第三十九話 手掛かり
新たな街に到着し、捕らえていた盗賊たちを憲兵に引渡し、僅かながらも発生していた懸賞金も受け取った一同は、まだ早い時間帯だったのもあって、それぞれに別れていつもの情報収集を開始した。
その最中。
たまには独りになりたいリドウは、ついて来ると主張するベアトリクスを撒いて、街中を適当にうろついていた。
そして、露天商の立ち並ぶ一角にやって来た時、リドウの目にとある代物が留まる。
紺色の上着と濃い灰色と薄い灰色でチェック柄になったスカート、更に真っ白なインナーもセットとして並べられている。こんな露天に並ぶにしては非常に精巧な造りであり、物を視る眼も少しばかりしこまれているリドウの目を良く惹いてくれた。
しかし、リドウが気になった理由はそれだけではなく、その衣服にとても見覚えがあったからでもあった。
日本人ならば、それをブレザーの学生服だと言っただろう。リドウが初めて恵子と出会った際に彼女が着ていた服でもあった。彼女の制服は魔王城に置いてきたはずだし、侍女長あたりがきちんと保管しているはずだ。
更に、似たような造りのズボンとセットにして売りに出されている物もあった。
「よう、オヤジさん」
「おう、いらっしゃい。好きなだけ見ていってくんな」
リドウは何の気も無さそうに、露天の店主である三十代後半と思しき男に話しかける。
すると、男は愛想良く応じてくれた。
「売れてるかい?」
「それがさっぱりでな」
ため息しながら答える店主さんであった。
「二年前の戦争が後をひいてるみたいで、景気の悪いこと悪いこと」
疲れたように手をひらひらと振る。
「こりゃ、とっととブランカまで一気に行っちまうかと思ってるくらいだ。あそこは流石の貿易国家なだけあって、そう景気が落ち込むことはないからな。それが、リントブルムのせいでメッキリになっちまってたけどよ、そのリントブルムもようやく片付いたって話だしな」
どうやらこの男は行商人らしい。普通、行商人は運んだ荷物を大店にまとめて買い取ってもらい、また新たな荷を仕入れて次の街へと足を伸ばすものだが、上手く買い取ってもらえなかったりした場合、こうして自ら露天を出して売ったりもするようだ。
「そりゃ難儀してるな」
リドウは、自分も難儀そうな顔つきで二三頷き、オヤジさんを労いながら、制服を手に取る。
「これなんか、かなり上等な生地でこさえられてるし、製法も相当なもんじゃねぇか」
「おっ、お目が高いね。どうだい?」
暗に買わないかと言うオヤジさんであったが、リドウは笑いながら首を横に振った。
「女モンだろ? そっちの男モンっぽいのも、俺の体格じゃ入らねぇだろ」
「だなぁ……」
オヤジさんは深く嘆息しながら同意した。が、まだ売るのは諦めていないらしい。
「なら、恋人にプレゼントとしちゃどうだ?」
オヤジさんは卑猥とも言えるニヤケ顔で、小指を立てる。
「見てのとおり旅の冒険者だぜ。送るような相手がいねぇよ」
「兄ちゃんみたいなイイ男がそりゃもったいねぇ」
人生損してるぞ、と自分のことのように嘆くオヤジさんであった。
「余計なお世話だ。しかし、こりゃマジで見たこともねぇ生地だぜ。それに、この縫い目の正確さと言い、どこのどいつの作品だ?」
「それが良く分からんのよ。値段のせいもあるんだが、それも売れない理由だな。一年くらい前に、できるだけ高く買ってくれって言われて、訳有りみたいでかなり切羽詰ってる様子だったから、俺も、物がかなり上等だし、珍品愛好家になら簡単に売れると思って、それなりの値段で購入したんだが……」
下唇を剥き出しにしながら肩をすくめる。
「ま、今まで売れ残っちまってるって時点で察してくれや」
「どこで手に入れたんだ?」
「何だ。気になるのかい?」
ニヤリと、ならやっぱり買わないかと顔で言うが、リドウは請合わなかった。
「気になると言えば造り手が気になるがな、特に目的も無くぶらりと流れてるだけでなんで、どうせなら次の目的地を決める切っ掛けになるかと思っただけだ」
「ログサイスだよ」
意外にも、オヤジさんは勿体つけることはなく、あっさりと口を割ってくれた。
