第十二話 一時の平穏
チュゼルの町のほぼ中心に位置するロンダイク聖教会。
運営するのはアキレウスという老神父であり、リドウたち一行がそこに滞在するようになって早三日目、リドウ朝帰り事件の翌日である。
そんな彼らの生活サイクルを見てみる。
まずは朝に皆が同じ時間に揃って起床する。神父、孤児たち、そしてリドウや連れの少女たちも例外なく同時にだ。
リドウも初日以外は朝帰りを控えるつもりのようだ。何せ少女たちのご機嫌が一発で急斜面を流れ落ちていってしまうので、そうがっつく必要もないだろう……ということらしい。
定期的に女の肌と温もりを自らの腕の中に閉じ込めるのは精神安定に必要不可欠だ、というのがこの男の持論であるので、今後も止める気はなかったが。
……この男に精神安定剤なんぞ本当に必要か? とも思ってしまうが、まあ実のところを言ってしまえば、他人を煙に巻くための戯言の方便でしかない。
リドウは、相手に対して一途な貞淑を求めるということは、最低でもその相手の人生を保証してこそ許されるものだと考えている。
――それは無理なのだ、この男には。
彼には目指すべき先があり、そのためには人の世で一所に留まって生きることはできない。
半年や一年に一度だけ顔を見せて、逢えない期間も自分のことだけを考えて生きろと主張するなど我が侭以外の何物でもない。
これが、相手の人生を保証するために必要ならば……例えば仕事上の都合による単身赴任などならば話が別だろうが、リドウの場合は完全に独りよがりなご都合だ。それで相手の不貞をなじるなど話にならないし、そもそも求める方が間違っている。
リドウは『可能な限りの公平』を常に心がけている。である以上、自分が相手の人生のために己が身を捧げることはできないのだから、相手にもそれを求めてはいけない。
だからといって、世捨て人の如き味気ない人生はつまらないし願い下げだ。
貞淑を求められても自分は応えられないから、相手になる女性も自分に対して求めないでくれ――そこら辺を吟味して妥協した結果がこの男の女性関係における基本方針であった。……実はもう一つ、特定の恋人を作れない切実な理由があったりするのだが、それはまたいずれ。
しかしながらこの行動方針も、女性の側から言わせれば、無理やりベッドに連れ込むようなマネはしないだけまだマシ、というところか。
この男の主張を本気で認めてくれるような女性など同類くらいしか居ないだろう。例えばアクレイアで一夜を共にした女魔法使いや、つい先日の美人酌婦などである。
リドウ自身はそれで構わないと思っている。同じ価値観を持つ同志と一時の情を交わすのも風雅であり、それを受け付けない相手ならば距離を置けばいい――そう本気で考えているのだ、この男は。それ故の自由気侭な女性関係であった。
万人と気の合う付き合いをできると考えるなど傲慢にすぎる。それはむしろ、「自分の考えこそが正しいのだから、それを万人が受け入れるべき」と主張することと同義であるともリドウは考えている。いささか極端な気もするが、全く間違ってもいないだろう。
こうした主義主張故に、今後も少女たちを気遣って止める気は全く持ち合わせてはいない。
というよりも、止めなくてはならない理由が彼には特に思い浮かばない。旅路に付き合ってはいるし、彼女たちがそれぞれに持つ目的の手助けはするが、自分の人生は自分のものなのだから。
千鶴に愛を囁いてしまうか、それとも多少は手間だろうが恵子を口説いてしまえばいいじゃないかと思われても、やはりリドウはそんな気にはなれなかった。
それに千鶴はともかくとして、恵子が自分について来れるなどと彼にはとても思えないし、彼女の内心はどうあれ、他人の女を寝取る趣味も彼には無い。彼女が恋人に対する想いを完全に捨て去ったのなら少しは話が変わってくるかもしれないが、彼女が「自分には恋人がいる」と主張し続ける以上、リドウはその意思を尊重してあげたいようだ。
