにも程がある。
「貴様らの上司は、月紅と揉めたと聞いて、貴様らを放って置いてくれるのかな?」
この台詞が決め手になった。
血の気の引いた顔で捨て台詞すら忘れて逃げて行った男たちを目に、ベアトリクスは「なんだ、つまらん」と零した。この女もつくづく、困った性格をしているらしい。
彼女は左手で右肘を支えて持ち、右手の人差し指で己のコメカミを叩きながらリドウを見る。
「力を誇示して面倒事を回避するのは、平和主義者のあなたらしいし、正解だとも思うが、それよりもあなたの二つ名を前面に出した方が手っ取り早いぞ」
「だから、何でみんな、こいつを平和主義者ってゆーの? ……ですか?」
ツッコミ故に地が出てしまった恵子であったが、慌てて後半を敬語に直した。
幸いなことに、ベアトリクスはそこら辺をあまり気にしない王族だった。彼女の本音を言ってしまえば、普段からぞんざいな言葉遣いをされても全く気にならないのだ。だからこそ、段々と千鶴の喋り口調に遠慮が無くなってきているのを咎めないし、むしろ好ましく思っているくらいだった。
「馬鹿の一つ覚えのように殺す殺すと連呼する、殺傷技巧に至上の価値を見出す大多数の冒険者の男どもや血気盛んな騎士連中に比べれば、間違いなく平和主義者だろう。少なくとも、私よりは遥かに穏健な男だ」
「同感」
ベアトリクスが真面目な顔で言うと、端的に同意してみせたのはシャイリーであった。
が、それってどんぐりの背比べというか、強盗殺人犯と連続殺人犯ではどっちの罪が重いかを比べているようなものではないか、と傍で聞いていた愛奈は思わないでもなく、曖昧な笑いを浮かべていた。
「平和主義と無抵抗主義は別物よ」
続いたのは千鶴だ。
「世の中には言葉の通じない馬鹿が多いわ。そういう連中には、連中が最も理解し易い言語で説得するのが最良なのよ」
「肉体言語ってやつですか……」
愛奈が肩を落としながら千鶴の言葉を補足すると、恵子は盛大なため息を吐いてそれ以上は何も言おうとしなかった。
ベアトリクスは再びリドウに向き直る。
「どうしてそこまで月紅の二つ名を嫌うのだ?」
「それより……」
と、リドウは答えを避けて周囲を見渡す。今の騒ぎを見ていた野次馬たちが遠巻きにひそひそと囁き合っている。
「宿でも探して落ち着こうぜ」
注目されることには慣れている面々であったが、普段とは少し違った意味での視線の群れは決して心地良いものではなく、反対する人間は誰も居なかった。
この一味が宿屋で部屋を頼む場合、リドウとシャイリーの二人部屋と、日本人少女たちの三人部屋、それにベアトリクスで一部屋と、ファーゼで一部屋となる。
最も大きな部屋は少女たちの部屋なので、相談事などで集まる時に使用する部屋も必然的にそこになる。
「さて……」
リドウが煙管片手に切り出す。
「ログサイス共和国に到着したわけだが、話に聞いてた通り、厄介な場所だぜ。ここでいつも通りに情報収集するのは難しいな」
「でも、できるならしたいわ」
千鶴は苦い顔で言う。情報収集はしたいが、自分が表を出歩くと厄介などでは済まなそうだ、と。揉め事になっても力業で押し通せる自信はあったが、下手に累が友人たちにまで及んでは事だった。独りにしなければいいだけの話でもあったが、危険性の芽を可能な限り摘んでおくに越したことはない。
千鶴が何を考えたかおおよそ察したリドウは、同じ感想を抱き、どうすべきかなと煙管を深く吸う。
「イーサンまで三日程度の距離だしな。ここで何か手掛かりが得られる可能性もあるか……」
「ええ」
「ふぅ……」
リドウは大きく煙を吐き出した。どこか気だるげな雰囲気が漂う仕草であった。
「短時間で確実に正確な情報を手に入れようと思ったら手段は二つだな。この街の事情に精通してそうな女を誑し込むか」
「はあっ!?」
「ふざけないで!」
恵子と千鶴が威勢良く椅子を蹴っ倒して、机をばんっと叩きながら立ち上がる。