「ログサイス共和国のイーサンで手に入れた。ただな、これを売った奴らは、どうも冒険者になるための資金として売りたかったみたいだし、そこに行っても会えるとは思えないぞ?」
「切っ掛けになっただけで十分だ。会えなくても別に構わねぇさな」
「そうか」
ふーんと相槌を打ったオヤジさんは、そこで再びニヤリと笑う。
「ところで、情報料に何か買わないか?」
「ちゃっかりしてやがる」
リドウはふっと笑って……
「なら、これを貰おうか」
再び女子制服を手に取った。
「お、ホントか? 結局買ってくれるのか?」
とても嬉しそうに顔満面に笑うオヤジさんである。
「連れにこんくれぇの体格の女も居るんでな、そいつにくれてやるとするさな」
本音は、少女たちにも実物を見せて確認させるべきだろうという考えと、これを売った相手が本当に日本人だった場合、これがあった方が多少は探しやすいだろうと考えたのもあった。
実は最初から購入する気ではあったのだ。が、別に理由を真っ正直に話す必要はないし、こちらは特に値切るつもりは無いが、ただでさえ気軽に購入するにはそこそこいい値段なのに、もし値段を吊り上げられでもしたら厄介なので、こうして勿体つけていたのである。
「なんだ、やっぱいるんじゃねか、コレ」
と、にししと笑いながら小指を立てる。
「生憎だが、俺の女じゃねぇよ」
お金と商品を交換しながら言うリドウであったが、オヤジさんは全く信じてはいない様子で、最後までずっと意地悪げに笑っていた。
リドウに逃げられてしまい、結局発見できなかったベアトリクスは、ファーゼを半ば強引に相手にして、女性向酒場でお茶をしていた。
「あの、お嬢様? 僕、遊びに行きたいんですけど……」
「どうせナンパだろう? お前の毒牙からか弱きご婦人方を守るのも、主たる私の役目だ」
人生を適当に面白楽しく過ごせればそれで満足なファーゼくんは、女性との逢瀬こそ人生に潤いを与えてくれるというのが持論であるらしい。
(いつもなら、面倒なことにはならない程度にしておけ、とか放って置いてくれるのに……いくらご機嫌麗しくないからって、僕に当たられても困るんだけどな)
ファーゼが心中だけでぼやく。ベアトリクスはリドウに振られてしまった腹いせに、部下のファーゼが色恋に耽るのを邪魔しているのだ。付き合いの長い彼にしてみれば丸判りだった。
この二人、ぱっと見ならば、並んで座っていると美男美女で非常にお似合いなのだが、本当に欠片も恋愛関係にないのだ。それぞれに立場があり、公式の場ではそれに則った態度を取らなければならないが、幼い頃から気心の知れた友人として、性別を超えた関係を築くことに成功した稀有な例であった。
ぶっちゃけ、お互いにお互いを、友人としては得がたい人間だと思っていても、両者共に恋愛相手としては自分の好みから大きく外れているのであった。
ファーゼは嘆息しつつ紅茶を一啜りしてから、彼にしか判らない程度にぶすっとしているベアトリクスへと口を開く。
「お嬢様。今の内にご忠告差し上げますけど――リドウくんは諦めになった方がよろしいんじゃないですか?」
「何だと?」
ぎろっと睨んでくるベアトリクスに、ファーゼは両手を広げる。
「無理ですよ。無理無理。ハイエンドにしたって、彼は明らかに特有種すぎる。あのお美しいお嬢様方と彼の関係を一度でもお目になされば、お嬢様にお分かりにならないはずがないでしょう? 自分の方が圧倒的に優位な立場に在りながら、あれだけの美人さん方の誰一人として手も付けずに、これまでやって来たような男ですよ。特に一条嬢は別格だ。お嬢様ですら分が悪く思えるご婦人にめぐり合ってしまうなんて僕も思いませんでしたけど……誘惑の類が通用する相手なら、とっくに彼女とどうにかなってたはずです」
黙して聞いているベアトリクスを他所に、ファーゼは紅茶で喉を湿らせてから続ける。
「それ以外で気を惹こうにも、普通の人間が提示できる条件なんて、彼にとっては何の魅力もない。何せ彼は正真正銘のハイエンドだ。金なんて自力で幾らでも稼げるし、その気になれば一から国を興すことだって平然とやってのけますよ」
