第四十話 考察
民主主義という政治制度を活用するためには“最低限”必要とされる前提が幾つか存在する。
人民が主導する政治であるが、だからと言って何か一つを取り決めるために、一々国民の総意を募ることなど、どう考えても不可能だ。よって、政治を決定する代表者を選ばなくてはならない。つまるところ選挙だ。
その選挙を正しい形で行うためには、まず国民が政治を“最低限”理解していなければならない。誰を選べば自国がより良くなるのか、選ぶ側が判断できなければ、選ぶ意味がそもそも無いだろう。
そのためにはまず、“最低限”の教育環境が整っている必要がある。
しかし、学ぶためには当然だが、他のことを同時進行で行うことは極めて難しい。『常人が畑を耕しながら学び得るものではない』のだ。それができてしまう連中はごく一部の天才または秀才だけなのだから。民主主義とはその天才秀才に“だけ”頼った政治であってはならない。それではそもそも『民主』などとは言えない。
仮にだが、このルスティニアで教育機関を整えたとしよう。明日から子供はみんなここで学んで下さい、と全国民に指示したとする。
……全国民の子供の一パーセントが通学して来れば上等ではなかろうか。
彼らにはそれ以前に日々の生活があり、そんな“悠長なこと”をしていられる余裕は無い。幼い頃から、将来の働き手として、子供なりに仕事の仕方を一生懸命に学ばなければならないのだから。ルスティニア全土で一般的に成人扱いされる年齢は十六歳とされており、古き日本の元服よりはマシだが、現代日本の若者であればこれから未来の行く末を決めようかという頃には既に一人前でなくてはならないのだから、その分『学習時間』が切り詰めたものになるのは至極道理だろう。
彼らが学ぶ時間が取れるように、国がその分の生活を保証してやるべき? 無理だ。一時的に税収が途絶える覚悟すら必要とされるというのに、更に手厚い保護を国民にしてやるなど、してあげたくても無い袖は振れない。
民主主義を活用するためには、そこに辿り着く以前に、まず生活水準の激的な上昇が必要不可欠なのだ。“最低限”、子供は一定年齢まで働かずに学ぶことが可能なだけの文明的発達が。ちなみに地球においては《産業革命》がその切っ掛けになったと言われている。
更に、選挙を公正に、かつ確実に行うためには、『正しい情報の流布』なくしては始まらない。
現在の世界情勢がどういったものかを知れなければ、どんな政治家を選べばいいのか、それすら判断がつかないし、実際に選ぶ政治家がどんな政治的理想を持っているかも、選ぶ上での重要な判断要素だろう。
これも、文明の発達が必要とされる事柄だ。
――このように、“最低限”必要とされる事柄が幾多にも上る。
政治制度というものには、その時代に適したシステム、というものがあるのだ。仮に現代の地球は日本で王政復古など叫ぼうものならキチガイ沙汰だろう。一条千鶴は『余計な知恵』と表したが、一般大衆の一人一人が賢くなった現代に絶対王政など、もはや復活する余地は無い。
……まあ厳密に言えば、日本は今でも王国なのだが。首相はあくまでも『主席宰相』なので、一応間違えてはいけない部分だ。
実は地球においては、割と大昔から民主主義は存在する。もっとも、現代のものほど民意が反映されてたとは言い難いし、現代でも完全に反映されているとは間違っても言えないだろうが……確かに存在したのだ。が、『人民が主導する平等な政治』という、凄まじく耳に心地良い言葉でありながら今一流行らなかった主な理由は、結局はそういうことだろう。つまり、時代に即していなかったのだ。
しかしながら『人民が主導する平等な政治』とは非常に聞こえがよろしい……言葉だけならば。
自分が選ばれた特別な存在である――と思い込んでしまえる土壌が出来上がっている勇者にとって、目指すべき理想と燃え上がるには十分な動機だ。
が、彼らは勘違いしていた。そのために必要とされる“最低限”を彼らは理解していなかった。
畏怖と尊敬の念を送られる彼らの声は大衆を容易に動かしてしまう。
無論、国側も……“どういう動機からくる”かは知れないが、それを危険視した。しかし結果は勇者が優勢を保って、半ば崩壊した国が少なくない。
