第二十一話 激闘
リドウと魔王が一柱剣姫ルミナリア。
両者の姿が消え去ると同時に、大気が派手な音を立てて震えた。それは遠くで二人の戦いを見守っている少女たち、その体すらもがびりびりと震えるほどに激しい空気の嘶きであった。
最高位の闘気使いであるリドウとルミナリアは、およそ常人の目には視認すら難しい速度で動くことを可能とする。音の速さすら超えた人間という質量が大気という壁を突破した時、彼ら自身は闘気によって強化された肉体によって自在に動き回れたとしても、周囲は存分にその影響を受けてしまう。
しかもその二人が、互いに剣という媒介を経ていたとしても、真正面から衝突すればどうなるか……。
鍔迫り合いに、お互い実にイイ笑顔で見つめ合う二人の周囲の地面は、衝撃波によって草木が吹き飛び、軽く抉れ地肌を覗かせていた。
「お互い様子見は」
「必要なさそうですね」
両者共に笑みを深めると……
その場に留まったままで、激しい剣戟の応酬を繰り広げる。
リドウが両の手で持った刀を下段から掬い上げ、ルミナリアの胴体を狙えば、彼女は体を捻ることでそれをかわし、その勢いのまま一回転して、彼の横腹に剣を叩きつけるが、その時には彼は既に間合いの一歩外におり、彼女の剣をやり過ごすと、一気に加速して、今度は上段から刀を振り下ろす。
二人が一歩動くたびに地面が割れていく。
二人が剣を振るい、それがかわされるたびに、剣から生み出された衝撃波によって大地が引き裂かれる。
およそ人間の戦いではなかった。
これがハイエンドという人外の戦いであり、そして魔王の戦いであった。
遠くから二人の戦いを見守る少女たちは、初めてその目にした連れの男の本気の戦いに戦慄を隠し切れない。
たまに二人が一ヶ所に留まって技を繰り出す時以外には、何が起こっているのかすら、彼女たちには定かではない。それは、現状では最強の戦闘能力を誇る千鶴ですら例外ではなかった。
「……もっと離れた方が良さそうね」
言葉もない様子の恵子と愛奈に向けて、千鶴は外見だけは平静を装って言う。自分まで焦燥を表に出しては、二人を余計に不安にしてしまうと考えたらしい。
戦闘能力の無い恵子はもとより、未だキャスターの域を抜けきらない愛奈とて、あんな戦いに巻き込まれてしまったら、その余波だけで命を落としかねない。
「あ、あんな人たちに、魔法使いがどうやって戦うってゆーんでしょーか……」
千鶴の言葉が聞こえていなかったわけではないのだろうが、愛奈の頭の中を席巻していた疑問が、声をかけられたことで口を突いてしまったようだ。
しかし、もっともな疑問だろう。何せ彼女には視認すらできない上に、魔法による視力の強化――この場合は動体視力になるが、その強化などできないのだから。
千鶴は、戦いの場から唖然として目を離せないでいる恵子と愛奈を引き摺るようにしながら、その疑問に答える。
「気功士に対抗可能なのはあくまでも魔道士よ。真の魔道士であれば、気功士ですら突破が難しい魔力障壁を展開しながら、ダブルキャストによる魔法攻撃が可能。それ以前に近づけないのが重要ね。近接では、格下の気功士相手でも、どうしても不利は否めないでしょう……というか、それ以前に、アレを基準にモノを考えるのは止めなさい」
感情を伺わせない声で言う。千鶴も魔王がどういった存在かは聞き知っていたが……まさか連れの男が魔王と対等に戦えるような次元だとは流石に思っていなかった。リドウに付いて行く――それがどれだけの難事かを想像すると、頭が痛いでは済まされない。それでも諦める気は無かったが。
「気功士と魔道士を同列に考えるのがそもそも間違いよ。アレを基準にして『自分ならどう戦うか』なんて考えるのなら、何も考えずに休んでいた方がまだ有意義だわ」
そもそも、気功士と魔道士、その両者に求められる役割は全く違う。
気功士とは、強力な敵を打ち破る時にこそ真価を発揮するのに対して、魔道士とは一で多数を殲滅するのに真価を発揮する。
――リドウやルミナリアのように、下手な魔道士よりも圧倒的な殲滅力を誇るような気功士など、この世に何十名も存在するものではないのだから。
そう――剣を一振りするだけで、その衝撃波により地面が数メートルに亘り切り裂かれてしまったり、大地を蹴った反動だけで、そこを中心に地面が陥没するような連中は、本当に一握りの存在なのだから。
音速の壁を越え、両者は縦横無尽に草原を駆け巡る。
ぶつかり合うたびに轟音が鳴り響き、大気は悲鳴を上げ、暴風が吹き荒れていた。
「その剣――」
激しく剣戟を重ねながら、ルミナリアがだんだんと、僅かに楽しげに緩んでいた顔を険しくしていく。
リドウの斬撃を自身の剣で防御するのに合わせて、ルミナリアはふわりと数メートル後ろへと飛び退る。
「見覚えがありますね」
僅かに膝を曲げた様は、今は自分から仕掛ける気は無いが、油断する気も無いという意思表示であった。
