第三十七話 早朝ドラマ
明くる朝。
いつもより少し早めに目覚めてしまった恵子は、顔を洗おうと一人で洗面所にやって来ていた。水道などという便利な代物は無く、安宿であれば自分で水を酌んでこなければならないが、それなりの高級宿屋であるここでは、綺麗な水が大きな桶に常備されているので、まだマシな方だろう。
そんな彼女は、鏡を前にして、そこに映る自分自身の顔と睨めっこをしていると、
(あたし……可愛いわよね)
思うことは、傲慢極まりない自画自賛であったらしい。誰も否定したりはしないだろうが、自分で言うことでもないだろうに。
もっとも、内心では自分を可愛いと思っていながら、他人には「えー? 私なんて大したことないよー」きゃるるん☆、とかほざくよりは格段にマシだろうが。謙遜は美徳だろうが、その本音では「あんたなんかと比べるな」と思っていたり、ましてや「あんたさえ居なければ私が一番なのに」とか思っていたりするよりは遥かに健康的だ。
麻木恵子という少女は自分の美貌が優れていることをきっちり自覚しており、たとえ自分よりも相手の美貌が優れていようが、それを理由に相手を妬んだりはしない。これも一種の『自分が如何に優れているかを自分自身知って』いて、『自分が世界一優れている必要はない』という毅然としたプライドの表れだ。
大きな胸には一方ならないコンプレックスがあるらしいが……彼女は一条千鶴の人間離れした美貌を忌々しく思ったこともなければ、愛奈が痩せて可愛くなったことを不条理に思ったことも一度としてない。相手の容姿に対して文句をつけるとしても、それはいつでも『胸』の一事だけだ。
まあ、自慢に思っている美貌を馬鹿にされて黙っているほど、大人しい女でもないわけだが。
恵子は鏡を見つめたままで、はぁと深いため息を吐く。
(あいつ……)
そして思うことはリドウのことであった。
(あたしのこと、ホントはどー思ってるんだろ)
と考えた所で、彼女は頬を朱に染めながら首を横にぶんぶんと振る。
(違う違う! そーゆー意味じゃなくって!)
誰に言い訳しているのか知らないが、一人百面相で遊んでいる様は、もし見物人が居たならば、彼女の愛らしさと相まって、十分に見物であったことだろう。
(少しは見分けつくよーになってきたとか言ってたけどさ……公平に見て美人だ、とかも言われたことはあるけどさ……)
面と向かって可愛いとか美人だとか言われた覚えはない。
千鶴のことは、リリステラと外見だけで勝負できそうな初めて見た女で、ベアトリクスは、美人を見慣れてる自分から見ても素晴らしい美人……だ。
(いや……別にあいつに美人だって何が何でも思ってほしーわけじゃないけど? 何てゆーか……プライドが、ねぇ……?)
それが確かな本心なのか、それとも嫉妬心を隠すための言い訳なのか。
無論、彼女は前者であると自分では固く信じている。
そんな彼女であるが、再び深く嘆息している。
(やめやめ。これ以上考えてたら、イヤな子になっちゃいそーだもんね)
鏡に映る自分の顔を笑顔にして、「よし、可愛いぞ、あたし」と声に出して自分を褒めてあげる。
こうやって自分を褒めてあげるのが、彼女なりに美貌を維持する秘訣であった。
彼女は可愛い顔に生まれてはいるが、それに奢ってより可愛くなるために努力を惜しんだつもりはない。自分で自分を本心から可愛いと思ってあげられるということは、イコールで努力を怠ってはいないという、自分自身へのご褒美なのだ。他に大した取り得がないと、少なくとも自分では思っている彼女にとって、唯一生まれ持った他人より秀でている部分をより伸ばして上げたいと考えるのは別に悪いことではないだろう。
恵子は美貌を維持するのに「特別なことなんて何もしてないよ」なんて言わない。胸を張って「ちょー頑張ってる!」と言い切れる。もっとも、この世界に来てからは食事制限は難しくなり、毎夕していたランニングはそもそも必要無くなってしまったが、代わりに日々体力の限界に挑む徒歩の旅と、若干の逃げ技の鍛錬もしている。