「だろうな。しかも、リドウ殿には間違いなく類稀なカリスマ性が備わっている。勇壮と先頭に立つ彼に付き従う人間など幾らでも出てくることだろう」
「やっぱり、お嬢様だってとっくにご理解されてるじゃないですか」
「無論、そんなこと、今更お前に言われるまでもない」
「ならもう諦めましょうよ」
ため息混じりに説得する。どうしてため息が混じってしまったのかと言えば、肝心要のお嬢様は、それらを十二分に理解していながら、欠片も諦める様子が窺がえないからだ。
「お嬢様のご家族の方々は優秀であらせられますからね、今はまだお嬢様に好き勝手させて下さってますけど、もういい加減、そう長い時間は許されませんよ、あなたには。リドウくんに意地になってないで、次の候補を当たった方がよろしいんじゃないですか?」
と言うと、ベアトリクスはぷいっとそっぽを向いてしまう。
「嫌だ。私はあの男がいい」
「そんな可愛く言っても、僕には無駄ですからね。って言うか、お嬢様には似合いませんからね」
色々が気に入らないベアトリクスは、むすっとしながらファーゼの方を向き直る。
「あの男が手に入らないなら、他の誰と結婚させられても私にとっては大して変わらん」
ファーゼは今度こそ、肺の中身を全て吐き出すように、深いため息を吐く。
このお嬢様は一度言い出したら滅多に意見を翻さないが、今回の一件に関してはいつもとは更に訳が違いそうだな、と。
まあ、ファーゼには何となく、付き合いの長さ故にその理由も察しが付いていた。
ベアトリクスのような女にとって、リドウのような男は貴重を通り越しているほど希少なのだ。
おそらくは一条千鶴もそうなのだろうとファーゼは思うが、彼女たちのような人種は、男に合わせて自分を変えるということが“できない”。故に、恋愛対象となり得る男に必要とされる要素は、まずもって『独占欲の無い男』でなくてはならない。
浮気を許容してくれる、という意味では断じてない。常人が容易に真似ることができない生き方をしている自分を丸ごと肯定してくれる、という意味だ。
男と女ではどうして男の方が強い。故に、男という生き物は女にか弱さを求める。自分が強い立場に在らなければならないからだ。強い女であっても、自分の前でだけは弱さを曝け出し、甘えてくれる――そんな女であれば、むしろ自尊心を盛大に満足させてくれることだろうが、この女どもはそうじゃないのだ。人間として、常に強く在れるものではなくても、彼女たちは「たまに弱さを見せちゃう私って可愛いでしょ?」という女では決してないのだ。
別に、男の方が『強い』必要性は、この条件には全くの皆無だ。例えば、確かな強い絆でお互いが結ばれていて、それでいて彼女たちが好きなように生きることを許してくれるなら、それだけでいい。しかし、男としてのプライドが、それを間単には許してくれないだろう。
女が自分の庇護下に在ることで優越感を満たす普通の男たちでは、彼女たちは絶対に扱いきれない。彼女たちの生き方に劣等感を刺激されるようでは話にならない。それこそ、「何チャラと俺とどっちが大切なんだ」という、男女の立場が逆だろと言いたくなる言葉が口から出て来るようでは論外だ。
それに、男が女に弱さを求めるように、女だって男に強さを求める生き物だ。並みの人間ではない彼女たちすら圧倒できる男で、女は男の従属物だという傲慢さとは無縁の男など、広大な砂漠の中に紛れた一粒握りの砂金を探り当てるようなものだろう。
そして、ファーゼが己の人生の中で初めて出会ってしまった、その条件に当て嵌まると一目で判ってしまった男がリドウであった。
(あんな男が本当にこの世に存在してるなんて、何かの冗談としか思えないよ。貴族じゃないって本人は言うけど、あれだけの戦闘能力を持ちながら、あそこまでの気品と知性を兼ね備える平民って、本当に何の冗談だっての。貴族じゃなくったって、絶対に普通の育ち方をしてきたわけじゃないでしょ。実はどこかの大商人のご子息なんじゃないの? それも、国ですら顔色を窺がわなきゃいけないような桁違いの、さ)
