第三十一話 前哨戦
巨峰ホールディック。単純に言ってしまえばただの山である。が、巨峰という名に偽りはなく、その頂上は雲の上に隠れて肉眼で確認することはできない。
その麓に到着した一行は、麓の町に馬車を止め、そこからは徒歩で行くことになる。
辺境と言って差し支えない場所柄ではあるが、それなりにしっかり各種施設は取り揃えられている町であった。ホールディックにはルスティニアで主に現存する魔物の中では比較的高位の魔物が数多棲んでおり、その魔物から得られる各種素材を求めて、普段は冒険者が多く滞在しているそうな。
もっとも、今はリントブルムを下手に刺激しないために、ここら一帯にかけて通常の冒険者は立ち入りが禁止させており、住民も疎開させられているため、人っ子一人見当たらないゴーストタウンと化していたが。
さっそく討伐行脚と繰り出そうとする一同であったが、食料等の荷物を馬車から降ろし、背負おうとしている騎士たちに、リドウが待ったをかける。
途端に、騎士たちは心外だという風に険しい顔になってしまった。その中の、今回のリーダー役を任されている騎士が代表してリドウに物申す。
「足手纏いと申されるお気持ちは理解できますが、我々のことはお捨て置き頂いて結構。あなた方のサポートが我々の任務です」
自分たちの身の安全には一切構う必要はないと言うその瞳には確かな決意が表れている。流石はあの領主さんの命を受けて隊長さんが選んだ部下というだけはあるか。
「俺が言ってどうなるもんでもねぇだろうが、俺らの監視なら必要無ぇよ。リントブルムだけはきっちり片付けてきてやる」
「そのような意図は全くありません。上司からもそのような命令は一切与えられてませんので」
「どうも信用されているらしいな」
「そのようですな」
他人事のように騎士は頷くが、彼は上司の命令を何も疑っていないだけで、特にリドウたちをどうこう思ってはいない。いや、例の事件の真相を知る側としては、勇者一行には思うところが有り有りのようではあるが。
あの領主さんにしても隊長さんにしても、やはりある種リドウの同類なのだろう。彼らのような仁義に重きを置いて生きているような人間にとって、リドウという男はほぼ無条件に信頼できてしまう『何か』があるらしい。
彼らは見抜いているのだ――この男は一度自ら「やる」と口にしたら、必ず成し遂げてみせる、と。その分、動かすまでに多大な労力が必要とされてしまうのだが。
リドウ一味と勇者一味が本当に協力して事に当たるか、それは彼らにとって心配の種ではあったが、監視しようにも「戦闘のドサクサで死んでしまった」と言われてしまえばそれまでなので、実はこの騎士たちには、リドウたちが付いて来るなと言った場合、素直に待機していればいいとも命令されている。
それでも、だ。
「我々にも誇りがあります。それに、そちらのお嬢様は全く戦闘能力が無いというお話」
と、彼は恵子をちら見する。
「微力に過ぎませんが、必ずお役に立ってみせます」
彼の言葉と同時に、他の騎士たちも力強く頷いてみせる。
騎士たちも、自分たちの力がリントブルム戦で役に立つなどとは思っていない。いくら自分たちの命は気にするなと言っても、人間そうは中々いかないだろう。自分たちも乱戦に混じっては足を引っ張るだけだと理解している。
だから、リントブルム戦時に他の魔物から恵子を守ってみせると言っているのだ。
彼らは知らなかった――リドウが自分一人でリントブルムと戦おうと考えているなどとは思ってもいなかったのだ。
それを言っても、彼らも流石に信用できないだろうと判断したリドウは、煙管を銜えながら好きにしろと嘆息した。
恵子の身を案ずるならば、リドウとしてはここで彼女と一緒に待機していてほしいくらいだ。彼らが恵子に魔手を伸ばすとは思っていない。そんなアホを選ぶような無能ではないと、リドウ自身が彼らの上司を信用している。