……まあ、それで恋愛対象に変わるのかと言われると、それはまた話が別であるのだが。
いずれにしても、彼にとっては二人とも『そうしていい女』ではないのだ、どうしても……少なくとも今現在は。
サリスもいくらリドウのような男が自分の好みだったからといって、良くぞまあここまで面倒なこと極まりない男に仕立て上げたものである、ホントにもう。
まあ兄貴分である【戦鬼】ザイケンの影響も結構強そうであるが。
それはさておき、一同は起床したら今度は朝食の準備である。
神父や子供たち、それに恵子と千鶴も加わっての大仕事だ。何せ総員で十五名になる大量生産なのだから。
客人にそんなことをさせるわけにはいかないとアキレウス神父は言ってくれたが、三人ともにそれでは気持ち良くないと言って、半ば無理やり手伝いを希望した。
食事の仕度の間のリドウはどうしているかというと、ガラじゃないので薪割りに精を出している。刀で斬るのではなく、ちゃんと鉈を使っての作業であるという事実は一応明記しておこう。
リリステラやサリスは料理に関しては何も仕込んでいないらしい。というよりも、サリスが彼女たち侍女隊の仕事を盗られるのを嫌ったというのが真相だが。
その後は皆揃っての食事である。
「あ、あのね、お兄ちゃん。これあたしが作ったの。お、美味しいと思うんだっ」
「ほう、確かにこりゃ美味ぇな。頑張ったじゃねぇか、ポエミ」
顔を真っ赤にしながらリドウに甲斐甲斐しく料理を薦めるのは、ティッツと共に薬草探しの冒険中にリドウたちと初めて出会った人見知り少女のポエミであった。
その時にしてもらった肩車でリドウに対する警戒心を解いたポエミは、その後の悪徳聖職者襲撃事件で彼に恋をしてしまったらしい。出会ったばかりの頃の敬語調も今ではすっかりなりを潜め、必死に背伸びをしようとしている姿はこれが非常に愛らしい。
本人には自覚の無い、子供心に大人の男に憧れる淡い初恋であり、叶うことはまずありえないだろうが、だからといってリドウが冷たくその現実を口にして突き放してしまうような男であるはずがなかった。
しかし、例の時に一緒に居た気弱な少年のキュアルであるが、どうやら彼はポエミが好きだったらしく、リドウに頭を撫でられてはにかんでいる彼女を見てぶすっくれていたが、リドウしてみればそれもまた可愛らしいもので、本当に好きなら奪ってみせろよと少し挑発的な目を送ってみたり。
それに素直な反応を返してくれるものだから、リドウとしてもやり甲斐があるというものである。人によっては趣味が悪いと言われても仕方のない楽しみ方だと思われるが、性別男が相手であると、それが子供でも中々容赦が無い男であった。
この現象が起こった初日には千鶴も盛大に反応して、背景に氷山を背負ってポエミを怯えさせていたが、「ガキ相手に嫉妬すんじゃねぇよ」という本気で呆れた顔をリドウにされてしまっては、流石に彼女も反省して大人しくなっている。
もっとも、ポエミとは反対側のリドウの隣を占拠して、自分も自慢の料理を甲斐甲斐しく差し出しているが。
それがやっぱりどうしても面白くない恵子としては、むすぅっと頬を膨らましながらサイテー男を中心としたやり取りを眺めている。
そんな一同をどう思っているのか窺い知れない鉄面皮の神父様が相変わらずいらっしゃってと、概ねそんな感じである。
朝食を食べ終え後片付けも済ますと、しばらく休憩してからリドウはティッツに指導を開始する。
庭に出ると、リドウは煙管片手にティッツの動きを見ながら少しずつ注意をしていく。
「もっと腰を落とせ。足を浮かすな」
「に、にぃちゃん……これ、ほんと、きつい」
「当たりめぇだ。武の道に楽チンなんて言葉は存在しねぇ」
ティッツは腰を深く落として、更に足を地面に擦り付けるようにしてゆっくりと前へ前へ一歩ずつ進める。
なぜこんなことをしているのか。そしてなぜティッツはこんな意味不明なことを素直に聞いているのか?