世の中には、例えばアイドルという職業についていながら「私なんて大したことありませんよー」きゃるるん☆、などとほざく女も居るが、恵子から言わせれば「バッカじゃない。自分が可愛いと思ってるからアイドルになったんでしょ?」であった。ましてや、顔が商売道具であるというのに、より可愛くなろうと努力もしないアイドルなど、アイドルという商売を舐めているだけとしか彼女は思えない。まあテレビという衆人環視の中で堂々と「私って可愛いですから!」と言えてしまえるアイドルもそうそう居ないだろうが。
恵子自身は、自分の容姿に多大なお金をかけるのはあまり好きじゃない。そんなお金も持ってないし、あったなら他に幾らでも使いたいことがあった。
だが女優やモデルやアイドルであれば「商売道具に投資して当然でしょ」と思っている。美容整形ですら、「それで売れるんなら別にいいんじゃない?」と本気で考えてる。あのアイドルは可愛い、もしくはカッコいいよね、と“外見第一”でファンになっておきながら、整形してたと聞いた途端に手のひらを返せる感覚が、彼女には全く理解できなかった。恵子だって、今は道具が無いので常時スッピン――それで道行く男が皆振り返る可愛さである――だが、軽いお化粧くらいはしていたのだから。自分を偽っている、というまで後ろ向きな考えは持っていなかったが、自分以外の力によって自分を美しく見せようとしていることに、何の違いがあるのだろうかと彼女は思う。
だから麻木恵子は、自分が可愛いという事実を平気で口にするし、謙遜したりはしない。そうした姿勢が鼻持ちならないと思われて、同性の一部からはかなり嫌われていたが、清々しくて逆にいい、と友人たちからは概ね好評だった。
そう、友人たちから……。
「早く、見つけなくちゃ……」
鏡の中で真剣な顔をしている自分に、恵子は強く言い聞かせるのであった。
愛奈はベッドから起き上がり、うーんと大きく背伸びをしながら、更に巨大に突き出す胸部をたゆんと揺らす。
その時、恵子の姿が見当たらないことに少し疑問を覚えたが、別に深く考えるほどのことでもないと、未だぐっすりお休み中の千鶴に近づいて行く。
実はこの千鶴さん、寝起きが凄まじく悪い。愛奈は一緒に旅をするようになって知った事実だが、いつでも凛とした雰囲気の千鶴にしては意外な弱点だなと彼女は常々思う。
「千鶴さん、朝ですよー。起きて下さーい」
と千鶴の体を揺すってやる。こうでもしないと中々起きてくれないのだ。
普段の旅道中に野宿をする時はなぜだか不思議とぱっと起きられる千鶴なのだが、ベッドで横になった時はご覧の有り様であった。宿では何で起きられないのか疑問を発したこともあったが、危機感の問題だろうと、千鶴からは憶測混じりのお答えが返ってきたものだ。
「うー……」
千鶴は小さく呻きながら寝返りを打って、愛奈の逆を向いてしまう。麗しい黒髪がさらりと流れ、寝巻き用の薄着から瑞々しい肌が大胆に毀れた。
(……男性にはとても見せられませんね。何ですかこのハンパねぇ色気は。これで十八歳とか反則過ぎますよ。こんな千鶴さんを見た日には、普通の男性なら自分から理性を産廃処理場にポイ捨てして犯罪者に一直線でしょーね)
普通、とわざわざ付けたのは、その稀有な例外を若干二名ほど知っているからだが……具体的には旅の連れである肉食系色男と美少女にしか見えない男の娘である。
(ああ、でも……あのお二人でもこんな千鶴さんを見ちゃったら、流石に少しくらいは理性が緩んじゃいますかねー……)
それはともかく、千鶴もようやくお目覚めだ。
「おはようございます」
「おはよう……愛奈ちゃん……」
半ば呻き声であった。まだ半分眠っているのか、眉間を指先で摘みながらほぐしている。
千鶴はそのままで、声だけで愛奈に礼を告げる。
「いつも悪いわね」
「お礼を言われるようなことじゃありませんよ」
それに、こんな些細なことで返せるほど、自分が千鶴に絶賛増産中の借りは安くない、と愛奈は心の中でだけ呟く。そういう言われ方をしても、千鶴は全く喜びはしないだろうから。
