第二十七話 正義
三年前、ロンダイク聖教の教皇庁から各国に内密で打診されたのは――超大規模召喚で呼び出した数多の勇者による魔王並びに魔物掃滅計画であった。
リドウたちが考えた通りの、あまりにも月並みな計画であったが……やっている方は真剣なのだろう。勇者ユーキの顔に冗談は欠片も見当たらない。
ロンダイク聖教はそもそも、人間が至高の存在であるという思想を抱えており、魔王とは人の道を外れた邪悪な存在であると定義している。魔王や魔物といった『魔』と付く存在は須らく怨敵なのだ。
魔王たちを邪悪だと断言するユーキに対して、少女たちは非常に懐疑的であった。というより、頭から信じていなかった。
「積極的に人間を害する魔王なんて存在しないと聞くわよ?」
「確かにそうかもしれない」
意外にもユーキは千鶴の言葉を真顔で肯定してみせた。
まさか、ガチガチな勇者にしか見えないユーキからそんな言葉が出てくると思わなかった少女たちは、それぞれに訝しげな顔をする。
感心したりはしなかった。ユーキが魔王の危険性を一部否定したからといって、邪悪と断言したのはついさっきの話であり、その存在まで肯定したわけではないのは明らかであったから。
「しかし、魔王という存在は例外なく倫理観に乏しいのも疑いようがない。彼らが暴れるたびにどれだけの被害が出るか、キミたちは知っているかい?」
これには恵子と愛奈が乾いた笑いを浮かべ、千鶴も目線が微かに泳いでいる。
リドウ対ルミナリアの私闘によって創造された廃墟は、確かに人々にとって迷惑極まりない仕業であるのは彼女たちにも否定できず……きっとリドウ自身も否定はしないだろう。
アレばかりは、少女たちも揃って「マジで一度反省しとけ」とリドウに対して非常に強く思うところであったし。女癖の悪さと併せて、リドウの大きな欠点だ。……女癖に関しては、浮気に相当する決まった恋人が居るわけではなく、お相手として選ぶのも割り切れる女性だけなので、こう言ってしまうには少し違うかもしれないが。
「それに、今は積極的に人間を害してきたりはしなくても、いつそうなるかは誰にも保証できない。そうなった時の脅威はゲームで登場する魔王と変わるものじゃないだろう。過去には実際に世界征服に乗り出した魔王も居たんだ」
「けど、その魔王はリリ……魔神が倒したはずよ!」
恵子が大きな声で主張する。以前に千鶴からそんな魔王も存在したらしいと聞き、人類がどう対処したのかリドウに訊ねた際、彼からはそう答えが返ってきて、流石は聖母もかくやの大魔王様だと思ったこともあった恵子である。
「それにしたって、他の魔王によって世界が征服されてしまっては、自分が敬われるのに差し障ると考えただけかもしれない」
「穿ちすぎた考えね。そんな考え方をしてしまっては、この世の生きとし生ける者を並べて悪しき存在にできてしまうわ」
千鶴の無感情な声であったが、それがユーキにもたらした反応は、疲れたように首を横に振るというものであった。
「やはり、キミたちは既に毒されているようだね」
「毒されて?」
「魔王が緩やかに人類を支配するために広めた、正しく聞こえるだけの邪悪な思想に――ね」
困ったものだという風情で、しかしどこか優越感すら見るものに与える態度で言い切る。
あたかもこの世の真理を知っているのは自分だけだ、とでも思っているような風情だ。
しかしこのユーキの言葉は、少女たちにとって許せないものであったが、特にとある一人の少女にとって絶対に看過できないものであった――麻木恵子という名の少女にとっては。
彼女はもう我慢ならないという憤懣やる方ない顔になって、千鶴を押し退けて前に出る。千鶴は意外そうな顔になりながら、しかし恵子を止めようとはしなかった。
「あんた、わんちゃん派? 猫ちゃん派?」
「え? あ、ああ……どちらかと言えば犬かな。チワワとかシーズーとか、小型犬の方が大型犬よりも好きだね」
その質問がどういう意図から発せられたものかユーキには理解できず、戸惑いながらの答えになってしまう。
「じゃあもし今、あんたの目の前でチワワが食べられそうになってたら、あんたどーする?」
ユーキは嫌悪感を露に応じる。
「もちろん、助けるさ」
「へえ?」
面白そうに相槌を打つ恵子であったが、そこには紛れもない嘲りが入り混じっていた。
「あんた、お肉食べないの?」
「それは……食べるが……」
恵子がこの後の話をどう展開していくつもりなのか理解できたユーキは、難しい顔でぽつぽつと答える。
