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第十一話 人に歴史あり

「勇者召喚……ですか」

「ああ」


 悪徳聖職者たちを撃退した後、リドウたちは再び客間に戻っていた。


 町の教会を預けられている一神父といえど、その身が持つ情報量は意外と侮れない。何せ彼らは常に様々な教徒たちと接触しているのだ。


 情報流通の主たる冒険者にはロンダイク聖教圏内で育った者でもあまり敬虔な信徒はいないが、それでも全くいないわけではない。

 チュゼルに積極的に行商に来る商人もあまりいないが、チュゼル国内で活動している商人ならばそれなりに来るのも確かだ。


 彼らはその際に旅の無事を祈願しに教会を訪れ、何か変わったことがあれば、それを神父に世間話がてらに伝えることなど珍しくはない。


 しかし、この時のアキレウス神父は相変わらずの鉄面皮ではあったが、どこかすまなそうな雰囲気を纏って首を横に振った。


「もうしわけありませんが、詳しいことは……。何せ勇者召喚といえば十年から二十年に一度とは言えどこの国でも行っております。今年だけでもルスティニア全土で数名は召喚されていることでしょう。少なくとも今年はこの国では行われてはいない、そのくらいしかはっきりと申し上げることは何も……」

「いや、そう畏まらねぇでくれ」


 頭を下げるアキレウス神父に、リドウはこちらこそすまなそうに手を翳す。


「そんなこったろうとは思ってたからな」

「ああ。ですが一つだけ思い出しました」


 アキレウス神父は顎を撫でながら言う。


「関係があるか全くの未知ですし、その上あくまでも噂にすぎませんので、真偽に関しても保証などとてもできない話ですが……」

「いや、言ってくれ。別に間違ってたからと言って責めたりゃしねぇよ」

「何でも、幾つかの国が共同で勇者を集め、戦力を集中して魔王にぶつけようとしているという話を耳にした覚えがあります。中々考えづらい話なので、特に気にしてはおりませんでしたが」

「なるほど……」


 リドウは神妙な顔つきになって腕を組む。


「そりゃ、中々ありえねぇな」

「ええ」


 男二人で互いに同意しているが、少女たちには、千鶴にさえも意味がわからない。


「ねえ、何でありえないの?」

「是非知りたいわね」

「ん? ああ」


 少女たちの問いかけに、リドウは相槌を打ってから話を始める。


「勇者ってのは戦力だ――召喚した国にとってのな」


 勇者の『所有権』は当然、召喚した国のものとなっている。


 勇者とは才能だけならば魔王に匹敵、あるいは凌駕する存在だ。たとえ育てるのに多少の手間が掛かろうとも、彼らはあっさりと一流の域へと飛び越えていく。


 このルスティニア世界での『一流』とは単騎で通常の兵士数百人に相当する戦力を指して言う。『超一流』ならば一軍に匹敵する者すらおり、どんな時代にも数人くらいは必ず存在しているものだ。


 ただし、そうした超一流はその殆どがリリス教国家に仕えるか、滞在している。


 彼らは言ってしまえば新たな魔王候補だ。魔王覚醒の明確な条件ははっきりしていないが、少なくとも前提として《ハイエンド》の使い手でなくてはならない。ハイエンドとは要するに「もーお前ら完璧人間辞めちゃってるよね?」な連中である。


 ロンダイク聖教の影響圏内に居ると暗殺の危険があるのだ。


 魔王に到ってしまえば物理的に殺害される以外での滅びはなくなるが、人の身であれば毒殺等の手段での暗殺も有効だ。


 ……まあ魔王たちの手で育てられた某殲滅師などは、そのために幼少から毒に対する耐性を身につけさせられていたりするため、人の世界に存在する毒で即座に命を落としてしまうことはまずないが……そうではない通常のハイエンド級たちではそうもいかない。一朝一夕でそんな耐性を身につけられるものではないのだから。


 なのでルスティニア育ちの超級実力者は、その殆どがリリス教国家の戦力なのである。


 勇者はそれらに確実に匹敵するだけの才を持っている者であり、いざ戦争になれば頼もしい戦力へと早変わりしてくれる。

 というよりも、勇者の戦力を加味しなければ、リリス教国家と渡り合えないのだ。


 魔王の初討伐からおよそ四百年。勇者では他の魔王を討伐することなど不可能に近いと理解するにはいい加減十分な時間だ。


 魔王討伐という名目が有名無実となった今、勇者の役割は主に二つ。


 一つは、平時には魔王討伐のために旅をさせること。


 諦めたのではないかと思われるだろうが、もし魔王を討伐できた場合、その国の発言力はロンダイク聖教国家間では絶大なものになる。それを諦めるにはかなり惜しいものがあるのだ。