が、リドウに気にした風は全くない。そういう反応をされるのは分かりきっていたのだから。
「まあ俺もあんま気は進まんが、これが一番手っ取り早い。男だろうが女だろうが、ベッドの中でなら口が軽くなってくれるもんだぜ?」
「却下よ」
「あんたの女タラシは百歩譲って見て見ないフリをするにしても、女心を弄ぶようなそんなこと、許せるわけないでしょっ」
「なら、もう一つの方だな」
そう言えば手段は二つあると言っていたなと少女たちは思い出す。その直後の台詞があんまりにもインパクトが有り過ぎたために、一瞬で忘れ去ってしまっていたが。
「フランク一家とやらを締め上げるか。幸い、口実もできたことだしな」
ニヤリと笑む姿は果てしなく物騒で、やっぱりこの男の気質は、平和主義者という評もあろうと、結局はどこまで行ってもアウトローだと、少女たちは改めて再確認していた。
フランク一家を襲撃しようという話になったわけであるが、メンバーは僅かにリドウとシャイリーだけとなった。リドウは言わずもがなであるが、サポートにもう一人欲しいという点で、戦力になるのは他に千鶴とベアトリクス、それにシャイリー。まだ『身内』と言うには憚られるベアトリクスは、お姫様という身分だけでも論外であり、千鶴よりはシャイリーの方が荒事にも慣れているし、ナンパ等による騒ぎになるにしてもマシだろうという判断で、まあまあ順当な配置だろう。
しかし、道中にシャイリーが絡まれることは無かった。月紅来訪の報は既に広く知れ渡っているらしく、通りすがりの衆目から遠巻きに興味津々な視線を送られる程度で、その連れであるシャイリーに絡もうと考える連中は現れない。
視線の群れは鬱陶しいが、特に何事もない道中、リドウはいつものように煙管を吹かしながら物思いに耽っていた。
(お嬢の潔癖症は未だ健在かねぇ……)
お馴染み、内心のため息を煙に乗せて吐き出す。
先ほどは半ば冗談にして済ませたが、女性を誑し込む云々のくだりは、リドウは割と本気で言っていた。
殺人を好まないながらも、必要とあれば躊躇わないのがこの男であるように、この男は基本的に『必要なら』殆どの事柄を躊躇わない。あるとすれば、何の咎も無い人間を害することくらいだろう。それならば必要であっても大いに迷ってしまうかもしれない……いや、必ずそうなる。
が、もし何かのためにどうしても必要に駆られたならば、可能かどうかはさて置き、リドウは全力でその女性を落としに掛かるだろう。
気の合う女性と一時の逢瀬を楽しむのとは訳が違う。リドウとしても、人の心を弄ぶようなことは極力避けたい。ある種これも『害する』とも言えなくはないのだから。もしもその手段を選ぶ時は、既に他に手が見つからない段階になってからになるだろう。
しかし、やはり……どうしても必要ならば彼はやる。できるだけその女性の心の傷になるようなことにはならないよう、細心の注意を払いはするだろうが、それでもやる――己のプライドを曲げてリントブルムを始末したように。
己のプライドと幾千万の人間の命ならば、リドウという男にとって比重が傾くのは己のプライドなのだ。冷淡冷酷冷徹と言われても何ら否定はできないが、そういう男なのだ。
だがそこに『厄介事の回避』という錘が加わったことで、プライドよりも重くなった。
彼独りであったならば、一顧だにせず断っただろう。しかし、あの時点でそうしてしまえば、少女たちの身が危険にさらされる。半ば以上に権力を利用したお仕着せであったにしても、一度国として発した言葉を易々撤回することはできない。あちら様側に全く理が無かったわけでもないのだ。断ったならば最低でもお尋ね者は必至であり、下手をすればアイルゼン大陸中のリリス教国家をまともに歩けなくなったことだろう。追っ手だって差し向けられたであろうし、見つかれば問答無用で殺し合いになる……大人しくお縄につくのでなければ、という注釈はつくが。向かってくる敵とは言え、こちらに非があるというのに殺すわけにもいかない。彼独りであればそもそもあんな事態に陥る破目にならなかっただろうが、それは言っても致し方ない。