が、唐突に決然とした顔になり、恵子の目を正面から見つめ返す。
「飢えて死にそうになってる時だったら、仕方ないだろう。それを責められる人間なんて誰も居ないよ」
「違うわ」
「え……?」
自分の予想とは違う恵子の答えに、ユーキは虚を突かれた様子で小さな声を上げる。
「あたしが訊きたいのは――」
一切の嘘を許さないという強靭な意志を瞳に宿す。
「――その先よ」
「その先……?」
「豚肉、牛肉。どっちも農家の人が食肉にするために飼育するわよね。最初から殺して食べるためにわざわざ育てて、やっぱり殺して、売り物にして……あたしは何の疑問も持たずにそれを食べて今まで育ったわ」
瞳を閉じ、感情を容易には窺わせない声であった。
「この世界でも家畜を育てる農家の人は沢山居るわ。殺して食べるために飼育するなんて行為が、あんた本当に正義の行いだと言い切れるの?」
「そ、それは……」
「何であんた、彼らを止めないの? 罰さないの?」
「そ、そんなの……それが彼らの仕事じゃないか!」
大声になってしまったのは、答えようのない、都合の悪い問い掛けだったからだろう。
「他に食べる物が無くって、仕方なく食べるんじゃないのよ? “美味しいから”食べるのよ? あんたにとって、牛さんや豚さんは『飢えてなくても食べていい動物』で、わんちゃんは『飢えてなくちゃ食べちゃいけない動物』なの? 同じ動物よ?」
「子供が生意気言うんじゃない! 世の中は綺麗事だけで回っているわけではないんだ!」
「ゆーもん!」
この場にはリドウが居ない。千鶴ではユーキに勝てるかすら怪しく、更にラクセスまで控えているというのに、勇者の恫喝に対して恵子は臆することなく、毅然とした眼差しで迎え撃つ。
「あたしはこの世界に来るまで、ずっと何の疑問も持たずにお肉を食べて今まで育ったわ! 牛肉豚肉鶏肉、今だって食べるわよ。わんちゃんのお肉だなんて言われたら、きっと気持ち悪くって、食べてる最中だったら吐き出しちゃうわよ! けどどっちも同じ動物よっ。命なのよ!」
ユーキの方こそ怯んだ様子を見せる。戦闘能力の欠片も無い、五歳以上は年下のはずの小娘が勇者を圧倒するという一種有り得ない現実。
子供が生意気を言うんじゃない――大人が言い負かされた時のお決まりのセリフは既に使ってしまい、封じられてしまったばかりであった。それ以外に彼には何の反論の言葉も思い浮かばなかったようだ。
「あたしはこの世界に来てから初めて知ったわ……ううん――」
唐突に首を横に振る。しかしその顔は何かの迷いが伴ったものではなく、凛とした雰囲気を湛えている。
「きっと前から知っていたのよ。知識としては持っていたのよ。けど全然実感してなかったのよ――生きてるってゆーことは、それだけで大なり小なり罪を重ねているものなんだって。そりゃ、正真正銘の悪党外道って世の中には一杯居るけどさ。けど……けど……」
目に一杯の涙を浮かべて、強い眼差しでユーキを睨み付ける。
「魔神が居てくれなかったら……魔神の教えが無かったら、あたしはとっくにこの世界で死んじゃってたわっ。魔神は、魔王の存在は確かに怖いのかもしれないし、凄い力を持ってるから危険だって気持ちは分かるわ。でも勝手な憶測で一方的に『邪悪』だなんて決め付けないで! そんなの、悪いやつじゃないと殺しちゃいけないからって、自分たちの気持ちを納得させるためだけの言い訳よ! 家畜なら平気で食べられるのと一緒の、公平に考えるのが怖いだけの身勝手なへ理屈よ! せめて正直に、夜も怖くて眠れないから退治しちゃいたいって言いなさいよ!」
興奮して猫が毛を逆立てたようになっている恵子を、潮時だと考えた千鶴が肩を優しく掴んで再び背後に庇うようにする。
恵子は逆らわずに大人しく従ったが、その瞳だけは未だにユーキを睨み付けるままであった。
千鶴が潮時だと考えたのは、何も恵子の状態を慮ってばかりのものではない。恵子の言葉が勇者を叩きのめして行く都度、だんだんと険悪さを増していくラクセスの状態の方こそ、千鶴は憂慮していた。
「お生憎様ですけれど、私たちは魔王が怖くて夜が眠れなかったりはしないのよ」
「ユーキ」
千鶴の冷え切った態度を最後、とうとうラクセスが憤怒を押し殺した声で己の勇者の名を呼ぶ。
「こいつらにこれ以上何を言っても無駄だ」
「……そのようだね」
ユーキも感情を押し殺した声で応じる。
「やはり、すっかり洗脳されているようだ」
「勝手に決め付けないでちょうだい」
