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第十九話 強者の気配

 ローラインを出立する準備が完全に整ったのは、屋敷購入の金額が用意できてから、更に五日が経ってのことであった。それは主に、屋敷の整備に必要とされた時間でもあった。


 整備それ自体は専門の業者に委託しているが、それを確認せずに旅立つというのは、別に構わないと言えば構わないのだが、さっさと旅を進めたいリドウも流石に気が引けた。


 準備が完了し、正式に引き渡された屋敷の前に――今、三名の男子たちを前にして、リドウを伴った愛奈が居た。


 リドウは平常運転で、少し離れた所で煙管を吹かせて眺めているだけであったが、彼を除いた双方は共に気まずそうな顔をして互いに向かい合っている。


 旅立つにあたり、今の内に挨拶をしたいと、愛奈と男子たちの双方が望んだから実現している会見なのだが……


 恵子と千鶴は不参加だ。男子たちは彼女たちも望んだのだが、彼女たちとしても、顔を合わせた早々に罵詈雑言を投げ掛けたくなるほど激しい嫌悪感は無くなったものの、だからと言って完全に許せるかは全く話が別であり……というか、いくらリドウがああ言ったからといって、許すかどうかもまた別の話だと、彼女たちは考えていた。

 顔をつき合せたら口汚く罵ってしまいそうだから、それでは穏やかな別れを望んでいる愛奈の意思に反してしまうと考え、彼女たちは二人とも自ら辞退していた。


 そうして成立したこの会見であるが、愛奈は俯いて、ちら、ちら、と時折男子たちに視線を合わせるだけで、彼らの方も、互いに顔を見合わせては「お前から行けよ」とばかりに押し付け合うだけで、自分から動こうとはしない。


「おい」


 そんな状況を既に数分も見せられて、痺れを切らしたリドウが軽い苛立ちを含んだ声を少年少女たちに向けて送る。


「俺はいつまでこんな茶番に付き合わされにゃならねぇんだ?」


 彼からしてみれば至極当然の感想だろうが――


 何度も言うが、この男は特に感情を浮かべずにただ突っ立っているだけでも、かなり特有な雰囲気を持つため、それが機嫌悪そうに言われてしまえば、一般人ならば十分に恐怖心を呼び起こす要因足り得る。


 すいませんすいませんすいません――と間断無く頭を下げる愛奈と男子たちに、思わずため息が零れてしまうリドウであった。


「気にせんでいいから、とっとと用事を済ませてくれ」


 別に命令口調ですらなかったのに、少年たちはびしっとたたずまいを正し、それから愛奈に向かって三人揃って腰を折った。要するに、深々と謝罪の意を表したのだ。


「ごめんっ、高坂! 俺たちが悪かったよ!」

「ホントはさ、心の中じゃ、俺たちもこのままじゃいけないって分かってたんだ」

「ああ。けど、凄い魔法の才能のある高坂に嫉妬して、不貞腐れちゃってたんだ。高坂のせいじゃないのにな。本当にごめん」


 数秒も頭を下げたままでいた男子たちが耳にしたのは、彼らを責めるような色合いを帯びた声では決してなかった。


「私……もし皆さんと一緒じゃなかったら、いくらリーナさんたちが居てくれたと言っても……きっと心細くて何にもできなかったと思うんです」


 躊躇いがちな愛奈の声に、男子たちはおもむろに頭を上げて彼女を見る。その顔には満面の、とはいかなかったが、悪い意味ではない笑みが灯っていた。


「一般人は手に職の世界ですから、もう立派に成人扱いされる年齢で、なのにまともな経験も無い私たちじゃ、冒険者くらいしか、すぐに受け入れてもらえる職場なんて無いと思います。私にはたまたま力が有ったから……」