だが、それでは彼らのプライドを傷付けることになるだろう。プライドのために死ぬなんて馬鹿らしい……などとリドウは考えない。それも彼らの生き方だろうし、それに自分自身も程近い人種であるのだから。
結局、討伐隊総出で行くことになった巨峰ホールディック。
そこは少女たちが今までに感じたことのない、何か異様な雰囲気に包まれていた。
木々に覆われた獣道ではあるが、光の一筋も射していないということはなく、見通しはそれほど悪くはない。だというのに、自然と警戒心を抱いてしまうような言い知れぬ重みが常に張り詰め、それが物理的圧迫感すら生んでいるように、ずしりと全身に圧し掛かってくるような気がする。
恵子だけは、ここと似たような場所にとても覚えがあった。正確には、アソコはここよりもずっと凄まじい気配を放っていたが。
(魔の森みたい……)
これまでの旅道中でも森の中を突っ切ることはしょっちゅうだったが、こんな重苦しいプレッシャーを常に感じてしまう場所など、彼女はそこしか覚えはなかった。
リントブルムを除いたとしても、アイルゼン大陸有数の危険地帯と言わしめるだけはあるということだろう。
出現する魔物も、今まで平原を行っている最中に襲ってきた魔物たちとは、見た目からしてレベルが違った。
パープルアイ。幾つかの獣が入り混じったような、いわゆるキメラ系の見た目をし、特徴的なのは顔全体の殆どがたった一つの巨大な紫色の瞳で埋め尽くされている部分。見た目が中々気色悪い上にその体躯も人間数人分の巨体を誇りと、恵子や愛奈は目にしただけで涙目な魔物である。
一般的に魔物の強さを表す単位として、ルスティニアでは『遺跡何階層』という表現をしばしば用いられるが、パープルアイは四十五階層レベルである。ルスティニアで主に遭遇できる魔物の中では中級上位くらいであり、非能力者でも十分勝てる相手ではあるが、能力者以外に単独で対処できるような使い手はほんの一握りしか実際には居ないだろう。
それが三体、群を成して襲ってきた。
しかしこの面子である。苦戦などするわけがない。
問題は戦闘後に勃発した。
「何をするつもりだ」
極低音の声を発しながら、リドウは振り上げられたユーキの腕を掴んだ。ユーキの手には魔物の血で濡れた剣が握られており、その目の前には外傷の見当たらないパープルアイが転がっている。
このパープルアイはリドウが相手を務めた固体であり、彼は自分の流儀のままに気絶させるだけで済ませていた。もう一体をシャイリーが相手にしていたが、そちらも恐らく気絶しているだけであろう。
だが残る最後の一体は、ユーキによって完全に息の根を止められていた。
別にリドウは、ユーキが何の躊躇いも無くパープルアイを殺したことにケチをつける気はない。パープルアイたちが自ら襲ってきた以上、本来ならば殺されても文句は言えない。それも自然界の掟の一つであり、自分やシャイリーが抱えている流儀はある種の『ワガママ』でしかないと彼は考えるからだ。
だが、自分が相手取り、既に行動不能にされた魔物に止めを刺そうとするのは“決定的に違う”。
「何で止める……とは一々訊くまでもないね。どうして殺さないんだい?」
ユーキは心底不思議そうに、しかしそれだけでなく、憎々しげにリドウを睨み付けている。後者のようになってしまう理由は単に、相手がリドウだからだろう。
「別に殺す必要はねぇだろうが」
「魔物だぞ? 彼らがいつか襲うだろう力無き人々のためにも、今ここで殺しておかなければならないんだ」
「あんたの言い分が間違ってるとは言わねぇよ。だがな、俺の目の前で無抵抗の命を刈るのは止めてもらおう」
不穏な空気が二人の間に醸し出され始めると同時に、千鶴がぐっと得物に力を込め、シャイリーが軽く腰を落とし、ラクセスも剣の柄に手をかける。
が……
「はいはい。双方そこまで」