結局、民主国家を築き上げることなど彼らにはできなかったのだ。そこに至ってようやく現実を目にした勇者が主導する独裁国家に落ち着いた国もあれば、「お前のせいで自分たちの生活がムチャクチャになった」と、力無き民衆のためを思って取った行動なのに、彼らの憎悪を一身に受けて、「皆のためにしたことなのに、どうして自分が……」と失意の内に殺害された勇者も居た。
現代のルスティニアにおいて、民主国家を築こうと思ったら、まず万人の生活水準を革命的に向上させなくてはならない。その後、更に一般大衆の意識を改革し、それからようやく実行段階だろう。十年や二十年では不可能だ。
彼ら勇者にそれだけの手腕がまず無い。それだけのことが考えられるだけの頭があれば、そもそも現代ルスティニアで民主国家など頭に思い浮かべすらしないだろう。仮にそれだけの手腕を有していたとしても百年単位の大仕事になる。『自分の手で築き、英雄として歴史に名を残したい』という思いが根底にある彼らには絶対に無理なのだ。
――ログサイス共和国への旅道中で、以前から地球の政治制度に興味があったが、機会が無くて今まで聞いてこなかったリドウが、千鶴に訊ねた末に、ベアトリクスの考察も織り交ぜ、達した結論がこれであった。
恵子や愛奈は……言うまでもなかろうが、置いてきぼりで黙って聴いているだけである。シャイリーもこの手の話まではあまり知識が及ばないようであり傍観の態勢。一応は貴族としてかなり見識には富んでいると思しきファーゼは、「姫様、楽しそうだな」と、邪魔をしてはいけないなと考え、リドウ周辺のやり取りを何気なく眺めていた。
「しかし、平等な政治ねぇ……」
聴き終えたリドウは胡散臭そうにうそぶいた。
「多数決って時点で平等ってのも微妙だと思うがね。少数派を切り捨ててるだけじゃねぇか?」
「その勇者たちが暮らしていた環境が民主国家だったのでしょう。地球に限らず、ある程度文明が進んでいれば、自然とそこに行き着くはずだというのが地球の政治学者のおおよそ共通した見解ですし……そう間違ってはいないと思うわ」
「己の暮らしていた環境こそが最上であると思い込みたいものであろうからな」
ベアトリクスの軽い侮蔑すら入り混じった発言に、リドウや千鶴は深く頷いて同意を示す。
「真の平等を謳った政治形態を理想としているのなら、そもそも社会主義を目指しているはずですしね。ご存知かしら?」
勇者のもたらした知識の中に社会主義はなかったのかと千鶴は問うが、どうやらベアトリクスも初耳らしく、首を横に振った。
「社会主義って……」
「千鶴さん、真面目に言ってるんですかね?」
「さあ?」
少し後ろを歩く日本人少女たちが、疑わしげに千鶴の背中を見ている。彼女たちのイメージする社会主義国とは、何だか危ないことばかりやってる意味不明な国、でしかなかった。彼女たちがそう思ってしまうのは、多分に日本における仮想敵国に対するイメージ戦略もあるだろうし、別にそうと決め付けるべきではなかろうが、火の無い所に煙は立たないもので、少なからずそうした面も否定はしきれないのかもしれない。
「資本主義の対極に位置する思想で、民主主義との両立もあるけれど……地球人類がこれまでに考案した政治形態としては最も平等に近い、とても素晴らしい思想よ」
とは言うが、『とても素晴らしい』の部分にかかったとてつもない皮肉な響きは、彼女はそう思ってなど微塵もないとあからさまに言っていた。
「極端にし過ぎるくらいに極端に言ってしまえば、誰一人として固有の財産を持たず、皆で全てを分かち合いましょう……という思想ね。これは主に共産主義に相当する部分ですけれど」
リドウやベアトリクスは千鶴の言葉を聞いて、それぞれにしばらく首を捻って思考していたが、やがて殆ど同時に眉をしかめた。
「それは向上心を阻害してしまうだけではないか?」
ベアトリクスが言ってしまったが、リドウは同じ感想を抱き、同時にリリステラが耳にすれば激怒しそうな話だなとも思った。
「ご賢察。この前言った東西の対決は、西が勝ったと言うよりも、それが大きな原因で東が自滅したと言った方が正しいでしょう」