 がしかし、この世界における魔王とは気まぐれな上に気ままな連中ばかりで、普段はどこに居るのかすら定かではない。よって、討伐するためにはまず探索から始まるのだ。


 国家単位で捜索しようにも、相手は桁違いの実力者。見つけて尾行をしても撒かれるのが精々。なので魔王討伐とは「不意に遭遇した勇者が戦って倒す」ことを指して一般的には認識されている。


 その際に、ついでだから名を上げてこいと冒険者として旅をさせる……というのがお決まりとなっている。

 他国にまで響き渡るような活躍をしてくれれば、それだけで召喚国の威信が高まってくれるのだから。


 そして二つ目が有事の際における『戦術兵器』としての役割である。言うまでもないだろうが、単騎で戦局すら変えてしまえるほどの絶大な力を望まれての話だ。


 故に、彼らは平時こそ冒険者としていかにもゲームの勇者らしい旅をするわけであるが、いざとなったら呼び戻されて殺戮兵器としての役割を求められる。


 魔王討伐の称号はあくまでも自国の戦力だけで成し遂げられてこそ意味のあるものだ。

 が、もし自国の所有する全勇者を一度に投入してしまい、そして全員が討ち死にしてしまえば一気に戦力が大幅ダウン……というか周辺国からの自衛すら難しくなってしまう。

 なので冒険者一パーティーに相当する護衛をつけて勇者をばらばらに旅させる、という選択になるのだが……


 それが数ヶ国共同で集中して魔王にぶつけるなど、考えた者は今まで幾らでもいただろうが、現実に実行されたことはない。

 最悪、自国の勇者だけが使い潰されてしまったら……と考えると、とても実行できないのだ。


 仮にあらかじめ条約を結ぶなどで「そんなことはしませんよ」と約束したところで、戦力が減少した状態を襲われて征服されてしまえば、そんな物は何の意味もなくなる。


 国同士の関係など所詮はそんなものだ。特にロンダイク聖教国家はその性質故にリリス教国家よりも好戦的……というか欲得に塗れた権力者が比較的多い。

 自分が欲望に満ち溢れた人間であればあるほど、その人間は他者もそうであると考えるもので、猜疑心を捨て去ることなどそうそうできるものではない。


 不意に魔王と遭遇した勇者が戦闘の末に殺されてしまうことは実のところあまり珍しくないため、魔王討伐をさせるべきかさせざるべきか、その損得勘定の天秤は実に微妙なバランスであるのだが、他国がしているというのに自国はせず、万一他国に成し遂げられてしまっても面白くないため、どこも止める気はないようだ。


 魔王討伐が不可能というわけでは決してないのだ。極論してしまえば、魔王を殺害するのに必要とされるのは、ロスト・スペリングによって展開される魔力障壁や闘気で強化された防御力を突破でき得るだけの『圧倒的な攻撃力』であり、勇者がそれを得ることはさして難しくはないのだから。


 ただし、それが有るだけで勝てるほど相手が生易しくない、というだけでしかなく、運良く致命の一撃をくれてやることさえできるなら可能ではあるのだ。


 その事実が彼らをどうしても諦める気にさせてくれない。


「いずれにしろ、それが実行されるとなりゃ歴史的事件っつっても構わねぇだろ。しかし、どこが中心となってるのかねぇ」

「フェルミア王国がそうだと、その噂では」


 リドウはそれを聞いて面白くなさそうに一つ舌打ちした。


「正反対な上に別大陸じゃねぇか。行くとなりゃユリアスからハイネリンに出てそっから船だぞ。ノンストップでも半年は掛かる……」


 言いながらリドウは恵子をちらりと見て、その後天井をどことなく見上げた。


「いや、年単位か」

「悪かったわね! どうせお荷物ですよーだっ」


 ぷいっと機嫌を損ねてしまうお姫様。


「どうすっかねぇ……」


 リドウは少女たちへと目を向ける。あたかも二人が決めろと言わんばかりだが、実際にその通りなのだろう。


 彼には特にどこかに行かなければならない理由など無い。できることならさっさと恵子の目的を果たして自由の身になりたいと願ってはいるが、半年や一年でどうにかなるなどというのは希望的観測であろう。