己の仕える姫様が拘るのも仕方ないと、ファーゼは思う。
戦闘能力という観点だけではない。部分的にはベアトリクスが、そして一条千鶴だってリドウより上回る部分はあるだろうが、あらゆる分野に得点を付けて、この二人をリドウと総合的に比較した場合、まずリドウに同点以上の点数が付くだろう。その中でも戦闘分野で跳び抜けて大きい差が付いての結果なのは間違いないだろうが……。
(ホント、面倒な人たちだよねぇ――うちの姫様も、一条嬢も……特にリドウくん……)
人生なんて適当に面白楽しく過ごせれば十分じゃないかと考えるファーゼらしい感想であった。
「ま、僕としても、お嬢様にはとっととご家庭をお持ちになって、落ち着かれてほしいとは非常に強く思うところですが?」
と手のひらを仰向けにして肩をすくめる。
「無理なものは無理ですよ。彼は絶対に無理です」
「そう決め付けずとも良かろう」
と、意味深に唇を歪めるベアトリクスに、ファーゼが目を細める。
「何か、ご自分に有利な要素でもお有りになるんですか?」
「あの娘たちだ」
「はぁ……?」
ファーゼは要領を得ない様子で相槌を打つ。
「“向こう側”が何を思って彼女たちを召喚したのか、今のところ明白に何と根拠を謳えはせんが、大それた目的が何も無い、などというつまらん落ちはあるまい」
「まあ、特に否定はしませんが」
「ならば、これから先、ルスティニアは荒れるぞ? 彼女たちの目的からしてみれば、彼女たち自ら望んでその渦中へ身を投じるのは必至。リドウ殿にそれを見捨てることはできぬであろうな。となれば、私の存在は彼にとって大いなる助けとなることが可能だろう」
「お考えは良く理解できますが、お嬢様に許された時間に間に合ってくれるかは怪しいところですよ、極めて」
「そこは賭けだな。混乱を望んでいるわけでは断じてないが、どうせ起こってしまうならば、私に好都合なよう利用できるだけさせてもらおう」
ベアトリクスは優雅にティーカップを傾けると、軽い音をさせてそれをテーブルに置きながら、柔らかく目を狭めた。
「分の悪い賭けは嫌いじゃないよ、私は」
「お嬢様、楽しんでますね?」
「とても」
どこまでも涼しげな顔付きでのたまってくれるお姫様であった。
ファーゼは手のひらで己の顔を覆って天井を見上げる。
(姫様の悪い癖が出たね……)
ベアトリクスは生まれながらの勝者だった。誰もが羨望の眼差しで見てしまう美貌と、常人では背中を見ることすら敵わない能力を生まれ持ち、しかもそれに驕ることなく自らを優秀たれと様々な面において絶えることなく鍛え続けてきた。加えて紛うことなきお姫様にあらせられる。
ベアトリクス=ファン・クラウンディにとって、勝利とは得て当たり前の事象であった。
だからと言って、たまには負けてみたいなどとは考えない。常にガチで勝ちに往くのがベアトリクスという女だ。しかしながら、その過程が困難な条件であればあるほど楽しんでしまうのが、またこのベアトリクスという女でもあった。
自分が不利なほど燃えてしまう、ある種マゾ的な気質の持ち主なのだ。
もっとも、似たようなことはリドウたちにも言えてしまうのだろうが……
(これだから闘士は手に負えないんだよねぇ……)
ファーゼはうんざりと言わんばかりの顔で、己の仕える姫様を見やる。すると涼しげな美貌が、お前が何を考えたか分かってるぞ、と目で無言の内に物語ってくれる。
降参です、と両手を広げるファーゼであった。
シャイリーという少年にとって、女装とは単なる趣味ではなく、幾つかの理由によって成り立つ行為であった。
最大の理由は敵を油断させるためである。強い相手とのガチバトルを至上の楽しみとする彼であったが、“自分の外見だけで油断する程度の相手”であれば、油断している内に沈めてしまう。負けることが好きなわけでは決してなく、逃げることはもっと嫌いで、格下を殺すことは大嫌いな彼にとって、適当に殺さず退けるには最良の方法であった。
そしてもう一つ挙げられる大きな理由がある。
別に、以前にほざいた『可愛い自分をより可愛く見せるため』ではない。ぶっちゃけこれは洒落以上の意味はなかった。
