幕間2 背中を預ける理由
レイジとリシェルが記録所へ向かったあとも、ガルドたちは探索者協会に残っていた。
今回の依頼は、通常の調査依頼として処理できる範囲を大きく越えている。救助した者たちの確認や報酬の再計算、死亡した探索者についての手続きだけでも時間が掛かり、さらに洞穴で見つかったものについて詳しい聞き取りまで行われることになった。
そこまではガルドも予想していた。
少し意外だったのは、依頼についての説明が一通り終わったあと、協会の男が別の質問を始めたことだった。
「さっきの一本角の男。レイジと言ったな」
ガルドは椅子に座ったまま、男を見る。
「そうだ」
「お前たちとは、どれくらい一緒にいる?」
「長くはない。森で会った」
協会の男が手元の紙へ何かを書き込む。少し離れたところでは、セイルが椅子の背へ身体を預け、オルドも黙って話を聞いていた。
「以前からの知り合いではない?」
「違う。森で一人だったのを見つけた」
あの頃のレイジは、こちらの言葉をほとんど理解できなかった。名前を聞くことさえ簡単ではなく、どこから来たのかを尋ねても、まともに事情を聞ける状態ではなかった。
それでも、最初から妙な男ではあった。
満足に会話もできないくせに、周囲を見る目だけは異様に鋭かった。
◇
「一本角については?」
協会の男が尋ねる。
「本人も分かってない」
「本当に?」
「少なくとも、俺たちにはそう言ってる」
ガルドは迷わず答えた。
レイジが何かを隠していることには、とっくに気づいている。
どこから来たのか。
あの一本角が何なのか。
魔力を調べたときに起きた妙な反応。
そして今回、黒い金属片や洞穴の構造物に関わって見せた力。
説明されていないことはいくらでもあった。
だからといって、レイジの話が全部嘘だとも思っていない。
自分の身体について何も知らない。
その部分については、むしろ本当なのだろう。
そうでなければ、自分の角に関する話を聞くたびに、あんな顔をする理由がない。
「何か特殊な力を持っているようだな」
協会の男が続けた。
ガルドは少し考えてから答える。
「持ってると思う」
否定する意味はなかった。
「何ができる?」
「知らん」
男が顔を上げる。
「知らない?」
「本人が全部話してないからな。ただ、普通の奴より細かいことに気づく。魔力の異常にも俺たちより早く気づくことがある。今回の洞穴でもそうだった」
「それだけか?」
「それ以上知りたいなら、本人に聞け」
協会の男は少しだけ眉を上げたが、ガルドは気にしなかった。
知らないことを、知ったように話すつもりはない。
仲間が自分から話していないことを、勝手に想像して説明するつもりもなかった。
◇
「俺が一番気になるのは、そっちじゃないけどな」
横からセイルが口を挟んだ。
協会の男が視線を向ける。
「何だ?」
「あいつの言葉だよ。少し前まで、俺が何を言っても半分も分かってなかった。それが今じゃ普通に言い返してくる」
「普通ではない」
オルドが淡々と訂正した。
「まだ知らない言葉は多いし、話し方にも少し癖がある。ただ、理解する速度が異常なのは間違いない」
「十分普通だろ。今日なんか俺より話を聞いてたぞ」
「それはお前が話を聞いてないだけだ」
「何で俺の話になるんだよ」
いつもの調子で言い合い始めた二人を、ガルドは横目で見る。
確かに、レイジの言葉の上達は異常だった。
最初の頃は身振りを交えなければ簡単な指示すら伝わらなかった。それが少しずつ単語を覚え、こちらの会話を聞き取るようになり、今では依頼の打ち合わせにも自分から意見を出している。
しかも、ただ話せるようになっただけではない。
内容を理解している。
今回の調査では、それがよく分かった。
獣が増えているのではなく、何かから逃げているのではないか。
荷車は獣に狙われたのではなく、逃げる群れへ巻き込まれただけではないか。
レイジが口にした推測は、結果としてどちらもかなり近かった。
「言葉だけじゃない」
ガルドが言うと、セイルとオルドも黙った。
協会の男が続きを待っている。
