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最初の鍵と名を持たない少年

 六角形の障壁が、カナタたちの周囲を完全に塞いだ。


 白銀の壁面には、無数の契約文字が流れている。


```text

対象:

裏の鍵・カナタ

五重鍵・ミナ

契約剣士・セラ


処理:

不完全鍵の削除

```


 カナタは黒い刃を構え、少年を睨みつけた。


「名前もないくせに、ずいぶん偉そうだな」


 少年の表情がわずかに揺れる。


「名前は必要ない」


「どうして?」


 ミナが尋ねた。


「名前は個体を分ける。個体を分ければ、意志が生まれる。意志が生まれれば、命令に従わなくなる」


 少年は淡々と答えた。


「だから、私は最初から名前を持たない」


 セラが剣先を向ける。


「名前を持たないんじゃない。持つことを怖がっているだけでしょう」


「恐怖という感情も、登録されていない」


「なら、今から覚えればいいわ」


 セラが踏み込んだ。


 剣が六角形の障壁を叩き、激しい火花が散る。


 少年は片手を上げた。


 セラの剣が、振り下ろされる途中で停止した。


```text

攻撃動作:

未完了


行動権限:

保留

```


「また、行動そのものを止めたか」


 カナタが黒い刃を投げる。


 刃は少年へ向かう途中で六本に分裂し、逆にカナタへ戻ってきた。


 カナタは身をひねって避けたが、一本が肩をかすめる。


「カナタ!」


「平気だ」


 血を拭い、カナタは少年の足元を見た。


 少年の影には、六重の紋章が浮かんでいる。


「奴の権限はゼロより上だ。攻撃を記録するんじゃなく、攻撃が成立する前に条件を書き換えている」


 ミナが目を細めた。


「なら、条件を変えればいい」


 五つの光が、彼女の周囲に浮かび上がる。


 ミナは自分の名前を口にした。


「私はカガミ・ミナ」


 五重の光が、六角形の障壁へ突き刺さる。


「私は、誰かの鍵じゃない」


 障壁にひびが入った。


「私は、私の意志でここにいる!」


 障壁が砕け散った。


 少年は初めて驚いた顔を見せた。


「自己定義による権限干渉……。始原鍵と同じ系統か」


「ハジメとは違う」


 ミナは一歩進む。


「私は私よ」


 カナタが笑った。


「その調子だ」


 黒い刃が再び形を変え、一本の長剣となる。


「じゃあ、俺も名乗っておくか」


 少年へ向けて、カナタは言った。


「俺はカガミ・カナタ。裏の鍵なんかじゃない」


 黒い光が彼の背中から噴き出す。


「俺は、悠真の兄弟だ」


 その言葉に反応し、少年の六重紋章が大きく揺れた。


```text

未登録関係性を検知


血統照合:

不一致


契約照合:

不一致


関係性の定義:

解析不能

```


「血統でも契約でもない関係性だと?」


 少年が低く呟く。


「理解できない」


「理解しなくていい」


 カナタが踏み込む。


「誰かを大切にするのに、登録なんて必要ない!」


 黒い剣が少年の胸元を捉えた。


 だが、刃は六重の紋章に阻まれた。


 衝撃でカナタの身体が吹き飛ぶ。


 セラが彼を受け止めた。


「無茶しすぎよ!」


「悪い。けど、少しは効いた」


 少年の胸元に、細い亀裂が走っていた。


 亀裂の奥から、赤い光が漏れている。


 ミナがそれを見つめた。


「あなたも、傷つくのね」


「これは損傷だ」


「同じことよ」


「違う。損傷は修復できる」


「傷も、いつかは癒えるわ」


 少年はしばらく黙った。


 その沈黙を破るように、船内へ警告音が鳴り響いた。


```text

第一執行艦:

墜落まで残り1分30秒


隠匿区画:

封鎖完了


本契約者の降下:

開始