正解は――女よけ――だ。
シャイリーは普通に男の子の格好をしていれば中性的な極上の美少年なのだ。幼い頃から、年上のお姉さま方からはやたらとモテていた。が、実のところ、どうにも彼は女という生物が苦手だった。
彼女たちは集団になると、途端に強気になる。別に女性に限ったことではなかろうが、男性よりもそうした気質が強い傾向は否定しきれないだろう。
それがうざくて、強引に振り切ろうとすると、今度は「男なのに女に暴力を振るうなんて!」と一方的にこちらが悪者扱いされてしまう。
じゃあ一方的に玩具にされてろとでも言うのかとシャイリーが思っても、彼女たちにそんな理屈は通用しない。ひたすら一方的にこちらを悪者呼ばわりするばかりで、そこには自分が納得できるだけの論理など微塵も存在しないのだ。
そういう事例が繰り返される内に、彼は女嫌いにこそならなかったが、「女の人って面倒」と思うようになってしまった。
その点、男相手であれば多少やり過ぎても、そう滅多なことで文句は出て来ないし、シャイリーの精神的にも、女より男の方が叩きのめし易かった。
そんな彼が生まれて初めて自分から興味を持った女性が居た……一条千鶴である。
目にした瞬間、ちょっとナルシスト入っていると自覚する彼が思わず見惚れてしまった。そして、座っている姿を視ただけで判ってしまった――強いな――と。
闘ってみたいな、と思った。でも女の人だしな、とも思った。
だから、ちょっと話しかけてみて、様子を見てみようと考え、声を掛けてしばらくすると……現れたではないか、一目で今の自分では到底及ばないと思える男が。しかもその男は武術家としての素晴らしい眼力を以って、自分の正体を見破ってしまった。
すぐにシャイリーの興味心が千鶴からリドウへ移り変わった。
苦手な年上の女の人が三人も引っ付いていたが、リドウが上手に捌いていたし、今までシャイリーが見知っていた女の人たちと、彼女たちはそもそもあまり似ていなかった。
その原因もすぐに判った。千鶴は明らかに自分の同種であったのだ。恵子も、闘う者でこそないが、かなり近い雰囲気だった。
そして、愛奈である。
彼女は極々普通の、シャイリーが苦手とする部類の女性であった。
が、彼女は頑張っていた――皆に負けないように、皆について行けるように。
恵子が居るように、愛奈が闘士に成る必要はない。才能の有無の問題ではないのだ。むしろ高坂愛奈は、闘士に成るべきではないと、シャイリーは思う。
強く成ることと闘士になることは決してイコールではない。高坂愛奈に殺しは向かない。殺せる強さなんて持たなくていい。“何があろうと殺さない強さ”こそ彼女は得るべきだ。
そして、どうしても殺さなくてはならない場面があるようならば……その時は自分が……。
(僕も普通に男だったんだねー……守ってあげたい、とか思うなんてさ)
愛奈に群がるナンパな視線を、自分が殺気混じりの視線を送り返すことで人知れず撃退しながら、シャイリーは無邪気に歩む彼女を、くすりと微笑しながら見つめる。
「どーかしましたか?」
「ううん」
無邪気さながらに小首を傾げる愛奈に、シャイリーはいつものニコニコ笑顔で応じる。
今はまだ、シャイリーにとって“その時”ではないらしい。
シャイリーがこう思うようになったのは、もう一つ理由……と言うか、原因があった。
この一味の中で、愛奈だけが少し浮いている。
例の『種族的な問題』ではない。リドウに傾倒しているかいないか、だ。
元来が遠慮がちな少女だからなのだろうが、恵子や千鶴に遠慮して、愛奈はできるだけあの三人に溶け込まないようにしている……ように、シャイリーの目には映る。彼女本人に自覚は無いと彼は視ているが、多分にその傾向が垣間見える。
だから余計に、自分が守ってやらなくてはと思ってしまうのだ。
(女装、止めようかな……)
ふと思うが――
(でも、この格好だから愛奈ちゃんも緊張せずに僕と一緒に居られる面はあるだろーし……)
悩ましいところであった。
夜。
リドウが持ち帰った代物に、少女たちが一様に真剣な顔付きを見せていた。