民主国家を志して自滅した勇者たちと同じだと千鶴は冷笑する。
「資本民主主義の更に先、人類が到達すべき最終局面での政治形態と言われているわ。当然、前提とされる条件は資本民主主義よりも遥かに厳しい。人類の文明がこれ以上発達しようがないという所まで極まり、人類全体の精神性が、戦争など起こりようがないほどに成熟して、初めて意味を成す思想よ」
「なるほど。発展の余地が見込めぬが故に向上心が必要とされず、そのくせ誰もが怠けることを知らず、人が自ら他者に分け与えることに何の抵抗感も抱かぬほどに精神性が成熟していれば、確かに可能ではあるな」
「究極の理想論だな。空論どころか、虚構の戯言だ」
千鶴の話を聞いた二人は、ふっと軽く笑んだ。馬鹿にしたわけではないが、オメデタイ話だとは思っているようだ。
「けれども、耳に心地いいと言えばこれほどの思想もないでしょう? 現代の地球人類、その中の更に知識人ですら、短絡的にそう考えてしまったのよ。人間なんて、所詮は信じたいことが真実になってしまう生き物でしかないわ。勇者のその行動は、こんな世界に招かれ、力を持ってしまったちょっと考えたらずな人間が普通に正義感に溢れていたら、起こらない方が不思議にしか私には思えないわね」
そういう意味でも、ロンダイク聖教側のやりようは、今一理解できかねると千鶴は柳眉をひそめる。
「強大な力を持っていようが、自分たちなら扱いきれると思ったのかしら……?」
「時として権力者とは、己に逆らう人間が存在するわけがないと思い込んでいるものだが……」
ベアトリクスも触発されて、ふむと眉根を寄せる。
「自分たちの常識にそぐわない常識が存在するだなんて、そうそう思えるものではないでしょうし、予想できなかっただけと考えるべきかしらね……」
「その手の危険性を無視してでも勇者を招かなきゃなんねぇ、隠された真意がある……って言いてぇのか?」
「可能性としては……」
自分でも整理しきれないからなのだろうが、躊躇いがちに肯く千鶴であった。
「考えられるというだけで、あまり高くはないと思うわ。勇者召喚は四百年前からの伝統行事なわけですし、四百年もの長きに渡って完全に隠匿しきったと考えるよりは、ロンダイク聖教国家の上層部がお馬鹿さん揃いと考えた方がまだ納得いくわね」
リドウは煙管の煙を吐き出しながら、相槌の言葉とも取れる声音を小さく発し、自分もどことない場所に視線を投げ、何かを考えていると、今度はベアトリクスが口を開く。
「やはり、大戦に向けての戦力補充と考えるべきかな……」
「その割には、少なからず関係国の勇者が未だ暢気に魔王討伐の旅をしているのはどうかしら?」
「奇襲を仕掛けるために実行段階まで秘匿していると考えれば、そう不思議ではなかろう」
「可能性としては否定しきれないわね」
真面目な表情で頷いた千鶴であったが、そこで「ん?」と首を傾げる。
が、疑問を解消すべき明快な閃きがあったわけでは特になかった。
「私が大真面目に深く考える必然性は無いのではないかしら?」
千鶴は別に、そんな大それた話に関わりたいだなんてちっとも思わない。
「アリスさんに釣られてしまったかしらね」
「まあそう言うな。私も独りで考えるよりも、私と同レベルで思考できる他者の意見を交えることができた方が考えが纏まる。賊徒どものお客さんでも来ない限りどうせ暇なんだから付き合え」
「嫌よ。何で恋敵のあなたに利することを、私がロハでしなきゃならないのよ」
ふんっとベアトリクスから顔を背けるが、彼女は面白そうに唇を歪めている。
「報酬が欲しいと言うなら、どうだ? 我が国の宮廷戦略旅団に雇わせてもらうぞ。兼業軍師としてな」
「その手の悪巧みなら、俺よりも千鶴の方が確実に上だろうな」
リドウがくつくつと笑っていると、千鶴が険しい目つきで想い人を睨んだ。
「ちょっと、まるで私が陰湿な策謀家みたいな言い方は止めて下さらないかしら」
しかし、リドウは何の痛痒も感じた様子はなく、ひたすら楽しそうに笑うばかりで、千鶴はむすーっと唇を尖らす。
「次期宮廷戦略旅団長というのもありだな。お前の指揮でなら、うちの兵士諸君は悦んで死んで往くことだろう」