飄々と歩んできたヴィレッタが二人の間に割り込み、ぐっと力を込めて男どもの胸を押して互いを引き剥がす。
「今はリントブルムが先決でしょ?」
先日の約束の件もあり、あまりヴィレッタに強く出れないユーキは、不承不承ながら彼女の言うことを聞く。もっとも、ふんと鼻を鳴らしながらリドウにメンチを切るのは忘れていないが。
リドウは嘆息しながら煙管を取り出して銜えると、それ以上に口を開くことはなく、先頭に立って歩き出す。
「おい。勝手にどこへ」
「リントブルムならこっちだ」
ユーキが、当初の予定とは違う方向に行こうとするリドウの肩を掴もうとするが、振り向きもしないで言うリドウに、ユーキの手が空中で止まる。
「こんな低級の魔物しか棲んでねぇ場所で、リントブルムみてぇなデカイ存在感は良く目立つ。今まで捕捉できなかったから、もしかしたらもうどっか別の場所に行っちまったのかと思ってたが……多分お休み中だったんだろうな」
「五十階層レベル前後を低級って言い切る人、私は初めて見ましたよ。しかもそんな察知のしかたがこんな広さでできるとか……相変わらずのチートっぷりですね」
「お前さんにもいずれできるようになる」
「いえ、全然そんな気しないんですけど。とゆーか、そんな離れ業ができるよーになるほどデンジャラスな生き方をしたいなんて、そもそも思いませんが」
所在なさげに手を差し出したままのユーキの横を通り過ぎながら、愛奈が呆れ顔でリドウにツッコミを入れている。
リドウはふいっと顔を後ろに動かしたが、それは愛奈のツッコミへの対応ではなく、視線はユーキを捕らえていた。
「信用できねぇってなら、あんたらは予定通り片っ端から当たりゃいい」
「くっ……」
悔しげに息を詰まらせながらリドウの後を歩き出す。
「別にキミを信用したわけじゃないぞ! どこから行っても大して変わらないだけだ!」
これでリドウも反論してくればユーキに立つ瀬もあろうが、リドウが完全無欠にシカトするから余計にユーキにとっては立つ瀬がない。リドウの方が年下のはずなのに、対応は完全に大人と子供が逆転している。
ユーキ自身、半ば無意識の内にそれが理解できてしまっているのだろう。だから彼は余計にリドウへ突っ掛からざるを得ないのだ。少しでも自分の溜飲を下げない限りは終わらない。自分が勝つまで負けじゃないのだ。まるきりチンピラの理屈であるが、本人にその自覚は全く無いのも、今更言うまでもないだろう。
すすすっとリドウに近付いた恵子が小声で言う。
「ねえ。別にいいっちゃいいけどさ、何でそんな一々喧嘩腰なわけ?」
「別に挑発してるわけじゃねぇよ。相手が格上だろうが格下だろうが、俺が気に入らねぇ相手に謙ってまで天下泰平を目指すほど平和主義者だと思うか?」
「全っ――――――然、思わないわねっ」
「だろう?」
迷い無く力一杯に答える恵子もアレだが、そこで更に平然と確認してしまうリドウもリドウだ。
「あと半分は素だな」
「前々から思ってなかったわけじゃないけど……あんたって妙に拘りが高いだけで、部分的にチンピラ気質高いわよね」
「俺も最近自覚してきた。昔は比べる相手が居なかったからな。むしろこれが普通だと思ってたぜ。何せ、兄貴と一緒に悪さしてる内にこうなっちまってただけだったからな」
「いや、自覚してんなら改めなさいよ……」
それに対するリドウの答えは、煙管片手の楽しげな笑い声だけであった。
と……
「あの男が一々リドウに絡む最大の理由はもっと別のものよ」
「え?」
千鶴が真剣な様子で切り出す。
「人間とは常に自分と他者を比べてしまう生き物よ。特に男性の場合、より多く自分の種を残すために、より多くの異性の好意を惹き付けなければならないという衝動を持っているから、自分の種の方が優れていると異性に示そうとするのは当然の心理よ」
「た、種って……」
「千鶴さん……その半端ナイ綺麗な顔でシモネタは……」
赤面してしまうのは恵子だけでなく、彼女と共にリドウ一味の純情組を勤める愛奈もである。