 両の手のひらを仰向けにして、そこをじっと見つめる。


「皆さんにはそれが無かったから、私は頑張ろうと思えたんです」


 顔を上げて男子たちを見る愛奈の顔には、今度こそ満面の笑みが浮かんでいた。


「だから、恨んでなんていません」


 美少女――しかも超巨乳――へと生まれ変わった愛奈のそれに、男子たちは一様に顔を赤くしてしまう。娼館通いをしていたとはいえ、所詮は素人童貞な彼らでは刺激が強すぎたらしい。


 リドウはその様子を眺めながら、深く深く息を吐く――無駄に期待を持たせるような言動をするだろう愛奈が引き起こす騒動を思って。


 千鶴はあの通りなので、素の状態でもそういった言動はまず取らないが、恵子も昔から典型的モテカワ系だったため、そうすることがどれだけ不要な厄介事を招くものか自覚していて、殆ど無意識なのだろうが、異性との距離の取り方は意外と心得ている。


 なのでこれまでは、向こうから勝手に寄って来たチンピラくらいしか面倒事は起きずに済んでいた。

 容姿自慢たちも寄って来こそしていたが、彼らはリドウを拝んだ瞬間に尻尾を巻いて逃げ出していたので、チンピラ連中で多少実力に自信のある暴漢紛いだけが敢えてリドウに絡むくらいで済んでいたのだ。

 彼らの末路は……ご想像にお任せするとしよう。


 が……


 まあそれ以上は言っても仕方があるまい。自覚しろといくら口にしようが、こういうのは本人が自ら認識しない限り、そう簡単に身につかないものだ。


 それはともかくとして、リドウには一つだけ、今まで訊いてこなかったが気になっていた件があり、最後の機会だと思い、それを男子たちに訊ねる。


「お前さんら、文字の読み書きはともかく、かなり高度な計算もできんだろ? ローラインなら大きな商会もある。そこで雇ってもらおうと考えなかったのか?」


 千鶴は少々特殊というか、完全に別格だろうが、実はあまり勉強が得意ではなかったとリドウは聞いている恵子でさえ、貴族子女の中でもボンクラな部類の連中と比べれば、かなり上等な知性を持ち合わせている。


 国民の識字率が都市部で二十パーセントをようやく超える程度、農村部ではほぼゼロというルスティニアにおいて、『知識人』以外では大人でさえ一桁の足し算が精々で、掛け算など既に存在すら知らないという者すら珍しくない。現代で高等教育を受けていた人間が活躍できる場など事欠かないだろう。

 貴族だって彼らの存在を知れば、文字の読み書きを教えるだけで立派な執事へと早変わりしてくれるだろうと、自らスカウトに出て来る可能性だって低くはないとリドウは思っていた。


 身元があやふやなのはネックだろうが……


 と思っていたら、本当にそれが原因だったらしい。


「誰の紹介も無いって言ったら、門前払いされちゃいまして……」


 身元云々よりも、わざわざ雇うレベルの知識を持ち合わせてはいないだろうと、勝手に判断されてしまったというのが真実のところらしい。


 ルスティニアにおいて、そうした『特別な知識』を得るには、誰かしらの教育を受けているはずなのだ。それは現代日本においても変わりはないが、そのために履歴書という物が存在し、その人物の出身校に問い合わせれば、大体の問題は片が付く。

 が、ルスティニアにはそれが手軽に可能な連絡手段も無ければ、誰しもが一定水準の知識を持ち合わせているなどという、国家的保証など全く無い。それ故に、そうした高度な知性を要求される場で働こうというのに、紹介状すら持たないで来るような『常識知らず』など相手にする価値は無い、と判断されたようだ。現代日本で言えば、履歴書も持たずに就職やアルバイトの面接に飛び込んできたようなものだ。当然と言えば当然の対応であるのだろう。


「なるほど……ねぇ」


 リドウは煙管の煙を吐き出しながら相槌を打つ。


 明後日の方を向いている彼は、そのままで話を続ける。


「実はな、今回はデカイ買いもんだったせいで、この屋敷を扱ってた商会の長と直接話をする機会があってな――」


 その時に、こんな事情の少年たちなのだが、使えないものなのかと相談すると、むしろその商会長は真剣な顔で是非欲しいと口にしていた。


 その商会長が一代で築き上げた成長著しい大商会で、未だに事業の拡大を続けているため、使える人材は喉から手が出るほど欲しいらしい。


 文字の読み書きはできなくても、既に他の文明の文字を習得していて、更に別の言語まで習っていたのだ、全く無知なルスティニア一般人よりは、改めて習得するにしても格段に早いだろう。