 千鶴の目的であれば、彼女なら一緒に旅をしていても足手纏いになることはないだろうと思っているので、少しくらいなら余分に付き合ってやってもいいらしい。


 というか、彼女は間違いなく凄まじい才能を秘めている。召喚された時点では闘気に目覚めていなかったらしいので、召喚対象の勇者ではなかったのだろうと判断しているが、正直微妙な線だともリドウは思っていた。多少の誤差があっても不思議ではない。元々異例な召喚だったのだし。


 どの道、少なくとも魔王や勇者に匹敵する才の持ち主であると彼は確信している。しかも強くなるということに貪欲だ。自分と戦えるようになるまで育ててみるのも一興か――そう考えてもいるのであった。


 ……基本的にこの男の行動原理はバトルジャンキーに相違ないのである。


 さて、視線を向けられた方はといえば、恵子の方は困った顔で、千鶴の方は平常運転であった。


 そういった判断を求められても……と困ってしまう恵子に対して、千鶴はどの道できる限りの国を回るつもりであるので、今回の事故の震源地に近い可能性の高い場所という意味では目指す価値があるものの、自分や恵子の存在からいって、正直どこに飛ばされていてもおかしくはない。一直線に向かって変に探し漏らしを作るよりは、順々に各国を攻略していった方がいいのでは? とも思っているらしい。


 どれだけの人数が召喚されているかなど、恐らくはっきりすることはないだろうし、一人残らず助けたいなどと自惚れてもいない。

 極端な話、終わりが見えない以上、一人残らずと考えた場合、永遠に探索を続けなければならないのだから。


 どこかで妥協はしなければならない。それがいつ、そしてどんな時に訪れるかは今は分からないが、少なくとも今はまだ諦められるだけの気持ちにはなれない。


 ……自分がこうして綺麗な体で生きていられるのは、一人の男子が命を懸けてくれたおかげなのだから。その命に釣り合うだけの働きはしなくてはならない――それが今の千鶴にとっての至上命題なのだから。

 その途中で自分の初恋も成就させられたなら言うことはない……と考えられるあたりがこの少女の本当に凄いところである。


「ま、追々考えるか。数日はここで骨休めのつもりだったしな」

「え? 何で?」

「何でってお嬢」


 心底不思議そうに訊いてくる恵子に、リドウは呆れ顔で見返す。


「お前さん、相当疲れが溜まってんだろうが。アクレイアでも休みらしい休みにゃならんかったし、それから二十日近い旅路で間にゃ村の一つも無かったからな、無理もねぇ」

「あ……」


 そうなのだ。恵子の現在の状態は結構いっぱいいっぱいだった。


 それをちゃんと気付いて、それに気遣ってくれるリドウに申し訳ない気持ちが湧いてくるが、同時に嬉しい気持ちまでが湧いてきてしまい、恵子は複雑な顔つきになってしまう。


「その……ありがと……」

「ん」


 俯きながら消え入りそうな声で礼を言う恵子であったが、その声に込められた色は決してマイナス方向の感情ではなく……


 それを見た千鶴がやはり冷たい目で恵子を見据えていたが、最早これもお約束であろう。


「ではよろしければ、その間はこの教会でお泊り下さい」

「そうかい? ならそうさせてもらおうか」


 こんな場合、最終的に押し切られたとしても、一度は「悪いから」と丁寧に謝絶しようとするものだろうが、リドウはそうしようとはしなかった。


 彼自身は恩を売ったなどとは思っていないが、受け取った側が恩に感じているかいないかは話が別だ。

 仮にリドウが今のアキレウス神父の立場にあった場合、リドウならば必ず何かしらの形で返す。

 それはきっとアキレウス神父の方とてそうだろうとリドウは考えた。


 ならばここは恩返しを受けてやった方がアキレウス神父にとっても少しは心が楽になるだろう。

 リドウは確かな矜持を持つ男に対する敬意を表して、ここは素直に受けるべきだと判断したのだ。


「お前さんらも問題はねぇだろ?」

「うん」

「ええ。お世話になります、神父様」

「あ、お世話になりますっ」


 リドウに問われて肯いた恵子であったが、やはり千鶴の方が一枚上手ならしく、彼女が丁寧にアキレウス神父に礼を述べたのを見て、自分も慌てて頭を下げた。


 笑みが浮かんでいるわけではない鉄面皮のままであったが、アキレウス神父は一つ頷き返してから部屋に案内しようと言って席を立ち上がった。










 その夜のことだ。


 リドウは久しぶりの町とあって、一人で飲みに繰り出していた。


 長期で滞在する者は少なくても、冒険者がそれなりには居るため、風俗店などの設備はそこそこ充実している。

 こうした設備がきちんと整っていないと、欲求を持て余した荒くれ冒険者などが良からぬ行動に出て一般市民に累が及びかねないので、ある程度の規模の町であれば必ずあるものだ。