リドウはこの訓練を始めるにあたって、きちんとその意義を説明していた。
彼の武技は完全な理論によって構築されている。その意義をきっちりと理解しているかいないかでは、習得速度に明らかな差が生まれるのを実体験として知っていたからこそ、ティッツにもまず説明から始めた。
ティッツは最初、
「こんなんじゃ早く動けないじゃんか」
と口にしていた。まあ当然だろう。
それに対してリドウはまず自分が実践してみせると、同じ動きなのにその速度はまさに段違い。なんの無理も感じさせない自然な動作ですっすと前に進んでいくではないか。
こうして早く動けないという疑惑は解消されたが、しかしそれでもティッツには意味が解からない。
「いいか? 戦闘においては刹那の一瞬が結果の全てを左右する。そのためにはまず、いつ、どんな風に相手が攻撃してこようが、それに即座に対応できなきゃならねぇ。即座に対応するためには、当然だが動けなきゃなんなぇだろ?」
「うん」
「だが動くためには足が地面についてなきゃなんねぇんだ。だから移動中でもできるだけ足を地面から浮かさねぇってことがまず重要だ。目一杯に浮かしてたら、その分足が地面につくまで時間が掛かんだろ?」
「おおっ、なるほど」
ティッツにとっては、速く動くためにはできるだけ大きく膝を上げて足を動かすのが常識であった。
確かにマラソンを筆頭とする『走る』ことを最大目標にする競技でならそうだろう。
が、戦闘においては全く別の理論が働く。
まずは隙を少なくすることが前提となり、その中で最大限に効率を重視した速さを求めるのだ。
もちろん、これは接近状態での話であり、互いに間合いを大きく外れた遠距離同士であれば一気にダッシュして距離を詰めるが、その後はこうした動きが求められる。
そして腰を落とすこと。
これが無手であるのならば、例えばボクシングのように膝を柔らかく持つだけでも十分であるのだが、武器を持つのであればそれだけでは不十分だ。
それができるだけの筋力と技術があれば話は別だが、それはまず前段階を突破して、その先に見える境地である。
ティッツにまず必要とされるのは、武器に己の力を確実に伝えること。
闘気を持たず、更に最下級の魔法すら使用できない彼の場合、上を目指すのであれば、いずれ選択すべき武器は重量系の代物に自ずとなるだろう。軽量武器では人間相手ならばともかく、強力な魔物ではその防御力を突破することが適わないのだ。そのためには深く腰を落として重心を安定させる必要があった。
リドウ級の腕前があれば闘気無しでも、重量武器ではない刀でもドラゴンの首を刎ねることくらいはできてしまうが、そこに到るまでの間ずっとひたすら鍛錬だけで仕事はしない、などというわけにはいかない。
彼とて報酬の発生する仕事ではなかったにしろ、実戦経験を積み上げてここまで来ているのだから。十分に冒険者として通用する腕前になっても、究極に近い領域まで到らなければ仕事すらダメだなんてのも意味が解からない。
千鶴が今現在使用している偃月刀などはまさに重量武器であるのだが、ティッツもいずれは大剣や豪槍に落ち着くだろうとリドウは見ている。
そのためには武器に振り回されないだけの下半身の安定が求められるのだ。腕力だけを鍛えて、それ任せにぶんぶん振り回していればいいものでは断じてない。
「いいか? このことを絶対ぇに忘れんじゃねぇぞ」
「おう!」
「良し、上等だ。そんじゃやってみな」
「おう!」
と意気込んで始めたのはいいが、これが中々難しい。
適当に腰を軽く落としただけでは即座に注意が入り、必要十分に腰を落とすと、今度は上手く足を前に進められない。
武器を持っていると仮定して上半身は両手を前で握り締めているのだが、これが加わるだけでも一気に辛さが倍増するのだ。正中線を保つためにリドウがさせていることなのだが、これがなければ左右に体を振れてしまうため、すると一時は確かに楽な気がするのだ。
が、リドウはティッツにそれを許さない。慣れてくれば正中線を保たずに体を動かす方がむしろ億劫になってくる……というか“できなくなってくる”ものなのだが、それまではかなり辛い思いをする。それでも、重心の安定とは武道において最も重要な要素と言ってしまっても過言ではないのだから、早い段階からきっちりと身につけさせることには十分な意義がある。
リドウがここに滞在している間にティッツに教授すると予定しているのはこれだけだ。
これをいかに完全な形で習得するか。できるだけ変な癖は残さないよう、そして残ってしまった分はメモにでもしてアキレウス神父に預けておけば、傍目に多少の注意くらいはできるだろうと考えていた。
「くっ……こ、これ……むり」
ばたっと地面に倒れこんでしまうティッツ。