「キミは頭が良さそうなのに、どうして分かってくれないんだい? リリス教国家が徐々に力を増していく中、その分の煽りを食っているのはロンダイク聖教国家だ。このままではロンダイク聖教がリリス教に押し潰されてしまう。そうなれば魔王が好き勝手にのさばるのを許すことになるんだよ? 見せ掛けだけの正しさに囚われている今のキミたちの状態を、洗脳と言わずに何と言えばいい」
「それを見せ掛けだと決め付けるなと、私もこの子も言っているのよ。こっちから言わせてもらえば、今以上に影響力を落としたくないロンダイク聖教が悪あがきに出たようにしか聞こえないわ」
ユーキはやれやれとばかりに、処置なしと首を振りながら、場の雰囲気に飲み込まれてすっかり萎縮してしまっている愛奈へと視線を向ける。
「キミはどうなんだい?」
「え? あ……その……」
突然話を振られてしまった愛奈は、戸惑いながら、おずおずと口を開く。
「えっと……その……魔王が全然怖くないって言ったら……その、嘘ですけど……あなたの仰るよーな意味で怖いとはあんまり思いません」
愛奈が知る魔王は剣姫ルミナリア・ファルミのみであり、愛奈自身はルミナリアを素直に怖いと思う。が、愛奈がルミナリアを怖いと思う所以は彼女の怜悧な容貌と何者も寄せ付けない冷徹な雰囲気だけで、彼女の存在自体が恐ろしいとは特に思わない。
……てか、そういう意味ではリドウも、そして千鶴すらもが、ちょっと怖いなと思ってしまう愛奈であるが、二人とも無闇矢鱈に力をひけらかそうとするような人間ではないと理解しているため、やはり怖いとは思わない。
むしろ……
「こうなったら、力ずくでも国に連れ帰って、真に正しいこの世の理を教えてあげるしかないようだね」
「ユーキは優しいから仕方がないが、最初からそうすべきだったんだ。いい加減子供という年齢でもないだろうに、こんな分別のない愚か者ども、少し痛い目を見た方がいい」
――こうしていとも簡単に対話による解決を放棄し、躊躇なく実力行使に出てくる人間の方が、愛奈にとってはよほど恐怖の対象であった。
千鶴は目の前の二人の影響圏から背後の二人を遠ざけようと、一歩後ろに引く。
「まさか、こんな場所で戦るつもりではないでしょうね……」
自分は酒場内で仕掛けようとしたのを棚に上げているようにも思える発言だが、別に矛盾してはいない。最初にラクセスと一触即発になった時は、「表に出なさい」という言葉を吐く前にリドウによって妨げられてしまっただけで、リドウ対勇者の構図が展開された時に完全に殺る気だった方は、“あの状況”ならば周囲に被害を出すことなく確実に一撃で葬れるという自信があったのだ。
……まあ、人死にを出されてしまう店側にしてみれば、迷惑以外の何物でもないだろうが。
しかし、一方的な瞬殺ならば別として、自分たちのような力の持ち主によるガチバトルをこんな街中でやらかすのは、千鶴にとっては最も避けたい事態の一つであった。その顔は自然と、こいつは正気かと疑うようになってしまう。
「キミたちが真の正義に目覚め、僕らと共に戦ってくれるようになった時の利を考えれば、多少の犠牲は許容されてしかるべきだろう」
本当にそうと思っているらしく、ユーキの顔には一見嘘は見当たらない。あるいは見せかけではなく、それが真実の正義であると心から信望しているのだろう。
「それに事この件に関しては、一人でも多くの勇者を得るため、国の方からも多少の無茶は何とかするとお墨付きを貰っているんでね」
千鶴たちのような勇者候補が現れていることを、例の計画に携わった国の上層部は総じて予測していた。また、その勇者候補たちは“浮いた存在であり”、どこの国が手にしようが早い者勝ちという認識らしく、諸各国は血眼と言っていいくらい獲得に熱を上げてもいた。
ユーキの発言からほぼ正確にそういう事情かと読み切った千鶴は、
「自分が罰せられる道理が無いから正しいとでも? とんだ正義だわ。とても正気とは思えないわね」
心底不味い物を吐き捨てるようにはっと息を吐く。
「罪人とはいえ、憎悪に任せて嬲り尽くしてしまった私も到底褒められた人間ではないけれど、あなたにはちっとも敵いそうにないわ」
「やはり、危険な思想の持ち主だったようだね」
千鶴は己の恥ずべき過去を隠そうとはせず、自分自身が愚劣な人間であると認めながらも、相手の愚昧さを非難するが、相手の耳には都合のいい部分しか届いてくれなかったらしい。
(これだから絶対正義主義者は……まったく、同じ正義信望者でもハインツとはえらい違いだわ)
千鶴は少しだけ首を逸らし、ちらりと背後を窺う。