リドウは正義の人ではない。百パーセント育ちのせいだが、彼は『人間を基準にした正義』なんて糞食らえと思っている。見も知りもしない赤の他人のために不要な命を刈るのは、リドウにとっては断じて許されない行為なのだ。
その分、見知った相手であれば激甘になる。
彼にとって『大人』とはそれだけで『力有る者』という区分になってしまうが、もしブランカ帝国に滞在していた時に通りすがりの子供が「お兄ちゃん、リントブルムを退治して」とでも頼んできたならば、彼は迷いなくリントブルムを始末しに赴いたことだろう。非能力者であったとしても、大の大人の男が百万も集まってリントブルムに挑めば倒せるだろう。しかし、子供では千万集まろうともそれは叶わない。明確に弱者ではないか。
だがしかし、それも――頼まれたら――だ。その時点で『見知った相手』になるからだ。
それでも、頼まれなければやらない。その境界線が彼にとってはとてつもなく重要だった。
もし人類と魔物の立場が逆だったら……要約すれば、人類の強者が弱い魔物の命を大喜びで狩っていたりしたならば、それは止めるべきなのだろうか?
リドウの心情としては止めたい。それはハッキリと言える。が、そんな光景は地上のどこに行っても展開されていることだろう。それをしてしまってはこの世に生きとし生ける者たちの九十九.八九パーセントくらいの存在を敵に回して戦い続けなければならないだろう。そんなことは彼にもできない。
故に、自分も人間であると己に強く言い聞かせることで、その境界線を己に定めた。もっとも、実際にそんなシーンを目にしてしまったら、彼も自分が気付かぬ内に“勝手に体が動いていそう”ではあるが。
ちょっと理屈っぽい面もある彼にとって、それこそが、力ずくで解決してしまう事柄であれば、この世に存在する大抵の問題は独力で片付けられてしまう、並外れた力を持つ自分自身を諌めるために己へ課した倫理であり仁義であり誓いであった。
もし彼が正義の人であったならば、力尽きるその日まで人に害為す魔物を延々と殺し続けることこそが、人々のためになってしまう。それは果たして善行と言えるか?
ならば、人々にとって危険性の高い魔物だけならば許されるのか? それはどこで判断すればいい? それ以前にそんなのはまったき不公平に相違ない。
正義とは時代、場所、立場――そういった様々な要因によっていくらでも左右されてしまう。そんな曖昧な基準に頼って他者の命を刈るなど、リドウにしてみればそれこそ悪辣非道に感じられる。
勇者ユーキは言った「最後に勝つのは必ず正義」と。逆説してしまえば勝利した側が正義だとでも言うのか? そんな馬鹿な話があってたまるか。
常に勝利に限りなく近い場所に立つ男。戦えば勝利してしまう人間。
……最優先すべきは己のプライドというのは、そんな力を持ち得てしまった彼の、決して破ってはならない誓約であった。破ってしまえば、その時は自分自身が勇者ユーキと同じ独善に支配された人間に堕ちてしまう。リドウの強靭な精神力であれば、一回くらいの例外を認めても大丈夫だとも思われるが、一度があれば二度目も許してしまいたくなる。自分は決して母のような超常の存在ではなく、所詮は自分も人間の範疇でしか生きていないと考える彼にとって、それは断じて犯してはならない禁忌なのだ。
そして、己のプライドよりも身内の安全の方が優先されるのは、結局はプライドの中身の一部でしかないのだ。
見知った相手のためならばプライドを曲げることを辞さないリドウだ。初めは己の意思ではなかったとは言え、一度は自分自身が守ると誓い、今では家族の次くらいには大切に思っている少女たちの身の安全のためであれば、よほどの事柄でない限りはプライドを曲げて事に当たるだろう。