千鶴が制服を手に、あちこちを調べている。
「名前は書いてないわね……」
当てが外れて嘆息する。
「その服には名前を書くもんなのか?」
だったら、男子用の方も買っておくべきだったかと、リドウが独りごちている。
「今時制服に自分の名前を書く子の方が珍しいでしょ」
と、恵子が仕方ないと告げる。
「で?」
千鶴が、何か手掛かりになる情報も仕入れているのだろうと、リドウをせっつく。
「ログサイス共和国のイーサンだ」
「ログサイス……?」
リドウ一味のやり取りを黙って眺めていたベアトリクスが、難しげな表情でぽつりと疑問の声を発した。
「それはまた、厄介な国に流されたものだな」
「ですねぇ。よりによってログサイス共和国とは……」
ルスティニア貴族組がしみじみと零す。
「共和国ということは、民主制度の国なのかしら?」
「確か、主権が民間に存在する政治制度のことだったな?」
「あら、ご存知でしたの?」
「勇者のもたらした知識の中には、我々リリス教側に流れてきたものもあるのでな」
ベアトリクスが淡々と説明してくれる。
「このアイルゼン大陸では、東の我々リリス教側と、西のロンダイク聖教側で真っ二つに分かれている。ログサイス共和国は丁度その境目にあるロンダイク聖教側の国だ」
「地球とは逆……なのかしらね」
千鶴が顎先を指で摘みながら軽く首を傾げる。
「と言うと?」
「地球では自由と民主の象徴が西側で、権威と強制の象徴が東側と、歴史的にイメージ付けられているのよ」
「西側に良いイメージが印象付けられているということは、西側が勝ったのだな?」
「そうね。どちらが真に正しい、というものではないでしょうけれど……」
「勝利した側が歴史を作るのだ。正否の有無を位置づけるのは後の歴史家に任せておけ」
「その通りね」
本当に気が合うのか合わないのか、いっそはっきりしてほしい。
「それに、我々リリス教側が自由の象徴というものでもあるまい。むしろ、民主制度を謳い文句にした国はロンダイク聖教側の方にこそ存在する」
「へえ?」
千鶴が興味深そうに相槌を打つ。
「でも、それってまともに機能してるんですか?」
唐突に恵子が割り込んできた。
ベアトリクスは、失礼ながらあまりそういった話が得意そうではないと思っていた恵子の予想外の発言に、彼女を面白そうに見つめる。
「どうしてそう思う?」
「あ、いや……別にあたしが考えたわけじゃないんですけど……」
「構わん、言ってみろ」
恵子は一瞬の躊躇いを見せたが、ベアトリクスが首を振って促すと、おずおずと口を開いた。
「民主政治をやるには、まず最初に、国民の全員が最低限の知識を学べる環境が必要で、それは今のルスティニアじゃ不可能だって、あたしに教えてくれた人が言ってました」
「その方は素晴らしい見識の持ち主だな」
何せあんた方が崇め奉る女神様ですからねぇ……と恵子は心の中でだけ呟く。
「まさしくその通り。現在のルスティニアでその選択は不可能に近い。が、召喚された勇者の中にはそれが理解できん輩も存在したのだよ」
「何となく理解できてきたぜ」
「私もよ」
リドウが煙管片手にぼやくと、千鶴も脱力しながら続けてくれとベアトリクスへ促す。
「連中には自分が進んだ世界で生きてきたという自負があったのだろうな。実際、その民主主義という制度が正常に機能するためには、ある程度文明的に進んでいる必要性があるし、全く間違ってはおらんのだろうが……だからと言って、連中の政治的認知度が我々よりも優れているという証明にはならん。連中は民主制度を取り入れればより良い国になると単純に考えるだけで、そのために必要な最低限度など頭からすっ飛んでいたのだ。そこら辺をきっちり理解している連中は、おそらく初めから何も口にしようとはしなかったのだろう」
ベアトリクスは一拍置くと共に、ティーカップを傾ける。
「ただでさえ連中は『選ばれし勇者』だ。文明に劣ったルスティニア人を自分が導いてやらねば、と考えた輩も少なくはなかろうな」
実際のところは知らんが、とベアトリクスは小声で付け加えた。
