第三十三話 圧倒
膨大な闘気によって強化されたユーキの攻撃を、リドウは煙管を銜えたままで避けようとする気も見せず、胡乱な眼差しで眺めていた。
「あぶっ」
危ない、と叫ぼうとしたのはリドウの連れの少女たちの皆だった。いくらリドウとて、勇者の一撃をまともに食らっては無事で済むとは思えなかった。
が……
ドンッ
何か重い物同士がぶつかり合ったような音が響き渡る。
「ば、馬鹿な……」
ユーキは己が繰り出した攻撃の先、リドウの肩の部分を見つめながら呆然と呟く。ユーキの視線の先では、まるで何事も無かったかのようにリドウの肩に剣が置かれており、切り裂くこともなければ食い込みすらしていなかった。
「え? どーゆうこと?」
恵子が便利辞典千鶴を見るが、彼女は顔を引き攣らせているばかりで、答えようとはしなかった。
代わりにシャイリーが、自分も顔を引き攣らせながら掠れるような声で答えてくれた。
「気術だよ。一瞬で闘気の大半を肩に集めて防いだんだ。僕にもできないわけじゃないけど、仮にも勇者相手に……膨大な闘気に敵の動きを先読みする力と闘気のコントロールが極限に近い前提で、自分なら絶対にできるって強靭な意志力があって初めて成立する荒業だよ」
人間業じゃないね……と続けて零す。千鶴にもそれが理解できていたのだろう。あまりにも馬鹿げた防御方法を現実に認識したくなかったらしい。
シャイリーの声が聞こえていたわけではなかろうが、リドウは煙を大きく吐き出しながら、呆れ顔でユーキに喋り掛ける。
「俺が言ったことを覚えてねぇのか?」
「う……うわぁああ――――――っ!」
死ぬ気かはともかく、必死の形相で剣戟を重ねるユーキであったが、そのいずれもがリドウの防御力を貫くには至らない。
リドウは気負いの欠片も見せずに立ち尽くしたまま、右手で煙管を持ちながら、おもむろに左手を横に差し出した。ゆっくりとした動作だった。にも拘わらず、第二間接で折り曲げられた人差し指と中指の間に、ユーキの剣が収まっていた。
あうあうと口を開閉させているユーキを、リドウは眼差し鋭く見据える。
「動作の起点が見え過ぎだっつったろうが。ちったぁ捻れ。未熟なりに工夫しろ。まともに相手をする気にもならねぇぞ。勇者が魔王に勝てねぇ最大の理由だ。技が未熟過ぎる」
闘気を用いれば確かに身体能力は増す。膨大な闘気保有者の力は、常人がどう足掻こうと抗うことは不可能な領域に、いとも簡単に突入させる。
が、だからといって武術が不必要というわけではない。結局のところ、身体能力の割り増しでしかないのだから。
「だが、てめぇには技以上に、何よりも足りねぇもんがある」
ユーキはこの間も必死の形相で剣に力を込めていたが、リドウに掴まれたそれは全く微動だにしてくれない。
「てめぇには覚悟が全く無ぇ」
「ふ、ふざけるなっ。僕はこの世界に召喚されて、勇者としての使命を全うすると決意した! たとえ悪人だろうとこの手にかけてしまった人々の命のためにも、立ち止まることなく使命を全うすると!」
「そりゃ殺す覚悟を固めただけだ。それにしても大分見当違いだがな……」
リドウは煙管をユーキの剣で叩いて灰を落としたと思うと、煙管を上空に放り投げた。
そしてその手を拳に握り締める。
「俺が言ってんのは殺される覚悟だっ」
ズドンッ
鈍い音を立ててユーキの腹部へ拳が減り込んだ。
「ごはぁっ」
その場に崩れ落ち、腹部を手で押さえてうずくまるユーキを、リドウは冷たく見下ろしながら、落ちてきた煙管を見もしないで掴み取り、懐に仕舞い込んだ。
「まさかとは思うが、てめぇが殺されることはねぇとでも思ってんのか?」
「し、死ぬ……覚悟なんて、しては……げほっ、ならな、い……」
地面に俯いたままで、途切れ途切れながらも何とか反論する。シャイリーの攻撃ならば耐えられたユーキだったが、殺さないよう加減された攻撃でも、リドウのそれに耐えることはできなかったようだ。
「大切な人たちの……ためにも、僕は必ず生きて……戻るんだっ」
「てめぇの言い分は一々もっともらしく聞こえるから不思議だぜ」