初日の昨日から特に成長している様子は窺えない。だがそれで当然だ。一朝一夕で身についてたまるか、というものであるのだから。
「ま、今はこんなもんだろ」
「うぅ……強くなるって大変だなー……」
「本当に強くなりたきゃ基礎を、下半身を疎かにすんじゃねぇぞ、ティッツ。それをすっ飛ばして上の段階にいっても、必ずどっかで行き詰る。その時になって一からやり直そうとしても変な癖がついちまってりゃ、それだけで矯正するのに半端じゃねぇ時間が掛かるんだ。初めから一つ一つ、順々に、きっちり覚えていけ」
「お、おう……」
可哀そうに体力の限界で声が震えているが、リドウからしてみれば当然だし、ティッツも文句を言う気など無い。
「攻撃力ってのは総合力だ。足から膝、腰、肩、腕、そんでようやく手まで全てを使って初めて真の威力が発揮できる。腕相撲が強いだけの腕力自慢の喧嘩自慢なんざ見た目だけのヘナチョコだ。覚えとけ」
「腕力自慢の喧嘩自慢なんざ見た目だけのヘナチョコだな!」
ティッツはその言葉がよほど気に入ったのか、少しは元気になったようで、ずいっと拳を突き出して言う。
「そうだ。だが今のお前さんはそんなヘナチョコにすら勝てねぇ」
「うっ」
「ガキなんだ、そりゃしゃあねぇ」
上げて落とすとはこの男も中々酷い。
まあリドウがティッツくらいの年の頃には既にドラゴンとバトっていたが、この男の場合は色々と事情が違いすぎるので比較するのは完全に間違っている。
「だからよ、胸張ってそう言えるように成れ。その頃にゃ、お前さんもオーガと戦えるようにはなってるだろうよ」
「本当か!?」
「当然。才能ってのは確かに重要だし、お前さんに才能があるかどうか、こんな短い期間じゃ最後まで何とも言えねぇだろうよ。俺は思ってすらいねぇ上辺だけの美辞麗句なんざ口にできるタチじゃねぇからな。だがな、身を削るような努力をしてもそのレベルにすら到達できねぇほど、お前さんが酷ぇ才無しってこたまずねぇ。だがそのためにゃ基礎だ。武術の基礎は下半身だ。それを忘れなきゃ大丈夫だ。俺を信じろ」
「おう!」
「良し、上等だ」
きらきらと目を輝かせている少年の頭をリドウは乱暴に撫でる。
ティッツはそれを嬉しそうに受け入れながら、そして嬉しそうに笑ってリドウを見上げていた。
恵子はそんな彼らを、そのままいい光景を眺めているかのように微笑ましそうに、千鶴も常時よりも表情を柔らかく緩めた風情で眺めている。
彼女たちの脳内で、リドウと一緒にティッツを挟んで自分が居る光景を想像して……いるかは本人たちのみぞ知るところだが、千鶴はまあまあ素直に認めることだろう。
少なくとも自分の旅の連れの男が子供に優しく、そして適度に厳しい男であることを厭ってなど全くいないのは間違いない。
その後昼食を済ませると、特に幼い子供たちはお昼寝の時間だ。
一番年上なのがティッツで十一歳。次点のキュアルが九歳でそのすぐ下がポエミで八歳。一番下の子などまだ三歳だ。年長組は流石に必要ないが、下の子たちは寝るのがお仕事と言えてしまう年齢である。
それに付き合うのは『ケーコねぇちゃん』もしくは『ケーコお姉ちゃん』たる恵子で、彼女は寝入る前の子供たちの側に置いた椅子に座って、白雪姫やシンデレラといった童話を子供たちに話し聞かせる。
今まで耳にしたことがない物語に、特に少女たちはもっともっとと続きをねだるが、それが長く続くことはなく、次第にうつらうつらとしていき、いつの間にかぐっすりお休みしているのが、教会の仕事を手伝うようになってからのここ二日における、昼と夜の就寝前の毎度の行事だ。
それを見届けるとどうしてもくすりと笑顔が浮かんでしまうのが人情というもので、可愛い子供たちに癒される思いを感じながら、恵子は物音を立てないように気をつけて、ひっそりと部屋を抜け出す。
恵子にしても千鶴にしても、普段の旅道中で出会う人間といえば殆どが盗賊に限られている。
たまに冒険者や行商人とすれ違ったりはするが、盗賊ホイホイのこの二人のこと、出会う人間の大半は盗賊だ。
二人とも、世の中の人間が皆そうであるなどとは思ってなどいない。
普段はリドウが共に居てくれて、盗賊たちを直接的に成敗している彼本人がそうした主義主張を抱えているために、二人とも過激だったり暗鬱だったりな思想には染まらずに済んでいる。
だがしかし、どこか心が荒んでいるのも否定し難い現実であった。
彼女たち、特に恵子にとっては、今回の骨休めは非常に有意義なものとなっているようで、その節くれ立った心が子供たちの天使の笑顔や寝顔によって存分に癒されていた。
それをもたらしてくれたのが男という性別であり、評判の良くないロンダイク聖教の神父様であることも、彼女にとってはどこか救われる思いであった。