千鶴は一瞬だけクスリと笑っていたが、平然と続ける。
「普通の男たちにとってこの男は、雄としてのコンプレックスが刺激されまくるのよ。他者と比べるまでもなく己は優れていると明確な自負と矜持を胸に抱いて生きているような男か、さもなければよほど無頓着な男か、素直に諦められるのでもないと、平気で向き合えるものではないわ」
「やめろ、こっ恥ずかしい。せめて俺に聞こえねぇ所で話せ」
心底嫌そうに顔を顰めながら抗議するリドウに、千鶴は苦笑しながらお得意の肩を竦める仕草で応じる。
「あの勇者さんが千鶴ちゃんの言ったような男であるわけがない。それがいきなり強大な力を与えられて男としての優越感を満喫してた所に、リドウさんと出会っちゃね。普通の男じゃ仕方ないよ。あの勇者さんの全存在を肯定できるかってゆーのとは全く話が別だけどさ」
シャイリーが勝手に千鶴を引き継いで喋るが、その内容にふと疑問を顔に浮かべる恵子が居た。
「じゃあシャイリーちゃんは?」
「僕は半々かなぁ……」
恵子の質問に、シャイリーは首を傾げながら答える。
「半々?」
「どーでもいいってのもあるし、自分が綺麗で強くて頭もそんな悪くはないって自信はあるね」
「堂々と自分で言っちゃうんですね……」
「でもシャイリーちゃんさ、リドウと戦ってみたいんでしょ?」
「いつかね。僕が勝てる自信がついたら」
「それって比べるとか、自分の方が優れてるって証明したいってことじゃないの?」
全然違う――とリドウ、シャイリー、千鶴の三名の声が一斉にハモった。
三方からの応答は至って平常時の声音であったが、完全に一致したそれに、恵子は歩く足だけは止めなかったが、思わず身を引いてしまう。
「雄としてでもなければ、人間としてですらねぇ。純然たる闘争を純粋に生き甲斐にしてるような――」
左手の人差し指で己のコメカミを突っつきながら、
「ここの線が一本イカレっちまってる阿呆にとっての価値観だ、そりゃ」
「い、いかれ……」
「こっちもこっちで、自分で言っちゃうとか……パネェっす」
常識人を自認する少女たちが頬を引き攣らせているが、リドウの態度は誰はばかることなく堂々としていた。
「勝ち負けなんて、それこそどーでもいいんだよ。一っ欠けらも勝てる自信がなくって真剣勝負を挑むのなんて、リドウさんに失礼」
「殺さないように手加減することが“できてしまう”相手から真剣勝負を挑まれて、実際に手加減してたら『本気で闘え』と要求されたとして、本当の本気で闘えると思うかしら?」
三者三様に言い含められて、普通人な少女二名は深く頷く。
「強者の論理ならぬバトルジャンキーの論理ってことね……」
「本当に、人生の半分以上を闘うために生きてるんですねー、皆さん……」
もっとも、どこか疲労感の漂うとっても気だるげな様子での得心であったようだが。
そうして傍目に和気藹々と過ごしていると、背後から一人、大きな足音を立てて近付いてくる気配がする。ちなみにモブの騎士さんたちは最後尾から寡黙に付いて来ている。
「おい、キミ」
勇者さまであった。どうやら美麗少女たちに囲まれて楽しそうなリドウの様子が気に入らず、邪魔しにきたらしい。
「訊きたいことがある。……いや、必ず答えてもらう」
実は先ほどからずっと忌々しそうにリドウを睨み付けていたのだが、ケチをつけるべき話題が思い浮かばずにイライラしていた所で、ようやくその話題を思い付いたようだ。
「何だい?」
応える声は至って普通だった。気に入らない相手ではあるが、リドウにとってはどうでもいい相手であるのが紛れもない本音であり、一瞬嫌悪感を覚えることはあっても、すぐに忘れてしまうらしい。千鶴曰くところの――大雑把というか器が大きいというか――という性格が顕著に表れた例だろう。
「キミは強い。それは認めてやる。だが、それだけの力を持っていながら、何で力無き人々のために使おうとしない?」