 リドウは特に風俗店目当てで来たわけではないが、飲酒をメインとした酒場というのは大体が歓楽街に設置されている。


 人間、酒が入れば気が大きくなるもので、するとむらむらしてきた元々理性の緩い冒険者が暴漢へと早変わり、というケースなんぞ珍しくないため、せめて金を払って風俗店で発散してくれ……というわけだ。


 他にも、やはり酒が入れば理性の箍が緩くなってしまうものなので、そこで娼婦からお誘いを受ければ思わず乗ってしまう男も決して少なくない。


 酒場側としても変な事件を起こされるよりは風俗店に荒くれ者を引き受けてもらった方が助かるので、酒場と風俗店の相互関係が成り立っているわけだ。


 リドウは見た目通りというか、酒にもメチャクチャ強い。なので酔っ払って女に絡むようなことはないし、そもそも不自由などしていない。

 が、金で女を抱くという行為に嫌悪感を持っているわけでも特にはない。


 自分に好意の無い女を理由もなく抱く気はないが、彼女たちはそれが仕事なのだ。客が居なければ生活ができない。

 かといって、「ならこの金がありゃ、こんな仕事はしなくてもいいだろ」などと善人ぶって恵んでやるなどリドウにとってはありえない。相手は子供でもなければ聖職者でもないのだから。

 とはいえ、水商売で日々の糧を得ている女性を蔑視するような男ではなく、そうした場所に通う男たちを蔑んだりするような潔癖さなど持ち合わせてはいない。

 故に、なら自分が客になってやるのもいいさな……という論拠なのだが、ここら辺もやはりこの男独自の価値観による明確な線引きというやつである。


 相も変わらず複雑怪奇な精神構造をしている男であった。


 というわけで、酌婦から通りすがりに誘われてしまったので、今は日本で言うクラブのような場所で美女に体を密着されながら酒を飲んでいた。


 そうしているリドウの姿は実に泰然としたもので、胸元を大胆に開いて谷間を見せ付けるようにした姿格好の艶やかな美女を片腕に侍らせているようにはとても思えない。


 あの一条千鶴を相手に毅然とした態度がとれるような男だ、そこら辺の女に鼻の下を伸ばしたりはしないのも当然といえば当然か。


 しかしながらこの酌婦もかなりの美女である。


 リドウという男はどこからどう見ても只者ではない上に、その容姿も抜群にいい。お仕事のため、お金のための割り切った感情からでのものであっても、それなりに自分の容姿に自信を持つ女でないとそう容易に声を掛ける勇気が湧かなくても無理はないだろう。


「そう、あなた神父様の所でご厄介になっているの」


 美人の酌婦の方が落ち着いた声音で言う。客相手の媚びた声色ではない。


 彼女たちも数多の男たちを見てきているし、相手にしてきている。それだけに男を見る目は磨かれるのは至極当然だ。中には男に騙されて、奴隷は免れたが娼婦に身を持ち崩したような女もいて、そういう女は二度三度と男に騙されるのも珍しくはないが……どうやら少なくともこの美人酌婦は違うようだ。

 その経験から、リドウが媚び媚びの声で美辞麗句を送られて喜ぶような男ではないとあっさり気付いたようで、しかし好い男だなとうっとりしながら彼にもたれ掛かって、彼の杯に酒を注ぎ、自分も遠慮なくご相伴にあずかっている。


「あの神父様に認められるくらいだもの、思った通り、チンピラ冒険者とはわけが違うようね」

「尊敬されてるようだな、あの神父さん」

「もちろんよ」


 美人酌婦の声にはどこか力が込められている。それだけアキレウス神父への尊敬の念が本物であるという証明だろう。


「神父様はね、私たちのような水商売女を蔑んだ目で見てきたりしない。それどころか、私たちのおかげで町が健やかでいられるんだって、誇っていい仕事をしてくれているんだって言ってくれる」


 一口飲んで喉を濡らす。


「この町の娼婦で神父様にお布施を欠かす女なんて一人も居ないわ。でもね、いつもほんのちょっとしか受け取ってくれないのよ。お金が足りなくて苦労しているって聞いて、私たちが皆でお金を出し合って助けようとしても、それじゃあ私たちの生活が立ち行かなくなるって断って、お金のある所に自分から足を運んで頭を下げる……そんな人なのよ」