「あなたが戦女神よろしくおやりになっていれば十分でしょう?」
「戦女神が二人も居る国なら、常勝無敗が約束されたようなもんだな」
「そこに戦神も居れば完璧だ」
リドウが軽口を叩くと、その彼を指してベアトリクスが楽しそうに言った。
とんだカウンターが返ってきたリドウは、素知らぬ顔で明後日の方を向いて煙管を吹かす。
その後方では、三人のやり取りを黙って眺めていたシャイリーが、おもむろにファーゼへ話しかけている。
「アリスさん、もしかして楽しいのかな?」
「相当にね。あんなに楽しそうなお嬢様は実際、久しぶりに見た……ああ、この間キミたちと一緒にリドウくんとバトった後もあのくらい嬉しそうだったけど、それ以前には本当にしばらく目にした記憶が無いね」
ファーゼは表情を緩めながら喋る。
「僕もあの手の話はそう苦手な方じゃないつもりだけど、お嬢様と対等という次元にはほど遠い。国でもお嬢様と同レベルで会話が成立したのは、当代で俊秀と評判が高い貴族や、さもなきゃお嬢様のすぐ上の兄君様くらいのものだった。リドウくんもかなりやるけど、一条嬢はそれに加えて、ルスティニアと全く別の常識が支配する世界で育っただけあって、僕たちとは視点の違った発想ができるようだし、お嬢様にとっても得るものが少なくないんだろうね……」
ふーんと気の無い相槌を打つシャイリーをよそに、ファーゼは表情は変えずに黙考する。
(もし本当に姫様がリドウくんを口説き落としちゃったら……一条嬢もセットになって付いてくる可能性は激高だよねぇ……)
優れた頭脳と圧倒的な戦闘能力、更に容姿にまで恵まれたこの三人が一つの国に集まったら、きっととんでもないことになる。戦って良し、謀って良し、指揮して良しと、三拍子が揃い踏みのユーティリティプレイヤー……それも器用貧乏ではなく、どれか一つでも十分評価に値する能力の持ち主たちだ。
(三人とも、容姿のおかげもあるだろうけど、カリスマ性が半端じゃないんだよね。姫様も半分以上は冗談で仰ったんだろうけど、この三人が先頭に立って我が国の戦力を以って戦争したら、負ける要素を考える方が難しいな)
ファーゼは正直、今でもリドウはさっさと諦めるべきだと思っている。が、彼を得られた時の利を考えると、国のためにはベアトリクスに頑張ってもらった方がいいのだろうか、とも思わないでもなかった。
(ま、所詮僕はしがない従者風情だし、姫様がうんとかすんとか仰ってくれないと何も始まらないか)
馬鹿の考え休むに似たり、ではないが……捕らぬ狸の皮を数えても意味はないか、とファーゼは思考を止める。
一方では、恵子と愛奈も前を行く三人を眺めながら、その三人をあれこれ評していた。
「何てゆーかですねぇ……」
「うん……」
「あの人たちって本当にスペシャルなんだなって、こう……実感しちゃいますね……」
「うん……」
愛奈の言葉に恵子は上の空で応じている。
「頼もしいと言えば、とっても頼もしいんですけど……」
頼りきりになってしまいそうで――そうならないよう頑張りたくても、ついて行くだけですら難しいという内心の焦燥を、愛奈は言葉にせずに呑み込んだ。
「そうね……」
恵子も、どこか元気に欠ける様子で相槌を打つばかりであった。どうやら愛奈と似たようなことを考えているようだが……しかも恵子の場合は、愛奈のような魔法の才能すら持っていない分、余計に精神的な負担が拭い切れないのだろう。
「あまり気にし過ぎない方がいいよ」
「え?」
悩める二人に向かってシャイリーがフォローの言葉を投げ掛ける。
「努力を忘れなければそれでいいんだ。あの二人……アリスさんも含めれば三人だけど、あの人たちのように成りたいと思っちゃいけない。キミたちにはキミたちの良さがあるんだからね」
「例えば……?」
「優しいところ」
鸚鵡返しに問われたシャイリーは即座に断言した。
「それだけ……ですか……?」
続きが無いことに不満を持ったのではなかろうが、愛奈がショボーンとした顔で訊ねている。
「それだけってゆーけど、それがどれだけ大切なものか……まあ本人には分からないものだろーけどね」
言いながら、二人へ順々に視線を置いた。