(ちっ……出口は向こう側。愛奈ちゃんはまだ気功士相手に戦えるレベルではないし……これは進退窮まったかしらね。都合良くリドウが英雄譚の主人公よろしく助けに現れるのを期待するしかないかしら……)
油断せずに偃月刀を構えながら千鶴は頭をフル回転させるが、残念ながらいい手は思いついてくれない。
「あの……」
千鶴の背後から、遠慮がちな小さな声が届く。千鶴は目の前の敵から視線を外さずに応えた。
「何かしら? 愛奈ちゃん」
「もう避けられません、よね……?」
「避けられるものなら避けたいところね」
「分かりました」
愛奈は更に声を潜める。
「気功士と戦うのは私には無理ですけど、今のこの袋小路状態から抜け出すだけなら、私に作戦があります……かなり荒っぽい方法ですけど」
「物的被害だけで済むなら採用するわ。あなただけで実行できるなら尚のこと望ましいのですけれど、どうかしら?」
「私の魔法だけでダイジョブですけど……どーしてですか?」
「なら説明は不要よ、あの連中が聴力を強化していたら聞かれてしまうから。残念ながら私ではまだそこまで見抜けないわ。上手く合わせてみせるから、やってちょうだい」
「了解しました」
愛奈は即座に脳内で魔法を練り上げる。
(大きな力をただ振り撒くんじゃない……)
それだけの力を必要な範囲に集中し、最小限で最大限の効果を発揮する――リドウに教えられた魔法の基礎にして神髄を愛奈は強く意識する。
(大丈夫。前は千鶴さんが守ってくれてる。怖がっちゃダメっ。リーナさんたちの時と一緒。千鶴さんを信じて私は自分にできることをするだけ。私はできる。やればできる子!)
その魔力の高まりを敏感に感じ取ったラクセスが、はっとしながらユーキに注意を促す。
「ユーキ! あの小娘は魔道士だ!」
「え?」
しかし、その時には既に愛奈の準備は整っていた。
魔法を起動段階に持っていかれてしまっては、気功士の動きよりも流石に魔道士の魔法の方が早い。
どんな魔法が来るか分からず、ユーキたちは身構える。
が、愛奈の狙いは全く逆であった。
くるっと反転した愛奈が壁に向かって手のひらを掲げる。
「エアバースト!」
ドッガァーン
轟音と共に壁の一部が爆散し、大きな穴が穿たれる。
エアバーストの正体は圧縮した空気を爆発させる魔法であった。
愛奈の親和属性は雷であるが、攻撃的な性格ではおよそ全くない彼女の場合、いざという時のために雷で起こせる現象を優先して学んではいるが、同じくらいに風という応用力に富んだ非攻撃的属性を主に練習していた。
エアバーストはその一つで、敵の手前で圧縮した空気を爆発させ、その爆風に前方への指向性を持たせることで吹き飛ばすという、自分の身はちゃんと守りつつ、敵をできるだけ傷付けず、しかし『確実に一撃で』追い返したいという愛奈の臆病さと優しい心根の両方が良く表れた魔法であった。ただ突風を起こして吹き飛ばすだけという方法を取るよりも、エアバーストの方が圧倒的に効率がいいのだ。
更に、場合によっては任意の場所だけを爆破して物理破壊を起こすという、今回のような応用も利く使い勝手のいい魔法として愛奈は最近特に好んで練習していた。同時に普段から『この魔法で何ができるかな?』と考えていた――リドウから『自分の持ち手で何ができるか常に幅広く考え、多様な対処をできるようになった方が、変に手札だけ多く持って熟練度が落ちるより、初心者は遥かに強くなれる』と言い聞かせられてきたのが、今功を奏していた。
「千鶴さん!」
「ナイスよ愛奈ちゃん!」
愛奈の魔法によって外が見えるようになったことで、彼女の思惑を的確に理解した千鶴は、偃月刀を乱暴に外へと放り投げ、愛奈と恵子を両脇に抱える。
ここは宿屋の二階だが、ハイクラス気功士の千鶴にとっては特に何と言うこともない高さである。
恵子にとってはそうはいかないが、彼女も瞬時に覚悟を決めて千鶴に強くしがみ付くと、三人は空中に飛び出した。
「待て!」
浮遊感を覚えたのは一瞬のことで、少女たちは無事に地面に降り立ち、千鶴は間髪入れずに偃月刀を拾い上げ、追って来る勇者たちに備える。
「何してんのよ! 早く逃げなくちゃ!」
恵子が千鶴の腕を掴んで引っ張るが、彼女は静かに首を横に振った。その時にはもう、ユーキたちも地面に降り立った瞬間であった。
「リドウならともかく、あなたたちを抱えて気功士を振り切るなんてマネ、私には無理なのよ。ここは私に任せて先に行きなさい」
「死亡フラグですよそれ!?」
「……そんなマジレスしないでちょうだい」