その後はてきぱきと服を着替える二人であったが、着替え終わった愛奈がおもむろに切り出した。
「それにしても、何だか面倒なことになっちゃいましたねー」
「ベアトリクス殿下……アリスさんのことかしら?」
アリス、というのがベアトリクスの普段使っている冒険者用の偽名で、『殿下』付きだけでなくベアトリクスという名前自体が憚られるため、そう呼んでくれと言われている。
愛奈からは逆側を向いている千鶴の表情を愛奈は窺い知れなかったが、意外にも千鶴の声は平常運転であった。
「何か対策しなくていーんですか?」
「対策と言っても、ね。私たちにアリスさんをどうこうすることができない以上、リドウの理性に期待するしかないでしょう?」
着替え終わって振り向いた千鶴は唇を緩ませる。
「最初はね、『この女は私の敵になれる』と思って反射的に遠ざけようとしたのは否定しないわ。今でも消えてくれた方がいいと思っているのも否定しない。でもね、リドウはあの女の提案を受け入れるわけにはいかないのよ」
昨晩、よくよく考えてみてそう結論付けることができ、安心して休むことができたらしい。
「確かに、王族の仲間入りなんて、明らかにリドウさんのカラーじゃありませんよね」
「まあ、そうね」
愛奈の言葉に千鶴は曖昧に同意する。リドウにはもっと具体的に王族の仲間入りなどできない理由があり、千鶴はそれを知っているが、自分が明かしていいことでもない。
「あの女が王女としての立場を捨て去ってリドウに付いて行くというなら多少話は変わるでしょうけれど、あの女にそれはできないでしょうからね」
「そうは言いますけど、アリスさんが王女としての立場に固執する権力亡者には見えませんよ?」
「そういう意味じゃないわ。あなたの言う通り、ベアトリクスという女を形作る要素に、王女という立場なんて余禄みたいなものでしょうね。けれども、あの女に己の民を見捨てることはできないわ――これは断言できる」
ふっと嫌味無く微笑する。リドウさえ絡んでいなければ、ベアトリクスは素直に賞賛に値する女であると千鶴は思う。自分もそうなりたいと千鶴は微塵も思わないが、ベアトリクスには間違いなく優れた王者としての資質が、カリスマ性が備わっていると千鶴は視る。
「でも……もしリドウさんが好きになっちゃったら……あの人なら掻っ攫うくらい平気でしそーですよ?」
愛奈は、別に千鶴に意地悪しようという気などない。ただ、ベアトリクスは確かに好ましい人柄をしていると愛奈は思うが、友人の恋路とどちらが大切かと言えば考えるまでもなく、やっぱり何か対策した方がいいんじゃないかと強く言っているのだ。
愛奈の中で、千鶴と恵子とどちらに味方するか、それは今のところ選べる話ではなかったし……いざとなったら中立の立場で傍観するしかないだろうとも既に思っているが、ベアトリクスにその中に入って来てほしくは絶対になかった。
しかし、愛奈の心配をよそに、千鶴は笑みを深める。
「そもそも、リドウが他人の意思を無視してまで自分の欲望を満たそうとするとも思えないけれど……」
そうかもしれないな、と納得の表情を浮かべている愛奈であったが、千鶴は更に笑みに攻撃的な色を宿す。
「恵子ちゃんであればいざ知らず、私よりもあの女を優先して考えさせたりなんて――私が許さないわ」
「わぁ……」
冷ややかに笑む千鶴。
愛奈はドン引きだった。彼女にとって、一条千鶴のこういう部分が、この一条千鶴という女を怖いと思ってしまう最大の要因なのである。
ブランカ帝国での一件以降、リドウとシャイリーは基本的に同じ部屋で寝泊りするようになっていた。
最近のリドウは意外にも大人しく、夜に独りで飲みに行くペースは以前と変わらなかったが、朝帰りをするようなことは滅多になくなっていた。どういう心境の変化があったのか、それともただ好みの女に巡り合えていないだけなのか、真意は本人のみぞ知るところだが……。
それはさて置き、この二人の寝起きは凄まじくいい。二人とも、どのような場所でも十分な休息が取れるように、そして何事にも即座に意識を覚醒させて対処できるよう、肉体が訓練されてしまっているのだ。千鶴も戦闘者として肉体を訓練されてきてはいても、この二人の領域にはまだまだ遠いのである。