「お前のように……けほっ、弱肉強食の世界を至上と……するような“間違った男”に理解はできない、だろうな。だが、最後に勝つのは……いつでも、けほっ……正義なんだ!」
「違うな。根本的に勘違いしてるようだから懇切丁寧に教えてやるが、俺が言ったのは『死ぬ覚悟』じゃねぇ。『殺される覚悟』だ」
未だ地面に向かって咳き込んでいるユーキの顎を、リドウはつま先で持ち上げて、無理やり自分と視線を合わせる。
その瞳に浮かぶ壮絶な鬼気は、ユーキに一切の文句を許さない。
しかし、『死ぬ覚悟』と『殺される覚悟』、一体何が違うのだろうか。この場で既に納得の表情で居るのは僅かにシャイリーだけで、他の面々は千鶴、ヴィレッタ、ラクセスに至るまでが怪訝な顔つきだった。
「てめぇの言った死ぬ覚悟は間違いってのは、罪を贖うためだったり、勝機の全く見込めねぇ巨悪に命懸けで挑む時の話なんだろうが、悔い改めてんなら死んで償うよりも生きてより多くを償うべきだし、最初から負ける気で戦いに臨むのは間違ってる……大方そんなトコだろう? 極めて正しい理屈だ。俺もそう思うぜ」
その通りだ、などとリドウを認めるような発言、ユーキは口が裂けても言えずに黙りこくってしまう。
リドウはユーキの態度を気にすることなく勝手に続ける。
「殺される覚悟ってのは全く別の話だ。『闘争の中で命を落とすイメージが頭の中にある』からこそ、そうならねぇよう常にてめぇ自身を磨き続けることができるんだ。てめぇにはその点が全く足りてねぇ。殺す覚悟がなきゃ剣に迷いが生じる。その迷いはぎりぎりの競り合いじゃ明暗を分ける致命的要因となる。闘争の世界に身を置いていながら殺す覚悟も持たねぇなんざ話にならん。そして、殺される覚悟があってこその必死の意思こそが、技に重みを持たせんだ。だがてめぇの剣にそんな重みは微塵も感じられん。技の未熟云々以前に、精神的なところで最初から最後まで闘気に頼り切ったてめぇの剣は見た目とは裏腹にやたらと“軽い”」
それだけじゃねぇな、とリドウは吐き捨てる。
「てめぇが殺されるイメージが、てめぇの頭の中にはこれっぽっちも無ぇ。だから他者の命を軽んじられる。頭の出来が哀れな貴族やチンピラ、盗賊どもと同じだ。痛みを知らねぇから、あるいはてめぇが痛みを受けることがねぇと思ってるからこそ、容易に暴力が振るえる。てめぇの死を意識してねぇからこそ、安易に他者の命を刈っちまえる。本格的に死を認識した時、連中がすることはいつも眼に不味い命乞いだ」
そうした輩こそが、リドウの最も嫌う人間だった。
その点、以前にリドウが殺したノイケンという悪逆盗賊団の親分は違った。あの男は一度も命乞いなどしなかった。いずれ誰かに成敗されてしまうだろうと理解していながらも、もう止まれなくなってしまった哀れな男だった。
だからこそリドウは、問答無用で殺してしまうようなことはできなかった。ノイケンの犯してきた所業を思えば許すことなど到底できなかったが、その死に一片の悲哀も覚えなかったグレゴール司教一味の時とは違い、あの時は思わず感傷に浸ってしまったりもした。
「さて……勇者さんはどうかね?」
リドウの気配が危険度を更に増す。
まずい、とヴィレッタが心の中で叫んだ。
「ラクセス!」
「え……?」
己の仕える勇者の豹変や、リドウの人間離れした技量と、そして何よりも、腕前はともかくとして性質は無頼のチンピラとしか思っていなかったリドウが述べるとてつもない論理に圧倒され、呆然としていたラクセスであった。
それがヴィレッタの焦燥露な声にはっと正気を取り戻す。
が、その時には遅かった。
ユーキの顎を持ち上げていた足が高く振り上げられる。
ユーキは悲鳴の声もなく上空へ吹き飛んだ。
放物線を描きながら宙を舞うユーキであったが、その体が不自然に一方へ引き寄せられる。
どうやらヴィレッタが風の魔法を駆使して、ユーキを助けたらしい。
「うぉおおっ!」
更にラクセスがリドウへ切り込む。少しでも足止めしようというつもりのようだ。
リドウは涼しい顔でラクセスの攻撃を避けている。