……己の意に沿わない女性を誑し込むのだって。まだ幼少と言っていい時分に侍女長から女という性を教えられた“真の理由の半分”は、実はそのためであったのだから――という事実を母の口からリドウが教えられたのは、先日二十一年を迎えた人生の中では割と最近の出来事だった。
千鶴ならば、自分の感情を押し殺して、唇を噛み締めながらも目を瞑るだろう。
が、先ほどの恵子は心の奥底からガチだった。
(つくづく面倒な娘だな……)
深々とため息混じり煙を吐き出したが、
(ま、それがいい所でもあるっちゃあるか)
と、人知れず唇を緩める。
決して非情にはなれない善良で優しい心根は、自分たちのような人間にとっては貴重かな……とリドウは思わないでもない。
シャイリーが愛奈に惹かれた理由も多分そこら辺の問題だろうと、リドウは虚ろに思う。
「ねえ、リドウさん」
「ん?」
「何となくついて来たけどさ、フランク一家さんを潰すの?」
物騒極まりない発言を、満面の笑みを浮かべて平然とできてしまうのがこのシャイリーという美少女風美少年である。
「いんや。話を聞くだけだ。口が硬いようなら、多少強引に緩くしてもらうつもりではあるがな」
「ふーん」
相槌を打ちながら、ならあまり派手なことにはなりそうにないな、とシャイリーは考える。
リドウの正体を知って喧嘩を吹っかけるような戦力がこんな一地方にあるわけがない。ハッタリだと侮ってくる可能性が皆無というわけではないが、街一つ程度とはいえ、牛耳っている首領格が、これほど特徴的であからさまに実力者ですよという雰囲気を全身から発している男を見極められないような無能以下には務まるまい。
シャイリーとしても、こんな街の戦力如きと闘っても大して楽しめるとは思えなかったので、平和裏に目的を果たせるならばそれがいいだろうと納得した。
「それにな……」
「何か他に理由があるの?」
「正直、レディの話を聞いて想像してたよりは整然としてると俺は思うんだが……」
周囲を見渡しながら言うリドウに、街並みを指しているのだなとシャイリーは理解し、自分も建物や、そこで働く人々を眺める。
が、そうするまでもなく、シャイリーも同様の感想は抱いていた。
二人がイメージしていたのは、分かり易く言ってしまえば、世紀末なモヒカンがひゃっはー、な世界であった。いや、この表現では、一部の分かる人には分かり易いとしか言えなかろうし、この二人がそのままそれをイメージしたというのではなく、あくまでも漠然としたイメージでもあるが。
しかし、街全体が歓楽街の趣に溢れ返っているだけで、特に殺伐とした雰囲気は感じ取れない。揉め事が勃発している風景が多く見られはするが、そんなのは他の街の歓楽街でも珍しくはなく、単純に規模が大きいのに比例しているだけだと考えられる。
無論、所詮は自分たちも堅気とは言い難い暮らしをしているこの二人の感想でしかなく、一般人からしてみれば、十分以上に眉をひそめてしかるべき光景ではあるのだが。特に女性であれば尚更だろう。
「マフィアの存在が一定の秩序の基盤になってるのかな」
「法を尊守してねぇだけで、無法モンには無法モンなりの掟があるんだろうな」
「あなたみたいに?」
「おいおい」
リドウは心外だと顔をしかめる。
「郷に入りては郷に従え、だ。俺はきっちり法を守ってるぜ」
「今の所は、でしょ? 破る必要が無いから守ってるだけのくせに」
「お前さんに言われたかねぇな」
この会話を少女たちが聞いていたら、きっと「どっちもどっち」と声を揃えてくれたことだろう。
結局の所、ぱっと見での共通点は全くの皆無だが、人格を構成する根本的な部分ではかなり似たもの同士なのだ、この二人は。
歩けば当たるとばかりに無法者が闊歩している中を二人は悠々と行く。