「あんた、金持ちに――それだけの金が有るんだから浮浪者の人生を無償で保障してやれ――と説得して回ったことはあるかい?」
「は?」
瞬時に返ってきた答え兼用の質問は、ユーキにとっては全く理解の範疇外であったようだ。
リドウは視線を前方に戻しながら、その先へ向けて大きく煙を吐き出す。
「元々真面目に働く気が無ぇか、大失敗かましてそうなったか、いずれにしても連中には金を稼ぐって『力』が無ぇんだ。それを補ってやれ、とは思わんのかい?」
「それとこれとは話が別だろう」
「いんや、同じだね」
リドウは唐突に足を止めて振り返り、煙管の先をユーキに突き付ける。
一同全員が反射的に足を止める中で、ユーキは既に険しかった顔を更に色濃くする。
しかしリドウは特別な感情を何も浮かべることはなく、淡々と己の言葉を紡ぎ出す。
「物理的戦闘能力の有無は命の有無に直結する。貨幣経済が成立する以前から厳然として認められる根源的な意味の力でもある。故に特別視され易いが、人の生に必要とされる力という意味では全く変わらん。金があれば自然と可能となる事象が増える。強者を大金で雇って身を守ることもできる。金が有りゃ治せる病に苦しんで死ぬ人間なんざ幾らでも居る。努力して身につけた『金という名の力』をどう使おうがそいつの自由だ。同じく、俺が身につけた力を俺がどう使おうが俺の自由だ。悪行に手を染めてるわけでもねぇのに他人から文句を言われる筋合いはねぇんだよ」
「詭弁だ!」
それを切っ掛けにして、互いに無言になってしまう。
リドウは待ったのだ、ユーキが何を以って詭弁と論ずるのか、その理由を。
対してユーキは、それで全ての反論が済んでしまったと考えており、リドウが更なる反論をするのを待っていた。
お互いがお互いに相手の反論を待ってしまったが故の無言であった。
それに先に気付いたのはリドウで、彼は何も言うことはなく踵を返して再び歩みを再開した。
「逃げるのか!」
挑発してくるユーキに、リドウは強い舌打ちをしながら三度振り返る。
その一方で、
「我慢なさい」
リドウとユーキを挟んで少女たちの逆側では、今にも抜剣して襲い掛からんばかりのラクセスを、ヴィレッタの真剣な表情が押し留めていた。ヴィレッタにラクセスを物理的に取り押さえられる力など無い。ラクセスがヴィレッタに抑制されてしまっているのは、これもある種、二人の間に横たわる格の違いによるものであった。
「しかしヴィレッタ」
「先に手を出した方が負けよ。実力行使に出た時点で、己の不明と相手の正当性を認めることになるわ」
「くっ……」
何とか自ら留まったラクセスをヴィレッタは一度も見ることはなく、男二人をじっと注視していた。彼女は期待していたのだ、リドウと正面から向き合うことによってユーキの意識が改善されることを。“漠然とした正義”にただただ拘るのではなく、様々な考え方に触れ、自らその内容を吟味し、自ら考え抜いて、自ら結論を出した『本当の正しさ』を持ってほしいと。
同じ人間が二人と居ないように、全く同じ考え方をできる人間だって二人とおらず、全く同一の正義だって二つと存在しない。しかし、己が真に正しいと心から思える生き方さえ見つけられれば、それを誇りと胸に抱いて真っ直ぐに生きていけるはずだ。
リドウがまさしくそうであるのだから。時には他者と意見がぶつかり合うことだってあるだろう。その時彼は、必ずしも論破してやろうなどとは考えず、その人間はそうやって生きているのだなと納得しながらも、その後も己の論理に従って生きて行くだろう。あるいはその人物の生き方を自ら素直に参考にすることだってあるだろう。
彼の場合、様々な人間に触れてきたとは決して言えないが……彼自身の親を忘れてはいけない。人の世の深淵を見尽くしてきた超越存在によって育てられた男なのだ――と。