「あまり賢い選択とは言えんぞ?」
「そんなことは百も承知だ!」
「いい覚悟だ。その点はあの舐め腐った野郎よりも遥かに評価に値するぜ」
リドウはラクセスの剣を持つ手を捉えた。
次の瞬間、ふわりと宙を浮いたラクセスの体が、頭から地面に落ちようとする。
慌てて受身を取ろうと身構えるラクセスであったが……
その直前――
「がっ」
リドウの繰り出した回し蹴りがラクセスの胴体に減り込み、彼女は数メートルをぶっ飛んで行った。
「う……ぐぅっ……」
致命傷でこそなかったようだがダメージは重いようで、蹴り込まれた横腹を押さえながら懸命に立ち上がろうとするも叶わない。
「お前……」
リドウがラクセスの様子を眺めていると、左手側からユーキの声がしてきた。
「まだだめよ、ユーキ」
ヴィレッタが回復魔法をかけていたらしい。やはり世間一般では十分高位の術者として数えられるだけの実力はあるようだが、あまりその威力は高くもないようでもあった。顎を押さえながら立ち上がったユーキの言葉は少しばかり怪しい。元々は顎の骨が折れてしまっていたのだから無理もない。むしろ、ヴィレッタ自身が保有する内在魔力からすれば驚異的な回復速度とも言える。流石は魔王の薫陶を受けた実力者と言うべきか。
ユーキはヴィレッタの制止の声を振り切って、堂々とリドウと向かい合う。
「お前は女性を相手に」
「関係あるか、ド阿呆」
ユーキの言葉を、リドウはばっさりと切って捨てる。
「一度闘争の世界に身を置いた以上、生きるも死ぬもそいつの実力と運次第。てめぇの女が傷付けられるのが嫌なら、端から戦場に出そうなんて考えるんじゃねぇよ」
「ふざけるなぁっ!」
まるで自分のせいみたいに言われて激昂したユーキが、雄叫びを上げながらリドウへと切りかかる。
リドウはどこまでも醒めた眼差しでそれを眺めていたが、自らの身を襲ってきた剣を、その剣の腹を左手で押しながら受け流し、そのまま体を回転させながら、右手の甲を下からすくい上げるようにして、ユーキの顎にぶち当てる。
形は違えども、凄まじいアッパーを食らったユーキの体が僅かに地面から浮く。
そして、リドウの体が舞った。
「格ゲーの鬼ハメですか……」
その光景を見ながら、愛奈が人知れず、真っ青な顔で戦慄と共に呟いた。
彼女の言葉が示すように、リドウの手のひらが翻るたびに、ユーキの体がダメージを蓄積していく。それはまるで、ユーキが自らリドウのダンスのパートナーを務めているかのようでもあった。それこそ格闘ゲームだったら、今頃は『35HIT』とでも表示されていることだろう。ちなみにこの数字に意味は特に無いのであしからず。
一連の成り行きを見守っている恵子が、側に居る誰にともなく疑問の声を発する。
「何であいつ……あんな虐めるようなことを……。刀を抜こうともしないで……」
「後悔する時間を与えてる、とかでしょーか……?」
「リントブルム退治で溜まった鬱憤を晴らしてるとかは?」
「それは流石に……」
「言ってみただけよ、あいつに限ってそりゃないでしょ」
「リドウにはリドウの考えがあるのでしょう」
「結局甘いんだよ、あの人は」
「え? それって……」
恵子の疑問の声に、苦笑いしているシャイリーは、口に出して答えようとはしなかった。
ちょうどその時、リドウが連続技の決めとばかりに、横合いからの回し蹴りを繰り出し、ユーキの体が大きく吹き飛んだ。
(……ほら、やっぱり。あんな無駄に勁を分散させるよーな攻撃、あの人が殺す気ならするわけないじゃないか)
シャイリーが心の中で、本当に甘い人だとぼやくが、表情を見る限りでは、その甘い部分が嫌いなわけでは特にないらしい。
悲鳴もなく地面に擦られながら吹き飛ばされたユーキは、もう殆ど虫の息という有り様であった。
「うぁ……あぁ……」
苦しげに呻くユーキ。痛みのあまりか、完全に泣きが入っている。
「大げさな野郎だな。てめぇの防御力でそこまでになるほど力を入れた覚えはねぇんだが……」
まあいい、とリドウは肩をすくめる。