愛奈の冴え渡る突っ込みに、千鶴は恥ずかしげに顔を背ける。
「私なりに場を和ませようと冗談を言ってみたのだけれど……あまりセンス無かったみたいね」
「ふざけてる場合じゃないでしょ!」
「冗談だけれど、本音でもあるわ。はっきり言って、私一人の方が楽なのよ。悪いけどあなたたちが一緒だと足手纏いなの。私が足止めしてる間にさっさとリドウと合流してちょうだい」
「そんなこと」
恵子の反論は千鶴の強烈な視線によって封じられてしまった。
「できるできないじゃないのよ。やりなさい」
この女、近頃本当に想い人に似てきたな――恵子と愛奈は頭の片隅でそう思いながら、神妙な顔付きになって肯いた。
それでも心配そうな部分は拭い切れていなかったが、そんな彼女たちを安心させようと、千鶴は柔らかい笑みを浮かべてみせる。
「それに助っ人も居るわ」
言ったその瞬間、上空から千鶴の側に何かが降ってくる。
降り立ったその影を良く観察してみると、月光に反射して煌く金髪が麗しい美少女……風味の美少年であった。
「やほ」
少女たちへ陽気に片手を挙げたシャイリーは、すぐに身をひるがえして勇者たちの方を向く。
「何か面倒なことになってるね」
面倒と言いながらも、その表情はうきうきわくわく、とっても楽しげなものであった。こいつも全くもって困った少年だ。
千鶴は苦笑を浮かべながら、背後の少女たちに向けて言葉を投げ掛ける。
「早く行って」
二人は一瞬、顔に躊躇を浮かべたが、この二人が揃っていれば最低限時間稼ぎには十分かと判断し、短く答えを返して繁華街の方へ走り去った。
残った千鶴は隣に立つシャイリーに向けて、これ以上ないくらいに重厚な声で問い掛ける。
「一つ確認しておきたいのだけれど」
「なに?」
「あなた、あの勇者の一味だったりしないわよね」
「は?」
シャイリーにとってあんまりにも意味不明な質問だったのか、彼はぽかんと口を開いて千鶴の横顔を見つめる。
「ほら。こういう時って、加わったばかりの仲間だと思っていた人間が、実は敵方で背後から……っていうのがお約束と思わないかしら?」
「あのね……」
シャイリーは思わず脱力しながら、げんなりと千鶴を見てしまう。
「あー、まーいーけどさ。僕、悪戯は好きだけど嘘は嫌いなんだ。ってゆーか、はっきり言っておくけど、勇者って大―――――――――っ嫌いなんだよね、僕」
目一杯に力の込められたその言葉は、シャイリーがどんだけ本気で勇者を嫌っているかを如実に表していた。
「基本、発狂寸前の鍛錬もしないで闘気に目覚めた努力知らずの天然気功士自体が嫌いなんだけど、勇者ってその筆頭じゃん?」
「……あなた、気付いたら目覚めてたと言わなかったかしら?」
シャイリー言葉に込められた強い思いから、彼が闘気に目覚めるに至った過程を知ることとなった千鶴だが、それって嘘じゃないの、とも思ったらしい。
もっとも、シャイリーは気楽に笑っていたが。
「だって、僕は努力してますよーって口にするの、なんか恥ずかしいじゃん」
「まあその通りね」
「リドウさんや千鶴ちゃんみたいに、気功士って事実に甘んじることなく、自分の限界に挑んでるような人は話が別だけどさ。てか、リドウさんとはいつか全力で闘ってみたいと思ってるから、味方かって訊かれると答え辛いけど……それも当分先の話だしね。今の僕じゃリドウさんとは到底勝負にならないから」
「作戦の相談ならその辺で終わりにしてくれないかな」
ユーキがイラついた様子を見せる。不意打ちは卑怯というのが彼の正義感なのか、問答無用で襲ってくるわけではないらしい。こんな場所で襲っておいて、酷く歪な正義感にも思えるが、本人の中では矛盾しないのだろう。
千鶴はユーキの問いには答えず、先ほどよりも更に声を落としてシャイリーに話しかける。
「あなたから視て、私はあの勇者に勝てると思う?」
「微妙だね。簡単に負けるとは思わないけど……」
「そう……」
少し傷付いたらしい。“高が勇者程度”に劣っているようでは、この世界……いや正確には『リドウたちの世界』において自分はまだまだ話にならないのだという事実を再確認してしまった形だからだろう。
「見るところあの勇者さんの方が千鶴ちゃんよりキャパ大きそうだ。膨大な闘気が生み出す攻防力は決して侮れないよ。全く剣術を知らないってわけでもなさそーだしね。ここは安全に、あの勇者さんの相手は僕に任せて」
「私はまだ、そこまで“眼”が養われているわけではないけれど……あなた、多分、そんなにキャパシティが大きい方ではないのではなくって?」