口上の最中に攻撃するなど卑怯だとか邪道だとか言う者も居るだろうが、そんなのは負け犬の遠吠えだ。
彼女は騎士であり、正々堂々を好む。だが、相手もそれに合わせてくれるのが当たり前で、そうでないのは卑劣千万と侮蔑するような『スポーツ精神』など、騎士ルミナリアは持ち合わせていなかった。
尋常の勝負の最中に油断する方が悪いのだ。
それが理解できるリドウは、だからこそむしろ、その話に付き合ってやろうという気にもなったようで、その場に留まったまま少し訝しげに眉を跳ね上げている。
「俺の剣?」
「あなたの持つ刀、という意味ではありませんよ」
リドウは顔を歪め、不機嫌そうに刀の峰を肩に担ぐ。
「馬鹿にしてんのか?」
「失礼。念のためです」
謝罪に頭を軽く下げるルミナリアであったが、あくまでも“軽く”であり、その最中もリドウから視線は外さない辺り、やはり徹底した戦闘主義者である。
そんなルミナリアに、リドウは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「当ててやろうか――あんたが誰に負けたのか」
「…………」
剣先を突きつけて言ってくるリドウに、ルミナリアはすっと目を細める。
ルミナリアほどの実力者に対して、たとえ数十年前であったとしても、魔王の成長速度を鑑みれば、完敗させるほどの使い手など非常に限られたことであろう。
この大陸に戻ってきてしまったと聞いた時点で、リドウには予感があったのだ。それが今、彼の中では明白な事実へと変換されていた。
「俺の刀術の師にして兄貴分。俺の育ての母、魔神を除けば最古の魔王、戦鬼ザイケン――そうじゃねぇか?」
ルミナリアは如何な意味によるものか、大きく目を見開いた。
ザイケンはきっぱりと遊び人だ。『リドウ育て』が始まってから先は、この大陸の外へまで足を伸ばすことはなくなっていたが、それ以前は、下手をすると十年も外界を放浪することもあったらしい。
人目のあるところでくらいは、あまり得意ではない魔法で見た目を誤魔化していたものの、稀に魔王らしい大騒ぎも起こしていたようだ。
人目に触れなかった『大騒ぎ』の中には、きっとルミナリアとの邂逅もあったのだろう――災害戦闘という名の出会いが。
「ふ……ふふふ」
驚愕に満ちていた顔を、ルミナリアは本当に可笑しそうに歪める。
「ふふ……なるほど。あの者の教えを受けているのですか。しかも、彼の魔神が育ての母とは……」
ルミナリアは大きな声こそ上げないものの、ひたすら楽しそうに、面白そうに、可笑しそうに笑い続ける。
「本来ならば、戯言を――と一笑すべきなのでしょう。だが――」
ずおぉっと音を立てて、膨大な闘気を保有する者だけが可能とする、全身から噴出す白い靄が、更にその大きさと密度を増す。
「その若さにして、人の身であった頃ならばともかく、今のわたくしを前にして、“未だ無事に立っている”奇跡の体現者であらば、納得というものです。だが――」
ルミナリアは笑みを消し去った。
「ならば、あなたに勝機は――皆無と知りなさい!」
爆発的な加速は音速の数倍に達した。
リドウはしかし、慌てることはなく、肩に担いでいた刀を、向かってくるルミナリアに対して思い切り振り下ろす。
ルミナリアはそれを紙一重で体を捻って避けると、一回転してリドウの横腹を狙う。
それを読んでいたリドウは、振り下ろしていた刀を瞬時に振り上げて対応する。
互いの剣が弾かれた。
リドウは刀を水平にして、ルミナリアの胸元目掛けて突き入れた。
ルミナリアは己目掛けて突き進んでくる剣先を、寸分違わず自分も剣先を合わせることで迎撃する。
「それは知っています」
驚愕に目を見開くリドウに向けて、ルミナリアは言った。
あまりにも無茶苦茶な迎撃方法が予想外だったリドウと、そうではなかったルミナリア。二人の間には、次に繋げる僅かな時間差が生じ、それはリドウにとって致命的な隙になるのであった。
「紙一重で避けても、そこから刀を横に凪いで攻撃できる、とても合理的な技です。かつてわたくしが敗れた時の技でもあります。忘れるわけがない」
ルミナリアは静かに言葉を紡ぐ――
――彼の腹に突き刺した剣を握り締めたままで。
「ぐっ……」
リドウは苦しげに呻く。苦しくないわけがない、当たり前だ。
遠くから視力を強化して見ていた千鶴が顔色を変え、遠すぎて二人の戦いがよく見えていなかった恵子と愛奈も、千鶴の変化に何かあったのだと察し、彼女たちまで血相を変えてしまっていた。
千鶴は恵子と愛奈のことを一瞬忘れてしまったようで、全力でリドウの許へと駆け寄る。
ルミナリアはリドウの腹から剣を引き抜き、同時に地面に崩れ落ちた彼から、あっという間に傍まで来た千鶴に視線を移した。