月紅の雷鳴はそれほどまでに重いらしく、暴力を生業としている無法者たちが、リドウの姿を目にした途端に、こそこそと道の脇へ退いてくれる。圧倒的美貌の集団のせいで人海が割れるいつもとは違った理由で、しかし結局は人海が割れているのであった。
が、中にはこんな勇者も居た――
道の向こうから、ずっとリドウを睨み付けたまま、肩で風を切って歩み寄ってくる男だ。その背後には手下と思しき男を更に二人引き連れている。
シャイリーは、彼らが何を考えているか、早々に見切りは付いていた。
(ああ……馬鹿が居る)
肩で風を切っていると言えば威風堂々とした風情で聞こえはいいが、より正確に述べるならば――肩を揺らして歩いている――だ。
実物以上に自分を大きく見せたいチンピラに多い歩き方で、シャイリーに言わせれば『武術の基礎も出来ていない似非玄人』でしかない。たとえ武術を齧っていなかろうが、自己流であろうが、本物の実力者であればあんな歩き方はしない。というかできない。
周囲のならず者たちや娼婦たちにも、その男たちの狙いが分かってしまった。更に、その後に起こるべき事態を想像して息を呑んでいる。
そして、リドウが男たちと今にも接触しようという時……
リドウは音も無くすっと横に逸れ、チンピラたちへ道を譲ってやった。
自分たちの思惑が外されたことで一瞬足を止めて戸惑いを浮かべたチンピラたちであったが、すぐに得意そうにニヤニヤと笑いながら、さっさと先を行ってしまうリドウの背に野次を飛ばす。
「なんだ! 月紅っても大したことねーな! それともやっぱ偽者か!」
「仕方ねーっすよ兄貴。兄貴に掛かっちゃ二つ名持ちっつっても!」
「やっぱ兄貴はすげーや!」
シャイリーは大はしゃぎのチンピラたちを尻目に、
「いーの? 好きに言わせておいて」
「あれと同じ次元まで俺に落ちろってのか? 冗談じゃねぇ」
「それもそーか」
不運にも、チンピラたちにこの会話はしっかり聞き取られてしまった。
……もっとも、言うまでもないだろうが、不運なのはチンピラたちの方だ。
「て、てめぇ、この野郎!」
リーダー格の兄貴分の体を闘気が包む。どうやら気功士だったらしい。何の根拠もない自信ではなかったようだ。
この連中は例のフランク一家の舎弟ではなかった。彼らも旅の冒険者なのだ。たまたまこの街に寄った時に月紅の噂を聞きつけ、月紅撃破の金看板を欲し、こうして因縁をつけてきたのだ。
噂ばかりが大きくなって実物は大したことはないという事例は多く、自分は侮りながらも、しかしその噂の内容は利用させてもらおうという腹づもりなのだ。
だが気功士であることなど、リドウにもシャイリーにも先刻お見通しであり、望んで闘う気になど全くならない雑魚でしかなかった。
リドウは振り返りもせずに、背後から襲ってくるチンピラの拳を避け……
しかし、それ以上は何もしようとせず、そのまま黙って足を前へ進める。
(疾い……ッ)
その光景を眺めていたシャイリーが内心で舌を巻く。
数秒後、拳を振り抜いて蹈鞴を踏んだ“ように見えた”チンピラは、悲鳴の声すらなく地面に崩れ落ちた。
「あ、兄貴ぃっ!」
子分たちが慌てて走りより、倒れた兄貴さんを抱き起こすと、彼は白目を剥いて意識を失っていた。
見物人たちは何が起こったのかさっぱり理解できないという顔で、しかし確実にリドウが何かをしたのだという事実だけは理解し、やっぱり本物かと、男たちは戦慄に身を震わせながら、女たちはぽーっと見惚れながら、リドウの背を見送る。
リドウが何をしたのか、シャイリーだけは理解していた。
襲って来たチンピラとすれ違う一瞬、リドウは闘気を身に纏い、常人の目には映らないほどの速度でチンピラの顎を掌低によって撃ち抜いたのだ。結果、高速で揺さ振られた頭は脳震盪を起こした。
(リントブルムの時も思ったけど……この人の何が凄いって、この闘気コントロールが実は一番凄いんだよね……僕からしてみれば)