 その証拠に、千鶴は既に完璧だったし、恵子も普段の生活で読むくらいなら既に何の不自由も無くこなす。


 高度な計算ができるならば、その分野にだけ最初の内は仕事を割り振っていれば良く、それだけでも十分に給料を払う価値がある。


 件の商会長はそう言っていたそうだ。


「お前さんらが望むなら、そこに行って俺の名前を出しゃ、多分雇ってくれるぜ」


 この言葉に男子たちは大喜びする。


 がしかし――


「ただし――」


 リドウはそこで声を低めてドスを利かせたものにする。


「俺の顔に泥を塗りやがったら……」


 これまでどこでもない方を向いていた顔を、男子たちの方へと合わせる。その瞳に秘められた圧倒的プレッシャーに、彼らは一斉にその身を彫像と化す。


「解かってんな……?」


 何をする、とは敢えて言わないリドウに、男子たちは揃って全力で頭を縦に振り続ける。


 やはりリドウという男には、他者をそうさせるだけの特有な雰囲気というものがあるのであった。


 男子たちと一緒になって、ちょっと涙目になっている愛奈が居たことに、リドウが再度、こっそり嘆息する羽目になったりしたのは、ある意味自業自得なのかもしれない。









 男子たちと別れた後、恵子と千鶴の二人と、リドウと愛奈が合流する。既に宿屋はチェックアウトしていたので、彼女たちが待っていたのは、以前にも利用していた酒場カフェのお店だった。


 そこに現れたリドウの姿を目に留めた恵子と千鶴は、さっそく立ち上がると会計を済ませて店を出る。


 一同が合流してから向かった先は街の外、ではなく冒険者斡旋所で、そこで待っているはずのグレンパーティーとも別れの挨拶をするためであった。


 ここでもメインは当然愛奈である。


 初めて愛奈の友人たち――千鶴、恵子、それからリドウ――を目にした他の面々が、その華やかも極まった顔ぶれに息を呑んでいたりしたが、本筋には関係がない。


 グレンと、愛奈が最も世話になったというリーナ。年齢はグレンより一つ下という話だが、可愛らしいという印象を他者に与えるお姉さん、という感じの人物であった。動物の皮製の靴にパンツルック。背にはマントを羽織って、両手の人差し指には魔力を増幅する魔石が台座に嵌った指輪をしている。身軽を旨とする魔法使いとしてはいかにも“らしい”、魔法使いとしては最もオーソドックスな姿格好をしている。


 ルスティニアの魔法使いは、魔法使いとしていかにも持っていそうな杖の類をあまり使わない。杖の先端に特大の魔石を嵌めてあるのであれば垂涎の商品なのだが、非常にお高いため、『自分の魔力に自信はないが金はある』ような魔法使い以外にはあまり持たない。


 リーナが両手の人差し指に魔石指輪をしているのは、別にどこに着けても実際には変わりないのだが、虚空陣を構築するのは主に人差し指であり、そうである以上ネックとなる人差し指に着けたくなるのは人情というものだろう。