シャイリーは鏡台の前に座り、就寝時に解いていた輝くような金髪をシニョンにセットしながら、鏡越しに窓際で起き抜けの一服を美味しそうに嗜んでいるリドウを見る。
「ねえ」
「ん?」
その時には、シャイリーの視線は鏡の中の自分に注がれており、彼は手を休めずに髪のセットを続けている。
「余計なお世話かもしれないけどさ、何であの二人に応えてあげないの?」
あの二人とは無論、恵子と千鶴だ。
「本当に余計なお世話だな」
「答えたくない、ってことかな?」
「たりぃ」
窓の外に煙を吐き出すリドウを、シャイリーは鏡越しにちらりと伺って……
「まあいいけどね。でもさ、せめて恵子ちゃんの『お嬢』はいい加減止めてあげたら?」
その台詞に、リドウは鏡に映るシャイリーの目を、眉間に皺を寄せながら見据える。
ちょうど髪をセットし終えたシャイリーは、振り向いて真正面からリドウを見つめ返す。
「前々から、何で恵子ちゃんだけ『お嬢』なのか不思議に思ってたよ。もしかしたら、彼女だけは特別って意味なのかなって思ってたけど、違ったんだね。昨日のではっきりしたよ。いや、特別だったのは違いないんだよね、きっと」
「お前さんも存外、千鶴に負けず劣らず妙に聡くて参るぜ」
しかめっ面で暗に認めるリドウに、シャイリーは笑みを意地悪げなものに変えながら続ける。
「あなたは旅立った当初、まさかこうもあっさり旅の同伴者が増えるとは考えてもいなかった。下手をすれば年単位の時間を二人きりで旅しなくてはならないと、あなたは覚悟していた。その間、ずっとよそよそしい呼び方をしながら旅を続けるのは論外だったけど、気安く名前を呼んでしまったら“距離が一気に縮まって”しまう。そう考えたあなたは、苦肉の策で『お嬢』なんていう、それなりに親しみがあるようで、でも決定的に自分と壁を隔てる丁寧な呼び名を思いついたんだ」
違うか、という目で見てくるシャイリーに、リドウは何も答えずに煙を吐き出している。
「千鶴ちゃんと出会ったことでその意味は完全に無くなってしまった。それでも今まで続けてたのは、単なる惰性が半分、それと今更何の切っ掛けもなく変更してしまったら、それだけで特別感が出てしまうからだね」
「まあな」
今度は声に出して答えるリドウに、シャイリーは満足げに笑みを深める。
「アリスさんをレディと呼ぶのも同じだ。あなたはアリスさんを間違いなく気に入っている。長い付き合いになるかもしれないとも思っている。だけど恵子ちゃんと同じく、精神的な距離は図っておきたい。お忍びのあの人をプリンセスと呼ぶわけにはいかないから、最初から『レディ』で統一してしまえば不自然じゃないだろうと早々に考えて、その呼び名に固執したんだ」
「ご明察」
リドウはシャイリーと視線を合わせようとせず、窓から外に向かって煙を吐き出している。
シャイリーはリドウのベッドまで歩むと、そこを登って、リドウの横まで来て、彼の顔を覗き込む。
「でもさ、あの三人の中で恵子ちゃん一人だけ仲間外れなんて可哀そうだよ。アリスさんはまた原因が別だから話も別としても、恵子ちゃんは普通に呼んであげるのも今なら問題ないでしょ?」
「お前さんが言ったろうが。何の切っ掛けもなく今更変えるのは不自然過ぎる」
「僕はあなたの真意をわざわざ口にするつもりはないけど、もし何かの拍子に恵子ちゃんが知ってしまったら、きっと凄く傷つくよ、彼女。早めにしてあげなよ」
「心に留めておこう」
それぞれに思惑が入り乱れる早朝シーンのその後、特に示し合わせたわけではないが、男性陣と女性陣は階段で鉢合わせ、揃って階段を下りていく。
そしてやって来たロビーには、既にベアトリクスが待ち構えていた。リドウはああ言ったとはいえ、置いて行かれてはたまらないと、朝早くから待機していた……っぽい。
早起きしただろうに、凛とした雰囲気はいささかも損なわれてはおらず、優雅にティーカップを傾けている。