「僕もそれなりに闘気キャパシティは有る方なんだけどね……」
こちらも少し傷付いた顔をする。そりゃ、規格外ばかりのキミたちと比べられたら分が悪いけどさ――とぶすっと呟きながら、けど……とシャイリーは意味深に続ける。その表情はどこまでも楽しそうで、とても場に相応しい態度ではなかったが、彼らしいと言えば非常にらしい。
「抗い得る最低限の力と速度さえ生み出せるのなら、技で破ることは必ずできる。武術とは弱者に生まれ付いた人間が生れ付きの強者に対抗するためにこそ生まれ出でたのだと証明してみせるよ」
準備運動とばかりに手をぶらぶらさせながら、首をこきこき鳴らす。
「あっちの女騎士さんを片付けても、絶対に邪魔しないでね」
「こちらの問題なのに迷惑かけるわ」
「こーゆーのなら大歓迎」
千鶴は、トントンと軽快なステップを刻みながらユーキの方へと近づいて行くシャイリーを頼もしく思い、礼の言葉を紡ぎながら、自分はラクセスの方へと歩む。
「待ってもらったことには感謝……する必要は無いわね」
「ふん」
氷結の殺気を身に纏いながらの千鶴のセリフであったが、ラクセスは薄笑いを浮かべながら鼻を鳴らす。
「あの男は少々厄介そうだった。勇者たるユーキに敵うはずもなかろうが、貴様と連係されては、あるいは敗北も考えられただろう。貴様を先に撃破してしまえば、あんな礼儀も知らんチンピラなど恐れるるに足らん。あの二人は貴様を倒してからでも十分だ」
「させると思っているの?」
「ふっ」
自分の優位を確信しているが故の、自信に満ちた笑いであった。
「そもそも先刻は不意に背後を取られてしまったが故、迂闊に動けなんだだけに過ぎん。我が勇者の生まれ育った世界では、およそ争いと呼ぶべき戦いなど既に失われて久しいと私は知っている。戦士としての実力で、高々一年に満たん経験しかない小娘に私が劣るなど塵ほども考えられん」
「そうやって憶測だけで相手の実力を量るから、明らかに魔法使い系の愛奈ちゃんの実力を見誤ったのに? こりない女。愚かも極まりないわね」
これだけ言っても、ラクセスの優越感を覆すことはできなかったようだ。
「確かにあれには驚かされた。一年にすら満たん期間であのレベルの魔法を扱いきるとはな。だがたとえ貴様に勇者として相応の才が有ったとしても、貴様と同じ気功士として、平和な世界でぬくぬくと生きてきた小娘が少々努力したところで、私が劣るなど有り得んのが単純な事実であると、私は知っているだけに過ぎん」
「その思い込みが命取りになると知りなさい――いえ、私が直々にお教え差し上げるわ」
互いに武器を構えて睨み合う。
一方のシャイリーとユーキは……
ニコニコ顔のシャイリーの存在に戸惑いを覚えているユーキという構図が展開されていた。
「キミのような可憐な女の子を傷付けたくはない! キミは彼女たちとは違うようだが、良ければ僕たちと一緒に来ないかい?」
「あのさー」
シャイリーは酷くガッカリ感を匂わせる呆れた顔をになる。
「僕が気功士だって理解してる?」
「勇者たる僕に挑もうなどと考えるくらいだ。ノーマルではないだろうな」
「うわ……」
それすら見抜けないのかよ――言葉にはしなかったが、シャイリーは段々とやる気が殺がれていった。しかし同時に、沸々と怒気が全身に漲ってくる。
「マジで宝の持ち腐れだよ」
首を横に振りながら、小さな声で勿体無いと魂の底から搾り出すように零す。
「男とか女とかさ、関係無いでしょ。現在認定されている七名の魔王の内、三名は女性体で、しかも最強を謳われるのも女性体の魔神なんだから」
「キミもやはり、邪悪な思想に毒されてしまっているようだね」
大きなため息を吐きながら首を横に振っているユーキであったが、その顔を元の位置に戻した頃には、きりっとした決意が浮かんでいた。
「真の正義を教えてやるのが勇者たる僕の使命なんだろう。きっといずれキミはあの子たちと一緒に、僕に感謝するよ」
「どーして女の子にだけ拘るわけ?」
「え?」
つまらなそうに問い掛けるシャイリーに、ユーキは心底意外そうな顔をする。
「味方につけるならリドウさんじゃない? あの人の実力が僕らの中でも飛び抜けてるのは素人目にも明らかでしょ。間違いなくハイエンドの中でも最上位に近いよ」
「やれやれ。確かに多少はやりそうだったが、勇者でもないハイエンドなんてそうそう存在するわけがないだろう。彼は僕よりも年下のように見えたが、そんな若さでハイエンドの領域まで達したなんて話があったとすれば、それこそ歴史に名を連ねるレベルだ。それに、もし本当にそうだったとしたら、それはそれで、魔王に覚醒する前に倒す必要性も出てくる――“ルスティニア人で勇者に匹敵するほどの実力を身に付けてしまった人間は、魔王に成ってしまう可能性がある”のだからね」