 愛奈の普段の格好はこのリーナの影響が大きいようで、指輪をしていない以外は殆ど同じだ。

 年齢の違いはあれど、お互いに抱き付いて別れ際に涙を目元に滲ませている姿は、ある意味目の保養と言ってもいいかもしれない。


 グレンとリーナだけでなく、ここには他に、グレンの同期だという剣士風の男と、その妻という弓矢を背負った女性、更にこの四人よりも大分若い剣士風の男たちが二人。


 その若手二人であるが、彼らはリドウに絡んでいた。


「貴様、リドウと言ったな。グレンさんが信用できる男だと言っていたから、俺たちも貴様を信じないというわけじゃない。だが……」


 険しい目をしながら言う、リドウから見て右側の男の言葉を、左側の男が引き継ぐ。


「もしアイナちゃんに何かあってみろ。ましてや……」


 そこでなぜか苦しげに声を詰まらせる。よほどその先を口にしたくないらしく、今度はそれを見たもう一人が、こちらも苦しげに呻きながら言葉を引き継ぐ。


「アイナちゃんの気持ちを愚弄するようなことがあれば……」


 二人揃って「くっ……」と呻いてリドウを睨み付ける。


「俺たちの勝てる相手だとか――関係ないっ」

「必ず貴様をくびり殺してやるからなっ」


 どうしてそういう風に思われなければならないのだろうかと、リドウは理不尽なものを感じていたが、苦笑しながら「分かった分かった」と手をひらひらさせる。


 その行動を不誠実と見て取った若手たちが剣を抜きかけるが、グレンの同期だという男が「止めておけ」と制止の声を発することで事無きを得る。


 陽気な雰囲気が外見に表れているグレンとは違い、こちらは寡黙そうな印象の男であった。


「すまない」

「気にせんでくれ。気持ちが全く理解できねぇわけでもねぇさ」

「そう言ってくれると助かる」


 一つ頷くと、常時から鉄壁な感じのその顔はあまり判断しづらかったが、どこか真剣なものを増したように思えるものに変える。


「いつまでも共に居ていいとは思っていなかったが、アイナのことは俺も妻も、妹か娘のように可愛がっていたつもりだ。奴らではないが――アイナのことは頼んだぞ」

「ああ」


 短い一言であったが、リドウのその言葉に込められた力を感じ取った男は、少し表情を緩ませた。


 ちょうどその時、愛奈の方は一段落したようで、弓使いの女性と和気藹々と話し込んでいた他の少女たちも話を切り上げた。


「じゃ、行こっか」


 恵子が率先してそう告げると、愛奈は名残惜しそうな顔をしながらも、グレンパーティーに向けて深々とお辞儀し、恵子や千鶴もそれに習い、リドウはガラではないのか言葉だけで謝辞を述べ、リドウ一味は斡旋所を去って行った。


 若手二人は愛奈との別れを惜しんで斡旋所の外まで出て行ったが、中に残った年嵩の面々の内、寡黙な男の方が、長年の相棒であるグレンへと近付いて行く。


「相棒」


 どこか慎重な様子で声を潜めるその男の様子に、グレンも神妙な面持ちになって応じる。


「リドウのことか?」


 寡黙な男らしい無言の様で首だけ縦に振った。


「あの男、何者だ?」

「さあな。良くは知らん」

「悪い男ではない。それは認める。だが……」


 どこか躊躇する様を見せる男だったが、やおら意を決したように強い口調で断言した。


「アレは異常だ。気功士とは言え、俺と相棒が揃っても絶対に勝てないと思った相手など、俺は初めて出会った。それがあの若さだなど、現実にこの目にした今ですら信じ難い。俺にはあの男から、相打ち覚悟でさえ、万に一本取れる場面すら想像することもできんぞ」

「俺もだ。あいつら、良くあの男に喧嘩腰で絡めたもんだと感心するな」

「漠然と強いとは感じられても、まだあの男の実力を読み切れるレベルではないだけだろう」

「若さ故の勇み足か。もう少し厳しく教育していかなくちゃいかんな」


 グレンの言葉に相棒の男も無言で肯いていた。


 今回の会見で最も割を食ったのは、愛奈との別れというショックな出来事だけでは済まなかった若手二人なのかもしれない。










 結局街の外門まで付いて来た若手たちと再度の別れを済ませた一同は、遺跡都市ローラインを後にする。


 大都市間にはきっちり公道が定められており、ここから貿易都市シュライゼルまではそこを通って行くことになる。


 恵子と千鶴に愛奈まで加わった一行だ。公道だとて、盗賊との逢瀬は増えこそすれ減ることはないだろうが、それは今更だ。


 愛奈の反応が心配ではあったが、リドウの方針が見敵必殺ではなく、必殺な相手が非常に限られるため、そこまで極端なものではなかった。


 現実的な話、リドウが必殺しなければならない相手など、盗賊に限って見渡してみても、そう多くはない。


 物語などで「お前たちの嘘なんてお見通しだ」と口にできるのは非常に格好良いシーンであろうが、金を渡せば見逃してやると言いながら実際には見逃さない輩は、これがなかなか、まず存在しない。