その隣には、茶色がかった金髪にアイスブルーの瞳をした二十代半ばの美男子が、鎧を着込んで腰には一振りの直剣をたずさえて座っていた。
「……誰?」
いや、訊ねた恵子もどこのどなた様かは分かっているのだが、いきなりの変貌に意識がついて行かなかったらしい。
「ご挨拶だねぇ」
言葉の割にはショックを受けているようには全く見えない軽い笑顔であった。
「リドウ殿を騙らせるために、私が無理やり染めさせたりと色々させていたんだ」
「刀使いじゃなかったんですか?」
「ファルは元々刀など扱えん」
「同じ剣なのにですか?」
「お前、リドウ殿と旅を共にしていながら、その程度のことも理解しとらんのか?」
「は、はぁ……その、すいません……」
不思議そうに問い返してくるベアトリクスに、愛奈は羞恥に頬を赤らめながら顔を俯かせてしまう。
「あ、いや、すまん。別に馬鹿にするような意図は無かったのだ。許してほしい」
「あ、いえ、こちらこそ……」
「ただな、一つ忠告させてもらうが――」
ベアトリクスは頭を下げようとする愛奈を手で制す。
「知は力だ。敵の戦法を知っていればそれだけ対処に幅が持てる。無論、敵対した相手の武技を一から百まで知れている例などまずありえんが、敵の武器がどのような特性を持っているかくらいは知っていられるに越したことはない。お前は魔法使いのようだし、近接戦闘に持ち込まれた時点で負けと言っても過言ではないが、その瀬戸際に敵の武技を知れていれば紙一重で救われることもあるだろう。平常時から少しは意識しておいた方がいい」
「は、はい! 気をつけます!」
「お嬢様の仰ることはあまり気にしなくていいよ。キミは僕と同じで『闘士』じゃないんだから」
「ふぇ……?」
リドウを上回る尊大な人間からもたらされるお説教に、愛奈は思わずぴんっと背を伸ばして応えていた。
しかし、ファーゼが爽やかな笑みを浮かべながら愛奈の手を取ると、彼女は素っ頓狂な声を上げながら、先ほどとは違う意味に顔を朱に染めている。
と……
「止めてくれるかな」
「ふぇ……?」
素っ頓狂な声第二段であった。
シャイリーが愛奈の肩を掴んでファーゼから遠ざけている。
意表を突かれた様子で呆然としているファーゼに、シャイリーは愛奈を自分の横で庇うようにしながら、笑顔を作り上げる……どこか挑戦的かつ好戦的な色合いを帯びた笑顔を。
「悪いけど、愛奈ちゃんはあまり男に慣れてないんだ。お手軽に遊べる相手がお望みなら他を当たってね」
「えーっと……」
ファーゼは困惑した様子で頭をかく。
彼もそれなりに女性経験は積んで来ている。何せこの通りの美男子であるだけでなく、彼は他に変わりの居ないベアトリクスのお供を幼少から勤めて来たおかげで、個人的な資産も相当なもの。実家のご当主には及ばずとも、他の兄弟たちは圧倒するものがある。向こうから寄って来る女性だけで不自由などしていない口だが、リドウと同じく自分から積極的に口説きにも行けちゃう男であった。
トラブルを嫌ってか、これもリドウ同様に他人の女には手出し無用という流儀を持ってはいるが、そうと知らずに口説きに入ってしまった経験もあった。そんな時、今と似たような形になった経験も何度かあったりした。
が、一つとして例外はなく、今のシャイリーの場所に立っているのは男であった。
シャイリーは間違いなく男の子だ……が男の娘であるのもまた事実。よって当然、ファーゼがリドウのような芸当でシャイリーの性別を見抜けるわけがなく、ファーゼはシャイリーを女の子だと思っていた。
「失礼だけど……キミ、同性愛者だったりする? もしくはどっちもイケちゃう口なのかな?」
「ホントに失礼だね。普通に異性愛者だよ」
更に困惑を深めてしまうファーゼであったが……やおらポンと手を打つ。
「ああ! 友達が大切なんだね」
天恵を得たとばかりに笑うファーゼに、
「まあ、そんなとこかな」
シャイリーは曖昧に返事をする。
二人のやり取りに、愛奈は頭の上に大量のクエスチョンマークを浮かべながら目をぱちくりさせるばかりであった。