「それより、てめぇが死ぬんだって現実をそろそろ理解できたか?」
感情を完全に消し去った瞳。それはリントブルムが浮かべていたものに通ずる、無慈悲極まりない瞳であった。
「や、止めろ。来るなっ」
一歩ずつ、ゆっくりと近づいて来るリドウに、ユーキは尻餅をついたような格好で、必死に手を使って少しずつ後ずさって行く。
「お願い! もう止めて!」
必死に懇願の声を上げたのはヴィレッタだった。
彼女は再び、ユーキを庇うようにしてリドウの前に立ち塞がり、虚空陣の構築を始める。
『速い』と、彼方で愛奈が、同じ魔法使いとして感嘆の声を零していた。
「どけ。相手が誰だろうと俺は容赦しねぇぞ」
それでも歩みを止めないリドウに、ヴィレッタは泣きそうな顔になりながら、
「ウィンドブレイク・ブラスト!」
ヴィレッタから放たれた極大の風の魔法がリドウの身を襲う。
辺り一面を根こそぎ薙ぎ払ってしまうほどの大威力だった。
しかし……
「スペルキャストか。味な使い方をしやがる」
「あの一瞬であたしの魔法を防ぎ切るだけの障壁を展開した!?」
ヴィレッタの狙いはリドウを倒すことではなかった。自分の魔法で彼の防御力を貫くことは不可能だと判断していたからだ。それ故に、風の魔法で吹き飛ばし、少しでも時間を稼ぐことに傾注したのだ。これならば相手の防御力など関係ない。
その手法も、自力で構築したロスト・スペリングに、『ウィンドブレイク』というキャスティングの魔法を重ねることで威力を底上げしていた。
しかし、それは魔力障壁をリドウが瞬時に展開したことで防がれてしまった。魔力障壁ならば、貫かれない限りは相手の攻撃を完全にシャットアウトするからだ。
リドウは普段、あまり使わないようにしている。頼りきりになると、敵の攻撃を避ける必要が無くなってしまうため、自己の技量の低下を招いてしまうと、彼は自身に諌めている。
だが、今は違う。今彼が必要としているのは『圧倒的な力を見せ付ける』ことだったから。
ヴィレッタの目の前まで歩んだリドウは、たった一言、
「どけ」
その激しい重圧を伴った声に、ヴィレッタはがくりと崩れ落ちた。
とうとう、リドウとユーキの間を遮るモノが何も無くなる。
「うっ……」
ユーキは背中に樹の感触を得て、逃げ場を失ってしまったことを理解する。
「くっ……」
このままでは殺される――その思いがようやく、ユーキ自身に必死の意思を促したのか、木に寄りかかるようにして立ち上がりながら、気丈に剣を構える。しかし、足はふらつき、剣を持つ手も震えてしまっている。これではまともに剣を振るうことはできないだろう。
「く、来るな……」
しかし、リドウは止まらない。
「分かっているのか! 僕に何かあったら、オルライン帝国が黙っていないぞ!」
「俺はそれでも一向に構わん」
と、ユーキの剣を手で握り締める。
「そん時ゃ皆殺しにするだけだ」
「かはっ」
リドウは剣を引くことでユーキの体を引きつけながら、彼の腹部に膝を蹴り込んだ。
再び激しく咳き込むユーキは、まだ自分の完全敗北を認める気にはならないようで、地面に片手をつきながらも、敵意の篭った目でリドウを睨み付けている。
が――
ざくっ
リドウは手に持つユーキの剣を、彼の首の皮一枚掠るように投げ付けた。
ユーキは地面に突き刺さった己の剣を横目に、全身から嫌な汗を流す。
「み、皆殺しとは……どういう意味だ……?」
「言葉通りだが? 国として俺の敵に回るようなら、国ごとぶっ潰す」
「そ、そんなことができるわけが」
「できるさ」
何せ……
「俺は魔神の息子だぜ」
なっ――と場に居た全ての人間が息を呑んだ。
「だろう? ヴィレッタ」
見もせずに問われたヴィレッタはごくりと喉を鳴らす。
「マジ?」
シャイリーが少女たちに向けて訊く。その顔は流石に緊張で強張った様子を見せていた。
愛奈は、自分は知りませんよと全力で首を横に振っているが、
「事実よ」
千鶴が無表情に肯定する。
「知ってたの!?」
「気付いた、という方が正解ね」
「あんたマジで半端じゃないわね」