「僕もそうだけど、リドウさんも千鶴ちゃんも、色んな面でかなり厳しい気質をしてる……苛烈になり過ぎる時があるんだ。そういう時、キミたちが気付かせてあげてほしいな」
そうは言っても、今名前が挙がった厳しい気質の三人に、いざと言う時になって意見をするだなんて、そんな勇気が自分にあるとは思えないと、二人の表情は更に沈痛な色を宿してしまう。
が、シャイリーの言葉はまだ終わったわけではなかった。彼は千鶴の背中へ向けて眼差しを送ると、更にその目がすぅっと細まる。
「特に千鶴ちゃんは危うい部分があるような気がするんだよね……」
自信満々という風情でこそなかったが、間違っているとは自分でもあまり思っていなさそうな、半ば以上確信の篭った声音であった。
「危うい?」
「うん……危ういんだよ、彼女……」
答える声はなぜか、まるで独り言を呟くかのように、小声になってしまっていた。
恵子と愛奈はお互いの顔を見合わせてから、シャイリーへ言葉の真意を訊ねるが、彼は曖昧な笑顔で言葉を濁した。
「その時が来てしまったらきっと分かるよ。来ないでくれた方がいいけど、もし来てしまったら……」
と、また二人を順々に見る。その目はどこまでも真剣だった。
「僕もリドウさんも居なかったら、キミたちが止めてあげてね」
「うん。任せて」
「分かりました」
シャイリーの答えは要領を得ない憶測ばかりであったが、少女二名は、きっと何か重要な意味があるのだろうと思い、迷いの無い顔で肯いた。
ログサイス共和国は、一同が今居るシャリハーン首長国連邦から一度更にカーライス王国に抜けて、ようやく到着となる行程だ。カーライス王国に入ってからはさほど時間は掛からないが、それでも今のペースではざっと二十日くらいは掛かってしまうだろう。
一同の心理状態からしても急ぎたい所であるが、あまり無理をし過ぎて要らぬミスをするのも馬鹿らしい。よって、夜営の時は今まで通り、きっちり余裕を見て場所を選定し、準備をするようにしている。
本日の夜営場所も決まった後、ベアトリクスは樹木を背もたれにして地面に座り、懐から羊皮紙と羽根ペン、それとインクが入っていると思しき極小さな筒を取り出して、何かを綴り出した。
リドウとシャイリーとファーゼの男性陣は連れ立って獲物を狩りに行っており、ここには女性陣だけが残っている。
千鶴はリドウが戻って来てからの鍛錬待ちで、椅子代わりの石に座って瞑目したまま身動きをしない。
愛奈は魔法の自己鍛錬を既に開始している。
手持ち無沙汰な恵子だけが、ベアトリクスの行動が何となく気になってしまったようで、中腰になって訊ねる。
「何を書いてるんですか?」
ベアトリクスは手を止めると、顔を上げて恵子を見つめ返す。
「リドウ殿や一条と話し合って纏まった私なりの考察を書いているのだ」
「忘れないようにですか?」
「別に忘れはせんよ」
ベアトリクスは軽く苦笑気味に唇を緩めた。
「次の町に着いたら、人を雇って国へ届けてもらおうと思ってな」
曰く、リンドンでも、大規模勇者召喚が行われたらしいという手紙を送っているそうだ。
流石は責任感を持つお姫様だなと感心する恵子であったが、二人の話が耳に届いていた千鶴は、冷ややかな眼差しと声をベアトリクスに送る。
「そこまでするくらいなら、早くお帰りになられたらどうですの?」
「現実に戦争という事態にでもならぬ限り、私が国に居ても大して変わりはせんよ」
特に何を思うでもない風情で、軽く言うベアトリクスであった。
「私が言うのもなんだが、我々の血族は基本的には優秀な血筋なのだよ。父上も決して無能ではないが……特に政略面においては、第二王位継承権を持つ、私の直接上の兄上の方が私よりも優れた見識をお持ちだ。例によって体が強い人ではないが、あの人が本格的に床に伏せるような事態になっていれば、私は問答無用で連れ帰られている」
そうなってはいないという事実は、同時に次兄がまだ健在だという証明であった。便りが無いのは無事な証拠、ということだろう。
しかし、千鶴は何を思ったのか、すぅっと目を細める。
「ご実家の方で問題は起きていないのかしら?」
「お家騒動を言っているのか?」
「有態に言ってしまえば」