「あいつは、知らないことを勝手に決めつけない。分からなければ分からないと言う。そのくせ、見つけたものはやたら細かく見る」
「慎重な性格ということか?」
「それだけでもないな」
ガルド自身、レイジの考え方を完全に理解しているわけではない。
ただ、一緒に動いていれば分かることがある。
レイジは答えを急がない。
目の前にあるものを見て、以前見たものと比べ、違う部分や似ている部分を探す。それを重ねてから、自分なりの答えを出している。
しかも、自分の考えが間違っている可能性を最初から捨てていない。
経験を積んだ探索者なら似たことをする者もいる。
だがレイジの場合は、それが考え方そのものになっているように見えた。
◇
協会の男はしばらく手元の紙を見たあと、質問を変えた。
「危険だと思ったことは?」
今度は誰もすぐに答えなかった。
力のことを聞いているのか。
人間としてのことを聞いているのか。
意味の広い質問だ。
ガルドは少し考えた。
「力だけなら、分からん」
洞穴でレイジが黒い環へ近づいたときのことを思い出す。
誰にも見えないものを見ているように魔力の流れを追い、黒い影との戦いでは、レイジが合図した瞬間だけ本当に武器が通った。最後には、誰にも仕組みの分からない黒い環の異常まで止めている。
あれを普通の新人探索者と呼ぶのは無理がある。
「でも、人間としてなら?」
協会の男が尋ねる。
ガルドは答えた。
「今のところ、危険だとは思ってない」
「根拠は?」
すぐに思い浮かんだのは、森の中でレイジが選んだ行動だった。
黒い金属片が何かへ反応し、自分が知りたかったはずの手掛かりがすぐ先にあると分かったときも、レイジは行方不明者を探す方を選んだ。
洞穴の深部で一本角の図を見つけたときも同じだった。
本当なら、その場で調べたかったはずだ。
誰に聞かなくても分かるほど、顔に出ていた。
それでも「戻ろう」と言ったのはレイジ自身だった。
「自分の知りたいことより、助けるべき人間を先にした」
協会の男が黙る。
ガルドは続けた。
「今回だけじゃない。危険だと思えば下がるし、分からないことを分かったふりもしない。何か隠してるのは間違いないが、それと信用できるかどうかは別だ」
セイルが少しだけ笑った。
「ずいぶん評価してるじゃないか」
「事実を言ってるだけだ」
「最初は完全に面倒事を見る顔してたのにな」
それについては否定できなかった。
◇
森でレイジを見つけたとき、ガルドは正直なところ、連れていくか迷った。
正体が分からない。
言葉も通じない。
一本だけ角がある。
まともな装備さえ持っていない。
何か面倒な事情を抱えている可能性まで考えれば、関わらない方が楽だった。
それでも置いていかなかったのは、少なくとも見捨てるほど危険な男には見えなかったからだ。
その判断が正しかったのかどうか、しばらくは分からなかった。
レイジは妙に覚えが早く、戦えばすぐに動きを変え、魔力についてはオルドにも説明できないことをやってみせた。知れば知るほど、分からないことが増えていく男だった。
普通なら、不気味に思って距離を取ってもおかしくない。
実際、ガルドもそう考えたことはある。
だが同時に、別の面も見てきた。
知らない土地で金が必要だと知れば自分で稼ごうとし、装備が必要なら金を払って揃える。分からない言葉は覚えようとし、仕事を受ければ自分の目的より依頼を優先する。
妙な力があるから何をしてもいい。
そんな考え方をしている様子は、一度もなかった。
「何者かは分からん」
ガルドは協会の男を見る。
「でも、危ないときに何を選ぶ奴なのかは、少し分かってきた」
男は何も言わず、その言葉を書き留めた。
◇
聞き取りが終わったのは、それからしばらくしてからだった。
協会の男は最後に、今回の洞穴について上へ報告すると説明した。経験のある探索者だけでなく、必要なら魔術に詳しい者も同行させるらしい。
当然の判断だろう。
あの場所は、探索者だけでどうにかするには分からないことが多すぎる。