シャイリーは、今何か意味不明なことを耳にしたぞと、目をぱちくりさせる。
(ああ……そーやって教えられてるわけね。この世界に来てしまった時点で『この世界の摂理』で自分が生きているって考えは無いわけだ)
ふっと微笑を浮かべるシャイリーの瞳には、確かな蔑みが浮かんでいた。それは、国にとって都合のいい話だけを聞かされて、疑うことなく信じ込んでいることに対してもそうであったが……
「どうも聞いてるとさ、リドウさんをルスティニア人って決め付けてるけど、何を根拠にそう思うわけ?」
「え?」
「え? じゃないよ。千鶴ちゃんたちと一緒に居て、人種の相違点も全く見当たらないリドウさんを、どうしてルスティニア人だって頭から思えるわけ?」
確かにその通りだ。ユーキは一度もリドウを日本人として扱っていないように思える。
ユーキはなぜか、僅かの間、虚を突かれたようにぽかんとする。だがすぐに何か思いついた様子で、ふっと笑った。
「あんな危険な男が現代の僕の世界に生まれ育ったはずがない」
「千鶴ちゃんたちだって、あなたの居た世界その物かは怪しいもんだけどね」
「平行世界の可能性を言っているのなら意味が無い。少なくとも、殆ど同じ世界であるのは疑いようがないんだ」
「リドウさんの実力は、それこそ勇者出身と考える方が妥当だと思うけど?」
「あの男が本当に正義を愛する心を持った勇者なら、同じ勇者である僕にあんな態度を取るわけがないだろう?」
「なら」
「いい加減にしてくれないかな……?」
一々ケチをつけてくるシャイリーに、ユーキは半ば切れた様子を見せる。
しかしシャイリーは、それを見て不敵な笑いを浮かべるのであった。
「あれこれ理屈つけてるけどさ――」
シャイリーは明確な敵意を声に乗せながら、舞を踊るように優雅な動きで腕を振り、両手を前に突き出すようにして手のひらをユーキに向ける。下半身は両膝を軽く曲げながら、前に出した左足を少し引くようにして踵を上げる。ちょうど上半身の重心が全て右足に掛かるような感じだろう。
「英雄たる自分に相応しいはずの女の子が欲しいだけでしょ――本音はさ」
「なっ……」
質問ですらない断定的な口調で言い切るシャイリーに、ユーキは言葉を詰まらせて顔を真っ赤にする。
「ほら、図星だ」
構えを取ったまま体は動かさず、しかし表情だけは完全に嘲笑の形を取る。
「一見する限り、あなたはとても慈悲深い人間に思える。なのになぜか、取る行動の一つ一つが周囲への配慮に欠けている」
表情を嫌悪感で満たす。
「最近知ったんだけど、そちらの世界にはゲームってのがあるらしいね。それに千鶴ちゃんが言っていた――ルスティニアに来て“力を持ってしまった人間”の中には、この世界をゲームと履き違えている者が必ず存在する――と。まさかそこまで想像力に欠如した馬鹿が本当に居るとは思えなかったけど……」
その瞳に浮かぶのは鬼気としか言いようの無い強烈な意思。
「外面だけ取り繕って、本音じゃこの世界は自分の欲望を満たすために存在していると本気で信じてるその心――美しくないね。虫唾が走るよ、お前」
「いくら子供とはいえ、黙って聞いているのも限度があるぞ!」
激昂するユーキをシャイリーは無視し、さり気無く視線だけを左右に動かして何かを確認する。
(もう避難は済んだみたいだね……)
シャイリーが、そして千鶴もであるが、長々と問答していたのはリドウが来るまでの時間稼ぎという意味もあったが、それ以上に一般人が避難するための時間を稼ぐためでもあった。
このまま戦いが始まってしまえば、確実に大きな被害が出る。物的な被害だけで済めばまだいい方で、それに巻き込まれて人的被害も馬鹿にならないだろう。こんな場所で平然と喧嘩を売ってきた勇者たちに配慮する心積もりは無いと理解している二人は、既に十分な騒ぎになっている分、周囲の一般人も気付いているだろうし、あからさまに能力者風味な冒険者たちが揉めているのを目にすれば、言われずとも自ら避難してくれるだろうと考え、そのための時間を稼いでいたのだ。
二人の予想に違わず、周囲から人間の気配が完全に失われたのを感じ取り、これで一般人を気遣ったハンデ戦にならずに済むと、シャイリーも千鶴も、殆ど同時に薄っすらと笑みを浮かべていた。