この場の一同が勢揃いで注目する先では、リドウによる問答が繰り広げられていた。
「あんたは力って言葉に幻想を抱き過ぎだ」
「幻想、だと……?」
「そうだ。力に一々意味を持たせるのは何モンだ?」
それは人間だ。
「その意味を考えたのは何モンだ?」
それも人間だ。
「力はただ力だ。そこにどんな意味を持たせるのはか人それぞれ。俺が俺の力をどう定義しようが俺の勝手だ」
「正義無き力に価値など無い!」
ユーキが俄然気張ってリドウに説くが、そのセリフが彼の何かに触れてしまったらしく、額を手のひらで押さえてくつくつと笑っている。
「何が可笑しい!?」
「いや、失礼。ちとツボに入った」
額を押さえていた手を前に出してユーキを宥める。
「意味を持たせるのが本人だとすりゃ、そこに価値を見出すのは他人だ。あんたの言う通り、他人からすりゃ俺の力なんぞ何の価値も無ぇだろうよ」
「なら」
「だがな――」
消えてしまっていた煙管の灰を落とし、足で踏みつけながらユーキを鋭い目つきで見据える。
「つまりは無、つまりはゼロだ。正ではなくとも負でもねぇ。それが悪徳なら裁くべき道理もあるだろう。だが、俺が俺の力をあんたの定義した意義に副って使わなかったからといって、誰が損をするんだ? 元々存在しなかったモンだと思えば何も変わりゃしねぇだろうが」
「キミが悪徳に使わないという保証が無いだろう」
馬鹿だ――と千鶴とシャイリーが心の中で強く言葉にする。この二人だけでなく、恵子や愛奈もが、それは無い、と思っていた。他人の揚げ足を取ろうと必死になるから墓穴を掘るのだ、と。
「ほう?」
リドウは馬鹿にするのではなく、興味深そうな顔で相槌を打っていた。
「あんたがあんたの力を生涯悪徳に使わねぇと、どうやって保証してくれんだい?」
ぐっと詰まってしまうユーキ。反射神経で応えていると、頭のいい人間相手だと往々にしてこうなってしまうものだ。
「僕は勇者だ! 悪徳に自分の力を使ったりなんて絶対にしないと僕自身が知っている!」
「……左様でございますか」
前を向こうとするリドウ。その口調に、少女たちは思わず寒気を覚えてしまった。
昔、まだ旅に出たばかりの頃、恵子は今の口調を一度だけ聞いたことがある。あの時はリリステラの真似をしただけであったが……
この時のリドウのソレは、何かとてつもなくヤバイ所に触れてしまった故のものであると、はっきりと感じ取る。
「逃げるな!」
もう止めておけ、それ以上この男を刺激するな――そう忠告しようと少女たちが、シャイリーも含めて全員が前に出ようとしたが、もはや聞く耳は持たずに先を行ってしまうリドウを見て、どうやらもう相手にする気が完全に失せたようだと理解し、揃って深く息を吐き出しながらその後を追う。
「あの男、間違いなく勇者ね」
千鶴が、背後でヴィレッタに宥められているユーキをちらっと目にしながら、冷ややかに言う。
「何で?」
シャイリーが無邪気に問うと、千鶴は薄笑いを浮かべてみせる。
「己の死刑執行書に自らサインしに行くなんて、勇気ある者以外の何者でもないと思わないかしら?」
「流石は千鶴……皮肉の切れ味が違うわね」
「皆さん不謹慎ですよ」
愛奈が珍しく、ぷりぷりと怒った様子で友人たちを窘める。
ぽかんとする恵子の横で、千鶴が真顔で頷いていた。
「愛奈ちゃんの言う通りね。いくら相手が最低の下郎とはいえ、人の生き死にを笑いの種にするのは悪趣味だったわ」
反省するわと言いながらも、ユーキを愚弄する発言は忘れないあたりが実に千鶴らしいと言うか何と言うか。
「でもさ、ぶっちゃけあの一瞬、あの勇者完全に死んだと思ったわよ、あたし。あいつにとって召喚被害者って意識、よっぽど強いみたいね」
「それか――僕が勇者さんを止めようとしたのは、この場で大きな力が働いたら、最悪リントブルムと挟撃される可能性を考えたからなんだけど……リドウさんも同じことを考えたのか……」