「主要な臓器からは外しました。早く手当てをすれば、彼の体力ならば十分に助かるでしょう。この若さにしてこれほどの使い手を、あたら無駄に散らすのはわたくしの本意ではない。よしなに」
『物理的な強さ』にしか興味が無いルミナリアにとって、才能がありそうな千鶴には密かに着目していたが、現時点で特段に興味を覚える相手ではなかったようで、彼女に対するルミナリアの対応は、あまりにも一方的でおざなりなものだった。
ルミナリア・ファルミとは、本来はこういう女なのだ。豊か……とまでは言えなかったかもしれないが、それでも人間らしい受け答えをしていたリドウとのやり取りとは全く違ったそれに、しかし千鶴は雑言を吐きつけるのではなかった。
リドウとルミナリアは互いに納得ずくで、無意味としか言えない闘争に身を置いたのだ。むしろ、殺さないように気を遣ってもらったと言ってしまっても過言ではないというのに、被害者が想い人とはいえ、千鶴には自分が文句を言う筋合いではないと判断してしまえていた。
「はい」
その聡明さが、我が事ながら今の千鶴には煩わしかったが、それでも、怨み言を吐き付けるのではなく、静かに一つ頭を下げた。礼を言う気にまでは、流石にならなかったようであるが。
ルミナリアは特に反応を示すことはなく、黙って千鶴と、地面に倒れ伏すリドウの脇を通り過ぎようとした。
その時――
「待ちな」
ルミナリアが目を見張りながら振り返ると、血が零れる腹を押さえながらぐぐぐと立ち上がるリドウの姿に、彼女は眉根を寄せて、無理はするなと忠告しようとした。
しようとした、のだ。
つまり、しなかった――いや、できなかった、のだ――見る見る内に塞がっていく、彼の腹の傷をその目にして。
「まさか、魔道士!? ダブルセイバー――いいえ、殲滅師だったのですか……ッ」
ルミナリアがその頬に冷や汗すら流す。
ダブルセイバーならばともかく、本物の殲滅師とは、彼女がそこまで驚き、そして慄くほどに希少な存在であった。
「“己が身”とはいえ、それほどの深手を瞬時に癒してしまうとは……魔道士としてもハイエンド級と見えます」
魔法によって他人の傷を癒すのは非常に難易度が高い。それは他者に魔力を送り込む時に、その者の魔力によって、術者の魔力が弾かれてしまうためだ。魔道士と呼べるレベルであっても、殆ど下位キャストすら使えない相手の傷でさえ、満足に癒せるものではない。
しかし、自分の体であれば話は別だ。魔力が弾かれてしまったりすることがないため、治癒術の持ち主であれば容易に行える。
回復魔法はそれ自体が比較的高度な術式であり、キャスティングにはそもそも存在しないため、可能とするのは既に高位の魔道士でなければならないが。
「その戦闘能力、最早、如何な魔王と比較しようとも、見劣りするものではありえないと見ました」
「魔神を除いて、の話だがね」
リドウは既に、完全に常態に戻った様子で喋る。
「千鶴。続きはまだこれからだ。こっちに走って来てるお嬢ら連れて、もう一度離れてな」
「……分かったわ」
千鶴は一瞬躊躇ってから、しかし大人しく彼の言葉に従うことにした。止めて聞いてくれる男ではないと考えたらしい。
場を離れて行く千鶴を見届けてから、リドウはルミナリアに視線を戻す。
「あんたの言う通り、俺の刀術の師である兄貴にも、俺が爺さんと呼ぶ体術の師である天武リーチェンにも、未だ一度も勝ったタメシは無ぇが、絶対ぇに勝てねぇとも思わねぇ。無論、あんたにもだ――剣姫ルミナリア」
「あの者と魔神だけではなく、天武の教えまで受けているとは……未だかつて、あなたほど恵まれた環境で育った“我々のような人種”は存在したはずがない。しかもそれが、あなたほどの才の持ち主だとは、運命か、はたまた神の悪戯か……」
自分に勝てる――そう宣言されたに等しいルミナリアであったが、そこには一切の反応を見せなかった。純粋な事実だと自分でも思うところであったし、別に勝敗に拘る気も無かったからだ。
「そんなことより、失礼したな」
「はい?」
突然のリドウの謝罪に、目をぱちくりさせて首を傾げるルミナリアであった。
「俺はな、普段は兄貴から教えられた技だけで戦うことを信条としている。なぜだと思う?」
「さあ?」
分からなくて当然の話だった。ルミナリアは迷うこともなく問い返していた。
「性に合ってるからだ」
リドウの性格形成には、兄貴分の影響が特に大きい。気質的に刀剣で戦うのが最も合っているということであった。
「――が、それだけじゃねぇんだ」
しかしそれは真実ではなく――いや、それも大きな理由ではあるのだが、もう一つ、最大の理由がそこにはあったのだ。
「俺は刀術を兄貴から、体術を爺さんから叩っ込まれてる。俺の『武術』はそれらを複合した俺独自のもんだ。『闘法』は無論、殲滅師としての戦い方だがな」
「ほう?」
ルミナリアは感嘆の相槌を打った。