 彼らの多くは人殺しがしたいのではなく、金が欲しいだけなのだから。


 行商人の護衛の冒険者を殺害してしまうケースは非常に多く見られるが、これは以前にリドウが言ったように、「殺らなきゃ殺られるから殺るんだ」というのがそのまま当て嵌まり、彼ら盗賊に冒険者たちを殺害以外で無力化可能なだけの腕前が無いからこそ起こる現象である。


 そもそも見逃す気が無ければ、出会いがしらに問答無用で殺害しに来る。油断を誘う意味すら全く無い――相手が盗賊という時点で油断などしようがないのだから。


 現実で拳銃を所持した強盗を思い浮かべてほしい。彼らが「金を渡せば見逃してやる」と言った時、素直に金を渡したとして、「これで助かった」と心から安心して気を抜けるだろうか? 絶対に無理だろう。少なくとも彼ら強盗たちの姿が見えなくなるまで、緊張感を解くことなどまず不可能だ。盗賊たち自身、そのくらい理解している。


 ローラインの冒険者斡旋所で得ていた盗賊情報の中でも、非戦闘員まで皆殺しが基本の極悪非道な連中と出会ったのは僅か一件。


 その際のリドウは、確認と同時に一瞬で全ての盗賊の首を刎ねた。


 千鶴は既に平然としたもので、こうしたケースにこれまで何度か巡り合っていた恵子も、直視こそ避けてはいたが、あまり応えた様子も窺えなかった。しかし愛奈は、これには流石に涙目になっていた。

 だが彼女も、生かしておいていい相手ではなく、司法の場に引き摺って行くことが現状では難しい以上、それしか方法が無いのは理解しており、千鶴に縋り付いて首無し死体を見ないように目を瞑ってその場を後にすると、その後は特に、リドウに対して怯えた様子を露にしたりすることもなかった。


 そんな感じに一行は順調に旅を進める。


 その最中、野営のたびにリドウと千鶴が稽古をするのはこれまで通りであったが、愛奈は一人でスペルキャストの練習である。


 いつもはその光景を漫然と眺めているだけの恵子であったが、そんな彼女がある日、おもむろに切り出した。


「あのさ……あたしって全然魔法使えないの?」

「どうした、突然?」


 リドウが微かな驚きを表意する。


 今までその手の話を何も言い出さなかった恵子の突拍子も無い発言だが……


 恵子にしてみても、これまでとは少し事情が変わっていた。


 リドウは今更論ずるまでもないだろうが、同級生の千鶴とて、恵子にとっては『特別な人間』であった。

 闘気という特別な力を持っている、というだけの話ではない。千鶴とはある種、下級生や同級生だけでなく上級生や教師に至るまで、嫉妬と崇拝をない交ぜにした目で見てしまうような、文字通りの特別な人間であったのだ。


 だが愛奈は違う。彼女はそうした特別な何かを持った人間ではなかった。


 しかし、愛奈の魔法の才能に恵子が嫉妬しているというわけではない。ただ、あまりいい意味には受け取れたものではないだろうが、特別な人間ではないはずの愛奈すらもがこの世界に適応しようと努力する姿を見て、自分は本当にこのままでいいのか……


 以前から、ふとした瞬間に思ってしまうことが全く無かったわけではないのだ。ただその時は、自分如きがちょっと頑張ったくらいでリドウや千鶴のように成れるはずがないと、即座に諦念が心の内を支配してしまい、口にするに至るまで意思が働かなかった。


 けれども、実際に戦力になるかどうかと、努力をすること――この両者は全くの別物なのではないだろうか?