恵子よりは比べものにならないほど精神的に強い千鶴であってもそうだったのだから、平均的な女子高生に比べるとかなり清純な方向を行っている恵子に至っては尚更だ。
……千鶴がアレなわけでは決してないが、彼女を清らかで純粋と評するには流石にちょっと難しいものがあるのは残念ながら否定できない。
その間にリドウと千鶴が何をしているかといえば、リドウはティッツの午後の鍛錬を見てやっている。
ごく短期間である以上、できるだけ詰め込んでおかなくてはならないので、午前と午後に分けて体力の回復を見てから開始している。
一方の千鶴は、アキレウス神父に付き合って食材の買出しであった。
千鶴の美貌はまさに傾城傾国の形容が相応しいものだ。
しかしその鋭い氷柱の美しさは、暴漢やそれ紛いの荒くれ者か、それともよほど自分に自信のある男でもなければ、迂闊に近づくことすら躊躇われてしまう。
なので遠目に呆然と見られるだけで済んでいるし、同性もここまで桁が違うと嫉妬するよりも羨望が優先されるらしく、連れの男が見惚れていても、自分まで一緒になって見惚れてしまっていたので、カップルクラッシャーにはならずに済んでいるようだ。
それでも容姿自慢の男たちなどは一瞬声を掛けようとしていたが、その隣にアキレウス神父の姿を見咎めて、ため息しながら諦めている様子も窺える。質実剛健な聖職者として評判の男の目の前でまでナンパにいそしめるだけの度胸は流石に無いらしい。
アキレウス神父は見た目を裏切らない寡黙な人間だ。比べて千鶴は寡黙というほどではないが、そんなに饒舌な方でもない。
そんな二人であるからには、淡々と目的を果たしに歩みを進めるだけで、傍目に見ると『リドウ&千鶴』とは方向性が違っても、かなりの迫力があったりする。
というわけで、ここでも人波が勝手に割れてくれるという便利現象が起こっていたりするが、千鶴はもとよりアキレウス神父も全く気にしていないあたりは流石である。
だがそれはチャラい若者に限った話であり、同じ若者であっても真面目な者たちや、それに信心深いお年寄りに純真無垢な子供たち、何よりもアキレウス神父を心から慕う水商売の女性たちが通りすがりに笑顔で挨拶しているし、彼も鉄面皮を崩しこそしないが、きちんと挨拶を返している。
「慕われてらっしゃいますわね、神父様」
「ありがたいことだと思っています」
おもむろに話しかけた千鶴の言葉に、アキレウス神父は彼らしい簡潔さで応じた。
「自らの力で生きている女性や純真な子供は他者の本質を見抜く力に長けている上、己の心に正直なものです。神父様が大逆無道を好しとする聖職者とは名ばかりの不逞の輩であれば、悪事千里を走るようにして、あのような心からの笑顔を彼女たちが向けてくることなどないでしょう。誇るべきことだと思いますわ」
「私にそのような資格などありません」
「…………」
即座に応答したアキレウス神父の言葉に何かを感じ取った千鶴は、これ以上に何かを言うことは彼を追い詰めることになるのではないかと考え、口を閉じてそれ以上には何も語らなかった。
しかし今度口を開いたのはアキレウス神父の方からであった。
「皆が健やかな笑顔で日々を暮らしている光景を見守ることこそが私の務めであると思っています。それ以上には何も望みません」
「ご立派なお心がけですわ」
「褒められるようなことではありません。神の教えを説く者として当然のことです」
「ですけれども、その当然のことをそうは思わない不逞の輩が多すぎるようですわね」
「神職に在る者として同胞をそうと口にするのは憚られますが、心にも無い虚偽を申すわけにもまいりません。神がお嘆きであられなければと私は祈りを捧げています」
「私には信じる神はありませんが、神父様のお祈りが神父様のお信じになる神様に届くよう、私もお祈りしておりますわ」
「ありがとうございます」
声色は両者共にあくまでも淡々としたものであったが、千鶴は嫌味ではなく神父様の気持ちを本心から応援していたし、それを察することができたアキレウス神父は軽く頭を下げることで感謝の気持ちを表した。
そして千鶴は思う――この世界に呼び出されたのは不幸なことばかりではなかった、と。
自分のために一人の命が失われてしまった。それを忘れて幸福だと思う気持ちになど絶対になりたいとは思わないが……
日本に居た頃の千鶴は鬱屈した思いを抱き続けていた。
何でも人並以上にこなせてしまう器用さ。それもただの器用貧乏ではなく半端なものではない器用さを持ち、更に人並外れた美貌を持って生まれてしまったが故に、一般的に用いられるのとは逆の意味で他者から対等に見られることはなかった。
それ故に友人は出来ず、しかし何でもこなせてしまうものだから、習い事ばかりに傾注する日々。
彼女にとって今までに身に着けた全ての技能は、あえて言ってしまえば暇潰しの産物でしかなかった。