恐ろしいモノを見るような目で千鶴を見つめる恵子。彼女のその態度がより雄弁にリドウの言葉の信憑性を裏付けてしまう。
騎士たちは、なぜ今回の任務に自分たちが選ばれてしまったのかと、選ばれた時の誇り高い気持ちを完全に忘れ去って運命を呪っていた。こんな事実知りたくなかった、と。
「なぜ、ヴィレッタに訊く?」
やっとダメージから回復し、ヴィレッタの側までやって来たラクセスが疑問の声を発する。未だ痛々しい顔で横腹を押さえており、ヴィレッタに助けられてやっと立っているような状態では、ユーキを助けに行ける余裕もないのだろう。
息絶え絶えにリドウへ問い掛けたラクセスであったが、それに答えたのはリドウではなくヴィレッタであった。
「十年前の軍用転移魔法実験、覚えているかしら」
「ああ。あれのせいで、我が国が抱えている魔道士の半数が行方知れずとなり、その中の半数はとうとう帰って来れなかっ……」
ラクセスはセリフを途中で切り、信じられない面持ちで相棒の横顔を見る。
「まさか!?」
「あたしが飛ばされた先は魔神の居城だったのよ。あたしはそこで、十年前、彼に出会っているわ。勘違いしてほしくないけれど、別にあなたたちを裏切っているわけではないわ。生かして返してはもらえたけれど、場所までは判らないから、どうせ言っても無駄だと考えていただけ」
真実は、人の触れてはならない世界があるのだと実感したが故、黙っていたのだが。知らない方が幸せな事実もあるのだと、彼女は思う。
「だが、魔王に生殖能力は……」
「勇者召喚」
今度のラクセスの疑問の声に答えたのはリドウの番であった。
「まさか、人間如きが構築できる術式を魔神に実行できねぇとは思わねぇだろ?」
「魔王が勇者を召喚してどうしようと言うのだ」
何か邪悪な思惑でもあるのではないか、という響きを含めて問い質すラクセスであったが、
「魔王ってのは気まぐれな連中ばかりだ。ある日彼女は気まぐれを起こした――てめぇの手で才能ある人間を育ててみたい――ってな」
実に単純明快にして理に適った話だろ、とリドウは半ば洒落のように言う。
「さて……」
そしてついに刀を抜いた。
「そこで質問だ」
全身から今までにない壮絶な鬼気を発しながらユーキを見下ろす。
がくがくと全身を震わせているユーキの額に、刀の切っ先をぴたりと合わす。
「俺と殺り合う気はあるかい? あんならもう一度剣を取りな。ただし――」
地獄の底から轟いてきているかの如き、底冷えのする声音であった。
「今度こそ命を捨てる気で来い。苦しむ暇も無く息の根を止めてやるぜ」
「ひっ……」
小さな悲鳴が零れ出るが、あまりにも小さかったために、すぐ側に立つリドウの耳にしか届かなかったのは……果たして幸いだったのだろうか。
あうあうと開閉する口。今にも泣きそうな表情は、いっそ哀れみすら覚える。
ユーキはぎぎぎ、と擬音がつきそうなぎこちない動きで己の剣へ顔を向ける。
ぶるぶると震える手を己の剣へと差し出し……
しかし柄を握ろうとする直前でその手を止めてしまう。
そのまま逡巡を繰り返す。
静けさだけが場を支配し、誰一人としてユーキの姿から視線を逸らせない。
誰もが人知れず理解していた――ここで剣を取れなければ、ユーキは戦う資格を永遠に失うのだと。
この場をやり過ごし、リドウとの関係が切れてから、再び勇者と豪語して力を行使していようものならば、この場に居る全ての人間が彼を軽蔑するだろう。
それはラクセスをして例外ではなかった。リドウの言い分は彼女としても特別反論しようと思うような内容ではなかった。ユーキは当然、その覚悟をしっかりと胸に抱いていると彼女は信じていた。誇り高くあるべき勇者が、戦場における覚悟で他者に劣るなどあってはならない。
しかし、ユーキの命を考えればここは剣を取らないでほしい。
ただでさえ、容易には口を開きづらいこの状況下で、ラクセスは激しいジレンマを抱えてしまい、余計にユーキへ助け舟を出せる余裕を磨り減らしていた。
ヴィレッタも黙して何を口にしようとはしなかったが、彼女は「もういいのよ」と心の中でユーキへと囁いていた。その思いが何を意味するのか……