 美人酌婦の言葉を聞いて、リドウはふっと微笑を浮かべる――やはりそういう男か、と。


 リドウからしてみれば、何かに拘って必要な時に頭を下げられないような男が持つモノを誇りや矜持、自負、信念、そしてプライドなどと呼ぶ気にはなれない。

 自らを他者に美しく、逞しく、強く見せるために泥を被れないような男など、リドウからしてみれば『つまらねぇ男』でしかない。


 人によっては「男なら他人に頭を下げるものではない」とか言って、それを信念やプライドだと言うだろうし、それは確かに間違ってはいないのだろう。

 それを主張する輩が、いざ自分が殺される時になってまで毅然とその態度を貫き通せるのなら、リドウとてそれを認めてやるに吝かではないが、そうではないのなら、それをそう呼ぶ気にはやはりなれない。


 アキレウス神父はやはり、リドウが素直に認められる矜持の持ち主であったようだ。


 そうして男と女、二人の間に穏やかな時間がしばし過ぎ去るのであった。


 が――


 突然乱暴な勢いで酒場の入り口が開かれる。


 驚愕による一瞬の沈黙の後に騒然となる店内の客と酌婦たちの視線の先では、騎士風の男たちが数人でぞろぞろと、その上いかにも自分は偉いとばかりの横柄な態度で入店してきた。


 慌てて店主兼支配人の男が騎士たちに走り寄ると、男たちの中の一人が店主に向かって大きな声で店中に響き渡るように喋り出した。


「喜べ! グレゴール司教様がお前たちの中から今夜の晩酌の相手をお選び下さるそうだ!」


 晩酌の相手というが、実態は乱交に違いないのだろう。


 宣言した男が止める店主を「逆らうのか?」と脅し、悔しそうに歯を噛み締めている店主に満足そうな顔をしてから、店内の酌婦たちを吟味するように歩き回る。


 一人一人顔を確認し、


「よし、お前だ。それとお前も」


 と不快感と怯えを露にしている女たちを指し示して行く。


 そして、


「よし、お前……もぉおっ!?」


 と新たに一人の酌婦を指差した時、男は驚愕に目を見開き、次いで悲鳴混じりの声を上げながら大きく後ずさった。


 その男が見つめる先には一人の剣士風の男――リドウが怒気を隠そうともせずに睨み付けていた。


 リドウはあくまでも静かな動作で杯をテーブルの上に置いてゆっくりと立ち上がり、心配そうに見上げてくる美人酌婦の頭をぽんぽんと軽く叩いて安心しろと暗に示しながら、しかしその表情は全く緩めずに男たちを睨んでいる。


 リドウの存在に気付いた他の男たちも顔を真っ青にして震えている。


 男たちを視線だけ動かして確認しながら、リドウはようやく口を開いた。


「俺は失せろと言ったはずだぜ?」


 リドウの口調には「この町から消えろ」という意味が含まれているというのが誰にでも明らかであった。


 下手に言い訳などしようものなら殺される。


 実際には殴り飛ばされるくらいで済むだろうが、男たちがそう考えるのも無理はない。目の前の男が纏う鬼気はそれだけ凄まじいものがあった。


 しかし一人だけ、先ほど女の選別をしていたリーダー格の男だけは、ほんの微々たるものであるが反発心を露にできてしまったらしい。


「ふ、ふんっ。貴様のような不信心者が、やはりあの破戒神父と付き合うだけはあるようだな! 神への敬いの心など持たぬ輩が、今に神罰が下るぞ!」


 神罰などをこの男が気にするはずがない。本当に下ったとしても己の力で跳ね除けるだけだ、そう考えるのだから。


 だが今は、それよりもっと気になる言葉があった。


「破戒神父……?」

「なんだ、知らなかったのか!」


 男は何が面白いのか愉快そうに笑う。非常に気に障る笑い方であった。


「あのアキレウスって男はな、かつては大司教にまで上り詰めた。なのにどうしてこんな田舎町の一神父をしてると思う?」

「さあ、どうしてかね」


 一切の動揺を浮かべる様子がないリドウに男はつまらなそうな顔をするが、すぐにニヤリとした笑いに戻る。


「同僚殺しの破戒神父なんだよ! あの男はな!」

「だからどうした」

「――ッ!?」


 リドウは泰然自若の態度を崩さないで言い切る。


 逆に動揺してしまうのは男の方である。


「つまらねぇ話を聞いちまったもんだ。もういい、とっとと失せろ」


 更にリドウの威圧感が増したのを感じ取り、男たちはとうとう一目散に逃げ出した。


 煙管に火を点して席に戻ろうとするリドウに、美人酌婦は心配そうな顔を未だにしたままで、しかもどこか焦燥を感じさせる顔で彼に詰め寄る。


「誤解しないで。神父様はそんな人じゃないわ」

「俺が知ってるのはアキレウスって男が神父であり、慈悲の心を持った聖職者って事実だけだ。過去に何があったかは知らねぇが、少なくとも何の理由もなく悪行を働くような男じゃねぇだろ。俺にはそれだけで十分だ」