彼女の見た限りのリドウが駆使していた技は、全て記憶にある宿敵のものであった。無論、両者が全く同一の身体構造を生まれ持っているわけがなく、百パーセントのコピーではないが、見る者が見れば、両者は同一の流派“のみ”を修めた使い手であると容易く看破し得るだろう。
しかし、リドウは「それだけではない」と言う。まだ隠された実力があると言われては、彼女にとっては歓喜するしかない。
「普段は“兄貴から教えられた動き”だけで戦うようにしてる。他のを使うのは、街中みてぇな刀を抜くのに躊躇われる場所でだけだ。あんたにも解かると思うが、あんま手の内を晒したくねぇ――ってのがまず第一。もう一つは、全力で往くまでもねぇ相手しかいなかったってのだ」
「確かに、いささかムッとくるものが無いでも無いですね」
リドウは常のように刀を肩に担いで、首をこきこきと鳴らし、顔を顰めているルミナリアに向けて再び笑ってみせた。
「だからよ――大変失礼した。俺の知る限りじゃ最も若いたぁいえ、魔王に対して手を抜いてたなんざ……こりゃ叱責沙汰だ。文句を言われても、俺にゃ何も言い返せねぇ。触りだけだが、あらかじめ手の内を晒したのは、その詫びだ」
「ご丁寧なことですね。別に大して気にしてはいませんが」
面白い男だ、とルミナリアは澄んだ笑みを浮かべる。
何やら酷く、他者からは推し量り難い、独自の人間性をしているようである――とルミナリアは思ったが、それはとても好ましいものにも、彼女には思えた。
そんな彼女の内心を知らず、リドウは獰猛に歯を剥いてみせ――
――その身に炎を纏う。
まるで大蛇が彼の全身を締め付けているかのように、足元から首筋に至るまでに、炎が渦巻く。
「――ここからは、ガチだぜ」
「魔王として、尋常に受けて立ちましょう」
ルミナリアは剣を正眼に構える。
刹那、リドウは自ら動き出した。
刀を右手に握って走り出すと、その身に纏っていた炎の大蛇が鎌首を擡げたかの如く、ルミナリアを頭上から襲い掛かる。
「シャァっ」
紅蓮の大蛇を闘気剣で迎撃せざるを得なかったルミナリアのがら空きの胴を、リドウは気合一閃、刀で薙ぎ払う。
「くっ」
何とか紙一重でかわせたルミナリアであったが、それは反撃を意図した紙一重ではなく、ぎりぎり限界という意味での紙一重であった。
狙われた部分が薄く切り裂かれ、露出した腹部からは微かに血が滴っていた。
「理屈の上でこそ知ってはいましたが、真の殲滅師とはやはり、厄介なものですね」
リドウの追撃を打ち払いながら、ルミナリアはしかし、言葉面とは裏腹に、楽しそうに言った。
魔道士の使用するロスト・スペリングとは、行使するのに多大な集中力を要求される。近接戦闘という、それだけで極限の集中力を必要とする動作を行いながら、同時に魔王にすら有効な極大魔法を起動するなど、完全に人間の業ではない。
殲滅師としての才能の持ち主自体が非常に希少であり、勇者であればそこそこ事例はあるが、ルスティニア人では一時代に数人というレベルだ。
しかし、才能だけで『真の殲滅師』足り得るものではなく、どちらの技前もハイエンドの領域まで達し、しかもそれを存分に戦闘で生かせる腕前の持ち主であると、これは最早、理論上にしか存在しないと言っても過言ではない。
過去には存在したり、殲滅師の魔王も現存してはいるが、少なくともルミナリアは、『殲滅師の勇者』にならばともかく、『真の殲滅師』に出会えた経験はこれが生まれて初めてであった。
「まだまだ。これからだぜ」
突如、ルミナリアは己の頭上に何かを感じ取る。
とっさに大きく身を退くと、そこには巨大な氷柱が地面に突き刺さった。
無事かわしても安心していられる暇など無い。
直後には雷撃が、文字通りの雷速でその身を襲う。
およそ半年前、元騎士を自称する男ですら、敵の放った雷の魔法を闘気を纏った剣によって切り裂いた。未熟なキャスターによる中位キャストとリドウのロスト・スペリングによる雷撃という大きな違いがあったとしても、彼女が同様の技巧を現実にできないわけがなかった。
更にリドウは、己の周囲に複数の光球を浮かべながら、ルミナリアに挑みかかる。
いつ魔法が我が身を襲うのかと注意を払いながらリドウの剣撃をいなさなければならないルミナリアは圧倒的な不利を抱えてしまう己を自覚する。
「素晴らしい! これが殲滅師! これが【魔神】の息子ッ!」
その声は特上の喜悦に打ち震えていた。これこそがルミナリア・ファルミの求めていた闘争であったのだから
「凄まじい技量。凄まじい才です。あなたとは、此度の雌雄が決した後も、再び刃を交えたいものだ!」
激しい攻防の最中、ルミナリアは己の偽りない内心を言葉にする。
「そりゃ――大賛成だぜ!」
「だが、そのためには――あなたには魔王に覚醒してもらわねばならない。いずれ老い、朽ち果ててもらっては……困るのです!」
「心配せんでも、いずれ成るさ」
「いいえ」
ルミナリアは後ろに大きく跳び退り、リドウから間合いを取った。