やがて……
勇者ユーキは……
地面に両手をついて項垂れるのであった。
リドウは無感情に刀を鞘に納める。
「心しろ。俺の存在がてめぇの口から誰かに漏れたりしようもんなら、俺はてめぇの国をぶっ潰す。民間人以外、てめぇの仲間の勇者もその従者も、てめぇの召喚を決定した貴族どもも、善悪なんざ関係なしに、一切合財この世から消し去ってやる。てめぇの浅慮な行動が何百何千という人間の命を左右し、何万という人間の人生を台無しにする。努々心することだな」
リドウは一方的に言い捨てると、回答を待つことはなく、ユーキの横を通り過ぎる。
少女たちの方へ向かう途中、ヴィレッタの側まで来た時。
「どうする?」
と声をかけると、彼女は微笑を浮かべながら首を横に振った。
「たとえ勇者でなくなったとしても、ユーキの面倒を見るのがあたしの仕事ですからね」
「そうか」
端的にそう口にするだけで、リドウは少女たちの方へと歩みを再開する。
その背中に、
「ありがとう」
と、柔らかな声が送られるが、彼は手をひらひらと振って応じるだけで、振り返ることは終ぞなかった。
リドウ一味はユーキたちを残して下山していた。
周囲に騎士たちの姿も見えないが、“戦力が激的に低下してしまったユーキたちの護衛”に全員残してきている。ついでに、彼ら騎士たちへも、生涯口を噤んでいろと警告を忘れてはいない。
リドウはこのまま次の国へ向かうつもりだった。位置的にも戻るより早いので、食料だけ分けて貰うとして、馬車は必要ないため、もう別れてしまっても問題は無かった。
リントブルム討伐の報酬に関しても問題は無い。ボレイスの街を出る前に、全額を孤児院に寄付してくれと領主さんに伝えてあったのだ。魔物退治での報酬だと思うとリドウは苦々しい思いしかしないが、どうせ発生する報酬なら力無き子供たちのためになってほしい、と。
あの領主さんが本当に孤児院に全額を寄付してくれるかは分からないが、そうならなかったらならなかったで、別にいいとリドウは考えている。崩壊したボレイスの宿屋街の復興資金も必要だろう。最低でも、そのくらいの使い方はしてくれるだろうと、リドウは領主さんを信用していた。
「良かったの? あれで」
揚々と煙管を吹かすリドウの横顔を窺う恵子。
「いんじゃない? あの勇者さんはもう、二度と剣を握れないよ、あの様子じゃ。武芸者としては死んだも同然だね」
「最初からそれが目的だったのね」
「もしかして、私に……気を遣ってくれたんですか……?」
おずおずと訊ねる愛奈を、リドウはちらっと見ただけで、すぐに視線を前に戻す。
「さあな」
リドウは上に向かって煙を吐き出しながらすっ呆ける。
少女たちの心を慮った、という部分が無いとは言わない。
ただ、リドウは思う。
勇者ユーキも本来は善良な人間なのだろう。いきなり他者を圧倒する力を得てしまい、箍が緩んでしまってはいても、普通に勇者をやっているだけならそう問題になるような人間ではないのだろう。
それが、自分という、中途半端に己の存在に自信を持っているような男たちにとって、嫌でもプライドや劣等感を刺激する男と出会ってしまった。
それだけでなく、その男は世にも美しい少女たちを当然のような顔をして侍らせていた。しかもユーキと同じ日本人の、だ。美貌だけでなく、執心してしまうのに十分な理由だろう。
しかし、自分たちと関係が無くなれば問題はないとは言えない。いつ再び似たような理由で暴走するかは知れたものではない。放置するには危険過ぎる力だ。
ならば、戦えないようにしてやればいい。物理的に戦えない体にしてやるという手段も無くはなかったが……
(あの男はもう、二度と剣を持たねぇ方がいい……)
勇者ユーキの心を、再生不可能なレベルまでべきべきに折る。言うは易し行うは難しの典型例だろう。殺してしまった方が遥かに楽な仕事だった。リドウ自身、骨の折れる仕事だったとため息が零れ出そうなくらいだ。激しく気の向かないリントブルム討伐という仕事に続いてのそれは、彼の気力を根こそぎ奪ってくれていた。