何事も無かったかのように……いや、事実本人からしてみれば何事も無かったのも同然なのだろうが、変わらず颯爽と歩むリドウを、半歩後ろから眺めながら、シャイリーは思う。
おそらくリドウは、今後のために、「何が起こったかも分からない内にやられていた」という風評を広めたかったのだろう。無知は恐怖を生む。相手の手の内を知ることすらできないという事実は、暴力を生業にする者たちにとって最大の恐怖心を呼び起こすだろう。
そのために、いつもなら無手では最も得意とする合気の技で対処する場面だったのだろうに、わざわざ闘気を使用してまで、常人には理解不能な対処のし方をしたのだろう――多少腕に覚えがある程度の使い手には見切ることができないほど一瞬だけ闘気を身に纏って。
今のシャイリーに同様の技巧はできない。
シャイリーは技だけならば、リドウの背中が全く見えないとは思わない。だが、この繊細な闘気コントロールだけは、今後十年修行したとしても追い付けるとは思えなかった。
(キャパシティ、コントロール、テクニック……この三つがここまでハイレベルで安定してるのは本当に凄いね。普通、どれか一つだけが偏って、あとは見劣りするものなのに……)
シャイリーの場合、同クラスの戦闘者から見ると、テクニックだけが飛び抜けていて、キャパシティはまあまあ、そしてコントロールは微妙……という評価になる。
闘気に目覚めてから三年余りという事実を鑑みれば妥当な評価だろう。
千鶴の場合は全てが高水準で纏まってはいるが、どれもそれなりレベルなのだ。ある意味、ちょうどリドウの劣化コピーだなとシャイリーは思う。
ベアトリクスの場合は、キャパシティとコントロールが凄まじく、技前は千鶴と同程度くらいだろう。先天性色素欠乏症がもたらす闘気のアドバンテージであり、質的にはシャイリーの嫌う勇者らと似ているのだが……気功士の実力を決定する三主要素の中で技だけが著しく見劣りするのは仕方がないと彼は思う。
先天性色素欠乏症故に幼少から無意識で闘気をコントロールし、使用し続けてきたが故の二十歳そこそこにして『熟練の勇者』に匹敵する膨大なキャパシティとコントロール。そう――無意識に、だ。
魔物にとって生命活動に必須なのが魔力であるように、人間にとって闘気とは生命活動になくてはならない。生命活動に支障を来たすほどに使用すれば体調を崩すし、枯渇すれば死に至る。シャイリー自身、目覚めたての頃にやってしまった覚えがあるのだが、ボーダーラインすら下回るレベルまで使用してしまった時の苦しみは半端ではない。
(あの時は七日七晩生死の境を彷徨ったらしいしねー……意識無かったから後から聞いて知った話だけど)
幼少から膨大な闘気を己が身に秘める人間も居るが、それにしたって限度というものがあり、所詮は知れたものだ。UVカットだけならばそう大きな容量は必要とされないだろうが、常時使用状態では……。
闘気とは鍛えればそれだけキャパが増す。最短の方法は当然、限界ぎりぎりまで使用することだ。そして回復したらまた使用するのを繰り返す。シャイリーはそうして、目覚めて三年余りにして一流には数えられる程度にキャパシティを得られた。もちろん、その時は心身を持ち崩すことになるような鍛え方は避けたが、それでもそれは大きな苦しみを伴う危険な手段であり、だからこそ、生れ付き覚醒している天然でも大したキャパシティを持たない雑魚が多い。彼らは往々にしてコントロールにだけは秀でているが、それ以外はさっぱりだ。
ちなみに、その三主要素の中でどれが最も実力に反映されるかは特にないが、一番反映されないのはコントロールだ。雑魚が重視するせいでの雑魚嫌い故の反発心なのか、シャイリーは自分自身でもちょっとおざなりにし過ぎているかなとも思う。リドウのそれが凄いと思うのは、他の二つまで尋常ではない領域に居て、尚且つコントロールまで秀でているという意味での話だ。