シャイリーはその笑みを嘲りを含んだものに改めて変えてからユーキを見つめる。
「どうせ相手に自分の正しさを言葉だけで納得させられるだけの『本当の正しさ』なんて、お前の中には無いんでしょ? “いつも通り”、さっさと実力に訴えるんだね」
「くっ……いいだろう!」
ユーキは理解しているのだろうか――シャイリーの挑発に乗って対話を自ら放棄し、実力行使に出た時点で、自らシャイリーの言葉が正しいと認めてしまったも同然でしかないという事実を……。
「こちらも始めましょうか」
「望むところだ」
一足先に逃げ出した恵子と愛奈は全速力で繁華街へとやって来た。
二人は最初、別々にリドウを捜そうと考えたのだが、すぐにその考えを改め、二人で一緒に当たっていた――もし別行動をして更なる厄介事を招いてしまっては、事態が余計に複雑化してしまう、と。
そうしてリドウの痕跡を調査しているのだが……
「そーですか。すいません、ありがとうございました!」
「ねー、そんなことよりさ、俺たちと一緒に」
「急いでるんです!」
と、聞き取り調査をするたびにナンパされてしまい……まあこの二人の容姿では仕方がないだろうが、あまり効率は良くなかった。
時には――
「ああ、知ってるぜ。教えてやるから一緒に来いよ」
「いえ、やっぱいーです!」
「教えてやるっつってんだろ!」
「エアバースト!」
「たばらぁーっ」
――こんな話も一度や二度ではなかった。見た目明らかに魔法使いな愛奈が居ても、どうにもこうにも威厳が皆無なため、簡単に侮られてしまうらしい。
「あーっ、もーっ」
「あの人ってばホント、英雄タイプじゃありませんよね! こーゆー時は捜すまでもなく颯爽と現れてくれるものでしょー!?」
一向に見つからないリドウに、焦燥を露に頭を掻き毟る恵子と、何やら理不尽な怒り方をしている愛奈が居た。
「そりゃ筋違いの文句だろ。んなモンに成った覚えはねぇぞ」
「あーっ!」
「居たーっ!」
繁華街と歓楽街の境目に到って、歓楽街の方からようやくリドウが姿を現し、愛奈の発言に苦笑しながら立っていた。
恵子と愛奈はリドウを指差して絶叫する。
繁華街でいくら捜しても見つからないわけだ、何せ歓楽街の方に居たのだから。
その様子に……それ以前に、こうして自分を捜しに来なくてはならないような事態でも発生したのかとリドウは悟り、険しい顔付きになる。
「何かあったのか?」
そう訊ねた瞬間であった。
リドウの耳しか聞き取ることはなかったが、遠く離れた場所で何かが崩壊する音が――現場でならば轟音と呼ぶべきだろう音が鳴り響いたのは。
「おい――まさか千鶴が街中で戦り合ってんのか?」
「さっきの勇者が」
「ああ、もういい」
リドウが手をかざして恵子の言葉を止め、顔を顰める。
「まずったな。最悪お尋ねもんだぞ」
「千鶴は悪くないよ!」
「そーです! 勇者の人たちがホント一方的にっ」
「分かってる」
リドウの声と表情に表れる、二人の言葉を疑った感情が一片も見当たらない様に、涙目だった二人の様子もすーっと落ち着きを取り戻していく。
「もっと上手くやりようがあっただろ――とか後で千鶴を責める心算も無ぇ。そんくれぇは俺もお前さんらを信用してっからな」
「え? あ……そー?」
「あの……ありがとーございます」
リドウのセリフに、少女たちはそれぞれ照れて頬を赤らめながらもじもじするが、すぐにそんな場合ではないと気付き、焦燥露な顔に戻る。
しかし、二人が何か言葉を口にする前に、リドウの方から口を開いていた。
「俺は一足先に行こうと思うが、二人だけで大丈夫か?」
「大丈夫」
「私もチンピラさんくらいなら、一人でも十分何とかできるみたいですから」
焦っていたからか『迷い無く力を使わなければならない状態』に追い込まれてしまい、かえって反射的に力を行使したせいで、愛奈は何となくコツというか、普段リドウから常々注意され続けていた『間合い』を掴んだ気がしていた。
その確信に近い思いが今の愛奈には明確にあり、そのおかげで自信に満ちた発言に繋がったらしい。
過信ではないなと見抜いたリドウは、一つ力強く頷くと屋根へと跳び上がり、二人を残して先に戻って行った。
「間に合ってよ……」
「お尋ね者は嫌ですけど、千鶴さんたちがご無事なら、この際……」
「そうね。最悪この国からとっとと逃げ出しちゃえば済む話だろうし」
二人は祈るようにしてリドウの背中を目で追っていたが、あっと言う間にそれも見えなくなると、自分たちも急ごうと、既に疲労困憊の体に鞭打って駆け出した。