 そう言って何の気負いもなく煙管を吹かせるリドウに、美人酌婦は笑顔になって彼の腕に抱きつく。


 酌婦とは娼婦ではない。


 が、現代のキャバ嬢のようなバカ高い給料を得られるような職種ではないため、体を売ることは当然ある。


 しかし、娼婦であれば指名されれば断れないが、酌婦ならば相手を選ぶ権利くらいは認められる。


 どうやらリドウはこの美人酌婦のお眼鏡に適ったらしい。


「今宵の私の時間はあなたのものよ」


 美人酌婦はご機嫌の様子でリドウの頬に軽く口付ける。


 そしてこの男は、こんな場面で女に恥をかかせるような男であるはずがなかった。








 明くる日の千鶴さんは朝からご機嫌斜めであった。恵子ちゃんも本日は朝っぱらから大分面白くなさそうな顔をしている。


 理由は一つ……リドウの朝帰りである。


 中々帰って来ないリドウに「まさか……」という思いを抱えて悶々としながら、しかし待てど暮らせど帰って来ない。

 探しに行っても簡単に見つけられるとも思えないので、限界に達して仕方なく就寝したものの、朝になってからようやく姿を現した彼に千鶴は真っ先に駆け寄り……


「女の匂いがするわ……」


 彼の首筋に自らの顔を埋めるようにして匂いを嗅ぎ、浮気した亭主を見る目で彼を睨む。


「相っ変わらずサイテーねっ」


 恵子も蔑み全開で彼を見やるが、肝心のリドウはやはり、何の痛痒も感じていないようで、飄々と煙管を燻らせている。

 一応教会内では控えているのだが、少女たちが表の入り口で待ち構えていたので、今彼らが立つ場所は軒先であった。


 実際のところ、この男であれば彼女たちのご機嫌を取るなど容易い仕事であろう。


 千鶴ならば愛を囁いて抱いてやれば済む話だし、恵子とて本人は認めないだろうが、熱心に口説かれてしまえばいともあっさりと堕ちるのは想像に難くない。


 なのにそうしない理由は、やはりこの男特有の複雑怪奇な精神構造がなせるものであった。


 へそを曲げてしまった少女たちを放ったまま、リドウはアキレウス神父と挨拶すると、彼は特に何も言うことはなく、その鉄面皮を崩すことはなかった。


 教会の中へと歩むリドウ。


 そんな彼の姿を目に留めた途端に走り寄る子供がいた。


「にぃちゃん!」

「どうした?」


 ティッツのどこか必死さすら窺える様子をリドウは見て取った。


 ティッツはリドウの前まで来ると、拳を胸の前で握り締めて言う。


「オレに剣を教えてくれ!」


 と言われたリドウは少し難しそうな顔になってしまう。


「オレ、大きくなったら冒険者になって、一杯稼いで神父様に楽をさせてやるんだ! だからお願いだよにぃちゃん。俺もにぃちゃんみたいに強くなりたいんだ!」


 力の篭った眼差しは子供ながらに十分な決意を窺わせる。


 しかしリドウは困った様子で頭をかいている。


 教えるのは構わないのだが、それで妙な自信を着けられても困るのだ、リドウにとっては。


 中途半端な実力では身を滅ぼすだけ、という話では済まない。子供にとっては「自分は上手く剣を振れるんだ!」という思い込みだけでも過信の原因となり得るのだから。


 期待に塗れた眼差しで己を見上げてくる男の子に困ってしまったリドウはアキレウス神父へと助力を求めて視線を向けるが、彼は無情にも瞳を閉じて「任せます」とばかりに態度で表してくれた。


 それを正確に察したリドウはため息一つ、それからすぐに厳しい顔になる。


「駄目だ」

「どーしてだよ!?」

「俺がずっと面倒見てやれるならいいんだが、生憎とそういうわけにゃいかねぇ。俺の動きはかなり特殊でな、しかも流通が極めて少ない。俺の技を前提にした動きを身に着けると、いざ他の武器での戦闘法を習おうって時になって癖を矯正するのに難儀することになる。どうしてもってならこの町で開かれてる道場で習った方がいい」