しかし、「ああ、それは居そうだなと」少女たちは胡乱に思う。先日出くわしてしまった勇者などはその典型っぽかったし。
「しかしな、所詮は現状を認識せず、短絡的な英雄願望から発生した行動だ。少なくとも私の目から視て、現状でまともにその民主制度とやらが機能している国は一つとして存在せん。中には名称が王族と言わぬだけで、実態は初代総統たる勇者の血筋だけが崇められている独裁国家に落ち着いた国もある。が、それでもまだマシな方でな……」
馬鹿らしいとばかりに肩をすくめてみせる。
「その英雄願望を権力欲旺盛な貴族どもに利用され、煽て持ち上げられた挙句、民を味方に付けるという根本的な行動を忘れ、元凶たる王族を抹殺してしまえば全てが上手く行くと考え、実行し――結果、逆賊の汚名を着せられ、貴族どもに粛清された本物の馬鹿も居る」
死んだ人間に対して酷い言い草だが、ベアトリクスからしてみればそうも言いたくなるだろうと、少女たちは乾いた笑いを浮かべてしまう。彼女たちが聞いても、悪いが酷い話だ……その勇者の馬鹿さ加減が。
と、ベアトリクスが今までよりも真剣さを増した表情で少女たちを一人一人眺める。
「お前たちに頼みがあるのだが……」
少女たちがそれぞれに、疑問の声と共に応じる。
「この手の話を庶民の前でするのは控えてほしいのだ」
「それは、余計な知恵をつけられると困る、ということかしら?」
「聞こえは悪いが、その通りだ」
千鶴の飾らない言葉に、ベアトリクスは憮然と応えた。
「私個人としては、民主制度というものに特段忌避感は無い。時代が許すならば素晴らしい思想ではあるとも思う。が、庶民に“それ”が理解できるとは……これも酷い言い方ではあるが、愚昧な大衆にそれは望めん」
「でしょうね」
冷静に肯定する千鶴とは別に、他の少女たちは少し顔をしかめている。
「人民が主導する平等な政治。それ自体は非常に結構な話だ。だが、先も言ったように、現在のルスティニアでそれは不可能だ。それを理解せずに強行しようとした勇者どもよりも、この世界の一般人の政治的認知度は更に落ちると理解してくれ。彼らにとって『人民が主導する平等な政治』とは耳に凄まじく心地良いものであろうが、そこに必要とされる何もかもを彼らは考えすらせぬだろう」
「余計な混乱の素になるだけでしょうからね」
「理解が早くて助かる」
千鶴の言葉に肯いたベアトリクスは、そういうことだからと恵子や愛奈にも言い含め、彼女たちは確かにそうだなと、こちらも神妙に肯いた。
「話を元に戻すが、ログサイス共和国はその最悪な例の一つなのだよ。勇者が粛清された後、散々に内戦をやらかし、これ以上は自国の維持に支障を来たすという境界線までやらかして、ようやく貴族主権の共和制に移行した国だ」
「貴族連中が横暴に幅を利かせてそうだねー」
「それが意外にもそうではなかったりする」
シャイリーがうんざりした様子で相槌を打つが、ベアトリクスは少なからず楽しそうにそれを否定した。
「内戦によって貴族どもの力が大幅に減少し、民間の力を無視できなくなってしまったのだな。結果的には粛清された勇者の望んだ通り、民衆の力は相対的に増大した」
「それの何が最悪なんですか?」
愛奈が心底意味が分からないと、頭上にクエスチョンマークを沢山こさえている。
「言ったであろう? 民衆とは得てして愚昧なのだよ。連中は権利は望んでも義務は望まん」
「別にルスティニアに限りはしないわ、そんなの。こちらの国はそれこそ民主国家ですけれど、一般大衆の反応は似たようなものだわ。権利の減少と義務の増大にアレルギー反応を起こさない人間の方が少ないわよ」
「いくら文明が進んでいようが、所詮は人間ってことだな」
「そんなものだろうな。権利と義務、この両者は等価値であるべきだが、連中にそれは理解できん。欲に目が眩んで我が身を滅ぼしかけたログサイスの貴族どもも大概だが……」
瞳を閉じ、声が常よりも厳かになる。