```


 天井の向こうから、巨大な衝撃が伝わってきた。


 第一執行艦の外部装甲を、何かが貫いたのだ。


 少年が顔を上げる。


「本契約者が来る」


「お前の主人か?」


 カナタが尋ねる。


「主人ではない」


 少年の声に、初めて感情が混じった。


「私は、本契約者を守るために造られた」


「なら、俺たちを倒せば褒めてもらえるのか?」


「褒める?」


 少年はその言葉を理解できないように繰り返した。


「私に必要なのは評価ではない。命令だけだ」


 セラは剣を下ろさなかった。


「だったら、命令に従う前に一つだけ選びなさい」


「何を?」


「私たちを倒すか。あなた自身を知るか」


 少年の瞳に、赤い光が揺れた。


 その瞬間、隠匿区画の扉が吹き飛んだ。


 白銀の煙の向こうから、エルネが姿を現す。


 その背後には、さらに重装甲の兵士たちが並んでいた。


「対象を確認しました」


 エルネは少年へ視線を向ける。


「第一鍵、戦闘権限を解放します。反抗個体を処分しなさい」


 少年の六重紋章が一斉に輝いた。


「了解」


 ミナが身構える。


 だが、少年は動かなかった。


「どうしました?」


 エルネが問う。


「命令を……受け取った」


 少年は自分の手を見つめた。


「だが、実行するかどうかは、まだ決めていない」


 エルネの表情が険しくなる。


「第一鍵に選択権はありません」


「そう教えられた」


 少年は、胸の亀裂へ手を当てた。


「だが、彼女は言った。私は、私の意志でここにいると」


 ミナが息を呑む。


「あなた……」


「私は自分を知らない」


 少年は三人を振り返った。


「だが、知らないまま命令を実行することは、もうできない」


 エルネが槍を掲げる。


「異常反応を確認。第一鍵を強制接続へ移行します」


 白銀の光が少年へ伸びた。


 少年の身体が宙へ浮かび上がる。


「やめろ!」


 カナタが黒い刃を放つ。


 兵士たちが一斉に動き、槍を交差させた。


 カナタの黒い光と白銀の槍が衝突し、隠匿区画全体が揺れる。


 セラは兵士の間を駆け抜け、エルネへ斬りかかった。


 エルネの槍が剣を受け止める。


「あなたたちは、なぜそこまで他者に執着するのです?」


「仲間だからよ!」


「仲間という定義は、契約に存在しません」


「だから、自分たちで決めるの!」


 セラが剣を押し込む。


 その隙に、ミナは少年へ手を伸ばした。


「名前がないなら、私たちが呼ぶ名前を選んで!」


「名前を……?」


「あなたがこれから、どうしたいのかを表す名前よ!」


 少年は苦しげに目を閉じた。


 記憶の断片が、彼の中を駆け抜ける。


 白い培養槽。


 無数の命令。


 銀河契約院の玉座。


 そして、遠い昔に誰かが呼んだ声。


『最初の子』


『あなたは、すべての鍵の始まり』


 少年の胸の六重紋章が、ゆっくりと形を変えていく。


「私は……始まり」


 赤い光が、黄金へ変わった。


「始まりを表す名前なら……」


 少年はミナの手を取った。


「アクス」


 新たな文字が胸に浮かび上がる。


```text

個体名:

アクス


所有者:

本人


命令への従属:

拒否

```


 エルネが叫ぶ。


「認証違反! 第一鍵の自己定義を禁止します!」


 アクスが振り返る。


「私は第一鍵ではない」


 六重の光が広がった。


「アクスだ」


 光が隠匿区画を満たし、白銀の兵士たちを吹き飛ばす。


 エルネの槍が折れ、彼女の身体が壁へ叩きつけられた。


「そんな……第一鍵が、契約命令を拒絶した?」


 アクスは自分の胸へ手を当てた。


「拒絶したのではない。選んだ」


 その直後、船内全体が大きく傾いた。


```text

第一執行艦:

墜落まで残り45秒


船体損傷:

臨界


転移核:

再起動を確認

```


 ミナが周囲を見回す。


「転移核が再起動した?」


 アクスが答えた。


「私が隠匿区画の封鎖を解除した。転移先は、地上ではない」