「今のままでは難しい」
「なに……?」
リドウは己の周囲に光球を浮かべたままで追撃を加えずに、目を細めてルミナリアを見やる。
「あなたは強すぎる。おそらく、人の身でありながらそこまでの力を持ち得た使い手は史上類を見ないでしょう」
「それで、何か問題でも?」
「魔王に到る条件、それは――」
究極に限りなく近い領域に達しながらも、更なる力を求める飽くなき渇望と、それがもたらす狂気と絶望――ルミナリアはそう言った。
「真のハイエンドであれば魔王に到っても何らおかしくはない。だが、世のハイエンドたちの殆どは魔王に覚醒することなくその生を終えてしまう。その原因は――敗北を知ることができないからなのです」
「悪ぃが、俺は今まで勝ったことの方が少ねぇぞ。なにせ、俺の師である三柱には一度も勝ったタメシが無ぇんでな」
「だが、あなたはそれに納得してしまっている」
「ぁあ?」
剣を突き付けてのルミナリアの指摘に、リドウは顔を険しく染め上げて、殺気すら漂わせ出した。
これまでは常に闘志を全身に漲らせていたにしても、殺意は一欠けらも見せていなかったはずが、ルミナリアの言葉がよほど癇に障ったらしい。
「ざけんな。兄貴だろうと爺さんだろうといずれ俺は勝つ。俺はリリィと約束した――いずれ必ず超えてやると。必ずだ!」
「魔神は別格としても、あの者も天武も、判明しているだけで千年は遥かに超える月日を生きた魔王。今のあなたが彼らに勝てないのは当然です。師である彼らの力を、あなたは常に肌身で感じて育った。それが“理解できてしまう”のも無理は無い」
リドウは瞬間、驚愕が己の心身を支配したのを理解する。
正しくその通りであったのだ。
リドウにとって、いずれ絶対に、完全に勝利してみせると常に心に誓い続けている育ての親たちであるが、今の自分にそれが不可能だという厳格な事実を、彼は知っている。
だからこそ、常に上を目指してきた。常に飽くことなく上を目指してきた。
「それだけでは駄目なのです。真に力及ばず敗北し、その残酷な事実を心から認め、腐ることなく、狂ったように更なる力を求めようとも“足りない”。力が、それを得るための時が――その絶望こそが魔王という人の摂理を外れた存在へとその身を転化させるのです」
少なくともルミナリアの場合はそうであったらしい。
「究極の領域にまで達してより知る己の実力に対する絶望こそが意義を持つ。――それをもたらすのはおよそ敗北のみ」
未だ戦闘の最中だというのに、万感がそうさせたのだろう、彼女は瞳を閉じていた。リドウが動き出そうものならば、見るまでもなくそれを察知できるという自信もあったのだろうが。
「あなたの場合、多少話が違うかもしれない。歴代の魔王たちと比しても類稀な才に相違ないが、その若さにして、おそらく既に限界は近いはず。そこに到った時、望み得ぬ成長に、真の絶望を覚えることは可能かもしれない」
なれば、魔王に覚醒できるかもしれない。
「だが――そんな曖昧な希望に託すなど、わたくしは本意としない。故に――ここでわたくしが、あなたに真の敗北というものを教授して差し上げましょう」
「面白ぇ」
リドウはふっと笑った。
「だからと言って、俺は“負けてやる”つもりは無ぇぞ」
「無論。実力を出し切っていたか如何に問わず、己に言い訳をしてしまうような者に魔王たる資格など無い」
宣言すると同時に、左手を己の右脇下に持っていき、そこに設えられていた小振りのナイフを抜き出した。
「それに――あなたがそうであったように、わたくしとて、容易に晒すを好しとしない奥の手くらい持ち合わせている!」
本当にナイフとしか言いようがない、小さな造りの刃物であった。ただしその刃は、刀に比しても丸く曲がっている。シャムシールという曲剣をそのまま小さくしたような感じであろうか。
再び激しい攻防の応酬が始まった中で、ルミナリアはそれを以って、リドウの繰り出してきた斬撃を受け流し、右手に持つ剣で攻撃する。
「ちぃっ」
舌打ちしながら、リドウはあらかじめ展開していた光球の全てを、彼女の剣を迎撃するのに費やした。
しかし慌てはしない。
冷静に一歩を踏み込んで、ルミナリアに向けて刀を振るう。
それも彼女の持つナイフによって捌かれてしまうが、返しの剣撃を、今度は改めて展開した火炎を放つことによって、彼女をそれに対応せざるを得なくする。
状況によって最適な魔法を選択できるだけの技術と頭脳を兼ね備えているリドウであったが、最も得意とする親和属性だけあって、とっさの時に頼ってしまうのはやはり火炎らしい。
真の実力を発揮し出したルミナリアは、先ほどまでの不利を覆し、リドウは刹那の時すら気を抜けない一進一退の攻防を余儀なくされる。
だが、それ故にこそ楽しめるというものだ。
それ故にこそ、打ち破る価値があるというものだ。
(――来るっ!)