将来の展望が抱けない。自分が何をすべきなのか、何を目指すべきなのか……。
何でもできてしまうからこそ、逆に何をすべきなのか判らなくなってしまっていたのだ。
医者にでもなって命を救う尊い仕事をすべきなのか? しかし、心からそう望んでいるわけでもない者が仁術の世界に入り込んでいいとは思えない。
弁護士にでもなって、理不尽な目に遭っている人々を助けるべきか? しかしそれも、医者と似たような理由でやはりダメな気がする。
ビアノの指導者からは是非プロを目指せと言われていたが、仕事として義務で弾く気にはならなかった。
モデルや女優にすらなることも難しくはないだろうと思ったが、こちらはそもそもなりたいと思うことすらなかった。
しかしそれを不幸だとは思わなかった。
何かになりたくて努力をしても報われない人間の方が多い世の中にありながら、彼女は一度なりたいと思えば大抵のものにはなれてしまう人間であり、羨望や嫉妬の視線を向けられるのも仕方のないことだと理解してしまえる聡明さと公平さすら彼女は持ち合わせていたからだ。
自分が天才だと奢った心算は彼女にはなかったが、しかし彼女は自分が秀才であるという客観的事実は認めていた。
その上で文句を言うのは贅沢というものだと考えられる少女であった。
ただ、一つだけ不満があったとすれば、それは恋をできなかったこと。年頃の乙女として、一度くらいは素敵な男性と恋を……と願っていたとしても、彼女には確かに少々似合わないかもしれないが、それでも年齢を考えればそう願うことに罪などないだろう。
とはいえ、彼女の理想はバカ高かった。それくらいは許されてもいいだろうと、彼女は己の価値をそれなりに自負していた。
容姿に関してはよほど酷くなければいいと考えていた。正直な話、ただ容姿だけで判断するのであれば、自分と完全に釣り合いが取れる相手なんて極めて限られると、ある意味傲慢とも言える諦念が彼女にはあったのだ。
故に、彼女は相手の男に精神的なものを求めていた。
がしかしだ。
寄ってくる男はどいつもこいつも、何かしら他人よりも圧倒的に秀でた部分を持つ男たちであっても、内実は「この俺と付き合えるなんて光栄だろ?」とか、そこまでいかなくても「この俺なら不満は無いだろ?」という内心が透けて見える、彼女の価値観からすれば酷く傲慢な者たちばかりで、とても彼女が求めるものを持っている男たちではなかった。
それがこの世界に来てリドウというほぼ理想系の男と出逢えた。
この男に彼女が不満があるとすれば唯一つ、それは自分を子供扱いして恋愛対象とは見てくれないことくらいだ。
他の女の気配をさせている際、そんな時は思わず嫉妬を露にしてしまうが、恋人ですらない今の自分が文句をつけられる筋合いではないと一応は判断しているので、所有権を主張するならば、それは既成事実が出来上がってからにしようと、彼女は本当に一応はそう考えているのだ。
……あまり実行できてはいないような気はするが、感情の問題なので、この少女でも抑制しきるのは中々難しいらしい。
アクレイアで盗賊退治を共にした元騎士を自称する男も中々、リドウと先に出逢っていなければ、もし求められていたら応えていたかもしれない。
そして今隣を歩く神父様も、年齢差は凄まじいものがあるが、それは些細なことだと考えられるのが一条千鶴という女であった。
皆好い男たちだ。
もちろん、現代の日本にこうした男たちが存在しない、などということはないだろう。
ただ、彼女にとっては向こうから寄ってくる男を判断するだけで精一杯であり、自分から探しに行く余裕は無かった。その辺は考慮されるべきであり、彼女のスペックを考えれば無理もないことである。
そして、向こうから寄ってくる男たちは尽くが千鶴的にはアウトであったのだ。
今彼女は、こうした男たちに巡り会えたことだけは、素直に素敵な出来事だと思える。
命懸けの戦いという、彼女ですら未だ頂上を見切ることすら適わない、挑戦し甲斐のある事柄に出会えたこともそうであるが……
(今、私は確実に……生きている――)
自分のために命を落としてしまった男子には非常に悪いと思っている。はっきり言って酷い話だとも自覚している。
それでも彼女は……現在を不幸だと己自身の心に嘘をつくことはできなかった。
午後の一仕事を片付けると、リドウと千鶴は一度町を出る。稽古のためだ。
気功士の戦いはかなり派手なものになってしまう。
よって、基本的に稽古内容が実戦訓練になるこの二人の場合、町中でやらかすと大変なことになってしまうのだ。
恵子を置いてきてしまっているが、流石に神の家でまで厄介事を起こそうなどと考える不埒な輩もおるまいと、彼女本人も昼寝をしない年長の子供たちと遊んでやりたいと望んでいるので、リドウも少し悩んだ様子であったが、最終的には折れた形になる。