部屋を出ると、セイルが大きく息を吐いた。
「面倒なことになりそうだな」
「洞穴のことか?」
「それもあるけど、レイジだよ。あれだけ聞かれたら、協会も気にしてるだろ」
オルドも頷く。
「一本角だけでも目立つ。そのうえ未知の魔力異常に気づいて、正体の分からない構造物を止めた。気にするなという方が無理だ」
ガルドにも異論はなかった。
レイジ自身がどこまで自覚しているかは分からないが、今回の一件で協会側にもはっきり存在を覚えられた。
悪いことだとは限らない。
ただ、これまでのように「ガルドたちと一緒にいる変わった新人」というだけでは済まなくなっていくのかもしれない。
「本人には言うか?」
セイルが尋ねる。
「聞かれたことは言う」
「気にすると思うか?」
「するだろ」
ガルドは答えてから少し考えた。
「でも、それで逃げ出すような奴じゃないと思う」
少なくとも今のレイジなら、何も考えずに姿を消すようなことはしない。
その程度には、彼のことを分かるようになっていた。
◇
三人で協会の広間へ戻ったが、リシェルとレイジはまだ戻っていなかった。
セイルは掲示板を眺めに行き、オルドは受付へ何か確認しに向かう。
ガルドは空いた椅子へ座った。
周囲が静かになると、今回の依頼のことが改めて頭へ浮かぶ。
一人が死に、四人は助かった。森の異常は、少なくとも今のところ止まっている。
成功だったのかと聞かれれば、おそらく成功なのだろう。
だが、こういう依頼でその言葉を簡単に使う気にはなれない。
助けられなかった者がいる一方で、助けられた者もいる。
探索者の仕事は、結局そういう結果を積み重ねていくものなのかもしれない。
そして今回、レイジはその中へ自分から入ってきた。
以前のように、何も分からず後ろをついてくるだけではない。自分で考え、意見を出し、必要なら危険な場所へ踏み込み、それでも引くべきときには引いた。
ガルドは椅子へ身体を預けながら、小さく息を吐いた。
レイジが一緒にいることを、いつからわざわざ意識しなくなったのだろう。
◇
しばらくして、協会の入口が開いた。
リシェルが先に入ってくる。
その少し後ろにレイジがいた。
二人で何かを話している。
以前なら、リシェルが一方的に話し、レイジが表情や身振りから意味を探していることが多かった。
今は違う。
リシェルが何かを言えば、レイジがすぐに返す。その返事を聞いたリシェルが笑い、レイジも何か言い返している。
普通の会話だった。
ほんの少し前まで、自分の名前を伝えることにさえ苦労していた男とは思えない。
セイルも気づいたらしく、掲示板の前から戻ってきた。
「帰ってきたぞ、噂の男」
レイジが眉を寄せる。
「何の話?」
その返事があまりにも自然で、セイルが一瞬黙った。
すぐに笑い出す。
「本当に腹立つくらい喋れるようになったな」
「何で腹立つ?」
「そこまで普通に返されると、前の方が面白かった」
レイジは露骨に嫌そうな顔をした。
横ではリシェルが笑い、ちょうど戻ってきたオルドも、その様子を見ながら小さく首を振っている。
いつもの空気だった。
◇
ガルドはレイジを見る。
何者なのかは、まだ分からない。
一本角の意味も、あの妙な力も、黒い環と何が繋がっているのかも知らない。レイジ本人でさえ、答えを持っていないのだろう。
隠していることもある。
これから先、その秘密が問題になる可能性だってないとは言えない。
それでも、全部を知るまで信用しないというのなら、誰とも背中を預けて戦うことなどできない。
探索者として必要なのは、相手の過去をすべて知ることではない。
危険なときや追い詰められたとき、自分の欲しいものと仲間の命を天秤に掛けたときに、その人間が何を選ぶのか。
今回、ガルドはそれを見た。
「レイジ」
呼ぶと、レイジがこちらを見る。
「何?」
今度は一度で通じた。
ガルドは少しだけ笑った。
「次の依頼を探すときは、お前も最初から来い」
レイジは一瞬だけ意味を確かめるような顔をしたあと、すぐに頷く。
「分かった」
ガルドにとっては、それで十分だった。