ぶっちゃけ、今の彼は精神的に疲労困憊だ。それを他者に気付かせるような男ではないが、もう当分は何事も起きてくれるなと、彼をして切に願ってしまうほどに。
少女たちは誰も彼の心情には気付けなかったが、どうやら語る気は無いようだと知り、追求は諦めた。
ところで……
「ねぇ、魔神のご子息さん」
「あん? 何だその呼び方」
「事実でしょ?」
「ここだけにしとけよ」
「それは大丈夫。でさ、もしかして天武とも知り合いだったりする? 三百年くらい前から目撃例がぱったり途絶えた理由は、魔神の許に身を寄せてるんじゃないかって説が有力だけど」
「ああ。それで合ってる。俺の体術の師匠だ。俺は爺さんと呼んでる」
キラリン、とシャイリーの瞳がこれ以上ない輝きをみせる。
「紹介して!」
「会ってどうすんだ? 今のお前さんじゃ手も足も出んぞ」
「だから、弟子入りして、技を盗むんじゃん! それでいつか天武を超えるのが僕の夢なんだ! お願い!」
リドウの前に回りこんで両手を合わせる。
自分も立ち止まったリドウは、首を傾げながら少しの間考えていたと思うと、やおら頷いた。
「ま、いいんじゃねぇか?」
「ホント!?」
「ああ。ただな、エーテライスにゃ伝説級がごろごろしてっから、お前さんじゃ城まで辿り着ける可能性は五分ってとこだぞ」
「全然構わないから」
一瞬の躊躇いもない。ホントにこの子はもう……。
「ってわけにもな。今度連れてってやるから、それまで我慢しろ」
「連れて行ってくれるって……戻るの?」
「いんや。ま、楽しみにしてろ。そう遠くねぇ内に連れてってやるからよ」
「ふーん……」
愛らしい仕草で小首を傾げた美少女風美少年は、更に愛らしく笑う。
「うん。なら楽しみにしてる」
「一つ言っておくが、爺さんが認めるかどうかは話が別だぞ。俺がするのは会わせるだけだ」
「もちろん」
シャイリーは頷いて、楽しみだなーとスキップする始末。まあ、一生有り得ないだろうと思っていた願望が現実になる可能性が出来たのだ。そうなってしまうのは当然の話なのだろう。
「あのさ、リドウ」
「ん?」
「あんた、勇者召喚で呼び出されたってホント? リリステラさんは拾ったって言ってたけど」
「ありゃ、信憑性を持たせるために言っただけだ」
それに、ユーキが拠り所としていたのは『自分は選ばれた勇者である』という一点に尽きた。ならばその自信の根拠を奪ってやればいい。
「俺がリリィに拾われたのは事実だぜ。ただな……」
含みを持たせて黙ってしまう。
一同は興味深げにその言葉の続きを待つが、
「いや……何でもねぇ。気にしねぇでくんな」
リドウはその先を言おうとはしなかった。
彼が何を思ったのか激しく気になる少女たちであったが、どうやらこちらもこれ以上話す気は無いようだと悟り、無駄な労力をかけるのを揃って嫌った。
先頭に立って歩きながら、リドウはため息混じりに煙を吐き出している。
(しかし、旅に出てから随分と経ったもんだな……)
修行の一環で「無事に戻ってこい」とばかりに危険地帯に放り出され、孤独を味わったことなら何度かあったが、こうも長い期間、家族と離れ離れになった経験はない。今回はこの男をして精神的に疲労感の強い事件ばかりだったせいで、郷愁の念が沸き起こってきたらしい。
(そういやぁ……お嬢がホームシックで落ち込んでるのは見たことねぇな)
ちらっと恵子に視線をやるが、姦しくガールズトークに突入している彼女は気付かなかった。
千鶴は元々家族仲があまり良くなかったようであるし、精神的にもやたら強いので、比較対象にはできない。愛奈の場合は、出会った時には既に解決していたのだろう。
しかし恵子は……
(幸せ一杯に生きてきたお姫様……にしちゃ、ちっとばかし不自然なトコもあんだよな……)
わりとこの長旅が始まった当初からリドウは思っていることがあった。
(恋人に対する拘り方が妙にな……まあ俺もそう詳しいわけじゃねぇし、気のせいかもしれんが)