この二人の稽古は互いに真剣を使ったものだ。旅に嵩張る余計な荷物を持つわけにもいかないため、道中での稽古に木刀や刃引きした模造刀というわけにもいかず、それにどうせなら普段から実戦で使用する武器その物で訓練した方がいい。
現状のリドウと千鶴の腕前の差は、彼女からしてみればある種絶望的なまでの開きがある。どうしようと一撃など入れられないため、彼女の方は常にフルドライブだ。
それでもやはり掠りすらしないため、安全を考慮する必要性がまずない。
万が一などという間抜けた事態をリドウが招くわけがない。普段から「俺がそんなしょぼいミスするか」と口にしているのも、自分自身が口にすることで、自分自身を追い込んでいる面があるのだから。
ただし、できないことは素直にできないと認める。だからこそ、万に一つ以下の可能性であっても、ミスることが考えられる「綺麗に気絶させるだけ」という手段を当初は盗賊たち相手に選ばなかったのだから。まあ、五体満足で見逃すわけにはいかない程度には凶暴性の高い連中ばかりだったという面の方も大きいが。
今は千鶴が居てくれるおかげで、最悪は彼女にほんの一瞬でも止めてもらえればどうとでもなるため、リドウ自身がほぼ望む形で毎度の戦闘を治められているので、彼は彼女には本当に感謝している。とはいえ、だからといって彼女の気持ちに応えようという気になるかは話が別だったが。
その稽古中の更に一時の休憩中。
千鶴も今は旅道中とは違い時間に余裕があり、その上リドウも彼女が納得のいくまで付き合ってくれるので、間に休憩を挟んでじっくりと稽古をしている。
しかしリドウはその間も自己鍛錬をしていた。
それはどんなに激しい鍛錬なのかとも思われるが、千鶴の目の前で行われているそれは、むしろ傍目には穏やかにすぎるゆっくりとした、それでいてゆったりとした動作で刀を振るうリドウの姿があった。
その姿はゆっくりではあるものの、まるで舞を踊っているかのようにすら見えるもので、日本舞踊や能楽のような古典芸能に通ずるものを感じさせる。
(綺麗……)
情欲の絡んだ思惑ではなく純粋にそう思う千鶴で、思わずぼーっと見惚れてしまう。
彼の普段の自己鍛錬は殆どがこれであった。
しかし、真似をして一度やろうと試みた千鶴であったが、これが実は半端な難度ではない。
ただ無為に振り回すだけならば誰にでもできるだろうが、ゆっくり動かすということは加速や遠心力が働かないため、隅々まで神経を張り巡らせた技としてやろうと思うと、基礎力の尋常ではない熟練者でなければ到底不可能なのだ。武器を持たない素手であってもそれは大して変わらない。
……残念ながら千鶴はまだその領域には居ないようだ。
こうして己の技を確認する鍛錬以外も、闘気を使用した鍛錬の場合、リドウは何かの構えを取ったままでじっと動かなくなる。その構えはその時々によって違うし、時には無手であったりもするが、必ず指先一つまでぴくりとすら動かなくなる姿はまるで彫刻のようだと千鶴や恵子は思ったものだ。
これでいて更に魔法訓練に至っては座禅だけときている。
千鶴でさえ、これで強くなれるとは何かの間違いではあるまいかと思うような稽古内容だが、これも究極に近い領域に存在するが故に許される超ハイレベルな鍛錬であり、未熟者がやっても何の意味も……無いとは言わないが効果は薄い。
しかし、折角の二人きりだというのに色気の無いことこの上ない男女である。
千鶴の方は色気を満載にした濃厚で濃密な一時を過ごすのに否やなど全くもってないが、リドウにはどうせ軽くかわされてしまうので、彼女も最初から諦めている。何か特別な切っ掛けでもない限りは、今の関係を崩して新たな段階に進めるようなことはない、と。
だからといって、自分が女だという事実をリドウに忘れられないためにも、機会さえあればスキンシップに出たりと、彼女は自分をアピールすることに余念が無い。恵子に対する牽制にもなるし。
どちらかと言うと、自己アピールよりも恵子への牽制の方が現在の比重では意味が大きいため、リドウと二人きりだと逆に大人しい千鶴であった。
稽古が終わった二人が教会へ戻った時にはすっかり日が暮れている。
夕食を済ませたリドウは庭に出て夜空の月と星々を肴に煙管片手に酒ツボを傾ける。
その隣には恵子と千鶴の姿もあった。
千鶴はこの世界に来てから酒を覚えてしまっている。
当初は精神的な問題で夜が眠れず、酔い潰れて無理やり気を失うという目的のために飲んでいた彼女だ。それ故に多少の耐性はできていたが、生まれつきあまり酒に強い性質ではなかったらしい。
今では精神的な支柱を得たために酒を飲む必要がなくなったが、リドウに付き合って嗜む程度に飲むようになっていた。