シャイリーは自分で言いながら、いいやとその説を自ら否定する。
「ないか。僕らが居るし……それにリドウさんなら多分、一人でリントブルムと勇者さんたちを始末することも十分できるだろうし」
「おそらく、最終審判が残っているのでしょうね。“あの提案”にはそれも含まれていると見た方がいいでしょう」
「ああ……なるほど、ね」
と相槌を打つシャイリーの表情は、何とはなしに面白くなさそうだった。
「不満かしら?」
「理解はしてるし納得もしてるよ。でも不満が無いと言ったら嘘かな」
「我慢してちょうだい」
「大丈夫。こんなことでリドウさんの不興を買いたくはないからね。それに、リドウさんの真の実力を一端だけでも目にすることができそうだし……それはそれでオイシイ」
影の射した笑顔でぺろりと唇を舐める様は、妖艶とすら言っていいだけの色気を放っている……本当は男の子なのに。
そんなシャイリーを見て、二人から少し後ろを行く愛奈が、隣を歩く恵子へ耳打ちしている光景も見られる。
「やっぱりシャイリーさんは攻めですよね」
「そんなしたり顔で、あたしにヤオイネタで同意を求めないでよ……」
眉を顰めながら抗議する。
「てかさ、何でリドウが受けなわけ? あいつ、どっからどー見ても肉食系じゃん」
恵子の疑問の声に、愛奈はちっちっちと指を振る。その顔は「わかってませんねー」という風情で満たされていた。
「普段はクールで傲岸不遜なイケメンが実は……ってゆーのがいーんじゃないですか」
「ごめん。全然分かんない」
全くである。
――それから更に、ホールディック山脈に突入してから数時間が経過した。
リドウの先導に従って殆ど直線に歩んでいる中で、パープルアイ以降も何度か魔物に襲撃されていたが、それ自体が問題をもたらすことはなく、一行は順調に進む。
「あたしも体力ついてきたわよねぇ。昔ならとっくに音を上げてるわ」
「何をするにしても人力ですからね。私もおかげ様でこんなに痩せちゃって」
痩せてから身動きがずっと楽になったんですよねー、と明るく言う愛奈。そんな彼女が足を進めるたびにばいんばいんと揺れる一部分に、恵子が恨めしそうな視線を向けている。
「ホントにどーしたら、そんな胸だけ残して痩せられんのよ」
「いや、私に訊かれても……。それに、そんないいことばかりじゃないですよ? どうしても男の人の視線が集中して恥ずかしいですし、肩はこりますし、ちょっと走ったりするだけで痛みますし」
「私も、惚れた男をコレで楽しませてあげられると思えば儲けたと思わないでもないけれど、武芸者としては邪魔くさいと感じるのが正直なところね」
「くっ……この乳ブルジョワジーどもが……ッ。あたしだって胸が重くて肩がこるとか一度は言ってみたいっつーのよっ」
怨念すら篭った声で呻く恵子であったが、千鶴と愛奈は互いの顔を見合わせながら、はぁと大きく息を吐き出し、呆れた様子で恵子を見やる。
「あなただって、Cくらいは有るでしょうに」
「ってゆーか、そんだけカワイイ顔に生まれておいて、贅沢すぎますよ、恵子さん」
「うっさい! それとこれとは話が全然別なのよ! 何よこれっ」
愛奈の前に回り込んだ恵子が、もぎゅもぎゅとバカデカイ物体を揉みしだく。
「ちょっ、や、止め」
「ホント柔らかいわねこれっ。一体何カップよ!?」
「日本に居た頃の私がEで、多分ワンカップは成長したっぽいから……愛奈ちゃんはHかIくらいじゃないかしら」
「あいかっぷ!? それってホントに人間の単位なの!?」
「千鶴さーん、冷静に分析してないで助けて下さいよーっ」
しかし千鶴は楽しそうに頬を緩ませているばかりで、涙ながらの愛奈の声に応えてくれたのは先を行くリドウであった。
「おい、置いてくぞ」
すると恵子は素直に「はーい」とだけ返事をして、何事も無かったかのように歩みを再開した。