千鶴の返事に、ベアトリクスはふっと唇を歪める。
「あの人はそれを望まんよ」
「本当に?」
「確かに、能力だけを見れば、長兄たるラファエルよりも次兄のメリクリウスの方が優れているだろうが、メリクリウスは覇気が薄い。元々、いつまで生きられるか分からない……と言われながら、我らが尊父は四十と三年を生きてまだ達者であらせられるが、強引に王位を得てもいつまで健在でいられるか本当に皆目分からんというのに、そうした気分になれるものでもなかろう?」
千鶴はそんな病巣に蝕まれた体をしていない。故に、所詮は想像でしかなかったが、確かにそうかもしれないと……見も知りもしない赤の他人事ながら、若くして人生を達観してしまうほどの境遇を、どうしても気の毒に思ってしまい、微かに表情を沈んだものにしてしまっている。
一緒に聞いていた恵子や、自然と耳に届いてしまった愛奈も同様であった。
「自分で言っておいて無理もないとは思うが、そんな顔をしてくれるな。レックス……メリクリウスの愛称だが、レックスはその手の同情をされるのが最も嫌うところだぞ」
ベアトリクスはこれと言って特別な感情を表情には表さずに言う。
「それに、それを除いても、レイ……こちらはラファエルの愛称だが、レイの方が王に向いているだろう。体が弱いのは変わらんが、レイも無能とは断じて言えんし、レックスとは似ても似つかん豪放磊落な性格をしていて、決断力という面ではレックスを凌ぐであろう」
「なるほど。王自身が優れている必要は必ずしも無く、優れた人々を使い、的確な判断を基に決断さえできればいい……と言うことね」
「そうだ。二人が健在である限り、レイが次期国王として立ち、その傍らに宰相としてレックスが立っていれば、私の出る幕は無い」
そうは言っても、国に居れば色々と仕事を押し付けられてしまう程度には、ベアトリクスも十分に優秀なのだが……この二名の兄の存在があるからこそ、彼女はこうして暢気に国外をうろつくことが許されるているのだそうだ。
「私に期待されているのは、非常時の総指揮官としての働きが最たるもので、平常時は兄上たちの負担を和らげる程度の政務でしかなく、そちらの方は代わりが幾らでも我が国には存在する」
「……こう言っちゃうのもなんですけど……凄い優秀な人ばかりな国なんですね」
「血の純粋に異常な拘りを見せたが故の見栄なのだろうが、血統以外に誇るべきものを持たぬ王族など王族にあらず――という王家特有の家訓もあって、我が家の人間は己が優秀たれと努力を怠らんからな。とは言え……長年保った純血がもたらす才能という面は否定しきれんだろう。その代償としての体の弱さと思うと、果たして恵まれているのかいないのか、どちらとも言えん」
そういう話を聞くと、少女たちはどうしても気の毒な感情が抑えきれず、思わず顔に出てしまう。
「ああ、すまん。もうこの話題は止めるとしよう」
ベアトリクス自身、同情するなと言う方が無理だと思う。しかし、自分の兄がそうであるように、彼女自身も同情されたくなどなかったが故に、きっぱりと会話を打ち切って、再び紙に筆を走らせ始める。
少女たちは何と声を掛ければいいのか言葉が見つからず、一様にどことなく気まずそうに黙り込んでしまった。
しばらくしてから、男性陣が狩から帰ってきたことで空気が和らいでくれたことに、あの千鶴ですらほっと息を吐いたのは、恋敵相手とはいえ、彼女も冷血なばかりではないという証明なのかもしれない。
その頃にはベアトリクスも物書きを終えており、特に何事も無かったかのように平常運転でリドウに話しかける様子も見える。
「それにしてもさ……」
「はい?」
恵子が独り言を呟くように言った言葉に愛奈が反応する。
「何でこう……優秀な人間ばっか集まるんだろ。ファーゼさんだって実はかなり優秀でしょ?」
「類は友を呼ぶんじゃないんですか? リドウさんが居なきゃ、シャイリーさんもアリスさんたちも、ご一緒になることはなかったと思いますし」
「愛奈はまだ魔法が使えるからいいけど、あたしなんて肩身が狭いったらないわよ」
「現状は似たり寄ったりですけどね、私も……」
二人揃って肩を落としながら深いため息を吐くのであった。