「どこへ繋がってるの?」


 アクスは船外を見た。


 崩壊する第一執行艦の上空に、巨大な銀色の門が開いている。


 門の向こうには、青い惑星ではなく、無数の光に包まれた巨大構造体が浮かんでいた。


「銀河契約院の中枢星城」


 アクスが告げる。


「本契約者は、そこからこちらを見ている」


 カナタが黒い剣を握り直した。


「つまり、敵の本拠地へ行けるってことか」


「そうだ」


「なら、行くしかないな」


 セラが驚いて振り返る。


「悠真たちは地上へ戻ったかもしれないのよ?」


「だからこそだ」


 カナタは門を見つめた。


「銀河契約院を止めない限り、また地上が狙われる。悠真たちが戻る時間を、俺たちが作る」


 ミナが頷いた。


「それに、私も知りたい。お母さんが、なぜ銀河契約院に関わったのか」


 アクスは三人を見つめる。


「本当に、私を連れていくのか?」


「もう名前を選んだ仲間でしょう?」


 ミナが微笑む。


 アクスは、初めてわずかに笑った。


「仲間……」


 その言葉を、確かめるように口にする。


「悪くない」


 背後から、エルネが立ち上がった。


「逃がしません」


 彼女の槍に、巨大な白銀の光が集まる。


「本契約者への反逆は、銀河全域に対する敵対行為です」


 カナタが振り返る。


「だったら、銀河全域に伝えろ」


 黒い剣が巨大化する。


「俺たちは、誰の所有物でもないってな!」


 セラとミナも並び立つ。


 アクスが六重の光を解放した。


 四人の力が重なり、隠匿区画の中央に転移門が開く。


 門の向こうには、銀河契約院の中枢星城。


 門のこちら側では、第一執行艦が崩壊を続けている。


```text

墜落まで残り20秒


転移門:

安定時間、残り12秒

```


「行くぞ!」


 カナタが叫ぶ。


 四人は光の門へ飛び込んだ。


 最後にアクスが振り返る。


 崩れゆく船内で、エルネが槍を構えていた。


「必ず追いつきます」


 エルネの声が響く。


「本契約者は、あなたたちの存在を許しません」


 アクスは静かに答えた。


「許可は必要ない」


 そして、門が閉じた。


 直後、第一執行艦は大陸上空で大爆発を起こした。


 一方、銀河契約院の中枢星城。


 長い回廊の先で、白い仮面の人物が立ち上がる。


 その胸には、六重の契約紋。


 だが、仮面の奥にはもう一つ、隠された七つ目の光があった。


「第一鍵が、名前を選んだか」


 仮面の人物は、静かに手を掲げる。


 星城全体に警告が響き渡った。


```text

未知の自律個体を確認


地上由来の反抗鍵、侵入


銀河契約院:

全権限を戦闘状態へ移行

```


 白い仮面の人物が、初めて名乗る。


「ならば、私も名を明かそう」


 仮面がゆっくりと割れた。


「私は、七番目の鍵――カガミ・ソラ」


 悠真たちの知らない場所で、新たな契約者が目を開く。


 そして、星城の奥から、ミレイユの声が響いた。


『悠真、聞こえる?』


 崩壊した大陸の空。


 カガミ家跡地へ転移した悠真は、突然、杖の中から聞こえた声に足を止めた。


「ミレイユ……?」


『第零契約院で、あなたたちに伝えられなかったことがある』


 声は震えていた。


『銀河契約院の本契約者は、アキラを殺した人物ではない』


 悠真の手に力がこもる。


「じゃあ、誰が父さんを殺したんだ?」


 しばらく沈黙が続いた。


 やがて、ミレイユは答えた。


『アキラ自身よ』


 悠真の瞳が揺れる。


『彼は、あなたたちを守るために、自分の名前を契約に差し出した』


 杖の光が消える。


 遠い星の彼方で、七番目の鍵が笑った。


```text

次の記録:

父親の消去

対象:

カガミ・アキラ

実行者:

本人

```


 大陸に戻った悠真たちは、まだ知らなかった。


 父親の死が、始まりではなく――


 銀河契約院へ続く、最後の契約だったことを。

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