 その言葉に、ティッツはしょぼーんと肩を落としてしまう。


「でも、この町にある道場で教えてるのって魔闘術だけなんだよ。オレ、魔法はピンキー・フレイムくらいしか使えないから……」


 落ち込みながら言うティッツに、リドウはいよいよ参ってしまう。


 《魔闘術》とは読んで字の如く、魔法を使用して戦う武技である。


 魔法使いと呼べるレベルではなくても、攻撃力だけを見ればそれなりの下級魔法を使える者は非常に多い。

 無手や武器で戦いながら、同時に虚空陣を用いずに呪文詠唱だけで使用可能な魔法を組み合わせて戦う闘法、それらを総称して魔闘術と呼ぶ。


 この町で戦闘法を教えている道場は一つだけであり、そこは最もオーソドックスな剣を用いた魔闘術を教えているそうだ。


 道場主としても生徒は欲しいので剣だけでも教えてくれるそうだが、やはり魔法使用を前提とした動きをするために剣だけでは今一で、その道場から純粋な剣士として大成した者は居ないらしい。


 アキレウス神父からそこら辺の事情を詳しく聞いたリドウは、仕方がないとため息を吐く。


「ティッツ、教えてやっても構わねぇが、幾つか条件がある」

「教えてくれるなら何でも聞くぜ!」


 目を輝かせる少年に対して、リドウはあくまでも厳しい態度をとる。


「まず、俺が教えるのは極々基本的な『歩き方』だけだ」

「あ、歩き方……?」


 そんなのが何の意味があるんだと、期待外れといった感じにしょぼーんとするティッツ。


「そう馬鹿にしたもんじゃねぇぞ。武術の基礎は下半身だ。剣だろうと槍だろうとただ振り回しゃいいってもんじゃねぇ。チンピラ冒険者ってのはそこら辺を理解してねぇ村や町の喧嘩自慢がてめぇは強ぇと勘違いして、実際に冒険者になったらなったですぐに行き詰っちまって、だが今更一から学ぼうって真摯さが無ぇもんだから、結局それ以上にゃ行けねぇって羽目になる連中なんだ」

「そーだったのかぁ……」


 神殿騎士たちが戦いもせずにびびって逃げ出すほど強い男が言うくらいだから、きっと本当にその通りなのだろうと、ティッツは少し感心している様子だ。


「そうだ。歩き方一つでも十分な武器になっちまうことすらあるんだ。最低でもそれを身につけずに武術の習得なんざ話にならねぇ。そんくれぇなら大抵の武器に応用できるように教えてやる。てかよ、俺がここに滞在してる間に教えてやれることなんざ、歩法のごく初歩で限界だ」


 それだけならば教えてしまっても、変に自分が強くなったと勘違いもしないだろう。素人ほど武器を手に持っただけで強くなったような気分になって、ちょっと齧ったくらいで奢るものだ。子供とはその最たる例である。

 だが、実際に武器を手に取らない段階であればそんなことにもならないだろう。

 とはいえ、時間的に限界というのも全くの嘘ではなかったが。


「それから、俺が居なくなった後も、ちゃんと毎日繰り返すことを忘れるな。武の道は一日にして成らず、だ。俺が教える僅かなものであっても完璧に身についてりゃ、実際に剣を手にした時にゃ一足飛びで他の奴らを置いていけると保証してやるぜ。俺を信じろ」

「……うん、信じるぜにぃちゃん!」


 真の『強者』だけが持ちえる力が篭ったリドウの瞳には、子供が無条件に信じられるだけの確かな説得力があった。


 ティッツは自分も決意の篭った眼差しでリドウを見返すと、彼はニヒルに笑って少年の頭を乱暴に撫でる。


「良し、上等だ。表に出ろ、さっそく教えてやるぜ。俺の師匠直伝のとっておきだ」

「おおっ、なんか凄そーだな!」

「おうよ」


 大小肩を並べて外に出て行く男と男の子。


 そんな彼を見る他の大人たちの目は一様に温かいもので、アキレウス神父はリドウの背に向けて無言で感謝の意を示していた。


「本当に、いい父親になりそうね」

「否定はしない」


 二人ともさっきまでの不機嫌を忘れてしまったようで、揃ってくすりと笑い合いながら男どもの後姿を眺めていた。










 時はさかのぼり、これはまだ昨夜の出来事であった。


 この町で最も高級な宿屋の更に最上級の部屋。


 都市部の謂わばエグゼクティブスウィートには及ばないが、それでもたった一泊で庶民の平均月収の半分は吹っ飛ぶそこを、数日に亘り借り切っている客が居た。


 グレゴール司教。


 年の頃は二十代半ばだというのに、既に豚の様相を呈した体型の聖職者。これで人の良い笑顔でもその顔に浮かんでいればまだマシだろうが、この男が浮かべる笑顔は他人にいい印象を与えるようなものでは決してなく、『いやらしい顔』にしか見えない笑みであることからも、この男の人柄が見えてこようというものである。