が、その後方では……
「え? いつからそーゆーことになってたの?」
「リドウは気付いていたのかしら?」
「いんや、俺も今初めて知ったぜ。情報収集にばらける時なんかは基本あの二人の組み合わせだからな。ありえねぇってほど珍妙ってこともねぇが……」
三人が互いの顔を寄せ合い、揃って小さな困惑を露にしながら、こっそりとやり取りしていた。
「しかし、よくよく考えてみると、案外似合いじゃねぇか? 愛奈はあんま男臭い野郎は明らかに苦手だろ」
「シャイリーちゃんが女装止めても、百合カップルにしか見えなさそーだけどね。あいつ、髪と服装以外はスッピンであれなわけだし」
「いずれにしても愛奈ちゃんの気持ち次第ですけれど、リドウの言う通りいい組み合わせじゃないかしら。お互いにお人形さんみたいに可愛らしい容姿でお似合いだし、シャイリーの実力なら愛奈ちゃんのボディガードとして何ら憂いは無いわ。気功士と魔道士の組み合わせも理想的ですしね」
と暢気にやり取りしていると、ファーゼが浮かべていた笑顔の意味が何やら深まる。
「それとも、僕の気を惹きたいとか?」
と言いながら、両手を広げて首を横に振る。
「でも悪いね、闘士のキミは僕の好みには大きく外れてるんだ。それにちょっとばかり幼すぎるかな」
「それを聞いて安心したよ。そういう意味で男に好かれて喜ぶ趣味はないから」
「……それで同性愛者じゃないのかい?」
「言っておくけど、僕は男だ」
「え?」
目が点になるファーゼ。ベアトリクスも若干目を見開いてシャイリーの全身を上から下まで眺めている。
ファーゼは冷や汗しながら慎重に口を開く。
「……ホントに男なの?」
「うん」
「……同性愛者じゃないんだよね?」
「うん」
「……何でそんな格好してるの?」
「単なる趣味」
「趣味?」
「うん」
「あ、そう……趣味、ねぇ……」
ファーゼは引き攣った笑顔でシャイリーから視線を逸らし、主たるベアトリクスを見る。
「お嬢様、多分この子も闘士みたいですし、きっと相当やりますよね」
「うむ。私が闘っても、終わってみなければ結果は判らんだろうな」
「げっ……この子までこの若さでハイエンド級ですか? どんなタレント揃いですか、この一味」
「リドウ殿を筆頭に、このパーティをそっくり抱き込めた国は、どのような弱小国でも頭一つ二つ抜きん出るであろうな」
涼しい顔でティーカップを傾けながらの台詞に、ファーゼはがっくりと肩を落とす。
「うん……分かった。元々リドウくん絡みのご婦人に軽い気持ちで手を出せる勇気なんて僕には無かったけど、高坂嬢には今後一切、気安く接したりしないように気をつけるよ」
「うん。そーして」
肝心の愛奈自身は今一状況を把握しきれていなかったが、ファーゼからナンパな行為をされることは今後無さそうだという事実だけは明白で、気持ちが大分楽になっていた。
「シャイリーさん、ありがとうございました」
「お礼なんかいいよ。僕が嫌だっただけだから」
「はぁ……?」
「ふふ」
愛奈も、自分が異性にとって魅力的に映るらしいことは最近少しずつ理解し始めてきてはいるのだが、まだまだ太っていた頃のコンプレックスが拭い切れているものではなく、シャイリーのような極上美少年に自分が異性として好かれているなどという考えは全くないらしい。
高坂愛奈、ある意味鈍感系主人公の女子版のような少女であった。
それはともかく、宿屋をチェックアウトした一同は、次は朝食のお時間である。
そこではちょっと異様な光景が展開されていた。
「どうぞ、お嬢様」
「うむ」
ベアトリクスが食べる前に、その料理の器からそれぞれ一口、ファーゼが摘んで食べている。
毒見をしているのだ。
昨夜、リドウたちが食べている間に食事に手をつけようとしなかったのも、初対面の彼らの前でこれをしては不愉快にしてしまうと考えたからだったそうだ。
「王女様も大変ですねぇ」
「一応お忍びなのでな。私の身分を示すような言葉は控えてほしい」
「あ、ごめんなさい」