 そうした恵子の思いに気付いているのかいないのか、リドウは……


「何を考えたのかは知らねぇが、お前さんがまともな魔法を行使すんのはまず無理だな」

「そう……」

「どうしても強くなりてぇってなら、戦法を教えてやるに吝かじゃねぇ。だがお前さんの場合戦うよりも、逃げに徹した術を磨いてくれた方が、俺としちゃ助かるね」


 リドウからしてみれば、多少の力を身につけたくらいで奢られる方がよほど困る。


 恵子が言葉通りの意味に奢るとは思っていない。素直とはあまり言い難い彼女だが、物分りが悪いとまでリドウは思っていなかった。


 だが例えばの話だが、大学受験において偏差値が五十を割るような人間が、某国の首都の名を冠する国立大学の受験をしようと考えるだろうか? まずありえないだろう。

 だが、偏差値が六十五くらい有れば、「ちょっと挑戦してみようかな?」という気になってもおかしくはない。公平に見て要求される偏差値には届いていないが、そのくらいの差であれば受験当日の運によって受かってしまっても不思議なことはないのだから。


 しかし、それは命が懸かっていないからこそ、気軽に選べてしまうだけでしかない。


 これは千鶴にも言えることなのだが、リドウからしてみると、彼女や恵子はやけに正義感が強い。もし自分の実力不相応の事態であったとしても、「きっと、もしかしたら何とかなるかも……?」という思いは、容易に危険へと自らの身を踊り込ませるだろう。


 千鶴の場合は仕方が無い。彼女には闘気という、それだけで十分な戦力になってしまう力を持っていて、しかも元々武術に精通している。下手に諌めるよりも、徹底的に強くなってもらった方がいい。


 愛奈にしても殆ど同じことが言える。


 だが、そうではない恵子の場合、中途半端に力を身につけられてしまうよりも、全く弱いままで居てくれた方が、『余計なこと』を考えたりしないだろうし、その方が遥かに助かる。


 もし勇み足で命を落とした場合、この男であれば「自業自得だ」とあっさり見切りをつけるのでは? と思われるかもしれない。


 確かにその通りであるのだが、それで彼のプライドが傷付かないかというと、また全く別の話であった、というだけである。義母がそうであるように、リドウの大半はプライドによって構築されているのであった。


 ――こうした話をリドウが恵子へ直接的にしたわけではない。が、オブラートに包み込んで迂遠に説得した結果、一先ず今回は納得した様子を見せていた。


 その場面を黙って眺めていた千鶴は、恵子が何を考えたのか大凡を把握し、なぜか苦笑を零していた。


(焦っているのね)


 自分が役に立たないという冷厳な事実が、恵子にとって重く圧し掛かっているのだろうと、千鶴は思う。


 恵子という少女が普段していることと言えば、敢えて悪し様に言ってしまえばリドウへ依存しているだけだ。


 愛奈と、それから彼女が養っていた同級生の男子たち。特に後者の存在は、恵子にとって現状の自分を省みる切っ掛けになってしまったのだろう。 


 千鶴が合流してから先だけで換算してさえ、既に半年を過ぎ去った。その間、恵子がリドウへ返せた物など何一つとして無い。それは客観的事実として誰の眼にも明らかだろう。


 千鶴としても、実情は殆ど恵子と変わりがなく、内心で苦々しく思っているのだ。だが、いざとなれば、本人さえ望んでくれるのならば、彼女の場合は自分の体で返礼するのに未だ否やは無い。


 しかし、恵子の場合は“そうはいかない”のだ。厚顔無恥とは決して言えない少女だ、その精神的苦痛はそう軽いものではないだろう。


(私の知ったことではない、とは思うのですけれど……どうしたものかしらね)