リドウの気迫が一層に高まったのを、目まぐるしい攻防の中でルミナリアは感じ取った。
刹那、リドウは一連の流れの中で瞬時に刀を鞘に納めると、深く腰を落とした。
「この状況下で抜刀術!?」
抜刀術、あるいは居合い抜きと呼ばれる技は一撃必殺だ。
デコピンという行為がある。理論的にはそれと同じだ。親指を発射台にして、反動をつけて中指なり人差し指なりを打ち出すことで威力を高めるデコピン。
鞘を、威力と速度を高めるための発射台とするのが抜刀術である。
その絶大な威力故に、一度技を発動して刀を振り抜いた時に大きな隙が生じてしまう上、発動以前に刀を鞘へ納めるという大きな予備動作を必要とするため、本来は十分な間合いがある状況で後の先を取ることを好しとする技であるのだが……
「絶技――煉舞陣・極――」
にぃっと唇が吊り上る。
「往くぜ――!」
高らかな宣言と共に大きく一歩を踏み出す。
鞘から抜き放たれた刀が超高速を以ってルミナリアの身に迫り来る。
「疾いッ」
そして力強い一撃であった。
これを小型シャムシールで往なすのは不可能だと判断したルミナリアであったが、冷静に上半身を仰け反らせて紙一重でかわすことに成功する。
抜刀術は一撃必殺故に、避けられてしまうと大きな隙が生じてしまう。
「勝負を焦りましたか! 若さ――なっ」
驚愕に目を見張る。
“いつの間にか”、リドウが更にルミナリアに一歩近い間合いにおり、彼のその左手が彼女の腹部に、優しく撫でるようにすら見えるように添えられていた。
「二の陣――衝天掌!」
「がっ――」
ただ添えられているだけのはずが、全身を激しく打つ何らかの激しい衝撃によって、ルミナリアはその身を大きく吹き飛ばされた。
中空を逝く中で彼女は見た――巨大な紅蓮の竜が、リドウの背後に付き従い、彼の頭上から己に向かって頤を開いて咆哮する様を。
「終の陣――」
リドウの瞳がギラっと閃く。
「竜華葬送ッ!」
主の命に従い、純粋な炎のエレメントだけで構成された巨大な赤竜が、宙を優雅に舞いながら敵を噛み砕かんとその身を躍らせる。
見る者に恐れを抱かせるものでありながらも、それは思わず見惚れてしまうほどに美しい姿であった。
未だ宙を吹き飛んでいるルミナリアはふっと微笑する――己を食い破り、焼き尽くさんと迫る竜を眺めながら。
(わたくしの負けですか。よもや、今になって人に敗れるとは……)
彼女に油断したつもりは無い。正真正銘の全力を駆使した結果だ、悔いは無い。
《煉舞陣・極》とやらをもう一度食らったならば、彼女には避けきる自信はあった。だが実戦において、『知っていれば』などという言い訳は通用しない。
剣姫ルミナリア・ファルミは潔く己の敗北を認め、自ら紅蓮竜を迎え入れるように両の手を差し出した。
宙を吹き飛ぶ彼女に追い付いた紅蓮竜。まるで、自らの意思すら感じさせる竜の瞳と、彼女は一瞬視線を交わし合えた気がした。
「くっ……あぁあああああああああっ」
極大の炎に抱かれながら絶叫する。
竜の炎は彼女と共に、周囲の草原を焼き払う。
無情なその光景が終わった後には、数十メートル四方が焼け野原と化した中央に、仰向けにぐったりと死んだように倒れているルミナリアの姿のみが在った。所々が焼け焦げているが、髪がアフロになってギャグテイストになっていたりはせず、その美貌の一切が損なうことなく健在な頑丈さは、魔王故の膨大な闘気のなせる業なのだろう。
リドウはふぅっと大きく息を一つ吐いてから、ゆっくりと彼女の傍まで歩み寄る。
「生きてるかい?」
立ったままで覗き込むようにして訊ねる声は、本当に疑問をただ口にしただけという風情で、心配そうな響きは一切伺えない。
仮にも魔王を“この程度”で完殺し得るわけがないとリドウは思っていたし、これで死んでいたとしたら、それはルミナリアに“運が無かっただけだと諦める”だけでもあった。
しかし、やはり、彼が心配するまでも無かったらしい。
「……ええ」
先ほどまでの常にキリっとした声音とは違い、酷く弱々しいものではあったが、ルミナリアはしっかりと言葉を返す。
「ですが、しばらくは歩くことすら儘にならぬようです」
目を瞑ったままで愉快至極といった様子で唇を歪める。
「炎竜の魔法も凄まじかったが、あの二撃目――衝天掌、でしたか。あれの影響も大きい」
「衝天掌は元々、爺さん直伝の対気功士専用技だ。人体の半分以上は水分によって構成されている。気功士が持つ破格の防御力を強引に突破するんじゃなく、人体の内部に衝撃を徹し、固有振動を起こして水分を揺らすことでダメージとする。その後にあんたを吹っ飛ばしたのは、竜華葬送に繋げるための、衝天掌からの派生技だがな」