 彼はワイングラスを片手にして、目の前に並べられた女たちを見渡す。


 が、一人一人の顔を確認した途端に彼は不機嫌を露にしながら、護衛の神殿騎士たちの隊長を見る。


 隊長の男は恭しく肩膝をついて控えていたが、グレゴール司教に見られたその顔は、やっぱりといった感じに歪められていた。


「おかしいですね。わたくしはこの町で一番の店から、その中でも選りすぐりの女を見繕ってきなさいと申したはずですよ? 何ですかこの醜女たちは」


 酷い言い草にすぎる。女たちは一様に傷ついた顔をしているが、しかし誰も言い返しはしなかった。


 グレゴール司教は、この男にとっては当然のことらしく、あまりにも平然としたあり様であった。


 司教というのはかなりの立場だ。二十代、それも半ばでその地位にあるという事実はかなり凄い。まあ要するにそれだけの賄賂を積めたということであるが。


 この男の場合は貴族、しかも侯爵の実家が金を出してくれたからこそ、この地位を築けたのだ。


 ロンダイク聖教の聖職者には貴族が多い。家督継承権の低い男子の『就職先』としての有力候補なのだ。上手く出世してくれれば実家に様々な便宜が期待できるのだから。


 そもそも、『神の教えを説く』というのは大変に難しい行為なのである。それこそ「常人が畑を耕しながら片手間で学び得るものではない」のだ。

 よって、聖職者とは最低限には裕福な階層の者たちでなければ、賄賂とかそういった行為を含めずとも務めるのは難しい。

 神の言葉など全く語れないで、権威による威圧と武力による恫喝で適当なことを言っているだけでも実際済んでしまう面はあるのだが、流石にそれだけというのはまずい。聖典の暗記くらいは最低限求められる。


 よって、家督継承権の低い貴族家の子息や富裕層の商人の息子など、そういった上流階級の男子でロンダイク聖教の聖職者は占められている。


 その中でもグレゴール司教は、実家の権威だけで言えばほぼ最上級のものがある。


 彼は幼い頃からこういう人間であった。そしてそれで通用してきてしまったのだ。


 継承順位の高い男子であれば、自家の円滑な運営のために、当主たる父親からある程度は窘められて育つものだが、これが最初から継承権など有って無きに等しい男子であると、殆ど放置されるのも珍しくない。


 我がままな子供がそのまま大きくなってしまった男、それがグレゴール司教であるのだ。


 彼は二十代半ばにして司教の地位に在り、それが自分にとって相応しい待遇であると疑っていない。

 いずれは教皇にまで上り詰めるべき男なのだと、完全に心から信じきっている。


 現実には無理だろう。いくら賄賂を積めばある程度の出世はできるといっても、あまりにも分別の無い暴君を教皇になど、その椅子に座らせるなど到底できることではない。


 そう、こうも易々とぶち切れて額に血管を浮かべながら、床にグラスを力一杯に叩きつけるような男では難しいことこの上ない。


 ガラス製品は非常に高級品だが、この男にとっては気にするほどの事柄ではないらしい。


「うぬぬぬぬ……またあの男ですかっ」


 ドンとテーブルを叩く。


「司教様。このままあんな男を捨て置いていてもよろしいのですか?」

「そうです! こうなったら神殿騎士の増援を依頼して、あの男に神罰を下してやりましょう!」

「いっそ神罰執行機関をお呼びし」

「わたくしにそのような大恥をかけというのですか……?」


 振り返ってぎろりと男たちを睨みつけると、彼らは一斉に黙る。


「とはいえ、あのような無頼の不信心者など、少しは痛い目を見るべきでしょう。あなた方の誰かが見張りなさい。隙あらば何かしらの手で思い知らせてやりますよ」


 そう言いうと、上司に似たいやらしい笑みを浮かべる部下たちをよそに、グレゴール司教が自分も、流石は本家本元というべき下卑た笑みになりながら思い出すことは、娼婦たちなど目ではない圧倒的な美貌の千鶴の姿と、その横に居た、彼女には劣るがそれでも最上級の美少女に相違ない恵子の姿であり、グレゴール司教は更に何を思ったのか、もし彼女たちが見れば怖気と共に悲鳴すら上げかねない、極めて気色悪い仕草で舌を舐めずるのであった。

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