 まあおいおい考えるとしようと、どうするのが自分にとって一番有利に事が運ぶのか、彼女の脳内では損得勘定が揺れ動いていた。決して悪い女ではないのだが、黒い女であるのを否定はできないか。


 ――かように、若干の問題を孕んではいたが、一同は概ね順調に旅路を進める。


 進めていたのだ、順調に。


 しかし……


 貿易都市シュライゼルへ行くには通らなくてはならない森がある。


 その森へと差し掛かったその時、リドウが突然立ち止まった。


 もしや盗賊かと、少女たちは一斉に身構える。


 が――


「千鶴」

「……どうしたのかしら?」


 前方の森の中を見ながらの、どこか緊張感すら漂わせたリドウの声。初めて耳にしたそれに、千鶴は反応が一瞬遅れてしまった。


 何があった……いや、“あるのか”と訝しげにリドウの横まで歩んだ千鶴は――そして同様の行動を取った恵子と愛奈もが、表情を凍り付かせてしまった。


 笑っていたのだ――とても楽しそうに、嬉しそうに、そして何よりも、無邪気にさえ見えるくせに、邪悪とすら言える――そんな何とも曰く言い難い顔付きで。


「お嬢と愛奈を連れて離れてろ。できるだけ遠くがいい」

「説明を要求するわ」


 千鶴が真剣に言うと、恵子と愛奈もそれに追随してこくこくと頷く。


「ああ……いや――もう間に合わねぇな。お出でなすった」


 小さく含んだ笑い声さえ発するリドウの言葉が示すように、彼の視線の先――その森の中から、何かの輝きが現れた。


「――――ッ」


 少女たちは揃って息を呑んだ。


 ソレはただの光源ではなく、木漏れ日程度ですら光を反射して煌めく蒼銀の髪を背中ほどまで伸ばした二十代後半から三十代前半と思しき女性であった。今一年齢不詳ではっきりはしないが、多分そのくらいだろう。

 至って身軽な旅装束で、腰には一振りの剣を携えているが、それ以外に特別な物は何も無い。

 しかし、切れ長の眼から覗く鮮やかな緑色をした瞳には、まるで誰かを思わせる何らかの強い意志を浮かび上がらせており、千鶴よりも更に冷たい印象を他者に与えてしまうだろう切れ味の鋭い風貌は、しかしこの女性の美貌を損なうことはなく、むしろ似合いとさえ思ってしまう。


 千鶴には即座に理解ができてしまった――この女性に眩いばかりの光を覚えてしまったのは、ただその髪が光を反射しているからではなく……


 何者にも揺るがすことは不可能であろう、圧倒的な自負の為せる業だ――と。


 そして恵子も何となく感じ取っていた。本当に何となくだが……“あの女性”を思い出させる人だな、と。


 魔神リリステラ――恵子が一瞬彷彿としてしまった女性の名であった。


 全く似てはいない。彼の大魔王は聖母の如き柔和な雰囲気を外見に感じさせ、実際にその通りの人物であり、翻ってこちらの女性は、敢えて言うとすれば千鶴と同系統の氷柱の如き怜悧さがある。


 それでも恵子は思ってしまった――似ている、と。


 この時の愛奈といえば、リドウの変化や『怖そう』な女性の登場などに中てられて、怯えを露に千鶴の腕に抱き付いていた。


 少女たちが一様に、何か尋常ではない、しかし到底言葉にはし難いものを感じて固まっている中で、蒼銀の女性は森の中から出て来たその位置で立ち止まり……


 鋭い眼差しでリドウだけをじっと見つめる。


 対するリドウも、笑ったままでその女性を見つめている。


「何者です」


 先に言葉を発したのは蒼銀の女性からであった。外見に違わず涼しげな響きを湛える声であった。


「名乗りなさい、若者よ」

「失礼した」


 リドウは素直に一礼して謝罪の意を表す。自分は名乗らず一方的に名乗りを要求する蒼銀の女性に対して、彼は一言の苦言も弄さなかった。


 それもそのはず。


「俺の名はリドウ。お初にお目に掛かる、魔王が一柱よ」

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