もしこの推測が正しかったとしても、この男に現状でどうこうする気はない。下手に首を突っ込んで藪蛇になっても困る。
自分という男がどれだけ異性の気を惹きつけてしまうのか、リドウはそれなりに自覚している。ただでさえ依存されるに十分な状況にあり、近しい男がその一人だけだなどと、それで男女の関係が発生しない方が何かが間違っている。
しかし、千鶴同様に恵子のことを好ましく思っているのは確かだが、彼女のために自分の人生を捧げられるほどの気持ちではないのが確かな現実であり、変に気まずくなるよりは現状を維持すべきだろうと彼は考える。
(俺が望んで始まった旅じゃねぇが、今となっちゃ最後まで付き合うのはやぶさかじゃねぇ。それでもよ……これ以上、余計な厄介を背負うのは御免だぜ。それとも、この程度で重荷に感じてるようじゃ、あんたの息子は名乗れねぇのかな、リリィ……)
天高く、大きく煙を吐き出しながら、己の命と同等以上に大切な家族たちに思いを馳せる。
想像の中の家族たちは、いつもと変わらずに笑っている。
リドウを拾ったその日を、言葉のアヤでなく「ついこの間」と言い切ってしまうような、時間に対する感覚が完全に狂っている者たちだ。きっとリドウが旅立った日のことだって、人間の感覚ではつい昨日くらいにしか感じていないだろう。
(……俺もまだまだ人間ってことだな)
高々一年足らずで郷愁の念に囚われてしまう部分に自分自身の人間らしさを感じ、ふっと微笑する。
(最近、ちっとばかし鈍ってきてる気もするしな。シャイリーの件もあるし、“近くを通り掛かったら”一度帰るか……)
「何物思いにふけってんのよ」
「ん?」
ガールズトークが一段落し、リドウの様子を奇妙に感じた恵子が横合いから彼の顔を覗き込む。
こくりと首を傾げられた愛らしい顔が訝しげに歪められる。
「もしかしてあんた……ちょっと疲れてんじゃない?」
何を根拠にそう思ったのか。あるいは勘でしかないのかもしれない。
しかし、自分の内心を読まれてしまったリドウは、少し驚いた様子を見せたと思うと、苦笑気味に顔を歪めた。
「俺も焼きが回ったもんだな」
「何よその言い方っ」
せっかく心配してあげたのに、とすねてしまい、ぷいっと顔を背ける。
「疲れているなら、私が癒して差し上げましょうか? 主に肉体で」
千鶴が偃月刀を持つ手とは逆の腕をリドウの腕に絡め、己の豊満な胸をぐいっと押し付ける。いち早くリドウの状態に気付いた恵子に焼餅を妬いて対抗したらしい。
「あんたは何でそんな一々いやらしーのよ!」
「自分に正直なだけよ」
羞恥と怒気に顔を真っ赤にする恵子であったが、千鶴はしれっと応じる。まあいつものことだ。
少し後ろからその光景を見ている爆乳美少女と似非美少女は、
「こんな異様な雰囲気の場所で……千鶴さんはともかく、恵子さんまで良くあんな余裕で居られますよね」
「だねー」
未だホールディックの中だというのに、全く脅威を感じていない三人に呆れ返っていた。
「まあ、リドウさんと長いみたいだからね。慣れてるんでしょ」
「私もいつか慣れてしまうんでしょーか……」
がっくりと肩を落とす。
「そんなデンジャラスな生き方はしたくないです……」
「いや、高望み過ぎじゃない? それ。この面子じゃ」
「言わないで下さい。分かってて言ってるんですから」
「あ、一応自覚あったんだ」
意外なものを見る目で見られてしまった愛奈であったが、ほとほと疲れた様子で嘆息している。
「何と言っても魔神の息子さんとか……ないです。それはないです……」
魔王の中の魔王。その力は現存する魔王の全てを凌駕し、神に最も近い存在――と伝えられる伝説中の伝説。
気弱な愛奈にとっては一生涯お目にかかりたくない存在だ。
しかしそれは叶わないだろう。
「リドウさんが居る時点で、完全にフラグが立ちまくってる状態じゃないですか……」
「あはは」
愛奈が発した言葉の意味は理解できなかったが、何を思ったのかは大体察しがついたシャイリーが屈託無く笑う。
いつでもお気楽なシャイリーを羨ましく思った愛奈が、深く深く嘆息した。