薄く朱に染まった頬に手を添えながら、幼い頃からの習い事のせいで身に染み付いてしまっている上品な仕草で飲むその姿はどこまでも色っぽく、これで十七歳だというのだから反則としか言いようがない。
この女に関係を迫られているのにしらばっくれ続けるリドウは、情緒のどこかに問題でもあるとしか思えない。
恵子もこの場には居る。彼女は酒を飲まないが、それでもこうした時には必ず一緒している。
千鶴はこうした時、毎回一瞬冷たい視線を恵子に向けるが、最近の恵子は開き直って堂々と邪魔していた。
リドウと千鶴。こいつらを二人きり、しかも酒の席でなど何が起こるか分かったものではない。
何が起こったとしても恵子には関係ないはずだが、最近の彼女はある使命感に燃えていた……この女の敵の魔手から女性を守ることこそが自分の使命である、という。
魔王城から旅立ったその日にもそんなことを思ったような気がして、それを思い出した恵子は「そーよ! あたしがやらなくて誰がやるってのよっ」と、彼が他の女と仲良くするのを邪魔する大義名分を得た。
実際には他人が聞けば誰でもへ理屈だと断言するだろう。しかも千鶴などは口説かれたわけでもないのに自分からリドウという名の蜘蛛の巣に引っ掛かりに行っているのだから、恵子がケチをつける筋合いなどどこにもない。
しかし彼女にとって欲しかったのは、リドウが他の女と、特に千鶴とイチャつくのを邪魔するのに、自分を納得させられる適当な理由だったのだ。それが完全無欠のへ理屈であろうと今の彼女には関係がなかった。
それらの客観的事実を恵子は絶対に認めないだろう。あくまでも無意識の選択であり、心から本気でそれが正しいと信じきっているのだから。
余談だが、リドウは当初、アキレウス神父も誘った。
しかし彼は酒を飲まないとのことで、その主義を無理やり撤回させて絡む気などリドウにはなく、あっさり引いた。
リリス教もそうであるのだが、ロンダイク聖教も飲酒を特に禁じてはいない。ただし節度は求められるため、人前で酔っ払って他人に絡むようなことをすれば白い目で見られることになるが。
こうして、あくまでも一時なものでしかないが、一同は数日を平穏に過ごしていた。
リドウならば必要も無かったかもしれないが、再び旅に出れば彼らを待っているのは魔物や盗賊との殺伐とした日々だ。
特に盗賊たちの存在は少女たちの精神に決して無視できないダメージを負わせる。
顔を隠すためにフード付きのローブでも被るかという案もあったが、このシルウェス神聖国や隣のユリアス王国が存在する大陸は年中が比較的温暖な気候をしており、歩き詰めの旅道中にそれでは暑さで参ってしまうために一考しただけで却下となった。
それに、彼女たちを目にして欲望を滾らせた末に襲ってくるような輩であれば、リドウは最低限五体満足で見逃す気は無いため、彼にとっては盗賊の罪状を量る上でのバロメーターにもなっているので、むしろ隠されると困る。
故に、これから先も盗賊たちとは切っても切れない仲であり続けることになるだろう。何せ恵子は高水準の美少女であり、千鶴に至っては傾城傾国、二人合わせて無敵の盗賊ホイホイだ。
それでもこうして「人間って捨てたものじゃない」と思えることは、そう実感できることは、少女たちにとっては紛れもない心の救い、一抹の清涼剤であった。ああ、子供ってマジ天使! という感じである。
もう数日もしたら旅を再開しなくてはならない。
でもせめてそれまでは……もう少しの間だけ、こうして穏やかな時間を過ごすことを許されたい。
それぞれの旅の目的は、決して時間的にゆとりがあるわけではない。
千鶴の場合は特にそうで、今こうして自分が穏やかな時間を過ごしている間にも、刻一刻と死に向かっている同級生たちが居るかもしれない。
恵子にしても、同じことが自分の恋人に言えてしまう。
彼女は千鶴が危惧しているような意味で自分の恋人を心配はしていない――だって彼は優秀な男だから。調子に乗って勇み足で自分の身を危険に曝すことなどない、と。召喚された場所が悪かったとしても、多少のことであればきっと彼自身の力だけでも乗り切ってくれているはずだ。
しかし、理不尽は時に向こうからやって来る場合の方がずっと多く、もしかしたら彼だって避けきれないような羽目に陥っていたとしてもおかしくなんてない。千鶴にも言われている――希望的観測はよしなさい、と。
そして千鶴同様、同級生たちを案ずる心だって持っている。
もうすぐ旅を再開しなければならない。心を磨り減らす殺伐とした日々を自ら送らなければならない。
だからせめて、ほんの少しだけ……。
しかし……
理不尽はやはり、こちらはお呼びでないというのに、いつでも向こうから大口を開けて笑い声を上げながら勝手にやって来て、そして罪の無い人々の笑顔を冷酷無情にも奪い去っていくのであった。