「まあ私はこの通り、極めて目立つ容姿をしている。私を目当てに近づいてくるような人間には全く意味はないからな、そう神経質になる必要もないが、あまり一般庶民に無闇に知られて騒がれるのも困るのだよ」
「それこそ髪を染めるくらいは普段からしてらした方がよろしいのではなくって?」
「髪が痛むから好かん」
「ワガママですこと」
「何せお嬢様育ちなものでな」
「うふふふふ」
「ふっふっふ」
……やっぱり怖い。
男三人は飄々としたものであったが、恵子と愛奈はびびって何も口をきけなくなっている。
「同属嫌悪ってやつかねぇ……」
「両雄並び立たず、ってとこかな。ああ、ここはご婦人同士、両雌と言うべきかなのかな?」
男どもは、好きにやらせておけと放置の態勢。
それでは困ってしまう女子勢である。そこで丁度いい話題を思い出した愛奈が慌てて口を開いた。
「アリスさんっ」
「ん?」
「刀と剣ってそんなに扱い方が違うんですか?」
「違うな。全く違う」
ベアトリクスは軽く首を横に振りながら応じる。
「私やファルが扱うような長剣や大剣は元来、力任せに断つ、または押し潰すことを最大目的として形状されている。付け加えるならば、シャムシールのような曲剣は速さで斬り裂くことを、レイピアのような細剣は突き刺すことを、だ。刀はこれら全ての特徴をたった一つに凝縮することに成功した芸術的な武器なのだ」
「便利なんですね」
「そんな都合のいい話があるわけなかろう」
愛奈は感嘆の声を紡ぐが、ベアトリクスはとんでもないと首を横に振って否定する。
愛奈は当然、疑問に満ちた顔になってしまう。しかし、それに応えたのはベアトリクスではなかった。
「その分、扱いには非常に繊細な技術が要求されるわ。剣も当然、技量の有無が物を言う部分は厳然として存在するけれど、刀の場合はそれが他の刀剣類の比ではないの。気功士であれば闘気での強化ができるからその限りじゃないでしょうけれど、素人が扱ったのでは、完全に無防備な人間だろうと、三人も斬れば使い物にならなくなるでしょうね」
「私が訊かれていたのだ。お前は引っ込んでおれば良いと言うのに」
「あら、御免あそばせ」
むすっと抗議するベアトリクスに、千鶴は慇懃に頭を下げる。当然、後半に『無礼』と引っ付く態度であり、再び両者の視線が火花を散らしている。
リドウ云々以前に、どうにもこうにもこの二人は根本的に相性が悪いらしい。
ベアトリクスは忌々しそうに舌打ちを鳴らした。
「ふん。まあいい。それでリドウ殿、今後のご予定は如何に?」
「サークライド皇国が当面の目的地だな」
「と言われると、別の大陸に行かれるのか?」
それは困ったなと小さく呟く。
(サークライド皇国では、精々一月しか猶予は無いではないか)
自分自身の時間には猶予があったとしても、別大陸にまで足を伸ばすのは、ベアトリクスの立場では流石に許されなかった。
彼女は優雅な仕草で手の甲を顎に当て、少し考えていると、
「何なら一度、我が国を見物に参られるおつもりはないか?」
「意味が」
「友人を探しているのだろう? 我が国にも飛ばされているかもしれぬではないか。私のごく個人的な伝手で可能な範囲程度であれば、今でも協力するに吝かではないが?」
「…………」
千鶴は難しい顔で黙ってしまう。世界各国を一通り見て回りたい彼女としては、僅か一国とはいえ、捜索の手間が格段に省けるベアトリクスの提案は渡りに船と言っていい。権力を存分に利用した全面的協力ではなくとも相当違ってくるのは確かだろう。
「つっても、どこに居るかも判らねぇ以上、こいつらの帰還方法の探索の方が優先順位は高いんでね。居所に関する情報があれば、その優先順位は逆転するわけだが、生憎と今はそうじゃねぇ」
「…………」
今度はベアトリクスが黙ってしまう番であった。
しばらくして深く息を吐いたベアトリクスが自ら口を開く。
「よかろう。とりあえず、サークライド皇国までご一緒させてもらうとしようか」
ベアトリクス主従の同行に関しては、リドウ側の誰も今更文句を言おうとはせず、こうして人数を増して一同はリンドンの街を後にすることとなる。