「あそこを見ていると、今のルスティニアの民衆に統治の手を委ねることはできんと、統治者として切実に思えるぞ。統治能力に欠如した貴族どもには、民衆を抑制することができなくなったのだ。結果、国とは名ばかりの無法地帯と化した。未だにログサイス共和国として国の名が残っているのは、単にちょっかいをかけるだけの利が見込めんからでしかない」
「そんな国だとは俺も知らなかったな」
リドウも難しい表情で煙を吐き出す。
「そんな国に、よくあの商人は商売に行ったもんだな」
そう悪い男には見えなかったが、とリドウは不思議そうに言う。
「無法地帯故に、異国では法に触れる商品なども横行している。利に聡い商人たちにとっては、むしろ御用達のお国柄でもあるのだ。無論そうした品を持ち込めば税関でしょっ引かれるが、我が国では違法だが、異国では合法という品もある。無論、その逆も。あの国を経由すれば、違法の国を避けることがかなり容易になるのだ。更に、税関も殆ど存在せんのと変わらんからな」
「そっちの方が、商人にとってはデカそうだな」
「一国分とは言え只抜けできるからな。商品の護衛に冒険者を多めに雇っても十分に釣りが出る計算だ」
そこでファーゼが、ちょっといいかなと挙手する。
「キミたちに訊きたいんだけど――」
と見ている相手は日本人少女たちだ。
「日本人って、キミたちくらいの容姿が標準なのかな?」
少女たちは互いの顔を見合わせた後、代表して千鶴が答えた。
「自分で言うのもなんですけれど、私たちは美人の部類でしょうね。でも、ルスティニアで暮らす一般人よりもいい暮らしをしていたおかげで、日本人としては標準くらいでも、おそらくこちらでは美人として見られている可能性は高いと判断するわ」
「正直なご意見ありがとう」
ファーゼは普段のニヤケ顔が嘘のような厳しい顔付きになる。
「言うまでもないと思うけど、ログサイスはご婦人に優しい国とは間違っても言えない。今更かもしれないけど、急いだ方がいいかもね」
女タラシ故に『女性には優しく』がモットーな彼らしい意見だった。
少女たちは自分たちも厳しい表情になり、互いの顔を見合わせて頷いた。
が、リドウも難しい顔で、しかし彼女たちとは違う意味でそのような表情になってしまっていた。
「そんな国にこいつらを連れてくのか?」
心底嫌そうに煙を吐き出しながら言う。
「どうしても通らなきゃならねぇってならともかく、冗談じゃねぇ」
「まさか、見捨てるなんて言わないでしょうね?」
千鶴が険悪な目つきになるが、リドウは特に感じ入った様子もなく、煙管を左右に振って否定する。
「そうじゃねぇよ。俺と、お前さんだけでも十分だろ」
「え?」
「ちょっとっ、何でよ!?」
一転して嬉しそうな顔になる千鶴と、思い切り食って掛かる恵子であった。
「本人の確認のためにもお前さんらの誰かは必要だが、お嬢と愛奈はシャイリーと一緒に残れ」
「そーゆーことなら千鶴よりあたしの方がいいわよ。千鶴は友達付き合い殆ど無かったでしょ?」
「悪かったわね」
余計なお世話よと、珍しく拗ねた様子を見せる千鶴であった。
そんな中、愛奈がおろおろと落ち着き無く迷いを見せてもいた。そんな場所に行きたくはないが、自分も役に立ちたいという内心の葛藤が、素直な彼女らしく表に出てきてしまっていた。
シャイリーがそれ目にし、くすっと唇を綻ばせる。
「結局さ、いざって時に対処できるかできないかの問題なんでしょ?」
「まあな」
「別にリドウさんがみんな抱え込まなくてもいいよ。千鶴ちゃんは自力で大丈夫だろうし、リドウさんは恵子ちゃんにだけ注意してればいいよ。愛奈ちゃんは僕が請け負うから」
「へ?」
「ほう?」
自分を守ってくれると言うシャイリーに、愛奈はきょとんと目を瞬かせる。
そしてリドウは、面白そうに相槌を打った。
シャイリーはいつものニコニコ笑顔で、からかいの視線を投げ掛けてくるリドウを平然と見つめ返していた。
「いいだろう。なら、全員で行くか。レディたちは……」
「無論、共に行く」
「お嬢様がそう仰るのなら、僕も行かないわけにはねぇ……」
やれやれと、ファーゼが既に疲れた様子で肩をすくめている。
こうして一同は、次の目的地をサークライド皇国から、一時的にログサイス共和国へと変更することと相成った。