ベアトリクスの幼少時はおそらく相当に悲惨なものだったろう。本人からは聞いていないし、訊いてまともに答える人間とも思えないが、不可抗力だったとは言え、彼女はそれに値するだけの代償を支払ったはずだ。仮にだが、目覚めたての頃のシャイリーが一日中、常時全身に薄く闘気を纏っていろと言われたら、激痛が身体を支配し、過剰な集中力の使用により神経が疲弊した毎日を余儀無くされたことであろう。コントロールは無意識下で行われていたとしても、それが脳に与えるダメージは大して変わらないだろうと彼は考える。
ベアトリクスが健常な生活を送れるようになり、闘う道を志し、剣を持ったのはおそらく、十代の前半から中頃だろうとシャイリーは推測する。そう考えれば、彼女の技量は十分に高い。
身体的不利を補ってくれる能力とはいえ、苦しい思いをさせられたであろう能力にも拘わらず、忌避しようとはせず、自ら闘う道を選ぶとは、好意に値する女性であるとシャイリーは素直に思う。
ちなみにシャイリーが互角に闘えたのは、ひとえに自身の飛び抜けた技量のおかげだ。
しかしリドウは――そのどれ一つを取っても、この三人の誰にも劣らない。むしろ、全てが遥かに凌駕するのだ。
己に甘えを許さず鍛えるということは、大抵の事柄において相応に苦しみを伴う。それか相応の時間を掛けるかだ。リドウの年齢にして熟練の勇者にすら勝るキャパシティを保有し、尚且つ技量は達人だなどと、どんなに桁違いの才能があったにしても普通はありえない。真の殲滅師と同様に、もはや理論上の存在と言ってしまって一向に構わない。先日の勇者がその存在を頭から否定したのは無理もないのだ。
シャイリーがあっさりとリドウの存在を吞み込めたのは、相手の技量を見抜けてしまう眼を持っていて、目にした事実を疑うのは無駄以外の何物でもないという人生観によるものだ。話に聞いただけであればシャイリーとて「何の冗談?」と失笑したことだろう。
(最古の魔王三柱から徹底的に叩き込まれたと言われてようやく納得行ったけど、じゃなきゃこの若さでそれはどー考えてもありえないよ。しかもこの人の場合、魔道士としての力まで持ってる上に、そっちでも超級とか……僕でも反則としか言えないね。愛奈ちゃんが言ってた、確か『チート』だったっけ? うん、チートだ)
ハイエンドとして名前が売れた人間の中では、リドウは屈指の若さだろう。能力者は概ね全盛期が長く、“ハイエンドまで達せた人間”がハイエンドとして認められる頃には普通三十代後半から四十代前半だ。
剣姫ルミナリア・ファルミが伝説として持て囃されているのもこれが最大の理由だ。とにかく若かったのだ。それに加えて、王位継承権すら持つ公爵令嬢という理由も決して小さくはなかったが。
シャイリーはリドウの強さや、その根本を形成する才能を妬ましいとは思わない。がしかし、リドウの育った環境だけは羨ましいと心底思う。
(ま、しょーがないか。リドウさんは運が良かっただけだ。僕も紹介してもらえることになってるし、十分に幸運と言えるもんね)
彼らのような人種は、大半が己の実力で道を切り開くことを信条として生きている。が、彼らのような人種こそ得てして、実は運という実力外の要素を重んじていたりもするものだ――シャイリーが以前にリドウが流化闘法を実家の方針で身に着けさせられたと聞いて「運が良かったね」と言ったように、リドウも勇者相手に「生きるも死ぬも実力と運次第」と言ったように。
先ほどのチンピラとて『運が良かった』方だろう。相手が苛烈な人間性をしていれば、あの時点で命を落としていても何ら不思議ではなく、文句を言える筋合いすら無かったのだから。
では、リドウに目をつけられてしまったフランク一家はどうだろうか?
それを決めるのは彼ら自身であろう。