その変わり身の速さが信じられず、自分の胸を両腕で保護しながら唖然としている愛奈に、千鶴とシャイリーが苦笑しながら先を促している光景を目にすることができる。
(ったく、もちっと緊張感を……いや、変に気負うよりはいいか)
愛奈だけでなく、この後に何があろうと全て受け止めようと決心している恵子とて、気持ちいいものではないだろう。
まあ、ユーキのことを完全に頭から切り捨て、心から晴れ晴れとできるよりはよほど健全だ。ホールディック全体を包むプレッシャーも気にならないほど、そちらの心配に気をとられる方が勝ってしまい、暗黙の内にみんなして空元気を振りまいているのだろう。
(ま、平然としてられんのも、もうしばらくの話だろうがな……)
歩みを再開してからしばらくは、リドウの予想通りに、少女たちは比較的平常運転で居られた。
しかし次第に少女たちの間から会話が減少して行き、ついに異様な静けさが彼女たちの身を包み込む。
すると、今度はユーキが存在感を主張し始めた。再びリドウへの対抗心が燃え上がってきたのだろう。
「……本当にこっちで合っているんだろうね?」
ユーキが猜疑心で凝り固まった目でリドウに突っ掛かるが、彼の方にまともに相手をする気はやはり無いらしく、顔は前を向いたままだった。
「気付かねぇのか?」
それでも答えくらいは返すリドウであったが、その態度と、何よりも馬鹿にするような発言がユーキの癇を刺激する。別にリドウにユーキを馬鹿にするような意図はなかっただろうが、そう受け取れても仕方ない態度ではあった。
「自分が広大な感知能力を持ってるからといっていい気になるなよっ」
「…………ふぅ」
どうしてそういう受け取り方をしてくれるんだと、リドウは深く煙管を吸ってから、盛大な嘆息と共に煙を吐き出す。
「雑魚どもの気配が完全に消えてんだろうが」
「は?」
リドウの言葉にユーキが一瞬ぽかんとするも束の間のことで、
「も、もちろん気付いてたさっ」
……こいつ、マジで気付いてなかったのか? とリドウは心の中で疑問を口にする。
(良く今まで生きてられたもんだな……)
実戦経験の浅い千鶴とて、最近では生意気にも多少は気配を読むようになってきている。リドウが散々口を酸っぱくして言い聞かせていたのもあるが、それ以上に本人が言われるまでもなく常に注意を怠らなかったという意識の高さから身についたのであろう。
それだけでなく、恵子と愛奈まで異様な雰囲気だけは感じ取っているというのに……。
(デカイ力をいきなり持っちまった弊害で余計鈍くなってるのかねぇ。あっちの二人がそこら辺を受け持ってたんだろうが……甘やかしすぎじゃねぇか?)
と、少し後ろから付いて来ているヴィレッタとラクセスを見る。
と……
「今私も捉えたわ。間違いない、リントブルムはこの先に居る……。このペースだと、楽しいデートまであと一刻というところかしらね」
ヴィレッタもリントブルムの気配を捕捉したようで、その桁違いの存在感を警戒しているのか、自然と全身に力が入ってしまっている。
「大丈夫だよ、ヴィレッタ」
ヴィレッタの様子を案じたユーキが明るい笑顔で励ます。
「僕たちならきっと大丈夫だ」
「ええ、そうね……」
ヴィレッタも笑顔でそれに応じるが、その内心は不安が渦巻いていた。
リントブルムの処遇に関しては、彼女はリドウが居る時点であまり心配はしていない。
彼女が案じているのは……リドウがユーキをどうする心算で居るのか、その一点に尽きた。このままリントブルムを退治して、それで「はいさよなら」となるとは、彼女には到底思えなかった。
(もし、あの子と戦うことになってしまったら……)
自分はどうすべきか。
ヴィレッタは迷う。
勝てるはずがない。だが、だからといって自分がユーキを見捨てるわけにはいかない。それが彼女なりの矜持だった。
それから結局、ヴィレッタの迷いが晴れることはなく、審判の時はやって来る。
――リントブルムが現れた――