「流化闘法ですか。あらゆる無手術の源流たる始祖を謳われる天武として実にらしい。その前の、抜刀術から“繋いだ動き”も天武のものですか?」
「ああ」
あの時、ルミナリアにはいきなりリドウが己の懐に現れたかの如く錯覚すら覚えてしまった。
「激戦の最中に在って“力を抜く”とは……発想が既にして尋常のものではないが、実行を可能とする覚悟は如何ほどのものであるか……」
全身の力を完全に抜き去れば、当然だが人体は倒れてしまう。リドウはその道理を利用して、必殺の抜刀術を繰り出した直後であっても、更なる一歩を踏み出すことを可能としたのだ。
具体的には、力強く踏み込み、抜刀と共に足を踏ん張った後、慣性が完全に死に切る前に力を抜くことで前のめりになり、倒れないように自然と前に出る足――それが最後の一歩となったのだ。
人間は何らかの動きをする時、必ず予備動作を求められる。『慣性と重力に従って地面に倒れようとする動き』にはそれが全く存在しなかっために、受け手のルミナリアにとっては一瞬、脳がリドウの動きを認識できずに、まるでいきなり現れたかのように錯覚してしまったのだ。
“静”であるその技に対して、その直前の技が“動”のものであったせいで、緩急の差が著しく、余計に認識し辛くなっていたのもあった。それこそが煉舞陣・極の真骨頂であり、リドウが必殺とする絶技の要でもある。
止めの竜華葬送は、そこに至って絶対確実に極まる。竜華葬送を喰らわないためには、その直前の衝天掌から破る必要があった。
しかし――倒れる力を利用する。言うだけならば易い話であるが、一の陣に当たる抜刀術を、二の陣を前提としての気の抜けた一撃になろうものならば、ルミナリアのような実力者には容易くフェイクと見抜かれてしまうだろう。二の陣に繋げるために力を抜くタイミングはまさに刹那の一瞬だ。出だしの抜刀術を「この一撃で確実に決める」という全身全霊で打ち出しながらその機を逃さないなど、神業の領域としか言いようがない。
更に、命懸けの激闘の真っ只中で全身の力を完全に抜き去るなど、まずできるものではない。それは、己であれば確実に遂行できるという絶対の信念を持ち得るまでの、果てしない修練がもたらす自負のみが可能とする。リドウの若さでその境地まで達すほどの修練など、ルミナリアですら想像外であった。
「完敗です」
実に気持ち良さそうに口元を歪める。
「師だけなく、弟子にまで破れてしまうとは……魔王と我が身を落とすだけの業を重ねながらも、わたくしもまだまだ甘い」
「一度“見逃してもらってる”からな。一勝一敗だろ」
ルミナリアに腹部を刺し貫かれた時、彼女が“その気”だったならばリドウに止めを刺すこともできた。本気を出していなかったから負けじゃない、などという理屈をこねる気をリドウは持ち合わせていない。
「それに、ハナからマジだったとしても、次に戦ったら分からんぜ」
「無論。わたくしとて、敗北を好んでいるわけでは決してない」
己を負かすほどの敵手を常に望んでいながらも、それだけの相手を倒すことこそ至上の楽しみとする――それがバトルジャンキーという存在であった。
「それで、あなたはいつまで、地面に倒れた婦女子を無粋に見下ろしているのですか?」
責める色を宿した眼差しであった。
ルミナリアが自らを『婦女子』などと称したことがリドウにとっては予想外だったのか、彼は目を瞬かせて、毒気を抜かれてしまい苦笑しながら手を差し出す。
差し出された手を無表情に取って立ち上がったルミナリアであったが、ふらりとよろめいてしまう。
「おっと――んっ!?」
華奢とも言えるルミナリアの体を抱き留めたリドウであったが……
完全に不意打ちな口付けに、流石の女タラシ百戦錬磨のこの男も、驚きの念が先にきたようだ。
ルミナリアは、この状況には不似合いなほどに爽やかな微笑を零しながら、触れるだけだった己の唇を離すと、何の痛痒も感じさせない自然な動作で己の身を彼から離す。やせ我慢しているだけなのか、それとも全身に力が入らないという方が演技であったのか……それは彼女だけが知ることであった。
「人の身でありながらわたくしを破った褒美です」
微笑を崩さずに言う。
「次に出逢った時には、わたくしと閨を共にすることを許します」
無論、再戦の前に楽しませて差し上げますよ――ルミナリアは自分で言って可笑しそうに「ふふ」と小さな笑い声を零しながら、どうやら激闘が終わったようだと判断してこちらに向かってくる少女たちの方へと足を向ける。
「どこへ行く?」
「一先ずは、我が故郷の地へ。かつては臣民の平穏を願って戦ったその地がどう成り果てているのか。ここまで来たのです、折角なので確認しに」
「兄貴たちの居所は訊かねぇのかい?」
「魔の森の奥でしょう?」
リドウは苦笑を浮かべる。
「なんだ、気付いてたのか」
「元々、その地ではないかと思い立って、この大陸に足を向けたのです。それが、あなたに出逢って確信しただけのこと」
だが。
「今はまだ、止めておきましょう。あなたにすら勝てないわたくしが、あなたが一度も勝利した例が無いというあの者と戦っても、結果は見えている」
勝敗には全く拘らないが、それと「負けて当然」というのは意味が全く違う。戦うからには常に勝つ気で挑む。
勝てそうにないのならば、勝てるようになったと確信を持ててから、改めて挑む。確信には至れずとも、最低限勝機の一つくらいは見出してからでなければならない。そうでなければ――相手に対して失礼――だ。
「そうか。元気でな」
「あなたこそ。早く魔王へ覚醒して下さい。わたくしの手で覚醒を促せなかったのは残念でなりませんが……いずれ、百年もしたら、再び剣を交わしましょう」
「おう」
一緒に来ないか、と喉まで出掛かった言葉を、リドウは寸前で呑み込んだ。
退屈しない鍛錬相手になってくれるとは非常に強く思うところだが、馴れ合う気は無い。互いに磨いた技をいずれ競い合う――その方が楽しそうだと思ったようだ。
颯爽と去り行くルミナリア。
リドウは遠い未来での再会を思いながら、今は既に彼女に未練を感じさせず、瞳を閉じて煙管を銜えた。
今回は千鶴も他の二人を置いてはこなかったようで、三人揃ってやって来た少女たちに、彼は短く告げる。
「行くぞ」
「ちょっと、それだけ!?」
散々心配させといてそれはないだろうと文句を吐き付けてくる恵子に、しかしリドウは視線を合わせることはなく、既に歩みを始めていた。
「お前さんらにゃ何の関係も無ぇ。結果的に俺は生きてた。それ以外の何がある?」
美味しそうに煙を吐き出しながら、呆れたものすら感じさせる横目で見られ、恵子は愕然とする。極々普通の現代日本人の感性の持ち主である彼女にとって、その理屈は全くの埒外であった。
「ってゆーか、魔王に勝っちゃうとか……」
魔王とは一人の例外もなく、気功士であろうが魔道士であろうが殲滅師であろうが、問答無用で国すら手がつけられない存在だ。
愛奈もリーナやグレンたちから、もし遭遇しても絶対に機嫌を損ねるようなマネだけはするなと、どれだけ非常識な力の持ち主であるかと共に、耳にタコが出来るほどに言い聞かせられていた。
垣間見た人外の戦闘は、まさしく彼らの言葉の正しさを証明していたというのに……
「リドウさん――パネェです」
その一言に尽きる。
顔面全体を引き攣らせてリドウの背を眺めている愛奈の隣から、千鶴が静かに彼へと近づく。
「私にはしてくれなかったくせに、あの女には許すのね」
視力を強化していた彼女だけは、リドウと魔王のキスシーンを目にできてしまったらしい。
拗ねたように、想い人だけに届くよう小さな声のそれに、彼は苦笑を以って応えた。
「勝ったとはいえ、流石にルミナリアの不意打ちを避けられるもんじゃねぇよ」
もっとも、避けられたとしても、そうするつもりは無かったが。
続けて声にされたその台詞は、千鶴の頬を膨らませてしまう。
「あんたねっ、バトルジャンキーも程々にしなさいよね! 魔王に会うたびにこんな――」
恵子は森に入る直前に、背後を振り返って、リドウとルミナリアの戦闘跡地を端から端まで指し示す。
「これどーすんのよ!?」
公道が既に全く役目を果たせそうにない有り様に、彼女は怒り心頭でリドウを責める。
素っ気無く扱われてしまった悔しさも、そこには織り交ざっているようであったが。
「お前さんらが黙ってりゃ、証拠は何も無ぇだろ」
「それ、犯罪者の理屈よ」
「リドウさん……それは無いですよ」
「サイッテーね、あんた」
少女たちから順々に非難されてしまったリドウといえば、しかし、暢気に煙を天に向けて吐き出しながら、
「かっかっか」
と笑っていた。
彼女たちの反応がそれほどに面白かったのか、それとも笑って誤魔化したのか……。
「さて。久々に楽しめたことだし、さくさく行くぜ」
次なる強敵を求めて。
「……私たちの目的も忘れないでほしいものだわ」
「忘れちゃいねぇさ。だが――たまにゃ俺にも楽しみがねぇとな」
この男にとっての『楽しみ』などがそうそうあってもらっては困る。そのたびに廃墟が出来上がってしまうのだろうから。
「命懸けのバトルが楽しみとか……」
「リドウさん、マジパネェです……」
ドン引きな少女たちを余所に、念願のストレス解消が叶ってご機嫌絶頂なリドウは、終始楽しげに笑いながら煙管を吹かしていたそうな。




